生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学的働き方改革 その場考学のすすめ(23)

2023年02月22日 07時31分14秒 | メタエンジニアリングのすすめ
その場考学のすすめ(23)    2023.2.22     
TITLE: その場考学的働き方改革


 働き方改革が叫ばれて久しいが、日本のそれは、効果がはっきりと表れていない。それは、業務内容の価値解析が行われていないためだと思う。
 昔から、新規開発の設計部隊は人手が足りないことに決まっている。程度の差こそあれ、多くの場合は「業務内容の価値解析(VE)」がやられていないことが多い。VE手法は、原価改善としては日本に定着をしているのだが、応用範囲が広いことに気が付かれていない。
Value Engineeringは、工学の基本の一つなので、是非教養学科の必修科目にしてもらいたいものだ。

その場考学的手法による応用例を示す。

手順1 業務内容を分類する
 VE的な考え方で、組織全体としての業務を分類する。
 (1)基本機能    設計なら設計図を書くこと。品質管理部門ならば品質監査を行うこと。
 (2)補助機能1  (必須のもの)現場との調整、専門家会議、設計審査,客先調整
 (3)補助機能2  (必須でないもの);雑務、報告書の作成等
  VEとは良くしたもので、負荷時間の分析をしてみると大体3分の1ずつになる。
   
手順2 補助機能のうち、半分を目処に切り捨てる
 VE的には、補助機能の半分は本来必須ではなく、自己満足や他人を押し測って加えられているものである。このことを念頭に半分を目処に切り捨てる。このとき他部門との折衝が困難だが、最終目的完遂の為に相手を説得すること。説得もVE的な考え方で説明を試みること。先ずは切り捨てが先で、さもなければ基本機能を確実に行うことが不可能になるとの認識が大切である。

手順3 業務内容のトップダウン分析を行う
 全体の工数(人数 X 200時間/月など)をVEのトップダウン分析手法で割り付ける。
例えば「会議」は全体の8%で20人の組織なら月に200X20X0.08=320時間となる。これは、個人単位ではなく(人によって、業務担当内容が異なるので)組織全体の数字として管理する。業務内容は、3桁の数字で表す。それぞれの桁は、大分類(機種など)、中分類(業務内容)、小分類(注目作業)とした。

手順4 全ての業務に番号をつける
 大分類、中分類、小分類の3つのカテゴリーに分けて、それぞれに数字を充てる。すると、全ての業務は3桁の数字で表すことができる。この数字を統計処理する。

手順5 サンプリングで一ヶ月のデータを採る
 例えば、会議時間が全員の累積値で何時間になるかのデータを採る。精度は大まかで良いので、くれぐれも全員の全時間のデータを採ることなく、サンプリング手法を適用すること。サンプリングの頻度や方法は、組織の大きさや内容によって様々になる。私の場合は、70人で週に2回、ある時刻の前後1時間の中での業務番号(3桁の数字で表す)を自分で記録する。
「会議」は大分類5なので、全体の何%かは、ほぼ瞬時に分かる。

手順6 月ごとの業務の価値分析をする
 もし、会議時間が12%であれば、8%に対して会議にかける時間の価値が66%しか無いことになる。業務ごとの価値が数字として現われる。

手順7 価値の低い業務から改善する
 会議時間の価値を66%から100%以上にする対策を立案して、実行する。会議の数を減らすなり、出席人数を減らすなり、開催頻度を減らすなり、論理的な数値目標値があるので立案は比較的簡単なものになる。

手順8 結果を広く公表する
  データ分析の結果と、その結果行った業務価値改善のプロセスを可視化して全員に十分に説明する。

手順9 5年以上は続ける
 精度は粗くてよい。要は、各業務の時間価値が高いか低いか、最終目的を現在のリソースで達成するために必要な改善内容は何かが数字で分かれば良い。少々間違ったデータでも、改善案が正しければ問題は無い。長く続けると(小生は、設計課長時代7年間続けた)数字は安定してくるし、危ない兆候が見えてくる。
例えば、「業務の標準化」は1%から2%の間が良い。1%を切る期間が数ヶ月間続くと標準化は出来ないことが分かってくる。

 この手法は、一時期他部門でも応用を試みたようだが、成果は見られなかった。私は、次の品質保証部長時代にも、当初からこの手法を用いた。品詞保証部の当時の基本機能は社内諸部門の品質オーディット(監査)だったが、それが数年間満足に行われていなかった。雑用が多く、それに欠ける時間が不足していたためであった。事態は初年度から完全に改善された。

 やはり、価値解析 (Value Engineering) 手法の基本が分かっていないと、応用は失敗することが多い。従って、「Value Engineeringは、工学の基本の一つなので、是非教養学科の必修科目にしてもらいたいものだ」という結論になる。





その場で散歩の大中小(その場考学のすすめ19)

2023年01月17日 14時38分22秒 | その場考学のすすめ
その場で散歩の大中小(その場考学#43)

 最近の私の日課は、パソコン作業と散歩の繰り返しになっている。体と頭の健康維持が目的なのだが、散歩の距離は、その場で考えることにしている。過去1年間の平均歩数は、今現在6384歩になっているが、いつまでこの数字が維持できるだろうか、興味が湧く。
 
 散歩の語源が眼に入った。中国の三国時代の末期で、曹操が魏を起こし、後漢の帝位を奪って息子に跡を継がせていた頃だった。その帝位を、司馬仲達が自分の子か孫の時代に奪わせて晋を興こす画策中のことらしい。当時のある高名な文官が読書漬けで、今のドラッグのように五石散なる、ある種の麻薬を常用していた。ところが、毒気を散らすためには歩かなければならず、このことから「散歩」という言葉が生まれたと、ある書物にあった。つまり、散歩は学をする者の必需品だった。

 「人生の極意は―散歩の歴史と本質を探る」(サライ 2021.4月号)の記事では、散歩の有名人として、鴎外、漱石と並んで、ベートーベン、カント、ダーウイン、西田幾多郎が挙げられている。いずれも散歩中に色々なことが頭に浮かび、世の中にある種の革命をもたらした。それぞれの逸話が面白い。

