生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングのすすめ(11) 第10話 真正科学と疑似科学とエンジニアリングの関係

2014年02月27日 16時22分08秒 | メタエンジニアリングのすすめ
第10話 真正科学と疑似科学とエンジニアリングの関係

第1節 現代の疑似科学とは何か


第3話の冒頭でこのように書いた。一般の人からの科学に対する信頼が急速に低下している。福島第1原発の事故とその対応のまずさがそのことに油を注いでしまった。「科学技術の敗北」などという記事すら散見される。もはや、科学者の言動をそのまま信じる人は皆無であり、社会全体としてこの傾向は当分の間続いてしまうであろう。
 その理由は大きく二つに分けられる。第1は、科学と疑似科学が混在していること。第2は工学の分野での科学の具現化のそこここに誤りが存在すること。詳細は別途述べることにするが、インターネットの普及による情報の混乱と、技術の進歩の急速化が、従来さして問題にならなかったこの二つの問題を顕在化させてしまった。特に複雑な技術の進歩の急速化が現代人の脳の進化を大幅に超えていることは、生物学的には種の絶滅への方向を示しているとも云われ始めている。

 このような視点から、現代科学と現代工学の実社会への適用の最前線であるエンジニアリングについて、より根本的なことを考える分野として、メタエンジニアリングを始めた。このことは、云わば現代の形而上学とも云えるもので、その英語名であるMeta-PhysicsをもじったMeta-Engineeringとも云えるわけである。今回は、メタエンジニアリングの立場からもう一度現代の科学の有りようをみなおして、エンジニアリングとの関係を考えてみた。

「疑似科学入門」岩波新書1131,池内 了著(2008)という著書は、第3話でも紹介したが、お浚いをしてみよう。
著者は「はじめに」の中で、情報化時代になって、かえって世の中の考え方や受け取り方が一様化しつつあると判じている。情報の送り手と受け手の非対称性と述べているが、要は送り手にとって好都合な情報が、受け手側では自分の頭で考えることを放棄して、鵜呑みにする傾向がみられるという訳である。そこで疑似科学」に対する非合理性の認識が重要であるとして、それについて論理的な思考を試みている。


 池内氏は独特の方法で疑似科学を3種類に分けている。
第1種疑似科学は、「人間の心理(願望)につけ込み、科学的根拠のない言説によって人に暗示をあたえるもの」で実例としては、占い系に属する様々なものや超能力を挙げている。
第2種疑似科学は、「科学を援用・乱用・誤用・悪用したもので、科学的装いをしていながらその実体がないもの」で実例としては、永久機関やある種の健康食品、確率や統計を都合よく示して因果関係を特定する方法などを挙げている。
第3種疑似科学は、「複雑系であるがゆえに科学的に証明しづらい問題について、真の原因の所在をあいまいにする言説で、疑似科学と真正科学のグレイゾーンに属するもの」で実例としては、環境問題や電磁波公害、遺伝子組換え作物などを挙げている。つまり、科学的にはっきりと結論が下せないのだから、一方的にシロかクロに決めつけてしまうと疑似科学に転落してしまうものを指している。私は、この第3種疑似科学が現代の情報化社会の環境と相まって、結果として科学不信の傾向が強まっているように考えている。

しかし、メタエンジニアリングで考えると,第4種が現れるのである。それは、疑似科学とは云えないのだが、果たして「真正科学」と云われている現代科学は、本当に真正なのだろうかと云った、疑問である。このことに関しては、The Essence of Engineering and Meta-Engineering: A Work in Progress、Nagib Callaos (2010)という論文が手掛かりを与えてくれるのだが、そのことについては,第2節で紹介をする。

 私がこの本を読んで先ず感じたことは、これは科学だけの話ではなくて、技術(エンジニアリング)の問題が間に存在するべきであるということだった。冒頭に述べたように、科学それ自身は自然界の現象を論理的に説明するもののであり、そのことを人間社会に反映させるには、何らかの技術が介在しなければ成り立たない。つまり、社会に適用する際のエンジニアリングに何らかの齟齬があるのではないかと云うことである。そこで、メタエンジニアリングの登場となるわけである。


