生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(56) 八ヶ岳南麓と世田谷の庭

2021年09月01日 09時58分04秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(56)   

場所;八ヶ岳南麓と世田谷の庭 
 作成日;2021.8.31                                                

TITLE: 綿柎開 (処暑の初候で、8月23日から27日まで)

 
 「綿のはなしべ開く(綿を包む咢(がく)が開く)」とは、実がはじけて、綿花を摘む時期が来たということ。八ヶ岳南麓の我が家では、遅まきながらブルーベリーの収穫が本格化する。
 小海線の線路は、この辺りでは大体1000メートルの標高を走っている。
線路の上と下では、畑の様子がまるで違う。田んぼやトウモロコシは、線路よりも下に限られている。上には、蕎麦かカボチャなどだが、トマトもかろうじて可能なようだ。我が家の庭でもトマト栽培を一度だけ試みた。ちなみに、我が庵の標高は1130メートル。
 成長は遜色なく、花も十分に付けて、蜂や虫の類が多く、受粉もすこぶる順調で。青い小さな実が沢山付く。しかし、それからが問題で少し天候が悪いと実は一向に大きくならない。そして、徐々に変形をしてそのまま終わりである。しかし、元気の良いいくつかは、どうにか食べられるまでに成長する。うっそうと茂った枝と葉をかき分けて、収穫の貴重な体験ができる。
 日当たりの良いところでは、枝豆ができたし、弦ムラサキは烏山よりも良い葉っぱを収穫することができた。大方のハーブの類も問題はないようだ。



 ところが、今年は事情が大分変っていた。中々花が咲かない、花が咲いても、実が付かない日々が続いた。しかし、8月になって暑い日差しが続くと、どうにか元に戻ったように思う。異常気象とまでは云えないが、20年間に随分と季節の移ろい方が違ったようだ。
 同じ現象が、世田谷の我が家でも起こっていた。例年、沢山の花を咲かせる朝顔が、弦ばかり延びて一向に蕾を付けない期間が、1か月はあっただろうか。しかし、8月末のある日を境に、一気に花が咲き出した。そのことは、例年のグリーンカーテンとして育てるゴーヤも同じことだった。
 


 しかし、花や実をつけ始めると、今度は極端に沢山の開花だ。やはり、植物は動物よりも生命力が強いことを思い知らされる。そうなると、今年の朝顔は、色まで鮮やかに見えてくる。ちなみに、この朝顔は、夕方まですこぶる元気で、青からムラサキ色に代わって、終日通行人の眼を楽しませてくれる。





 綿花で思い出すのは、アメリカの南北戦争だ。南部のプランテーションは綿花の大生産地だったが、工業力はサッパリだった。一方で、当時産業革命が盛んだった、スコットランドのマンチェスターでは綿織物が大量生産されていた。そこで、綿花貿易が始まるのだが、これが北部による搾取になってしまった。そのことが、奴隷解放云々よりも、大きな問題だったと、何かの本で読んだ記憶がある。この時のいさかいが、南部諸州でのトランプの熱狂的な支持者層を支えているのだろうか。
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メタエンジニアの眼(187)コ・クリエーション

2021年08月24日 13時33分20秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(187)       

KMB4187
このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                     

TITLE: コ・クリエーション
書籍名;生き残る企業のコ・クリエーション戦略[201
1]
著者;ベンカト・ラワスワミ他
発行所;徳間書店  発行日;2011.4.30
初回作成日;R3.8.24 最終改定日;

 長寿企業の研究やアンケート調査結果に関する著書は沢山あるが、メタエンジニアリング視点からの解析を主とするものは、なかなか見当たらない。一般に、企業活動を長期間継続するためには、多くの波を乗り越えなければならない。その波については、3に分類することができる。
 時代の変化を乗り越える
 世代の変化を乗り越える
 事業の変化を乗り越える



 その中にあって、現代の最大の問題は「時代の変化を乗り越える」になっている。すなわち、グローバル化の波と、SNSの普及である。そこから「生き残る企業のコ・クリエーション戦略」が必要になってきた。
 社会の広範な情報化が進むにつれて、身近にある製品について、人々は製造元に関する情報を、より多く求めるようになった。さらに、製品を提供する企業との関りを望む動きも出てきた。つまり、使用者参加形の新製品の開発である。その動きは、大は次世代の大型民間旅客機の開発から、小はアパレルまで、様々な業界で起こっている。
 
 コ・クリエーションというのは、『顧客、経営者、従業員など、会社のさまざまな関係者が協力し合い、システムや製品・サービスを開発すること』(p.11)と云われている。
 
 この著書では、数年前にこのことを先取りした企業名が冒頭に紹介されている。ワイン製造業のクラッシュパッドとミシンのブラザーである。(p.12)ブラザーがこの手法でミシンを復活させたのは、日本でも有名だが、前者の例はあまり紹介されていない。
 私が注目したのは、このワイン製造業者のモデルが、日本酒の蔵元にも応用できるということだった。近年、顧客に日本酒の製造工程の一部に、体験の形で参加を募る蔵元はいくつかある。しかし、クラッシュパッドのモデルは、それを遙かに超えている。

 ワインの話の前に、既知の実例として詳しく書かれている、ナイキ+の概略を説明する(pp.17-21)
2006年にナイキは、ナイキ+を立ち上げた。アップルと共同で、ジョギング・シューズに高性能センサーとそこからのデータを走者が走りながら音楽を聴くために身につけているiPhoneなどに伝送する仕組みだ。そのデータをナイキ+のウエブサイトにアップロードすれば、世界中のジョギング仲間とルートや記録を共有できる仕組みになっている。すると、出張先の知らない土地でも、自分に合ったジョギング・ルートを検索で探して、その場で楽しむことができる。また、結果の書き込みもできる。
 
 この種ステムについては、「コ・クリエーションが持つ四つの力」が示されている。
 ・企業の収益や戦略的資本を増大させる。
 ・企業のリスクやコストを削減する。
 ・関係者に今までにない有益な体験を提供する。
 ・関係者のリスクやコストを削減する。
 である。(p.27)
 
