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生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

さまざまな「メタ」の研究(その4)懐古

2025年04月10日 12時45分59秒 | メタエンジニアリングのすすめ
ここでは、かつてメタエンジニアリング研究所で行われた研究の一部を紹介してゆきます。

4.懐古(メタヒストリーとしてのアジール)

 Wikipediaには「アジール」という項目に次のようにある。
『アジールあるいはアサイラム(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。ギリシャ語の「ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とする。具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになる。現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものである。』

 『アジールとされた地域には、教会、神社、仏閣などの宗教的聖地の要素を持つ場所や、市場など複数の権力が入り混じる自由領域・交易場所などがあった。商業都市も、武力を背景とした統治権力に対抗する「自治都市」として強いアジール性が認められた場合がある。単に「統治権力が及ばない地域」というだけではなく、「大きな統治権力と小さな統治権力がせめぎあった結果、大きな統治権力の実効支配が否定されている地域」と理解することもでき、統治権力が大きく統合されていく過程で生じた過渡的な現象ということもできる。』

日本におけるアジール研究は、歴史学者の平泉澄が先鞭をつけた。それを具体的に説明した著書として、網野善彦著「無縁・公界・楽」(藤原書店[1978])がある。



 著者の網野善彦は、「無主」「無縁」の原理を担った人々の力こそ、真に歴史を動かしてきた弱者の力であると主張している。通常の歴史が、支配者、支配階級の地縁、血縁などで語られるのとは正反対の見方なのだが、少し考えれば、原始時代から続いているこの集団については、現代のSNSとメタバースやクラウド、仮想通貨などの流行を目にするにつけ、こちらに歴史の力が戻りつつあるようにも思えてくる。

 本文は、昔の子供の二つの遊びから始まっている。私も、小学校時代の一時期、この二つの遊びを経験した。書かれているルールは全く同じものだったと記憶している。
 『子供のころ、「エンガチヨ」という遊びがあった。突然みんなが私に向かって「エーンガチヨ、エンガチヨ」とはやしたてはじめる。なにかきたないものにさわったか、踏んだかしてしまったと思うが、自分では気がつかない。しかし友だちはみな私から逃げてしまう。私は「エンガチヨ」でめり、私には決して触れてはいけなくなったのだ。だれかに「エンガチヨ」をつけなければ、永久に孤独になってしまいそうなおそれにかりたてられて、私は友だちを追いかけまわす。あとは「鬼ごっこ」と同じである。足の遅いものにおいついて手をふれる。これで私はたすかる。「エンガチヨ」は、その子に移ったのだ。
 ところが、この遊びには不思議なおまじないがある。両手の親指と人差指でくさりの輪をつくり、誰かに「エンきーった」といって、そのくさりを切ってもらうと、もう「エンガチヨ」はつかなくなる。みなにそのおまじないをされてどうにもならなくなり、全く困り切った記憶も、私には鮮やかに残っている。』(pp.11-12)
 
 ここで、「エンガチヨ」の「エン」には、二種類の解釈が成り立つ。「縁」と「穢」である。「縁」は魔力に通じている。いずれにせよ、『人間の心と社会の深奥にふれる意味を持っているように思われるのである。』(p.14)とある。

 もう一つの遊びは、以下である。これも経験がある。
 『もうーつ、私の子供のころ、「スイライカンチヨー」という遊びがさかんであった。これが多分「水雷・艦長」のなまりで、同じ遊びを「海戦」といっている子供たちもいたことは、中学生になってからはじめて知った。ひさしのある帽子を前にかぶるか、赤い帽子をかぶった戦艦(艦長とも大将ともいった)は一人だけで、水雷(帽子を後にかぶるか、白い帽子をかぶる)に負け、駆逐(帽子を横にかぶるか、バンドにハソカチをぶらさげた)に勝つ。駆逐は水雷に勝つ。二手にわかれ「カイセーン」の合図で勝負がはじまる。戦艦は多くの駆逐と一、二の水雷を従え、戦隊を組んで出動する。水雷はたいがい足の速い子がなり、多くは散らばって身をかくし、戦艦のくるのを待ちぶせる。戦艦がつかまれば、これは一人しか いないから、まずは敗北である。海軍にあこがれる子供たちの多かった戦前の遊びであり、ほとんど組中の子供たちが加わって二手に分れ、校庭いっぱいかけまわったのは、いまでも楽しい思い出であるが、この遊びには、双方に「陣」(基地ともいったかもしれない) があった。たいてい大きな木そのもの、あるいはそのまわりに円を画いた場所が「陣」になった。』(p.14)
 全く、正確な描写で、当時の小学校の校庭までが思い出される。

 さらに続けて、『その木にふれるか、円内にとびこめば、外の勝負には関係なくなり、味方は安全であるが、つかまった敵は捕虜になって、この「陣」につれこまれる。これをたすけるには、外から木につかまっている捕虜にふれればよい。だから捕虜たちは手をつなぎ、なるべく長い列をつくって、必死にたすけを求めた。 また、面白いことに、同じ「艦種」(?)のもの同志がぶつかると「アイチーン」(あいこのなまりか)などといい、敵味方とも勝負に加わる力を失うが 、「陣」に手をふれるか、「大将」(戦艦)その人の身体にさわると、再び戦闘力を回復することができるのである 。』(p.15)

 私の記憶でも、帽子の被り方まで含めて寸分たがわないのは、むしろ不思議なくらいだ。もっとも、子供の頃は駆逐艦というものを知らずに「クチク」ではなく「キチク」と云っていたように記憶している。
「外の勝負や戦闘に関係ない場所の存在」、「何かに触れると、戦闘力が復活する」など、このような「縁」や「アジール」に関する遊びは、他の遊びと違って、変わり様がないのかもしれない。これも歴史の不思議だ。著書では、『人間の社会、その歴史に奥底深い根を持っているに違いない。』(p.16)としている。

 その後は本論に移り、アジールそのものの具体例が続く。戦国時代の「公界所」は、江の島や各地の寺院に多くあった。信長の「楽市、楽座」も同じ意味を持つ。

 「楽」は、仏教用語の「十楽」による。聖衆来迎楽、蓮華初開楽など10種の楽があり極楽浄土を讃えている。
 「公界(くかい)」も仏教用語で、道元の「雲堂公界の座禅」と云われるそうだ。「太平記」のなかにも書かれている。
 「無縁」も勿論仏教用語で、「原因、条件、対策の無いこと」を意味している。

 いずれも「アジール」に繋がり、そして「自由・平和・平等」に通じている。しかし、日本におけるこの種の「自由・平和・平等」は、西欧のそれとは異なっているという。欧州のそれは、王権との闘いによって勝ち取ったものだが、日本の歴史では、『日本の社会の中に、脈々と流れる原始以来の無主、無所有の原思想(原無縁)を、精一杯自覚的・積極的にあらわした「日本的」な表現にほかならない。』(p.129)として、安土桃山時代の堺の街を例に挙げている。

 しかし、この様なものは、明治維新以来の西欧化で「寂しく暗い世界」の印象に変わっていった。「公界」は「苦界」に、「無縁」は「無縁仏」になり、江戸文化とは離れていった。だが歴史は巡って、現代で再びSNSなどのより、こちらに歴史の力が戻りつつあるようにも思えてくる。
 さらに思いを広げれば、S.ハンチントンの究極の文明の世界、フランシス・フクヤマの歴史の終わりの次、猿の惑星などは、皆この方向に向かっていることを示しているのではないだろうか。

 江戸末期に日本を訪れた西欧人の多くは、当時の庶民の生活を見て、その文化的な高さに感銘したという話は多く存在する。その中でも、パリスの通訳として滞在したオランダ人のヒュースケンの言葉は、まさに日本的なアジールを成立させた縄文文化を懐古させるものだ。
 『いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質撲な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、 そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福
な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない』(「ヒュースケン日本日記」青木枝朗訳 岩波文庫)

 メタヒストリーという言葉には、色々な解釈が可能になる。小学校の校庭を走り廻った単純な遊びが、縄文文化から伝わる日本独特の文化の一つの表れだったことに、メタ思考の面白さを感じる。

 子供時代の、この二つの遊びについて、私の記憶は鮮明なのだが、同世代の友人に聞いたところでは、あまり一般的ではなかったようだ。次ページに結果を示した。
 〇 遊んだ経験がある
 × 知らなかった
 ? よく覚えていない

スイライカンチヨー 育った場所 エンガチヨ
   X        仙台市     X
   O        板橋区     O
   O        杉並区     O
   X        江東区     O
   O        渋谷区     O
   O        東京都府中市   O
   X        横浜市     X
   X        名古屋市    X
   X        京都市     ?
   X        奈良市     X
   X        広島市     ?