 その中で西田幾多郎は、京大に在籍中に散歩を繰り返したのだが、それを小散歩、中散歩、大散歩に分けていたそうだ。そして、中散歩が有名な哲学の道になっている。

 私の小散歩は、5000歩未満。中散歩は7000歩程度、大散歩は15000歩以上になっている。その組み合わせで、前出の年間平均歩数が維持されている。
中散歩は、二つ先の駅前の本屋か、市街外れのブックオッフ店の往復の歩数で、その度に余計な本が増え続けている。
最近の大散歩は、府中の大國魂神社での初詣の最中に思いついた。天気が良いので、高尾山の薬王院まで足を延ばすことにした。片道はケーブルカーに頼ってしまったが、大散歩になった。中腹からは、スカイツリーがはっきりと見えた。



 過去の大散歩の記録は、ボストンのMITの教授に招かれた時で、ガスタービン・ラボのすべての設備を案内された後に、ポスドクが川を渡ってボストン公園を案内してくれた日だった。そのまま市内のホテルに戻り、夕食時の歩行を併せて4万歩以上だった。ちなみに、マラソンの42.195kmを1.5メートルの歩幅で走破すると28000余歩になる。

その場考学との徘徊(71)奈良からの帰途にて

2022年11月25日 14時56分39秒 | その場考学との徘徊
TITLE: 飛行中のモニター画面の楽しみ方

 先週(2022.11.17)、奈良での4泊5日の一人旅を終えて、伊丹空港から羽田空港までの空旅を楽しみました。機体はAirbusA350で比較的大型機なのですが、機内は満席。座席からは窓が望めない場所でした。
 
 A350機はAirbusの新型機で、色々な工夫が備えられていますが、その一つが、機体に取り付けた二か所のモニターカメラの画像を、リアルタイムで各座席で見ることができることでした。
 往路も同じ機体で、羽田から伊丹に行きましたが、その際には映画を見ていました。しかし、時間が短く、しかも頻繁に社内アナウンスで中断させるので、楽しめるほどのことではありませんでした。これがヨーロッパや米国への長時間飛行なら良いのでしょうが。

 そこで、帰路ではもっぱらモニター画面を楽しむことにしました。乗機時から、足元で地上作業員がしきりに前輪をチェックしている姿が写っています。ちなみに、カメラは2台あり、地上用と尾翼から機体の上部を映すものの2個のようです。こちらは、空の状態や、フラップの動きなどが分かりますが、興味はもっぱら地上を映す方です。これならば、窓側の必要はなく、曇りの時は、3次元の詳細な地形図画面で飛行位置が分かります。伊豆大島上空を通過するのが、通常のルートですが、大島の火口の詳細までがはっきりとわかりました。

 ところで、ジェットエンジン屋としては、機速と高度の関係に興味が湧きます。あるタイミング毎に目的地からの距離、機速、高度が表示されるので、それを記録してみました。帰宅後に、グラフ用紙にプロットをしてみると、意外なことが分かりました。まあ、パイロットに直接に聞いてみないと分からないのですが、国内の飛行ではコックピット入りは無理でしょう。
 ちなみに、日英を頻繁に往復していた1980年代では、British Airwayのジャンボ機では、コックピットの入り口はカーテンのみの時もあり、勝手に飛行中のコックピット内で、エンジンの様子などについて、パイロットとの会話を楽しんでいたものでした。



 グラフから、結構色々なことが読み取れます。
① 飛行高度(当日は8839m)は、1メートルの上下もなく、ほぼ100kmの間保たれている。
② そのためには、機速は結構大幅に上下している。
③ 上昇中は、スピードもどんどん上がるが、水平飛行の直前から、スピードを下げて、高度がオーバーしないように調整している。
④ 下降態勢は、随分と前から始まる。スピードと高度は、直線的に下降する。
などでした。実数のデジタル数字の表示なので、結構楽しむことができました。

 奈良、とくに明日香地方は、学生時代(1960年代)に何度も通った。脇道に入ると、人通りは全くなく、まだ昔の雰囲気が残っていて、ほっとしました。

様々なメタ(86)まとめ

2022年11月06日 06時46分38秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
meta-の日本語訳は、その場、その場で適当な漢字が充てられているのだが、中国語ではどうなっているのだろうか。
まず、meta-は「元」と一字で明確に示されている。そこで、色々なmeta-について、調べてみる。

・英語(日本語訳)中国語  

meta- (メタ)元
metabolic(変態する、変形する)新陳代謝
metabolical(変態する、変形する)代謝的
metabolism(物質交代、物質代謝)代謝
metabolite(代謝物質)代謝物
metaboly(変態)代謝
meta doctrine(メタ教義)元學說
metagalaxy(認識しうる全宇宙)超星系
metahistory(多様な歴史的認識の立場)元史
metainfective(感染後におこる)傳染性的
metalanguage(メタ言語)元語言
metalinguistics(メタ言語学)元語言學
metamathematician(超数学者)元數學家
metamorphous(変化の)變質的
metanalysis(異分析)元分析
metaphoric(比喩的な)隱喻的
metaphorical(比喩的な)隱喻的
metaphrase(翻訳、言い換えをする)直譯
metaphrast(翻訳者)隱喻
metaphrastic(直訳的な)比喻的
metaphychic(心霊研究の)玄學的
metaphysic(学問・研究の原理体系)形而上學
metaphysics(形而上学、思弁哲学)形而上學
metapolitician(政治哲学者)元政治家
metapolitics(理論的政治学)元政治
metapsychology(超心理学)元心理學
metastability(準安定状態)亞穩態
metastasize(転移する)轉移
metatheory(超理論)元理論
metaengineering (根本的エンジニアリング)元工程

