生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

再び、そのときその場のために働くのか?

2023年08月03日 08時08分53秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(23)      KME899 
         
 定年退職後の10年間は、どっぷりとメタエンジニアリングに嵌まってしまった。その結果、最近のその場考学では、「その場でメタエンジニアリング思考」が習慣となってしまった。そのいくつかを紹介してゆこうと思う。

題名;再び、そのときその場のために働くのか?

 ヒトが勤勉に働くのは「よりよく生きよう」とする本能のためと言われている。ヒト以外の動物は、「生きようとしている」が、「よりよく」とは考えていない。その違いが、様々な技術を獲得し、それらを改善し続けて最終的には文明社会が成立した。
 人類学者によれば、ヒトがこの世に生まれたのは600万年前で、そのうち599万年は、いわゆる狩猟採集生活をしていた。この期間は、食物の保存や定住生活ができずに、ヒトの働きは「そのとき、その場」のためだった。しかし、農耕や稲作が始まると一転する。稲を作ったり、家畜を育てるための労働は、「将来の期待のため」になる。現代社会での、一般社会人の労動、子育て、子供の勉強なども、みな「将来の期待のため」になる。 (長谷川真理子、巻頭言、Voice Apr.2022より)

 しかし、右肩上がりの世界が終わり、持続性が精一杯で、悪くすると住環境が悪化する世界では、どうであろうか。「将来の期待のため」という働きが、マイナスになる危険性がどんどん増してくる。すると、「そのとき、その場のために行動する」傾向に戻ることになる。最近の、ちょっとした犯罪のニュースを見ていると、その感が強くなる。

 生活水準が一定以上になると、合計特殊出生率が低下するのは、このためとの説が有力になっている。経済的に苦しいので子供を作らないというのは、つまり、経済的に余裕ができれば子供を作る、ということなのだが、現代文明下の社会には、どうも当てはまらない様に思う。このように考えてゆくと、最近の少子化対策は、おおいに疑問だ。

 動物は、常に「そのとき、その場のために行動する」のだが、ヒトも599万年間はそのように暮らしていた。「将来の期待のために行動する」のは、600分の1か、それ以下の期間でしかなかった。
件の「巻頭言」は「勤勉さは、私たちをこれからどこへ連れて行くのだろう」で結ばれている。

 話は変わるが、ネアンデルタール人が絶滅して、ホモサピエンスという人類だけが現在まで生き続けているのはなぜか、という問題がまだはっきりと解決していない。最近の遺跡の調査では、ヨーロッパ南部での共存期間は、約1万年も続いていており、その間には、文化的な交流があったという学説が有力のようだ。従って、一方的に攻められて絶滅したという説は成り立たない。
 
 当時の気候変動は現代の比ではなく、寒冷化も温暖化も強烈だった。そこで、最終氷期の初期に絶滅したと考えられるネアンデールタール人の社会が、「そのとき、その場のために行動する」もので、ホモサピエンス社会は、「将来の期待のために行動する」という説が浮上してくる。
「将来の期待のために行動する」社会でないと、寒冷化も温暖化も乗り切れずに絶滅の危険がある。

なぜ、ヒトだけの脳細胞や脳神経が異常発達したのか

2023年07月31日 07時32分11秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(22)  KME904          
 定年退職後の10年間は、どっぷりとメタエンジニアリングに嵌まってしまった。その結果、最近のその場考学では、「その場でメタエンジニアリング思考」が習慣となってしまった。そのいくつかを紹介してゆこうと思う。

題名;なぜ、ヒトだけの脳細胞や脳神経が異常発達したのか

 
 ダーウインの進化論は、一般の生物には当てはなるようだが、人類の進化についてはミッシングリングを含めて、うまく説明がつかない。また、宗教上の理由などから、全く否定する人も多数存在する。 そこで、いくつかの文献を調べた結果、思わぬ結論に達してしまったので、その経過と結果を示す。

 前回(21)では、以下のように結論づけた。
 『・人類(ヒト)は、10~20万年前に生物として二つの独特な進化(脳の拡大、10本の手の指を独立して動かす)をとげ、以降は身体の進化を次々に外部化することに成功した。
 それは、文化(狩猟、農耕以降のあらゆる技術などを含む)であり、すべての文化はイノベーションによって維持・発展され続けている。
・しかし、すべての機能の外部化は、生物としての身体の諸機能を低下する傾向にある。
・ヒトによる創造は、エンジニアリングにより発現した人類の生物としての生存能力の進化形態のひとつであり、霊長類の中でも特異なものである。
・人類はエンジニアリングという能力を身につけたために、その創造物によって、疑似進化をすることが可能になった。
・創造物による疑似進化の例;眼の進化、声の進化、消化器官の進化、足の進化など。
・疑似進化は、ダーウインの進化論に比べて、進化のスピードが驚異的に早い。』

 しかし、これだけでは、「なぜ、ヒトだけの脳細胞や脳神経が異常発達したのか」という根本的な原因の説明にならない。そこで登場したのは、「古代ゲノム学」だ。
 ゲノム解析は、例えばヒトゲノムは30億個の配列で決められており、21世紀初頭には4000万ドルかかったが、現在のコストは、その約4万分の1になっているといわれている。さらに、ネアンデルタール人のDNAまで解読が可能になった。

それらと他の霊長類のDNA解析結果から、面白いことが分かってきたという。(日経新聞2023.7.2)
それは「脱字」と呼ばれている。通常の動物にあるDNAのうち、約1万個がなくなっていることが分かった。それらのDNAの役割を解析してゆくと、そのうちの800個は、ある働きに対して、ブレーキを弱めるもの、アクセルを強めるもので、しかも神経細胞の遺伝に関するものだった。

 この結果、霊長類の中で、ヒトだけが神経細胞を異常発達させてしてしまった。つまり、ヒトの遺伝子は脳と身体がアンバランスになってしまったことによって、世にも不思議な生物として進化し続けている、という結論になる。                その場考学半老人 妄言

ダーウインの進化論をメタ思考する

2023年07月16日 07時40分23秒 | その場考学のすすめ
その場でメタエンジニアリング(その6)  KME901          
 定年退職後の10年間は、どっぷりとメタエンジニアリングに嵌まってしまった。その結果、最近のその場考学では、「その場でメタエンジニアリング思考」が習慣となってしまった。そのいくつかを紹介してゆこうと思う。