 クラッシュパッドの場合は、これとは異なる。同社は、2004年に「個々の顧客の要望に沿ったワインを製造する」会社として設立された。顧客としては、ワイン好きな個人、ワイン製造業者、ワイン小売業者、ワインバー、レストランが参加する。顧客は、サイトと工房(つまり、バーチャルとリアルの両方)に任意で参加できる。製造工程は、五段階に分けられている。「計画の立案、ぶどうの育成と監視、収穫と加工、ワインの熟成、ラベルつくり」の五つで、それぞれは30以上の項目に区分されている。(p.136)
 従って、最小の発注量は一バレルになるが、継続することにより、品質を自分の好み通りに向上させることができる。

 これを、日本酒の醸造に適用するとどうなるかは、容易に想像がつく。しかも、日本酒の場合には、選択肢がより複雑になるが、かなり明確に好みを指定することができる。すなわち、醸造米の選択、吟醸割合、使用酵母の選択、目標の日本酒度などは、選択肢が明確にできる。また、杜氏を指名することも可能かもしれない。私は、単なる日本酒好きなのだが、いくつかの蔵元が集まれば、選択肢と区分は容易に決められるように思う。

 
 

 


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その場考学との徘徊(67) 二つの五稜郭(その2 佐久) 

2021年08月22日 07時39分56秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(67)  
題名;二つの五稜郭(その2 佐久) 場所;函館 月日;2021.x.x

テーマ;二つの五稜郭 作成日;2021.8.21                                                

TITLE: 二つの五稜郭(その2 佐久)

 日本国内に五稜郭が二つあることは、あまり知られていないようだ。私は、期せずして短期間に二か所を巡ることになった。二か所のうちの第一は、明治維新の戦争で有名な函館の五稜郭で、前回(66)紹介した。二か所目は長野県の佐久で、そこは佐久美術館を訪れる帰路で偶然発見したのだった。なぜ、こんなに離れた場所なのか。この二か所の歴史を比較してみたいと思った。
  
 佐久市立近代美術館は、お気に入りの一つで何回も訪ねている。目的は平山郁夫の仏教伝来なのだが、今回はその姉妹作の「天山南路(夜)」だった。しかし、絵から受ける雰囲気に、二枚の違いはない。この美術館は、現在は無料開放なのだが、写真はNG。僅かに入り口の池田満寿夫のモザイクだけがOK。この形は、佐久鯉の稚魚だそうだ。
 この美術館の周囲は、広大な公園で、あちこちに彫刻が飾ってあるのだが、それらも中々のものに思う。





 佐久五稜郭は、そこからまっすぐに20分ほど南に下った、小海線臼田駅の近くにある。周辺は、佐久市観光協会の「おすすめウオーキング・コース」になっていて、寺院や旧跡を辿ることができる。





 この城郭は、龍岡城(あるいは桔梗の花にたとえて桔梗城)と呼ばれて、文久3年(1863年)、藩主・松平乗謨(のりかた)によりつくられた。龍岡藩は1万6千石の小藩で、城主の格式は認められていないため、城ではなく陣屋となっている。
 
しかし、この松平家は将軍家から姫君をもらった家とは異なる。徳川家康の5代前の松平親忠の兄弟が分家したものだ。従って、家格は高く、彼は幕末時には老中格・陸軍総裁、明治維新後は伯爵となり、日本赤十字社の創設者の一人として知られている。
 彼は、西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでおり、藩政ではフランス式の軍制を導入した農民兵を基礎とする非常先手組を編成。一方で、殖産興業や蚕種・生糸の増産など国力の増強にも努めたとある。 
 




 ところで、星型要塞とは、15世紀末から16世紀初めにかけてフランス軍がイタリア半島へ侵攻した際に、その新型の火砲に対して、防御面を充実するために考案されたもので、ミケランジェロはフィレンツェの城壁の改良工事で星型要塞の理論を実践したとある。
 
 この陣屋は、慶応2年(1866年)に石垣と土塁が竣工、翌年には城郭内に御殿が完成した。しかし、乗謨が老中格・陸軍総裁の公務に忙殺され、経済的・時間的余裕がなくなり石垣工事は簡略化されるなど、未完成部分も多いとされている。



 しかし、先に完成した石垣だけは立派なもので、特に砲台下の石組は「亀甲積み」と呼ばれる六角形に加工したものなのだが、残念ながら民家と雑木に囲まれていて、確認することはできなかった。

                     佐久市教育委員会のパンフレットより
 
 正門前には立派な案内所があり、展示や土産物を楽しむことが出きる。
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その場考学との徘徊(66) 二つの五稜郭(その1 函館)

2021年08月20日 18時40分22秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(66)      
題名;二つの五稜郭(その1 函館) 
場所;函館 月日;2021.X.X
テーマ;二つの五稜郭 作成日;2021.8.20   
                                             
 日本国内に五稜郭が二つあることは、あまり知られていないようだ。私は、期せずして短期間に二か所を巡ることになった。
 二か所のうちの第一は、明治維新の戦争で有名な函館の五稜郭で、そこには、三内丸山と新たにできたウポポイの遺跡巡りのちょうど中間点で、旅のついでに拠ることになった。二か所目は、長野県の佐久で、そこは佐久美術館を訪れる途中で、偶然発見したのだった。なぜ、こんなに離れた場所なのか。この二か所の歴史を比較してみたいと思った。

 私の空の旅はもっぱらJALだ。1980年代にV2500という150席クラスの旅客機用エンジンを英米独伊と五か国共同開発を始めた初期に、大本命のANAがライバル機種を選定してから、ANAは避けることにしている。もっとも、その時代には、JALでも日英間のサービスは、週に何便かで、多くはBAやルフトハンザのお世話になった。日米は、UNITEDが多く、無料航空券で何度か海外旅行を楽しんだ。1990年頃からか、日本でも無料航空券が許されて、退職後は、年2回の夫婦での国内旅行を楽しんでいる。
 
 今回は、往路は青森へ、帰路は千歳からだった。どちらも約半年前に予約したのだが、直前に便数削減のために、出発便や座席が変更になった。

 某月某日の羽田発青森行きは、当初は9:55発で、のんびり出発のつもりだったが、7:50発に変更された。おかげで朝は少し忙しかった。空港のラウンジから見ると、遠くの滑走路脇は駐機の大群だった。



 丁度、梅雨時で途中は雲の上だったが、青森付近は晴れていた。眼下には、緑の田んぼと畑が広がっていた。温暖化で、この辺りでも良質米が収穫できるようになったのでは、などと思ってしまう。


