生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

縄文土器と土偶のその場考学

2023年06月11日 13時05分01秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
メタエンジニアリングによる文化の文明化(20)
題名;縄文土器と土偶のその場考

 縄文土器と土偶の関係をメタ思考する。私は、縄文時代に大いに興味があり、関係本を何冊も読み、遺跡や博物館巡りも何回かした。それは、その時代が日本の文化の発祥だからである。そして、縄文時代には、驚くほどのイノベーションとその合理化が行われ続けられていた。だから、一万年以上も持続した。
特に、イノベーション指向は、弥生時代のそれを遙かに上回ると考えている。弥生時代になると、社会が稲作に拘って、新たなイノベーションはむしろ停滞したように思う。

 先日、松本市の小さな考古館で、いろいろな土偶を楽しんだ。特に、小さな土偶の顔や胴体の表現は、千差万別で面白い。


松本市立考古博物館の土偶(胴体部)

 10年以上前に青森で立ち寄ったある考古館では、物置のような建物を開けてもらい、岩木山北麓から発掘された山積みの土器と、その破片を見せてもらった。帰りがけに、「遠くからいらしたのだから、お土産に一つ気に入ったものをお持ちください」と云われて、一つ手に取ると、「それは面白くない、之をあげましょう」と言われて、頂いたのがこの土器片だ。
上縁の一部なのだが、以来、これと同じ文様を探しているのだが、まだどこの博物館でも図録でもお目にかかったことはない。



 ちなみに、この場所は室内の階段の曲がり角で、土器と土偶を並べてじっくりと見ることができる。
国宝級の土偶は、手に取って細部を見ると、その素晴らしさが何倍にもなってくる。

 本題に戻る。なぜ、「縄文土器と土偶の関係をメタ思考する」のか。それは、ほぼすべての専門家が、縄文土器は土器として、土偶は別の呪術的なものとして、別個に扱っているからです。この二つは、同じ時代に、同じ社会内で、同じ素材と製造方法で、同じ場所で作られた。つまり、エンジニアリング的には全く同じものになる、と考えるからなのだ。「いや、素材も製造方法も製造場所も違う」といわれれば、それまでなのだが。

 私は、土偶の始まりを子供のおもちゃと考えている。親が土器を作っている傍らで、遊び相手のいない子供が、粘土の余りをもらって、お人形さんを作る、というわけである。子供の絵を見ればわかるのだが、初めて絵を描く子供は、先ず顔を描く、そのときの目鼻は、大人の目にはひどくかわっている。やがて、胴体と手足を描くが、これも異常な形が多いし、千差万別になる。
 子供が人形遊びを始めると、すぐに首をもぎ取ったり、手足をバラバラにする。このことは、多くの土偶が破壊されていることと符合する。別々の場所で発見されるのは、子供があちこち持ち歩くからだ、別の部落に、体の一部が存在するのは、子供同士の友情の交換の結果と思う。墓にあるのは、早くに亡くなった子供の形見として、親が終生持ち歩いたか、子供とともに葬ったのだろう。
 数百年の間には、子供達の創造性の優れた才能に親が気がつき、生活に余裕が生まれると自分で芸術作品としての土偶を作り始める。それが、土偶の歴史のように思うのだが。

 芸術作品となった土偶には、それに適した置き場所が問題になる。我が家では、居間や通路に置いてあるのだが、トイレにふさわしい土偶もある。



八戸にある国宝の土偶はトイレに置いた

 このような、勝手な想像を巡らすと「土偶は、縄文土器をつくる、その場で作られた」となる。陶芸は、一度捏ねた粘土で一気に原型を作り上げる。だから、その場でなくてはならないのだ。

文明を文化人類学からの視点で考える

2023年06月10日 09時21分19秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
文化の文明化(19)

題名;文明を文化人類学からの視点で考える

 現代文明が揺れている。特に、経済と政治の面で揺れている。現代社会の持続性を考えると、文明から一歩下がって文化のレベルから考えるのがよいように思う。そこで、祖父江孝男「文化人類学入門」中公新書(1979)から初めて見ることにした。

 著者は、文化人類学の大御所とも思われる方で、この著書も、初版は1979年に出版されて、19版を重ねた。そして、1990年に改訂増補として再出版され、2022年に第37版が発行された。累計では56版目になる。これだけの版が重ねられれば、名著の部類に入るのだろう。



 入門書なので、「文化人類学の世界」を概観した後で、「人間は文化をもつ」として、文化の内容を説明した後に、「文化の進化」、「文化の伝搬」、という一般論を終えて、文化を支える各種技術と各種文化の歴史の各論が続く。
 「人間だけがもつ文化」の項目で、『人間と動物のあいだの本質的な差異を示すために、人類学者が考えだした概念が「文化」である。』(p.38)としている。

そして、続けてこの様に述べている。『もともと文化という語は、「武化」に相対することばであり、「武力ではなく、学問の力で感化すること」の意であった。』(p.38)
 これには驚かされた。何故ならば我が意を得たり、だったからだ。私は、「文明」に対して、「武明」という言葉を勝手に使っている。現代の過去の多くの文明、特に現代の西欧文明は、文明というよりは武明の傾向が強いように感じているからだ。つまり、武力や権力によって発達し、伝搬された傾向が強いように思われるからだ。
しかし、武明という言葉は、どこにも見当たらない。では、「武化」はどうだろうか。検索をしても、なかなか見つからないのだが、唯一このような記事を見つけた。明星大学 人文学部 日本文化学科の「ことばと文化のミニ講座」の中にある「文化という語の複層性」の中の記述だ。
 『これまでの研究によって明らかにされた「文化」という語の来歴を踏まえると、その意味がさまざまに解釈されるのも無理からぬ話だと思えます。
冒頭で取り上げた柳父章氏の著書によれば、「文化」は中国古典から日本語に採り入れられたもの。したがって、その意味は「文」と「化」の組み合わせであり、「文化」とは「文」によって人民を教え導いていくこととなります。日本最大の漢和辞典である諸橋轍次『大漢和辞典』では、「刑罰威力を用ひないで人民を教化すること。文治教化。」と説明しています。ここでの「文」とは「武」に対するもの、すなわち非武力ということが重要な要素になっています。現代では、この用法はほとんど見られなくなっているのかもしれませんが、校訓などで使われる「文武両道」の「文」を思い浮かべてもらえれば、その片鱗はまだ感じ取れるのではないかと思われます。
これに対して、近代の翻訳語である「文化」は、ドイツ語「クルトゥール(Kultur)(=英語のcultureに相当)」の訳語としての「文化」、こちらは人間の精神的活動やその所産を示し、現代ではおおむねこちらを意味すると受け取られるでしょう。しかし、KulturまたはCultureが日本に輸入された当初は、必ずしも現代語の意味での「文化」に翻訳されていたわけではないことはよく知られた事実です。』とある。

実は、「文明」についても、全く同じことがいえる。明治維新の「文明開化」が縮められて「文明」になったという説だ。しかし、「文明」という語の語源は、「易経」の次の言葉にあるというのが、日本の歴史家の通説になっている。
六十四卦の中から「文明」について記されているものを探すと、「同人」の項に、「文明以健、中正而応、君子正也」という言葉がある。
「同人」は同人雑誌の同人、志を同じくすること「天火同人の時、同じ志を持った者同志が、広野のように公明正大であれば通じる。大川を渡るような大事をして良い。君子は貞正であれば良い」が全体の意味で、そのときは「文明にしてもって健」ということのようだ。

 二つの象の上下が逆になると。「大有」となる。その中に「其徳剛健而文明」の言葉がある。「その徳剛健にして文明」との状態。全体としては、「大有」火天大有(かてんたいゆう) 大有とは、大いに有つこと。 大きな恵を天から与えられ、成すこと多いに通ずる時。 天の上に太陽(火)がさんさんと輝いている状態。

 また、上が坤で下が離だと、「内文明而外従順」となり、これは、「内文明にして、外従順、もって大難を蒙る」とある。周の文王が殷の紂王に捕らえられた様をあらわしている、とある。
 しかし、下が離でも上が兌だと、「文明以説」で、「文明にしてもって説(よろこ)び」となる。
 易経では文明はこのように扱われている。

 著書のなかでは、文化の進化について色々な説が紹介されているが、もっとも古いものが、ルイス・モルガンの社会進化論に基づく分類になっている。彼は、ニューヨークの弁護士で、インデアンの権利の擁護を訴えて勝訴したのだが、その際にインデアンの文化を徹底的に調査している。彼の著書を境に、米国におけるインデアン差別が、徐々に廃されていった、とある。
 『Ⅰ野蛮時代
1 下期野蛮時代 文化の始まったときから次の時代まで。
2 中期野蛮時代 魚を食べることと、火の使用が始まったときからあと。
3 上期野蛮時代 弓矢の発明からあと。
Ⅱ未開時代
1 下期未開時代 土器の発明からあと。
2 中期未開時代 東半球では家畜の飼育が始まったときからあと。
西半球では濃概耕作によってトウモロコシなどの栽培が始まったときからあと。
 Ⅲ文明時代
  文字の発明と使用が始まってから現代に至るまで。』(pp.45-46)

 このように年代を連ねてゆくと、文化から文明に進化したことが明白になる。つまり、文化が発達しないところに、文明は起こらない。そして、技術の無いところに文化は起こらない。
 逆にいえば、なんらかの技術が発展して文化が起こり、文化が様々な技術により文明に進化すると云うことができる。従って、技術を実社会に活かす術、すなわちエンジニアリングが、すべての根底にあることになる。




優れた日本文化の文明化のプロセス(18)番外3

2015年11月27日 09時43分40秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
                                                 
             
番外3 イスラム文明の盛衰プロセス

第17回の話の中で、次の様に書きました。
 『岩波書店がアリストテレス全集を発刊した際には、諸外国から賛辞が贈られたとの事実がある。西欧のルネッサンスがスペインでのレコンキスタがイスラム文明を導入するきっかけとなり、その際にアリストテレス全集のイスラム語版の存在を知り、あわてて西欧の言語訳を作り、それを当時の印刷技術で広めたことが、中世の非合理的な世界から抜け出す原動力となったとの説もある。ちなみに、それまでイスラム文化圏であった地域の多くは、アレキサンダー大王に支配された地域が多く、アリストテレスは若きアレキサンダーの師であった。古代ギリシャの自然科学の知見を素直に受け継いだイスラムが、中世のヨーロッパを席巻していたと時代と言えそうである。』

 レコンキスタについて、Wikipediaでは概要を次のように記している。『レコンキスタ(スペイン語:Reconquista)は、718年から1492年までに行われた、キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動の総称である。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる。レコンキスタはスペイン語で「再征服」(re=再び、conquista=征服すること)を意味し、ポルトガル語では同綴で「ルコンキシュタ」という。日本語においては意訳で国土回復運動(こくどかいふくうんどう)や、直訳で再征服運動(さいせいふくうんどう)とされることもある。』
先年、スペインを旅行した時にはこの基本的な歴史的事実を知らずに、大いに恥ずかしかった。