第2節 メタエンジニアリングと疑似科学、あるいは真正科学について

 メタエンジニアリングの目的の一つは、Meta-Engineeringの語が示すとおりに、エンジニアリングの根本を形而上学的に考えることになる。少なくとも私は、そのように考えている。

 現代は、科学不信の時代と云われている。そして、その一般的な感覚は科学者が否定すればするほど、ますます広がりを見せているように感じられる。最近の事例では、原子力発電の近い将来の依存度に関する世論だ。なにがなんでも、ゼロ%が良いとする意見が、数としては圧倒的に多い。ある調査では70%を超えるという。原因は、福島原発の事故当時に適切な判断を下せなかったためとも云われているが、それだけではない。地震予知(私は、予知と云う言葉は使うべきではなく、あくまでも予測とか予想と云うべきと思うのだが)の曖昧さに加えて、天気予報は相変わらずに外れることが多いし、地球温暖化の真の原因の議論も決着が見えない。これらの根本的な原因は、何であろうか。

 私は、その根本を科学と技術の基本機能の不徹底さに求める。つまり、サイエンスとエンジニアリングの違いと役割とが混乱しているのだ。例えば、原発が予想外の被害を受けたときに、まず緊急対策を考えて実行するのは、科学ではなくエンジニアリングであろう。何故ならば、現代の全てのものはエンジニアリングによって、その機能を果たしているからである。科学は個別分野ごとの真実であり、総合判断はできない。何故、科学に総合判断をゆだねるのかが、理解できない。
 もう一つの問題は、日本独特の「科学技術」という言葉にある。科学と技術を直結する表現としては、いかにも日本人好みなのだが、欧米人は合理的だと理解してくれているのだろうか。原発問題に関しても、科学技術の立場からの発言は、圧倒的に科学者、つまりアカデミアからのものである。しかし、彼らが末端のエンジニアリングに精通しているとは考えられない。そして、想定外の問題に直面したときに、最も大切なことは、末端のエンジニアリングであることは、間違えないのではないだろうか。

ここで、先に紹介した論文に戻ることにする。全文は36ページに亘るので、全てを紹介できないが第1頁のみを示す。


http://www.iiis.org/nagib-callaos/engineering-and-meta-engineering/engineering-and-metaengineeringpdf  
この中で彼は、大略次のことを述べようとしている。(以下は、「 」内で筆者が訳した文章を記する)

「私たちは、科学とエンジニアリングとを区別し、重要な側面で互いに対向していることを示す。
この対向は正反対でだが、両立しないものではない。(中略)これら2つの統合的な視点は、エンジニアリングの役割を科学と産業の「サイバネティック架け橋」として、更には社会との懸け橋であると示す。」


はじめの「Motive and Purpose」では、現代の基本的な問題として、多くの発表例を挙げている。そのうちから二つを紹介する。

「王立工学アカデミーのフェローのSir.ロバート•マルパス( 2000 )によると、「いわゆる新経済はエンジニアリングのプロセスを通じて形成され、かつ形成され続けてきた。エンジニアリングが社会と経済に浸透することが明らかになり、エンジニアリングが世界を変える上で重要な役割を持っている、しかし、エンジニアリングは、それによって変更されている世界に適応して変わりつつあるのだろうか?」

「ミシガン大学の名誉会長のジェームズ•ドゥーダーシュタット( 2008 )は、ミレニアム•プロジェクトに関連した報告書の中で、「グローバルな知識経済のニーズはengineeringの劇的な変化をもたらす。単純に習得されたscienceやTechnologyの分野よりもはるかに広範なスキルを必要とする。ここ数年の間に連邦国家のアカデミー、政府機関、経済団体、および専門学会では、多くの研究がおこなわれて、それらは、急速に変化する世界における21世紀の国家のニーズとして、Engineering practice, research, educationにおけるnew paradigmsの必要性を示唆している。」

などである。これらの現状認識がMeta-Engineeringを考える出発点であることは、筆者らと同じである。

 次に、“know-that” と “knowhow”についての多くの論文が引用されている。スタートのアリストテレスのニコマコス倫理学では、エピステーメ(ライルの表現では、theoretical knowledge; knowing-what)とテクネ(ライルの表現ではcraft or practical knowledge; know-how)である。これは、次の文章に要訳される。