 
 青森での寄り道の理由は三つで、開場間もない1999年に訪れた三内丸山遺跡が、ユネスコ遺産登録を控えて、どれほどの変化したか、学生時代に、旅行と学会で何度かお世話になった青函連絡船の八甲田丸(当時は最新鋭船だった)の現在の姿を見ること,大学一年生の夏休みに見た竜飛岬の青函トンネルの試掘りが完成して新幹線でくぐってみることの三つだ。 この寄り道の話は、別途するとして、今回は、三内丸山の博物館内のランチ「発掘プレート」と、八甲田丸の客席の写真の紹介にとどめる。


   この縄文プレートは、中々食べ応えがあった。

 新幹線での青函トンネル通過は、残念な結果だった。トンネル前の津軽半島内の景色と、北海道の函館までの景色は、ほとんどが防音壁にさえぎられて、何も見ることができなかった。列車内の掲示板も、トンネル通過を知らせるだけで、歴史などについては、何の説明も無かった。


 乗車駅の新青森は、駅前には何もなし、子供たちが練習用に作ったネブタが飾ってあった

 随分と回り道をしてしまったが、本題の五稜郭に移る。場所は、函館駅からかなり北に離れており、市電やバス停からも随分と歩かされる。しかし、良いバス便を観光案内所が教えてくれた、駅前発空港行きの特急バスだ。何故か、五稜郭タワー前の一か所だけ停まる。運よく、それに乗ることができた。五稜郭へ直接に行くよりは、先ずは、高い所から周辺を知っておいたた方が良い。それを知るにも好都合だった。





 タワーの周辺には、昼食をとれる店がいくつかあるが、タワー内の四季海鮮の店がお勧めだ。静かな環境での食事を楽しむことができる。



 五稜郭は、タワーからは容易に行けるのだが、立派な石垣以外には、これといった見どころは無かった。やはり、その歴史を読むほうが面白い。
幕府軍が、いかにしてこの地に到達したか。政府軍が、どのようにそこを攻略したか。タワー内の「五稜郭歴史回廊」で、十分に楽しむことができる。



 堀の中の水草も、何故か五角形だった

 五稜郭の歴史は明確になっている。箱館開港時に函館山の麓に置かれていた箱館奉行所の移転先として築造され、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に江戸幕府が崩壊。短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。わざわざ港から遠く離れた地に箱館奉行所を移転したのは、第1に,艦船からの砲撃を避けること、第2には函館山から覗き見られることを嫌ったためとある。

 特異な設計については、1855年(安政2年)7月にフランスの軍艦「コンスタンティーヌ号」が箱館に入港した際に、箱館奉行所の武田斐三郎が同艦の副艦長から指導を受け、大砲設計図や稜堡の絵図面を写し取り、この絵図面を基に五稜郭と弁天台場の設計を行ったとある。彼の記念像が五稜郭内にあった。ちなみに、もう一つの佐久の五稜郭は、その9年後に設計されている。


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メタエンジニアの眼シリーズ(186)メタエンジニアリングを始める前に

2021年08月18日 11時11分50秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(186)
TITLE: メタエンジニアリングを始める前に

 最近「メタ何々」という言葉を、新聞の紙面で時々見かける。その傾向は月刊誌では顕著で、地球温暖化や異常気象などが身近な問題として捉えられるようになり、個別ではなく全体を考えなければならなくなったことが、一つの原因と思うのだが、AIによる超ビッグデータの解析により、社会全体の状態の探求、つまりメタ視点での認識が可能になったことが主原因のようにも思える。

 そこで、MEシリーズの第24巻として、「様々なメタの研究;人文・社会学編」を書いたのだが、その間にも「メタ何々」の話はとめどもなく出てきた。そこで新たに、「様々なメタの研究;理工学・経済編」を表すことにしたのだが、一体、「メタ」という言葉は、日本の国内ではどのように広がってきたのであろうか。

 私の書架に「広辞苑(第1版)」がある。昭和30年(1955)の発行なのだが、そこには「メタ」という言葉はない。「めた、滅多、めったの略」とあるだけである。そこで、図書館で最新の第7版までの記述項目を調べてみた。14年後の第2版(1969)では、「めた」はそのままだが、「メタ言語」が登場。対象言語(何かの対象について述べる)の表現内容について述べる高次言語としているが、メタ言語も、それを対象として更に高次元のメタ言語に発展するとしている。他には、「メタセンター」(浮かんだ物体の傾きの中心) 「メタフィジーク」「メタフィジカル」「メタ倫理学」がある。大きく変わったのは第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシア語の間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。
 
 第4版(1991)では更に「メタボリズム」「メタモルファーゼ」(変身,変態)が登場した。第5版(1998)では、「メタファー」(隠喩)が追加。第6版(2008)では、「メタデータ」「メタボリック」が追加。
第7版(2018)では、更に「メタアナリシス」「メタゲノム」「メタ認知」「メタフィクション」が追加されている。やはり、21世紀になってから急激に増加したことが分かる。

 このように、「メタ」という言葉は、ここ数十年の間に大きく広がって一般社会の中に普及していった。しかし、古代ギリシャのアリストテレス直後に始まった「メタ」という概念が、西欧(つまり英語)ではMetaphysicsとして、古代から普及しだした。ちなみに、新英和大辞典(研究社[1992])第5版では、150以上の単語が羅列している。「メタ」という言葉の広範囲における使用を、日本では20世紀中半まで待たねばならなかったのは、何故であろうか。私には、ユーラシア大陸の東の端の島国という地政学的な文化が、深く影響しているように思われる。
 
 一方で、現代のほぼ全ての学問分野では、「メタ」とは反対に細分化が進んでいる。私は、逆にこのような状態が国内におけるイノベーションの停滞の一つの原因ではないかと考えて、今後も「メタ視点」からの研究を続けてゆく所存です。
 そこで、先ずは「メタエンジニアリングを始める前に」ということで、「メタ」という言葉(前置詞)をメタ的に考えてみることにした。