中国語では、「元」で統一されていることが分かる。

 メタエンジニアリングの研究を始めて、丁度10年間が経過した。その纏めとして、「さまざまなメタの研究」3巻(註1)を記した。その中で、当初は考えていなかったことが、いくつも浮かび上がってきた。
 最も気になったのが、広辞苑の項目だった。「メタ」という前置詞が、第3版[1983]まで登場しない。一方の英和辞典では、すでに山ほどの項目があった。それは何故かを考え始めると、日本文化の矮小性ばかりが気になりだした。
 しかし、多くの単行本に接すると、そのことは全くの誤解で、むしろ日本人の著書に多くのメタが存在した。少し考えれば、分かったことなのだが、日本人の特徴は、ドイツ人同様に、先ずは全体を包絡する理論から入り、そこから各論を導き出す習性がある。アメリカ人と正反対の習性で、アメリカ人は、多くの実例の寄せ集めから、普遍的な理論を考え出そうとする。そのことは、直前に発行した、第28巻の「メタエンジニアリングで考える企業の価値」の中で引用した、米国で発行されたほぼすべてのビジネス書(ドラッカーを始めとして、エクセレント・カンパニーやビジョナリー・カンパニーなど)にあてはまる。

 考えてみると、日本人はもともと「メタ文化民族」なのだ。日本人は森の文化で育ち、西欧人は砂漠の文化で育った。森の複雑さと砂漠の単純さの結果が、日本人は「メタ」を意識せずに、常にメタの中で生活をしていることの原因ではないだろうか。一神教は、宗教とはなにか、絶対神とは何かに言及する必要があるが、多神教はそのようなものを定義する必要はない。つまり、メタ宗教論は必要ではなかった。
 随分とおかしな結論なのだが、「メタ」はいろいろと面白い。 少しでも多くの方が、「メタ」に興味を持ち、なかんずく、「メタエンジニアリング」により、人類の文明が正しい技術によって持続してゆくことを願うばかりです。

 先日「AIと人類」という本を読みました。著者は、キッシンジャー、シュミット(元グーグルのCOEなど)日本経済新聞出版 [2022.8]で、彼らが4年間議論を尽くした結果が書かれています。

 『10年前にデジタル社会が拡大しはじめたとき、クリエイターには哲学的枠組み、あるいは国家やグローバル社会の利害との関係性を考えることなど期待されていなかった。そもそもそんなことを要求された業界はこれまでなかった。 デジタル製品やサービスが適正であるとか評価するのは社会や政府だった。技術者はユーザーを情報やオンライン上の交流スペースと結びつける、乗客を車両やドライバーと結びつける、顧客を商品と結びつけるなど、実用的で効率的なソリユーションを追求した。世間には新たな機能や機会を歓迎する機運があった。そうしたバーチャルなソリユーションが社会全体の価値観や行動にどのような影響を与えるかといった予測へのニーズはほとんどなかった。』(pp.124-125)

 つまり、従来の技術者の機能は新たなものを創り出すだけだった。しかし、AIがすべてに関与する時代では、「ソリユーションが社会全体の価値観や行動にどのような影響を与えるかといった予測へのニーズ」が生じているというわけである。そこには、メタエンジニアリングの基本機能が要求される。我々は、そういう時代に、もはや突入をして、さまよい始めているということの認識がこの書の狙いになっている。

註1;さまざまなメタの研究
メタエンジニアリング・シリーズ (既刊)発行;メタエンジニアリング研究所

 第24巻 さまざまな「メタ」の研究(1) 人文・社会科学編
 第26巻 さまざまな「メタ」の研究(2) 理工・経済学編
 第27巻 さまざまな「メタ」の研究(3) 応用編
 


     
 


様々なメタ(85) 日本語の「メタ」は不確定

2022年11月05日 18時55分55秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
日本語の「メタ」は不確定

 広辞苑で初めて「メタ」(ギリシア語の間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場したのは第3版(1983)だった。私は、岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と考えている。当時、この全集の発行は、世界的にも注目をされていたとの記録があった。

 一方で、英和辞典には初版本から多くのmeta-が存在する。そこでここでは、英和辞典での過去からの記述から、日本語の「メタ」とは、いったい何を示すのかを考えてみる。
 ちなみに中国語(英中辞典)ではmetaは「元」と明確に示されている。例えば、Meta-engineeringは「元工程」である。
 約150の英語のmeta-の日本語訳(ちなみに国語辞典では、すべて「メタ何々」とカタカナ表示になっており、僅かに形而上学(Metaphysics)などの例外があるだけである)がどのようになっているかを調べてみた。すると、次に示すように、その意味が一定していないことが明確になってくる。なお、ここではベンゼン核に由来する化学的な「メタ」については、全て除外した。
 後に示す英和辞典の日本語訳の文字から、敢えて「メタ」に関係する文字を選ぶと、以下のようになる。

・日本語訳に出てくるmetaに関係ありそうな漢字( )内はその回数。
「変」(15回)
「後」(14回)
「中」(7回)
「超」(6回)
「異」(6回)
「上」(4回)
「比」(3回)
「準」(3回)
「代」(2回)
「主」「同」「初」「原」「全」「真」「場」「多」(各1回)

となる。
中国語訳の「元」は一つもなかった。このことは、何を意味するのであろうか。どうも日本人の文化は「メタ」になじみが全くないように思われる。

新簡約英和辞典(研究社[1961])

meta- (第5版に記載)
metabolism(物質交代、物質代謝)
metacarpal(掌部、掌骨)
metacarpus(中手骨)
metacenter(傾心)
metagalaxy(認識しうる全宇宙)
metagenesis(真正世代交代)
metamer(異性体の一種)
metameric(異性の)
metamerism(体節性)
metamorphic(変化の、変態の)
metamorphism(岩石の変成作用)
metamorphosis(魔力や超自然力による変形、変態)
metaphor(隠喩)
metaphorical(比喩的な)
metaphrase(翻訳、言い換えをする)
metaphysical(難解な、超自然の、形而上学の)
metaphysician(形而上学的理論家)
metaphysicist(形而上学者)
metaphysicize(形而上学的に考える)
metaphysics(形而上学、思弁哲学)
metaplasm(語形変異)
metapolitics(理論的政治学)
metatasis(変形、変態)
metatarsus(中足)
metathesis(患部移動、音位変換)
metayage(分益小作制度)
matayer(分益農夫)
metazoan(後生動物、原生動物の上位にあるすべての動物)