「Maplas (2000 )は 、「エンジニアリングは2つのコンポーネントを有すると述べている。つまり、engineering knowledge, the ‘know what’, と engineering process, the ‘know how’である。エンジニアリングプロセスの教育と認識は、学界とかEngineering Institutionsで形成されるものではない。」

次にEngineering & Scienceの章を設けて、その関係と違いを明らかにしている。

「マッカーシー( 2006 )は、科学とエンジニアリングの区別の1つは、科学は、真の理論を構築することを目指しているが、エンジニアリングは、働きのあるものをつくりだすことを目標としている、とした。それぞれの分野は、異なる目的を持っている。科学は、世界を理解することを目的とし、一方、エンジニアリングは、 それを変更することを目的とする。」
「デイビス(1998)は、「テクノロジーは私たちのパンを焼く、科学はそれを理解する助けになる。科学とエンジニアリングは、お互いを補完するが、異なる目的を持っており、全く同じ種類の知識を使用しているわけではない。科学の論理は“what-is” の論理であり、エンジニアリングの論理は“what-might-be” または、“what-is-possible”の論理である。」
「科学は、“what-already-exists”を指向し決定するし、エンジニアリングは、“what-is-not-existent-yet”なものを指向する。真実は科学の目的であり、人間の利益を発生させる便利なものを生産ことが、エンジニアリングの真の姿である。」

などである。そして、結論としては次のような言葉が加えられている。

「科学とエンジニアリングは互いに依存しており、特にビジネス•プロセス•スキルに対して、知識と経験を便利なものに変換してくれます。したがって、一緒に、より緊密に協力する必要がある。(マルパス、2000)技術革新においては、科学、エンジニアリングおよびビジネス•プロセス•スキルが相乗的に組み合わされて、科学的知識を社会に役立つ製品やサービス、あるいは技術革新に変換する。」

 そして、いよいよ真正科学の問題が登場する。

「科学は知的にエンジニアリングよりも優れたものではありません。同時に、エンジニアリングは科学に対して、実践的またはpraxeologically に「優れた」ものでもありません。その観点から、マッカーシー( 2006 )は、エンジニアリングが科学が不足している確実性を提供し得ることを示唆している。」
「科学史は、科学的理論が常に現在に至るまで、新しい理論によって否定されていることを証明している。ポパーは彼の科学の哲学と「反証真実」と呼ばれてきたものを基にして、「科学的なものは、それが将来的には改ざんされる可能性がある限りにおいて科学的である」としている。つまり、scientific truth is a falsifiable truthです。ポパーの「反証主義」は通常の見かたを逆転させるのですが、「蓄積された経験は、科学的な仮説につながるが、自由に推測された仮説が経験により試されている」としている。「伝統的な確実性の意味での知識、
あるいは現代的な感覚での正当化された信じるべきものは、手に入ることはない」とした。(ジャーヴィー、 1998)
ポッパーは、これを「悲観誘導またはメタ誘導“Pessimistic induction or Meta-Induction.”」と命名することにより大いに貢献した。」


「ピエール•モーリスマリーデュエム( フランスの物理学者、数学者であり哲学者、1914 ) 、およびクワイン(最も影響力のある論理学者であり哲学者、1951 ) は、「科学は真実を明らかにするという考えに深刻な歪みを示した 」 (リプトン、 2005 )「科学的真実に対する議論は、悲観的な序論であり、その証拠は
科学の歴史から示唆されている。」「事実は、科学理論には賞味期限があることを示している。科学の歴史は理論の墓場であり、ある期間は経験的な成功だが、時がたてば偽と知られてしまう。the crystalline spheres, phlogiston, caloric, the ether and their ilkとその同類は、今は全て存在しないことが分っている。科学は真実のための良い実績を持っていないが、単純な経験的一般化のための基礎を提供していると云える。大げさに言うと、過去の全ての理論は偽であるとも云える。従って、現在および将来のすべての理論はfalseとなる可能性が高い。」(リプトン、 2005)」


「マッカーシー( 2006 )は、「科学的真実に関してのこの不確実性に直面して、エンジニアリングプロセスとその成果が、確実性を達成するための代替手段となっている。」彼女は「哲学者がいくつかの理論にのみ焦点を当てるのではなく、代わりに応用科学とエンジニアリングの双方に注意を向ければ、知識の進歩[と確実性]についてはかなり異なる結論が得られたであろうと断言した。」