題名;ダーウインの進化論をメタ思考する
 
 ダーウインの進化論は、一般の生物には当てはまるようだが、人類の進化については、ミッシングリングを含めて、うまく説明がつかない。また、宗教上の理由などから、全く否定するヒトも多数存在する。そこで、いくつかの文献を調べた結果、思わぬ結論に達してしまったので、その経過と結果を示す。

文献とその要旨;

① 太刀川英輔著「進化思考-生き残るコンセプトをつくる」英治出版(2021)
・創造は進化を模倣している
「疑似進化能力」;身体の一部を進化させるために道具がつくられた
     (例)目=顕微鏡、望遠鏡、声=拡声器、消化器官=調理法、冷蔵庫、足=靴、乗り物
・創造とは、言語によって発現した「疑似進化」の能力である

② 今西錦司全集(第9巻)講談社(1994)
・人間と生物を区切る考えを止め、進化の過程において生成されたとみると、無関係でなくなる
・なぜ、進化の過程で文化を創り出すことになったのか
・必要な前提条件として道具がつくれるだけの潜在能力が必要
・他の生物との違いは、一時的な間に合わせではなく、永続性のあるものを作る(なぜ作れるのか?)
・最初の道具は武器
・自然環境が変わり、武器無しでは絶滅してしまう状況に
・従来通りに身体を造りかえてから始めたのでは、急場に間に合わない
・生物は、原則的には同じ属ならば、みな同じ形態を持ち、同じ機能をあらわす。
・武器つくりで成功した人類は、その後も、もっぱら身体外的な進化、すなわち文化の進化を追うことになった。

③ ジョセフ・ヘンリック著「文化がヒトを進化させた」白揚社(2019)
・人間の消化管は有毒な植物を無毒化する機能が貧弱なのに、ほとんどの人間は有毒植物と食用植物を見分けられない
・身体の大きさが同じくらいの哺乳動物に比べて、人間の腸はあまりにも短いし、胃も歯も小さい
・猛獣が棲む酷暑のアフリカで、なぜ発祥し、生存し進化できたのであろうか
・文化として受け継いできた知的スキルやノウハウを奪われると、どうにもならなくなる。(生まれつき火のおこし方も解らない)
・ヒトという種が文化への依存度を高めながら進化した種だからなのである(p.21)
・文化とは、習慣、技術、経験則、道具、動機、価値観、信念など、成長過程で他者から学ぶもの
・文化進化の産物(火、調理法、切断用具、衣類、身振り語、投槍、水容器)がヒトの脳や身体に遺伝的な変化をもたらした
・幼年期と閉経後の生存期間が長くなり、文化を習得したり、伝えたりする機会ができた
・身体のあらゆる部分の遺伝的変化をもたらしたのは、文化である
・大きな脳、速い進化、遅い発達
・脳容積の拡大は、20万年前に停まった
・脳は、シワを増やして表面積を大きくし、神経細胞どうしの連絡を密にし、誕生後にも急速に大きくすることができる
・消化機能の外部化―食物調理
・文化は、遺伝子には手を加えなくても、ありとあらゆる方法でヒトの脳や身体の機能を変化させることができる


これらのことをメタエンジニアリング的に拡張解釈する;

・人類(ヒト)は、10~20万年前に生物として二つの独特な進化(脳の拡大、10本の手の指を独立して動かす)をとげ、以降は身体の進化を次々に外部化することに成功した。
 それは、文化(狩猟、農耕以降のあらゆる技術などを含む)であり、すべての文化はイノベーションによって維持・発展され続けている。
・しかし、すべての機能の外部化は、生物としての身体の諸機能を低下する傾向にある。
・ヒトによる創造は、エンジニアリングにより発現した人類の生存能力の進化である。
 一般に、動物の進化とは、生存競争に勝つために、そのための必要能力を高める方向に進化してゆく。
ところが、ヒト以外の動物は、エンジニアリングの能力が無いために、自分自身の体の一部を進化させなければならない。これには、膨大な時間を要する。しかし、人類はエンジニアリングという能力を身につけたために、その創造物によって、疑似進化をすることが可能になった。
・眼の進化;敵を素早く発見するために、動物の目は進化をした。しかし、人類は顕微鏡や双眼鏡により、小さな物や遠くの物を発見できるようになった。
・声の進化;遠くの仲間に危険を知らせるために、また、敵を威嚇するために、動物は独特の発声をする。そして、その発声を明確かつ大きくするように進化してきた。しかし、人類は拡声器により、その進化を獲得した。
・消化器官の進化;動物は、自身の体がより強固になるような消化器官を進化させてきた。人類は、それと同等な進化を調理法の開発や、冷蔵庫を創造することで、短期間に進化させることができた。
このことは、消化機能の外部化といわれる。
・消化機能の外部化は、エンジニアリングによる調理器具の進化と、おいしいものを調理するというテクノロジーの進化により達成された。
・足の進化;動物は、敵から逃げるため、または敵を捕らえるために足の能力を進化させてきた。人類は、様々な乗り物を発明して、その能力を獲得した。また、悪路を長時間移動する必要のある動物の足の裏は進化させてきたが、人類は靴を発明して、その能力を獲得した。

このように考えてゆくと、「ヒトによる創造は、エンジニアリングにより発現した人類の種としての生存能力の進化である」から「ヒトによる創造は生物の進化そのもので、大自然の現象のひとつ」との結論になる。



その場考学的働き方改革 その場考学のすすめ(23)

2023年02月22日 07時31分14秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(23)    2023.2.22     
TITLE: その場考学的働き方改革


 働き方改革が叫ばれて久しいが、日本のそれは、効果がはっきりと表れていない。それは、業務内容の価値解析が行われていないためだと思う。
 昔から、新規開発の設計部隊は人手が足りないことに決まっている。程度の差こそあれ、多くの場合は「業務内容の価値解析(VE)」がやられていないことが多い。VE手法は、原価改善としては日本に定着をしているのだが、応用範囲が広いことに気が付かれていない。
Value Engineeringは、工学の基本の一つなので、是非教養学科の必修科目にしてもらいたいものだ。

その場考学的手法による応用例を示す。

手順1 業務内容を分類する
 VE的な考え方で、組織全体としての業務を分類する。
 (1)基本機能    設計なら設計図を書くこと。品質管理部門ならば品質監査を行うこと。
 (2)補助機能1  (必須のもの)現場との調整、専門家会議、設計審査,客先調整
 (3)補助機能2  (必須でないもの);雑務、報告書の作成等
  VEとは良くしたもので、負荷時間の分析をしてみると大体3分の1ずつになる。
   
