生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

様々なメタ(53)メタエンジニアリングを始める前に

2021年07月31日 06時49分26秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
TITLE: メタエンジニアリングを始める前に

 最近「メタ何々」という言葉を、新聞の紙面で時々見かける。その傾向は月刊誌では顕著で、地球温暖化や異常気象などが身近な問題として捉えられるようになり、個別ではなく全体を考えなければならなくなったことが、一つの原因と思うのだが、AIによる超ビッグデータの解析により、社会全体の状態の探求、つまりメタ視点での認識が可能になったことが主原因のようにも思える。

 そこで、MEシリーズの第24巻として、「人文・社会学編」を書いたのだが、その間にも「メタ何々」の話はとめどもなく出てきた。そこで新たに、「理工学・経済編」を表すことにしたのだが、一体、「メタ」という言葉は、国内ではどのように広がってきたのであろうか。

 私の書架に「広辞苑(第1版)」がある。昭和30年(1955)の発行なのだが、そこには「メタ」という言葉はない。「めた、滅多、めったの略」とあるだけである。そこで、図書館で最新の第7版までの記述項目を調べてみた。14年後の第2版(1969)では、「めた」はそのままだが、「メタ言語」が登場。対象言語(何かの対象について述べる)の表現内容について述べる高次言語としているが、メタ言語も、それを対象として更に高次元のメタ言語に発展するとしている。他には、「メタセンター」(浮かんだ物体の傾きの中心) 「メタフィジーク」「メタフィジカル」「メタ倫理学」がある。

 大きく変わったのは第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシア語の間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。
 
 第4版(1991)では更に「メタボリズム」「メタモルファーゼ」(変身,変態)が登場した。第5版(1998)では、「メタファー」(隠喩)が追加。第6版(2008)では、「メタデータ」「メタボリック」が追加。
第7版(2018)では、更に「メタアナリシス」「メタゲノム」「メタ認知」「メタフィクション」が追加されている。やはり、21世紀になってから急激に増加したことが分かる。

 このように、「メタ」という言葉は、ここ数十年の間に大きく広がって一般社会の中に普及していった。しかし、古代ギリシャのアリストテレス直後に始まった「メタ」という概念が、西欧(つまり英語)ではMetaphysicsとして、古代から普及したにもかかわらず、日本では20世紀中半まで待たねばならなかったのは、何故であろうか。私には、ユーラシア大陸の東の端の島国という地政学的な文化が、深く影響しているように思われる。
 一方で、現代のほぼ全ての学問分野では、「メタ」とは反対に細分化が進んでいる。私は、逆にこのような状態が国内におけるイノベーションの停滞の一つの原因ではないかと考えて、今後も「メタ視点」からの研究を続けてゆく所存です。
 そこで、先ずは「メタエンジニアリングを始める前に」ということで、「メタ」をメタ的に考えてみることにした。

メタエンジニアリングを始める前に知るべき4っつのこと

その1.「メタ」の意味を知る

 先ずは、「メタ」とは何かを知らなければならない。しかし、日本語の「メタ」は最新版の広辞苑でも甚だ簡単な表現になっている。そこで、新英和大辞典(研究社[1992])第5版を参考にする。そこには、「meta-」という前置詞には次の3つの意味が書かれている。
 『1.主に科学用語で次の意味を表す:
   a「・・の後、・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. 
    b (位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis.
c「二次的・・」:metalanguage.
2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics,
metapsychology.  
3,【化学】メタ
   a 「・・の重合体[誘導体]」
b ベンゼン環を有する化合物で、1,3-の位置置換を示す』
 とある。
 つまり、細かくは6つの意味がある。そして、この英和辞典には「3」の科学を除いても150余りの「meta何々」が示されている。
 しかし、この150余りの英語のmeta-を見ていると、あることに気づかされる。それは、もともとmeta-に決められた定義があるわけではなく、多くの人(特に専門家)が、自分の専門分野の常識からはみ出ることや、一段上がったり、下がったりした立場で考え直すときに使った前置詞のように思えてきた。考えてみれば、辞書とはそういうもので、多くの人が使いだした新たな言葉が掲載されるわけである。
 つまり、「meta-」は、専門家が自由に使ってよいのではないだろうか。