などである。聊か我田引水になってしまうが、確かに科学は全て真正であるとは云えないことは事実であろう。
そして、次の記述に繋がってゆく。

「科学と技術活動が相互に関連していると結論出来るであろう。それらは、より包括的な全体として統合される。科学が「 know-that 」を提供し、エンジニアリングの実践はその一つを必要と考えてプロセスや技術を産み、それが科学の進歩や、科学理論の認識論的立場に関しての哲学的な反映を提供する。このような観点によると、科学と技術活動が関連するかもしれない。(正と負)即ち、フィードバックとフィードフォワードループにより、全体として相互シナジーによりその部分、部分の合計よりも大きいものになるであろう。」

「暗黙知/個人的な知識とKnow-How/technêがエンジニアリング活動に必要な条件であることなので、実践や実習も必要条件であることは明らかである。これらは、ノウハウやプロセスの知識を得たり、新たなテクネを生成したり、技術的または人工的な物事、すなわち成果物を創造するための暗黙知/個人的な知識を獲得するために必要である。」

 このような考えを通過すると、現実社会における現代科学に対する信頼性の喪失の回復の為には、メタエンジニアリングが必要との結論に至ってしまうのである。

メタエンジニアリングのすすめ(10) 第9話 科学と哲学の関係とメタエンジニアリング

2014年02月24日 14時48分02秒 | メタエンジニアリングのすすめ
第9話 科学と哲学の関係とメタエンジニアリング

様々な科学と工学がとてつもないスピードで進化してゆく中で、昨今の社会情勢の変化に対して、哲学者からの科学的な発言がめだつようになってきたように思う。一方で、科学者や、特に工学者、中でも最も社会情勢への影響度が高いと思われるエンジニアからの哲学への発信は皆無である。
 メタエンジニアリングの中でこの命題を考え、過去の関連図書をあたってみた。そこで出会ったのが、「そもそも、哲学と科学とはお互いに助け合うべきである。」との言葉だった。著者は、京都大学総合人間学部教授の有福孝岳さん、哲学の京都学派のおひとりであろう、ハイデッガーやカントの有名な論文の訳本を出版されている。

「哲学の立場」晃洋書房(2002)には、多くの示唆に富む記述が見受けられる。そして、その多くにメタエンジニアリングの考え方との共通点を見出すことができる。



 著書は、中世まで隆盛を誇った形而上学からの科学の分離が宣言をされた17世紀の第一哲学の話から始まる。
「ニュートンもまた、「自然哲学の数学的原理(Philosophiae naturalis principia mathematics,1687)」において、運動の公理としての自然物体の三つの根本法則、つまり慣性の法則、運動方程式、作用・反作用の法則を呈示することによって、宇宙物体の物理学的自然哲学を完成した。」
である。
 現代に生きるエンジニアとしての私は、ここで二つの疑問に出会う。「自然哲学」と、「完成した」、の二語である。しかし、このことは読み進むと自然に解消されて、正しい哲学的な解釈であることに気が付かされる。

 哲学的な論証の説明が続き、アリストテレス、カント、フッサール、ハイデッガー、サルトルなどの著書の説明の後で、「哲学と科学」の章が「科学とは何か」で始まる。
「もともと、「科学」という漢字は、中国語「科挙之学」の略称として用いられ、明治十年以前においては、日本においてもその語彙を継承して「分化之学」「個別学問」の意味で用いられたものである。(中略)scienceやWissenchaftはともに「科学」と訳されると同時に「学問」とも訳されるように、もともとは、もっぱら「知識」を意味するラテン語Scientiaに対応するものである。この言葉は、元来感情や信仰からは区別されて、人間の知識活動一般を意味したが、このような最も広い意味での科学は、人類の出現と共に始まったものに他ならない。(中略)現代においては、科学という言葉は、一般的には全体的思弁的な学としての「哲学」からは区別された、経験的個別的な諸学問を意味し、最もせまい意味においては「自然科学」を意味する場合が多い。」