メタエンジニアリングを始める前に知るべき4っつのこと

その1.「メタ」の意味を知る

 先ずは、「メタ」とは何かを知らなければならない。しかし、日本語の「メタ」は最新版の広辞苑でも甚だ簡単な表現になっている。そこで、新英和大辞典(研究社[1992])第5版を参考にする。そこには、「meta-」という前置詞には次の3つの意味が書かれている。
 『1.主に科学用語で次の意味を表す:
   a「・・の後、・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. 
   b (位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis.
c「二次的・・」:metalanguage.
2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:       metalinguistics, metamathematics, metapsychology.  
3,【化学】メタ
   a 「・・の重合体[誘導体]」
b ベンゼン環を有する化合物で、1,3-の位置置換を示す』
 とある。
 
 つまり、細かくは6つの意味がある。そして、この英和辞典には「3」の科学を除いても150余りの「meta何々」が示されている。
 しかし、この150余りの英語のmeta-を見ていると、あることに気づかされる。それは、もともとmeta-に決められた定義があるわけではなく、多くの人(特に専門家)が、自分の専門分野の常識からはみ出ることや、一段上がったり、下がったりした立場で考え直すときに使った前置詞のように思えてきた。考えてみれば、辞書とはそういうもので、多くの人が使いだした新たな言葉が掲載されるわけである。
 つまり、「meta-」は、専門家が自由に使ってよいのではないだろうか。

その2.メタエンジニアリングにおける「メタ」の意味を知る

 それでは、「メタエンジニアリング」の「メタ」は、6つのうちのどれに相当するのであろうか。そもそもは、「metaphysics」から考えだしたので、(1a)の「・・の後、・・を超えた」と考える。すると、
 「通常のエンジニアリングがなされた後で、その思考範囲を超えて、改めてエンジニアリングセンスで
考え直してみる」 ということが、まず浮かんでくる。
 しかし、従来のエンジニアリングが、公害や地球温暖化の原因を創り出してしまったことを考えると、(2)の「metamathematics」と同様に、「既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名として、より包括的な工学」とすることも考えなければならない。

その3.既存のエンジニアリングの中身を知る

 この二つのいずれにせよ、メタエンジニアリングを考えるには、それに先立って、既存のエンジニアリング(すなわち、日本語の工学と技術)について、一定の知識が必要になる。さらに、長い経験と、その間に知ることができた「善と悪」についての知見が必要となる。いかなるエンジニアリングでも、悪であってはならない。ましてや、メタエンジニアリングに於いては。
 
 元祖「メタ」のアリストテレスを始め、「様々なメタ」の多くは、この「善と悪」に行きついている。
 『プラトン曰く、「悪しき魂は争いを呼ぶが、善き魂は友愛を呼ぶ。またアリストテレス曰く、「人間の魂を善くすることが、教育や政治の本来の目的である。』(中村聡一「教養としてのギリシャ・ローマ;東洋経済新報社[2021]」(p.333)というわけである。

その4.メタ思考に必要なリベラルアーツを知る

 上記の書籍は、副題を「名門コロンビア大学で学んだリベラルアーツの真髄」とあり、その序章は、次の言葉で始まっている。
 『なぜ米国の一流大学はリベラルアーツを重視するのか、リベラルアーツを習得しなければ、“メジャー”に進めない。』(p.12)

 リベラルアーツとは、一般的には古代ローマ帝国で盛んに行われた「自由七科」とされているが、現代のリベラルアーツはそれとは異なる内容になっている。発端は、1917年に米国が、それまでの孤立主義から脱して、第1次世界大戦のヨーロッパ戦線に参加したことによる。『参戦に際し、アメリカ陸軍がコロンビア大学に対して陸軍士官への教育プログラムの開発を要請した』(同上p.326)
 現代の日本でもそうだが、軍隊の司令官となり、さらに将官となるには、一般人とは各段に異なる広範囲な教育を受けなければならない。すべての歴史、総てのイデオロギー、総ての文化、総ての政党の主張などである。
 
 このシラバスは「war issue」として戦後に引き継がれたが、さらに1919年は、『戦争終結を受けて、peace issue(平和問題)、というプログラムも登場。これは後にContemporary Civilization(現代文明論)という授業に統合されました。』(同上)とある。
 これに加えて、ギリシャ・ローマ時代から近代までの名著を英訳原文で読むことで、「アメリカ式リベラルアーツ教育」が構築された。そして、現在のその教育内容は、次のように纏められている。
 『いずれも単に知識を習得することが目的ではありません。まずその成り立ちや仕組み、生まれた背景、社会との関りや人類に与えた影響まで含めて考察すること。またそれによって、私たちが生きる上で何が「善」なのか、という価値基準の土台を作ることが大事なのです。』(同上p.329)
 ここでも、最終目的(つまり、価値基準の土台)は「善」になっている。
 
 日本の大学でも、一般教養課程は存在するが、この事例と比べるとお寒い限りなのだが、この、「私たちが生きる上で何が「善」なのか、という価値基準の土台」が無ければ、メタエンジニアリングを正しく進めることはできない。

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様々なメタ(54)「メタ」語集

2021年08月01日 15時21分42秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
様々なメタ(54)
          
TITLE: 「メタ」語集

 前回では広辞苑の第1版から最新版までの推移を説明しました。その中で、「第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシア語の間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。」と書きました。そこでここでは、日本語での最新版と英和辞典での過去からの記述の違いを明確にします。日本語では、英語に比べて格段に遅れていることが分かるでしょう。

1 広辞苑(岩波書店[2018])に登場する言葉
メタ
 『①「間に」「後に」「超える」の意。
  ②[化]ベンゼン環の1位と3位に置換基を持つことを示し、記号mで表す。』

メタアナリシス
メタゲノム
メタ言語
メタセンター
メタデータ
メタ認知
メタファー
メタフィクション
メタフィジーク
メタフィジカル
メタボ
メタボリズム
メタボリック・シンドローム
メタボローム
メタモルフォーゼ
メタ倫理学

2 引用した書籍に登場する言葉

・「様々なメタの研究、人文・社会学編」(非公開)で引用
メタ日本文化論(p36)
メタ分析(メタアナリシス)(P38)
メタ推理(P57)
メタレベル(P47)
メタ・メタレベル(P47)
メタ情報(P47)
メタ存在論(Meta-ontology)(P50)
メタスターシス(p57)
メタ・メタ(p57)
メタ数学(p58)
メタ論理(p58)
メタフィクション(p58)
メタ知識(p58)
メタ記憶(p58)
メタデザイン(p58)
メタモデル(p58)
メタメッセージ(p58)
メタ法価値論(p58)
メタタグ(p58)
メタヒューリスチック(p58)
メタ構文交換(p58)
メタ検索エンジン(p58)
メタファイル(p58)
メタ思考(p69)
メタ・メタ倫理学(p86)
メタ教義(meta doctrine)(p100)
メタ宗教(meta religion)(p100)
メタ宗教性(p100)

