北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】令和6年第1空挺団降下訓練始め【5】機甲部隊と空中機動部隊(2024-01-07)

2024-05-09 20:06:03 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■10式戦車登場!
 戦車というものがもう本州では非常に珍しいものとなってしまいまして少し不安を感じるところです。

 空挺部隊を支援するべく機甲部隊が戦果拡張の為に前進を開始しました、10式戦車と16式機動戦闘車で、これまでこの空挺降下訓練始めで勇猛をとどろかせた74式戦車は既にその姿なく、いやまだ全国にこの時点で6個中隊残っていたのだけれども流石に。

 10式戦車、富士教導団機甲教導連隊の所属です。そう、第1戦車大隊は師団改編胃より既に廃止されており、この空挺降下訓練始めの翌々月には本州に残る最後の戦車大隊、第9戦車大隊と第10戦車大隊、旅団の大13戦車中隊は廃止されてしまうのですね。

 第12偵察戦闘大隊の16式機動戦闘車、考えてみると初登場という。わたしが初めて第12旅団を撮影した当時は未だ軽装甲機動車さえ配備される前で偵察警戒車さえなく装甲車は化学防護車のみという時代でしたので、偵察戦闘大隊の新編は朗報、なのかな。

 軽装甲機動車と高機動車は空挺団の装備です。ただ、アメリカの第82空挺師団ではM-10ブッカー装甲機動砲、軽戦車のような38tの機動砲を配備開始したのが4月に話題ですので、軽装備というけれども自衛隊の軽装備は度を越して軽すぎないか、とも。

 機械化部隊は第一線へ向かう、けれどもちょっと数が少なすぎやしないか、第1空挺団にも空挺戦車小隊が配備されていた時代があるのだし、対戦車小隊ではなく戦車小隊です、もっともM-24軽戦車というゴジラ相手に歯が立たなかった軽戦車なのですが。

 富士教導団機甲教導連隊と第12偵察戦闘大隊の増援、10式戦車はそれほど高い戦車ではないのだけれども製造し続けないと戦車の製造基盤が崩壊しますと欧州のように戦車一両30億円というようなことになりかねないのです、毎年30両程度生産できないか。

 AH-1S対戦車ヘリコプターの航空支援、政府が陳腐化している為に廃棄するという装備ですが、まあTOW対戦車ミサイルを搭載しているもののその射程は3750mと短い事は確かです、けれどもその気になって改修するならば8kmくらいのものは積める。

 対戦車ヘリコプターの空中打撃力というものは迅速さと即座の致死性というものがあります、前線が危機的な状況で200km/hの俊足を持て匍匐飛行で駆け付け、見た瞬間に機関砲とロケット弾とミサイルで刈り取り、というもの。この写真が全てを物語る。

 C-130輸送機が飛来しました、航空自衛隊のC-130Hではなく横田基地のアメリカ空軍のC-130J輸送機ですね、そう空挺部隊の増援展開だ、まさにマーケットガーデン作戦のようなもので、先程にまして青さ増した大空に真白く開く薔薇のよう、という感じか。

 みよ落下傘空に、舞い、舞う、はずなのですが普通に通過してゆくもので更に海上でゃなんのアナウンスも無く、AC-130じゃあないのか対地攻撃機の、という声が上がるといやAC-130なら旋回するはずだろ、そもそも横田には無いし尾翼には374とあるよ。

 CH-47輸送ヘリコプターの編隊がやってきまして、C-130はそのまま通過してしまいました、そして、此処で放送が入ったのですが、ここで、多国籍空挺部隊が降下する予定だったのですね、けれどもこの日は強風だったという、いやそんな風は強くない。

 ヘリボーン強襲が行われる、要するにこういうことです、空挺降下をこの狭い習志野訓練場で行うには、各国の異なる訓練環境などを考えるとこの風でも結構あんぜんせいをこうりょしなければならない、ということなのですね。さあヘリボーンの展開だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東寺観桜,真言宗根本道場に立体曼荼羅と一体感を持つ情景としての桜並木と観桜の情景

2024-05-09 07:00:14 | 写真
■寺院とさくら
 さくらの季節は四月中旬にはほぼほぼ閉幕しているのですがその情景は今思い返してもいとおしい。

 観桜の東寺、わたしは浅学にして当時にいつごろからここまでの桜並木が整備されたのかを知りません、いや実際拝観の際にゆっくりと春の木々を見ていますと椛もそう若葉の頃には先ず朱色を示す木々ですので桜並木だけではないと分かるのですけれども。

 禅寺を拝観してみますとあまり桜並木というものは植えられていません、金戒光明寺などは数本だけしかし三門の目の前の脇侍のように聳える桜の木々が印象的な三門ととられる情景や、そういえば三重塔もこの季節には墓地を隠すように桜は花咲くのですが。

 南禅寺も桜という印象が確かに植えられているのですけれども、数は多くなく東福寺などは幕府に要請して先ら並木を伐採して椛と変えてしまっていますし、大徳寺も、好きだったんだけどなあと思う最後の一本の桜が伐採されてしまったのはもう二十年まえ。

 東寺は密教なので桜をと説明するには密教が言うほど桜咲くところなのだろうかと思ってしまうのですが、昨今漸く色々読み物で学ぶようになりまして、考えれば当時に桜並木があるのは空海さんの影響なのだなあと、気づくようにはなりました。

 弘法大師空海、桓武天皇からここ東寺を託された。桓武天皇が空海と最澄を信頼していたというのは、これ歴史を見れば南都六宗の影響が強くなりすぎた故に平城京を廃都としたうえで長岡京に遷都した歴史があるのですが、官寺以外を平安京は認めない。

 東寺と西寺は、南都六宗の影響を隔てているものの国家宗教に当たる寄る辺を省くほど科学が振興していない時代故に必要な施策であったのでしょうけれども、此処に密教を入れたことは南都六宗への牽制と共に天台宗の影響をある程度分けたい背景があったか。

 空海さんはここに真言宗根本道場を開いたわけですが、ここで重視したのは高層建築物でも堂宇の広さでもなく、立体曼荼羅、密教の世界観の具現化です。空海さんは唐の蒼龍寺で灌頂を受けているのですが相当な努力と才能が有った故といえるもの。

 立体曼荼羅、空海さんは全国行脚とともに厳しい修行を経て、なにしろ富士山噴火の溶岩流さえ出会っているほど、修行の先に瞑想といいますか幻想といいますが経典に示された立体曼荼羅をある程度認識として共有できるほどに見えていたのだとおもう。

 大日如来を中心とする世界観、しかしこれを自分のような修行を経ていては日常生活と両立できないし、両立できないものだけでは国家運営は成り立たないという認識があったからこそ、立体曼荼羅、映画もCGもiPhoneもない時代に見られるようにした。

 桜並木というのは、講堂の堂宇に立体曼荼羅が二十一の仏像群とともに具現化されていて極楽浄土を醸すわかりやすい仏教観を示しているゆえに、仏教の極楽浄土の様な景観を、桜並木により、こちらも具現化したのだろうなあ、と考えるところでして。

 立体曼荼羅と一体感を持つ情景としての桜並木と観桜の情景、まさに仏教徒は、というものをわかりやすく見せられるものが日本のこの春の景色なのだろう、こう理解してみたわけです。つまりこの東寺というのは修行とともに、見てもらうための寺院、と。

 禅寺は修行のための寺院という事もあり、いや独立採算制を求められる政教分離で、とびぬけた資産家の少ない平等主義の日本においては拝観料収入というものが必要なのですけれども、なかなか観桜の名所足り得ないのでしょうが、東寺は、こうなのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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