手順2 補助機能のうち、半分を目処に切り捨てる
 VE的には、補助機能の半分は本来必須ではなく、自己満足や他人を押し測って加えられているものである。このことを念頭に半分を目処に切り捨てる。このとき他部門との折衝が困難だが、最終目的完遂の為に相手を説得すること。説得もVE的な考え方で説明を試みること。先ずは切り捨てが先で、さもなければ基本機能を確実に行うことが不可能になるとの認識が大切である。

手順3 業務内容のトップダウン分析を行う
 全体の工数(人数 X 200時間/月など)をVEのトップダウン分析手法で割り付ける。
例えば「会議」は全体の8%で20人の組織なら月に200X20X0.08=320時間となる。これは、個人単位ではなく(人によって、業務担当内容が異なるので)組織全体の数字として管理する。業務内容は、3桁の数字で表す。それぞれの桁は、大分類(機種など)、中分類(業務内容)、小分類(注目作業)とした。

手順4 全ての業務に番号をつける
 大分類、中分類、小分類の3つのカテゴリーに分けて、それぞれに数字を充てる。すると、全ての業務は3桁の数字で表すことができる。この数字を統計処理する。

手順5 サンプリングで一ヶ月のデータを採る
 例えば、会議時間が全員の累積値で何時間になるかのデータを採る。精度は大まかで良いので、くれぐれも全員の全時間のデータを採ることなく、サンプリング手法を適用すること。サンプリングの頻度や方法は、組織の大きさや内容によって様々になる。私の場合は、70人で週に2回、ある時刻の前後1時間の中での業務番号(3桁の数字で表す)を自分で記録する。
「会議」は大分類5なので、全体の何%かは、ほぼ瞬時に分かる。

手順6 月ごとの業務の価値分析をする
 もし、会議時間が12%であれば、8%に対して会議にかける時間の価値が66%しか無いことになる。業務ごとの価値が数字として現われる。

手順7 価値の低い業務から改善する
 会議時間の価値を66%から100%以上にする対策を立案して、実行する。会議の数を減らすなり、出席人数を減らすなり、開催頻度を減らすなり、論理的な数値目標値があるので立案は比較的簡単なものになる。

手順8 結果を広く公表する
  データ分析の結果と、その結果行った業務価値改善のプロセスを可視化して全員に十分に説明する。

手順9 5年以上は続ける
 精度は粗くてよい。要は、各業務の時間価値が高いか低いか、最終目的を現在のリソースで達成するために必要な改善内容は何かが数字で分かれば良い。少々間違ったデータでも、改善案が正しければ問題は無い。長く続けると(小生は、設計課長時代7年間続けた)数字は安定してくるし、危ない兆候が見えてくる。
例えば、「業務の標準化」は1%から2%の間が良い。1%を切る期間が数ヶ月間続くと標準化は出来ないことが分かってくる。

 この手法は、一時期他部門でも応用を試みたようだが、成果は見られなかった。私は、次の品質保証部長時代にも、当初からこの手法を用いた。品詞保証部の当時の基本機能は社内諸部門の品質オーディット(監査)だったが、それが数年間満足に行われていなかった。雑用が多く、それに欠ける時間が不足していたためであった。事態は初年度から完全に改善された。

 やはり、価値解析 (Value Engineering) 手法の基本が分かっていないと、応用は失敗することが多い。従って、「Value Engineeringは、工学の基本の一つなので、是非教養学科の必修科目にしてもらいたいものだ」という結論になる。





その場で散歩の大中小(その場考学のすすめ19)

2023年01月17日 14時38分22秒 | その場考学のすすめ
その場で散歩の大中小(その場考学#43)

 最近の私の日課は、パソコン作業と散歩の繰り返しになっている。体と頭の健康維持が目的なのだが、散歩の距離は、その場で考えることにしている。過去1年間の平均歩数は、今現在6384歩になっているが、いつまでこの数字が維持できるだろうか、興味が湧く。
 
 散歩の語源が眼に入った。中国の三国時代の末期で、曹操が魏を起こし、後漢の帝位を奪って息子に跡を継がせていた頃だった。その帝位を、司馬仲達が自分の子か孫の時代に奪わせて晋を興こす画策中のことらしい。当時のある高名な文官が読書漬けで、今のドラッグのように五石散なる、ある種の麻薬を常用していた。ところが、毒気を散らすためには歩かなければならず、このことから「散歩」という言葉が生まれたと、ある書物にあった。つまり、散歩は学をする者の必需品だった。

 「人生の極意は―散歩の歴史と本質を探る」(サライ 2021.4月号)の記事では、散歩の有名人として、鴎外、漱石と並んで、ベートーベン、カント、ダーウイン、西田幾多郎が挙げられている。いずれも散歩中に色々なことが頭に浮かび、世の中にある種の革命をもたらした。それぞれの逸話が面白い。

 その中で西田幾多郎は、京大に在籍中に散歩を繰り返したのだが、それを小散歩、中散歩、大散歩に分けていたそうだ。そして、中散歩が有名な哲学の道になっている。

 私の小散歩は、5000歩未満。中散歩は7000歩程度、大散歩は15000歩以上になっている。その組み合わせで、前出の年間平均歩数が維持されている。
中散歩は、二つ先の駅前の本屋か、市街外れのブックオッフ店の往復の歩数で、その度に余計な本が増え続けている。
最近の大散歩は、府中の大國魂神社での初詣の最中に思いついた。天気が良いので、高尾山の薬王院まで足を延ばすことにした。片道はケーブルカーに頼ってしまったが、大散歩になった。中腹からは、スカイツリーがはっきりと見えた。



 過去の大散歩の記録は、ボストンのMITの教授に招かれた時で、ガスタービン・ラボのすべての設備を案内された後に、ポスドクが川を渡ってボストン公園を案内してくれた日だった。そのまま市内のホテルに戻り、夕食時の歩行を併せて4万歩以上だった。ちなみに、マラソンの42.195kmを1.5メートルの歩幅で走破すると28000余歩になる。

その場考学のすすめ(18) その場考学的 F+ f

2022年08月23日 13時12分28秒 | その場考学のすすめ
TITLE: その場考学的 F+ f

 夏目漱石全集の第9巻は丸一冊で「文学論」が語られている。漱石が、英国留学中に読んだ様々なジャンルの文学について、実例を引用しながら体系的に述べたもので、内容は、次のようになっている。

