生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(175)イスラエルとユダヤ人

2020年03月24日 16時01分25秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(175)
TITLE: イスラエルとユダヤ人

書籍名;「イスラエルとユダヤ人」[2020]
著者;佐藤 優 発行所;角川新書
発行日;2020.2.108
初回作成日;R2.3.23 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング

参照書;佐藤 優「獄中記」岩波書店[2006]


このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 最近の月刊誌には著者の佐藤 優が頻繁に登場する。その洞察力には驚かされることがしばしばある。
この書は、立ち読みで見つけて買った。ユダヤ民族の歴史に興味があることと、冒頭の「新書版まえがき」にある、ユヴァル・ハラリの「サピエンス全史」と「ホモ・ゼウス」に対するコメントが眼を引いたからであった。
 
『氏の思想は、イスラエルの歴史とユダヤ人の思想を抜きにして理解することはできない。』(pp.4)

 これは、どういうことなのだろうか。副題に「考察ノート」とある。従来の考察を纏めなおしたもののようだ。
 
 人類の悪夢は古代から現代まで変わらない3つの問題で、それらは飢餓と疫病と戦争だ。これらに対処するために人類は、生物から高等なアルゴリズムにより支配される生命体になりつつある。しかし、通常のアルゴリズムが有限の規則で成り立つのに対して、人類のアルゴリズムは無限に続くものになっている。行きつく先が「ホモ・ゼウス」即ち「人神」なのだそうだ。そこから、古代ユダヤから続くイスラエル人の思考法に入ってゆく。
 氏は、同志社大学神学研究科修士で、キリスト教の根源を原語で理解すために、外務省に入省して、東ヨーロッパで研修を受けることになった。いや、そのために外務省に入った。
 
 本文の「まえがき」には全く別のことが書かれている。
『イスラエルは通常の国民国家ではない、全世界のユダヤ人を擁護するという特別な使命を持っている。』(pp.25)
そこで比較されるのが、イスラム原理主義になる。氏は、外務省と日本のマスコミに親アラブ派(すなわち反イスラエル派)が多いことを嘆く。イスラム教徒とイスラム原理主義の根本的な違いが理解できていないためという。
現代の情報化時代には、どこの政府もついてゆけない進歩のスピードがあり、それは今後さらにひどくなる。そこで重要になるのが、全世界に張り巡らされたユダヤ人のインテリジェント集団だ。一般にイスラエルはアメリカ頼りと考えられているが、実は建国時の人口の4分の1は旧ソ連からの移住者で、しかも、彼らの移住にはソ連が強く抵抗した。彼らのインテリジェント能力を高く勝っていたからであった。彼らはイスラエルでもロシア語圏を形成し、在ロシアの著名人との連絡を保っている。

 彼らの情報網に深く入り込んでいる著者は、そこでの色々な社会問題の議論を考察している。だからこの書の題が「考察ノート」になっている。そのなかには、「杉原千畝」、「東日本大震災」、「福島原発事故対応」。「F35武器輸出三原則」、「国家安全保障会議」についての考察が特に興味を引いた。どれも、日本政府(特に外務省)や一部のマスコミの解釈とは異なったものが書かれている。

・福島第一原発事故に関するあるイスラエル人との会話(pp.176-177)
 異常事態発生直後の2日間の無策行動、発電所のインフラ破壊に対応するマニュアルの不備、事故処理部隊組織の曖昧さと総司令官不明、チェルノブイリ経験を無視などが主な論点となっており、私には、どんな報告書よりも簡潔に本質をついているように思えた。

・国家安全保障会議(日本版NCS)とイスラエル・ハイテク産業(pp.199-205)
 危機管理と国家安全保障は明確に区別され、論議されなければならないが、曖昧でインテリジェンス機能が無い。地震、台風、伝染病対策は、既に既存の専門組織があるにもかかわらず。この分野で、イスラエルのハイテク企業がどんな研究をどこまで進めているのかを知らなければならない。米ソはそこを熱心にやっている。
 
 この書には、彼の収監時代のことがしばしば出てくる。2002年5月に冤罪(彼は、親イスラエル派の排除のための外務省勢力によるでっち上げと主張)で逮捕され、収賄罪で512日間獄中で過ごした。
 その時、毎日書き綴ったノートの纏めが、「獄中記」岩波書店[2006]として出版されている。
 記録は、収監後7日目のノートとボールペンを入手した日から、毎日長文で書かれている。彼は収監と同時に、書物をできるだけたくさん読み、自身の思考を確立することに専念したそうだ。巻末には、その間に読破した100冊以上の書籍がリスト化されている。世界中の主な歴史書、哲学書、辞書の類が多いが、高校の数学の教科書6冊も含まれている。
 2冊の読後感は、こうした生き方は退職後に見習ってゆくべきだということだった。

メタエンジニアの眼(174)戦略は歴史から学べ

2020年03月11日 13時55分35秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(174)       
TITLE: 戦略は歴史から学べ
                      
