生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

八ヶ岳南麓の24節季72候 桐始結花

2016年07月26日 08時14分16秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓の24節季72候 桐始結花(大暑の初候で、7月23日から28日まで)

庭作業が植物の力に追いつかない

日本では、桐は神聖な木とされており、足利尊氏や豊臣秀吉などが用いたため、政権の紋章という認識が広がり、内閣総理大臣の紋章になっている。桐の花はとっくに終わっているので少し調べると、ここでの桐は、7月に花を咲かせる青桐(あおぎり)のことらしい。青桐は、バラ類、アオイ目、アオイ科の植物で、桐ではない。

Wikipediaの記述は以下。

『種子は「梧桐子(ごどうし)」と呼ばれる生薬として用いられ、胃痛、下痢の薬効作用がある。葉は、煎じたものを服用することにより、浮腫、高血圧に対し薬効作用があるとされる。中国では鳳凰が住む樹とされた。伏羲がはじめて桐の木を削って古琴を作ったという伝説がある(ただしアオギリかキリか不明)。

中国人の季節感と深い関係があり、七十二候のひとつに「桐始華」(清明初候)がある。またアオギリの葉が色づくのは秋の代表的な景色であり、王昌齢「長信秋詞・其一」に「金井梧桐秋葉黄」の句がある。また白居易「長恨歌」には「秋雨梧桐葉落時」という。中国の伝説ではアオギリの枝には12枚の葉がつくが、閏月のある年には13枚つくといわれた。』
ちなみに、青桐は広島平和記念公園で見ることができるそうだ。

ところで、この季節の八ヶ岳は植物の力が全てを圧倒する。新緑が完全に立派な枝葉になり、雑草も成長がピークを迎える。我が家の狭い庭でも、16年間に成長した大木の枝切りや、生い茂る山野草(勝手に生えてきたて所かまわず花や実をつける)と雑草の草取りが追いつかない。ちなみに、ブルーベリーも芝生の中に根を伸ばして、所かまわず10cmほどの芽を出す。もったいないが、これも抜かなければならない。
 
 その中で、今年の新作業は二つ。まずは、大阪の園芸用品大手から期日指定で送ってもらった支柱と網で一部のブルーベリーの木を覆った。ほかの木は、収穫が終わったのが2本だが、この区域の実はまだ青く小さい。以前は小鳥が見向きもしなかったのだが、数年前から地元の農家が一斉にBB畑を作り、小鳥が味を覚えて、どこの家でも網で囲ってしまった。我が家の網囲いは、最後になった。



 二つ目は、いわゆる生け垣用のバリカン。檜やツツジは横枝の伸びが早く、園芸用ハサミで切っていては追いつかない。これで一気に片付けることにした。



最近知り合ったご近所の永住者(高校の後輩だったので、びっくり)から「緑に囲まれた閉空間」と言われてしまったので、反省した結果でもある。

(蛇足)今月から、新しいブログ「その場考学研究所」を始めました。こちらのブログは、PDFファイルなどの貼り付けが可能なので、メタエンジニアリング関係は、順次そちらに引っ越しのつもりです。



その場考学との徘徊(11) 廃城と廃線

2016年07月16日 08時10分33秒 | その場考学との徘徊
廃城と廃線

NHKの大河ドラマの真田丸の題字で有名になった左官の鋏土秀平氏の作品を高山市内の特別展を拝見した。(その場考学との徘徊 09)
それから、にわかに真田丸ファンになってしまい、今回は八ヶ岳南麓から上田市立博物館を目指した。

朝の白樺湖で一息ついての2時間、80kmのドライブです。上田市立博物館は、上田城の敷地内にあり、看板にあるように丁度、「NHK大河ドラマ館」で特別展が開催中で、そちらのほうに団体の観光客が押しかけていました。

大河ドラマ館は、さすがNHKの肝いりだけあって、かなりの数と内容の展示でした。また、博物館の特別展も歴史上重要な古文書が多く展示されており、勉強になりました。



残念ながら、両方ともに撮影禁止。最近は、国立博物館のように、自己の所有物の撮影は許可しているのですから、もう少し訪問者にサービスをしてもよいように思います。

上田から10kmほど北に真田の町があり、かつての本拠地の山城や館跡や墓所などが観光名所になっており、10年ぶりにそこにも行ってみました。
 ここの歴史館には食事処が併設されていて、昼食は煮込みうどんとおはぎのセット。これは、カボチャなども入っていて、まったくの甲州の「ほうとう」なのですが、名前は「うちいれ?」とまったくの別名です。



館跡には、小さな神社がありますが、この拝殿の後ろには立派な本殿があり、周囲は自由に近づけました。よく見ると、伊勢神宮を思わせる掘っ立て柱の建物が、きちんと屋根の下にあったのは、驚きでした。




帰路は、安曇野経由の長野道を選びましたが、途中で廃線になった旧篠ノ井鉄道のトンネルと橋梁を歩いてみました。
 誰もいない場所でしたが、遊歩道の整備はよくできていました。






城も、廃線もどちらも使われなくなったものを保存して、有効に利用することを実行した結果なのですが、多くの人を集めるかどうかは、宣伝次第ということなのでしょう。特別展はその時、その場限りのもの。太く短くか、細く長くかも選択次第。どちらが歴史に残るかは明らかなのですが、現代の資本主義社会では、前者ばかりが増え続けるのでしょう。

梅雨の中でのドライブ日和を選んでのいちにちでした。