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その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(110) 「謎の第12惑星」

2019年02月19日 15時43分36秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(110)TITLE:  「謎の第12惑星」 
                
書籍名;「謎の第12惑星」 [1977] 
著者;ゼカーリア・シッチン 発行所;新潮社(新潮選書)
発行日;1977.3.15
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

この書の副題は、「一体の女神像から解明された謎の天体の正体」とあり、人類の近代文明の始まりの書として選んだ。裏表紙に書かれた内容は、『世界四大文明の一つであるメソポタミア文明は、紀元前3600年ごろ、西南アジアのティグリス、ユーフラテス両河畔にひろがる、肥沃な平地に興った。19世紀中葉から、この偉大な文明の遺跡・遺物がつぎつぎと発掘され、その多くは歴史学者や考古学者の手によって解朋されていった。しかし、その中で学者たちがどうしても解きえない謎が残っていた。それは、1903年から1914年まで、古代都市アッシュルから発掘された、胸や背中に奇妙な仕掛けのついた女神像である。

 その女神像は、当時考えられていた、古代人の一般的服装とはまったく異なる姿をしていた。頭には、帽子とは趣きの違うヘルメット様のものをかぶり、両耳はイヤホーンを想像させるようなもので覆われ、両手には、水差しにしては重過ぎる円筒状の物体をたずさえていた。 かつてメソポタミアに栄えたアッカド王国やシュメール王国の文献によれば、この女神はイシュタルと呼ばれ、”空を飛ぶ女神,とされていた。
近年、メソポタミア文明が、他の古代文明をはるかに凌駕する高度な内容をもっていたことが、明らかにされつつある。しかも、メソポタミア文明は、営々として築かれたというよりは、むしろ突然興ったという見方がなされている。』とある。

 本文の始まりは、「最古の高度文明の、あまりにも唐突な出現」と題して、このように書かれている。
 
『考古学者たちの発掘は、ラガシュを基点に南下し、ティグリス、ユーフラテスのデルタ地帯に向かっていった。南に下るにつれて、遺跡の年代はさらにさかのぼり、ついに最初のシュメール都市が、エリドウで掘り当てられた。深く掘り進むと、シュメールの知識の神ユンキにささげられた寺院にたどりついたが、この寺院は、何度となく建て直されたらしく、地層は発掘者たちをどんどん深みに導き、紀元前二五00年から三五00年まで、シュメール文明はたどられたのである。
発掘用シャベルが最初のエンキ寺院の土台を掘り起こすと、その下に、はじめて処女地があらわれた。そこには、以前何ものも建てられたことのない、紀元前三八〇〇年の地層があった。 ほんとうに正確な意味で、最初の文明がここに始まったと言える。ちなみに他の文明発祥の地と比較してみよう。エジプトは、紀元前三一〇〇年までしかたどれないし、中国は同じく二〇〇〇年、インダス河畔は二一〇〇~二二〇〇年が限度である。そればかりではない。他の古代文明よりもシュメール文明は、さまざまの点で進んでいた。しかし、不思議なことに学者たちは、今日にいたるまで、シュメール人がだれであり、どこからきたのか、そしてその文明が、なぜ、いかにして発生したのかについて、何らの手がかりも持っていないのである。 その発生は、まったく突然の、予期せぬ事件であるかのように見える。シュメール学者ジョセフ・キャンベルは言う。「この小さなシュメールの泥園に、驚くべき突然さで、世界の高度文明の発芽単位を内包する全文化形態が出現した。』(pp.24)

 そして、「シュメール文明は、宇宙人がもたらしたものだ」として、次のように続けている。

『ここで、私たちはふたたびイシュタルの像に戻ってみよう。私は、彼女がある種の飛行士ではないかと指摘したのだが、じつは、メソポタミアの古文書には、イシュタル以外にも、天と地の神々が地球を飛び立ち、地球の空をさまよい、あるいは天に昇り、天から降下する話が充満しているのである。古代人は、神々のこうした行為を当然のことと考えていたのではないだろうか。しかし、神―都はなにか。』(pp.25)

 人々が、神とあがめる習慣は、現在も存在する。超人的な能力を持った人や、時の権力者が神と定めたものは、ある年月が過ぎると、神として信仰されることになる。このことは、過去から現在までのどの民族にも当て嵌まる。