 『「文学論」は全体を次の5編に分けて構成している。(1)文学的内容の分類,(2)文学的内容の数量的変化、(3)文学的内容の特質、(4)文学的内容の相互関係,(5)集合的F.
 第一編の書き出しに「凡そ文学的内容の形式は (F+f)なることを要す」という漱石理論の基本原理が示されている,ここでFは人の意識の流れにおいて,ある時間その焦点をなしている認識的要素(知的要素),fはそれにともなう情緒的要素を意味している。』(②p.168)

 『そのことを激石は次のように述べている。凡そ吾人の意識内容たるFは人により時により、性質に於て数量に於て異なるものにして,其原因は 遺伝,性格,社会,習慣等に基づくこと勿論なれぱ,吾人は左の如く断言することを得べし,即ち同一の境遇、歴史,職業に従事するものには同種 のFが主宰すること最も普通の現象なりとすと。 従って所謂文学者なる者にも亦一定のFが主宰しつつあるは勿論なるべし。』(②p.168)

  この記述は非常にわかりにくいので、巻末の注解を頼ることにする。そこでの「F」についての記述は、このようにある。
 『Fは、FocusまたはFocal point(焦点)であろう。ある場合にはFact(事実)と考えられることもある。fは、feeling(感情)であろう。漱石は、文学とは人間のf=感情・情緒に基礎を置くものであって、いかなるF=意識の焦点または観念も、感情を伴わず、情緒を喚起しないならば、文学の内容にはなりえない、というのである。』(①pp.550-551)
つまり、漱石はFから発してfにゆくストーリーを本格的な文学としている。

「文学論」
 ① 著者;夏目漱石 発行所;岩波書店 発行日;1966.8.23
 ② 著者;立花太郎 科学史研究 KAGAKUSHI 1885 pp.167-177
 
このことは、2019.11.12の次のブログに示した。
 https://blog.goo.ne.jp/hanroujinn67/e/4eeecc3da0c78d582ff1be1b94c1518c

 この「F+f」は、実はその場考学に通じる。その場考学は、常に「F」(目の前の事実、Focal point、焦点)が起点となる。そこから直ちに様々な方向に思考と実行が始まる。

 そこで、その場考学的「F+f」について考えてみる。

「F」;目の前の事実、Focal point、焦点

「f」; その場考学の第一目標は、その場の限られた情報から、できるだけ早く正しい判断をすることで、早くても、間違った判断では、その場はしのげても新たな問題を引き起こしてしまう。そのような観点から「f」を探すと、実は、これには驚くほどの分野が存在する。英和辞典の索引順に追ってみることにする。

 fabricate; その事実の構成を考える ⇒正解が早くわかる
facilitate; 容易にしてから促進する  ⇒その場で始められる
 factor; その事実の要因を探る   ⇒正解が早く見つかる
 failure; 過去の失敗や知識を活用する  ⇒正解が早くわかる
 fairly; 正しさ、公正さ、十分かを知る  ⇒正解が早くわかる
 faith; 信頼、信念を念頭に考える ⇒素早い行動が容易になる
 fake; 捏造か否かの即判断をする  ⇒正解が早くわかる
 familiar; よく知られていることに関連付ける  ⇒正解が早くわかる
 fancy; 想像力と空想力を働かせる ⇒正解が早くわかる
 fantasy; 空想力を働かせる    ⇒正解が早くわかる
 farseeing; 遠目を利かせて、先見の明を求める ⇒正解が早く見つかる
 fascinate; 人を魅了するものは何かを考える  ⇒素早い行動が容易になる
 fashionable; 流行と関連付ける  ⇒素早い行動が容易になる
favorable; もっとも都合の良い解決は何か  ⇒素早い行動が容易になる
 feat; 手際のよい行いを目指す         ⇒素早い行動が容易になる
 feeling; 感覚を重視する ⇒正解が早く見つかる
 fellow; 常に仲間の存在を意識する ⇒素早い行動が容易になる
 fervor; 熱情を以って、事に当たる ⇒素早い行動が容易になる
 fictional; 虚構か否かを見定める ⇒正解が早く見つかる
 field; 領域や分野を定める     ⇒正解が早く見つかる
 fifth; 五感を目いっぱい働かせる  ⇒正解が早く見つかる
 figuration; できるだけ形態を整える   ⇒素早い決断が容易になる
 file; その場でファイリングする     ⇒素早い決断が容易になる
 finality; 最終的にどのようになるかも、同時に考える  ⇒正解が早くわかる
 finding; 潜在するものの発見       ⇒正解が早くわかる
 first; まず最初にやるべきことを絞り込む ⇒正解が早くわかる
 fix; とりあえず、観念を固定する     ⇒正解が早くわかる
 flair; 技術者としての第六感、直感を信じること  ⇒正解が早くわかる
 flash; ひらめきを捉える             ⇒正解が早くわかる
 flexible; できるだけ柔軟に考える ⇒正解が早くわかる
 flow; 流れを掴む         ⇒素早い行動が容易になる
 fluctuate; 波動を掴む       ⇒素早い行動が容易になる
 focalize; 焦点を絞り込む     ⇒正解が早く見つかる
 following; 次に続くものは何かを考える   ⇒正解が早くわかる
 for; 何のためかという目的を明確にする   ⇒正解が早くわかる
 forecast; 常に、次回があることを予測する  ⇒正解が早くわかる
 formalize; できるだけ形式を与えて、次回に備える ⇒正解が早くわかる
 foundation; 土台をきちっとしておく ⇒正解が早くわかる
 fractionize; 複雑なことは、分解して小分けする  ⇒正解が早くわかる
 framework; 下部構造を把握する  ⇒正解が早くわかる
 free; 束縛されない自由を保つ   ⇒素早い行動が容易になる
 frequent; 似たようなことは、しばしば起こっている ⇒素早い行動が容易になる
 furnishing; 備え付けのものを準備しておく ⇒素早い行動が容易になる
 future; 未来を意識する ⇒正解が早くわかる

・新宿区立「漱石山房記念館」にて ―その場考学の実践(2022.8.21)

 この稿を書いている時に、たまたま漱石山房記念館で、「テーマ展示、夏目漱石 草枕の世界へ」というチラシを見た。当日には学芸員と専門家によるギャラリートークがあるので、急遽出かけることにした。幸いに酷暑が一時的に和らいだ日だった。