 なお、エンガチヨは、昔ドリフターズがネタに使っていたので、名前だけの記憶にある人はいたが、実際に遊んだ経験のある人は少なかった。
 いずれにしても、かなり地域も時期も限定的だったと思われる。

様々なメタの研究(その3)

2025年04月04日 08時59分12秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
ここでは、かつてメタエンジニアリング研究所で行われた研究の一部を紹介してゆきます。

3.懐疑(科学へのメタ懐疑論)

 科学的な知見への信頼が揺らいでいる。日本では,いまだに福島原発事故が影響しているようだが、世界的には地球温暖化の議論のなかで出ている。いわば「科学に対する懐疑論」なのだが、それをアリストテレスまで遡って、メタ的に捉えた記事があった。
 Wedge 2020.12月号に載っている、「温暖化やコロナで広がる懐疑論、深まる溝を埋めるには」と題した,読売新聞の英字新聞部次長で、長くワシントン支局に勤めた三井 誠の記事だ。

 2018年のギャラップ調査では、「人類の活動が地球温暖化の原因だ」と答えた人は、民主党支持者は89%で、共和党支持者は35%だった。米国におけるこの際立った傾向は既に広く知られている。
 しかし、問題はこの先にある。つまり、学歴が高く、科学的な知識が高いほど、このギャップが大きくなる傾向があることだ。筆者はそれを、「確証バイアスconfirmation bias」のせいだとしている。

 『さらに問題を深刻にするのは、学歴が高いほど、あるいは、科学の知識が豊富であるほど、こうした党派間のギャップが広がることだ。ここでは、エール大学のダン・カハン教授の研究を紹介したい。「人間活動が地球温暖化の原因かどうか」についての回答と科学的知識の有無などとの関係を分析した結果、知識が少ないグループでは支持政党による違いは目立たなかったが、知識が増えるほど支持政党の違いに応じた考え方のギャップが際立った。「人は自分の主義や考え方に一致する知識を吸収する傾向があるので、知識が増えると考え方が極端になる」』と。(p.25)

 さらに続けて、『トランプ大統領がマスクの義務化に消極的な姿勢を示し、厳しい外出規制を課す一部の州知事に批判的なコメントを繰り返した。米ピュー・リサーチ・センターの調査(6月実施)によると、「公共の場でマスクを常にするべきだ」と答えた割合は、民主党支持者の63%に対 し、共和党支持者は29%にとどまった。こうした溝をいかに埋めていくのか。「科学はデータだけでは伝えられない」と気付いた科学者たちの活動が、米国で活発化していた。』(p.25)とある。
 「科学はデータだけでは伝えられないと気付いた科学者たちの活動が、米国で活発化していた」とは、いかにも米国らしい。その活動は、賛否両論で行われているようだ。
 米国では、保守系のシンクタンクが「温暖化は人類のせいとする証拠はない」との懐疑論の小冊子を30万冊作り、政治家、理科教師、メディアに無料配布したと記されている。

 そこから説明は、弁論術に移る。
 『弁論術』(Rhetoric)は、アリストテレスによって書かれた。古代ギリシャのみならず、古代ローマや、その後の欧米諸国の政治文化・演説文化に大きな影響を与えたとされている。
 アリストテレスは、弁論を以下の3種類に分類し、それぞれの相違点や共通点を述べている。
議会弁論 - 何事かを奨励・慰留させる弁論。
演説的弁論 - 人を賞賛・非難する弁論。
法廷弁論 - 告訴・弁明する弁論。
 この三種の弁論に関して、その際の説得手段のあり方について、3つの側面から考察されている。
logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得。
pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得。
ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得。

 アリストテレスはこの3つのうち、logos(言論)を技術の中心に据え、秩序立てようと努めているが、残りのpathos(感情)とethos(人柄)という2要素も、他者を説得する上では決して無視できない要素であるとしている。
 しかし、この筆者は『科学者が事実を重視して論理的に説得を試みても、それは3分の1の要素でしかない。』(p.25)と断じている。確かに、「反知性主義」が多くを占める米国では、「ロゴス」の力は、3分の1なのかも知れない。トランプの演説を見れば、そのことは歴然としているように思う。
 日本ではどうであろうか。米国までにはいかないまでも、やはり、pathos(感情)とethos(人柄)が過半数であるように思うことが、しばしばある。


様々なメタエンジニアリングの研究(応用編 その2)

2025年03月19日 09時12分03秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
さまざまな「メタ」の研究(3)  ― 応用編 ―

2.絵画(メタ表現の絵画)

 近代までの絵画の多くは、写真の代わりだった。大きな行事や、肖像画がパトロンの下で製作されていた。しかし、写真の開発と印象派の台頭でそのことは変化した。それ以前には、モナリザのように、画家の謎めいた表現が流行したようだが、近代になると、色々な表現が盛り込まれるようになった。
 その中で、「メタ表現の絵画」を考えてみる。この場合のメタは、「従来の習性にとらわれずに、 視点をできるだけ広げる」である。
 そこで、二つの絵を取り上げたい。スーラの「グランド・ジャネット島の日曜日の午後」とターナーの「雨、蒸気、スピード」の二つだ。この二枚の絵は、当時(現在でも)としては、全く初めての画期的なものだった。しかし、その絵画では、当時の世相や産業技術レベル、社会と自然との関係などが、明確に表現されている。
 中野京子著「名画の謎」(文藝春秋[2013] )には、次のように書かれている。この著者は、ドイツ文学者なのだが、西欧画についての多くの著書があり、この「名画の謎」もシリーズ化されている。副題は、「陰謀の歴史編」で、多くの有名な政争を取り上げた絵画が紹介されている。しかし、ここで注目したのは、第2章の「産業革命とパラソル」だ。対象の絵画は、パリ市の中央にある島の川べりで、多くの人が寛ぐなかで、パラソルをさした数人の女性がたたずんでいる、有名な明るい絵だ。スーラの点描の代表作とされている。



 前半は、スーラの半生が述べられている。印象派が台頭してきた時期なのだが、彼の画法は全く認められずに、極貧を極めた。点描画法に執着した彼は、『印象派画家の多くはタッチこそ個性と考えていたし、偶然性や直感を利用した躍動感と色彩、そこから生まれる心象描写を重視していたので、スーラの手法は科学偏重、構図も計算しすぎ、非人間的で没個性、と感じられていたのだろう。』(p.33)とある。
 この絵も、売れる見込みは無く、彼のアトリエで死蔵されていた。しかし、フランスの画商からシカゴのコレクターにわたると、米国で俄かに評判となり、シカゴ美術館の所有になった。フランスが、巨額での買戻しを試みたが断られたとある。そこから、絵画の説明が始まる。「謎」ではなく、画家が何を表現したかであり、そのことは明確に描かれている。つまり、市民革命が成功し、産業革命の恩恵を満喫する、それぞれの階層のパリ市民の姿だ。



