生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングとLA設計(番外) 車載カメラ

2015年02月05日 08時42分50秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
メタエンジニアリングとLA設計(番外) 車載カメラの目的を考える

先週は、台北で故宮博物院と国立歴史博物館(ここはツアーに含まれることはありませんが、面白いところで個人的に2回目です)を廻っていました。自由行動でゆっくりと見学するためでした。

4日間で、タクシーに2回、ツアー客用のワゴンに3回乗りましたが、総ての車に車載カメラが付いていましたが、それが統一基準になっていたのは驚きでした。

通常は4画面に分割(添付の写真)されていて、前・後・左右の斜め後方です。ご存じの方も多いと思いますが、方向指示器を出すと、そちらの方向の斜め後ろだけの拡大画面になり、曲がり終えると自動的に4画面に戻ります。



昨日(2月4日)のニュースで、何回も飛行機の高速道路上での墜落動画が映されましたが、台湾ではだれでもあたりまえのことなのでしょう。
ちなみに、乗った車のドイツ車はダッシュボードに組み込み型、トヨタ車は別売品の取り付けでした。

技術立国日本という言葉は、最近は陳腐に聞こえることがしばしばです。
日本は、バックの車庫入れに拘り過ぎで、全体的な視野に欠ける傾向ですね。

こんなところでも、Liberal Arts 設計の必要性を感じてしまいました。

メタエンジニアリングとLA設計(19) 第16話 東京大学工学系大学院の航空宇宙専攻での授業内容

2014年07月10日 16時22分21秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第16話 東京大学工学系大学院の航空宇宙専攻での授業内容                                                           
概要;
 
研究成果の現実社会への反映を重視する政策がすすめられているが、エンジニア生活40年を経験した筆者には、まだ不徹底の思いが強い。そんな中で、東大工学系大学院の航空宇宙専攻の研究室から授業の依頼を受けた。準備期間は短かったが、「実際の経験談を中心に」とのことだったので、敢えてお受けした。テーマは、「FMEA,FTA,ワイブル分布の設計開発における応用」であった。
航空機用エンジンの新規開発では、この3つは重要な役割を担っている。質疑応答と直後のアンケートから感じたことは、やはり大学教育と開発設計エンジニアの距離感であった。

授業の内容;




航空機用エンジンの設計は、他の工業製品よりはメタエンジニアリングに係わる知識が格段に多く必要である。耐環境性は勿論、世界中のどんな国で運用されても、安全性を確保しなければならない整備性など。
また、原発と並んで、ニュートン物理学に逆らった科学の成果を信頼性を保って利用してゆかなければならない。その為に、Design on Liberal Arts Engineeringの出番が多い。



Airbus A320用エンジンの開発設計で、Rolls RoyceとPratt&Whitneyの設計思想を経験した後で。GEとの共同開発が並行して始まった。
 
新機種の開発は、3社3様の思想が現れて面白い。戦略的な考えでは、明らかに負けるのだが、問題が特定された後の解決策の完成には、負ける気がしない。日本の技術陣には、それだけの人材が揃っていた。



「全ての科学には、賞味期限がある」とは、米国のメタエンジニアリング研究者の言葉である。科学と技術がともに多様化し、かつ専門分野化が進む中では、科学とその結果を利用する産業におけるエンジニアリングの間には、メタエンジニアリングという思考過程が必要な世の中になりつつある。




最近は、顧客に喜ばれる設計が主流となりつつあるが、その傾向が本当に人類の将来の為になるのかどうか、将来 負の価値を残すことにならないかを綿密に考えなければならないほどに、エンジニアリングの影響は大きくなってしまった。



日本では、教養学科の教育と、専門領域の教育が並行して行われることはほとんど無い。しかし、そのことを見直す時期に来ている。





FMEAだけでは、形骸化する恐れがある。
Criticality Analysisを加えた、FMECAを行わなければ、価値が半減される。

最近、日本国内で頻発する事故や不具合は、当初の設計時に、FMECAを行っていたら、防ぐことができたと思わざる得ないことが、多い。







この図に示されるように、日本では、欧米に比べてFTA(Fault Tree Analysis)が重要視される傾向にある。事故が起こってからの対応に眼が向いているためではないだろうか。
一方、欧米ではFTAよりは、FMEA(FMECA)をより多く活用している。



ワイブル分布を実際の研究開発や開発設計に用いるケースは限られているが、もっと活用するべきだと思う。原因が複雑で特定することが危険なケースが増えつつある中では、従来多用されている統計法よりは、有効な側面がある。
 
また、世の中のデジタル化が進み、先ずはグラフ用紙にプロットをして、傾向を把握する態度が見られなくなってしまった。逐次グラフにプロットをしていると、自然に将来の傾向が見えてくる    ものなのだが、その価値が失われている。





結論は、このように纏めました。
「想定外」とか「規定外」といった言い訳は、設計技術者の口からは決して発してほしくない言葉です。


メタエンジニアリングとLA設計(18) 第14話 Encyclopediaの訳語

2014年04月21日 13時12分46秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第14話 Encyclopediaの訳語は、百学連環から百科事典になってしまった

 Design on Liberal Arts Engineeringは、あまりにも専門分野化してしまった昨今の「様々な分野の設計」の不完全さを指摘して、本来の正しい設計(広い意味で計画や企画も含む、工学の根本だと思います)のあるべき姿を追求するための試行です。

要約;

西周(にし あまね)が、Encyclopediaの訳語とした「百学連環」は、総ての学(Science)と術(Art)の連環が総体的・体系的に説かれた書と云われている。古代ギリシャの自然学も、古代ローマのLiberal Artsも科学と芸術と技術は一体であった。レオナルドダビンチまでは、全ては一つの個の中で連環をもって統合されており、そこから後世に残る優れたものが次々に生まれてきたと思う。
連環の輪が怪しくなってきたのは、宗教戦争と産業革命であろう。つまり、近代科学による工業化が問題だった。だとするならば、工業化から知的社会文明に移る際には、又元の連環に戻ることが必要であるようにも思われるのである。

詳細;

「科学と技術」日本近代思想体系(14)、岩波書店(1989)には、実に興味深い話が多く書かれている。メタエンジニアリングの研究には欠かせない著書のひとつであろう。
その中の第1は、西周(にし あまね)の「百学連環」である。西は日本初の哲学者と云われるが、啓蒙家、官僚などの側面もある。最も大事なことは1862から3年間オランダに留学して、当時の西洋科学と哲学を基礎から学び、多くの科学と技術に関する英語の日本語訳をつくったことであろう。その意味では、日本初のメタエンジニアリング者とも云える。Wikipediaには、次のような記述がある。

西 周 (にし あまね、文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日) は江戸時代後期から明治時代初期の幕臣、官僚、啓蒙思想家、教育者。貴族院議員、男爵、錦鶏間祗候。勲一等瑞宝章(1897年)。
西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語(和製漢語)として「希哲学」という言葉を創った[5]ほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語である。上記のように漢字の熟語を多数作った一方ではかな漢字廃止論を唱え、明治7年(1874年)、『明六雑誌』創刊号に、『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』を掲載した。著書に『百学連環』、『百一新論』、『致知啓蒙』など。森鷗外は系譜上、親族として扱われるが、鷗外の母方の祖父母及び父が養子であったため血のつながりはない。


なを、出生地については次の記述があるので、津和野では是非拠ってみたいところだ。

石見国津和野藩(現、島根県津和野町)の御典医の家柄。父・西時義(旧名・森覚馬)は森高亮の次男で、川向いには西周の従甥(森高亮の曾孫)にあたる森鷗外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。(Wikipediaより)

(附録;津和野にある西周の生家)

 
「百学連環」は、彼の京都の私塾で明治3年から教えられたことを、彼の死後纏められたものと云われているが、総論は30頁弱で比較的読みやすい文章で書かれており、随所に英語が出るが、いちいち逐語訳が付いている。つまり、この単語ごとの正確を期した翻訳が新語を生み出したと云うことなのだ。
 彼は、英国のEncyclopediaを熟読し、そこから色々な知識を得たようだが、その語源をギリシャ語に求めて、「童子を輪の中に入れて教育なすとの意なり」としている。Wikipediaには、次のような記述があるので、彼の解釈は正しい。

(この津和野町郷土館蔵の絵画は、「百学連環」より)

百科事典を意味する英語 encyclopediaは、ギリシャ語のコイネーの"ἐγκυκλοπαιδεία"から派生した言葉で、「輪になって」の意味であるἐγκύκλιος(enkyklios:en + kyklios、英語で言えば「in circle」)と、「教育」や「子供の育成」を意味するπαιδεία(paideia パイデイア)を組み合わせた言葉であり、ギリシャ人達が街で話し手の周りに集まり聴衆となって伝え聞いた教育知識などから一般的な知識の意味で使われていた





「百学連環」は、学(Science)と術(Art)の連環が総体的・体系的に説かれた書と云われているので、メタエンジニアリング的には、大いにそそわれる。つまり、百の学は連関していると云う訳なのだろう。
古代ギリシャの自然学も、古代ローマのLiberal Artsも科学と芸術と技術は一体であった。レオナルドダビンチまでは、全ては一つの個の中で連環をもって統合されており、そこから後世に残る優れたものが次々に生まれてきたのだと思う。
連環の輪が怪しくなってきたのは、宗教戦争と産業革命であろう。つまり、近代科学による工業化が問題だった。だとするならば、工業化から知的社会文明に移る際には、又元の連環に戻ることが必要であるようにも思われるのである。

いずれにせよ、英語ではきちんとした語源が保たれているが、日本語はさっさと「連環」の語を捨ててしまい、「辞典」にしてしまった。そこで、百学分立が盛んになってしまったと考えられる。(註1)

 総論の次の第2節は「学術技芸 Science and Art」であり、次の記述がある。

学の字の性質は元来動詞にして、道を学ぶ、あるいは・・・、名詞に用ゆること少なし。実名詞には多く道の字を用ゆるなり。
 

現在では、XX学ばやりで、もっぱら名詞に使われているが、改めて新鮮な学に対する態度が伺える。術については、次の記述がある。

術の字は其目的となす所ありて、其道を行くの行の字より生ずるものにして、即ち術の形なり。都合良くあてはめるというの義なり。芸の字我朝にては業となすべし。芸の字元と藝の字より生ずるものにして、植え生ぜしむるの意なるべし。学術の二字即ち英語にてはScience and Art、ラテン語には、・・・。

術に亦二つの区別あり。Mechanical Art(器械技) and Liberal Art(上品芸)原語に従ふときは則ち器械の術、又上品の術と云う意なれど、今此の如く訳するのも適当ならざるべし。故に技術、芸術と訳して可なるべし。技は支体を労するの字義なれば、総て身体を働かす大工の如きもの是なり。芸は心思を労する義にして、総て心思を働かし詩文を作る等のもの是なり。