 2階の展示には興味をひくものがいくつかあったが、特に英訳本に興味を持った。漱石の難解な文章を平易な英語に訳している。その場で、私はある本の題名が気になった。「Three cornered world」とある。一体、これはなんだ?
 学芸員説明の後で、この題名の意味を質問したのだが、専門家も含めて「不明」とのことだった。私は、続いて上映された30分間の原文と絵による全文の画面を見ながら、この英語名について考えることにした。
 


有名な、草枕の書き出しはこうである。
 『山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角かどが立つ。情に棹さをさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』
 そして、全体のストーリーは漱石自身が云うように、「事件も発展もない通常の小説ではない。美の感覚を残すのみ」であり、一人の画家が、数日間熊本の田舎を歩き、滞在先などで数人との会話を交わすだけの内容になっている。文中には、漱石の絵画論と文明論が語られている。つまり、漱石としては、「住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」を強調したわけで、その部分が好きで、通読した経験があのだが、やはりこの英語の題名には心当たりが全くなかった。


 
 物語の画面を見ていると、ある答えが直ぐに浮かんだ。それは、冒頭の文章にあるそのものずばりではないだろうか。
 「に働けばが立つ。に棹さをさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
 この赤字の「智、情、意地、角、人の世」を単純に英語にしたのだ。しかも、この題名は「Kusamakura」などという英語よりは、明らかに欧米人好みにも思える。

 なぜ、学芸員も専門家も気が付かないことが、数分で分ったのか、それはその場考学のお蔭のように思われる。
 この場合、前述の「F」は草枕の全文である。それでは「f」はなんであろうか。それを考えてみた。
すると、その場考学的「f」のいくつかを組み合わせていたことに気が付く。
 
 focalize;焦点を絞り込む ⇒正解が早く見つかる ⇒Threeに注目する。3つとは何を指すのか
flow;流れを掴む ⇒素早い行動が容易になる ⇒前文、本文、最後の文章のどの部分か?
flexible;できるだけ柔軟に考える ⇒正解が早くわかる ⇒どうも、本文には該当しない
 following;次に続くものは何かを考える ⇒正解が早くわかる ⇒では、奇妙な前文にあるのでは?
 for;何のためかという目的を明確にする ⇒正解が早くわかる ⇒英語の題名は、前文の理解を助けるため。

と云うことになる。その場考学は、色々な場面で役に立つ。だから面白くて、40年間も続いている。

その場考学のすすめ(17)自分がデザインしたものに乗るときの感覚

2020年04月28日 11時14分34秒 | その場考学のすすめ
その場考学研究所  
その場考学のすすめ(17)
TITLE:自分がデザインしたものに乗るときの感覚

 JR東日本の「大人の休日CLUB」(R2.5)に著名な工業デザイナーの奥山清行氏の記事があった。最近の彼は、もっぱら鉄道車両のデザインで有名で、「四季島」、「SL銀河」、「山手線」、最新の「サフィール踊り子」の名前が挙がっている。過去には、ポルシェやフェラーリのデザインで有名だったが、日本の自然への見直しと地方活性化のために山形在住を決めたそうだ。
書き出しには、このようにある。
 『自分がデザインした列車に初めて乗るときには、いつもドキドキする。デザイン上の列車は静止画ですが、実際にそれが走り出すと、外の景色とともに社内の様子がどんどん移り変わって、まるで命をを吹き込まれたように感じます。』

 その時、同じ感覚を思い出した。それは約30年前に、私がデザインしたジェットエンジンを搭載した飛行機に初めて乗った時だった。そのA320機は、日本でも多く飛んでいたが、全てエンジンはライバルのGE製だった。欧米では互角だったが、なぜか日本では採用されていなかった。当時の私は、日英米を行ったり来たりで、その時はボストンからロスへの途中だった。

 海外出張の航空券は、距離が長いので、少々寄り道をしても、運賃は変わりない。私は、土曜日のフライトを、ボストン⇒シカゴ⇒テキサスの某地⇒ロスに変更した。シカゴ⇒テキサスの某地の機体が、V2500エンジン搭載のA320だったからである。このルートは、当時の短距離用A320としては、ぎりぎりの航続距離で向かい風だと行きつけるかどうか、私にはわからなかった。
 エンジンの開発中にテストセルでの運転は嫌と云うほど見てきたが、搭乗するのはまさに「自分がデザインした列車に初めて乗るときには、・・・ドキドキする」だった。前方の窓際の席を注文して、機体はいよいよ滑走を始めた。

その場考学(17)

 この記事を読んで、その場で浮かんだのは、知覚と感覚についてだった。その時の彼は、視覚と聴覚でドキドキを経験した。私の場合は、聴覚(エンジン音)と体感(エンジンとそれとれ振動する機体の振動)だった。
 
 人間には、五感と第六感がある、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚そして知覚だ。つまり、それぞれの担当器官が覚醒する。では、体感は「なに覚」なのだろうかという疑問だった。体感の意味は「暑さ・寒さ・痛み・飢え・渇き・性欲・吐きけなどの感覚」と辞書にはある。振動を感じるのは重力変化なのだから三半器官なのだろう。振動は周波数の低い音なのだから、聴覚の一種と考えられなくもない。
 
 人類は、知覚を発達させたために、多くの感覚が劣化され続けていることを、長い歴史を知るたびに痛感する。現代の知覚はより多くの刺激を与えてくれるのだが、その代償は、将来どのような形で表れてくるのだろうか。生物体としての進化のスピードは、現代の様々な知覚の増加には付いてゆけないことは自明だ。


その場考学のすすめ(16)のぞみ号の台車の亀裂問題

2018年07月16日 20時24分03秒 | その場考学のすすめ
TITLE:のぞみ号の台車の亀裂問題

H29年12月に、JR西日本の「のぞみ」で 破壊寸前の台車の亀裂が発見されて、大問題になった。大事故に至る明確な兆候を見逃していたのだから、大問題になるのは当然だった。半年後に、運輸安産委員会の報告結果がH30.6.28の日経新聞の一面に掲載された。それによると、「車両の記録装置に車体を支える空気バネのデータが残されており、発覚前日のデータでは、その日の午後から荷重が急激に減少して、車体のバランスが崩れていたことが分かった。」としている。そして、「データを常に監視していれば、異常を早期に察知できる可能性がある」としている。つまり、データ上は前日から明らかな異常が示されていたのだった。         。