 数匹の犬の動き、女性の周りを飛び交う蝶、スカートを翻して駆け出す少女、意味ありげな男女(金持ちと愛人)、ヒモで繋がれた猿(悪徳の象徴)。当時の西欧は、キリスト教のために、ダーウインの進化論(特に、ヒトが猿から進化した)は憤激されていた。そして、沢山のパラソルは、当時新開発された、軽い柄で女性が片手で支えられるものだった。それまでの傘は重く、奴隷が支えて付き従うものだったが、産業革命のよる大量生産で、比較的安価で入手できるようになった。
 つまり、この絵は、たった一枚で、いくつもの当時の社会情勢と産業革命の成果を表している。
A Sunday on La Grande Jatte, Georges Seurat, 1884

 ターナーは、Joseph Mallord William Turner(1775 – 1851)イギリスのロマン主義の画家。写実的な風景画家として、同時代のコンスタンブルと並び称せられることが多い。コンスタンブル展は、Covit-19の合間の昨年(2021)春に、三菱一号館で行われたが、その時もターナーの絵が、比較対象物として展示されていた。
 この展覧会では、ターナーが並んでいるコンスタンブルの絵と比べて、物足りなさを感じて、その場で一筆(確か、赤だったと思う)加えたという逸話が述べられていたから、相当なライバルだったのだろう。
 私がターナーに初めて出会ったのは、多分開館間もない上野の西洋美術館の展覧会で、学生時代のことだった(半世紀も前のことなので、記憶が曖昧で間違えかもしれない)。宗教や貴族社会とまったく関係ないイギリスの風絵画が、ヨーロッパの自然主義への回帰を思わせた。  Rolls Royceとの新型エンジンの共同開発中には、毎年数回ロンドンで過ごす日があったが、必ず訪れるのは、大英博物館とテート美術館だった。テート美術館は、おそらく半分はターナーの絵で、当時はターナー専門の建物を建設中で、訪問の度に新たな部屋に、数枚が移動されていた。
 また、美術館の目の前にはテムズ川の船着き場があり、そこからボートに乗ると、ロンドンの中心部の好きなところで降ろしてもらえるのも魅力だった。
 ターナーの「雨、蒸気、スピード」という絵は、スーラとは対照的で、色は混ざり合い、何色か判別できないほど混濁している。しかし、タッチは強烈で、まさに「スピード」を表している。蒸気は英国の産業革命の象徴であり、霧雨はイギリス南部を表している。



 メタ表現の絵画は、これだけではないのだが、絵画の世界にも「メタ指向」が存在し、それに成功した絵画は、時代の流れと共に名画の部類に属するようになると思う。

《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》(1844年、ロンドン・ナシよナル・ギャラリー)

補遺

 ターナーの「雨、蒸気、スピード」は、実は夏目漱石の著作に2度も出てくる。彼もこの絵の愛好家だったのだ。
一つ目は、『山道を登りながら、かう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』で始まる有名な「草枕」で、芸術論を述べたものとして有名だが、文明(開花)に対する強い思いも述べている。
直接の言及は、次のような表現ですこぶる難解になっている。『この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づき難しとなす所に於て、芸術家は無数の琳瑯を見、無上の宝璐を知る。俗に之を名けて美化と云ふ。其実は美化でも何でもない。燦爛たる採光は、炳乎として昔から現象世界に実在して居る。只一ヱイ眼に在つて空花乱墜するが故に、俗累のキセツ牢として絶ち難きが故に、栄辱得喪のわれに逼る事、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写す迄は汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描く迄では幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。』(漢字がない場合には, カタカナで代用)
 そして、汽車については、こんな文章も含まれている。(岩波書店 [1906]) 
『檻の鉄棒が一本でも抜けたら -世は滅茶滅茶になる。』(pp.168)』
『轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇がのたくって来る。』(pp.169)
『文明の長蛇は口から黒い烟を吐く。』(pp.169)
『あぶない、あぶない。気を付けなければあぶないと思ふ。現代の文明は此あぶないで鼻を衝かれる位充満してゐる。おさき真暗に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。』(pp.168)
つまり、明治時代の文明の産物は、危険が多く、また芸術に比べて、美的感覚が無いことを述べているように思われる。

 二つ目は、聊かメタエンジニアリングにも拘わる文章として、「文学論」で言及している。漱石の文学論は「漱石全集」の第14巻(岩波書店[1966])を丸ごと使うもので、長文になっている。
 内容については、このシリーズの第24巻の人文学系の第4話の「メタ文学」で紹介した。
 序には、英国生活の概要が語られているが、公費が少額でとても留学中の他の日本人とまともに付き合う金がないことが記され、そのためにケンブリッジやオクスフォードを早々に引き上げて、ロンドンで大学の講義と書店巡りをしたことが書かれている。
 その中の、第3編は「「文学的内容の特質」で、その第1章が「文学的Fと科学的Fとの比較一汎」となる。
『凡そ科学の目的とするところは叙述にして説明にあらずとは科学者の自白によりあきらかなり。語を換へて云はば科学は“How”の疑問を解けども“Why”に応ずる能わず、否これに応ずる権利無しと自任するものなり。』(pp.219)

 そして、文学者と科学者の事物にたいする態度の違いを明らかにしてゆく。
 『次に来るべき文学者科学者間の差異は其態度にあり。科学者が事物に対する態度は解剖学的なり.由来吾人は常に通俗なる見解を以て,天下の事物は悉く全形に於て存在するものなりと信ず,即ち人は人にして,馬は馬なりと思ふ.然るに科学者は決して此人或は馬の全形を見て其儘に満足するものにあらず, 必ずや其成分を分解し、其各性質を究めざれば巳まず,即ち一物に慧する科学者の態度は破壊的にして,自然界に於て完全形に存在する者を,細かに切り離ちて其極致に至らざれぱ止まず,単に肉眼の分解を以て溝足せずして百倍及至千倍の鏡を用ゐて其目的を達せんとす。複合体に甘んずることなく,之を原素に還し,之を原子に分かつ,さて如此き分解の結果は遂に其主成分より成立せる全形を等閑視すること濵にして,又之を顧るの必要なきことも或場合に於ては事実なりと云ひ得べし。』(pp.222-223)と述べている。
 ターナーの絵の登場は、第2章の「文芸上の真と科学上の真」にある。『凡そ文学者の重んずべきは文芸上の真にして科学上の真にあらず、・・・。』(p.257)で始まっている。
 『由来文芸の要素は感じを以て最とするものなるが故に、此感じを読者に伝へんとして伝へ得たる時吾人はこれに文芸上の真を附与するを躊躇せず。かのTurnerの晩年の作を見よ。彼が画きし海は燦欄として絵具箱を覆したる海の如し。彼の雨中を進行する汽車を描くやメイ濠として色彩ある水上を行く汽車の如し。此海、此陸は共に自然界にありて見出し能はざる底のものにして、しかも充分に文芸上の真を具有し、自然に対する要求以上の要求を充たし得るが故に、換言すれば吾人はここに確乎たる生命を認むるが故に、彼の画は科学上真ならざれども文芸上に醇乎として真なるものと云ふを得るなり。』
(p.259)
その後には、科学上の真と比べて、「文芸上の真は時と共に推移するので、明日は急に真ならず」と非難されるかもしれないとしている。
 この項に係わらず、漱石文学はどの作品にも、メタ思想が盛り込まれているので、何時の時代にも人気があるのだと思う。

様々なメタエンジニアリングの研究(応用編 その1)

2025年02月07日 14時54分10秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
メタエンジニアリング・シリーズ(応用編)27   

さまざまな「メタ」の研究(3)より
 
はじめに

 2021年10月28日にフェイスブックが社名を「メタ(Meta)」に変更すると発表した。「メタバース(Metaverse)」のイメージを強調するためと云われている。「メタバース」とは、AR(拡張現実)とCR(仮想現実)の端末を使って、人々とつながれるデジタル空間のことで、フェイスブックは、当面はこの分野で収益を見込んでおらずに、将来の1兆ドル(約118兆円)のビジネスチャンスを期待している。
 正式な社名はMeta Platforms, Inc.で、のカリフォルニア州に本社を置くテクノロジーコングロマリットである。CEOのマーク・ザッカーバーグは、この会社の創設者として有名なのだが、『メタバースは私たちだけで構築できるものではありません。この点は、今日はっきりとお伝えしたと思いますし、今後も訴えていくつもりです。「メタメタバース」というものは存在しないからです。メタバースは1つしかありません。「当社がメタバースを構築している」と言うのは、「当社がインターネットを作っています」と言うようなもので、そもそもおかしい。しかし会社として、私たちは単なるソーシャルメディアではないと示すことは重要です。それが、今回の社名変更の意味です。』と言っている。一体「メタ」とは、何なのだろうか。実は、西欧では古代ギリシャの時代からあった言葉なのだが、日本では20世紀後半までなじみが薄かった。