つまり、技と芸の関係は、身体の動きか思考の働きかの関係と云っている。
文字の意味を突き詰めるとそのようになる。

 この書物は、1989年に発行されたのだが、巻末の解説を記した飯田賢一の文は「日本における近代科学技術思想の形成」と題して、次の記述がある。

明治15年に「理学協会雑誌」が発刊され、当時は「理学」はいまの科学・技術分野全体の総称でもあった。(中略)佐久間象山以来の技術=芸術という受け止め方は、「工業大辞書」完結の大正初期のころまでなおひきつがれていたことになる。(中略)総じて、明治時代を通じ、人間がものをつくる生産技術にあっては、芸術と同じく手工的な技(わざ)や巧(たくみ)が肝心なものと受けとめられていたのに対し大正デモクラシー期の国際交流の高まりの中で、科学(理論)と技術(実践)との結びつきが促進され、生産技術は自然科学の応用(applied science)という考えが、急速に普及・定着しはじめた、といって差支えあるまい。 

この文は、その後「日本科学技術思想史の特質」、「技術文化史の三段階」と続くのだが、ここでは省略する。


(註1)「百学連環」と云う言葉は、実は復活をしていた。2007年に日本書籍出版協会と日本雑誌協会が共同で纏めた、「百学連環 - 百科事典と博物図鑑の饗宴」凸版印刷 印刷博物館発行(2007)である。その年に行われた展覧会の記念本なのだが、日本工学アカデミーの「根本的エンジニアリング」や「メタエンジニアリング」とほぼ同じ時期に突然に復活したことは、必然的な関連を感じる。
 
冒頭の「ご挨拶」は、こんな言葉で始まっている。

「百学連環」という素晴らしい言葉がありました。百にもおよぶ学知は、ひとつの環をなして連なっている、そんな理想を表現しています。明治の文明開化をになった知識人、西周の造語であり、エンサイクロペディアの邦訳語ということです。


西周の人生三宝説(明六雑誌より)

 「明六雑誌」が発行されたのは、明治7年から8年までのたった20ヶ月間であった。明六社は森有礼により提唱され、投稿者は福沢諭吉、西周、津田真道などの当時のそうそうたるメンバーであった。
掲載された論文は114編で、文明開化論、言語政策、婦人問題、哲学、思想、政治、経済、法律、教育に及んでいたと、次の書籍の序文で述べられている。

「明六雑誌」とその周辺、西洋文化の受容・思想と言語、神奈川大学人文学研究所編、お茶の水書房(2004)





神奈川大学で、この書の研究会が持たれたのは、その原本が同大学の図書館に所蔵されている為であろう。巻頭に写真等が示されている。この雑誌に掲載された論文の価値は、副題にある、西洋文化の受容にあるのだが、もっとも有名なのは、文中に翻訳されている西洋の文献の和訳に用いられた「和製漢語」であろう。代表的なものは科学、哲学、法学などであるが、その数は有に1000語を超している。
P181に掲げられて表3に依れば、合計1566語で、多くは消滅したが、現有語として528語が存在する。
 中でも、西周の人生三宝説で用いられた語は多く現在の科学・政治・文化の中で使われている。彼が、その文章の中で、西洋文献や著者名などを逐語訳していたためであろう。
西周の人生三宝説は、掲載途中で雑誌が廃刊となったので,未完の説と云われている。また、彼の育った儒教の環境と、西洋哲学のいいとこどりの色彩が強く、「失敗した真理」などとも云われている。

 人生三宝説の三宝とは、健康・知識・富有である。彼は、その執筆の意図を「今茲に論する趣旨は
此一般福祉を人間最大の眼目と立て、此れに達する方略を論せむとす」記されている。ここで、福祉という言葉は、happinessであり、現在では幸福とすべきであろう。そして、彼は一般人の最上極処のhappinessを達成するための方略として、人生の三宝を挙げている。そして、中でも知識=教育が最も大切な基礎であるとしている、即ち、健康は人生の大前提ではあるが、知識の増進(=教育)が、健康の維持と富有の確保に決定的であるからである。また富有については、「金と富の差別は経済学に譲るべし」としか述べずに、別途の著書「百学連環」の制産学(現在の経済学)の中で論じている。



附録;津和野にある西周の生家

先日、津和野にある西周の生家を尋ねることができた。親戚筋にあたる森鴎外の生家と、小さな川を挟んでかやぶき屋根の小宅と土蔵があった。
森鴎外の方は、生家の隣に立派な記念館があり、多くの文物が所蔵されているが、こちらは尋ねる人も少ないようだ。






メタエンジニアリングとLA設計(17) 第14話 今日の大企業の設計力の弱点

2014年02月20日 10時10分41秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第14話 今日の大企業の設計力の弱点

 Design on Liberal Arts Engineeringは、あまりにも専門分野化してしまった昨今の「様々な分野の設計」の不完全さを指摘して、本来の設計のあるべき姿を追求するための試行です。前稿(第13話)のガウディーの建築設計については、本来の建築設計学を十分に踏襲した上で、専門以外のあらゆる要素を加味して設計した結果がサグラダファミリアであり、単に芸術性に重点を置いた設計や、人気や名声の為の奇を照らす設計との違いを述べたつもりです。そのことが世紀をまたがっても、なお事業の継続と感嘆の声が続いている所以だと思います。

先日、大学同期の懇親会があった。大学紛争が最も盛んだった1960年代後半の機械工学を学んだ連中の集まりだが、今は大半が大企業のサラリーマン人生を終えたばかりだ。中には、現役の代表取締君も居るのだが、すべて高度成長時代の技術を背負い、経験した者たちだ。私は、その同期会のホームページに毎月の寄稿をしているのだが、大方の反応は、「お前の文章は、難しくて分からないが、時々なるほどそうだと思うこともある。」といったものだった。これは想定範囲内のことなのだが、私としては日常業務の中で、普通にしゃべっていたことを中心に文章に書き残しているつもりなので、聊かがっかりでもある。
 今回の話し相手は、三菱重工・日立・東芝と云った大企業の経験者だったのだが、異口同音の発言は、設計技術者の能力の低下に対する悩み(と云うよりは、一種のあきらめと愚痴)だった。つまり、私が2000年代に入って痛切に感じていたことと同じことが、どこの大企業でも起こっていると云うことなのだろう。 
 その原因の多くは、高専卒の技術者が姿を消して、大学院で専門知識のみを学んだ秀才が寄り集まって出来た大集団によって、必然的に出来てしまった結果と見るべきであろう。私は、この大企業の設計力の弱点を二つの言葉で云い続けてきた。第1は、「マニュアル第3世代問題」であり、第2は「Design Review Syndrome」である。今回は、この二つについて概説を試みることにした。

設計力の衰退(1)― マニュアル第3世代問題

ジェットエンジンの設計を40年間にわたって眺め続けていると、その歴史的な流れから色々なことが見えてくる。そのひとつが、設計マニュアルのあり方についてであった。このことは、すでに何回か述べたが、改めて経緯を含めて少し詳しく記してみようと思う。



              
ことのきっかけは、1980年代の後半に始まった、GE社との新型ジェットエンジンの開発プロジェクトであった。この頃になると、日本の設計チームの設計能力は、約20年間に亘ってFJR710,RJ500,V2500などの実機の経験を通じてRolls-Royce, Pratt & Whitneyなどから得た知識と、毎年大量に入社してきた最新の解析と計算技術を身に付けたマスターやドクターの力で、相当なものになっていた。一方で、欧米の軍需産業を開発の柱としてきた企業は、冷戦の急激な収束の余波が大きく、大量の人員整理が始まろうとしていた。また、当然のことながら大卒の新入社員は皆無であった。
GEとの共同開発機種は、世界中の主要エアラインから次世代の主力機種として注目をされていた新型のBoeing777への搭載を単独に狙ったもので、世界で最も大きな出力を、格段に大きなバイパス比(エンジンの外側のファンと燃焼器を通過するコアーの空気流量の比率で、大きいほど熱効率は高くなる)を目指す野心的なものであった。当時、私は開発半ばのV2500エンジンのChief Designerと、このエンジンのChief Engineerを兼務する立場にあり、それぞれの主力工場のある英国のDarby市と、米国のConnecticutとOhio州を行き来する生活が常であった。つまり、Rolls-Royceを含めた3社の設計思想と実力の違いを明確に知る立場が続いていた。民間航空機用エンジンの新規開発競争は、かつてスポーティーゲームと呼ばれたほど過酷なもので、競争に敗れれば一気に会社の浮沈にかかわるものである。その為に開発プロジェクトのエンジニアは常にその会社の第1級のメンバーでチーム編成がされていた。



Boeing777とGE90の外観

GE90エンジンの設計は、途中軽量化設計で行き詰ってしまった。当時のGE社では全ての設計はマニュアルに従って行われていたので、野心的な新設計のスペックを満足することは出来ないことは、当初から明らかであった。しかし、マニュアルは先輩諸氏が纏めた金科玉条のものであり、彼らが勝手にそれらを外れた設計をすることは許されなかった。結局、超軽量の新材料の早急な開発に力が注がれることになるのだが、それでは間に合わないのでどのようにマニュアルを外れた設計にするかが、大きな問題となって検討が行われた。一方で、日本チームは破壊力学や構造解析の新知識が豊富な若手のメンバーに拠り、GE社の設計審査をクリアーする設計を次々に示すことができた。当時の我々のチームは、まさに独自の新マニュアルの作成の真っ最中であった。

GE90の各社分担部位

このような状態を見て、私はマニュアル第1、第2、第3世代という概念を思いついた。設計マニュアルの作成には、複数の成功事例が必要であり、当時の日本チームは漸くその域に達しつつあった。つまり、第1世代である。一方で、世界ナンバーワンの地位を長年保ってきたGE社のマニュアルは、2世代前のエンジニアが作ったものが主流であった。つまり、現役の設計技術者は、マニュアルを作成した世代からの直接指導を受けることは、困難な第3世代であった。

ジェットエンジンの実用化は、第2次世界大戦中に開発が始まり、まだ70数年の歴史しかない。その中で大きな設計思想の変更は5回あり、現在は第Ⅵ世代のエンジンが開発中である。一度開発された機種は少なくとも30年間は改良が加えられて、使い続けられる。つまり、新機種の開発には常に世代を越えた設計思想が適用されることになる。その中にあって、設計マニュアルの中味は如何なるものであるべきか、といった設問は他の多くの設計マニュアルとは異なる性質のものになるのかも知れない。