・「様々なメタの研究、理工学・経済学編」(非公開)で引用

メタキャピタリズム(p99)
メタサイコロジー(p11)
メタフォント(p22)
メタ人物(p.25)
メタマーケット(p101)
メタマジック(p22)
メタマジカル(p22)
メタマテリアル(p16)
メタ・マネジメント(p87)
メタ物語(p.97)

3 造語として使用

・「様々なメタの研究、人文・社会学編」(非公開)で使用
メタ思想(p45)
メタワーキング(p22)
メタ指向(p30)
メタ文明論(p41)
メタインフォーメーション(p45)
メタ教育論(p52)
メタ的に(p54)
メタ宗教論(p59)
メタ思考法(p69)
メタ文学(p71)
メタ人間論(p81)
メタ哲学(p93)
メタリズム(p101)

・「様々なメタの研究、理工学・経済学編」(非公開)で使用
メタ機械工学(p35)
メタ経済学(p82)
メタ原価企画(p72)
メタ視点(p68)
メタ設計論(p55)
メタ時空論(p30)
メタ全集(p91)
メタ文明論(p49)
メタWhy(p52)

4 新簡約英和辞典(研究社[1961])

meta- (次の5項に記載)
metabolism(物質交代、物質代謝)
metacarpal(掌部、掌骨)
metacarpus(中手骨)
metacenter(傾心)
metagalaxy(認識しうる全宇宙)
metagenesis(真正世代交代)
metamer(異性体の一種)
metameric(異性の)
metamerism(体節性)
metamorphic(変化の、変態の)
metamorphism(岩石の変成作用)
metamorphosis(魔力や超自然力による変形、変態)
metaphor(隠喩)
metaphorical(比喩的な)
metaphrase(翻訳、言い換えをする)
metaphysical(難解な、超自然の、形而上学の)
metaphysician(形而上学的理論家)
metaphysicist(形而上学者)
metaphysicize(形而上学的に考える)
metaphysics(形而上学、思弁哲学)
metaplasm(語形変異)
metapolitics(理論的政治学)
metatasis(変形、変態)
metatarsus(中足)
metathesis(患部移動、音位変換)
metayage(分益小作制度)
matayer(分益農夫)
metazoan(後生動物、原生動物の上位にあるすべての動物)


5 新英和大辞典(研究社[1992])第5版で、初版は1980

meta-
 『1.主に科学用語で次の意味を表す:
   a「・・の後;・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. 
   b(位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis.
c「二次的・・」:metalanguage.
2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics, metapsychology.  
3,【化学】以下省略。』

以下は、[1961]版から追加された項目のみを示す。
metabasis(病状変化、主題転移)
metabiosis(変態共生)
metabola(変態類)
metabolic(変態する、変形する)
metabolical(変態する、変形する)
metabolic water(同化作用によって生物体内に生じた水)
metabolite(代謝物質)
metabolous(動物の変態)
metaboly(変態)
metacentric(染色体の中央部にある動原体)
metacentric height(メタセンターの高さ)
metacentric stability(初期復元力)
metacercaria(吸虫類の幼虫の変形)
metacercarial(後生花被類)
metachlamydeae(後生花被類)
metachromasia(異染性)
metachromatism(細胞科学上の染色現象)
metachronal(多足類の歩脚で一定の位相差で運動する性質)
metanathous(二様式口器類の昆虫)
metahistory(対象を一時代に限定せず、多様な時代を比較しながら共通の歴史法則を追求しようとする歴史的認識の立場)
metahistorian(上記の立場の人)
metainfective(感染後におこる)
metakinesis(細胞分裂の中期)
metalanguage(メタ言語)
metalepsis(比喩的な言葉をさらに換喩する)
metalimnion(地質の変水層)
metalinguistic(メタ言語学の)
metalinguistics(メタ言語学)
metamathematical(超数学的な)
metamathematician(超数学者)
metamathematics(超数学)
metamaeral(動物の体節)
metamorphose(一変させる)
metamorphoses(変態の複数形)
metamorphous(変化の)
metanalysis(異分析)
metanauplius(ある種の幼虫)
metanephros(後腎)
metaphase(細胞分裂の中期)
metaphloem(植物の後生)
metaphoric(比喩的な)
metaphorically(比喩的に)
metaphrast(翻訳者)
metaphrastic(直訳的な)
metaphysic(学問・研究の原理体系)
metaplasia(病理の異形成)
metaplast(後形態)
metapleuron(昆虫の後側板)
metapneustic(昆虫の後気門の閉塞)
metapodium(動物の後ろ足)
metapolitician(政治哲学者)
metaphychic(心霊研究の)
metaphychics(心霊研究)
metapsychology(超心理学)
metastability(準安定状態)
metastable(準安定の)
metastable state(準安定状態)
metastasize(転移する)
metastrongylid(肺虫科の)
metatarsal(中足の)
metatheory(超理論、ある理論を一段と高い立場から解明するのに用いられる別の理論)
metatherian(後獣亜綱の)
metathesize(置換えが起こる)
metathetical(人工的患部移動の)
metathoph(複合有機栄養生物)
metatrophic(複合有機栄養形式をもつ)
metaxylem(後生木質部)
metazoa(後生動物門)
metazoan(後生動物門に属する)
metazoea(節足動物の幼生の一種)

 なお、この辞典の最新版(2002)にも、まだMeta-engineeringの項目はない。紀伊国屋書店の話では、「辞書離れの時代なので、次版はもうないでしょう」とのことでした。