 この事実には驚かざるを得ない。航空機に搭載されたエンジンでは、飛行後に多くのデータを解析して、異常の有無を確認してから、翌日の飛行に備えることが、はるか昔から行われている。数年前からは、これらがリアルタイムになり、飛行中のエンジンの状態を常時監視することが行われている。

 すべての材料と加工にはばらつきがある。それは、ある確率では設計寿命の半分以下でも破壊が進行することがあり得る。そのためのデータ収集だと思われるのだが、実際には役に立っていなかった。原因は何であろうか。このような事件や事故が起きるたびに、私は、もっとも上流の設計者が原因と考えることにしている。

 この場合、設計者は台車の亀裂がどのような事故に繋がるかは念頭にあり、そのうえで強度や寿命を満足する台車の諸寸法の設計を行った。さらに、それを支えるバネのデータ収集も行う措置をした。設計の作業は、そこで終わっているように思われる。しかし、それでは設計機能の半分しか果たしていない。つまり、「FMECA」を行っていない。「FMECA(Failure Mode Effective and Criticality Analysis) 」とは、安全性に関わる部品が、何らかの条件(いわゆる想定外)で設計寿命を満足できなかった場合に、どのような事故に繋がるのか、その事故で想定される被害を少しでも軽減する方策は何であろうかを考えて、その結果を、改めて設計に盛り込む作業である。いわば、Design Reviewの最終段階のものなのだが、残念ながら、日本ではこの作業は通常は行われない。通常は、「FMEA」と呼ばれる解析作業どまりになっている。つまり、「Criticality」をとことん追求しない。
 
このことは、日本人の「安全神話」文化が大きく影響していると思っている。危険なことを考えること自体が危険であると思ってしまう文化だ。設計者は、常に安全神話を乗り越えなければいけない。福島原発や、中央道の笹子トンネル事故でも同じことが繰り返されている。
 
その場考学的に考えると、このことは最初の設計者しかできない作業になる。つまり、最初の設計者がその場で行わなければならないことなのだ。あとからほかの設計技術者が考えても、真実のことは半分も伝わらない。
 

その場考学のすすめ(15) 原価企画と安全設計の関係

2017年08月14日 10時31分39秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(15)    H29.8.14投稿     

TITLE:原価企画と安全設計の関係

先月、痛ましい事故が発生した。宮城県で、溜池に姉弟が転落して死亡したニュースだ。
www3.nhk.or.jp/news/html/20170727/k10011076471000.html から引用すると、

『・ため池に姉弟が転落し小1の弟が死亡 宮城  7月27日 14時56分
27日午前、宮城県大崎市の農業用のため池に、祖母の家に遊びに来ていた小学生のきょうだい2人が転落し、このうち6歳の弟が死亡しました。27日午前9時ごろ、宮城県大崎市松山須摩屋で「ため池に釣りに行った子どもが落ちた」と親族から消防に通報がありました。

警察によりますと、ため池に落ちたのは美里町北浦の小学1年生、高橋理緒くん(6)と2年生の8歳の姉で、理緒くんは病院に運ばれましたが、およそ2時間半後に死亡しました。(中略)現場のため池は、大崎市と土地改良区が管理する、周辺の水田に水を供給するための貯水池で、関係者以外が立ち入らないよう1メートル余りのフェンスで囲まれているということです。警察は、きょうだいが誤って池に転落したと見て詳しい状況を調べています。』

夏場になると、必ずと言ってよいほどの事故だった。しかし、今回は随分と違った。記事を調べてゆくと、次のことが分かった。
 それは、数年前に、同じ場所でその兄弟の姉が、同様な事故で亡くなっていたことだった。更に、これらの事故とは別に、過去に起こった溜池での児童の死亡事故に関する裁判として、こんな記事があった。

『安全対策を取らなかったためだとして、遺族が県や市、管理者の地元の土地改良区などに約3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、高松地裁は24日、土地改良区に限り約1115万円の支払いを命じた。
 判決などによると、池まで上るために設置されている階段の入り口には鍵付きの門があったが、門の横を通り抜けて階段に入れる状態だった。森実将人裁判長は判決理由で「5歳児であれば容易に上れる構造だった」と指摘。「麻弥ちゃんの事故で幼児が転落する危険性は明らかになっていたのに、安全対策が不十分だった」と述べた。』
 
つまり、事故の原因は、溜池に近づけないようにする設備の管理が不十分であった、ということなのだ。損害賠償の裁判ならば、これで仕方がないと思うのだが、どうもおかしい。本当の安全の確保とはかけ離れていると、考えてしまう。

 27日の事故に関する、実証見分の様子がTV映像で流れた。当該溜池に大人が斜面からずるずると溜池に腹ばいで入っていった。首までつかると、その大人は自力で岸に上がることができなかった。斜面が急で、水面下はぬるぬるしている。水面上にも下にもつかまるところはなにもない。

 こんな設計が、通常の溜池の設計だと云う。「コンクリートで、かなりの角度で一定の斜面をつくる」ただそれだけのことだ。斜面は平らで何の凹凸もない。これが、通常の設計であり、それに基づいて見積もりがなされて、予算が執行される。一体、だれがどの時点で、「万一、人が落ちた時に、容易に這い上がれるように、斜面に凹凸を付けよう」と決めるのであろうか。
 
 概算予算が決められて、入札のための設計が行われコストが算出される。この段階ではもはや遅すぎる。競争入札のために、できるだけコストを切り詰めるためだ。私は、思考範囲を広げる決定は、当初の企画段階にあると思っている。現代の原価企画は、一旦具体的な作業に入ると、ひたすら余分なコストを切るために用いられており、安全のためにコストを増やすという発想は難しい。そこで考えられたのが、「メタエンジニアリング思考による新・原価企画」で、企画段階での思考範囲を人文科学分野に広げるということであった。

設計が、その中身をどこまで深く考えるかは、原価企画で決まる、と「新・原価企画」の中で述べた。そして、当初の見積もりの中身を決定する際の、思考の範囲を「専門分野から、人文科学的な分野へ広げなければ、長期間使用中に不具合が必ず起きる」とも述べた。また、再発防止の検討段階については、「不慮の事故が起きた際の再発防止対策は、大多数の場合に、設計にまでさかのぼることはない」とも述べた。(拙著;メタエンジニアリングによる新・原価企画 [2017] 日本経済大学大学院 メタエンジニアリング研究所)