この場合の設計マニュアルの主機能は、第1に次世代の設計技術者に創造的な設計のノウハウを正確に伝えることであろう。つまり、何故そのような考え方を用いるのか、何故その数値を選ぶのかといった、「Why」であり、数値そのものや、計算プログラムなどは、世代を越えて適用されることは稀であり、その補助機能であると考えるべきであろう。
具体的な解析計算プログラム、それに適用すべき許容限度の数値などは、設計マニュアルの必須事項であるが、それらは世代を越えて通用するものではない。一方で、それらを定めた理由を含めた経緯は、新たなマニュアルの作成には必須のものである。マニュアル第3世代問題を引き起こさないための工夫が取り込まれたマニュアルで、暗黙知的なノウハウも含めた創造的な設計の考え方を引き継いでゆかなければならない。このことは、これからの日本の継続的な発展には大いに必要なことだと思われる。

設計力の衰退(2)― デザインレヴユー・シンドローム

 ジェットエンジンの設計を40年間にわたって眺め続けていると、その歴史的な流れから色々なことが見えてくる。そして、その多くは他のシステムや製品の設計や企画・計画にも共通であるのではないかと云った考えが、多くの事例に当てはまることにより徐々に分かってくる。
 その端的な例が、福島第1原発の事故と、その後の再発防止政策に現れている。そのことについては、既に何度も述べたのだが、本稿では、「デザインレヴユー・シンドローム」という観点に絞って述べてみることにした。

 多くのプラント業や製造業で1980年代以降に問題になったのは、高度成長時代の設計が多忙すぎて、設計不良による不具合が多発したことだった。(註1)工事中に予期せぬ事態が発生したり、製造過程で設計見積り以上のコストが発生したり、様々な問題が顕在化した。その際に、上層部が行う施策の第1は、設計審査の強化が一般的である。しかし、設計審査を強化しても、不具合は発生し続けた。すると、設計審査のますますの強化が行われる。それは、更に広範囲で大がかりかつ頻繁な審査である。つまり、多くの上級職や権威者を集めたり、細部にわたる大規模な審査を繰返し行うことである。そして、そのことが最も基本である、設計技術者自身の基本的な設計能力の大幅な凋落に直結していることに気がつかないことである。

 設計審査が頻繁かつ大規模化すると、当然のこととして設計とそれにかかわる多くの技術者は、審査の対応に追われる。受審の為の事前準備と、指摘事項の事後の検討と回答作りに多くの時間を費やすことになり、遂には設計審査をクリアーすることが、設計の目的になってしまう。そして、無事審査をクリアーすると、設計者も周囲も、そこで設計が終了したかのような錯覚に堕ちいってしまう。しかし、設計審査で検討がなされることは、氷山の水面上部分よりも、もっと部分的であることを知るべきである。このようなケースでは海面下の多くの事項の検討が、おざなりになってしまう。それは、設計技術者にとって最も大切な、多面的な見かたを放棄することに繋がってくる。
このことが、直接に私にDesign on Liberal Arts Engineeringを考え、かつ投稿などをさせるきっかけとなった。
 
 福島第1原発の事故のあとで多くのことが指摘され、その結果の一つとして、再稼働の為の新たな安全基準が定められて、遠大な審査が行われていると報道されている。本来、多くのことを他方面にわたって検討すべきエンジニアの対応は、安全審査をクリアーすること一点に絞られてはいないであろうか。そして、安全審査からOKが出た瞬間に、全ての検討が終わったと周囲が解釈をして、早期の再稼働の開始のみを優先して進める事態が安易に想像される。

 このような時代の変化を私は1990年代に実感をして、その現象を「デザインレヴュー症候群」と名付けた。このような状態が継続されれば、本来の創造的な設計技術は凋落する。設計は、どこまでも設計技術者自身の知識と経験と創造力の結果であるべきである。設計審査はもちろん必要条件ではあるが、それはあくまでも補助機能にとどめるべきであり、そこには何らの結果責任も存在しないことを知るべきである。設計図の細部に亘る中味の責任については、その図面にサインをする者は常に意識することであるが、設計審査のメンバーは、その覚悟はいかほどのものであろう。

 この問題を、津波に対する安全対策を例に考えてみる。従来の審査基準が、7mの津波に対して安全(と云うよりは、完全無被害を要求していると云うべきか)であること、とされている項目が、例えば14mと改定されたとしよう。審査は14mの津波でも、敷地内に絶対に海水が浸入しないことに注目するであろう。その場合に、15mの津波が発生したときには、だれが責任を負うのであろうか。津波に対する本来の設計は、想定以上の津波に襲われた(あるいは、何らかの原因で外壁が壊れた)場合に、一部の機能が失われても、致命的な事故に至らない設計を追求するべきであり、高さを何メートルに想定するかは、安全基準ではなく、むしろ経済的に合理的な数値に設定をして設計を行い、更にそれを越えた事態に対する非常時の対策に心血を注ぐべきだと思う。このような設計手法はジェットエンジンでは「Failure Mode Effective & Criticality Analysis」と称して古くら行われている。(註2)そして、その内容は設計審査を担当する専門家には決して分かることは無く、詳細設計を実際に行う設計技術者のみが、詳細に分かることである。

 安全審査のみをクリアーすることに専念する技術者が増えて、その技術者に育てられた次世代の技術者が、また次の時代を担う技術者を育てることになると、一体本来の設計はどうなってしまうのだろうか、ベテランの設計技術者には、容易に想像できる事態が発生するであろう。

(註1)ベテランのエンジニア不足についは、この他に第1次、第2次オイルショック時に短期的な経営指標の改善のために、過度の人員整理を行ってしまった事例もあるが、これは単なる人事政策の誤りであろう。

(註2)ジェットエンジンの設計で最も困難な領域は軽量化設計である。強度や寿命は勿論のこと、全体剛性、振動問題、変形問題、長期に亘る調達問題、製造コストなど多方面での同時最適設計が要求される。その為に大部分の設計寸法には、安全係数といった概念は用いずに確率論を採用する。バラツキと分布の特徴、解析や計算の精度等を考慮して、3σ、4σ、5σ、6σと云った確率で設計値を決める。ここで、6σという確率は、所謂シックス・シグマで主張する確率の1,000,000回に3.4回とは異なる。正規分布で6σという場合の製品不良の発生確率は、仕様限界の幅を±6σとした場合、外れる確率は10億分の2回である。即ち0.002ppmであり、シックス・シグマにおける値の3.4ppmとは大きな差がある。
規則で決められた安全係数とは異なり、エンジンが様々な条件下で運転が続けられ、同時に加速試験などのデータが集まると、バラツキの分布が狭まることが常であり、その分信頼性の向上や寿命の延長を合理的に示すことができる。
 その上で、なお想定外の原因で重要部品の破壊等が起こった場合には、Majorな被害が出ても、致命的な事故に至らないための工夫を随所に設ける設計を行っている。この為に、エンジンの破損を原因とする航空機の墜落事故は、近年では皆無となっている。

(蛇足1)私は、かつて宇宙へ運ばれる構造物と機器類を間近に観察する機会を得た。そのときには、彼我の軽量化設計能力の大きな差を直ちに感じた。

(蛇足2)私は原発推進論者でも、即時撤廃を主張するものでもない。3つの観点から現行の体制を支持するものである。第1はエンジニアとして現代社会に必要なものは、たとえ危険性があっても、それを乗り越えなければならないという信念である。航空機は、万有引力の法則に反して、巨大な人工物を多くの人を載せて、上空に長時間滞留させなければならない。これほどに危険なものは無い。
第2は原発を取巻く今後の世界事情との調和である。中国と朝鮮は今後ますます原発依存を強めるであろう。その中にあって、日本のみが原発関係ない、などと云っていたら福島よりも大きな陸上と海域の被害が想定されるし、世界の文明から取り残されるであろう。脱原発依存も放射性廃棄物問題も、日本単独ではなく、地球全体の問題として国際間で協議をしながら進めるべきであり、日本はその先導的な役割の一端を担うものだと考えている。
第3は即時全面停止の決断は、かえって危険性を大幅に増すとのエンジニアの判断です。大規模な設備が正しく稼働されている状態と、少なくとも再稼働無しとして経営的に放置された施設が、共に予期せぬ事態に遭遇した時に、どちらが正しく対応できるかは明らかだと思います。いずれにせよ、全ての原発の廃炉が完了し、放射性廃棄物の永久保管が完了するまでには半世紀以上が必要で、どちらのケースでもその期間に大きな違いは出て来ないでしょう。

文中の図表は、かつて筆者が講演で公開したものから引用した。

ガウディの建築とメタエンジニアリングーメタエンジニアリングとLA設計(16)

2014年02月09日 08時57分55秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第13話 ガウディの建築とメタエンジニアリング

三十数年前に、サグラダ・ファミリィアの建物に接する機会があった。あのガウディが設計をして、いつ完成するとも分からない巨大建築だ。その当時は、「いくら高度成長時代でも、あの建築はないな。」であった。つまり、新大陸の発見から長期間にわたって築かれた巨万の富と、イスラムとキリスト教文化の結果で、あのように耽美的な建物が発想され、実行が続けられているとの認識であった。
 そして、先月その建物に直接に出あうことができた。外観と内部の説明を受け、塔に登り、階段を下りながら、塔の外観を間近に観察し、大いに関心をもって最後には説明本を購入して、帰国便の中でゆっくりと読んだ。そして、彼の建築設計思想の中に、メタエンジニアリングを強く感じた。
 
その中身の説明の前に、少し彼と彼の作品についてWikipediaの記述を見てみよう。

概要は;
アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・ミラ邸(カサ・ミラ、1906-10)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。     


壁面には彼自身も居る


博物館にあった彼の写真


学生時代については;
1873年から1877年の間、ガウディはバルセロナで建築を学んだ。学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、ヴィオレ・ル・デュクの建築事典を友人から借りて熱心に読んでいた。

作品については;
彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えた。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立する。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現した。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と、ガウディは自然の中に最高の形があると信じていた。その背景には幼い頃、バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験からきている。
ガウディの自然への賛美がもっとも顕著に表れた作品が、コロニア・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分である。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっている。この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をした。その実験装置が「逆さ吊り模型」で紐と重りだけとなっている。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だと、ガウディは考えた。建設中に建物が崩れるのでは?と疑う職人たちに対して、自ら足場を取り除き、構造の安全を証明した。(これは、力学的に全くの正解であった。まさしく、力学的に安定であるためこんにち広く使われているカテナリー曲線そのものである)


生前に描かれた設計図はスペイン内戦で焼失している。[12]彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみである。そのため彼の設計図はあまり残らず、また焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリアの工事は進められている。
と、あった。
 

これだけを読んでも、「学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示した」、「曲線と細部の装飾を多用し、生物的な建築を得意とした独創的なデザイン」、「柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず」などの記述には、かすかにメタエンジニアリングを感じることができる。

ここで本題に戻る。
現代のエンジニアリングの中でも建築は「最も発達をした工学の一分野」だと、かねてから認識をしている。「発達」の意味は、人類数万年の歴史の中で、常にその文明の進化とともに研究と実践が繰り返されてきた数少ない分野だと思うからである。法隆寺の金堂のように、一千年を経てもなお斬新さを誇る優美さとか、どのような地震にも耐えてきた薬師寺の五重塔など、芸術性や哲学をも取り込んだ作品も数え切れないほど存在する。このような人工物は他に抜きんでているし、現代でもなお建築学は進化を続けている。他のエンジニアリングの分野では、これらのことに相当する分野は見当たらないのではないだろうか。


壁面は、聖書の物語を表す彫像で覆われている



全景を撮影するのに有名な池のほとりから



塔の先端部は、ベネチアングラスの果実。木の上には果実が実っている、と云うことだろうか?