 私の書架に「広辞苑(第1版)」がある。昭和30年(1955)の発行なのだが、そこには「メタ」という言葉はない。「めた、滅多、めったの略」とあるだけである。そこで、図書館で最新の第7版までの記述項目を調べてみた。14年後の第2版(1969)では、「めた」はそのままだが、「メタ言語」が登場。対象言語(何かの対象について述べる)の表現内容について述べる高次言語としているが、メタ言語も、それを対象として更に高次元のメタ言語に発展するとしている。他には、「メタセンター」(浮かんだ物体の傾きの中心) 「メタフィジーク」「メタフィジカル」「メタ倫理学」がある。大きく変わったのは第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシャ語の、間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。

 つまり、アリストテレスが元祖「メタ」なのだ。古代ギリシャのアリストテレス直後に始まった「メタ」という概念が、西欧(つまり英語)ではMetaphysicsとして、古代から普及したにもかかわらず、日本では20世紀中半まで待たねばならなかったのは、何故であろうか。私には、Metaphysicsを「形而上学」という日本語にしてしまったことが、大いに関係していると考えている。
形而上学という言葉は、ややもすると机上の空論に結び付いてしまう。しかし、この考え方は、アリストテレスのMetaphysicsとは、実は正反対なのだ。

 アリストテレスは、万学の祖と云われるほどに、自然界と人間界のあらゆるものについて考え、それらを次々に書物として纏めた。彼の死後、これらを全体的に眺めて、纏めなおしたのが「ta meta ta physica」(自然学の後から来るものどの)であった。つまり、それぞれの分野をとことん追求したあとで、ひとつ次元高い所から纏め直したことを意味している。

 日本語版では、岩波文庫の上、下巻が、それぞれ1959年と1961年に発行されている。中身は全14巻に分かれていて、例えば、第1巻は10章からなっている。その第5巻は「用語辞典」になっていて、アリストテレスが使用した用語の説明が細かく記されている。用語としての項目には、例えば、原理、原因、構成要素、自然、必要、存在、実体、能力、無能力、可能性、限界、状態、全体、部分、種族、虚偽、誤謬、偶然性などがある。
例えば、「原因」については、彼はそれを「始動因」として、ものごとの始まりと捉えている。彼の説明は、『例えば、散歩のそれは健康である。というのは、「君はなにゆえに散歩するのか」との問いに私は「健康のために」とこたえるであろう』(上、p.156)、のように平易なものなのだが、形而上学と名づけたために、わが国では、すべてが難解な言葉に置き換えられてしまった。

 日本語が役に立たないので、新英和大辞典(研究社[1992])第5版を参考にする。そこには、「meta-」という前置詞には次の3つの意味が書かれている。
『1.主に科学用語で次の意味を表す:a「・・の後、・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. b (位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis. c「二次的・・」:metalanguage. 2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics, metapsychology. 3,【化学】メタ a 「・・の重合体[誘導体]」 b ベンゼン環を有する化合物で、1,3-の位置置換を示す』とある。
 つまり、細かくは6つの意味がある。そして、この英和辞典には「3」の科学を除いても150余りの「meta何々」が示されている。(詳細は、このシリーズの第26巻の付録を参照)

 しかし、この150余りの英語のmeta-を見ていると、あることに気づかされる。それは、もともとmeta-に決められた定義があるわけではなく、多くの人(特に専門家)が、自分の専門分野の常識からはみ出ることや、一段上がったり、下がったりした立場で考え直すときに使った前置詞のように思えてきた。考えてみれば、辞書とはそういうもので、多くの人が使いだした新たな言葉が掲載されるわけである。つまり、「meta-」は、その道の専門家が自由に使ってよいのではないだろうか。しかし、ここで問題なのは「専門家が」ということで、専門を極める前に使うことは危険である。広辞苑にも「ギリシャ語の、間に、後に、超えるに由来する接頭語」とあるように、アリストテレスの前例に倣えば、「あることを極めた後で」という前置詞なのだから、このことは当然のことと思う。

 このシリーズでは、すでに2巻を発行した。第24巻「さまざまな「メタ」の研究(1)人文・社会科学編」と、第26巻「さまざまな「メタ」の研究(2)理工・経済学編」になっている。そこで、この「さまざまな「メタ」の研究(3)」では、アリストテレスに倣って様々な「用語」について、その専門書のなかから選んだものを「応用編」として記すことにしました。

注意;このシリーズでは、すべてのメタ思考について、正確を期するために著書の原文の多くをそのまま引用しました。その部分は、『』で示して、著者の記述であることを明確にしました。

目次
         ページ
  はじめに     3

  1.宇宙    12
  2.絵画    15
  3.懐疑    23
  4.懐古    26
  5.科学    33
  6.学派    37
  7.学科    41
  8.企業    44
  9.決定    53
 10.資本    57
 11.社会    62   
 12.自由    67
 13.資料    66
 14.進化    73
 15.人生    78
 16.人類    84
 17.制御    87
 18.戦争    91
 19.伝言    94
 20.認知    99
 21.発言   101
 22.目的      103
 23.予防      106
 24.歴史      109

 おわりに       114

 付録 「メタ」語集  115

          (全127頁)



1.宇宙(メタバース)

 メタバース(metaverse)とは、英語の「超(meta)」と「巨大な空間(universe)」を組み合わせた造語で、1992年にSF作家のニール・スティーヴンスンが発表した『スノウ・クラッシュ』という小説に記された仮想空間の名称で、その後、様々な仮想空間が登場し、それらの総称となった。世界的なブームは、2021年、Facebookがメタバース実現に向けて本格的に動き出したことで、10月にFacebookが社名を「Meta(メタ)」に変更すると発表したことに始まる。生みの親であるマーク・ザッカーバーグは、新たな社名のもと、仮想空間の構築に注力してSNS主体の企業からメタバース企業へ変わると宣言した。そして、メタバースを「次のコミュニケーションプラットフォーム」と位置付けた。
 「宇宙」という語は英語では、cosmos, universe, space などがある。英語の universe はラテン語 universum に由来しており、すべての物と事象の総体を意味するので、メタバースは、今後それに相応しい内容として、急速に発展すると思われる。タイミングとしても、世界的なコロナ禍の状況の中で何度も拡散の波が繰り返され、対面によるコミュニュケーションが大幅に制限され、アバターを使っての意志交換がもてはやされることになったことは、偶然ではない。

 メタバースの基本技術は、Block Chainにより、①全ての記録が残る、②情報所有者によるアクセス制限がつけられる、③自分のBlock Chainと他のBlock Chainとの連携ができる、などにより、仮想空間と現実を瞬時に行き来できる。つまり、ゲームやエンタメだけでなく、現実の商取引にも用いることで、巨大なマーケットが予測されている。アバターを利用して、友達感覚で顧客との商談ができることは、顧客のより具体的な希望の把握により、製品を顧客の要望と組合せて商談を進められることは、現実の商談よりも、より細かく、かつ正確な結論を得ることが可能になったと云える。

 さらに、GoogleからスピンアウトしたNiantic社は、AR技術を使って現実の世界とデジタルの世界を融合させるという没入型デジタル環境の仮想世界ではなく、現実世界のメタバースを提唱している。彼等は、VRヘッドセットに拘束されるようなメタバースを「ディストピアの悪夢」と呼んだ。例えば、人気ARゲーム「ポケモンGO」のようなものだ。さらに同社は、その動作基盤となっているプラットフォーム「Niantic Lightship Platform」を他の開発者にも提供して、新たなアプリ開発を後押しすることを始めた。開発者を増やすことで「現実世界のメタバース」というコンセプトを広めてゆくという狙いがあるとされている。