 この超長期間にわたるイスラムの西欧に対する優位性を明確に記した書物に出会ったので紹介したい。題名は、ストレ-トに、『奴隷になったイギリス人の物語―イスラムに囚われた100万人の白人奴隷』で、著者は大航海時代のノンフクション作家の第1人者として紹介された英国人。2006年にアスペクト社から発行された,406ページの大作だ。



 意外な内容を紹介する前に、大航海時代のはるか後のある話を思い出した。『母をたずねて三千里』だ。あの話は、イタリアに住む少年が、アルゼンチンの裕福な家に出稼ぎに出たまま帰らない母親を訪ねる物語だったと思う。近代でも、多くの日本人移民が南米に渡ったのだから、このような地域の貧富(というよりは文明化の程度)のサイクリックな変化は、将来も続いてゆくものだと考えた方がよさそうに思う。

 本題に戻る。物語は、モロッコに巨大な宮殿をつくり(歴史上最大と云われているが、材料が基本的には土だったので、砂漠の風で完全に風化してしまった)、巨大な軍隊を持っていた大スルタンのひろばでの儀式から始まる。そこでは、無理に太らされた白人奴隷の売買が行われていた。
当時(1700年前後)は、ヨーロッパ各地やアメリカ新大陸で、白人が奴隷として連れさられるケースが頻発したそうで、モロッコ、アルジェ、チュニス、トリポリなどで奴隷として長期間酷使された事実が、近年明らかになった。
主人公の少年は、11歳のときにたまたま乗っていた船が地中海で海賊に襲われ、以降23年間奴隷としてモロッコのスルタンの近くで働かされた。たまたま、上記の儀式でスルタンの目にとまり、その後を過ごしたので、王宮内部や外交にも接する機会が多く、歴史の証言者になることができた。しかし、拷問でイスラム教に改宗させられ、去勢されてから妻を娶らされる。この間、イギリス大使等との交渉で少数が帰国するが、だれも真実を語らず、また話の多くは現代まで信じられていなかった。しかし、この少年(23年後にはだれの目にも、キリスト教徒のイギリス人とは見えなかった)の話が、かつての友人の証言から信用できると判断がされたという記録が発見されて、著者がこの作品を書くきっかけとなった。

この事実は、8世紀から15世紀末までのイスラムの圧倒的な対西欧の有利が終わって、西欧にルネッサンスが広がった後でも、なをこのような優位性が長期間保たれていたことを示している。文明の衰退のプロセスとそれに要する期間についての、一つの貴重な事例になると思う。

訳者(元 朝日新聞出版局)は、あとがきで次のように記している。
『もうひとつ驚いたのは、イスラム教対キリスト教の対立は今と同じゃないか、という思いだった。十字軍やそれ以前からの宿敵対立の図は、まるで変化していない。サミュエルル・ハンチントンのいう「文明の衝突」は、永遠に続くのだろうか。・・・』

 現代社会に暮らす日本人も、西欧文明の中心地を誇る欧米人も、この一千年に亘るイスラム優位の世界を過小評価していることは、文化の文明化のプロセスを考える際の要注意事項だと痛感する次第です。

                  2015.11.27 その場考学半老人 妄言

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(17)文字文化と文明

2015年11月07日 15時28分51秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
文化の文明化のプロセス 第7話 文字文化と文明

1.文化から文明へのプロセス

 世界4大文明の発生はあまりにも有名だが、それの基になったそれぞれの地域での文化については、それほどに有名ではない。文明と呼ばれるような状態になったのは、概ね紀元前3000年ごろだと思うのだが、それぞれの地域の文明以前の文化と呼ばれているものには次のものが挙げられる。

① 黄河文明     良藩・龍山文化、二里頭文化など
② インダス文明   ハラッパー文化
③ メソポタミヤ文明 ウバイド文化
④ エジプト文明   ナカーダ文化 

 そして、それぞれの地域で共通しているのは、独自の文字が発明され、それが文字文化となったところで文明化が急速に進むことになったことのように思われる。最も古いとされているメソポタミヤでは、紀元前3200年頃にウルク古拙文字が発明されたとされている。また、紀元前1700年代にバビロニアを統治したハムラビ王が発布したハムラビ法典は有名であり、楔形文字で記されている。このレプリカは岡山の博物館で見たことがある。
黄河地域での甲骨文字、エジプトのヒエログリフも有名になっている。文字文化の発展は、様々な教訓や物語・歴史などを次の世代に容易に伝えられることが可能になる。そのことにより、文化の文明化が急速に進むものと考える。



ハンムラビ法典が記録された石棒(->裏側)、ルーブル美術館所蔵 (Wikipediaより)

2.文化の文明化への条件

 このテーマについては、文化人類学や比較文明論などの分野で多くのことが語られているが、エンジニアリングの立場からの著作は見当たらない。すなわち、文明を作ることと、おおきなものを作ることは、同じことが云えるのである。云いかえれば、大きなものをつくり続けることが、文明の成立につながるとも言える。

 例えば、航空機の例をとれば、古代の神話時代から、大空を飛ぶという考えは、ほとんどすべての未開文化に存在した。それがライト兄弟の成功で現実味を帯びると、一斉に世界中の発明家が試作を繰り返し、その技術の伝播により現在の飛行機にまで発展を遂げた。
 つまり、エンジニアリング的に考えると、文明化の条件は次の4つに要約される。

① 多くの人々が、長期間ある望みを持ち続ける。
② 技術の伝承システムが確立し、次々に改良が続けられる。
③ 改良が、より合理的で普遍的な方向へ向かう。
④ 大きな障害が起こっても、それを乗り越える力が存在し続ける。

 発明や発見は世界史の中で無数に存在するし、今後も無数に発生する。その中には長期間にわたって改善が進んで成長するものと、途中で途切れるものに分かれる。例えば、印刷技術は古代中国で最初に発明されたと言われている。しかし、現代文明につながったのは、グーテンベルクの印刷機であった。古代中国では、上記の4条件の①と②が満たされなかったのであろう。蛇足だが、現代日本でイノベーションが起こらない原因も、この4条件のいずれかが満たされていないために、すぐれた研究成果が実を結ばないのだと考えられる。つまり、現代日本では、①と②は充分すぎるほどに満たされているのだが、③と④に問題が存在する。③については、日本文化独特の拘りから抜け出せずに、ガラパコス化に向かってしまう場合が顕著であることが、色々なケースで実証されてしまった。また、④については、経営者のリスク回避傾向が欧米に比べて強く、せっかくの発明やアイデアが、道半ばで選択と集中の犠牲になってしまうケースが多い。

3.漢字を用いる日本語の価値

 最近、日本の漢字と仮名の混淆文字文化と英語などアルファベットなどを文字とする文字文化についての著者が散見されるようになった。大方は、日本式は難しくて普遍性がないと批判的なものだが、中には漢字文化が最近のノーベル賞多発の大もとにある、と断言した著書もある。私は、この説を大いに支持したい。
漢字の起源は象形文字のものが多く、例えば、太陽を表す「日」や、樹木を表す「木」、それを組み合わせて、木の後ろから日が昇る「東」などは有名であろう。そして、中国とは異なり、日本の漢字は古代中国の漢の時代の文字の形状をそのまま保とうとしている。

 西欧文明が明治維新に導入された際に、多くの学問分野が漢字で表わされるようになった。例えば、物理と化学だが、物の理を理解する学問、物の化ける様を研究する学問など、文字からその内容を理解することは、小学生でも容易にできる。内容どころか、その本質を旨く言い当てたものもある。例えば、「物性」という単語は有名で、英語には相当する単語は無く、そのために様々な物性に関する研究が、「物性研究」の名のもとに集合されて、著しい成果を上げているとの説がある。

 一方で、PhysicsとかChemistryという文字列は、それだけで内容を理解できない。英語の学問分野の多くは、古代ギリシャ語やラテン語からそのままの形で表されるようになったのだが、その為に文字列から本質を理解することはできない。更に、日本語が特殊であるが故に、多くの文献が日本語訳されている。この事実は世界的に珍しい傾向だそうで、多くの著書では、この為に日本語で作成された論文がリファーされずに、大学の世界地位が低めに出てしまうことを嘆くことが記述されている。

 しかし、岩波書店がアリストテレス全集を発刊した際には、諸外国から賛辞が贈られたとの事実がある。西欧のルネッサンスがスペインでのレコンキスタがイスラム文明を導入するきっかけとなり、その際にアリストテレス全集のイスラム語版の存在を知り、あわてて西欧の言語訳を作り、それを当時の印刷技術で広めたことが、中世の非合理な世界から抜け出す原動力となったとの説もある。ちなみに、それまでイスラム文化圏であった地域の多くは、アレキサンダー大王に支配された地域が多く、アリストテレスは若きアレキサンダーの師であった。古代ギリシャの自然科学の知見を素直に受け継いだイスラムが、中世のヨーロッパを席巻していたと時代と言えそうである。
 近年のノーベル物理学賞は、この日本語の文字文化と、膨大な日本語訳の文献が大きな原動力の一つとなっているという考え方も、あながち無視できないように思う。英語の文献を読みあさるのも、知識の拡大につながるのだが、翻訳技術に長けた専門家が訳した日本語を熟読すると、原文では表れていない、その奥にあるものが見えてくるように感じることがある。






 以上の3枚は、岩波書店のアリストテレス全集の発刊と同時に発行された「月報」による。

 このような思考過程を経ると、古代においても現代においても、独特の文字文化が文明化のプロセスの重要な要素であることが明白になるのではないだろうか。
                            2015.11.7 その場考学半老人 妄言