購入した冊子の冒頭に、「ガウディの秘密」と題した、ジョアン・バッセコダ・ヌネル氏の解説記事がある。その文章に接しているうちに、メタエンジニアリングとの関連を確信したわけなのだが、直接の引用ではなく、要点をかいつまんで記してみよう。

・通常の寺院建築から出発をして、継続的かつ、論理的な合理性と機能性にそった設計を求めた
・通常の設計は、三角定規とコンパスを用いたものが、論理的な合理性と機能性にそった設計を生み出すと考えられているが、それよりも上の思考を追求して、実践した。
・理論幾何学で出来上がる形状は、決して自然界には存在しない。人間が暮らす建物は、出来得る限り自然に近い方が良い。
・幾何学的な設計は、設計と建築の易しさを追求した結果であって、使う人の快適さを最終目的として考えられたものではない。
・人が暮らす建築物の最終目的は、「最高の住み心地になる」ことである。
・一般の建築で構成されている修正幾何学は、直線で構成されるゆがんだ曲面である。一方で、自然界に存在する構造は繊維で形成されており、らせん体・円錐・方物面・双曲線などで整えられて存在をしている。彼は、このような修正幾何学を観察して、設計に再現した。
・従って、彼は設計図を書くことを好まずに、モデルの作成に専念した。余談だが、このことがスペイン内戦中の火災と破壊を経ても、なおオリジナルが存在する所以だった。彼の弟子たちがモデルの破片をつなぎ合わせたので、今なお正確に工事を続けることができていると述べられている。


確かに、サグラダ・ファミリィアの内部の柱は、大木の幹と太い枝を想像させる。大木の枝と大量の葉は一本の幹で支えられているだけで、台風に対しても容易に壊されることは無い。さらに、その外壁は、全面に亘って聖書の物語が全て彫像で示されている。そこには、具象もあるが、抽象的な像もある。




 これらから得られる結論は、彼の設計思想が「建築学」の専門性(芸術は既に含まれる)を全て踏襲した上で、更に上の概念である、歴史・人文科学・哲学・自然に遡って、従来の建築では現れて来なかった、「潜在するka課題」を発見し、それを解決するための様々な分野の知識と経験を集合して設計を完成させたと言えよう。そして、その実践には世紀をまたがった期間が必要になったのだが、それを堂々と実践していると云う訳である。これは、正しくメタエンジニアリングの代表例ではないだろうか。

有名な、ユダの接吻。この動作で官憲にキリストを特定させた。左は、魔法陣の「13」関連の数で、35種類もある。




 正面の入口は、まだ手がつけられていない。道路を挟んだ向かい側の建物を壊して、歩道橋をかけて道路の反対側から入場するようになるそうだ。その為の橋脚が正面に何本も作られているところだった。


それにしても、市内を見渡す眺めは美しかった。なぜ、日本にはこうした美しい都市の眺めができないのだろうかと、いつも考えさせられる光景でした。











メタエンジニアリングとLA設計(15) 第12話 教養を身につけてゆく教育のあり方

2014年01月13日 08時23分47秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第12話 教養を身につけてゆく教育のあり方(古代ギリシャ人と計理工哲の関係)

その場考学の設計技術者の育成の段階は「計理工哲」と述べた。第2話の文章を引用する。

・計理工哲(設計のレベルに対するマクロ的視点)

設計者のレベルには4段階あると思う。私の造語だが「計理工哲」と示す。
「計」は、計算ができる、計算づくでやる、計算結果で設計する、などだ。これでは設計とは云えず単なる計算書つくりだ。(その前に「真似る」という段階があるが、これは設計以前。)
「理」は、計算の上に理由、理解、原理、定理、公理、などを取り入れた設計。一応形にはなり、多分 性能や機能は発揮できるであろう。しかし競争力を備えた商品にはならない。
「工」は、人間が作り、人間が使うことを前提として「計」と「理」にプラスした設計。製造者にも使用者にもメリット(利益)が出るもの。通常の設計はこの段階である。CS(顧客満足)もこの範疇に入る。
「哲」は、更に哲学的な要素が加わった設計。どのようなものが人類または地球や生物に本当に良いものか。芸術的な要素もこの段階から入ってくると思われる。人工物の世界遺産などがそれにあたると思われる。

これは、10代の「計」を学ぶことから始まり、ほぼ10年のサイクルを想定している。期間が長いのは、真にその意味を知るにはその間の経験が必要だからであり、このことは私自身の記憶にもとづいている。10年刻みの教育で思い当たるのは、論語の「われ十有五にして学に志し・・・」なのだが、その前に面白い著書にであった。
廣川洋一著、「ギリシャ人の教育、教養とは何か」岩波新書110、岩波書店(1990)、である。


・ギリシャ人の教養教育
古代ギリシャ人にとって教育の目的とは、一人ひとりが教養を身につけることであった。それは専門知識の集積ではなく、市民としてより良く生きるための知恵の獲得を意味した。
教育に関する多くのことが、例えばプラトン等の著書でも、政治とか国家とかといったことを語る中で示されていることは、当時の全員参加型の民主主義の為であろう。21世紀になって本格的なインターネット時代になり、個人の意見が瞬く間に世界中に広がるウエブ時代にあっては、一人ひとりが身につけておくべき教養の意味が、大きく変わったと考えるべきであろう。そのような観点からは、古代ギリシャや、古代ローマの教養教育の方法が見直されるべきだと考える。

廣川氏の著書から少し長い引用をする。

   プラトンが「国家」(6.503C-7.541B)で哲人統治者はいかなる教育をうけるべきかという議論とその為の詳細なプログラムを提示した。(中略)この教育案の内容はほぼ次のようであった。先ず、準備科目、いわば前奏曲として、教論、平面幾何学、立体幾何学、天文学そして理論音楽からなる数学的諸学科の学習が必須とさていれる。これらの前奏曲を十分演奏しうるにいたった者だけが、はじめて本曲としての哲学的問答術の学習と研究をなすことができる。(7.532A)。これらの学習をいつどのように課すべきか、その具体的プログラムを省みておこう。
 まず17,8歳までの少年期に、右の修学的諸学科を、強制的にだはなく自由に学習する(7.536DE)。また、20歳までに2,3年の強制的体育訓練が課せられる。ついで20歳から30歳の期間に、それまでばらばらに雑然と学習した数学的諸学科を総合的にみることのできる視点と視力を、つまりそれら数学的諸学相互の内的結びつきを全体的立場から総観するちからを獲得するよう努めなければならない(7.537C)。さらに30歳から35歳の期間に、選ばれたものたちのみが、哲学的問答術の学習と研究を許される(7.537D,539DE)。そして50歳にいたるまでの15年間は公務について経験を積む(539E)。最後に50歳以降は、少数の最優秀者たちが全存在の窮極原理である「善のイデア」の認識に到達し、このあと交代に哲学研究と国政の任にあたる(7.540AB)。


ここで、音楽とか理論音楽、前奏曲という言葉が使われているが、その意味は、音楽が持つ全体的な調和感とリズムを身を持って習得する必要性を重要視したためである。音楽と簡潔にまとめられた物語(文学)は、全ての教育のスタートとされているのである。

このプラトンの「国家」の記述と「計・理・工・哲」の段階的な設計技術者の育成方法との間の共通的な考え方に驚きを感じざるを得なかった。

ついでに、実際のプラトンの発言はどのようなものだったかを、プラトン全集で確認をしてみた。
山本光雄編 「プラトン全集7」 角川書店(1973)


引用された(7.532A)には、次のような難解な言葉が並んでいる。
   その、知らねばならぬことを知ることこそ、結局、言論のやり取りが奏する本曲そのものではないのか。そしてその本曲は思惟の世界にかかわるものだけれど、我々の述べた(516a以下)視覚の能力がその本曲の模倣物にあたるだろう、・・・
私にとっては、プラトンはアリストテレスよりも遥かに難解であると知った。

・論語の言葉
 
論語は、512の短文が全20編で構成されている。その中で「われ十有五にして学に志し・・・」は、学而編ではなく、為政編にある。この点もプラトンの考え方と同じで、古代の教養は正しい政治を行える人材を如何にして育てるかが、目的であった。
為政編の第1は「徳」について、第2は「思無邪」、第3は「礼」についてであり、4番目がこの言葉である。5項目以降は、弟子との問答が続くところも、プラトンと似ている。

・教養を積むには順番がある

 これらの教育プログラムには、共通するものがある。それは、次の表から明らかにすることができる。



 
共通項を挙げると、以下のようになる。
 ① 明確な最終目的があること
 ② 本質的な基礎教育から始める
 ③ ほぼ10年ごとにステップアップしてゆく
 ④ 老成期の姿が示されている

・本質的な基礎教育は何か

 本質を理解せずに詰め込みの知識を強要する教育は論外としても、現代の教育論では基礎教育の本質的な要素が何であるかが明確でないとの印象を受けることは多い。古代ギリシャの文学と音楽は意外であったが、文学は物事に対して、一つのストーリー性を正しく理解することであろう。また音楽については、リズム感と調和を理解するためと記されている。
 エンジニアにとっての基礎は、なんといっても算数と数学である。ここがきちんとしていないと、様々な理論を正しく理解することは出来ない。そして、理論を正しく応用しなければ、正しいものを設計して作りだすことはできない。Design on Liberal Arts Engineeringの実現には、長い道のりと育ってゆく順番がある。
 


メタエンジニアリングとLA設計(14) 第11話 最近の大事故から正しい設計を考える

2013年12月20日 08時00分28秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第11話 最近の大事故から正しい設計を考える 

概要; Boeing777やAirbus320などの旅客機に搭載されたジェットエンジンの国際共同開発を通じて、米・英・独・仏・伊のchief designer達から学んだ設計に対する考え方や取り組み方を、メタエンジニアリングとうい観点から考えてみる。すると、現代の我が国に起こっている様々な問題や事故の根本的な原因が当初の設計にあると云うことが見えてくる。
なぜ設計がおかしなとになってしまったのだろうか。それらの原因を探り、解決策を見出してゆく。
(この資料は、H25.12.12 に行われた多摩発遠隔生涯学習講座での講演内容を纏め直した。)

目次;


Ⅰ.今、設計の問題とは何だろうか?
Ⅱ.問題は、どんなところにあるのだろうか?
Ⅲ.ジェットエンジンは、どのように設計され、開発されているのだろうか?
Ⅳ.メタエンジニアリングとは何を目的としているだろうか?
Ⅴ.「技術への問い」という本が、ヒントをくれた
Ⅵ.メッキーは、何を目指しているのだろうか?
Ⅶ.古代ローマは、なぜ古代から中世まで持続できたのだろうか?
Ⅷ.現代の設計の根本的な問題点は何だろうか?
Ⅸ.正しい設計は、どうしたらできるのだろうか?
Ⅹ.正しい設計とは何か

本文;


Ⅰ.今、設計の問題とは何だろうか?