6 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF「メタ」より引用

「ある学問や視点の外側にたって見る」の用例
 「ある学問や視点の外側にたって見る」という意味はアリストテレスの著書『メタピュシカ』(形而上学)に由来しており、哲学では他にも「メタ倫理学」、「メタ哲学」等の用例がある。
 数学基礎論や数理論理学では、数学や論理学を(人工)言語とみなした上で数学的手段を用いて研究としているので、研究対象たる「数学」や「論理学」のような「言語」と、それらの研究対象を研究するために用いる「数学」、「論理学」、「言語」を分けて考える必要があり、後者をそれぞれ「メタ数学」(英: metamathematics、超数学とも訳される)「メタ論理」、「メタ言語」と呼ぶ。またメタ数学やメタ言語等に関する概念には「メタ」という接頭辞を用い、例えばメタ数学の定理を研究対象の数学の定理と区別し、「メタ定理」(英: metatheorem)と呼ぶ。より一般に、これらの例のように何らかの理論(上では「数学」や「論理学」)を研究するための理論を一般に「メタ理論」と呼ぶ。
 数理論理学をその始祖の一つとして持ち、人工言語たるプログラミング言語を研究対象の一つとして持つ計算機科学でも、「メタデータ」「メタプログラミング」「メタタグ」「メタヒューリスティクス」「メタ構文変数」「メタ検索エンジン」「メタファイル」「メタクラス」等の用例がある。
 他にも「メタフィクション」「メタ認知」「メタ知識」「メタ記憶」「メタアナリシス」「メタデザイン」「メタモデル」「メタメッセージ」「メタ法価値論」等の用例がある。

語源
 「メタ」は元来は古代ギリシャ語で「あとに」という意味で、線文字Bで書かれたミケーネ・ギリシャ語での用例が最古のものである。この元来の意味も学術用語で使われる事があり、例えばMetatheria(後獣下綱)は、生物の分類を木で表したときTheria(獣亜綱)のあとに来る事による命名である。
 「超越した」、「高次の」という意味で「メタ」が用いられるようになったのはアリストテレスの『タ・メタ・タ・ピュシカ』(古希: τὰ μετὰ τὰ φυσικά、直訳は『自然に関するものの後に』だが、通常は『形而上学』と訳される)という書物に起源を持つ。
 本書が編集された際、自然学的な著作の後に置かれた事からこの名称で呼ばれたと思われるが、後世になって本書がその短縮形『メタピュシカ』(古希: Μεταφυσικά)で呼ばれるようになるとこの本来の意味は忘れられ、「自然学を越えたもの」という意味に解されるようになった。
 オックスフォード英語辞典によれば、「~を超えて」、「~について」といった意味で「メタ」を英語で用いたのは1917年に遡り、数理論理学に関連する単語で用いられるようになったのは1929年以前である。1920年にはヒルベルトが「メタ数学」という単語を用いている。また1937年にはクワインが「メタ定理」という単語を用いている。

これだけあっても、まだmeta-engineeringは登場していない。

7 Ohio University, Russ College of Engineering and Technology

https://www.ohio.edu/engineering/about/meta-engineeringより引用
What is meta-engineering? It's about going beyond the practical application of engineering and technology. And at the Russ College, that's what our students and faculty do every day. They embrace critical thinking. They thrive on hard work and close collaboration. They're creative, able to lead, and interested in the life cycle of designs. Like all engineers and technologists, they're doers. But as meta-engineers, they're even more: They're dreamers who want to use their knowledge, passion, and skills to make a positive impact on the world.

メタエンジニアリングとは何ですか? それは、エンジニアリングとテクノロジーの実用化を超えることです。 そして、ラスカレッジでは、それが私たちの学生と教職員が毎日行っていることです。 彼らは批判的思考を受け入れます。 彼らはハードワークと緊密なコラボレーションで繁栄します。 彼らは創造的で、リードすることができ、デザインのライフサイクルに興味を持っています。 すべてのエンジニアや技術者のように、彼らは実行者です。 しかし、メタエンジニアとして、彼らはさらに多くのことをしています。彼らは、知識、情熱、スキルを使用して世界にプラスの影響を与えたいと考えている夢想家です。(Googleの自動翻訳)

8 Oxford英英辞典(オックスフォード大学出版局[2020])

 書店に並んでいる印刷された辞書の最新版は、Oxford英英辞典だった。しかし、そこにもMeta-engineeringの項目はない。僅かに7項目の「meta-」が掲載されているだけで、多くのメタは、まだネット上のことのように思われる。

                       
                                                          
                                                      

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様々なメタ(53)メタエンジニアリングを始める前に

2021年07月31日 06時49分26秒 | 様々な「メタ」、メタとは何か(公開)
TITLE: メタエンジニアリングを始める前に

 最近「メタ何々」という言葉を、新聞の紙面で時々見かける。その傾向は月刊誌では顕著で、地球温暖化や異常気象などが身近な問題として捉えられるようになり、個別ではなく全体を考えなければならなくなったことが、一つの原因と思うのだが、AIによる超ビッグデータの解析により、社会全体の状態の探求、つまりメタ視点での認識が可能になったことが主原因のようにも思える。

 そこで、MEシリーズの第24巻として、「人文・社会学編」を書いたのだが、その間にも「メタ何々」の話はとめどもなく出てきた。そこで新たに、「理工学・経済編」を表すことにしたのだが、一体、「メタ」という言葉は、国内ではどのように広がってきたのであろうか。

 私の書架に「広辞苑(第1版)」がある。昭和30年(1955)の発行なのだが、そこには「メタ」という言葉はない。「めた、滅多、めったの略」とあるだけである。そこで、図書館で最新の第7版までの記述項目を調べてみた。14年後の第2版(1969)では、「めた」はそのままだが、「メタ言語」が登場。対象言語(何かの対象について述べる)の表現内容について述べる高次言語としているが、メタ言語も、それを対象として更に高次元のメタ言語に発展するとしている。他には、「メタセンター」(浮かんだ物体の傾きの中心) 「メタフィジーク」「メタフィジカル」「メタ倫理学」がある。

 大きく変わったのは第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシア語の間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。
 
 第4版(1991)では更に「メタボリズム」「メタモルファーゼ」(変身,変態)が登場した。第5版(1998)では、「メタファー」(隠喩)が追加。第6版(2008)では、「メタデータ」「メタボリック」が追加。
第7版(2018)では、更に「メタアナリシス」「メタゲノム」「メタ認知」「メタフィクション」が追加されている。やはり、21世紀になってから急激に増加したことが分かる。