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(16) 第6話 その9

2015年08月03日 09時09分53秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その9

TITLE: 文化の文明化へのプロセスの入り口

 第1次世界大戦からほぼ1世紀が過ぎた。この間に発行された多くの著作から、優れた文化の文明化のプロセスの入り口が見えてきた。当初は、未開の文化や文明への興味本位のものが、第2次世界大戦後に多くの国家が独立し、世界中の全ての文化を平等な視点から評価し、分類してゆく作業が始まった。
 それと同時に、現在の西欧型の科学・機械文明の致命的な欠陥が見えてきた。即ち、有限の地球との間に大きな矛盾が存在する、という考え方である。それからは、文明の衰退や、新たな文明の成長の過程に対する研究に移行し、20世紀末が文明の転換期であろうとの推論が多く出されるようになった。つまり、現存の文明もまた衰退期にある、という理論である。古代の4大文明に始まり、マヤ文明、ローマ帝国文明などの衰退の原因から、現代文明に共通する衰退の原因もいくつか明らかになってきた。そのひとつが、西ローマ帝国の崩壊である。
長期間にわたって、全盛期を保ったキリスト教文明が、ゲルマン人の侵入によりあっけなく滅んでしまった。その主たる原因は、ものつくりや職業の極端な専門化と、流通のインフラ整備だとの説がある。つまり、自分で何もしなくても欲しいものが容易に手に入る状態が全土に行きわたってしまった結果だという。そのようなときに、大きな想定外のことが起こると、人民は正しい自己判断や、身を守ることが難しくなるという訳なのだが、この状況は東日本大震災時の大きな津波への即応が、多くの地域で誤り、甚大な被害を生じさせたことに通じる。
 「文明の衝突」は、日本語の題名のために衝突ばかりが注目され、最近の国際間及び民族間紛争を予見したとして有名になった。しかし、原題では、衝突の後に「andリメイキング」となっている。紛争を未然に防止したり、拡大を防ぐことは、主として政治家の役割であるが、文明のリメイキングは一般人の問題である。特に、現代文明をリードしてきた科学者と技術者がこの問題を真剣に考えなくてはならない。

 次の文明に対するヒントを記した著書は沢山ある。しかし、どの主張にも共通点が見出される。それは、次の3点に集約される。
 ① 自然と対抗するのではなく、自然と共生すること
 ② 美的感覚を重視すること(美しい、イカシテいる、スマートなど)
 ③ ローカル文化の中に含まれる不合理性の排除
である。

 これらが、当てはまる事例が存在する。19世紀後半の絵画の世界だ。ルネッサンスを含み、絵画は専門の絵師が、肖像画・歴史画・宗教画を描き続けていた。そこへ、印象派の登場である。印象派は、戸外の自然を大切にし、光の美しさを強調し、過去の絵画の不合理性を除いた。そして、それ以降は多くの流派が台頭し、多種類の画家が生まれた。このことは、芸術の世界では、正に文明の転換であったといえよう。

 文明学者の間では、遠く奈良時代から現代まで続く日本文明が注目をされている。その理由は、主に前出の①と②が当てはなるからだろう。しかし、③については、日本人が考える以上に、日本文化は不合理な点が多々ある。それらの多くは、長年の国際共同開発の現場で気づいたものなのだが、多くの日本論の著書で紹介されているので、ここでは割愛する。今後の各論で項目ごとに指摘を試みることにしたい。
 今までに考えていた優れた日本の文化は、次の通り。
 ① 和食の文化
 ② 日本の省エネ文化
 ③ 日本の品質管理文化
これらは、すでにいくつかの局面で紹介をしたのだが、改めて文明論的視点から見た不合理なことは何かを考えてみようと思う。

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(15) 第6話 その8

2015年07月30日 10時38分38秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その8)

資本主義以後―科学・人間・社会の未来

最近出版された二つの著書を読み進めると、現代の西欧科学と資本主義により生じている様々な問題の根本的な解決の方向は、西欧と較べて現在でもなお独特であり続ける旧来の日本的文化と一致しているとの考えが深まってゆく。従って、優れた日本文化の文明化のプロセスを導き出すことの重要性を、改めて感じざるを得ない。

1.中谷 巌「資本主義以後の世界」徳間書店(2012.1) KMB391



・「デザイン・イン」という手法の強さ
 日本の自動車メーカーは「デザイン・イン」という手法で日本車の信頼度を高めてきた。これは新車を開発し、市場に投入する時、組み立てメーカーと主要部品メーカーとの間で技術情報を頻繁にやり取りしながら、最新鋭の車を開発してゆくシステムのことである。
企業間の長期的関係がないところではデザイン・インというシステムは成立しない。なぜなら、いつ取引を止めるかもわからない相手に、最新の木密技術情報を開示することはできないからである。(中略)長年そうした暗黙のルールでやってきたのだが、ここ十数年のアメリカからの構造改革要求によってそのような日本的な長所はかなりの程度崩れてしまった。

・中国が体現しているアダム・スミスの「資本主義」
 アダム・スミスの「国富論」の中味を精読すれば、実は西洋の資本主義より中国の市場経済の方がアダム・スミスが理想とした資本主義の姿に近いというのである。アダムスミスが「国富論」の中で考えていた資本主義発展のあるべき姿は、まず農業の生産性を引き上げることからスタートして、国内の社会基盤を整え、徐々に工業化へと進んでゆく。そして余力ができたら、国内の商業、金融を整備し、最後に外国との交易を通じて豊かな社会をつくってゆく。(アングロサクソン型の資本主義は、新大陸の発見 ⇒海外の開拓・投資 ⇒国内の経済の発展、という アダム・スミスの「資本論」とは逆の不自然なもの)

・「文明の転換」という視点
 日本の経済体制はこれまで「異質だ」「閉鎖的だ」「非効率だ」などマイナス・イメージで語られることが多かった。しかし、西洋型資本主義が苦戦するなか、日本の経済社会体制やそれを支える文化や精神風土を再評価する動きも出てきた。日本が西洋諸国から見て異質な体質をもった国だからこそ、西洋主導の資本主義体制に代わる新しい経済社会システムを生み出せるのではないか。

・自らの歴史・文化・伝統を忘れたら生き残れない
 英語を普遍語と見なして公用語化し、自国語を忘れるということは、自国文化の重要性を忘れ去ってしまう恐れがあるということだ。西洋の植民地となり、言語も統一されてしまった南米やアジア・アフリカ諸国が文化的に根なし草となり、もともとあったはずの独自性を喪失したことは歴史の教えるところである。

・「文明の転換」を如何に実践するのか
 少なくとも近代以前の日本人は自然からの「贈与」のありがたみを深く理解していた。「じぶんたちは自然の恵みによって生かされている」という自然に対する感謝の気持ちは、日本人にとって極めて自然な感情であった。(中略)大事なのは、日本が「交換」から「贈与」への「文明の転換」を意識し、資本主義が行き詰った後の「資本主義以後の世界」を主体的に構想してゆくことができるかどうかだ。
         

2.広井良典「ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来」岩波新書(2015.6) KMB403

 この著書を読み進めると、現代の西欧科学と資本主義により生じている様々な問題の根本的な解決の方向は、旧来の日本的文化と一致しているとの考えが深まってゆく。



・読売新聞(H27.7.20)新書論壇の書評(中島隆信)より

 同書は、「資本主義=限りない成長志向」とみなし、成長とは時間の流れを早めることだという。そして。科学の進歩は人類による自然への支配力強化を通じて、短時間でより多くの利益を引き出しことを可能にした。しかし、成長を追求する生き急ぎは、実物経済拡大の潜在力があるうちは持ち堪えられるが、そこを越えると貨幣という非現実世界での拡大へと移行する。貨幣的拡大は格差をもたらし、格差を埋めるためにさらに成長が必要という悪循環に陥るのだ。この連鎖を断ち切るため、広井は時間がゆっくり流れる社会への転換を提言する。人間を共同体に、さらには自然に帰属させてゆくことで時間の流れは緩やかになってゆく。

・近代科学の先にあるもの
 
 自然観や生命観といった次元にさかのぼった上での、これからの新たな科学のありようである。一つの手がかりは、先ほどの近代科学の二つの柱あるいは軸として論じた点についての再考にあるだろう。つまりそれは、
(1)「法則」の追求(背景としての「自然支配」ないし「人間と自然の切断」)
(2)帰納的な合理性(ないし要素還元主義)(背景としての「共同体からの個人の独立」)
という二点だったのだが、この二つの次元に即してごく単純に言うならば、両者について、近代科学が前提としたような方向でないようなありかた、つまり、
(1)については、人間と切断された、かつ単なる支配の対象としての受動的な自然ではなく、人間と相互作用し、かつ何らかの内発性を備えた自然という理解。また、一元的な法則への還元ではなく、対象の多様性や個別性ないし事象の一回性に注目するような把握のあり方。
(2)については、個人ないし個体を共同体(ないし他者との)関係性においてとらえるとともに、世代間の継承性(generativity)を含む長い時間軸の中で位置付けるような理解。また要素還元主義ではなく、要素間の連環や全体性に注目するような把握のあり方。と呼べるような科学の方向が、一つの可能性として浮かび上がってくる。

・日本の位置と現在

 日本においては、(工業化を通じた)高度成長期の成功体験が鮮烈であったため、「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という発想から(団塊の世代などを中心に)抜け出せず、人と人との関係や労働のあり方、東京―地方の関係、税や公共性への意識、ひいては国際関係(「アメリカー日本―アジア」という序列意識など)等々、あらゆる面において旧来型の世界観を引きずっているという点が挙げられる。

 若干誇張して言うならば、地震研究など現代の科学が行う地震予知や警告に従うよりは、「何かあったらできるだけ早く近くの神社仏閣へ行け」という古くからの素朴な戒めを遵守した方が、津波の被害は少なかった可能性があるとも言える。
ちなみに、上記の熊谷は纏めの文章で次のように述べている。「報道等でも周知のとおり、このような規模の津波被害は数百~数千年周期で起こっていたことが科学研究からわかってきている。では、千年後に伝えられる防災とは、なにか?今回の津波被害を経て、防災体制や防災教育がみなおされはじめているが、はたして先年後の社会にまでいきつづけることができるのだろうか

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(14) 第6話 その7

2015年07月29日 08時19分52秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その7)
文明の衝突

 「文明の衝突」という言葉はあまりにも有名で、著書の紹介では省いたのだが、改めて二人の著書を紹介したい。人類発生以来の文明にまで思考を広げると、状況は正反対の結果を導く可能性もある。同じ「文明の衝突」という言葉を使った、欧米流と日本流の思考の展開を比較した。

 1.サミュエル・ハンチントン著「文明の衝突」集英社1998.6(KMB1008)
 
20世紀から21世紀に向かって、巨大イデオロギーの対立から次の文明のあり方について解説をした伝説的な名著。初出は、1993.7の「フォーリン・アフェアーズ」誌だったが、反響が大きく、1996.11に「The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order」の題名で出版された。「文明の衝突」とは、衝撃的で名訳なのだが、ClashとかRemakingとは、ニュアンスが異なり、特に原題の「Remaking」の意図が伝わってこない。
 ここでは、日本文明に関する事柄に注目するが、日本自身にもかなり問題があることが分かってくる。



・日本語への序文
 第一に、この五年の多くの事態の推移から裏付けられることは、世界政治における文化・文明的なアプローチが妥当かつ有用だということである。(中略)第二の重要な進展は、異なった文明に属するグループのあいだの衝突を阻止し、封じ込める必要性に対する認識が高まっていることである。

日本が明らかに前世紀に近代化を遂げた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれとは異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にはならなかった。(中略)日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接につながりをもたない。(中略)日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシャ、中国とシンガポールの間に存在するような、緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。そのために、日本は他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる。(1998.5)