・21世紀にはいって、今まで予想もしなかった事故が起きている。福島原発、笹子トンネルの天井版崩落など。また、首都高速の老朽化や、明石大橋のクラック問題、高速道路の跨道橋の劣化、などかなり大きな心配事も増え続けている。
・多くの問題は、点検整備が不十分だったこと、設計では想定しなかったことなどが主な原因であると云われているが、はたしてその通りなのだろうかといった疑問が生じる。
・この疑問に対する答えを、私の40年間に亘るジェットエンジンの設計と開発から得られた経験と、その後に始めたメタエンジニアリングという思考法から考えてみる。

Ⅱ.問題は、どんなところにあるのだろうか?

1.学問とその適用技術の専門化が進み過ぎている

① 原理的にかなりの危険性があるものを、人類として活用してゆかなければならないこと。
(原発、航空機)
② 設計の専門化と多くのマニュアル化(公の基準や規程等も含む)が進み、特に基本設計段階で、思慮に欠ける分野が存在すること。(トンネル、橋梁、跨道橋)
③ 専門分野化が進み過ぎ、専門外からの反論が評価されずに、俯瞰的・包括的な解決策が得られない時間的、空間的に巨大な問題が多くなってしまった。(環境汚染、地震予知と津波の被害、地球温暖化問題)

2.航空機用ジェットエンジンの場合はどうなのか

・このように分類をすると、実は旅客機のエンジンはこの全てが当て嵌まる。
  ⇒ それでは、どうすればよいのだろうか?
  ⇒ どのように、信頼性と安全性を保ってきたのだろうか
  ⇒ 1980年代から始まった、規制緩和(初期品質安定設計法)
  ⇒ しかも、さらなる規制緩和が進みつつある(自動車と航空機の設計思想の違い)

3.技術が成熟してゆくと
 
  ・初期故障率は大幅に減少する。
  ・その反面、ある時期を経過すると、ヒューマンエラーが増してくる。
  ・更に、メインテナンス上の問題と、寿命感知不足の問題などが顕在化する。
  ・しかし、何れの原因も基本設計時の考え方に根本的な問題がある。

Ⅲ.ジェットエンジンは、どのように設計され、開発されているのだろうか?

1.国際共同開発の経験

・ 40年間に亘って民間航空機用エンジンの設計と開発に携わってきた。
・ FJR710(NAL実験機飛鳥に搭載)⇒ RJ500 ⇒ V2500(Airbus320,MD90に搭載中)
⇒ GE90(Boeing777に搭載中)
この間に、設計に起因する大きな事故は起きていない。むしろ、規制緩和が進み続けられて、
現在に至る。
・ 新しいエンジンの開発にあたって、まず設計が考えることは何か
① 使用者(エアライン)の総コストの最適化 ⇒使用者の本当の総コストを予め想定する
② 40年間に亘る安全性と信頼性を保つためのメインテイナビリティー ⇒中古品の安全性
③ 最新の技術を、どこまで取込むか、取込まないか ⇒技術者自身による決断
 
Ⅳ.メタエンジニアリングとは何を目指しているのだろうか?

1.EngineeringとMet-Engineeringの関係
 
・ 人⇒人間⇒文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学⇒自然科学⇒工学⇒技術⇒ものつくり、
という流れの中で、現代のEngineeringは、末端の3つのステップに集中して進化を遂げた。
・ しかし反面多くの事故や公害や環境異変をもたらす結果となった。好むと好まざるとによらずに、この傾向はグローバル競争時代にはますます激しくなることが予想される。
 ・ 現在のイノベーションは、iPadなどに見られる如くに即日中に全世界に広がってしまう。もし、従来の数々の事例にあるごとくに、公害や副作用があった場合には、その影響は限られた地域に留まることはない。したがって、この様な状態は、エンジニアの責任の重大さが以前にまして数十倍、数百倍になったことを示している。
 ・このことを、古代ギリシャにあてはめてみた。ソクラテスやプラトンが社会現象を色々な見方で分析をした結果が、アリストテレスに引き継がれた。彼はその先を突き詰め、倫理的な考えを経て、全ての根源を考える学問としての形而上学を始めた。当時の自然学(Phisica)の元を解明するためのものとして、それは形而上学(Meta-Phisica)と命名された。この様な経緯から、これからのエンジニアリングには、従来のEngineeringと並行してMeta-Engineeringという考え方が新たに必要となる。つまり、エンジニア自身の思考範囲を「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という上流まで遡らせるという考え方である。


Ⅴ.「技術への問い」という本が、ヒントをくれた


 20世紀最大の哲学者と言われたM.ハイデッカーの技術論では「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」と述べられている。
「技術への問い」M.ハイデッガー著、関口 浩訳(平凡社、2009)には、彼の科学・技術・芸術に関する5つの論文が納められている。そして、冒頭が「技術への問い」である。


 この講演は,1953年11月18日にミュンヘン工科大学での連続講演のひとつとして行われたが、内容が難解だったのもかかわらずに、終了後には「満場の人々から嵐のような歓呼の声があがった」と記録されている。
 この時代、即ち第2次世界大戦の恐怖から解放された欧州では、技術の本質に関する議論が盛んに行われたようである。アインシュタインの相対性理論により、質量が膨大なエネルギーに変換可能なことが理論づけされ、彼が反対したにもかかわらず、ヒットラーに先を越されるかもしれないという、政治的な説得に応じて原子爆弾を作ることにより、実証までをしてしまった。ハイデッガーはその事実に直面して(彼は、一時期ナチスの協力者であった)哲学者として技術の本質を知ろうと努力をしたのかもしれない。 

       
「歴史の研究」経済往来社(1972)より
 また、20世紀最大の歴史書のA.トインビーの「歴史の研究」)では,現存する世界十文明の唯一の生き残りは西欧社会文明であり、日本文明を含む他の文明は衰退期にあると断言をしている。そして二十世紀の後半は彼らの喝破したとおりに進んだ。
 ハイデガーの「これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」と、トインビーの「唯一の生き残りは西欧社会文明」という二つの宣言から提出される結論は、衰退する文明を救えるのはより根本的な考えに基づくエンジニアリングである、ということではないだろうか。現代のエンジニアリングは、このことの重大性をもっと深く、かつ真剣に認識しなければならない。

                       
Ⅵ.メッキーは、何を目指しているのだろうか

メタエンジニアリングのMECIサイクル



図のサイクルは「MECIサイクル」と名付けられて、日本工学アカデミーを中心に研究がすすめられている。

     
MECIのそれぞれの意味は、

Mining:「潜在する仮題の発見」
地球社会が抱える様々な顕在化した、或いは潜在的な課題やニーズを、問いなおすことにより見出すプロセス

Exploring:「必要領域の特定・育成」
こうした課題を解決するに必要な科学・技術分野を俯瞰的にとらえる、あるいは創出 するプロセス

Converging;「領域の統合・融合」
課題解決への必要性に応じ、多様な科学・技術分野の融合や、新しいアプローチ法との組み合わせを進めるプロセス

Implementing;「社会価値の創出と実装」
新たな科学・技術を社会に適用、実装しそれにより新たな社会価値を創出する。その過程で、次の潜在的な課題を探すプロセス。

すなわちこの根本的エンジニアリングという技術概念は、米国のCT(Convegent Technology)が示唆するような「研究分野や技術の融合によって新規に創出する社会価値の創出」(図の①の部分)だけではなく、地球社会において解決すべき潜在課題の発見、そこで必要となる技術の特定や育成、そして、さらにその技術や分野の新たな融合とより的確な社会価値創出へとつなげていくプロセスの全体、すなわち図の①~④のサイクル全ての活動を主体とするものである。
この中で、特に「技術を理解し、関連技術や社会の状況を判断しつつ、他技術との融合も含めて社会への実装の可能性を検討し、そしてそれを実装する」という部分が、従来我が国の設計技術者に欠けていた部分のように思われる。つまり、社会における実装ということなのだが、社会という概念も、実装という概念も現代のグローバル競争社会の規模に対して少々矮小化された概念で捉えられているのではないだろうか。このことは、日本人の脳の構造が世界のどの国民とも異なる特徴をもつことと大いに関係があると思われるのだが、そのことについては別の機会があれば、詳しく述べることにする。


Ⅶ.古代ローマは、なぜ古代から中世まで持続できたのだろうか

1.古代ローマのLiberal Arts 教育

・自由七科の原義は「人を自由にする学問」、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくもののことであり、起源は、古代ギリシャにまで遡る。
・おもに言語にかかわる3科目の「三学」(トリウィウム、trivium)とおもに数学に関わる4科目の「四科」(クワードリウィウム、quadrivium)の2つに分けられる。それぞれの内訳は、三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。(Wikipediaより)

2.最近の米国の大学では、

最近の米国の大学では、工学と同時にリベラルアーツを教える傾向が強まったと伝えられている。日本でのリベラルアーツは、大学入学後の一般教養課程を指す場合が多いのだが、次第に軽視されつつある。それには、人文・社会科学はもちろんだが、自然科学も含まれる。語源は古代ギリシャだが、古代ローマで市民教育として大々的に行われたそうだ。通常は、自由七科とその上位概念の哲学がセットで考えられている。つまり、リベラルアーツはものごとの根本である哲学を考えるための基礎学問になっていたわけである。そして、古代ローマ時代のArtsとは、ラテン語の技術そのものであった。

・私は、メタエンジニアリングの基本もこの自由七科+哲学であると考える。なぜそのように思うことになったか。それは、現代のイノベーションのスピードが益々速くなったことと、人間社会に及ぼす  影響が益々大きくなってきたことに密接に関係する。私の小学校時代にラジオからテレビへのシフトが始まった。しかし、所謂テレビ中毒が話題になるまでには数十年を要した。1980年代にワープロからパソコンへのシフトが始まったが、完全移行には十数年を要した。現代の携帯からスマートフォンへのシフトは、わずか半年で主流交代である。そして、そのシフトは世界同時進行で起こってしまう。
 この様な状況下で、イノベーションの発信母体が自然科学とか社会科学の一分野のみに限定されていると、どういうことになるだろうか。イノベーションの母体は、その正の機能のみを強烈に宣伝する。しかし、全てのイノベーションには負の部分が存在する。従来のイノベーションは、徐々に広がるので、負の部分の研究は別の専門分野によってかなり後から進められたのだが、もはやそのようなスピードでは負の遺産が手遅れになるほどに広がってしまう。