新たなことやモノを始める場合に、長期的に使われて安全であるかどうかを決める「その場」は、「計画段階の原価企画」だと思う。その後の設計は、原価企画の範囲内でしか行われない。そうでなければ、採算が成り立たないからである。

その場考学のすすめ(14) ジャック・ウエルチとの出会い

2017年05月17日 07時24分17秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(14)    H29.5.17投稿     

TITLE: ジャック・ウエルチとの出会い

私の過去の名刺ファイルを繰ると、176枚のGEのロゴマークの入った名刺があった。1970年代半ばから2005年までの30年間のお付き合いの結果だ。最初の付き合いは、タービン翼の研究関係で、彼らの伝熱工学の知識と応用技術に関心を持ったが、別途述べたように、特許論争などから、大きな脅威は感じられなかった。最も驚いたのは、材料に関するデータベースで、膨大な資料が全て3種類に色分けしてあった。研究段階、試用段階、実用段階の3種類だ。
本格的な付き合いは、GE90エンジンの共同開発で、このときにはいくつかの疑問があった。そのときのことを思い出し、改めてこの2冊を読みかえす気になった。

2 001年に、ジャック・ウエルチ に関する2冊の本が発行された。一つは、有名な彼自身の自叙伝で、他の一つは彼の在任中にGEから発行された「アニュアルレポート」を年次順に纏めたものだ。この両書を照らし合わせると、今まで疑問に思っていたことの、裏の事実が見えてくる。

① 「ジャック・ウエルチわが経営」(上)、(下)
著者;ジャック・ウエルチ  発行所;日本経済新聞社 発行日;2001.10.21

② 「GEとともに」
著者;GEコーポレート・エクゼクティブ・オフィス 発行所;ダイヤモンド社 発行日;2001.10.18
 


プロジェクトが一段落した後での付き合いは、Value Engineering(価値工学)とQuality Control(品質管理)と防衛庁が導入した自衛隊機に搭載されたエンジンに関するものだった。考えてみると、これら3つの全ては、彼らにオリジナルがあり、我々はそれを導入して成長した。オリジナルに直接アクセスできる機会を常に持っていたことが、メタエンジニアリング指向の根っこになったのかも知れない。

相手方の対応態度は、初めの10年間はもっぱら教師役で、ほぼ何でも答えてくれたし、こちらが望む以上のものまで見せてくれた。GE90プロジェクト前後の10年間は、彼我の長所と欠点が明らかになった期間で、GEへの脅威は全くなくなり、むしろ老齢化が進んだ気の毒な企業に見えたこともあった。そして最後の10年間は、まったくのビジネス・ライクの付き合いで、むしろ数名の友人とのプライベートな会話を楽しんだ。ここでは、中間の
10年間に思っていた疑問を解決するために、その箇所に限って読むことにした。

第1の疑問は会社の組織体系に関するものだった。GE90スタート当初は、V2500プロジェクトも最初の型式承認が取れた後に続けて、第2、第3の型式承認(AirbusA320機用の大型化とMcDonaldのMD90機への搭載型)を得るための開発の真っ最中で、当方のエンジニアの数が圧倒的に不足をしていた。そこでGEに作業委託をすることになったが、紹介されたのが英国の中心部のレスター市にある「GEC」という会社だったが、こことGE本体の関係が不明だった。ある人はGEと一体と言うし、ある人はGEとは全く別の会社だと言っていた。作業委託は20~30人規模の設計業務だった。

第2の疑問は、GEという巨大企業の中で、ウエルチが次々に打ち出す経営改革の手法が、どのように各個人に浸透しているかといったことだった。当時のGEのエンジニアは、担当分野に限らずすべてが過去に作られたマニュアルによって作業を進めていた。つまり、伝統墨守と改革という相い反することが、同時に行われていたことになる。

第3の疑問は人事関係で、当時はベルリンの壁の崩壊から始まった東西冷戦の終焉のために、GEを離れてゆく人が、身の回りにも大勢いた。一方で、V2500で付き合ったRolls Royceのエンジニアが数名GE社に入社しており、お互いに、突然顔を見合わせてびっくりしたものだった。
これらの疑問は、それ以降は解決の当てもなく忘れていたが、この書に出会って、もう一度考えてみることにした。きっかけは、通常のエンジニアリング ⇒リエンジニアリング⇒メタエンジニアリングという一貫した流れに、どうもウエルチの施策が重なって見え始めたからである。
彼の根本思想が、正にメタエンジニアリングそのものに見えてきた。

①の著書は、まったくの自叙伝で冒頭の12ページにわたる彼の家族の写真(自身の少年時代、両親、奥さんと子供たち、孫たち)の後での第1ページにはこんな言葉が記されている。

『数十万のGE社員に捧げる その人たちの知恵と努力のおかげで、私はこの本を書くことができた。
*本書からの著者が得る収益は慈善事業のために寄贈されます』


第4部「流れを変えるイニシアチブ」には、次の言葉がある。

『1990年代われわれは、グローバル化、サービス、シックスシグマ、Eビジネスという四大イニシアチブを追求した。どのイニシアチブも、最初は小さなアイデアの種から始まった。それをオペレーティング・システムのなかに撒いてやれば、成長のチャンスが生まれる。われわれの四つの種は大きく育った。われわれがこの10年間に経験した加速度的な成長を支える重大な要素になった。

これらは「今月のおすすめ」といった類のものではない。GEでは、イニシアチブを全員の心をつかむものと定義する。会社全体に重大な影響を与えられるだけの大きな規模、広範囲、包括的なものだ。イニシアチブの活動に終わりはなく、組織そのものの性質を根底から変える。それがどこで生まれたものであろうとこだわることなく、私はチアリーダーの役目を果たしてきた。すべてのイニシアチブをときに狂信的ともいえるほどの情熱と熱狂によって支えてきた。』(pp.124)

これは、第2の疑問の答えの一部になる。当時も気になっていたが、マネージャー・クラスに対する全員一括教育の徹底が、この雰囲気を作ったのだろう。

ここでの注目は、「会社全体に重大な影響を与えられるだけの大きな規模、広範囲、包括的なもの」という言葉で、特に「大きな規模、広範囲、包括的」と「性質を根底から変える」と云うことに、彼のチャレンジ精神と、同時にリスクテイキングを感じる。多くの日本人の経営者が不得意とする領域だ。