・西欧の力:支配と衰退
第一に、進行がゆっくりしていること。(地位を築くまでに400年、衰退にはおなじ時間)
第二に、衰退は直線的に起こるものではない。(その過程は極めて不規則、止まったり逆行)
第三に、力とは、個人あるいは集団が他の個人あるいは集団の行動を変えさせる能力のことである。(行動は、誘導、威圧、説得のいずれかによって帰ることができるが、その為には力を行使する国が、経済、軍事、制度、人口動態、政治、科学技術、社会などの面で必要な力をそなえていなければならない)

・西欧の再生はなすか?
第一に、西欧文明はそれだけで一類をなす新種で、これまでに存在した他の全ての文明と比較のしようがないほど異なっているだろうか?
第二に、それが世界的に拡大することは、他の全ての文明が発展する可能性をなくすおそれ(あるいは望み)があるのだろうか?
多くの西欧人の気持ちとしては、当然、イエスと答えたいところである。そして、おそらくそれも正しいかもしれない。だが、過去に他の文明の人たちが同じような考えをいだき、その答えは誤っていた。
 経済や人口統計よりもずっと重要な意味をもつものは、西欧における道徳心の低下、文化的な自殺行為、政治的な不統一である。

・来るべき時代の文明間の戦争を避けるには、第一に・・(中略)そして第三に普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入れ、そのうえであらゆる文化に見出される人間の「普遍的な性質」、つまり共通性を追求してゆくことが必要。(中略)世界中の人々が同時に同じ映像を見ても、それぞれの文明の価値観によって異なる解釈をする。


2.崎谷 満、「DNAでたどる日本人10万年の旅」昭和堂(2008.1) KMB401

ミトコンドリアDNAとY染色体の亜型の詳細解析とビックデータのおかげで、人類がアフリカで進化するたびに全世界に拡散していった歴史が、急速に明らかになり始めた。アダムと、第2のアダムというモデルの存在などは、すでに広く認知されたと言っても過言ではなさそうに思う。この著者は、その先鞭を開いた京都大学の研究室で博士課程を修了した方で、まさにその正当派といえよう。
文化と文明の観点からのこの著書は、日本文化と日本文明を考える上での基本的な大著とも云えるのではないだろうか。それは、P82に表された「表2-2」に集約されている。
 ここ著書に示される人類10万年の歴史から見ると、文明の衝突が日本国内でも既に始まっていることが分かってくる。



・日本列島では維持できた高いDNA多様性
 日本列島へは、後期旧石器時代にC3系統、O系統のヒトの集団(移動性狩猟文化)が、新石器時代にはD2系統(縄文文化)、C1系統(貝文文化)およびN系統のヒト集団が、金属器以降にはO2b系統・O2a系統のヒト集団(長江文明)、またその他、O3系統(O3e系統は黄河文明と関連)、O1系統(オーストロシア系)などの集団が渡ってきて、現在までもその集団を維持している。このように日本列島は非常にDNA多型性が高い地域である。それもかなり遠隔なヒト集団が現在も共存している世界的に珍しい地域である。
(世界の他の地域では、民族移動の度に虐殺や追放・逃走が起こり、先住民族がその地に留まることは少なかった。日本に全ての先住民族が集団として残った理由は後に述べられている。)

日本列島には東アジアの古い歴史に関わる貴重な人びとが今でもそのDNAを保存することができたこと、時代ごとに東アジアの変動を表すヒト集団の避難場所として古いものから新しいものまで重層したヒト集団の複雑な構造を示していることなどの点で、日本列島は貴重な地域であるものと考えることができる。

・日本列島におけるDNA多様性維持の諸条件
 第一に、この日本列島は気候が温暖で降雨量が多く、暖温帯林および冷温帯林の豊かな植物相を提供している。
 第二に、日本列島周囲には暖流や寒流などによるプランクトンの豊かな海があり、新石器時代に導入されて漁労技術により、・・・
 第三に、このような豊かな環境要因が、低い人口密度であれば、大きな争いがなくても人びとが安定的に生存を可能にした・・・
 第四に、金属器時代(弥生時代)以降になり、ユーラシア東部の混乱により難民化した人びとが日本列島に渡ってきたが、最近の研究では少数の人々が数次にわたり少しずつ移動したことが推定されている。

・日本列島における多様性維持の意義、支配の原理から共生の原理へ
 この100年ほどの短い間にこの日本列島では言語的文化的多様性が急激に失われてきた。その同化の圧力は、国内では東京文化圏に基礎をもつ中央集権的国家による支配、また国際的には世界的ヘゲモニーを持つ欧米の文明圏による支配、という2重構造になっている。このような特定の文化圏による世界的な支配の原理、およびそれに内包される同化の原理は、世界各地でさまざまな文明圏・文化圏のあつれきを生じさせている。このような原理が勢いを増している21世紀は「文明の衝突」の世紀として特徴づけられる。(「  」は追加した)
    


3.崎谷 満「DNAが解き明かす日本人の系譜」勉誠出版(2005.8) KMB405


前出の3年前に発行された著書。Y染色体の亜型分類表とミトコンドリアDNAの亜型分類表により、人類発生以来のヒト集団の移動の歴史が全世界に亘ってほぼ全て系統的に説明がされている。



・A系統、B系統
 人類発祥の地アフリカには、Y染色体亜型の中では最も古い系統であるA系統とB系統がいずれもみられる。そしてA系統とB系統は他の地域では見られないため、アフリカに留まった集団だと考えられる。これに対してアフリカを出て全世界に広がっていったグループ(出アフリカグループ)は、C系統、DE系統、FR系統の3大系統に分類できる。

・ミトコンドリアDNAの亜型の最近共通祖先年代の推定値の表
 (表の一部を紹介すると)
 A亜型  32,300年前  標準偏差は7,600年
 C亜型  28,300年前  標準偏差は5,500年
L2亜型  91,100年前  標準偏差は11,800年

(今後のデータで標準偏差が縮小されると、人類の世界への広がり方の推定と、旧約聖書の話や歴史的な事実との合致などが明らかになってゆくと思う。それにより、最も古い人類の文化がどのように世界各地に残されているかと云った、文化に対する世界観が変わってくると考えられる。例えば、日本の神社の建築様式が中国奥地の民家と似ていることは知られているが、同じ亜型の民族であることが期待できる。日本各地の神社や伝説や祭りなどが、アフリカから日本列島に至るまでの道筋に見つかり、それがDNAで関連付けられれば、新たな国際関係と文化の結合が期待される。)



メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(13) 番外1

2015年07月28日 10時52分12秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
優れた日本文化の文明化のプロセス(番外1)

鰹節
和食文化が海外進出を続けているが、まだ独特の文化に留まっている。既に世界文明の地位を得ている、中華、フレンチ、イタリアンなどと較べると、どのようなところに不合理なことが潜んでいるかを考えざるを得ない。食材の新鮮さや、特殊な盛り付け、器との相性など数々あると思われるが、最近のニュースで注目をされたのが、「鰹節」だった。
懐石料理はともかく、ポピュラーな一般の和定食には味噌汁がつきものなのだが、ヨーロッパの味噌汁は全く出汁の味がしないそうだ。原因は簡単で、EU全域で鰹節が輸入禁止になっていることのようだ。その理由は定かではないのだが、安部首相の談話では、「カビ」と言われ、ニュース解説では「焦げ」だそうだ。どちらもありそうなことなのだが、鰹節が、日本と原産地のモルジブの二か国でしか一般的な食材になっていないことに真の原因がありそうだ。鰹節は、味噌や納豆などと較べると、欧米人には受け入れやすいと思うのだが、現実は全く違っている。そこで、文明化のプロセスが必要になる。
先日のTV番組は、「フランスに鰹節製造工場をつくる」というもので、日本の老舗(枕崎)が開業を決意したとあった。1日1トンの鰹節製造が当面の目標だそうで、UE全体で約5000店舗の日本料理店が当面のマーケットだと報じていた。EU域内での生産物であれば、輸出入の問題はないわけで、さらに関税もかからず、流通でも有利になる。輸出に拘らずに、思い切って製造工場を建ててしまうことは、米国内での日本酒や醤油の経験があるわけで、色々な基本食材にこのプロセスを発展させることが、文化の文明化へのプロセスの一つになると考える。
輸入禁止製品を、その地域内で生産するための工場を建設するということは、相当なリスクが伴うが、将来性については、国内生産の一部を変更して輸出に拘るよりは、現地生産の方が格段に大きくなるし、安定したマーケットも得ることができる。

フランス産かつお節誕生へ 来夏、枕崎から出資で新工場
www.asahi.com/articles/ASG7K52K1G7KUHBI01H.html


メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(12) 第6話(その6)

2015年07月16日 09時26分13秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(12)
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その6)


2010年代の文化と文明に関する著書                                                                
2010年代に発行された文化と文明に関する著書と記事を12件列挙します。

西欧発の現代科学・技術文明に関する否定的な議論が様々な視点から展開された。それらは、歴史から見ると、我々が優れた文明と思っている現在の状況が、マヤやローマ帝国の文明の衰退から消滅までのプロセスにあまりにも類似しているという結論に至っている。
 例えば、「社会が柔軟性と多様性を失って、硬直化・脆弱化していた専門分化された知をどんなに深めていっても、横につながらなければ意味をなさない」(文献1)、「専門分化という危険により、ローマは崩壊以前に衰退していた。経済的な複雑さのおかげで、人びとは大量生産された物品(しかも高品質)を入手できるようになった。」(文献11)、などに表されている。

 一方で、本当に西欧が優れているのだろうか、と云った疑問が、いくつかの歴史上の事実からの反証として挙げられている。例えば、匈奴などの騎馬民族の文化と、漢民族の農耕文明の比較において、
「いったん砂漠になれば、もとの草原には決してもどらない。」文明的な行為であるとした耕作が、草原地帯では砂漠の拡大につながることを明確にしめしていることである。」(文献4)とか、今回の文明の基礎となった西欧のルネッサンスについて、「西欧がイスラムの学術を吸収し始めるのは、アラビアから遠く離れたイベリア半島においてである。(中略)レコンキスタがイベリア半島の中ほどに達した12世紀、ヨーロッパ人の中からイスラムのアラビア語文献を次々にラテン語に訳してゆく人たちが現れ、西欧は「大翻訳時代」に突入する。これは、15~16世紀のルネサンスに、知的には勝るとも劣らない歴史的転換点だった。かれらがイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨をつくり、それが17世紀の科学革命へとつながった。」「かれらがイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨をつくり、それが17世紀の科学革命へとつながった。デカルト、ガリレオ、ニュートンの時代になって初めて、西欧が世界を指導するようになった。この歴史的事実を、今のイスラム世界は知っている。しかし、西欧社会は認めず、西欧の見方をうのみにする国の人々は知らないままだ。これは、イスラム側にとっては大きな屈辱だ。」(文献12)などです。