新英和大辞典(研究社[1992])第5版で、初版は1980

meta- 『1.主に科学用語で次の意味を表す:
   a「・・の後;・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. 
   b(位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis.
  c「二次的・・」:metalanguage.
2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics, metapsychology.  
3,【化学】以下省略。』

以下は[1961]版から追加された項目のみを示す。
metabasis(病状変化、主題転移)
metabiosis(変態共生)
metabola(変態類)
metabolic(変態する、変形する)
metabolical(変態する、変形する)
metabolic water(同化作用によって生物体内に生じた水)
metabolite(代謝物質)
metabolous(動物の変態)
metaboly(変態)
metacentric(染色体の中央部にある動原体)
metacentric height(メタセンターの高さ)
metacentric stability(初期復元力)
metacercaria(吸虫類の幼虫の変形)
metacercarial(後生花被類)
metachlamydeae(後生花被類)
metachromasia(異染性)
metachromatism(細胞科学上の染色現象)
metachronal(多足類の歩脚で一定の位相差で運動する性質)
metanathous(二様式口器類の昆虫)
metahistory(対象を一時代に限定せず、多様な時代を比較しながら共通の歴史法則を追求しようとする歴史的認識の立場)
metahistorian(上記の立場の人)
metainfective(感染後におこる)
metakinesis(細胞分裂の中期)
metalanguage(メタ言語)
metalepsis(比喩的な言葉をさらに換喩する)
metalimnion(地質の変水層)
metalinguistic(メタ言語学の)
metalinguistics(メタ言語学)
metamathematical(超数学的な)
metamathematician(超数学者)
metamathematics(超数学)
metamaeral(動物の体節)
metamorphose(一変させる)
metamorphoses(変態の複数形)
metamorphous(変化の)
metanalysis(異分析)
metanauplius(ある種の幼虫)
metanephros(後腎)
metaphase(細胞分裂の中期)
metaphloem(植物の後生)
metaphoric(比喩的な)
metaphorically(比喩的に)
metaphrast(翻訳者)
metaphrastic(直訳的な)
metaphysic(学問・研究の原理体系)
metaplasia(病理の異形成)
metaplast(後形態)
metapleuron(昆虫の後側板)
metapneustic(昆虫の後気門の閉塞)
metapodium(動物の後ろ足)
metapolitician(政治哲学者)
metaphychic(心霊研究の)
metaphychics(心霊研究)
metapsychology(超心理学)
metastability(準安定状態)
metastable(準安定の)
metastable state(準安定状態)
metastasize(転移する)
metastrongylid(肺虫科の)
metatarsal(中足の)
metatheory(超理論、ある理論を一段と高い立場から解明するのに用いられる別の理論)
metatherian(後獣亜綱の)
metathesize(置換えが起こる)
metathetical(人工的患部移動の)
metathoph(複合有機栄養生物)
metatrophic(複合有機栄養形式をもつ)
metaxylem(後生木質部)
metazoa(後生動物門)
metazoan(後生動物門に属する)
metazoea(節足動物の幼生)

 なぜ、日本語に翻訳された「メタ」はこれほどに不確定なのだろうか、そのことの追求は、後刻。

その場考学のすすめ(18) その場考学的 F+ f

2022年08月23日 13時12分28秒 | その場考学のすすめ
TITLE: その場考学的 F+ f

 夏目漱石全集の第9巻は丸一冊で「文学論」が語られている。漱石が、英国留学中に読んだ様々なジャンルの文学について、実例を引用しながら体系的に述べたもので、内容は、次のようになっている。

 『「文学論」は全体を次の5編に分けて構成している。(1)文学的内容の分類,(2)文学的内容の数量的変化、(3)文学的内容の特質、(4)文学的内容の相互関係,(5)集合的F.
 第一編の書き出しに「凡そ文学的内容の形式は (F+f)なることを要す」という漱石理論の基本原理が示されている,ここでFは人の意識の流れにおいて,ある時間その焦点をなしている認識的要素(知的要素),fはそれにともなう情緒的要素を意味している。』(②p.168)

 『そのことを激石は次のように述べている。凡そ吾人の意識内容たるFは人により時により、性質に於て数量に於て異なるものにして,其原因は 遺伝,性格,社会,習慣等に基づくこと勿論なれぱ,吾人は左の如く断言することを得べし,即ち同一の境遇、歴史,職業に従事するものには同種 のFが主宰すること最も普通の現象なりとすと。 従って所謂文学者なる者にも亦一定のFが主宰しつつあるは勿論なるべし。』(②p.168)

  この記述は非常にわかりにくいので、巻末の注解を頼ることにする。そこでの「F」についての記述は、このようにある。
 『Fは、FocusまたはFocal point(焦点)であろう。ある場合にはFact(事実)と考えられることもある。fは、feeling(感情)であろう。漱石は、文学とは人間のf=感情・情緒に基礎を置くものであって、いかなるF=意識の焦点または観念も、感情を伴わず、情緒を喚起しないならば、文学の内容にはなりえない、というのである。』(①pp.550-551)
つまり、漱石はFから発してfにゆくストーリーを本格的な文学としている。

「文学論」
 ① 著者;夏目漱石 発行所;岩波書店 発行日;1966.8.23
 ② 著者;立花太郎 科学史研究 KAGAKUSHI 1885 pp.167-177
 
このことは、2019.11.12の次のブログに示した。
 https://blog.goo.ne.jp/hanroujinn67/e/4eeecc3da0c78d582ff1be1b94c1518c

 この「F+f」は、実はその場考学に通じる。その場考学は、常に「F」(目の前の事実、Focal point、焦点)が起点となる。そこから直ちに様々な方向に思考と実行が始まる。