これについて、②の著書の1988年の項には、次のようにある。

『GEの経営陣は、CEOと各事業の工場の間に存在する管理職を九人から四人に削減しました。計算ずくの賭けではありましたが、80年代中ごろには、第2、第3階層の経営陣―セクター,グループと呼んでいた階層―を取り除きました。
14の主要事業部門については、従来のように副社長に報告し、副社長が上級副社長に、しかもすべて補佐とともに報告するのではなく、いまでは我々3人に直接報告しています。この方法が成功するか否かは、業務レベルにおけるリーダーシップの質に依存しています。我々はそれだけの質を備えていると賭けて、これに勝ったのです。』(pp.88)

ここで彼は、「改革は賭けだった」と明言している。日本の大企業は、相も変わらずに、セクターとか、グループと呼ぶ組織を作り続けている。前に紹介したビジネス・プロセス・リエンジニアリングの採用も、中途半端では効果が出ないことは、明らかだ。

これによってGEは、アイデア、イニシアチブ及び判断は、多くの場合音速で(すなわちペーパーではなく会話で)進んでゆくと明言をしている。さらに同時に、セクショナリズムが一体感に変わったとも明言している。まさに、「大きな規模、広範囲、包括的」のためであろう。

第1の疑問の「GECという名の会社」については、同じ②の1988年の項に記されている。

『最後に、89年初め、歴史に残るともいえる、イギリスのゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GEC)との一連の契約を締結しました。これによって14の主要事業のうち4事業(メディカルシステム、大型家電、産業用電力システム、送電機器)がヨーロッパ市場に参入する道を大きく広げたことになると思われます。』(②pp.86)

 つまり、それまでのGECは全く米国のGEとは無関係だったのだ。しかも、英国のGECが、ヨーロッパにおける4事業の主力会社だったことが記されている。名刺ファイルを繰ると、「GEC」の名刺は、僅か6枚だった。1990.7.5のDirector of EngineeringのD.B.氏のものが最初で、彼は、「GEC ALSTHOM」の人であった。そして、我々が設計業務を発注した相手は、RUSTON GAS TURBINS LIMITEDのエンジニアであった。このような判断も、GE内では音速のスピードで行われていたのであろう。

 ついでながら①の著書には、こんなくだりがある。

『グローバル化が飛躍的に進んだ年があるとすれば、1989年だろう。それはイギリスにあるGEC(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)会長のアーノルド・ワインストックからの電話で始まった。(GECの名称はGEとまったく同じだが、両者の間には何のつながりもない。やっと2000年にGECがマルコーニに名称変更して、GEの名称に対するすべての権利を買い取ることができた)。』(①pp.135)

①と②の著書の中で、航空機エンジン関係の話は異常に少ない。少なくとも売上高の割合とは全く釣りあっていない。彼のさまざまな施策からのこの分野への影響が、小さかったからかもしれない。
唯一の話は、1995年の話で、①の第20章「サービスの拡大」に記されている。

『1995年11月に、サービス要員に焦点を合わせた特別セッションCミーティングを開いた。96年1月には航空機エンジン事業で他に先駆けて大規模な組織改革を実施した。エンジンサービス担当バイス・プレジデントのポストを新設し、この事業を独立採算制にした。』(pp.154)
 
そして、直ちに規模拡大に向けた戦略を展開した。既に、世界各地にオーバーホウルの拠点工場を持っていた(プロジェクト担当当時、私はGEの手配でロスアンゼルスから成田経由でシンガポールの工場の見学をアレンジされた)が、BA(British Airway)からウエールズの工場を、ヴァリク航空からブラジルの工場を買収した。それらはすべて、サービスコストの大幅な削減に寄与したと述べている。

 ①の第21章「シックスシグマ」では、1995年の心臓発作の話が語られている。既に20回の発作を経験していたそうだが、夜中の1時に「苦しい、死ぬ」と叫んで緊急入院し、手術を受けたとある。そして、「シックスシグマ」の導入は、自宅での療養中に決断をして、実行に移した。「シックスシグマ」の実行は、膨大な作業を伴うので、導入の可否の決断は、このような日常を離れた環境だからこそ、できたのではないかと思う。

 ウエルチは品質改善運動についてはこのように述べている。
『品質改善運動に本気で取り組もうとは決して思わなかった。品質向上プログラムはスローガンばかりが大げさで、その成果はほとんど上がらないものだと考えていた。
1990年代のはじめころ、航空機エンジン事業がデミングの品質向上プログラムに試しに取り組んでいた。このプログラムがあまりにも理論を追いすぎていたために、私はこれを全社的なイニシアチブにしようとは思わなかった。』(pp.167)

『業界では、一般的に100回のうちおよそ97回旨くゆけば通用する、これは3から4シグマだ。この品質レベルは具体的には、不適切な外科手術を毎週5000例、郵便物の紛失が1時間あたり2万件、間違った薬の処方箋が1年に何十万枚も発行される、という数字だ。考えるだけでも愉快な話ではない。』(pp.167)
 ちなみに、このシグマ数値は間違っている。彼の数値は正規分布の両側をとっているが、シックスシグマでは、確率論に意図的なバイアスをかけており、けた違いに厳しい数字になる。

彼が、何故品質管理に対する考え方を180度転換したかは、単純だった。『さらに私が行った調査でも、品質こそGEの抱えている問題だ。これが一点に集約されたとき、私はシックスシグマの信奉者となってその導入に着手した。われわれは、シックスシグマ担当として中心人物を二人指名した。全社的に展開するイニシアチブのトップ、ゲリー・ライナーと、私の長年付き合っている財務アナリスト、ボブ・ネルソンで、費用便益分析を行った。』(pp.168)
 
その費用便益分析の結果は驚くべきもので、コスト削減効果はGE全体の売上高の10~15%になった。そして直ちに、シックスシグマの元祖であるモトローラからシックスシグマ・アカデミーの経営者を招いて全員教育を始めた。つまり、目的は、GE全体の売上高の10~15%のコスト削減だったわけである。
 
さらに、ブラックベルト(指導的立場のスタッフ)に、ストックオプションを設けたり、グリーンベルト(活動のリーダーの資格)のトレーニングを受けることを、マネージャー昇格の条件として、厳しく守らせた。
このストーリーは、私の第3の疑問の人事管理に関する答えになっている。彼は、①の最後でこう述べている。

『人材のトップ20%に報い、ボトム10%に転身を勧める』

 まさに、その時その場での的確な決断の速さを維持するために、多くの情報が智慧化して蓄えられている。