 日経新聞の記事(2022.1.8夕刊)に拠れば、メタバース市場は、2020年の477億ドルから、2028年には8290億ドルに成長するとしている。そして、「メタバースでできることの例」として、次のものを挙げている。
・エンターテインメント(3Dゲーム、映画、音楽ライブ、テーマパーク)
・シヨッピング(アバターの服や靴,リアル商品)
・働く・経済(仮想空間での会議、非代替性トークン(NFT))
・暮らす(不動産の売り買い、家具をそろえる、ニュースや広告を見る)
などである。つまり、生活そのものが仮想空間に移行してしまうことになる。

 特に、商談の分野では、ZOOM経由で「何処でも」、「何時でも」が可になるとともに、 従来の商談では、TEXT(WORD, Power Point, Excelなど)であったが、顧客の数字を入れれば、直ちにシミュレーションを行い、顧客のメリットを示すことが可能になる。また、顧客が納得すれば、全てのデータがBlock Chainにそのまま記録されるので、顧客にとっても商談が着実に行われたという証拠が残る。 
 しかし、多くのひとびとが、現実を離れて、多くの時間を仮想空間で生活をする事態になると、社会全体はどのようになってしまうのだろうか、そのことをメタエンジニアリングで深く考える必要があるのではないだろうか。

 私は、一時期宇宙に関する業務に係わったのだが、「宇宙には夢がある」という言葉は好きになれなかった。メタバースの技術では、火星の表面に家を建てて暮らすことは容易に体験できる。その結果は、「宇宙には何もない」となるのではないだろうか。そして、地球上の生活空間の重要性と貴重性への認識が高まることを期待している。
 多くの宇宙飛行士が語った言葉も、宇宙での滞在の幸福感ではなく、宇宙から見た地球の自然の美しさばかりだったと思う。

このシリーズの冊子は、メタエンジニアリング研究所から発行されて居ます。
連絡先は、
https;//meta-engineering.com

その場考学との徘徊(80)王寺駅徘徊

2025年02月02日 08時28分28秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(80)          
題名;王寺駅徘徊 場所;東京都 王寺 月日;2025.1.31

テーマ;新宿駅から王寺駅に行くには、細心の注意が必要
作成日;2025.2.2   
                                           
 北区のJR王子駅には、既に何回も行ったのだが、今回初めての経験をした。それは、なんと5回もJRでお世話になったしまったことだった。その原因は、この地図の為だった。



 私の場合の出発は新宿駅。最初は山手線で田端まで行き。そこから京浜東北線に乗り換えて王子駅へ行った。
しかし、新宿から田端までの駅の数は相当なモノだった。
 その帰りに、駅の路線図を見て、「赤羽がすぐそこだ。ここで埼京線に乗れば、途中の停車駅の数が大幅に減る」と考えた。

 そこで、今回は新宿駅で大宮行きに乗った。赤羽まで池袋のみの停車でたたったの11分だった。赤羽の駅構内は広々として、各種の店がある。店を覗くのは帰りにして、すぐに上りのホームに向かうことにした。幸い、すぐに平塚行きがあるので、それに飛び乗った。しかし、10:59の発車後すぐに車内放送で、「次は尾久です」と。「え‼ おぐっっていう駅はあったっけ?」。列車はなかなか止まらずに、王子駅の横を通過してしまった。
 尾久駅で降りたのだが、駅も周囲も閑散としている。見えるのは、おびただしい数の電車だけだった。帰宅後に地図を見ると、この通りで、京浜東北線の線路とは違うところに来ている。



 一駅戻れば良いと思ったが、それは甘かった。この線路は、王寺駅の横を通過するだけで、次の駅は赤羽との表示になっている。仕方なく、11:11発の籠原行きで、また王子駅を横に見て、11:15赤羽駅に戻った。
 11:17蒲田行きの京浜東北線に乗車、11:23やっと目的の王子駅に着くことができた。

 駅周辺のウオーキングで、「お札と切手の博物館」、「王子稲荷神社」、「名主の滝公園」を楽しんだあと、
13:03発の列車で赤羽に戻った。
幸い、13:14発の湘南新宿ラインに乗ることができ、当然十条通過と思ったら、またまた王子駅の横を通過した。ここは、なんと今日5度目だ。

 家に帰って路線図と列車の時刻表を調べた。ややこしいので、地図を色塗りしてみたのが、次の3つ。

 
 
 緑は埼京線で、新宿の次は池袋なのだが、そこからは板橋、十条などの各駅停車で、赤羽駅に至る。
 赤は、湘南新宿ラインで、赤羽から王寺方面の線路で、駒込で山手線と併走になる。だいぶ遠回りなのだが、新宿までの停車駅は池袋だけ。



 ついでに、高崎線と宇都宮線も調べたのが、この地図の緑の線。
こちらは、新宿駅で乗るときはどちらでも良いのだが、赤羽駅での乗車は、気をつけないといけない。時刻表だと、新宿経由と、上野・東京駅経由とがバラバラに来るようだ。
 間違えて、上野経由の電車に乗ると、田端で山手線に乗り換えなければならないが、田端が通過だと上野から戻ることになってしまう。



最後は京浜東北線で、この図の赤のように大宮から赤羽までは各駅停車で、田端から山手線との併走で、平日は快速電車になる。
 平日に、うっかりこれに乗ると、山手線の駅を通過してしまうので、これも注意が必要。
 最近は、どの駅もホームに時計と停車駅の表示板がない。日本の道路表示と同じで、地元の人にはわかりやすいが、他所からの訪問者にはわかりにくい。徳川・戦国時代の名残の文化なのだろう。

その場考学との徘徊(79)王寺稲荷とお札の博物館

2025年02月01日 10時31分23秒 | その場考学との徘徊
ブログ;その場考学との徘徊(79)          

題名;王寺稲荷とお札の博物館 場所;東京都 王寺 月日;2025.1.31
テーマ;石神井川が武蔵野台地を離れる辺りにて
作成日;2025.2.1                                            

 冬晴れで比較的風も穏やかな日に、三度目の王寺に向かった。駅前から始まる断崖の坂道は、ウオーキングには最適だ。今回の目的地は、駅の東にある「お札と切手の博物館」と西北にある「王寺稲荷」。
 
 先ずは、駅前の大通りに面している「お札と切手の博物館」正式には「国立印刷局博物館」。この場所は、お札等を印刷する国立印刷局の工場の一部で、かつて、この辺りは製紙工場が多く、良質の紙が入手しやすかったようだ。ちなみに、近くを流れる石神井川は、ここから1km足らずで隅田川に合流する。



館内は、広くはないが1階の展示物は面白かった。新Ⅰ万円、五千円、千円のゼロが全部並ぶ試作品に始り、一億円の札束がある。10kgとは覚えやすい。



 色々な仕掛けがあり、自分のお札の部分的な拡大を自由に視ることができる。
五千円札の津田梅子の右眼を拡大したのは、この写真。細かい文様も確認できる。



 ちなみに、一角では「お札の模様、流線が描くArt、工芸官作品展」があり、多くの模様の原画
が展示されていた。どれも超細密画で驚かされる。
 世界の最初のお札は、やはり中国だった。ヨーロッパよりも600年も早い。


 
 明治時代の初期には、細密印刷ができずに、アメリカンに委託して印刷をしてもらったとか、関東大震災でお札の印刷ができなくなり、その間取り付け騒ぎを警戒して、大阪で臨時のお札を大量に刷った。裏が白紙のままだったのだが、幸い流通する機会はなかったとのことなど、初耳のことが多い説明書きがいくつもあった。偽札防止対策の歴史も概略してある。
 この写真は、新札を紫外線で視たモノ。



