いにしえの日本人は、ユスリカの群飛を慶事として尊んだという説がある。今の、虫嫌いが多数派と思える世の中からは想像のおよばない話だ。慶雲昌光なんて熟語が挨拶状などに使われたりするが、その雲たるものが虫のコトを指すなんて知ったら、イヤな顔をする人も多いだろう。
おびただしいユスリカが棲む川は、一般的な感覚からすれば、やはり汚い。川には市民が様々なモノを捨てる。空き缶、コンビニのレジ袋、タバコの吸い殻、掃き集めた落ち葉、動物の糞、ロードキルの動物などなど。
準工業地域を緩やかに流れる川に浸かり、ユスリカの幼虫を採集していると、巨大で色鮮やかなアロワナの死骸が、目の前をゆっくり流れていくといったシュールな光景や、わずかに上流側の川縁に立つ青年が、社会に出してはいけないモノを大公開しながら放尿しているところなどにも遭遇できる。
大きなマンション群の隙間にある薄暗い河床から、狭い空を見上げていると、ココこそが文字通り社会の底辺なのかも知れないなどと、ワケも無くドン底な気持ちが胸に押し寄せまくる。
橋の下にある居心地の良さそうな隙間で、借り暮らししている方と比較しても、私の方が間違いなく一段下の位置だ。
そういえば、写真奥の橋の下で暮らしている方には、大変申し訳ないことをした。橋の下に仕掛けたユスリカ成虫調査用の粘着板に、髪の毛がべったり残っていたところをみると、かなりご面倒をおかけしたと推察する。
底質をサンプリングして驚くのは、実体顕微鏡下でみるとトイレットペーパーやティッシュ由来と思われる紙繊維の小片が多量に見つかることである。ヒトの毛も多い。貴重な森林を使って造ったセルロース製品達は、相当な部分がこのようなカタチで地球に還っていくわけである。下水に流れていくヒトの毛も、日本全国で集計してみたら、いったいどれほどの量になるのやら。
荒廃しきった環境という形容を添えたくなる川ではあるが、昆虫やその他の生き物はかなり面白い。何もいないように見えるけれど、よくみると小さなトビムシが護岸の汀線に無数にいる。トビムシの間には、カタビロアメンボ類、ミズギワカメムシ類に混じって、ミズカメムシの不明種(Mesovelia sp.)などもみられ、ゴミハネカクシの仲間っぽいのも走り回っている。これらの同定は、思いのほか簡単にいかない。こんなところに這いつくばって生きている連中をみていると、「誰も知らない」という邦画の名作をなぜか思い出した。
ユスリカたちもひっそりと暮らしていれば、誰も知らない存在であるわけだが、大量に発生するので駆除対象となる。しかしながら、成長阻害剤などでもって短期的に個体数を減少させられても、次の年には同じように発生するのでとっても逞しい。害虫の定義とか、自然保護の方向性とか、どんどん分からなくなってくるなぁ。
この川で採れた掩喉類(Phylactolaemata)の体内からでてきた未熟な休芽?(普通1mmくらいのものなのに、これは2mmくらいあって膜状部がみあたらず、紐付き構造)も貼っておこう。私は甲虫ファンなので、「コケムシ」でGoogle検索すると、コケムシ科Scydmaenidaeがなかなか出てこなくて、外肛動物のほうがトップで出てくるのがなんだか悔しい。外肛動物の方は駆除対象になっている県もあるが、甲虫のコケムシのほうは駆除対象となった事例もないので頑張って欲しい(何に?)。