おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

静岡から横浜、そして長野へ②

2009年10月28日 21時47分20秒 | 
 今のいわゆる近代養鶏は、鶏を鶏として、生き物として扱っていない。これは色んなところで指摘されている。アニマルファクトリーだ。餌は抗生物質づけだし、飛び回るスペースすらないので、ストレスから病気にかかりやすく、それを防ぐために再び薬が使用される。僕らはそんな卵を食べているのだ。市販の卵はオレンジ過ぎて妙に気味が悪い。

 小川町で有機農業の研修をしていたとき、鶏のお世話もしていた。ここはそんなひどい環境ではなく、平飼養鶏だ。十分な空気、緑、土、水、太陽光がある心地よい環境。地面は籾殻を切りワラを30cm積んだフカフカのベッド。鶏たちはそこを自由自在に飛び回り、時にはそこにうずくまったり、地団駄踏んだりして遊んでいる。そして、その籾殻、切りワラは鶏の糞尿と混ざってサラサラな鶏糞となり、大地に還元される。常に鶏の足でかき回され、低温発酵している状態にある鶏糞は臭いもなく、鶏にとっても人間にとっても何の害もない。餌もクズ麦やオカラ、米ぬかの他に雑草もあげていたので、卵の黄身は鮮やかな黄色だ。きれい。

 韮山で案内してくださった方のお話を聞いて、ふと鶏のことを考えてしまった。今の鶏小屋は、その糞でベチョベチョになっていて、長靴でないと入ることができないし、何度も糞出しをしなければならない。鶏は目を真っ赤にして苦しそうにしているという。鶏にとっても人間にとっても悪い環境だ。人間にとっても苦痛な環境は鶏にとっても苦痛な環境なのだ。この方は、オガクズと菌を利用して、鶏にとって住みよい環境を提供している。それを半信半疑で利用した農家は、今ではとても喜んでいるという。その卵もいただいたが、鮮やかなオレンジで、スッキリした味。環境はそのまま卵に反映される。

 前に紹介した堆肥も、まだまだ少量であるため、今は自給的な農業をやっている人たちに使ってもらっているみたいであるが、それで育ったお米がおいしいと評判が良いという。この小さな取り組みが地域に広がってもらいたい。

 韮山から帰ってきて、仕事先で研究会が続き、いつもの日々に戻ったが、その合間に久々に横浜へ行ってきた。大学時代は戸塚に5年間住んでいたので、なんだか懐かしい。ある有機農業に関係した団体の全国集会が今年は横浜で行われるということで、僕も縁があって実行委員に加わることになった。分科会を「農業と平和」というテーマでやりたいということで、その打ち合わせ。本当に久しぶりに本郷台にあるあーすプラザへ。内容はほぼかたまった。来年の話だが、僕はその司会をやり、分科会を仕切ることになりそう。楽しみだ。 


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