Ⅷ.現代の設計の根本的な問題点は何だろうか

1.現代の流れ


社団法人日本工学アカデミーの政策委員会から、2009年11月26日に出された「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~根本的エンジニアリングの提唱 ~」という「提言」では、「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta- Engineering と表現)』と名付ける、としている。

19世紀から盛んになった現代の工業化社会の文明は、20世紀終盤から一気に情報化社会、更には知識社会へと変貌をしている。知識社会文明という言葉はまだ一般的ではないが、早晩21世紀の文明の座を得るであろう。その中にあって、現代の工業化社会文明の最も基礎的な部分を担ってきたEngineering(工学と技術)は、従来のままで良いはずはない。知識社会文明に対応した新たなEngineeringが必要となるであろう。それをMeta- Engineeringと定義してみようと思う。

現代の工学の多くは自然科学に依存している。そして、全ての人間活動はエンジニアリングの生産物の上に成り立っているといっても過言ではないであろう。しかし、近年のグローバル化の急激な進展においては、エンジニアリングの特に広義の設計(デザインというべきか)の結果は、社会科学的、人文科学的かつ哲学的にも正しいものでなければならない。そうでなければ、人間社会の持続性が危ぶまれる事態になりつつある。過去における様々なEngineering Schemeが引き起こした、副作用や公害や更には地球の持続性を脅かすような経験は、もはやこれからのEngineeringには許されない場面がより多く存在することになるであろう。

知識社会文明における新たなエンジニアリングとしてのMeta- Engineeringの眼で、先ずは、現在の社会に存在する様々なイノベーションの結果を見なおしてみることから始めてはどうであろうか。
例えば、便利さを求めてひたすらデジタル化を進めることにより、連続的にものごとを捉えて深く考える習慣の欠落、日本の品質という名のもとに、ひたすら品質の完全性を求める姿勢、競争に勝つための技術的な進化の過程におけるWhat優先の弊害としてのWhyの伝承不足などである。特に本質管理については、本来のQuality Controlの意味、即ちばらつきを持つ特質を許容範囲内にコントロールするための統計的手法、との考え方が希薄になっている。このように考えてゆくと、「上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」という見地から考察の余地が身の回りのそこここにあると考えられる。
これらの例はごく卑近なものなのだが、技術の上位概念を人文科学、社会科学、心理学、生態学、さらには哲学にまで広げると、Meta- Engineeringに付託すべき新たな課題は現代社会に無数に存在しているのであろう。


2.メタエンジニアリング導入後の流れ


現代にあふれ出した様々なイノベーションと、これから世界中に瞬く間に広がるであろう新たなイノベーションについては、科学による新発見とそれを実現する専門分野の工学の間に、メタエンジニアリングという思考分野を置き、地域の文化と人類の文明の将来について深く考える場をつくらねばならない。このことは、ベテランの科学者とエンジニアの責務であろう。

Ⅸ.正しい設計は、どうしたらできるのだろうか

1.Design on Liberal Arts Engineering

・ Liberalとは、Oxford Dictionaryより抜粋
① willing to understand and respect other people's behaviour, opinions, etc, especially when they are different from your own; believing people should be able to choose how they behave
② wanting or allowing a lot of political and economic freedom and supporting gradual social, political or religious change
③ concerned with increasing somebody's general knowledge and experience rather than particular skills

・LA&E(Liberal Arts & Engineering)とは

英語版のGoogleでこの語を検索すると、多くの米国の大学やカレッジで両者を並行して教えていることが分かる。一例を紹介する。
WPI’s Liberal Arts & Engineering (LAE) degree program prepares students to take on those challenges by providing a broader base of knowledge not only in engineering, but in other disciplines as well. The LAE degree was created for the student seeking a career that demands engineering know-how, communication tools, and problem-solving skills. Our students graduate with a strong technical background, a broad appreciation of the humanities, and a critical awareness of social implications.
つまり、Design on Liberal Arts Engineeringとは、Liberal Artsをエンジニアリングのセンスで身に付け、それを自らのDesignに反映する設計のことを示している。

2.設計技術者は、一朝一夕には育成できない

・計理工哲(設計のレベルに対するマクロ的視点)

設計者のレベルには4段階あると思う。私の造語だが「計理工哲」と示す。
「計」は、計算ができる、計算づくでやる、計算結果で設計する、などだ。これでは設計とは云えず単なる計算書つくりだ。(その前に「真似る」という段階があるが、これは設計以前。)
「理」は、計算の上に理由、理解、原理、定理、公理、などを取り入れた設計。一応形にはなり、多分 性能や機能は発揮できるであろう。
しかし競争力を備えた商品にはならない。
「工」は、人間が作り、人間が使うことを前提として「計」と「理」にプラスした設計。製造者にも使用者にもメリット(利益)が出るもの。通常の設計はこの段階である。CS(顧客満足)もこの範疇に入る。
「哲」は、更に哲学的な要素が加わった設計。どのようなものが人類または地球や生物に本当に良いものか。芸術的な要素もこの段階から入ってくると思われる。人工物の世界遺産などがそれにあたると思われる。



Design for constraintsと云われるものは、「計と理」の設計。これに対して、American Society for Engineering Education と National Society of Professional Engineering では、かつて「Liberal arts engineering」という言葉を使っていたが、これは「工と哲」の設計ではないだろうか。

 
Ⅹ.正しい設計とは何か

本当に正しいか  ⇒ 工学+哲学的な視点 (長期的観点から潜在する問題の除去)
本当に良いのか  ⇒ メタエンジニアリングの視点 (文化と文明における価値)
本当に最適なのか ⇒ Liberal Arts の視点 (多様化する人間活動への理解)
  



附録;


・設計パラメータのトレードオフ

2013年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が多くの場合に当てはまってしまうということだった。
 しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これだけではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。 ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者、すなわちエアラインにとってのライフサイクルにおける総コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない。

 かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発部門と設計部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。





この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについては検討し、判断を下すわけである。
 この表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。

 圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
 そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。

 さて、このような定量的な判断基準はどのような背景から実現が可能であろうか。通常のエンジニアの専門知識だけでは、不充分であることは自明であるが、同時にエンジニアでなければ定量化できない数値である。エアラインがその機種の入手からはじまり、長期間の通常の運用中にどのようなコストが発生するのか、最後に中古機市場に売却するときはどうであろうか、といった事柄を知らなければならない。このようなことは、経済学ばかりではなく、広く社会科学にまで及ぶので、一般的にはLiberal Artsと呼ぶことができるであろう。そこでは、Liberal ArtsとEngineeringの合体(LA&E)が求められるわけである。


メタエンジニアリングとLA設計(13) 第10話 大作の絵画と設計

2013年11月20日 20時16分01秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第10話 大作の絵画と設計

 私は、若いころから「設計技術者は大壁画を描く画伯と同じ」と言っていた覚えがある。デッサンで基礎を学び、様々な画法を試み、その後に漸く大きな物語を念頭に大作に挑む。その際には、全頭脳を使って、ひたすら全体最適を目指す。その姿が、設計技術者と一致しているように思えたからである。
このことは、メタエンジニアリングを考え始めてから一層強くなったように感じている。

 今日(11月20日)、本郷の東大構内にある伊藤国際学術センターで「デザイン・イノベーション・フォーラム2013」なるものを聴講した。広義の設計を対象に、期待学や認知科学、認知神経科学など、広い分野との融合を目指す試みで、メタエンジニアリングによる、「Design on Lberal Arts Engineering」との共通点が多いとの印象で、毎年聴くことにしている。メタエンジニアリングとして感じることは、設計には感性と理性の妥当なつり合いが必要で、「正しい設計」の為には、理性が感性に僅かでも勝らなければならない、ということなのだが。専門的な議論には、このような側面は出ることは無い。

工学部から法学部への通路         


東大図書館前の発掘現場

 会合の後でウオーキングを楽しみながら上野の山まで行き、東京都美術館で開催中の「ターナー展」を見た。ウイリアム・ターナーは英国で産業革命が始まった頃の画家で、その大部分の作品が収められているロンドンのテート美術館には何度も通った経験がある。中心からやや離れているので、いつも空いており、ゆっくりと大作を楽しむことができるし、前を流れるテムズ河のボートに乗れば、疲れた足を休めている間に、ロンドンの中心街の好きなところに行けることが魅力だった。

不忍池と池之端の高層マンション

http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=viewphoto&id=362&c=8
 しかし、今日改めてターナーの絵を眺めて、その中に設計の意図を強く感じた。彼の得意は大自然の風景なのだが、その大部分では古代ギリシャ・ローマに始まる歴史や、当時有名だった物語や詩がテーマになっている。そして、彼の一つの画面には、人間と小動物と自然と人工物が、本来不自然なテーマの中で、自然に収まっているのだ。これは、画面の高度な設計なのだろう。絵を描くことにのみ精進しても、このような絵を描くことはできないであろう。


ターナー展入口

 私の山小屋の近くに、平山郁夫シルクロード美術館がある。毎年12月の閑静期には、市民サービスがあり、その期間は無料で入場させてもらえるので、ゆっくりと楽しむことができる。シルクロード地帯が政情不安定で混乱していた時期には、その地方の住民がこぞって仏像などを安全な日本に持ち帰ってほしいと持ちより、今では膨大な美術品が収蔵されている。正倉院御物を思わせるものにも出会うことがある。その二階にある壁画室には、左右に長安からローマまでの道のりの大きな絵が十数枚並んでいる。右壁が昼間の隊商で、左壁は月夜の隊商がほぼ同じ形で描かれている。これらの絵も、まさしく優れた設計の元に描かれたものだと強く感じる。一方で、彼の広範囲な知見に関しては、有名である。



 いずれにせよ、設計技術者は広範囲のLberal Artsを、再び学び直さなければならないことを考えさせられた小春日和の一日であった。

メタエンジニアリングとLiberal Arts設計(12) 第9話 日本人の工学脳(その2)

2013年09月15日 15時00分09秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第9話 日本人の工学脳(その2)

この著書(「日本人の脳」角田忠信著、大修館書店 1978年発行)の応用編と言おうか関連図書として、次の2冊を通読した。詳細は省くが、
① 「日本人の表現心理」 芳賀 綏著、中公叢書 1979年発行は、日本人の個人間のコミュニケーションについて、その特徴を様々な観点から考えて、人文科学や社会科学を追求する上での、この方面の研究と知見が大切であると云うことを述べている。