ゆっくりと廻っても30分ほどで、無料なのだが観客は皆無だった。

 駅へ戻って、石神井川の流れをみる。この公園は前回歩いたのだが、歴史を感じて面白かった。今回は、下に降りずに坂を上り始めた。



 王寺稲荷は、思ったよりも立派な拝殿だった。




 他に参拝者は無く、ゆっくりと拝むことができた。社務所に人影はなく、お守りが並んでいたので、干支の小さい絵馬(¥350)を買うことにして呼び鈴を押した。奥から女性の返事があったのだが、出てくるまで1分以上かかっただろうか、のんびりしたところだ。
 縁台があって、みたらし団子が食べられるかと期待していたのだが、聴くと「すぐ近くに、老舗の葛餅屋さんがあります」とのことで、そちらに向かうことにした。
 その前に、まだ歩き足りないので、近くの「名主の滝公園」に向かった。ここもひと気が無く、狭い階段の連続だったが、案内図が正確で、滝や池を満喫することができた。





 件の葛餅屋さんは、稲荷神社の階段下の道を駅方向に歩いた途中にあった。店内での飲食も可能なのだが、お客がまるでいない。お土産に二人用の小さな箱入りを買った。



 お稲荷さんには狐が付きのもなのだが、ここは特別で、由緒ある狐行列が今でも行われているようだ。ネットには、次の記事がある。
 『源頼義より“関東稲荷総司”の称号が与えられた、王子稲荷神社(東京都北区岸町)。大みそかの晩に、東国一円の神様のお使い狐が集まり、近くの榎のもとで身なりを整え、この神社に初詣をしたという伝説から、毎年大みそかに大祭“狐の行列”が行われ、冬の風物詩となっている。
 柴田是真作の「額面著色鬼女図」、谷文晁作の「龍図」を所蔵。境内にある狐の穴跡は落語“王子の狐”の舞台にもなっている。
王子稲荷神社の参道にある甘味処が、石鍋商店。創業は1887(明治20)年。4代目の石鍋和夫さんが、今もなお研鑽(けんさん)を重ね、新しい和菓子づくりに挑戦している。
 一番人気は「久寿餅」(500円、みやげ用は590円~)。原料の小麦デンプンは、90年前から茨城県の老舗の焼麩屋で1年間、発酵させたものを使う。さらに、店で半年から1年発酵し、それに独自のブレンドで配合した小麦デンプンを加え、何度もさらして蒸して作る。手間をかけて無添加で作り上げる逸品だ。』
 https://www.zakzak.co.jp/article/20181215-QVUUKJ7NGFMNDEKPF6WA4N5U5M/より



 帰宅後に、早速に味わったのだが、歴史を感じる深みがあった。歩数は約8000歩。1時間半のウオーキングだった。
 ちなにに、浅見光彦シリーズのTVドラマでおなじみの、みたらし団子の「平塚亭」は、駅前から都電(今の呼称は?)で一駅先にある様なのだが、また次の機会に味わってみよう。





A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」(その1)

2025年01月27日 12時34分58秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
TITLE: ブログ;A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」(その1)

 メタエンジニアリング研究所から27冊の冊子を発行しています。少数を印刷して関係者に配布していますが、一般販売は行われていません。そこで、その一部をこのブログで紹介してゆきます。

現在までに発行された書籍は次の27巻です。



目次編 メタエンジニアリング研究のすべて

基礎編
 第1巻 メタエンジニアリングとは何か
 第2巻 メタエンジニアリングの基礎
 第3巻 メタエンジニアリング技術者の役割と資質
 第4巻 MECIサイクルのMiningとExploring
 第5巻 MECIサイクルのConvergingとImplementing
 第6巻 Design on Liberal Arts Engineering
 第7巻 科学・メタエンジニアリング・工学
 第8巻 メタエンジニアリングの場とイノベーション
 第9巻 メタエンジニアリングの歴史 人物編
 第10巻 メタエンジニアリングの歴史 カテゴリー編
 
応用編
 第11巻 メタエンジニアリングによる文化の文明化
 第12巻 メタエンジニアリングで考える環境問題
 第13巻 メタエンジニアリングで考えるエネルギー問題
 第14巻 メタエンジニアリングによる技術の系統化
 第15巻 メタエンジニアリングによる新・原価企画
 第16巻 The Essence of Engineering and Meta-Engineering
 第17巻 21世紀の正しい創造のためのメタエンジニアリング
 第18巻 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセス
 第19巻 現代西欧文明の衰退と次の文明(MECIメソッドの応用)
 第20巻 メタエンジニアリングで考えるエネルギービジネスと環境
  第21巻 メタエンジニアリングで考える企業の進化
 第22巻 メタエンジニアリングのちから
 第23巻 メタエンジニアリングでスキーマ―を育てる
 第24巻 さまざまな「メタ」の研究(1) 人文・社会科学編
 第25巻 メタエンジニアリング10年間の活動記録
 第26巻 さまざまな「メタ」の研究(2) 理工・経済学編
 第27巻 さまざまな「メタ」の研究(3) 応用編

今回は、第1巻の「まえがき」です。


まえがき(初版の)

メタエンジニアリング・シリーズの発刊について

 メタエンジニアリングに関する研究は2009年に行われた、日本工学アカデミーの「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」という提言に始まった。筆者は、その直後に設定された「根本的エンジニアリングの実装」という研究部会に参加し、3年間の部会活動を通じて新たなエンジニアリングに関する考え方を纏める事を試みた。

 当初は、部会の趣旨である、「持続的イノベーションの促進方法」についての議論が中心であったが、次第に より根本的に考えざるを得なくなった。考えてみると、現代生活の身の回りの文明的なものは、全て過去のイノベーションの結果である。テレビやインターネットなどの通信機器やシステム、自動車・鉄道・航空機などの輸送・交通手段、全ての家電製品などなど。これらは全て、発明当初はイノベーションの一つであったものが、現代に至るまで、その持続性を示し続け発展をしてきたものである。この様に、長期間にわたって持続性を保ち続けたイノベーションは、「文明」となる。
 
 このことを、逆に「文明」から辿ると、文明の元である優れた文化が融合する中で、あるイノベーションが人類社会に広く受け入れられ、持続的に発展してゆく、という過程が分かる。その過程で最も大きく寄与する力がエンジニアリングであろう。18世紀から20世紀にかけて、人類の文明はこの力により、大きな発展を遂げることができた。しかし、昨今の状況はこの連続性に疑問が投げかけられるようになった。多くの公害の発生や地球環境の悪化等が止められないこと、大災害や反乱・テロ(これらもエンジニアリングの成果を用いている)などが繰り返されることなどが、その主たる原因であろう。このように考えてゆくと、現代のエンジニアリングには、何か足りないものがあるのではないか、その大もとは何なのかとの疑問が湧いてくる。
 
 古代ギリシャでは、多くの科学が驚異的な発展をした。その中では、現在でも有名な多くの自然学者、科学者や哲学者が活躍をした。その状況は、今日とよく似ている。そして、古代ギリシャの場合には、最終的にアリストテレスにより当時の自然学(Physica)を包括し、その根本を探るものとして、形而上学が始められた。英語名は、Meta-Physicsである。そして、この形而上学は中世まで続き、新たな自然科学の時代への引き継ぎの役目を果たした。
そこで、エンジニアリングの根本を探るものとしての、「メタエンジニアリング (Meta-Engineering)」との発想に行きついたわけである。定義さえも まだ曖昧であるが、この基本的な考え方で、現代文明行方とエンジニアリングの係わりを探ってゆきたいと思う。

平成26年3月 勝又一郎

第2版のまえがき

 本書は、2年前に第1版を纏めた。それから今日まで、様々な事故や災害を見聞きした。その度に思うことは、現代の工学(エンジニアリング)が、「人のために役に立つもの・ことを創造する」とした時に、あまりにも視野が狭い」ということだった。エンジニアリングの視野を、工学と自然科学から広げると、社会科学・人文科学から遂には、哲学に至る。その考え方に基づくと、メタエンジニアリングは多くの方面に発展することが分かってきた。例えば、21世紀には地球と人類社会の持続的な維持と発展のためには、新たな文明が求められているが、その実現のためのプロセス。また、一般社会と先端科学との距離感を縮める接着剤の役目。社会に想定外の事故や災害を起こさないための真に正しい設計、などが挙げられる。
 第2版では、これらのことを概説するために全体を見直し、加筆訂正をした。また、新たな章を設けてより具体的な説明を試みることにした。