 つまるところ、現代のスーパーミーム「広く浸透し、強固に根付いた信念、思考、行動で、他の信念や行動を汚染したり、抑圧したりするもの。」(文献10)を、「徹底的に超領域的(trans-disciplinary)に、しかも現代文明のなかで苦闘する全ての人々と連帯する」(文献4)という態度で先ずは潜在する課題のMiningというプロセスが見えてきました。



1.姜尚中「大学の理念と改革」中央公論2011 (KMB221)

・「想定外の背景にある社会の硬直化・脆弱化」
3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から明らかになったのは、日本の社会が柔軟性と多様性を失って、硬直化・脆弱化していたということです。これを端的に表しているのが「想定外」という言葉です。これには諸外国も驚いたはずです。日本のように最先端の技術を誇る成熟した社会が、如何に未曾有の災害であるとはいえ、想定されない事態にうまく対応できなかったわけですから。

・専門家の見解に懐疑や不信感を抱いて違った行動を起こす。一方、専門家は非専門化が無知蒙昧ゆえに理解しないのだと非難する。専門分化された知をどんなに深めていっても、横につながらなければ意味をなさないのです。新しい発見をしたりモデルを開発したりする知とは別に、それが人間社会にどのような影響を与えるかを考え、その良否を判断する知が必要です。これは主に哲学や人文科学が担ってきた領域です。


2.春秋コラム「文化と文明のちがい」日経新聞2011.4.24

・文化と文明の違いを、画家の安野光雅さんが「文化は方言のように範囲が限られているが、文明は標準語のように普遍性がある」と語っている。

・印刷された画集で名画を見るのは文明であって文化ではない。文化に接するには、ルーブル美術館ならルーブルまで行って見なければならない。

・震災からの復旧とは、多かれ少なかれ、失われてしまった文化を文明によって埋め合わせてゆく作業だ。空っぽになった額縁にとりあえず複製の絵をはめ込んでいくように。


3.川勝平太「鎖国と資本主義」藤原書店(2012)KMB354



・はしがき
 世界史において最初に資本主義を確立させたのは、西洋ではイギリスであり、東洋では日本である。
双方の資本主義はともにアジアの海という共通の母胎から生まれたのである。
中世から近世への移行期における海洋アジアを共有した。
 イギリス資本主義では資本家が経営をしたが、日本資本主義では経営者が資本を運用した。
イギリスで経営が所有から分離するのは、日本よりも三世紀余り遅れ、20世紀になってからである。

・開国後に西欧経済に蹂躙されなかった秘密
 つまり、まともな競争にさらされる条件をもっていたということであり、イギリス製品の市場になってしまう危機の度合いがたかかったということである。そうならなかったのは、扱う商品は似ていても物の使用価値(品質や用途)が違っていたからです。社会の衣食住を支える物の集合を「社会の物産複合」呼びます。


4.比較文明学会30周年記念出版編集委員会「文明の未来―いま。あらためて比較文明学の視点から」東海大学出版会(2014) KMB039



・比較文明学会の設立趣意書
今日、われわれは、一つの宇宙船(地球号)遊曳のなかで生きつづけ、世界文明の形成というあらたな段階へ前進しようとしている。それだけに国際関係論および平和研究はいうにおよばず、科学、思想、芸術、宗教などすべての比較学の営為を集結して、過去・現在・未来へとわたる諸文明の構造や接触・変動を比較研究し、世界文明形成の一翼をになう運動に主体的にかかわってゆくことが求められる。その意味において、学際的(interdisciplinary)であるどころか、徹底的に超領域的(trans-disciplinary)に、しかも現代文明のなかで苦闘する全ての人々と連帯するために、開かれた学会として運営されることを目ざさなければならない。

・序文 文明の未来を問う 伊東俊太郎
 まず第一に、文明の未来について考えるべきことは、科学技術の進路変更ということである。これはとくに3.11の東日本大震災における原発事故に象徴的に示されたような危機から脱出せねばならないとういことである。17世紀の「科学革命」において、近代科学が成立したときに、デカルトやガリレオが、その著作を当時の学会語ラテン語ではなく、フランス語やイタリア語で書いたのは、この新科学を市民との対話の上でつくり上げてゆくという意図をもっていたからだ。
 従来の科学的知識には、真か偽かという評価基準しかなかった。しかし今やそれが健全であるか不健全であるか、すなわち我々が生きる地球という生命体を保全するものであるかどうかが重要な評価基準となる。このことは科学を現実生活に応用する技術については、いっそう強く云える。

・司馬遼太郎の文明観―古代から未来への視野 高橋誠一郎
 「匈奴などの騎馬民族はみずからの歴史を書くことがまずなかったため、彼らの南下と侵略が悪として中国史に書かれてきた」「遊牧の適地である草原というのは、元来、地面が固いので、農民が鍬を突っ込んで固い表土を掘り返し、やわらかい畑」「掘り返された土はすぐ乾き、風がそれをふきとばして、砂漠になってしまうのである。いったん砂漠になれば、もとの草原には決してもどらない。」文明的な行為であるとした耕作が、草原地帯では砂漠の拡大につながることを明確にしめしていることである。


5.科学技術研究開発センター「科学技術と知の精神文化Ⅱ」丸善プラネット(2011)KMB198



・文明とよばれるには、文化にプラスアルファとなる「X」がなければならないのではないでしょうか。この「X」が、工業化や民主化のようなヨーロッパ近代の社会組織に係わるものとすれば、古代エジプト文明も、古代ローマ文明も、古代中国文明も、メソポタミヤ文明も、「文明」と呼ばれなくなるはずです。(中略)では、civilizerあるいはcivilizeという動詞、つまり「市民化する」とか、もう少し別の意味を用いれば「都市化する」と云う言葉は、どういう成立過程があったのでしょう。(中略)すると、先ほどの「X」にあたるものはどういうものになるのでしょうか。「文化」になにがプラスされれば「文明」とよばれるようになるのでしょうか。私の仮説では、自然に対する攻撃的な支配が文明のもつ一つの特徴になると思います。つまり、自然を自然のままほおっておくのはむしろ悪であり、人間が徹底して自然を管理したり、矯正したりすべきという考え方が「X」に来るわけです。


6.加藤尚武、「災害論―安全工学への疑問」世界思想社(2011)



・まえがき
学問と学問の間の接触点に入り込んで問題点を探し出す仕事を、昔は、大哲学者がすべての学問をすっぽりと包み込む体系を用意してその中で済ませてきたが、現代では、「すべての学問をすっぽりと包み込む体系」を作らずに、それぞれの学問の前提や歴史的な発展段階の違いや学者集団の特徴を考え、人間社会にとって重要な問題について国民的な合意形成が理性的に行われる条件を追求しなければならない。それが現代における哲学の使命である。
 


8.大阪大学イノベーションセンター監修「サステイナビリチー・サイエンスを拓く」(2011)



・オントロジー工学によるサステイナビリティー知識の構造化
オントロジィーの重要な役割は、知識の背景にある暗黙的な情報を明示するという点にある。(以下略)社会のビジョン(マクロ)と、個々の科学技術シーズ(ミクロ)を効果的につなぎ合わせるための理論的・実践的研究、すなわちメゾ(中間)領域研究の開拓である。(中略)学術的に見ても、このメゾ領域を対象とした理論的研究は未開拓であり、ビジョンと科学技術シーズを有機的につなぐための学術領域を発展させることが求められるのである。


9.ドミニク・テュルパン/高津 尚志「なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか」、日本経済新聞出版社(2012)



・評者 内山 悟志が、日経コンピュータ 2012年7月5日号で述べた書評より
「日本の驚異的な成長に学びたい」──。そんな思いを抱き1980年代に来日したテュルパン氏は、その後の日本の凋落ぶりも内と外から見てきた。IMDが毎年発表する世界競争力ランキングで、日本は1980年代半ばから1992年まで首位を保っていたが、最新の2011年調査では59カ国中26位まで順位を下げている。その過程で自信を失ったためか、多くの日本企業が中国やインド、ブラジルなど新興国への進出で立ち遅れたと指摘する。
 著者はこの凋落ぶりの原因を、過度な品質へのこだわりやモノづくり偏重による視野狭窄、地球規模での長期戦略の曖昧さなどにあると分析する。根源には異文化に対する日本人の理解力不足があり、打開するには真のグローバル人材の育成が急務だと警鐘を鳴らす。
 スイスのネスレや米GEなどのグローバル人材育成の先進事例とともに、既に中国やブラジルなど新興国の企業でも人材育成に多大な資金と労力を投じている事実を紹介している。
著者はこれらの事例を踏まえ、日本企業が取り組むべき人材育成策を次のようにまとめている。人事異動をもっと効果的に使う、幹部教育を手厚くする、外国人も人材育成の対象にする、英語とともにコミュニケーションの型を学ぶ、海外ビジネススクールを有効に活用する、の5点である。特に「人材育成に国籍の区別はない」との考え方には強く共感した。日本人だけを集めて研修したり、特定の日本人を海外に赴任させたりするだけでは、本当の意味で多様性は芽生えない。異文化を理解する力は、様々な国や地域の多様な人材と共に学び、切磋琢磨するなかで育まれるものだ。
当時(1980から1990年代前半)、日本の企業の多くはもう海外から学ぶものは無いという態度が強く見受けられました。どの企業も自信に満ちあふれ、どこかしら傲慢な雰囲気も漂っていた。結果的に日本企業は、工場管理に「よい常識」を持ちこんで非ホワイトカラーのマネジメントには成功したものの、それ以上の成果を出すことはできませんでした。さらにもっと苦手なのがダイバーシティー(多様性)のマネジメントでした。いまだに男女平等とは言えず、マイノリティー(少数派)の採用や活用には消極的です。(中略)東洋と西洋の間の難しい異文化マネジメントをも相互理解に努めることで乗り越えようとしています。中国は急速学んでおり、今後十年間で世界経済において確たる地位を占めるであろうことは言うまでもありません。
著者は、自分以外の他者や異文化に心を開くこと、加えて、共感性(Empathy)を養い、おもいやり(Sympathy)をもって他を尊重することが不可欠と断じています。一見当たり前のことのようですが、実際に日本のエンジニアは、業務の遂行にあたって、或いは新製品の開発に際してそのような心持を持っていたでしょうか、おおいに疑問です。この様なことから筆者は、日本語での「グローバル化」とか、「グローバル人材育成」といった表現に疑問を呈しています。安易にカタカナにせずに、正確に「全地球的」とか「全地球的人材」という表現だと、もっと広範囲な思考に至るのではと指摘をしています。その意味において、日本企業のグローバル化におけるつまずきの原因を以下のように挙げているのです。
① もはや競争優位ではない「高品質」にこだわり続けた
② 生態系の構築が肝心なのにモノしか見てこなかった
③ 地球規模の長期戦略が曖昧で、取り組みが遅れた
④ 生産現場以外のマネジメントがうまくできなかった