 このように、「メタ」という言葉は、ここ数十年の間に大きく広がって一般社会の中に普及していった。しかし、古代ギリシャのアリストテレス直後に始まった「メタ」という概念が、西欧(つまり英語)ではMetaphysicsとして、古代から普及したにもかかわらず、日本では20世紀中半まで待たねばならなかったのは、何故であろうか。私には、ユーラシア大陸の東の端の島国という地政学的な文化が、深く影響しているように思われる。
 一方で、現代のほぼ全ての学問分野では、「メタ」とは反対に細分化が進んでいる。私は、逆にこのような状態が国内におけるイノベーションの停滞の一つの原因ではないかと考えて、今後も「メタ視点」からの研究を続けてゆく所存です。
 そこで、先ずは「メタエンジニアリングを始める前に」ということで、「メタ」をメタ的に考えてみることにした。

メタエンジニアリングを始める前に知るべき4っつのこと

その1.「メタ」の意味を知る

 先ずは、「メタ」とは何かを知らなければならない。しかし、日本語の「メタ」は最新版の広辞苑でも甚だ簡単な表現になっている。そこで、新英和大辞典(研究社[1992])第5版を参考にする。そこには、「meta-」という前置詞には次の3つの意味が書かれている。
 『1.主に科学用語で次の意味を表す:
   a「・・の後、・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. 
    b (位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis.
c「二次的・・」:metalanguage.
2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics,
metapsychology.  
3,【化学】メタ
   a 「・・の重合体[誘導体]」
b ベンゼン環を有する化合物で、1,3-の位置置換を示す』
 とある。
 つまり、細かくは6つの意味がある。そして、この英和辞典には「3」の科学を除いても150余りの「meta何々」が示されている。
 しかし、この150余りの英語のmeta-を見ていると、あることに気づかされる。それは、もともとmeta-に決められた定義があるわけではなく、多くの人(特に専門家)が、自分の専門分野の常識からはみ出ることや、一段上がったり、下がったりした立場で考え直すときに使った前置詞のように思えてきた。考えてみれば、辞書とはそういうもので、多くの人が使いだした新たな言葉が掲載されるわけである。
 つまり、「meta-」は、専門家が自由に使ってよいのではないだろうか。

その2.メタエンジニアリングにおける「メタ」の意味を知る

 それでは、「メタエンジニアリング」の「メタ」は、6つのうちのどれに相当するのであろうか。そもそもは、「metaphysics」から考えだしたので、(1a)の「・・の後、・・を超えた」と考える。すると、
 「通常のエンジニアリングがなされた後で、その思考範囲を超えて、改めてエンジニアリングセンスで
考え直してみる」 ということが、まず浮かんでくる。
 しかし、従来のエンジニアリングが、公害や地球温暖化の原因を創り出してしまったことを考えると、(2)の「metamathematics」と同様に、「既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名として、より包括的な工学」とすることも考えなければならない。

その3.既存のエンジニアリングの中身を知る

 この二つのいずれにせよ、メタエンジニアリングを考えるには、それに先立って、既存のエンジニアリング(すなわち、日本語の工学と技術)について、一定の知識が必要になる。さらに、長い経験と、その間に知ることができた「善と悪」についての知見が必要となる。いかなるエンジニアリングでも、悪であってはならない。ましてや、メタエンジニアリングに於いては。
 元祖「メタ」のアリストテレスを始め、「様々なメタ」の多くは、この「善と悪」に行きついている。
 『プラトン曰く、「悪しき魂は争いを呼ぶが、善き魂は友愛を呼ぶ。またアリストテレス曰く、「人間の魂を善くすることが、教育や政治の本来の目的である。』(中村聡一「教養としてのギリシャ・ローマ;東洋経済新報社[2021]」(p.333)というわけである。

その4.メタ思考に必要なリベラルアーツを知る

 上記の書籍は、副題を「名門コロンビア大学で学んだリベラルアーツの真髄」とあり、その序章は、次の言葉で始まっている。
 『なぜ米国の一流大学はリベラルアーツを重視するのか、リベラルアーツを習得しなければ、“メジャー”に進めない。』(p.12)

 リベラルアーツとは、一般的には古代ローマ帝国で盛んに行われた「自由七科」とされているが、現代のリベラルアーツはそれとは異なる内容になっている。発端は、1917年に米国が、それまでの孤立主義から脱して、第1次世界大戦のヨーロッパ戦線に参加したことによる。『参戦に際し、アメリカ陸軍がコロンビア大学に対して陸軍士官への教育プログラムの開発を要請した』(同上p.326)
 
 現代の日本でもそうだが、軍隊の司令官となり、さらに将官となるには、一般人とは各段に異なる広範囲な教育を受けなければならない。すべての歴史、総てのイデオロギー、総ての文化、総ての政党の主張などである。
 このシラバスは「war issue」として戦後に引き継がれたが、さらに1919年は、『戦争終結を受けて、peace issue(平和問題)、というプログラムも登場。これは後にContemporary Civilization(現代文明論)という授業に統合されました。』(同上)とある。
 これに加えて、ギリシャ・ローマ時代から近代までの名著を英訳原文で読むことで、「アメリカ式リベラルアーツ教育」が構築された。そして、現在のその教育内容は、次のように纏められている。
 
 『いずれも単に知識を習得することが目的ではありません。まずその成り立ちや仕組み、生まれた背景、社会との関りや人類に与えた影響まで含めて考察すること。またそれによって、私たちが生きる上で何が「善」なのか、という価値基準の土台を作ることが大事なのです。』(同上p.329)
 ここでも、最終目的(つまり、価値基準の土台)は「善」になっている。
 日本の大学でも、一般教養課程は存在するが、この事例と比べるとお寒い限りなのだが、この、「私たちが生きる上で何が「善」なのか、という価値基準の土台」が無ければ、メタエンジニアリングを正しく進めることはできない。
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蓮始開(小暑の次候で、7月12日から16日まで)睡蓮とコウホネ

2021年06月27日 14時58分25秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季と72候

蓮始開 (小暑の次候で、7月12日から16日まで)
睡蓮とコウホネ(H20)


 コウホネはスイレン科コウホネ属の水草。スイレン科には8属100種類があるそうで、この仲間の水草は世界のいたる所にあるのだが、このコウホネだけは原産地が日本なのだ。なぜ、日本原産のスイレンがこのような形になったのだろうか。

 名前の由来は、川骨、河骨など根背が人の背骨に似ることであり、ワサビ状の根で地下茎が白くその所々に葉の跡が点々とあり、根茎が人の背骨に似ていて、それを川の骨に例えたところからきているそうだ。「かわほね」から「こうほね」に変化したようだ。
この写真は、井戸尻遺跡の池のもの。近辺の縄文遺跡の中で一番好きな場所だ。
 