             平成28年 正月    勝又一郎 

 今後は、このシリーズでの投稿を続けるつもりです。興味のある方には冊子をお分けします。

 連絡先は、下記のホームページから申し込みができます。
  https://meta-engineering.com/

ジェットエンジン技術(20)

2024年12月15日 07時03分37秒 | 民間航空機用ジェットエンジン技術の系統化
ジェットエンジン技術(20)
第23章 第6世代(2010年代)の民間航空機用エンジン

 この世代のエンジンの特徴は、ファンとLPタービンを直結せずに間に減速歯車を介して、それぞれの要素の効率を高め、かつ燃費向上に最も有効なバイパス比を高めたことであった。この技術は、1980年代のV2500の初期の設計時代にも、派生型としてSuper Fanの名称で図面が描かれていた。このような将来の派生型の図面まで作成することは、新型エンジンの売込みには必須のことで、どのエアラインでも一旦エンジンを決めてしまえば、諸経費の節約のために、その派生型も採用することが通常であるために、売込み中の新型が、将来どのような発展の余地が考えられているかということが、選定の際の主要な判断材料になっていたためである。
 従って、この形態は古くから考えられており、何度か試作まで行われていたが、歯車の耐久性を含む信頼性に疑問が残るために、実用機には採用されなかった。しかし、オイル価格の高騰に伴う燃費向上での競争力を一層高めるために、中型エンジンへの採用が図られることになった。その代表例がPW1100エンジンであった。
 
 2010年12月、エアバスA320neoのエンジンとしてPW1100G-JMが選定された。P&Wは共同開発したV2500の後継エンジンという位置付けもあり、JAECとMTUエアロ・エンジンズに開発事業への参画を要請し、参画が決定し、2011年9月に共同事業調書が調印された。シェアーは米国が59%、日本が23%、ドイツが18%である。2014年12月にFAAの型式証明を取得した。このエンジンには、ファンケースをはじめとする主要部品に複合材が用いられ、大口径エンジンの軽量化設計を可能にした。しかし、シェアー59%はP&Wがすべての決定を単独で行えることを意味している。
 
 新型エンジンを搭載した単通路の近・中距離向け商業旅客機としては、エアバスA320neoが登場した。このシリーズは基本型のA320neo、短胴型のA319neo、長胴型のA321neoがあり、A321neoには航続距離を増やしたLR(Long Range)型もあり、従来型と比べて、燃費面で15%の低減、騒音面で50%の低減が達成された。
2011年にはインド最大の格安航空会社(LCC)IndiGoより150機、2011年のパリ航空ショーでは、エアアジアグループから航空機生産業として史上最大規模の大型取引合意である合計200機の発注を受け、LCC熱が一気に高まった。また、MHIが開発を始めたドリームジェットにも採用が決まった。


図23.1  PW1100G-JM とV2500の主要諸元比較(13)


図23.2  PW1100G-JMの日本の担当部位(19)

23.1 競争の激化による問題の発生

 この時期、開発競争が激化したことにより、製造に起因するような不適合事案も頻発するようになってしまった。2018年2月には、A320neo飛行中のエンジン停止と離陸中止の事案が報告され,その後およそ3分の1のエンジンに欠陥が見つかり、EASAは緊急耐 
空性改善通報(2018-0041-E)を出し、洋上ETOPS運航の中止を指示した。

 同様なことが、2019年にBoeingにも発生した。2度の墜落事故を起こしたBoeing737MAXは、飛行停止の期間が予想以上に延びて、ついに2020年当初からは生産中止に追い込まれてしまった。機体の生産ラインが停止する影響は、エンジンをはじめとして、数百万点の部品の数千社のサプライチエーンに莫大な影響を与える。特に、エンジンを始めとする安全飛行に係わる重要部品については、有資格者が規定に従った手順で製造しなければならない。このことをはじめとして、生産の一時停止は他の産業と比べて膨大な影響が多方面に及ぶことになる。

 一方で、広胴型の大型機にも大きな問題が発生した。Boeing787の火災事故である。2000年代に開発された機体は、ようやく2011年9月に、ローンチ・カスタマーの全日本空輸が引渡しを受けた。開発用初号機がロールアウトしてから4年越しであった。
 新型のエンジンにより、新たな発電機により充電された大容量のリチウムイオン電池が採用された機体は、順調な滑り出しだったが、たった2年間の飛行で重大な危機を迎えてしまった。原因不明の電池の発火である。
 アメリカ連邦航空局 (FAA) は、ANA機のインシデントを受けて耐空性改善命令を発行してアメリカ国籍の同型機に対し、運航の一時停止を命じ、世界各国の航空当局に対し同様の措置をとるように求めた。このため、世界各国で使用中の機体すべてが運航停止となった。
 
 このように、電子化が進むことにより、機体とエンジンの関係は従来よりもかなり複雑になり、開発期間と運行後の一定期間に、従来にはなかった不具合が多数発覚する事態が世界的に続くことになってしまった。このことの底流には、グローバル化の浸透による技術力の低下があると筆者は考えている。そのために1980年代に始まったETOPS制度が崩壊してはならず、エンジンの設計と製造プロセスには一層の信頼性が求められることは明白で、その信頼性の確保のための有力な手段として採用した「EQAD」(Early Quality Assured Design)については後報(私の博士論文)で説明する。

石原慎太郎の法華経を生きる(1998)

2024年11月24日 08時27分48秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 法華経を生きる                                                             その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(212)
          
書籍名;法華経を生きる(1998)
著者;石原慎太郎、発行年、月;1998.12
発行所;幻冬舎

 法華経について、Wikipediaには次のようにある。 
『法華経は、大乗仏教(密教も含まれる)の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、法華経絶対主義、法華経至上主義が貫かれており、法華経が開発した観世音菩薩や地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩は密教に引き継がれている。また、壮大なフィクションや、法華経の無限連鎖などの、独自性は他に類を見ない。法華経は、在家仏教徒が創作した独自経典であるため、土着信仰や呪文、神通力やフィクションが混在している。また、カルト的という特色を持つ一方で、誰もが平等に成仏できるという、新しい仏教思想が説かれている。般若経典や華厳経などの経典群と呼ばれるものは、追加・増広される事によって発達した膨大なお経である。しかし法華経は在家を対象とした聖典であり、一本のお経である。法華経は哲学的思想においては単純であり、布教こそが最大の菩薩行となっている。』

 ここでも、「在家仏教」という言葉が強調されているのだが、この著者は、そのことが実感として納得できるように書かれている。それは、石原慎太郎が、法華経を徹底的に学び、碩学から教えを受け、議論をした結果だった。文中で、彼は何度も自分の経験を引き出して、法華経の第何章(法華経は全部でx章)に思い当たると書いている。これは、僧侶が法事の際に唱えるお経とは全く異なる、自己啓発の者であり、それ故に「在家仏教」とされているように思われる。



 石原慎太郎は、これとは別に「法華経現代語訳」を出版しているので、これとの対比で読んでゆくと、なおわかりやすい。
以降は、正確を期すために、原文から引用してゆく。

『人間だけが哲学をする』(p.15)
『彼(釈迦)はただの思想家などではなしに、あくまで哲学を行動にした無類の行為者、探検家だった。』(p.29)
『従属矛盾の解決改良のためには、あくまで主要矛盾への認識とその解決を目指さなくては物事は決して本当によくなりはしないと説いている。』(p.32)
『十如是とは何か』(p.37)

十如是は、このことを実践するプロセスで、10段階の「如是何々」がある。それらは、
相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末。法華経の根幹の言葉。