 そこで、その場考学的「F+f」について考えてみる。

「F」;目の前の事実、Focal point、焦点

「f」; その場考学の第一目標は、その場の限られた情報から、できるだけ早く正しい判断をすることで、早くても、間違った判断では、その場はしのげても新たな問題を引き起こしてしまう。そのような観点から「f」を探すと、実は、これには驚くほどの分野が存在する。英和辞典の索引順に追ってみることにする。

 fabricate; その事実の構成を考える ⇒正解が早くわかる
facilitate; 容易にしてから促進する  ⇒その場で始められる
 factor; その事実の要因を探る   ⇒正解が早く見つかる
 failure; 過去の失敗や知識を活用する  ⇒正解が早くわかる
 fairly; 正しさ、公正さ、十分かを知る  ⇒正解が早くわかる
 faith; 信頼、信念を念頭に考える ⇒素早い行動が容易になる
 fake; 捏造か否かの即判断をする  ⇒正解が早くわかる
 familiar; よく知られていることに関連付ける  ⇒正解が早くわかる
 fancy; 想像力と空想力を働かせる ⇒正解が早くわかる
 fantasy; 空想力を働かせる    ⇒正解が早くわかる
 farseeing; 遠目を利かせて、先見の明を求める ⇒正解が早く見つかる
 fascinate; 人を魅了するものは何かを考える  ⇒素早い行動が容易になる
 fashionable; 流行と関連付ける  ⇒素早い行動が容易になる
favorable; もっとも都合の良い解決は何か  ⇒素早い行動が容易になる
 feat; 手際のよい行いを目指す         ⇒素早い行動が容易になる
 feeling; 感覚を重視する ⇒正解が早く見つかる
 fellow; 常に仲間の存在を意識する ⇒素早い行動が容易になる
 fervor; 熱情を以って、事に当たる ⇒素早い行動が容易になる
 fictional; 虚構か否かを見定める ⇒正解が早く見つかる
 field; 領域や分野を定める     ⇒正解が早く見つかる
 fifth; 五感を目いっぱい働かせる  ⇒正解が早く見つかる
 figuration; できるだけ形態を整える   ⇒素早い決断が容易になる
 file; その場でファイリングする     ⇒素早い決断が容易になる
 finality; 最終的にどのようになるかも、同時に考える  ⇒正解が早くわかる
 finding; 潜在するものの発見       ⇒正解が早くわかる
 first; まず最初にやるべきことを絞り込む ⇒正解が早くわかる
 fix; とりあえず、観念を固定する     ⇒正解が早くわかる
 flair; 技術者としての第六感、直感を信じること  ⇒正解が早くわかる
 flash; ひらめきを捉える             ⇒正解が早くわかる
 flexible; できるだけ柔軟に考える ⇒正解が早くわかる
 flow; 流れを掴む         ⇒素早い行動が容易になる
 fluctuate; 波動を掴む       ⇒素早い行動が容易になる
 focalize; 焦点を絞り込む     ⇒正解が早く見つかる
 following; 次に続くものは何かを考える   ⇒正解が早くわかる
 for; 何のためかという目的を明確にする   ⇒正解が早くわかる
 forecast; 常に、次回があることを予測する  ⇒正解が早くわかる
 formalize; できるだけ形式を与えて、次回に備える ⇒正解が早くわかる
 foundation; 土台をきちっとしておく ⇒正解が早くわかる
 fractionize; 複雑なことは、分解して小分けする  ⇒正解が早くわかる
 framework; 下部構造を把握する  ⇒正解が早くわかる
 free; 束縛されない自由を保つ   ⇒素早い行動が容易になる
 frequent; 似たようなことは、しばしば起こっている ⇒素早い行動が容易になる
 furnishing; 備え付けのものを準備しておく ⇒素早い行動が容易になる
 future; 未来を意識する ⇒正解が早くわかる

・新宿区立「漱石山房記念館」にて ―その場考学の実践(2022.8.21)

 この稿を書いている時に、たまたま漱石山房記念館で、「テーマ展示、夏目漱石 草枕の世界へ」というチラシを見た。当日には学芸員と専門家によるギャラリートークがあるので、急遽出かけることにした。幸いに酷暑が一時的に和らいだ日だった。


 2階の展示には興味をひくものがいくつかあったが、特に英訳本に興味を持った。漱石の難解な文章を平易な英語に訳している。その場で、私はある本の題名が気になった。「Three cornered world」とある。一体、これはなんだ?
 学芸員説明の後で、この題名の意味を質問したのだが、専門家も含めて「不明」とのことだった。私は、続いて上映された30分間の原文と絵による全文の画面を見ながら、この英語名について考えることにした。
 


有名な、草枕の書き出しはこうである。
 『山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角かどが立つ。情に棹さをさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』
 そして、全体のストーリーは漱石自身が云うように、「事件も発展もない通常の小説ではない。美の感覚を残すのみ」であり、一人の画家が、数日間熊本の田舎を歩き、滞在先などで数人との会話を交わすだけの内容になっている。文中には、漱石の絵画論と文明論が語られている。つまり、漱石としては、「住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」を強調したわけで、その部分が好きで、通読した経験があのだが、やはりこの英語の題名には心当たりが全くなかった。


 
 物語の画面を見ていると、ある答えが直ぐに浮かんだ。それは、冒頭の文章にあるそのものずばりではないだろうか。
 「に働けばが立つ。に棹さをさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
 この赤字の「智、情、意地、角、人の世」を単純に英語にしたのだ。しかも、この題名は「Kusamakura」などという英語よりは、明らかに欧米人好みにも思える。

 なぜ、学芸員も専門家も気が付かないことが、数分で分ったのか、それはその場考学のお蔭のように思われる。
 この場合、前述の「F」は草枕の全文である。それでは「f」はなんであろうか。それを考えてみた。
すると、その場考学的「f」のいくつかを組み合わせていたことに気が付く。
 
 focalize;焦点を絞り込む ⇒正解が早く見つかる ⇒Threeに注目する。3つとは何を指すのか
flow;流れを掴む ⇒素早い行動が容易になる ⇒前文、本文、最後の文章のどの部分か?
flexible;できるだけ柔軟に考える ⇒正解が早くわかる ⇒どうも、本文には該当しない
 following;次に続くものは何かを考える ⇒正解が早くわかる ⇒では、奇妙な前文にあるのでは?
 for;何のためかという目的を明確にする ⇒正解が早くわかる ⇒英語の題名は、前文の理解を助けるため。