② 「日本人の表現構造」D.C.バーンランド著、サイマル出版会 は、アメリカ人の専門家が、人間の性格と社会構造には深い関係があると云う前提のもとで、日本とアメリカにおける個人間のコミュニケーションについての違いの詳細な仮説を立て、そのことを様々な実験を通じて説明したものである。



何れの著書も、技術者の日常の専門業務とは縁が無いように見られがちであるが、技術者といえどもその表現方法に日本人独特のものが存在することを念頭に、国際共同作業等にあたる際には、きちんとした認識を持つべきであろう。

 脳の働きとコミュニケーションにおける日本人のこの様な特異性は、メタエンジニアリングにとっては両刃の刃と云えるのではないだろうか。技術者といえどもその表現方法に日本人独特のものが存在することを念頭に、日本人独特の左脳をもっと鍛えて、右脳とともに利用すべきであろう。このことを更に発展的に考えてみたい。つまり、「独特の左脳とメタエンジニアリング」についてである。期待する結論は、日本人の独特な左脳を積極的に利用することにより、西欧文化からは絶対に出て来ない高度なイノベーションを発想することができるであろうということである。

自然が出している様々な発信によるサインを、科学技術を思考する左の脳に直接インプットできるのは、日本人の脳のみであることは、ほぼ明らかなようである。このことから少し大胆な仮説を立ててみることにする。日本独特の文化を考えてみる。茶道や華道は自然の音や形を左脳的に理解できることに大きく依存しているのではないだろうか。また、能や歌舞伎は楽器音よりも、自然音を重視しているように感じる。日本食と、中国料理や西欧の各種料理の違いも然り。アニメーションの世界でも、デズニー作品とスタジオ・ジブリの作品の差における自然表現の差は歴然としている。デズニーがいかに自然を旨く表現をしようとしても、スタジオ・ジブリには遠く及ばない。これらはすべて、日本人独特の左脳の働きによるもので、日本人がこのことを無意識に利用してきた結果ではないだろうか。
メタエンジニアリング的に考えてみよう。
血液型により性格や考え方やものごとに対する反応が異なる、と意識するのは日本人独特であると云われている。四季の移り変わりを強く意識する感覚も、あきらかに無意識的に存在している。これからの高度なイノベーションは自然をいかにうまく利用するかにかかっていると考えるときに、これらの事実は重要である。
例えば、地震予知や津波予知に関して適用してみよう。現在は物理現象として捉えて様々な研究が進められて、膨大な観測機器や研究費にリソースが使われている。これらは純西欧的な発想であり、結果としての現状は、予知どころか予測もままならない。しかし、これらの原因は自然の変化である。プレートの界面では数十億年にわたって巨大な力が作用していることに間違いはないのだが、果たして物理現象だけであろうか、化学的或いは生物学的(有機化学的)なサインは無いのであろうか。また、界面の現象は、機械工学的には低サイクル疲労のように思えるが、その際にはAE(アコースチィック・エミッション)が発せられる。地上や海中のある種の生物は、このプレート界面が発するAEの変化を感知できているのではないだろうか。特に、地殻変動が激しかった古生代からの生き残りの種には、そんな特性が残されているような気がする。このことは、前述の角田氏はその後の著書で、人間自身にも備わっているのだが、もはや自らは感じることは無く、脳の働きを調べる精密な測定器によってのみ実証されているとしている。

日本人的に四季の移り変わりを山や森の中で眺めていると、それによる変化は動物よりも植物の方が格段に激しく、かつ迅速であることに容易に気が付かされる。落葉樹の変化は、犬の抜け毛とは比較にならない。つぼみが出来て、花が咲き、受粉をして種子が一人前になった親株を離れるまでの変化とスピードは、高等動物では到底できない早わざと感じる。もっとも細菌や下等動物は除いてであるが。

まだ、考え始めたばかりであり系統的に纏めることはできないが、メタエンジニアリングによる発想(MECIサイクルのM(Mining)の段階)では、日本人独特の左脳の特徴を意識的に鍛えて、応用を模索することが高度なイノベーションに繋がることは間違いがないように思われる。メタエンジニアリングは、この面でのより科学的な活動を促進することに役立つのではないのであろうか。

 聊か本論を外れるが、「母音に関する日本人の脳の特殊性」について、なぜ母音の理解が左脳だと、自然界のものや音に関する事柄まで、左脳に移ってしまうのかを考えてみた。私は、日本人特有の考え方は、和辻哲郎の有名な風土などの著書から、その歴史的な風土が大きく影響をしていると信じていた。四季折々の環境の変化の一方で、歴史始まって以来の安定した単一民族の単一国家の日本教という下での風土が、大きく影響をしていることに間違いは無いと思う。(この説は,近年大いに見直されているが、特有の日本語を話すようになってから、既に長い年月を経ているので、こkでは単一民族とした。)




しかし同時に、角田氏の母音説にも説得力を感じざるを得ない。特に、欧米人のみならず、中国・朝鮮人、果ては日系二世までも、同じことが当てはまらないと云う実験結果には説得力がある。この理論は、かなり古いものなのでその後に専門学会でどのように扱われたかはわからなかった。しかし、Internetで調べてみると、どうも最近に至るまで人気の書籍であることが分かった。 (その後、角田氏の著書を新たに4冊読む機会があり、さらに進んだ新たな知見を得たが、そのことは長くなるので別途述べることにする。)

 角田論理を前提として、技術者の資質について考え直してみよう。このことは、つまり日本人特有の脳が、世界中の他の人間が、本来右脳で全体的にややぼや~と捉えて、そのときその場での直感で判断すべきものを、始めから左脳ではっきりと捉えてしまうということではないのだろうか。そのように解釈をすると、色々なことに思い当たる。第1は、日本の技術者が、全体最適を忘れて、部分最適に陥りやすいこと。第2は、戦略が不得意で、戦術や戦闘が得意なこと。第3は、茶道・華道などの何々道という体系が沢山存在すること。やや我田引水になってしまうが、そんな思いが湧いてきてしまった。
 そこで、何故これらが、たった一つの母音に対する脳機能の違いから生まれてくるのかといった疑問が残る。このことに対する私の独断的な答えは、こうである。人間は通常会話を通じてより多くのことを考えたり判断したりする。このことは、個々人の誕生以来の成長過程で、今に至るまでそのひと個人の全てを包み込んでいる。その会話は、勿論母音と子音でできている。ここで、会話の度に日本語以外は常に、右脳と左脳が同時に働いているのがだが、日本語の場合だけが左脳重視になってしまっている。つまり、外部刺激に対して、常に左脳が優先して働き始めてしまうのではないだろうか。単純に考えれば日本人が情緒に関心が深いのは、右脳が発達していると解釈されるが、実は情緒に対しても左脳が多く働くので、深く考えだすのではないのだろうか、と云うことである。

 この様な説は聞いたことが無く、むしろ最近のCTスキャンを使った、ある事象に対して脳のどの部分が活発に働いているかの実験結果と矛盾するのかもしれない。しかし、人間の脳には200億個以上の神経細胞があり、それらが全て複雑なスイッチ機能で関連付けられていると云う。現代の最新のCTスキャンでも遥かに及ばない細かさなのだから、実際になにが起こっているかは、まだなぞの部分の方が多いのだと思う。
 随分と勝手な迷路に入り込んでしまったが、正解はまたの機会にして、日本語常用技術者の資質の特異性を認識いただければ、幸いである。そして、そのことが日本発のメタエンジニアリングのひとつの特徴になることを願う次第である。

(蛇足)
 このことに関連して、ちょっと蛇足を加えたい。私は、10年ほど前から大学と大学院における工学教育の見直しの方向性について、通常とは反対の意見を持っている。一つは、大学院生の数はむやみに博士課程を増やすのではなく、需要と供給のバランスから考えること、二つ目は、授業の内容は、特に工学系については足し算ではなく、引き算から始めること。
すなわち、従来の西欧的な工学教育から一歩引いて、授業では公理や定理とそれに準ずる理論のみをしっかりと教えて、各論の半分は止めてしまう。それらは、インターネットで必要に応じて、最新情報を容易に得ることが出来る。そして、ここに述べた、「日本人独特の左脳の特徴を意識的に鍛えて、応用を模索することが高度なイノベーションに繋がる」 ことを前提に、文化や歴史の科学的な見方等を通じて、自然科学と社会・人文科学との関連などを教える。技術者倫理の代わりに自然科学の根本としての哲学を教える。これらのことは、既に米国の一部の大学で始められている。
 このことは、古代ローマが自由市民の人格を高めるために用いたLiberal Arts教育に相当する。このLiberal Artsこそが、根本的エンジニアリングに基づく思考過程で最も重要なものなのだが、多くの工学生はこれを、一般教養として軽く見てしまう傾向にある。工学教育は、改善ではなくパラダイムシフトの時であろう。
自然科学者や設計技術者は、もっぱら言語脳を使って思考を深めてゆく。そして「音楽や絵画の様な芸術は、言語の場合よりももっと直接的に情動にはたらきかける、つまり脳の内側の領域に広くはたらきかけるようにつくられている」という訳である。つまり、「絵や音楽に対しては、脳の広い範囲が常にはたらく運命にあります。」 なのだ。
 「言語活動の場合よりも広い範囲の脳が常にはたらいています。別な言い方をすれば、絵画や音楽が実現し伝えるものは全体像です。全体像をつくるときは、部分が欠けても、人間の脳は欠落部分を補うことは得意なのです。残っている部分がある程度あれば、欠けた部分を想像で補って補完してしまうのです。」とある。
また、「言葉を普通にしゃべれると云う点では、誰もがほぼ同じです。ふつうは100人集まれば、みなほぼ100パーセントの能力を持ちます。ところが音楽や絵画では、とくに作曲・演奏や絵画制作の能力では、大きな格差があります。演奏や描画の能力には、前に述べた「からだで覚える」記憶能力がおおいに関与しているのでしょうか、音楽や絵の鑑賞能力にも、人によって質的な違いが大きいようです。」 と語られている。

さて、これらの「より広い範囲の脳が働いている」、「全体像をつくる」、「人によって質的な違いが大きい」などは、エンジニアリングをより根本的に捉えなおす際には、どれも重要な要素となるであろう。聊か持って回った言い方になってしまうのだが、メタエンジニアリング脳には、音楽や絵画の様な芸術脳が必要であり、その際にも日本人特有の左脳の効果が期待されるのではないだろうか。
いずれにせよ、近代工業文明の元になった西洋的なエンジニアリングの枠から出て、より広い意味でのメタエンジニアリングを扱う場合には、日本人の工学脳の特異性を活かすことが、将来の人類社会の文明をより良い方向に導けるのではないだろうか。




メタエンジニアリングとLiberal Arts設計(11) 第9話 日本人の工学脳(その1)