(2021)
 ほぼ毎年訪れる「井戸尻考古館」に、昨年はついにいけなかった。最近は、大賀蓮はどこでも見られるようになり、今日は天気予報(東京は台風5号の影響で終日雨)が外れると思い、世田谷の自宅から20km弱の「府中郷土の森公園」に、この蓮を見に、ミニドライブをした。
 府中市は、かつて3人の子育てをしたところで、土地勘は十分。金持ち市なので、大きな駐車場も無料。

 ここの池には37種の蓮が植えられていて、大賀蓮はややマイナーになっている。お目当ては、「妙連」だったのだが、これは空振りだった。






 『近江妙連は,花びらの先が赤くなる通常のハス<常蓮>が八重化し,1本の茎に,花びらの数2,000~5,000枚,花の数2~12もの花が咲く特殊なハスです。
 インドを源とするハスの突然変異種で,600年以上も前(1406年,近江妙連が室町幕府3代将軍・足利義満公に献上されたという故事)から,滋賀県の田中家代々によって受け継がれて来ました。明治時代以降,68年間開花しない時期もありましたが,世界的に有名なハス博士・故大賀一郎氏によって蘇り,今日に至っています。
 また,常蓮は開花を繰り返し4日で散るのに対し,この妙連は一旦開花すると閉じることはなく,外側の花弁を少しづつ散らしながら20日近く咲いています。』Wikipediaより

 付近には、野球場がいくつもあり、少年野球の声と音が盛んに聞こえた。帰り際の多摩川遊歩道の散歩も、ベンチがそこここにあり、年寄り向きなところでもある。


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ジェットエンジンの設計技師(10)「リスクがあるから、やらない」が根本の問題 (2021.6.19)

2021年06月20日 08時08分26秒 | ジェットエンジンの設計技師
「リスクがあるから、やらない」が根本の問題 (2021.6.19)

 オリンピックの観客問題で、尾身感染症対策分科会長の発言が躍っている。「〇〇のリスクがあるから、何々が望ましい」ということで、無観客や開催地以外の観客を認めないなどと主張している。この主張は専門家としては当然のようだが、その通りに実行されることは、長年ジェットエンジンの新規開発をやってきた設計技術者としては、大いに不満だ。
 
 大型の旅客機に採用されるエンジンは、勿論飛行中に何らかの理由で作動不能になるリスクがある。だからといって、開発を止めることはない。リスクの中身を徹底的に詰めて、リスク軽減策を盛り込む。20世紀中の100年間に及ぶこの努力の積み重ねで、今日の旅客機は驚異的な安全性が保たれている。つまり、リスクに挑戦する態度を持ち続けた結果だ。
 
 福島原発事故は人災だと結論付けられている。つまり、技術レベルが低かったわけではないのだが、再稼働反対の世論は消えない。そのために人災の原因除去のことは何もやられずに、技術的な対策をどんどん積み重ねている。「リスクがあるから、やらない」から、「リスクがあるから、やらせない」になっている。だから、リスクは隠し通す、という悪循環がまだ続いている。
 日本の経済成長や、イノベーションが進まないことも、同じ原因だと思う。大企業ほど日本人の経営者はリスク回避を主張する。新たなイノベーションに賭けることは、かなりのリスクを伴う。これらはすべて、「リスクがあるから、やらない」に通じているのではないだろうか。

 なぜ、リスクの中身を徹底的に解析して、その対策を積み重ねてゆこうとしないのか。
 この問題を長い間考えてきた。いまのところの結論は、日本文化の根底にある「和を以って貴しとなす」だった。このことは、議論を徹底的に行わずに、中途半端に終わらせることを意味している。そうでなければ、和を保つことはできない。和を保つことが、総ての場面で最重要になっている。
 バイデン政権が、次々に目玉政策を打ち出している。危機管理条件下での正しい方向性と思えるのだが、日本の骨太政策は相変わらずの「良いと思えることの羅列」と評されている。いずれもが、中途半端に終わることになるだろう。

 これらいずれもが、やはり大陸の東の端にある島国という地政学的な歴史の中では、当然の文化なのだが、しかし、現代のグローバル化された世界では、その地政学は全くあてはまらなくなっているのだが、そのことが感覚として育たない。そして、「リスクがあるから、やらない」ところに、人類としての進歩はない。 
                                2021.6.19 その場考学半老人 妄言
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八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(20年前と今)コガラの巣作り 

2021年05月26日 07時45分40秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(20年前と今)       2021.5.26
小満(5月21日から6月5日ころまで)

コガラの巣作り(H21)

 この日は、本当に驚いた。到着してベランダに出ると、チーチーと鳴き声がする。見回してもなにも居ない。それは、ベランダの隅に昨年取り付けた巣箱の中からだった。コガラのヒナがかえっているようだ。




 まさか、眼と鼻の先でおきようとは思わなかったが、どうせならと、巣箱を軒先に取り付けたのだが、やはり、不在の時が長かったからなのだろう。親鳥としても、住人が突然現れても、子供を連れてお引っ越しするわけにもゆくまい。今回は、ベランダの西半分には近づかないようにしよう。

 しかし、写真を撮るのは一苦労だ。コガラは特にすばしっこい。庭に出てみると、親鳥の餌の運び方にはパターンがある。一旦 地デジのアンテナにとまり、辺りを確認してから向きを定めて巣箱に飛び込む。これならデジカメでも映せそうだ。
次の来訪時、親子の姿はすでに無かった。

 あれから12年が経過した。最近は、コガラの姿は見られなくなった。代わりに庭に常駐するのは、ジョウビタキだ。しかし、この小鳥は、地面の放浪が主で、庭の低い木にしか止まらない。巣作りは期待できそうもない。
八ヶ岳南麓の20年間は、住人の顔ぶれが随分と変ったが、それ以上に野生動物の住人が代わってしまった。もう、走り回るリスの姿を見ることはない。
 
 先日、庭の片隅の折れて落ちた枯れ枝の中に、変わったものがあった。なんと、それは牡鹿の忘れ物だった。



こんな忘れ物ならば、大歓迎なのだが、代わりに黒い玉ころも沢山おいてゆく。

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