とある。私は、ここにメタエンジニアリングの入口を感じる。

 コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートンに言及したあとで、科学については次の記述がある。
「以上の如き意味を持つ科学の特質は「合理性」と「実証性」にある。あくまで、原理原則に基づいて理論的体系的に知識を探究すると同時に、その知識が事実と実験によって検証されねばならない。この検証の場が実験である。実験的方法は仮説を必要とする。科学者は、仮説によって、自然を再構成し、自然法則的自然、自然科学的自然を構築するのである。それはありがままの生の自然ではなくて、自然科学的に規定された自然であって、混沌と多様が入り交じった無規程的自然ではない。科学的自然は統一と体系を保った自然である。しかし、自然そのものは、科学者の手からこぼれ落ちるであろう。ここには、人間としての科学者の有限性がある。」

この言葉には、現代の先端科学者からは、大いに反論が出されるかもしれないが、一般常識的にはもっともなことに思える。昨今の、科学に対する不信感も「それはありがままの生の自然ではなくて、自然科学的に規定された自然であって、混沌と多様が入り交じった無規程的自然ではない。科学的自然は統一と体系を保った自然である。」と述べられたように、現代科学者が「混沌と多様が入り交じった無規程的自然」を完全に自らの科学の中に再現したと思いあがっているのかもしれない。
そして、メタエンジニアリングが哲学に固執する意味もこの言葉に含まれている。

 次の「哲学と科学」の節は、つぎの記述で始まる。
「ともあれ、個別科学は己の前提を疑わずに、その前提に基づいて自らの知の体系をたいていの場合築き上げることができる。しかしながら、もしひとたび、その前提が怪しくなりくずれかけたときには、最初の出発点に立ち返って、原点から考えてみなければならなくなる。そのときに初めて、各個別科学の哲学的反省が始まる。」である。

 少し引用が長くなるのだが、いよいよ結論である。
「そもそも、哲学と科学とは互いに助け合うべきである。西洋近代以来、現代のハイテク技術、コンピュータ、原子力等々を中心とした現代の科学技術の時代においては、多くの人々は、哲学者までもが科学的知識へのコンプレックスに陥り、科学に対して奴隷的態度をとるに至っている様相さえ呈していると同時に、他方においては、科学への拒絶反応を示して原始時代への逆行、自然的生活への願望を抱く人々もいる。しかるに、哲学が現代に適応した、現代の哲学であろうとするならば、現代の科学の長所と短所を弁別しなければならない。科学をむやみに信ずることもなく、また反対にむやみに拒絶することもなく、科学のもたらした、信頼するに足るような、確実なる知識を哲学的思索に生かさなければならない。
    哲学的問いにとって特徴的なことは、その徹底性である。すなわち、これやあれやの因果関係が探究されているのではなく、全体一般に付与されうる意味が探求されているのである。なぜなら、哲学する人間にとってはそのつど決定的なことであり、全ての哲学的思索はそのかぎりにおいて「実存的」である。ところで、科学者も人間であり、一定の時代に生まれ生きる存在者であり、歴史的文化的制約下にある。つまり、科学者もすでに何がしかの世界観人生観によって、言い換えれば自らの哲学によって科学を始めているのである。」


また、「しかしながら、科学はつねに進歩し、進歩すればするほど、科学は自己独自の特異性のある立場とパースペクティブをもって新たに分化し、旧来とはちがったパースペクティブをもつべき科学の一学科へと変換しつつ進歩するであろう。それゆえ、常識をいつも追い越してゆくこところに科学の本質と宿命がある。だが、進歩しなくなったときには、それはもはや科学ではなく、単なる常識にすぎないものになってしまっているのである。常識を批判し反省するところから、新たな哲学と科学が生まれるであろう。」
 
ここに至って、現代社会における、あるいは現代科学と現代工学の中でのメタエンジニアリングの必然性が見えてくるのではないだろうか。
しかし、このような状況は福島原発事故に始まる、いわゆる「科学のむら組織化」の異論から大きく変化してきたように思える。つまり、前出のこの部分が明らかに変わってきた。

「現代の科学技術の時代においては、多くの人々は、哲学者までもが科学的知識へのコンプレックスに陥り、科学に対して奴隷的態度をとるに至っている様相さえ呈していると同時に、他方においては、科学への拒絶反応を示して原始時代への逆行、自然的生活への願望を抱く人々もいる。」