2013年09月15日 13時06分54秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第9話 日本人の工学脳(その1)

私は、なぜ日本語のみが 多くの虫やほとんどの動物の鳴き声を言語で表すのかを不思議に思っていた。確かに、犬や猫の鳴き声ぐらいは外国語でも表現をする言葉があるが、ごく身近なものに限られている。リーンリーンとか、ガチャガチャなどの虫の音に至っては、この様な言語的な表現は日本人以外には全く理解が出来ないようだ。しかし、ある時突然に、この疑問を解いてくれる本に出会うことが出来た。そして、その本を読んでゆくうちに、この日本語特有の表現が、実は日本人(というよりは、日本語のみを日常的に使う人)の脳の特異性にあり、そのことが工学的な発想や考え方に大きく影響をしているとの学説を見出すことができ、おおいに驚くとともに奇妙な幸福感を味わうことが出来た。

 私の仮住まいの近くに、金田一晴彦記念図書館なるものがある。一般の市営(山梨県北杜市)図書館で最新の新聞や雑誌などを読むためによく利用をさせてもらっている。地方の図書館は都内と異なり、読書の雰囲気は最高である。貸出の条件である冊数や期間にも十分な余裕があるのだ。この図書館には、名前の通りに方言や言語学で有名な金田一氏の遺贈による多くの本が保管されている。全体で約3万冊と図書館の案内には書いてある。一部は一般の本と同じ書架に並べられているのだが、専門書の多くは奥にある広い別室のカギのかかった立派な本箱に収められている。嬉しいことに、司書の方に頼むとこれらの本もほぼすべて自由に借りることが出来る。


金田一晴彦記念図書館の入り口付近

 先日、この中から3冊を借りて読み始めた。表題に興味が湧いたためであり、特に目的があったわけではない。
① 「日本人の表現心理」芳賀 綏著、中公叢書 1979年発行
② 「日本人の表現構造」D.C.バーンランド著、サイマル出版会
③ 「日本人の脳」角田忠信著、大修館書店 1978年発行

 この中の③が問題の書である。著者は、著名な東京医科歯科大学の耳鼻咽喉科の先生で、特に聴覚の研究を長年続けられているようだ。副題が面白く、「脳の働きと東西文化」とある。そして、巻頭のはしがきを読んだだけで、大いに興味をそそられて、一気に読み始めてしまった。はしがきの冒頭の部分にはこの様にある。



 「聴覚を使って脳の中の聴こえと言語の働きの中枢メカニズムを解明しようと志してから約十二年になる。私の専門領域である耳鼻咽喉科のうちから、聴覚の問題を広域に扱う日本オージオロジー学会と人間の音声や言語の臨床面を研究する日本音声言語医学会がそれぞれ独立して研究領域を拡大してきた。(中略)臨床医学の領域に限らず、日本生理学会、日本音響学会ではより精密な科学的手法を用いて動物や人間の言語情報の処理機構についての膨大な研究がある。
(中略)この論文集は言語差と文化の相違の問題にまで言及しているが、研究の出発点からこの問題を目指していたわけではなかった。いくつかの偶然のチャンスがあって、研究は始め予期しなかった方向に発展してしまったのである。」

昭和52年に書かれたこの本のはじめにの文章は、この後も長く続くが、ここまででいくつかのことが思い出されてきた。それは、そのプロセスがあまりにもメタエンジニアリング的に思えたからであった。
 専門的な論文の前に興味を引く対話からこの本は始まっている。にくい構成である。いきなり医学の専門論文を示されたのでは、歯が立たないであろう。対話の一説の表題は、「虫の音がわかる日本人」である。ここに全てが凝縮されているのだ。引用してみよう。

「餌取 秋に虫が鳴くのを意識して聞くと云うのは、そうしてみると日本人だけの持つ風流さなのですね。
角田 ええ、中国人にさえ通じないようですよ。
餌取 そうしてみると右半球・左半球の分かれのお話は、日本人だけが特別なのですか・・・東洋人と西洋人、という具合にわかれているのではないのですか。
角田 私が調べたインド人、香港にいる中国人、東南アジアの一部の人たちーインドネシア、タイ、ベトナム人は、日本人に見られるような型は示していないようです。
餌取 欧米と同じパターンですか。
角田 ええ、私が興味深く思ったのは朝鮮人で、これは多分日本にとても近いだろうと思われたのですが、全然違いました。
餌取 そうすると、日本人固有と云う訳でしょうか。
角田 そうですね。
餌取 どうして日本人だけ、そんな特殊な脳の働きが出てきたのでしょう。
角田 それはやはり、母音の扱い方の違いだと思います。」

 
ちなみに、ここに登場する餌取章男氏(1934~)は、日経サイエンス編集長、江戸川大学社会学部教授などを経て、現在、同大名誉教授である。

 この対話は、この後で日本語の特異性に触れてゆくのだが、この日本人の特徴は、驚いたことに日本語を日常語として話さなくなった日系二世、三世には全く当てはまらないそうなのだ。つまり、生まれながらの遺伝子の為ではなくて、日常的な話し言葉に特徴があるわけで、日本語の「あいうえお」とどの語にも必ずこれらの母音がきちんと付いていることによると、それぞれが単なる母音と云うだけではなく、それぞれに意味を持つ一つの言葉であることと云うことらしいのである。つまり「い」ならば、井、意、医、胃、衣などである。確かに、この様に母音そのもの自体が単体で意味のある言葉になってしまう言語感覚は、他の国でははっきりと認識をされてはいないのであろう。

左の脳が言語や論理をつかさどり、右の脳が感情や芸術をつかさどることは広く知られている。私は、かねてから技術者は左脳に頼らずに右脳を働かせて、独自の発想を磨くべきであり、特に設計技術者は、壁画を描く画伯の心境であるべきだと思っている。どうやら、この様な考え方も日本人特有、と云うよりは正確には、つね日頃日本語で会話をしている為のようなのである。
氏の色々な理論と実験結果を一旦飛ばすと、結論はこうである。
脳を、言語半球(左脳)と劣位半球(右脳)とその間を取り持つ脳梁に分ける。西欧人の言語半球は、ロゴス的脳と仮称されて言語・子音・計算をつかさどり、劣位半球はパトス的脳として、音楽・楽器音・母音・人の声・虫の音・動物の鳴き声などをつかさどる。
一方で日本人の脳だけは、言語半球がロゴスとパトスの両方はおろか、自然への認識までをもつかさどっている。劣位半球は西洋音楽・機械音などのみをつかさどる。つまり、日本人は左脳の負荷が西欧人に比べて圧倒的に過多なのである。
このことから推論を進めて氏は次の様に述べている。「日本では認識過程をロゴスとパトスに分けると云う考え方は、西欧文化に接するまでは遂に生じなかったし、また現在に至っても哲学・論理学は日本人一般には定着していないように思う。日本人にみられる脳の受容機構の特質は、日本人及び日本文化にみられる自然性、情緒性、論理のあいまいさ、また人間関係においてしばし義理人情が論理に優先することなどの特徴と合致する。西欧人は日本人に較べて論理的であり、感性よりも論理を重んじる態度や自然と対決する姿勢は脳の需要機構のパターンによって説明できそうである。西欧語パターンでは感性を含めて自然全般を対象とした科学的態度が生まれようが、日本語パターンからは人間や自然を対象とした学問は育ち難く、ものを扱う科学としての物理学・工学により大きな関心が向けられる傾向が生じるのではないだろうか?明治以来の日本の急速な近代化や戦後の物理・工学における輝かしい貢献に比べて、人間を対象とした科学が育ちにくい背景にはこの様な日本人の精神構造が大きく影響しているように思える。」 とある。
つまり、日本人の心は、言語も虫の音も論理計算もいっしょくたになってしまうと云う訳なのだ。従って工学の様なものが、改めて「もの」を対象とすることなく、自然に心の中に入り込んでいると云うのである。人の話し声も虫の音も同じこととして脳が受け取ってしまうのが日本人の脳で、虫の音や動物の鳴き声を、一般の機械音や雑音として受け取ってしまうのが、西欧脳なのだ。
氏は、このことをいくつかの偶然から発見したと云う。一つは、ある晩虫の音を聞きながら論文を書こうとしたが、一向にはかどらずに、虫の音が気になって仕方がなかった。西欧人に聞いてみると、そのようなことは考えられないと云う。つまり、氏の脳にとってひっきりなしの虫の音は、他人が絶えず話しかけていることと同じ受け取り方をしてしまうと云う訳なのだ。同じ理由で、音楽や楽器に対する脳内機能のパターンも全く異なってくる。
日本人の母音の順番は、「あいうえお」であるが、西欧人は「i,e,a,o,u」である。この順番で舌の位置を確認すると、日本人の場合には、舌の運動が、順を追って前後反対方向に動かすのに対して、「i,e,a,o,u」では、舌が四辺形を廻るようになるので、個々の母音が独立せずに中間的な母音が多数出てきてしまうという特徴があるそうで、このために日本人の脳では母音が言語や計算を司る左脳で認識されると云う特徴が現れるとのことである。

いずれにせよ、われわれ日本人のエンジニアにとってはこのことをしっかりと認識をしておいた方が良さそうである。つまり、特段の意識なしにものに自然を取り入れたり、改良を進めたりをすることができる一方で、様々なパトス的な雑念が入り込んでしまう。一方で欧米脳の場合には、自然などのパトス的な雑念なしに、純粋に論理思考のみで工業的な作業を行うことが出来ると云う訳なのだ。
餌取氏との対話の続きでは、次のようなくだりがある。
「左脳ばかりを使って論理のみをいじくりまわしていると、どうしても模倣になってしまい勝ちで、やはり何か新しいものを生みだすのは右の脳も使ってやらないといけない。(中略)それには西洋音楽を聴くことですよ。邦楽では語りが中心だし、自然に密着していますから、やはり充分な効果は無い。全く異質という意味で、西洋楽器の音はよい刺激になります。」 日本人の技術者は、意識的に右脳を鍛えないと、模倣文化がはびこってしまうと云う訳であろう。
最終章の「おわりに」の項で、氏はこう述べられている。
「西洋文明の危機が叫ばれているが、それは西洋人の窓枠を通しては、新しい時代に即した想像が生まれ得ない苦悩の表明ではあるまいか。数ある文明国の中で、異質の、しかもまだ充分に創造性の発揮されていない文化の枠組みを持つのは、実は日本以外にはないのである。しかし、このことを日本と西洋の優劣というような価値観に結び付けて必要以上に劣等感に悩まされたり、逆に自信を持ちすぎることもない。必要なのはこの違いを如何に活かすかということである。」
以上の著作内容は、昭和50年代のことであり、かつやや独善的な判断が無いではないと思うが、最後の「この違いを如何に活かすかということである。」と云われているのは、日本人技術者の今後に大いに役立つ言葉だと思う。