書籍名;戦略は歴史から学べ[2016]
著者;鈴木博毅
発行所;ダイヤモンド社  発行日;2016.3.25
初回作成日;R2.3.10



このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。 
 
著者は、既に多くの書籍を発行しているビジネス戦略、組織論を主とする企業コンサルタント。副題は「3000年が教える勝者の絶対ルール」で、古代ギリシャに始まる、代表的な戦いの勝利の原因を探っている。歴史が証明しているので、戦略としての基本的な考えには、間違いが無いと思われる。
 その中からいくつかを紹介する。

① 強みだけでは勝てない。強みを活かせる状況をつくる
歴史上の事例は、ペルシャ帝国とギリシャ都市国家の戦争。BC490の「マラトンの戦い」で、ギリシャ軍は2倍のペルシャ軍に勝った。ペルシャ軍の強みは、騎兵と弓部隊、ギリシャ軍の強みは重装備の歩兵。ギリシャ軍は、狭い場所での白兵戦にもちこんで勝った。
 10年後の「第2次ペルシャ戦争」では、ペルシャ軍は10倍の兵力。ギリシャ軍は陸戦を放棄して、海戦にもちこんだ。「サラミスの海戦」で、ギリシャ軍は突撃型の強固な船体を造り、大船団に突撃し、勝利した。
⇒この戦略の適用事例は、富士フィルムの写真用からの撤退
  ⇒時代の変化や競合との関係により、強みの活用方法は変わる

② 機会を捉えることに焦点を合わせる
 「ガリア戦記」の中のシーザーの言葉、『成功は戦闘そのものにではなく、機会を上手くつかむことにある』(pp.48)
シーザーの機会活用の実践方法は、次の3つ
・戦場に最速で到着し、優位を占める
・必要となる物資を押さえる
・通過する場所に、強固な砦を築く
⇒ビル・ゲイツのスピード
⇒ハードの普及を見越して、ソフト作成に先回りする

③ 組織の最も弱い部分が、全体の結果を決める
 豊臣秀吉は、小牧・長久手の戦いで家康に敗れ、天下取りが危うくなった。彼は、総力戦を避けて、家康陣営の最も弱い部分を次々に落とした。
 ⇒鎖理論、鎖は最も弱いところで切れる
 ⇒制約理論、生産性の全体成果は、ボトルネックの解消にかかっている

④  適切なベンチマーキングとその応用力
秋山信之の海戦の方法。彼はアメリカで戦法を徹底的に学んだ
   ⇒ベンチマーキングの4分類(pp.212)
 ・戦略かプロセスかどちらに焦点を合わすのか
   ・組織のどのレベル(トップか下層か)に焦点を合わすのか
   ・マーキング相手は、自社内、業界内、他業界、世界レベルのどれか
   ・目的は何か、ビジネス変革か、業績評価か

    
読んでいくうちに、一つの言葉が浮かんだ。孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」が、全てに当て嵌まってしまう。要は、彼我の中身の知り方についての問題になっている。そこで思いつくのは、太平洋戦争中の日本と米軍の航空機の使い方の違い。

① ゼロ戦対グラマン
始めはグラマンの連敗だった。米軍は、南方で接収した機体を、本国の一か所の研究所に集めて、弱点を徹底的に調べた。しかし、ゼロ戦ほどの極端な軽量化は、パイロットの生命を尊重する米軍には受け入れられない。そこで考えた戦略が、高空の編隊からの急降下爆撃だった。
そのためには、均一な性能を持つエンジンが必要ということで、品質管理の方法を色々考えだして、量産に適用した。員性能がバラバラだった日本の戦闘機は、個人戦には強いが、団体戦には弱かった。



② 最近「破壊された日本軍機」という本を読んだ。米軍が詳細な記録を残しており、その管理者が書いた。総数は13000機にのぼる。驚いたのは、その多くは特攻機への改造が進んでいたということ。つまり、本土上陸が見えてくると、練習機も含めたすべての航空機を特攻機に改造して、輸送艦から上陸用舟艇に乗り移る瞬間をとらえて、特攻機による総攻撃を計画していたことが、米軍にはわかっていた。そこで、無理な上陸作戦は止めて、大規模空襲作戦に切り替えたとある。これで、どれほどの米兵が死なずに済んだか。まさに、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」だった。

日本は、当時の軍部は勿論だが、現代の企業でも、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」をそれほど重要視しているようには見えないものが多い。「高い技術力を使って、良いものを作れば売れる」主義のままのように見えるのだが。

メタエンジニアの眼(173)エクセレント・カンパニー

2020年03月02日 07時46分29秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(173)       
TITLE: エクセレント・カンパニー
                   
書籍名; エクセレント・カンパニー[1983]
著者; T.J.ピーターズ、R.H.ウオ-タマン
発行所;講談社  発行日;1983.7.18
初回作成日;R2.2.29



このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。  
 
1980年代から現在まで、夥しい数の経営指南書が発行された。しかし、この本程有名になった本はめったにない。翻訳者の大前研一が、『アメリカの130万人以上のビジネスマンがむさぼるようにこの本を読んだ・・・。』(pp.541)と書いている。
 今から読むには古すぎるのだが、20年後に同様に有名になった『ビジョナリー・カンパニー』 [1995] 
(著者;ジェームズ・コリンズ、ジェリー・ポラス、日経BP出版センター発行)の「おわりに」の次の文章が気になって、読んでみることにした。