と云うことになる。その場考学は、色々な場面で役に立つ。だから面白くて、40年間も続いている。

八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(36) 半夏生

2022年07月08日 07時59分51秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(36)         
テーマ;生物の本能
場所;東京の庭 月日;2022.7.6
作成日;2022.7.7 
                                               
TITLE: メジロの子育て

半夏生(夏至の末候で、7月2日から6日まで)

 半夏生(はんげしょう)は七十二候の1つで、Wikipediaには次のようにある。
『半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。
「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。』

 半夏と同じころに生える別名マムシ草と呼ばれるこの花にはハエ科の小昆虫が誘引され、付属体と仏炎苞の間の隙間を通過して花の周囲の部屋に閉じ込められる。雄花ではこの部屋の下部に雄しべから出た花粉が溜まっており、閉じ込められた小昆虫は花粉まみれになる。雄花の仏縁苞の合わせ目の下端には小さな孔状の隙間があって、花粉をつけた小昆虫はここから脱出する。雌花ではこの穴がないため、閉じ込められた小昆虫は外に出られず、いずれ死亡する。この雌花に閉じ込められた小昆虫の中に花粉を体につけて雄花を脱出してきたものがいたときに受粉が成立する。



 八ヶ岳の我が家の山野草ガーデンの中央でぽつんと一本だけ毎年花を咲かせて楽しませてくれる。里山歩きをしていても、林の中でぽつんと一輪だけ咲いている姿をよく見かける。花がその姿を保っている期間も長く、また実がついて、色づくまでの期間も長い。一輪だけで十分に楽しむことのできる独特の植物なのだ。だが、油断大敵、毎年数株が、庭のあちこちに出てくる。これらがすべて、小さな種の中の細胞内の遺伝子によるものなのだから驚かされる。

 代って、動物の方はどうだろうか。東京の我が家の庭には小鳥が良く来る。今年は巣作りをするものが現れた。メジロだ。
 庭のほぼ中央に沙羅双樹の木がある。高さはせいぜい2メートルの小さな木で、毎年よく花が咲く。



そこに、メジロが巣をつくった。暫くすると、雛がかえったようで、頭が見えるようになった。




 雛がかえってから、飛び立つまではほんの数日だったと思う。他の鳥に襲われないように早めの巣立ちのようだ。空になった巣を枝ごと切り離してみた。 
 驚いたのは、細い二股の付け根に、うまく固定されるようになっている。巣の材質は雑多のようだが、繊維がうまく絡んでいて、丈夫だ。中は、卵の殻はおろか、小鳥の糞も一切なく、きれいだった。
 小鳥の巣作りは、親の動作で覚えられるわけは無く、これら一連の作業は、すべて本能に仕込まれているのだろう。





 動物の本能は、生まれる前に完成するものと思うのだが、人間の場合は、大いに複雑なようだ。他の動物に比べて、脳が異常に発達して大きくなってしまったために、脳が完成する前に、生まれ出なければならなくなった。完成まで待つと,子宮を出られなくなるそうだ。だから、本来は本能だった行動の一部は、生まれてからの環境によって付加される。
 有史以来の人間社会の有様を概観すると、この中途半端な本能は悪いことばかりに影響しているように思われる。例えば、もし倫理的なものが本脳だとするならば、もっと平和な社会になっていたはずである。

様々なメタシリーズ(84)メタ・メティエ(異次元の技巧)

2022年07月01日 07時29分01秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
その場考学研究所 様々なメタシリーズ(84)人文系 #21

TITLE:メタ・メティエ(異次元の技巧)
書籍名;「ダ・ヴィンチ・システム」[2022]
著者;河本英夫
発行所;学芸みらい社 発行日;2022.4.25
初回作成日;2022.7.1 最終改定日;

 「メティエ」とは、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説にはつぎのようにある。
métier美術・芸術用語。 (1) 手先を用いる職業。 (2) 画家,彫刻家などが当然修得すべき基礎的な技巧。 (3) 特にすぐれた技巧,手腕,腕の冴え。

 著者は、科学論、システム論、哲学の分野で多くの著作を発表している。この書は、その中の最新刊
になる。並行して,「諸科学の解体」[1987]、「経験をリセットする」[2017]も通読してみた。どれも、以って回った論理構成がなされているのだが、主張は明確に示されているように思う。


 
  この書は、主にダ・ヴィンチの「手稿」について書かれているのだが、読売新聞の書評欄で、西成活裕東大教授が紹介をしている。
『対象を素描と言語という二重の方法で表現することで、言語の力を借りつつ、同時にその制約から逃れることもできる。これが対象をより自然に記述しようとする彼のメチエ(技法)だ。』
 
  更に、『対象の人が笑っているのをそのまま描いているのではなく、時間軸の中で一連の動きを一枚の静止画に盛り込んで表現しているらしい。そのためには、対象の力学的なしくみをきちんと理解していなければならない。』確かに、本文の要旨はそのようになっている。
 
 「はじめに」では、世界中で、毎年何冊ものダ・ヴィンチ本が出版されるが、「誰であっても、幾分かこんわくする」とある。著者は、『この言葉による届かなさの印象は、ダ・ヴィンチ自身の「異次元性」に由来すると、言い訳がましく語ることもできる。そうした異次元性にそれとして触れることも、たしかに貴重な経験なのである。』(p.7)

 異次元性は、すなわち「メタ」と云うことになる。
 異次元性の一つは、『ダ・ヴィンチの構想には、ルネッサンスの「人文主義」の影響は、ほとんどない。』(p.7)と云うことで、同時代の文化的環境と文化的手段を離れたところから出発をしているというわけである。