10.レベッカ・コスタ「文明はなぜ崩壊するのか」原書房(2012)



・なぜ文明は螺旋状を描いて落ちてゆくのか
そもそも生存の可能性を高めるためには、生物の複雑性と環境の複雑さはあらゆる面で釣り合っていなければならない。
複雑な環境とは、正しい選択をしないと成功できない環境のことである。誤った選択肢が沢山あり、正しい選択肢がほんの少ししなない状況では、正しい選択肢を見つけないと成功はおぼつかない。

・マヤ末期を襲った難問―気候変動、内情不穏、深刻な食糧不足、急速に蔓延するウイルス、人口爆発―が複雑すぎて、人々は事実を把握して分析し、対応策を練って実行することができなくなったといえる。このように問題が深刻で複雑になるあまり、社会が対応策を「考えられなくなる」限界は認知閾と呼ばれる。社会が認知閾に達してしまうと、問題は未解決のまま次の世代に先送りされる。それを繰り返すうちに歯車が外れてしまうのだ。これが文明の崩壊のほんとうの原因だ。

・ミームからスーパーミームへ、スーパーミームの君臨
スーパーミームとはー広く浸透し、強固に根付いた信念、思考、行動で、他の信念や行動を汚染したり、抑圧したりするもの。
①反対という名の思考停止、②個人への責任転嫁、③関係のこじつけ、④サイロ思考、⑤行き過ぎた経済偏重

・不合理な世界で見つけ出す合理的な解決策
・ひらめきを呼び起こす


11.南雲泰輔訳「ローマ帝国の崩壊、文明が終わるということ」白水社(2014) KMB381



原本はBryan Perking「The Fall of Rome and End of Civilization」Oxford Univ. Press(2006)

・スコットランドの歴史家ウイリアム・ロバートソンは、1770年にこのような見かたを実に力強く述べている。その言葉は、広く通用してきた「暗黒時代」のイメージを喚起させるものである。
 新しい征服地に番族諸国家が定着して一世紀の経たぬうちに、ローマ人がヨーロッパ中に広めた知性と教養と教育の影響力はほとんどすべて失われた。贅沢に仕え、また贅沢によって支えられてもいた優雅な技術のみならず、それなくしては生活が快適であるとはほとんど考えられぬ、数多くの有用な技術もまた、顧みられず、あるいは失われた。

・ローマは崩壊以前に衰退していた
 公私の富のかなりの部分が慈善と献身というもっともらしい要求のために聖別され、兵士らの給料に充てるべき金銭は、禁欲と貞操の美徳を説く以外に能のない、役にも立たぬ大勢の男女の上に浪費された。

・ローマ経済の所産
 ローマ人は日用品を含む物品を、きわめて高品質、しかも莫大な量で生産した。そして、それらを社会のあらゆる階層に広く普及させた。これらの日常生活のささやかな諸側面について詳しく記述した証拠はほんのわずかしか残っていないので、かつては、生産地から離れて遠くまで運ばれるような物品は殆ど無く、ローマ時代の経済的複雑さは国家の需要と支配者層の気まぐれを満たすために存在し、社会の大多数にはほとんど影響することはなかった、と考えられていた。しかし、・・(中略)ローマ陶器の三つの特徴は並外れているうえ、西方においてはその後何世紀ものあいだ存在しなかったものである。第一に、すばらしい質と相当に統一された規格。第二に、はなはだしい生産量。第三に、広く普及したこと。これは地理的だけでなく、社会的にもあてはまる。私が最もよく知っているローマ世界の地域、すなわちイタリア中央部・北部においては、この洗練の水準は、ローマ世界が終焉を迎えたのち、約八百年後、すなわち十四世紀までおそらく再び目にすることはないものである。

・専門分化という危険
 経済的な複雑さのおかげで、人びとは大量生産された物品を入手できるようになった。そのために自分が必要とする品物の多くを、ときには何百マイルも離れた場所で働く専門家なり準専門家なりに依存するようになった。(中略)現代の西洋世界と比較すれば、ことは明白かつ重要である。複雑さの点では明らかに、古代経済は二十一世紀の発展した世界経済とは比較にならない。私たちの生活は細分化され、高度に専門化された世界経済にわずかな貢献をしている。そして、需要については、世界中に散らばった、それぞれ自分自身のささいな仕事をしている何千何万という他の人びとに、全面的に依存している。緊急のときでさえ、地元のみだは自分たちの必要を満たすことは事実上不可能だろう。(中略)帝国の終焉に際して起こった経済的崩壊の激震は、ほぼ間違いなくこの専門分化の直接的な結果であった。

・この最善なる可能世界において、あらゆる物事はみな最善のか
 ローマ帝国の終焉は、じぶんなら絶対に遭遇したくない類の、恐怖と混乱の経験だった。しょしてそれは複雑な文明を崩壊し、西方の住民たちを、先史時代の典型的な生活水準まで戻した。崩壊以前のローマの人たちは、今日の私たちと同様、彼らの生活が、実質的には変わりなく永遠に続くであろうと疑いもしなかった。彼らは間違っていた。彼らの独善を繰り返さないよう、私たちは賢明でありたいものである。


12.伊東俊太郎「歴史を動かした12世紀ルネサンス」毎日新聞出版、週刊エコノミスト (2015.6.2)

・現在のヨーロッパ史を読むと、ある歴史上の重要な局面が消されている。それは、イスラム世界が西欧文明の成立に重要な役割を果たしたという事実だ。

・4世紀末にローマ帝国が分裂した時、ギリシャ学術の95%は西のローマにはゆかず、東のビザンツ帝国へ行った。その理由はいくつかあるが、一つはローマ人が非常に実践的な民族だったことだ。ローマの政治家のキケロが、「純粋科学に頭脳を浪費してはならない」と言ったように、ローマ人は土木工事などを重視した半面、純粋科学を尊重しなかった。

・5世紀に、(中略)現在のシリア付近に移り住んだネストリウス派の人々は、シリア語で神学の講義を始めた。当時の進学には自然学、つまり科学も含まれた。その結果、5~7世紀にかけて、ギリシャのさまざまな科学文献がシリア語に翻訳された。

・イスラム王朝(ウマイヤ王朝)に次いで興ったアッバース朝でも、ギリシャ学術の吸収が進んだ、主とバクダットでは、(中略)こうしてシリア・ヘレニズムの土壌の上に、アラビア学術が大いに振興される「アラビア・ルネサンス」が起こった。(中略)フナインは意味をくんだ上でアラビア語の構文に変えた。これは福沢諭吉や西周が西欧文献の意味を理解して日本語に置き換えていったのと同様、見事な作業だった。

・西欧がイスラムの学術を吸収し始めるのは、アラビアから遠く離れたイベリア半島においてである。(中略)レコンキスタがイベリア半島の中ほどに達した12世紀、ヨーロッパ人の中からイスラムのアラビア語文献を次々にラテン語に訳してゆく人たちが現れ、西欧は「大翻訳時代」に突入する。これは、15~16世紀のルネサンスに、知的には勝るとも劣らない歴史的転換点だった。

・かれらがイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨をつくり、それが17世紀の科学革命へとつながった。デカルト、ガリレオ、ニュートンの時代になって初めて、西欧が世界を指導するようになった。この歴史的事実を、今のイスラム世界は知っている。しかし、西欧社会は認めず、西欧の見方をうのみにする国の人々は知らないままだ。これは、イスラム側にとっては大きな屈辱だ。

    

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(11) その5

2015年07月14日 13時54分27秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その5)

2000年代の文化と文明に関する著書
2000年代に発行された文化と文明に関する13件の著書を列挙します。

 この時代になると、インターネットの急速な普及により様々な専門家による多様な文明批判が交わされ始めた。その反面、情報の氾濫と、それをコントロールするアーキテクチャのあり方など、問題点も続出。
「レッシングは憲法学者として、物事を設計するための設計が存在することを指摘する。」(文献3)とか、「それはあたかも近代の合理主義への懐疑から、もう一度非合理的なものを見直そうという動向に合致したものであった。」(文献4)などの表現が続出し始めた。

この時期からは、「メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立」いう命題を設定した経緯とも関係が深まるので、文章の引用だけではなく、メタエンジニアリング的な感想やコメントを追加することにしました。特に、「物事を設計するための設計が存在する」(文献3)とは、エンジニアリングに対するメタエンジニアリングの位置を示したものにも捉える事ができるのです。
更に、比較文明学から導かれた、「正確には、真だけでは不十分、真と善だけでも不十分、真・善・美の三位一体を備えたものであってはじめて文明に値するということである」(文献5)との結論は、真=自然科学、善=哲学、美=芸術と大胆に置き換えると、その合体により新たなもの創造することは、まさにメタエンジニアリングの基本機能となっている。

また、西欧のルネッサンスが現代文明の基になったとのことから「ガリレオは学者であると同時に職人(技術者)だった。デカルト、ダビンチも同じ、知識人がものに触れていた。職人的伝統と学者的伝統が市民社会で結合した」(文献5)との説には、現代の科学・技術の極端な専門分化と、原子力村という表現の如き、明らかな市民生活との乖離への反省をともなう、ルネッサンスへの回帰が次の文明へのプロセスであることを暗示している。


1.藤原正彦「この国のけじめ」文芸春秋2006 (MMB219)

・「情報軽視、お人好しの日本の悲劇」
ところが近代となり、日本が生き馬の目を抜くような国際社会に投げ出されると、これが国益を大いに損ねる原因となった。現実よりも精神を上位におく、という民族的美徳が、強固な精神さえあれば現実を変えうる、何事もなしうる、という精神原理主義に飛躍したのである。そして、信じたくない現実には目をつぶり、信じたくない情報には耳をふさぐ、という態度にまでつながった。世界は自分や国益のことしか考えない小人ばかりだから、当然つけいられることとなった。


2.藤原正彦「藤原正彦の日本国民に告ぐ」文芸春秋(2001.7)

「一学究の救国論」との副題で始まるこの寄稿は、26頁およぶ長いもので、中間には彼のかなり右傾化した考えが一方的に主張されており、全面的には共感できないのだが、彼の日本文化に対する洞察は、著書の「国民の品格」に示されたように定評が高いので、その部分に限って引用し、メタエンジニアリング的な感想を付け加えてみよう。
冒頭は、次の文章で始まる。