その2.メタエンジニアリングにおける「メタ」の意味を知る

 それでは、「メタエンジニアリング」の「メタ」は、6つのうちのどれに相当するのであろうか。そもそもは、「metaphysics」から考えだしたので、(1a)の「・・の後、・・を超えた」と考える。すると、
 「通常のエンジニアリングがなされた後で、その思考範囲を超えて、改めてエンジニアリングセンスで
考え直してみる」 ということが、まず浮かんでくる。
 しかし、従来のエンジニアリングが、公害や地球温暖化の原因を創り出してしまったことを考えると、(2)の「metamathematics」と同様に、「既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名として、より包括的な工学」とすることも考えなければならない。

その3.既存のエンジニアリングの中身を知る

 この二つのいずれにせよ、メタエンジニアリングを考えるには、それに先立って、既存のエンジニアリング(すなわち、日本語の工学と技術)について、一定の知識が必要になる。さらに、長い経験と、その間に知ることができた「善と悪」についての知見が必要となる。いかなるエンジニアリングでも、悪であってはならない。ましてや、メタエンジニアリングに於いては。
 元祖「メタ」のアリストテレスを始め、「様々なメタ」の多くは、この「善と悪」に行きついている。
 『プラトン曰く、「悪しき魂は争いを呼ぶが、善き魂は友愛を呼ぶ。またアリストテレス曰く、「人間の魂を善くすることが、教育や政治の本来の目的である。』(中村聡一「教養としてのギリシャ・ローマ;東洋経済新報社[2021]」(p.333)というわけである。

その4.メタ思考に必要なリベラルアーツを知る

 上記の書籍は、副題を「名門コロンビア大学で学んだリベラルアーツの真髄」とあり、その序章は、次の言葉で始まっている。
 『なぜ米国の一流大学はリベラルアーツを重視するのか、リベラルアーツを習得しなければ、“メジャー”に進めない。』(p.12)

 リベラルアーツとは、一般的には古代ローマ帝国で盛んに行われた「自由七科」とされているが、現代のリベラルアーツはそれとは異なる内容になっている。発端は、1917年に米国が、それまでの孤立主義から脱して、第1次世界大戦のヨーロッパ戦線に参加したことによる。『参戦に際し、アメリカ陸軍がコロンビア大学に対して陸軍士官への教育プログラムの開発を要請した』(同上p.326)
 
 現代の日本でもそうだが、軍隊の司令官となり、さらに将官となるには、一般人とは各段に異なる広範囲な教育を受けなければならない。すべての歴史、総てのイデオロギー、総ての文化、総ての政党の主張などである。
 このシラバスは「war issue」として戦後に引き継がれたが、さらに1919年は、『戦争終結を受けて、peace issue(平和問題)、というプログラムも登場。これは後にContemporary Civilization(現代文明論)という授業に統合されました。』(同上)とある。
 これに加えて、ギリシャ・ローマ時代から近代までの名著を英訳原文で読むことで、「アメリカ式リベラルアーツ教育」が構築された。そして、現在のその教育内容は、次のように纏められている。
 
 『いずれも単に知識を習得することが目的ではありません。まずその成り立ちや仕組み、生まれた背景、社会との関りや人類に与えた影響まで含めて考察すること。またそれによって、私たちが生きる上で何が「善」なのか、という価値基準の土台を作ることが大事なのです。』(同上p.329)
 ここでも、最終目的(つまり、価値基準の土台)は「善」になっている。
 日本の大学でも、一般教養課程は存在するが、この事例と比べるとお寒い限りなのだが、この、「私たちが生きる上で何が「善」なのか、という価値基準の土台」が無ければ、メタエンジニアリングを正しく進めることはできない。