 ダ・ヴィンチは「私は言葉からではなく、自然から学ぶ」と何度も繰り返し述べている。例えば、色についての言葉は、赤、黄、青などせいぜい50~80程度(中世からの日本語の表現では、もっと多いように思う)だが、色合いの区別は3万5000種程度できる、とある。(p.9)
 人類は、様々な方面で進化を遂げている。しかし著者は、「進化の閉回路」として、『進化枝は先端では分岐してゆく。そしてどんどん細い道筋に入って行く。(中略)進化とは気が付いたときにはおのずと自分自身の選択肢が減っていく仕組みのことである。』(pp.14-15)という。そこから抜け出すには、「能力の発現」即ち、異次元への脱皮が必要になる。

 「動きを描く」については、いくつかの「手稿」示されている。
『空中を降下する水滴の各側面は水滴の運動と反対に運動して、各末端からその上部の中心に向う円形で、連続的な波をつくりだす。こういう波は周辺の中心に打ちかえさないで、その円の中心に 沈んで底深く入り、下側から出て、さきにそこから降ったところ、すなわちもっとも高い個所にふたたびたちかえり、ここであらためて円形の波を再び生じて、あらためてその中心に沈むのである。(「手記 下、一〇九頁」』(p.54)が、その一例だが、通常では見えないものを描写している。
 
 激しく動く馬の絵がある。馬の動作は、歩くときも走るときも、特有の反復がある。しかし、その反復は完全には同じではない。『どの運動の変化の局面(変化率)を切り取れば、最も馬らしいのか』(p.60)
ダ・ヴィンチは、「変化率と個体性との内的かかわり」を探るために、多くの馬の素描を残している。

 『ある意味で、ダ・ヴィンチの膨大なデッサンはAI的なのである。』(p.65)という。これは、AIが膨大なデータから答えを出すことが、人間の数学的規則や言語的判断とは全く別物になっていることと同じこととしている。

 また、アリストテレスの考え方との対比を示している。アリストテレスの「自然学」では、同時代の多くの議論を検討し、整理して一つの答えを導いている。
 『ダ、ヴィンチの構想とアリストテレスの議論は、本当は小さな変更をかければ、十分に連動しながらやっていける局面がある。それはアリストテレスが、個物の認識のさいに取り出している、「質料ー形相」の二つ一組の概念対にある。この概念対は、アリストテレスの仕組みの中でも、最も重要なものの一つである。質料は素材であり、形相は形である。個物の認識には、形の認定がつねにともなっている。だからアリストテレスは、個物の認識の最も標準形を取り出しているように見える。だが個物の成立そのものに立ち入ってみると、まったく別のことが起きている。たとえば同じ素材を用いても、異なる形の建築物を作ることはできる。逆に異なる素材を用いても同じ建築物を作ることはできる。たしかにそうなのだが、これは質料と形相の間にマトリックス的な対応関係があるという指摘に留まっている。』(p.91)
 
 そして、『ダ・ヴィンチは、アリストテレスの議論の枠の中で、四元素説(土、水、空気、火)はほぽ継承しており、重さを運動にとっての要因であるとする点も継承している。ただしダ・ヴィンチにとって最も重要な事柄は、(一)物の直接的な相互作用の仕組み、(二)運動の継続の仕組み、(三)事象の出現の仕組みであり、概念的な分析に代えて、自然事象を徹底的に観察、記述することである。こうした事態の記述に、言葉や文章ではなく、デッサ ンを持ちいたのである。』(p.95)
 聊か難しい論理だが、結論としてはダ・ヴィンチの自然学はアリストテレスとも近代科学とも異なる、まったく別のものであるとしている。

西成教授の書評の最後は、こんな言葉で結ばれている。
『自然を見る事をすっかり忘れてしまっている自分に気がついた。もはや現代科学を勉強してしまった我々は、その色眼鏡でしか自然を見られなくなっている。読後、一度すべての理論を忘れて、ダ・ヴィンチの視座で自然を追ってみたくなった。』







メタ思考の国家プロジェクト

2022年06月19日 08時11分21秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
さまざまなメタシリーズ 83             その場考学研究所 

社会学系のメタ 24        
TITLE:メタ思考の国家プロジェクト(2022.6.20)

 過去から現在まで、国家の大型プロジェクトはいくつもあったが、それらを中国の場合と比べると、彼らとの戦略性の違いが見えてくる。中国の巨大な国土と人口と複雑な民族関係の中では、常にメタ的な視点からの発想が必要とされているのだが、我が国の場合には戦略性が見えない場合が多い。

週刊東洋経済(2022.3.26)に「財新」(中国の独自経済報道)の記事には、
南水北調;南部の豊富な水資源を北部に送る
西気東輸;西部で生産される天然ガスを東部地域に送る
西電東送;西部の山間部の水力発電の電気を東部に送電する
東数西算;東部地域の大量なデジタルデータを、西部地域で演算処理する
この4つが示されている。

 日本は、南北に長く、また東西では歴史的な文化の違いに特徴がある。しかし、国家的なプロジェクトは常に全国平等が建前になっている。一例が地方活性化なのだが、地域ごとの国家に対する役割が、前述の中国のようには明確でない。

 中国風に発想をすれば、例えば、北海道の役割(主機能)、東北地方の主機能は何かを考えると、酪農や大規模耕地農業は、北海道の主機能になるのだが、同じことを全国どこでもやろうとしている。
 東北地方の主機能は、林業と米作かもしれない。しかし、米つくりも全国各地で競っているが、適材適所ではない。発電で考えれば、北海道と東北地方は、地熱が良い。温熱の利用価値も高くなる。
 地方活性化プロジェクトも、この様に先ずはおお繰りの地方の地政学的な特徴から、それに適した主機能を策定して、その後、その地方の県なり、主要都市でそれをどのように機能分担することが全体最適になるかの手順が求められる。

 このように考えると、やはりこの場合にも日本的な取り組みは、基本的な戦略を曖昧にしたままで、いきなりのWhat &How だが、中国ではWhyから始まっているように思えて仕方がない。