・日本が危機に立たされている。何もかもがうまくゆかなくなっている。経済に目を向けると、・・・、政治に目を向ければ相変わらずの・・・、自国の防衛さえ、・・・、
・全文の構成は次のように組まれている。
「誰もがモラルを失いつつある国」  (  )は、本論と関係が薄い部分。
・独立文明を築いた日本
・現代知識人の本能的自己防衛
     ・外国人を魅了した日本文化の美徳とは何か
    (・アメリカによる巧妙な属国化戦略)
    (・魂を空洞化した言論統制)
    (・法的な根拠を欠くアメリカの言い分)
    (・二つの戦争は日本の侵略だったか)
    (・事実上の宣戦布告だったハル・ノート)
    (・独立自尊のための戦争は不可避だった)
     ・日本が追求した穏やかで平等な社会
・日本文化が持つ普遍的価値
・「過去との断絶」「誇り」を回復せよ


3.宮台真司「21世紀の現実―社会学の挑戦」ミネルヴァ書房2004 (KMB076)



・「インターネット技術の文化的前提」
「所有」が個人に紐づけられる資本主義社会を前提として生きてきた人にとっては、コンピュータやプログラムはコミュニティーの所有物であるという感覚は新鮮なものだったのかもしれない。
こうしたコミュニティーへの貢献のためにプログラムソースを改編する人たちが、いわゆる「ハッカー」であった。今ではコンピュータに不正に侵入して悪さをする人だと捉えられがちだが、普通はそういう人たちのことは「クラッカー」という。

・インターネットとコンピュータがあらゆるものごとの中心に据えられるようになってきた社会では、OSやソフトウエアは単なる商品ではなく、公的なサービスのインフラとして機能するからだ。ということは、例えば行政サービスに商用のあるソフトウエアを採用することで寡占状態が発生するだけでなく、サービスそのものが一企業の裁量に任されるという事態を呼び起こしかねない。

・「アーキテクチャと設計の思想」
レッシグによれば、個人の振る舞いをコントロールする手法は4つあるそれが「規範」「法」「市場」「アーキテクチャ」である。アーキテクチャによるコントロールとは、個人ではなく個人の環境を設定することで間接的に個人の振る舞いを規制する手段である。
レッシグが問題と考えるのは以下の2点だ。アーキテクチャによるコントロールはそれに従うものにとって意識されにくく、「コントロールされている」という不自由感を味わうことが少ないということ。これはアーキテクチャをいじればユーザーに気付かれることのないままコードの記述者の思い通りにユーザーをコントロールできるということを意味する。第2の問題点は、現実の社会の基幹的な部分にネットやコンピュータが入り込んでくると、ネットの外でさえもコードの記述の仕方によって完全にコントロール可能になってしまうことだ。

・「設計の思想、選択すべき価値の不在」
絶望的なかかる状態に対してレッシングが考える処方箋は「設計の思想を問う」というものだ。レッシングは憲法学者として、物事を設計するための設計が存在することを指摘する。例えば、憲法であれば、その意義は国民に対する義務を記述することではなく、法律や行政など国民に対する命令がどのように記述されなければならないかという「統治権力に対する義務」を記述することにある。そこで行われているのは、憲法の記述によって社会をどのように設計するか、といゆ「価値」を選択するという振る舞いだ。それゆえにレッシングは、アーキテクチャのような完全な管理が可能なテクノロジーを前にして、アメリカ国民がそもそもどのような「価値」を選択したなか、その「設計の思想」を思い起こせと主張するのである。

・「社会学からの全体性の脱落」
今日の社会学から「全体性」が失われて久しい。個別領域への穴籠りが進み、異なる穴の住民同士では言葉さえ通じにくくなった。それに並行して、過去三十年間、なだらかに一般理論志向が失われて、理論社会学は低迷している。むろんこれは社会学だけの問題ではない。経済学や政治学からも・・・。


この全「体性の脱落」は、あらゆる分野で進行した。特に、学術の分野では「個別領域への穴籠り」でないと、論文として認められ難いという、基本問題が存在する。技術(エンジニアリング、設計)の場でも同様なのだが、その弊害はこの分野が、直接に日中生活に影響を与えるので恐ろしい。したがって、我田引水ですが、「メタエンジニアリングのすすめ」なるわけです。


4.京都国立博物館・他編集「弘法大師入唐1200年記念 空海と高野山」NHK大阪放送局(2003)



本書は、2003年に京都国立博物館を初めとして全国的に行われた展覧会の図録である。335頁の大型本で解説が充実している。その中から、末木文美士(東大教授)の「空海と日本の密教」から引用する。

・近代の研究者によって、密教は仏教の中でも前近代的なものとして否定的に見られることが多かった。近代の日本は、西欧に追いつくことを至上命令としてきたが、仏教界でも近代性にかなったプロテスタント的な要素が重視された。具体的に言えば、いわゆる鎌倉仏教、即ち、法然や親鸞の浄土教、道元の禅、そして日蓮らがもっとも日本仏教を代表する高い水準の仏教であり、密教は彼らのよって否定されて、克服されるべきものと考えられた。鎌倉仏教の祖師たちが単純で明快な実践を説いたのに対し、密教は複雑な儀礼と呪術の集合体であり、到底近代的な合理主義の批判に耐えられないものとみなされた。密教ブームが起こってその再評価が進んだのはやっと1980年代からのことである。それはあたかも近代の合理主義への懐疑から、もう一度非合理的なものを見直そうという動向に合致したものであった。


5.川勝平太「文化力 日本の底力」ウエッジ(2006)KMB002&346



(1)日本的な融合をする・ハイブリッド文化
・パックスヤポニカ
日本史における平安時代の250年間と、江戸時代の270年間の平和な時代を指す。
戦後の日本の60年間が、第3のパックスヤポニカになり得るのだが、・・。
パクス(Pax)は、ラテン語の「平和の女神」。
この時代は、人口が定常状態になる傾向にある。すなわち、「女のルネッサンス」。
地球環境問題における立脚すべき価値は何か?
⇒「美」⇒地球は美しいか
西洋社会の価値観は、真⇒善⇒美
日本文化の価値観は、美⇒善⇒真 とは逆である。

・縄文文化や江戸文化への見直し論。

・17世紀以降の科学革命の時代は、初めは「真」だったが、21世紀になって「善」への移行が見られる。

・文化力の時代
1985のプラザ合意から始まった。⇒円高、ドル安の要請 ⇒日本の資金が米国に流れる
⇒日本が豊かになる 
文化の元義は、「文を以て、人民を教化する」⇒文化大革命
文化力とは、「美の文明」になること、へ。
Culture= way of life、生き方、暮らし方

・日本文明論
唯物史観から格物史観へ
唯物史観は、生産する人間の社会関係を重視
「格物」は、「大学」の言葉、ものにいたる、ものをただすの意味。

・格物致知 意味(GOO辞典より)
物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。『大学』から出た語で、大きく分けて二説ある。宋の朱熹は出典を「知を致いたすは物に格いたるに在り」と読んで、自己の知識を最大に広めるには、それぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが先決であると解釈する。一方、明(みん)の王守仁(おうしゅじん)(王陽明)は「知を致すは物を格ただすに在り」と読んで、生まれつき備わっている良知を明らかにして、天理を悟ることが、すなわち自己の意思が発現した日常の万事の善悪を正すことであると解釈している。他にも諸説ある。▽「致知格物ちちかくぶつ」ともいう。

・格物史観は、デカルト以来の「もの」と「こころ」の二分を一体化させるもの。
万物には、神が宿る。
「日にその物をみてすなわち心を入れ、心にその物を通じ、物通してすなわちいう」(空海)

・戦国時代に世界最大の鉄砲製造・使用国だった日本が、なぜ江戸時代は刀の時代になったのか?
 ⇒審美感、西欧(特に現代の米国)との違い

・主たる食器が、金属器や木器から陶磁器になった。この事実は、西洋科学文明化らは出て来ない。

・科学革命から、人間革命・環境革命へ

・神仏習合
  文字に書かれなかった縄文の自然信仰と文字に書かれた仏教信仰
  無文字文化と文字文化の融合

(2)伊東俊太郎との対話

・8~9世紀のアラビア・ルネサンス ユークリッド・アルキメデス・アリストテレス等のギリシャの科学書の翻訳
・12世紀のアラビヤ語からラテン語への翻訳
専門用語の語源はアラビヤ語で残った(代数学のアルジェブラ)
 スペインのトレドでヨーロッパ人に伝達 & 1453コンスタンチノーブル陥落でビザンチンの学者がイタリアに亡命
・イタリア・ルネッサンスへ

相互交流を通じてアイデンティティーが豊かになる(川勝)

・なぜ科学革命だけがヨーロッパに限定されているのか?
伊東俊太郎の考え
① ギリシャ科学の伝統が中国やインドに伝わらなかった
② 市民社会の成立によるマーケットの拡大
③ ガリレオは学者であると同時に職人(技術者)だった
デカルト、ダビンチも同じ、知識人がものに触れていた
職人的伝統と学者的伝統が市民社会で結合した
アリストテレスはどんな実験をしましたか。実験はギリシャでは十分でなかった、観察はしたが実験はなかった
④ 17世紀のヨーロッパは貧しかったし、気候も悪い。外へ出たいと外へ出たいと
東はオスマントルコなので、西へ出た ⇒大航海時代


6.川勝平太「美の文明をつくるー力の文明を超えて」ちくま書房(2002) KMB355



川勝氏は、オクスフォード大学の哲学博士の称号を持つ比較経済史の専門家と云われているが、私は、比較文明学会の役員としての著書に興味を覚えた。
 この著書は、プロローグが意味深い。「日本の明日を考える」と題して、次の文章で始まる。

・戦後半世紀の内外の日本論の基調は「日本文化論」であった。しかし、これからの日本論の基調は「日本文明論」になるとみこまれる。地球環境を意識した新しい国づくりと連動して、未来志向的な性格を帯びた文明論になるだろう。未来志向であることによってそれは実践論となり、国民運動ともなって、日本を一新するだろう。

・この著書では、内外の多くの文献がリファーされている。全てを紹介できないが、いくつかを挙げてみる。
  ・ルース・ベネディクトの「菊と刀」からは、「欧米の罪の文化と日本の恥の文化、欧米の個人主義と日本の集団主義」
  
・ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」からは、「戦後から立ち直ってゆく戦後の日本人の精神文化が、(中略)膨大な資料によって検証し、「日本人は特殊だ」という思いこみをしりぞけた。日本異質論は90年代に入って下火になったのである。」
  ・ハンチントンの「文明の衝突」からは、「地域政治では民族が中心になって民族紛争が生じ、世界政治では文明が中心になって文明の衝突が起こることを予想した。予想はほぼ的中している。ハンチントンは文明を八つあげている。その一つが日本文明である。
  ・西郷隆盛の「西郷南州の遺訓」からは、「文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々と説論して開明に導くべきに、さはなくして未開蒙味の国に対するほど、むごく残忍のことを致し、おのれを利するは野蛮だと申せしかば、その人口をつぼめて言無なかりきとて笑われける。」
  ・湯川秀樹博士の「人間にとって科学となにか」からは、「私は自分の専門の物理学でも、ある法則なり論理体系なりを宜しいと納得するときは、そこになにか美しいものを感じ、・・・ある種の美意識や好悪感がある」