『気になるものごとがなんでこうなったのかという正しい分析と理解のための方法論』(p.40)

メタエンジニアリング的に考えると、この十如是は、MECIプロセスを更に完全なモノにしたように思われてくる。一つひとつの中身は、このように書かれている。

如是;何々のような
如是相:何であれそこにあるものごと
如是性:相を現わす性質
如是体:性質を表す本体
如是力:その背後で働く力
如是作;その力がもたらす作用
如是因;それがそうなる原因
如是縁;色々な条件が重なったり偶然も含めて訪れた機会 
如是果;事の結果
如是報;その結果は、それにとどまらずに、必ず何かを残す
如是本末究竟;宇宙や人間社会の諸事は、これら9つが絡み合っている

 私の理解では、これは釈迦が入滅するに際して、様々な菩薩等を集め、話をした後での質問に答える形で、いわばプラトンの対話編を思わせる。釈迦は、それぞれの菩薩に対して、このままの修行を続ければ、将来必ず如来になれるといっている。その際の何々如来の名前が面白い。一貫しているのは、他力本願ではなく、あくまでも自力、自律を貫くこと。
 
『弥陀の本願というのは、宝蔵菩薩が、自分がもし正覚(正しい悟り)を得たら、西方極楽に在って阿弥陀仏となり、自分の名前を称えたる者がいたら必ずみんあ救ってやる、と誓った』(p.130)

 釈迦の言葉には、何億千万のガンジス川の砂の数倍などというとてつもない数(時間、人数など)が、やたらと出てくる、このことにも根本的な意味がある。つまり、永遠と輪廻転生のことだった。ハッブル望遠鏡の話の後で、
『人間の存在との対比において、その数や広がりにおいての宇宙の巨きさを感覚的にだが実に正確に捉えていました。』(p.148)

 以下は、「存在」と「時間」、「実相、「空」について、彼の解釈を述べているのだが、私には、いずれも素直に理解できるように書かれている。

十如是をMECIプロセスに当てはめてみよう。

Mining.
如是;何々のような
如是相:何であれそこにあるものごと
如是性:相を現わす性質
如是体:性質を表す本体
Exploring.
如是力:その背後で働く力
如是作;その力がもたらす作用
Converging.
如是因;それがそうなる原因
如是縁;色々な条件が重なったり偶然も含めて訪れた機会 
Implementing.
如是果;事の結果
如是報;その結果は、それにとどまらずに、必ず何かを残す



エンジニアリングとは、通常What & Howで始まる。つまり、何をどうするかである。しかし、現代の技術は、資金と時間さえあれば、望むことは何でもできてしまう。そこに、現代の根本的な問題がある。つまり、人類を滅亡に向かわせるかもしれない技術の存在である。

メタエンジニアリングは、What & Howの前にWhyを置く。つまり、何故その技術を現代社会に実現しなければならないかを、先ず考える。

思考の先は、人文科学なのだが、主に、自然人類学と社会人類学、そしてそれを統合する哲学になる。
現代人類は、生物としての諸機能を、様々な発明により代替えすることで、地球上のいかなる生物よりも、格段に優れた能力を獲得した。例えば、優れた目は、眼鏡だけではなく、顕微鏡や望遠鏡で達成されている。しかし、そのことは自然人類学的には、恐ろしい退化を招いている。現代人の目は、古代人に比べて視力が劣るが、TVゲームやスマホなどの影響で、更に悪化している。チャットGPTは、深く考える思考能力を劣化させる危険性が大きい。

 イノベーション指向の現代では、これらの危険性がますます高まるであろう。メタエンジニアリングは、それらのことを防ぎ、人類文明の安全な継続を目的としている。


その場考学的アルバム作成法(その場考学47)

2024年10月28日 06時39分55秒 | その場考学のすすめ
その場考学の実践(SBK47)
                                                       
その場考学的アルバム作成法

 私は、年に数回の宿泊旅行に出かける。今年は、淡路島、壱岐/対馬、京都に続いて、3泊4日の奈良旅行を楽しんで、3日前に帰宅した。その間に写した写真の数は、約250枚だった。
 もう一つの趣味は、写真のアルバム作りで、これは高校生のときから始めて現在までに676冊になっている。そこで、この250枚の写真を、どのように素早くアルバムにするかが問題になる。

 「その場考学的アルバム作成法」では、2日間の午前と午後の2時間、合計8時間で3冊のアルバムを完成した。ちなみに、私のアルバムは、100円ショップの40ファイルのホルダーになっている。

ステップ0

 旅行前に、一日ごとの詳細な予定を記述した資料をつくり、A4に印刷をする。
当日は、その日の予定表に実績を随時記入してゆく。そのための空欄は、予め開けておく。

ステップ1

 旅行前に作成して、持ち歩きながら追記をした日程表を、パソコンに取り込む。
 A改定として追記するだけなので、楽にできる。予定との違いもその場で分かる。

 <旅行前の日程表の例>
  
奈良4日間の旅 2024.10 (KZN49201)
10月20日
6:17 家を出発
6:27 千歳烏山発 特急(新宿行)
6:40 新宿着、由美子と待ち合わせ
6:47 新宿発 14番線発
7:13 品川発 京急本線エアポート急行(羽田空港第1・第2タ
7:35 羽田空港第1・第2ターミナル着
8:30 羽田空港発 JL107 17Kなど3席


9:40 伊丹空港着
大阪[伊丹]空港〔高速バス〕→奈良
発着時間:10:40発 → 11:57着 (1時間に1本)
ホテルに荷物預けの後
奈良国立博物館
興福寺金堂
興福寺博物館
(後略)

<旅行後の日程表の例>
  奈良4日間の旅 2024.10 (KZN49201A)アルバム用
10月20日  17,859歩
(前略)
6:41 新宿発 14番線発
7:01 品川発 京急本線エアポート急行(羽田空港第1・第2タ
7:35 羽田空港第1・第2ターミナル着
     ラウンジで休憩
8:30 羽田空港発 JL107 17Kなど3席
予報は晴れだったが、雲で下は全く見ず。
 ようやく名古屋から、時々地上が見えるように。
 しかし、相変わらずに、奈良のどこを横切ったのか分からなかった。
9:40 伊丹空港着
大阪[伊丹]空港〔高速バス〕→奈良
発着時間:10:40発 → 11:57着 (1時間に1本)
時間:1時間15分  総額:2050円
出発してすぐに、「渋滞で経路変更します」とのアナウンス。太陽の塔は今回は見られない
10:51 JR塚本駅横通過 ⇒天満警察署横通過 ⇒11:48 奈良駅着
以前より、走り方が合理的に。近鉄奈良にも行かず。
ホテルに荷物預けの後、駅ビル内で昼食。
以前食べた食堂は満席で外人が並んでいる。となりのうどん屋へ。
12:15-40 昼食、少しうるさかったが、天ぷらの内容は満足。
バス案内所で、明日の二人の法隆寺行きのバスの確認と、一日券購入
駅前から公園まで乗車、SUIKAが使えて良かった。
13:00-13:50 興福寺博物館
(後略)


ステップ2

① 日程表を印刷して、一日分を5~7の時間帯に分けて、切る。
② それぞれの時間帯に表題を付けて、ファイルに入れる。



ステップ3

 写真印刷を行い、それぞれのファイルに入れる。
既に、書き込む内容は分かっているので、それに符合する写真を選ぶ。



ステップ4

 そのファイルを日程順に並べる。できるだけ一日を一列に並べる。



畳の上のボックスには、旅行中に集めた資料が乱雑に入っている。この中身をそれぞれのファイルの上に置いてゆく。

ステップ5

 それぞれのファイルに旅行中に集めた入場券やパンフレットを入れる。



ステップ6

 アルバムの表紙を作り、予定のアルバム数のCOPYをとる



ステップ7

① アルバムの作成は、ファイルを順番に一つずつ取り出し、中身を机上に広げる
② 写真と資料を適当に配置して、アルバムの紙に貼る。

これでめでたく完成。