その場考学半老人 妄言

メタエンジニアの眼シリーズ(210)森鴎外というメタ人格

2022年05月31日 10時48分06秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(210)

TITLE: 森鴎外というメタ人格


 先日、千駄木(文京区)にある森鴎外記念館を訪ねた。
「読み継がれる鴎外」という特別展の開催中で、展示場はそれほど大きくはないのだが、多くの本と数名の作家のコメントなどの内容は、かなり充実していた。



 私は、過去に鴎外の小説をいくつか読んだのだが、短編ばかりで、彼が文豪だとは思っていなかったのだが、この展示会で全容を知り、改めて、彼のメタ人生というかメタ人格を知った。
 そこで、いくつかの文献を眺め直してみた。彼の全人生を知るうえで、最も簡潔なのは、山崎一顛著「森鴎外 国家と作家の狭間で」(日本経済新聞社[2012])と思う。



 著者は鴎外記念会会長で記念館館長をも兼ねる鴎外の第一人者で、鴎外の名を冠した著書が多数ある。その中で、この書は鴎外の一生を語り、特に軍人と医学者と作家としての葛藤を語っている。鴎外は謎の行動が多く、そのことは色々な著書を併読すると感じることができる。

 例えば、この著書にはないのだが、1909(明治42年)に、「東京方眼図」という謎めいた地図を作っている。(この地図は、千駄木の鴎外記念館で別途発売されている)秋庭 俊著「森鴎外の帝都地図」(洋泉社[2011] )には、次のようにある。
『文字や記号の謎については、これから順次、紹介していくが、 この地図では上野公園に「上」の字がなく、「野公園」とある 。馬場先門には「門」の字がなく、「馬場先」である。「い六」の
方眼には「新橋」という字が上下逆さに書かれて 、しかも、そこは「新橋」ではないのである。
さらに、白山神社や日枝神社には赤い鳥居のマークがあるが、根津神社や東照宮には鳥居がない。この地図には、赤丸や赤い三角、赤い×や旗のようなマークまであるが、それは地図記号には存在しないもので、 しかもどこにも説明がないのである。』(pp.4)
この書は、謎解きを目的としている。なぜ、森鴎外という人物が、この地図を「森林太郎立案」と書いて発行しようとしたのかという謎だ。地図は、ほぼ現在の山手線の範囲が示されているのだが、おかしな表記や記号が散乱している。つまり、地図のルールからは、かなり外れた地図なのである。



 鴎外は、上京後に東大病院の前身の医学校を卒業し、直ちに陸軍病院に勤めたが、ドイツ語の能力を買われてドイツに留学した。ドイツでは、当時感染症の研究で有名だった数か所で、細菌の培養や、検査・分析器具、実験データの統計処理法などを勉強したとある。その間の「舞姫」との逸話は有名なのだが、オペラ通いも多かった。(後に、ドイツオペラの多くを翻訳して、日本で上演されている)

 彼の帰国当時は、東京都市改造論が盛んで、不燃都市が目指されていたのだが、鴎外は衛生学上の伝染病予防策としての、上下水道の完備を主張した。しかし、経済と交通が優先されて、彼の案は実現しなかった。その場でつくられたのが、前述の地図で、赤の線やしるしは、主に江戸時代につくられた上下水道の地図と、様々な拠点(一旦貯めて、高低差を調節する場所)を示していると記されている。つまり、ある場所で伝染病が発生した時に、その感染経路と上下水の経路の関係を知るためのもののように思われる。

 また、衛生学については、帰国後に次のような主張をしている。
『一言で云えば、人の健康を図る経済学のようなものです。身体の外に在る物を身体の中に入れ,また中のものを外へ出すに当たって、その釣合を取って健康と云ふ態度が損なわれないように、勤める法を研究するのです。』(pp.33-34)
この言葉は、アリストテレスが何度も主張している、「大いなる過度が病気を引き起こすのは何故か」との問いに対する、「過度とは過超か欠乏をもたらすものであり、過超や欠乏が病気というものである」の答えと同じことに思えるいたってメタ的な発想だと思う。

 明治32年に、当時近衛師団軍医部長兼軍医学校長だった彼は、突然に第12師団の軍医部長に転出させられる。場所は小倉で、当時の山陽本線は徳山までであり、そこから先は船便の僻地だった。位は、軍医監に昇進なのだが、師団の軍医部長職はその2つも下の役職だった。そのために、鴎外は「左遷である」との認識を公に示したが、それも謎の一つだ。
 しかし、5年後の明治37年には、日露戦争に軍医部長として戦場に向かった。彼は、ドイツ留学中に軍人として、クラウゼビッツの戦争論を始めとして、ドイツ軍の多くの戦術・戦略に関する書を読んでいた。在独中に日本からの要人にクラウゼビッツの戦争論を口頭で説明したともある。(pp.40-44)
 
 この書には無いのだが、私は日露開戦を控えて、陸軍が彼に軍略に関するドイツ語の多数の文献の翻訳を密かに命じたのではないかと思う。小倉という交通上の僻地は、その作業にはうってつけだったのではないだろうか。軍の秘密作業なので、鴎外は「左遷」を敢えて口にしたのではないのだろうか。勿論、なにを翻訳したのかは、軍の機密なので公表されていない。
 しかし、帰還後の彼は、次第に作家としての道を歩き始める。そして、多くの戯曲や歴史小説を残すことになる。
 例えば、鴎外全集第6巻(岩波書店[昭和47年])は、ほぼ全巻が劇やオペラのシナリオとして書かれている。その1作目の題名は、「負けたる人」(原作者はショルツ)となっている。  

 また、「人の一生」(原作者はアンドレイエフ)は100ページ以上の長編のシナリオになっている。それは、舞台の細かい描写から始まり『見ろ。開け。お前たちの目の前で、人の一生が開けて見せられるだろう。暗い初めにはじまり、暗い終わりにをはる人の一生だ。その人は初めにはゐない。「時」の無窮の中に不思議に隠れている。』(pp.137-138)とある。
 このようなシナリオを翻訳に選んだことにも、彼のメタ人格が偲ばれる。