 などを挙げている。そして、
   文化には反対語がない。文明には負の価値をもつ野蛮という反対語がある。「力の文明」を超えて「美の文明」をつくりあげることをもって日本の文明の道(civilized way)としてよいのではないか。
 で結んでいる。

本文の第1章では、次の言葉がある。
・科学法則は応用ができる。科学が技術と結びついて十八世紀に産業革命が始まった。その結果、はやくも十九世紀にはいると、機械技術を悪の権化として、機械を打ち壊すラッダイト運動がおこった。機械打ち壊し運動はイングランド中・北部でとくに激しく、一八一〇年代に頂点に達した。
   富を公平に分配する平等を正義とする人々と、富を獲得する自由を正義とする人々の争いとなり、・・・。(中略)司馬遼太郎はそれ(イデオリギー)を「正義の体系」と言いかえていた。(中略)自由をもって正義と信じる集団と、平等をもって正義の体系と信じる集団とに分かれたのである。

 ・地球環境保全とは、「地球を汚してはならない」と云うことである。汚さないというのは、価値としては「美」に立脚している。(中略)正確には、真だけでは不十分、真と善だけでも不十分、真・善・美の三位一体を備えたものであってはじめて文明に値するということである。

 このように論理を辿ると、やはり文化の文明化のプロセスとしては、メタエンジニアリングの応用が最も適しているように感じらてくる。


7.梅棹忠夫、「近代世界のおける日本文明、比較文明学序説」中央公論新社 (2000) KMB077



国立民族学博物館で1982年から1998年まで開催された谷口国際シンポジウム文明学部門での梅棹忠夫氏の基調講演の内容が纏められているものだ。
 第10回のテーマは「技術の比較文明学」であり、その中で興味深い記述がいくつかあったので、メタエンジニアリングの研究の一部として考察を試みる。
その前に、比較文明学について少し触れておこう。梅棹は、「比較文明学というような学問領域は、純粋に知的な興味の対象になり得ても、どのような意味でも、実用的な、あるいは、実際的なものにはならないであろう」と言い切っておられる。なんと工学と対照をなす領域ではないか。

文明と文化の関係についての見方は、「時間的な前後関係をもつものと考えてよいのかどうか、すこし違った見方をしています。文化というものは、その全システムとしての文明のなかに生きている人間の側における、価値の体系のことである。」としている。また、システム学とシステム工学の違いを、「システム工学は目的があるけれども、システム学は必ずしも目的を持っていない。「目的なきシステム」というものもあるのではないか」と記している。


8.関、中澤、丸山、田中共著「環境の社会学」有斐閣(2009)



・「冒頭の言葉」
環境の社会学は、私たちがこの時代に、この社会の中に生きているということの意味を問うための学である。環境を考えることは生き方を考えることである。
 社会学での言葉に「目的移転」という表現がある。「いったん技術とか制度が安定すると、それらの手段を使って達成するはずだった目的がどこかへ行ってしまい、手段の維持をめぐる問題にエネルギーがそそがれるということになりやすい。」ということなのだ。
一般に、リスクが見つかる度に、それを新たな科学技術によって抑え込むと云うのが、20世紀後半の社会がとってきたやり方である、と社会科学者が指摘をする。しかし、原因が地球単位で複雑化をすると、自然科学者は不確実な予測を出さざるをえなくなる。そこからエンジニアリングのジレンマが始まっているのだ。

・「国的移転」とは、エンジニアリングでは、手段の目的化と云えることなのだろう。実は、エンジニアリングの世界ではこのことが頻繁に起こっているのではないだろうか。目先の技術的な成果に集中してしまい、本来の大目的からそれてしまうことがしばしば見受けられる。このことは、過去の環境問題ではしばしば見受けられたことであり、環境問題が社会学への傾倒となった一つの原因であったように思えてくる。

・工学から社会学への主役の移動について、なぜそうなったかを考えてみる。この著書には、「信用されなくなった専門家たちは、「科学的知識が足りない」「ゼロ・リスク症候群にかかっている」といって大衆を攻撃する。リスクについて述べる場合には、われわれはこう生きたい、という観点が入ってくるのである。リスクというのは煎じつめると価値観と文化の問題であるとの指摘が古くからある。」とある。これが、社会学から見た工学への見方になる。

・以前に、「物理学はなぜを問わない。なぜ万有引力が存在するのか。なぜ相対性原理があるのかは問わない。」と書いた書を紹介した。工学も近代機械文明の中にあっては、WhatとHowに夢中になり、次第にWhyが軽視されてきたように思える。そこに落とし穴があったようだ。
一方でメタエンジニアリングは、学問分野を超えた根本的な「なぜ」を問い直すことを一つの手段としている。


9.堺屋太一「東大講義録、文明を解く」講談社(2003)



・これからの知価社会で経済閣僚は一体、何をすればいいか。第一は、市場の機能を保つ番人。
第二は、外部経済を内部化する。環境問題は典型です。公害をまき散らせばその分だけコストは安くできます。しかし、社会全体としては環境が悪化するという不経済が生じます。そのときに各企業に対してどのようなシステムによってこれをコスト負担させるか、つまり内部コストにするか。公害防止の技術や施設をつくらせ、産業廃棄物をきちんと処理させる、など外部経済を内部化することが必要になるでしょう。


10.日下公人「21世紀、世界は日本化する」PHP研究所(2000) KMB196




・日本から世界へ発信している文化が沢山ある
脱軍備、脱武器輸出、脱宗教、脱イデオロギー、経済第一、清潔第一、勤勉第一、陛下第一、少子高齢化、女尊男卑、民主主義、自由主義、家族主義、省エネ、巨大都市、教育の普及、知識と文化の尊重


11.中西輝政「国民の文明史」産経新聞社(2003) KMB083



・文明史観なき国家は、必ず滅ぶ。過去の歴史と未来の歴史をつなげてゆくもの、それが文明史である。文明史---それは、歴史をマクロな視野から、長いスパンで洞察する眼差しです。単なる歴史研究を超えた、一国を取り巻く文明全体の大きな流れを見極める目を持たないと、国家衰亡の危機には対処できません。グローバリゼーションの挑戦、国家観の喪失、教育の荒廃、治安の悪化、そして「危機」に気づかない国民精神の堕落…。

・文明の定義
① 文明とは、世界を構成する単位
② 文明は、国家や社会を動かす「活力の源)
③ 日本における、「文化」と「文明」の使い分けの問題
・世界の中の日本文明
 現代の日本人の多くは、「日本文明」があったとしても、それは「中華文明と西欧文明の混合体のようなもの」だろう、と思っているかもしれないがそれこそまさしく「自虐的」文明史観といえよう。従来からの欧米の文明史家の間では、日本文明は、その独自性と体系性において、中華文明あるいはイスラム文明などと並んで、世界の主要文明の次の六たう、ないしは七つに分析している。

・90年代には「民間活力」とか「民でできることは民で」という言葉が口喧しく唱えられてきたが、このような「民間の力」の衰え、とりわけその技術応用力とそれへの強いコミットメントの減退は、つまるところ社会の創造性につながる知的・精神的な活力の低下に見いだすしかないのではないか。

・「短期の楽観、長期の悲観」は、滅びの構図


12.中西輝政「日本文明の興廃」PHP研究所(2006) KMB082



・文明史的岐路に立つ日本
 今の日本人に必要なことは、文明的視野をもってこの時点を捉え直すことである。「文明的な視野」というのは、分かりやすくいえば、百年や二百年の単位ではなく、最低限千年の単位で考えるような歴史の視野である。千年の単位で見るならば、当然のこととして物質的なものはほとんど影をとどめない。問題になるのは、文化や国民の精神、民族性などというもの、つまり、「それがあったからこの国がずっと続いている」といえるような、「歴史を動かす精神的な核」である。
 戦後の日本が「大いなる嘘」に立脚して出発せざるをえなかったということである。それは、誰もが知っていながら見過ごしてきた嘘であった。
 かつて、日本にやってきた多くの西洋人が日本人の倫理性の高さを賞賛しているが、それを支えてきたのが、このような人としての美しさを重んじる「こころ」のあり様だったのである。しかし、その「こころ」自体が、「大きな嘘」で傷つけられてしまった。「まこと」を基調とする日本人の精神伝統つまり日本文明は、戦後という時代が遺した「嘘」と「賎め」の傷跡によって、いまその生命力を大きく全体させている。


13.松本健一「泥の文明」新潮社(2006) KMB384



・泥の文明こそ、西欧文明が生んだ環境・人口問題を解決できる
 世界は、「石」「砂」「泥」の三文明に分けることができる。「石の文明」すなわち西欧文明は「外に進出する力」を特徴とし、「砂の文明」であるイスラム文化圏は「ねーっとワークする力」が本質だ。そしてアジアに広がる「泥の文明」の本質は「内に蓄積する力」である。このアジア文明こそ、近代社会を牽引してきた「石の文明」の欠点を補える唯一の文明なのである。

・和辻が「モンスーンの風土」とよぶものと、わたしが「泥の文明」とよぶものは、「緑豊か」という点で共通する。しかし、和辻はその風土に「受容的・忍従的」な精神類型と文明が育つと説くのに対して、わたしがその「泥の文明」が「内に蓄積する力」をはぐくむと説いている。
 わたしがその仮説を立てた根拠は何か、という点については、後に詳しく触れることにしよう。いま「モンスーンの風土」にしろ「泥の風土」にせよ、そこには農耕が主産業として成立するが、それによって生まれる民族の「エートス」(精神類型)なり文化の本質を、和辻は「受容的・忍従的」と捉え、わたしが「内に蓄積する力」と捉えている点に大いなる違いがある、ということのみ確認しておきたい。

・ヨーロッパの風土を和辻は「牧場」と捉えているが、それは松本も同じ。しかし、その牧場を20センチも掘れば石にぶち当たるので、松本は「一の文明」とするのである。そして牧畜がいかに広大な土地を必要とするかという話から、「石の文明」が「外に進出する力」を醸成するという話へとすすむ。それがヨーロッパ列強がアジア進出へとむすびつくのだが、この辺りの記述は、これまでのしゃかいがくの古典とされてきた大塚久雄の「共同体の基礎理論」をも論破して、迫力に富む。

・「もの作り」の文化
 半導体の生産は欧米よりも、日本や韓国、台湾、中国、マレーシアなど、長年「田つくり」に微妙な精度と、その土から不純物を排除することに努力してきた国々ばかりである。更に触れたように、石川県たったかの山際に精確に作られ、水をゆっくりとすべての田に流してゆく棚田をみたソニーの技術者が、「これ(棚田)は半導体だ」と叫んだというエピソードを思い出さざるを得ない。