『この本は、「エクセレント・カンパニー」などのほかの経営書とどういう関係にあるのか 。
トム・ピーターズとロバート・ウォータマンの『エクセレント・カンパニー』は過去二十年間に出版された経営書のなかで際立っており、それだけの価値がある本だ。必読書と言える。わたしたちは、本書と共通する点をいくつも見つけ出している。しかし、基本的な違いもいくつかある。』(pp.385) として、先ず調査の方法の違いを挙げている。さらに、調査結果のまとめ方についても、個々の事例を紹介するのではなく、「、基本的な考え方の枠組みにまで煮詰めた」としている。
しかし、エクセレント・カンパニーの八つの基本的特質のうち、「価値観に基づく実践の重視」、「自主性と企業家精神」、「行動の重視」、「厳しさと穏やかさの両面を同時に持つ」の四つは共通していると述べている。

 ここで、「八つの基本的特質」とは、この書の第4部「基本にもどる」のサブタイトルになっている言葉そのもので、実際には9項目ある。残りの5つは、「曖昧さと矛盾を扱う」、「顧客に密着する」、「“ひと”を通じての生産性向上」、「基軸から離れない」、「単純な組織、小さな本社」になっている。

 実はここに、二つの著書の差異が出ている。「エクセレント・カンパニー」では、全体にわたって、従業員個人との面接や経験談になっている。即ち、従業員のあり方に焦点を当てている。この場合には、型にはめずに個々の具体例をそのまま描くのが正しい。一方で、「ビジョナリー・カンパニー」が挙げた四つの共通項目は、会社としてのあり方が挙げられている。
 現代では、世の中は組織の時代から、個人の時代へのシフトが始まっているので、この書の価値は、改めて高まることだろう。
 
この書の「序」は、彼らのニューヨークのホテルでの経験談から始まる。仕事が長引いて、開店1周年のフォー・シーズンに急遽泊まることになり、予約なしに訪れた。するとフロント係が「お久しぶりです」といった。つまり、このフロント係はかつての客の顔を覚えていたことになる。これが、彼らの言う「エクセレント・カンパニー」の基本条件だった。フォー・シーズン・ホテルは、私も宿泊の経験があるが、豪華ばかりで、このような従業員がいるようには見えなかった。常連客風のビジネスマンに対する常套句だったのかもしれない。
しかし、ロンドン中心にある小さな老舗のホテルでは、同様な経験があった。日本では、オリンピックのゴルフが開催予定の霞が関カントリー・クラブが同じだった。ロッカー係はビジターでも顔を覚えており、ロッカーのカギはない。だから、この事例は、やっぱり正しい。

 つまりは、こういうことなのだ。
 『一見どうということのない普通の従業員が、ほかでは絶対に見られないようなひたむきな努力をしている姿の中に、私たちは超優良企業の謎を解くひとつの大きな鍵を見出すようになっていた。 そして、
こういう出来事がひとつだけでなく、いくつも積み重ねられていくうちに、ひとつのきわだった特徴がはっきりと浮かびあがってきた。そればかりでなく、こうした企業では、従業員のたえまない努力にまさるとも劣らず、企業業績の方も長年にわたってきわめて優秀な結果を出している、という一種の相関を見出したのである。』(pp.12)

 詳細は、すべて飛ばして巻末の「優良企業に国境はない」に移る。大前研一が9ページにわたって、当時の日米の状況を記している。この表題の意味は二つあるように思う。一つは、「エクセレント・カンパニー」の9つの基本条件には、国境がなく、各国共通ということ。当時衰退期にあったアメリカ企業向けには、多くの戦略的経営計画が用いられたが、それらでは日本と西ドイツには勝てなかった。
 そこに飛び込んできたのが、この「あまりに無邪気な本」で、「理論らしい理論もなく、分析らしい分析もない。」(pp.544)
 そこに示されたのは、「たとえば、・・・と言い始めて10社もの該当例を羅列する」、「あまりにも多くの足で稼いだ事例と、面談の引用が出てくる」(pp.544)だけであった。

 最後に、大前は次の言葉で締めている。
『日本の経営経験も、そうしたことを米国の超大企業と共通土壌で考えられる程度に大規模かつ国際 的になり、また複雑化してきている。また、日本の優秀と言われている企業でさえも、いまの時点でこのような観点から自分自身の足元を見直しておく必然性もある。戦後のいわゆる「日本経営」なるものを支えていた大前提のほとんどすべてが、行きつくところまできてしまっている。今後数年間で、日本の大企業が、アメリカ企業が七〇年代に陥ったのと同じ風土病にいっせいにかからないとは、誰にも断言できないであろう。』(pp.549)
 これまさに、「企業に国境はない」のもう一つの意味と感じられた。

余談;「序」の中に、終戦直後のBoeingのふたりの技術者の話が出てくる。それは、Boeing機がレシプロからジェットエンジンへの転換期の秘話になっている。ジェットエンジンの設計技術者としては、興味深い話であった。