 そして、延々とシュメール文書を解読した結果が述べられて、焦点はそのなかの「詩」に当てられてゆく。

 『この詩から、他の惑星群を真二つに分けながら、「第12惑星」は、ティアマトが存在した場の真ん中を横断しつづけているという、決定的な情報が得られる。その軌道は、この星を常に、ティアマト粉砕の場へと引き戻しているわけである。
中央の位遺を占め、かつてティアマトがあった場といえば、小惑星帯が伸びる、火星と木星のあいだ以外にはないだろう。そこで、惑星を太陽から近い順に並べると、つぎのようになる。
水星、金星、月、地球、火星、「第12惑星」、木星、土星、天王星、海王星、冥王星。』(pp.130)

次に、「第12惑星」の軌道の説明が続く。

『ただし、「第12惑星」は、他の惑星のように、円に近い軌道を描いて、太陽の周囲を回転するのではない。 メソポタミアの文献には、「第12惑星は天空の未知の場と宇宙の果てに至る」と述べられている。「彼は隠された知識を盗み見る。 彼は宇宙の隅々までも見る。彼は、全ての惑星の監視者であり、その軌道は他のすべての惑星を取り巻いている」。彼の軌道は、他のどの惑星よりも「気高く」、「偉大」であるともいう。
ドイッ人のメソポタミア学者 ラソツ・クグラーは、これらの記述から、「第12惑星」は、速度の速い天体で、ちょうど葬星のように、大きな楕円の軌跡を描くものだと指摘している。』(pp.130)

 そして、このような詩を引用している。
 
『彼は天を横ぎり、地球を調べる……
主は、そのとき「深淵」の成り立ちをはかる。
エ・シャラを彼は、目につく住居として建て、
エ・シャラを、天上の偉大な住居として建てた。
一点は、はるか遠い天空の奥に、もう一点は、火星と木星のあいだの小惑星帯の内側に、その地を定めたのである。』(pp.131)

 そして、同じような内容の詩が、旧約聖書の中にも存在するとして、その部分も引用している。そして、そのようなことは、発掘された多数の遺物から語られるとしている。

『遠地点で「無限の高みまで上昇し」、近地点で「天に向かって弧を描いて降りてくる」、天空の偉大な旅人「第12惑星」は、 さらに古代の画家の手で、図55のような翼のある球として描かれた。 近東民族の遺跡には、どこでも、寺院や宮殿の上や、岩に刻印されたり、円筒印章に彫られたり、壁に描かれた、翼をつけた球のシンボルが目につく。この象微は、ときに王や僧侶を従え、あるいは王座の上に立ち、戦いの場面では彼らの頭上を舞い、戦車に彫り込まれている。
シュメールやアッカド、バビロニアにはじまり、エジプトのファラオや、ペルシアのシャーにいたる君主たちはみな、このシンボルを至上のものとしていた。』(pp.133)

彼らが、最初に地球に到達したのは、第2氷河期の45何年前と推定している。その時代が、着陸地点をシュメールの付近に定めるのに、都合がよいというわけである。そして、人類の突然の進化が始まったというわけである。

「なぜメソポタミアを居住地に定めたのか」として、次のように説明をしている。

『ネフィリムが、シュメールを含む古代メソポタミアを地球における住居と定めた理由は、じつは、もうひとつあった。のちにネフィリムは、乾燥した土地に宇宙基地を築くが、少なくともはじめは、密閉カプセルによって海中に着水したと考えられる、いくつかの証拠がある。もしそうだとすれば、南にインド洋、西に地中海を控えているメソポタミアは、絶好の着陸地だったと推定できる。インダスやナイルのように、近くに、海がひとつだけの土地よりも、前後に海を配したメソポタミアは、安心して着陸することができたのだろう。
古代の文献を見ると、ネフィリムの宇宙船は、「天の船」と名づけられていた。宇宙船を操縦したネフィリムが、魚のような服を着ていた、という記述もある。バビロニアの神話に登場するオアネス神は、「神」が降下した最初の年に海から現われた「理性ある存在」だが、魚の頭をとると、人間の頭が現われ、魚のような尾の下に人の足が見え、その声は、明らかに人間の声だったという。海に着水し、奇妙なカプセルと宇宙服に包まれたネフィリムの姿が、「魚人」として、長く語り伝えられたのではなかろうか。
ギリシャの歴史学者たちによると、このような「神々しい魚人」は、「エリスリア海」から定期的に上陸してきた、という。「エリスリァ海」は、 インド洋の西部、現在ではアラビァ海と呼ばれる海である。』(pp.185)
 
 この内容を追跡して、様々な証拠固めをして表したのが、先に紹介した、アラン・アルフォード著の「神々の遺伝子」 [1998] 講談社 、というわけである。
 いずれにせよ、この一連の書の内容が、どれほどに事実に近いものかは、次に第12惑星が太陽に近づく時を待たねばならない。