はじめに述べたように、昨今の社会情勢の変化に対して、哲学からの科学的な発言がめだつようになってきたのである。例えば、このことについては既にこのブログでも紹介したのだが、「ハイデガーの技術論」を著した加藤尚武氏の「災害論」でsる。

 「災害論―安全工学への疑問」加藤尚武著、世界思想社(2011.11)




H25年4月14日の日経の記事「科学の見直し、文化の視点で」では、下記の文章が引用されて紹介をされている。
「危険な技術を止めようというのは短絡的。今やるべきなのは多様な学問分野から叡智を結集し、科学技術のリスクを管理する方法を考えることだ」「合理主義が揺らぐ中で科学のありようが問われているだけではない。哲学もまたどうあるべきかを問われている」

更に、「哲学者は、認識のありようを考察するなかで、科学者同士のずれを調整する役目を担える」とも述べられている。これは正に、メタエンジニアリングの視点であり、メタエンジニアリングの役目でもあるように思う。
実際に読み始めてみると、「まえがき」の最後は次の文章で結ばれている。

学問と学問の間の接触点に入り込んで問題点を探し出す仕事を、昔は、大哲学者がすべての学問をすっぽりと包み込む体系を用意してその中で済ませてきたが、現代では、「すべての学問をすっぽりと包み込む体系」を作らずに、それぞれの学問の前提や歴史的な発展段階の違いや学者集団の特徴を考え、人間社会にとって重要な問題について国民的な合意形成が理性的に行われる条件を追求しなければならない。それが現代における哲学の使命である。」


とある。
 加藤氏は、いわゆる哲学の京都学派の重鎮で日本哲学会の委員長も務められた。私は、哲学の使命についてはコメントできないが、上記の「学問をすっぽりと包み込む」ことは、特に自然科学を基とする工学が、エンジニアリングを通じて現代社会におおくのものを提供する現状においては、むしろメタエンジニアリングの役目だと思う。つまり、哲学者の目とは異なる実社会に役に立つものを、考えて実践をしてきたエンジニアリングの目で見、かつ深く考える始めることが、メタエンジニアリングの最重要機能だと考えている。

メタエンジニアリングとLA設計(17) 第14話 今日の大企業の設計力の弱点

2014年02月20日 10時10分41秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第14話 今日の大企業の設計力の弱点

 Design on Liberal Arts Engineeringは、あまりにも専門分野化してしまった昨今の「様々な分野の設計」の不完全さを指摘して、本来の設計のあるべき姿を追求するための試行です。前稿(第13話)のガウディーの建築設計については、本来の建築設計学を十分に踏襲した上で、専門以外のあらゆる要素を加味して設計した結果がサグラダファミリアであり、単に芸術性に重点を置いた設計や、人気や名声の為の奇を照らす設計との違いを述べたつもりです。そのことが世紀をまたがっても、なお事業の継続と感嘆の声が続いている所以だと思います。

先日、大学同期の懇親会があった。大学紛争が最も盛んだった1960年代後半の機械工学を学んだ連中の集まりだが、今は大半が大企業のサラリーマン人生を終えたばかりだ。中には、現役の代表取締君も居るのだが、すべて高度成長時代の技術を背負い、経験した者たちだ。私は、その同期会のホームページに毎月の寄稿をしているのだが、大方の反応は、「お前の文章は、難しくて分からないが、時々なるほどそうだと思うこともある。」といったものだった。これは想定範囲内のことなのだが、私としては日常業務の中で、普通にしゃべっていたことを中心に文章に書き残しているつもりなので、聊かがっかりでもある。
 今回の話し相手は、三菱重工・日立・東芝と云った大企業の経験者だったのだが、異口同音の発言は、設計技術者の能力の低下に対する悩み(と云うよりは、一種のあきらめと愚痴)だった。つまり、私が2000年代に入って痛切に感じていたことと同じことが、どこの大企業でも起こっていると云うことなのだろう。 
 その原因の多くは、高専卒の技術者が姿を消して、大学院で専門知識のみを学んだ秀才が寄り集まって出来た大集団によって、必然的に出来てしまった結果と見るべきであろう。私は、この大企業の設計力の弱点を二つの言葉で云い続けてきた。第1は、「マニュアル第3世代問題」であり、第2は「Design Review Syndrome」である。今回は、この二つについて概説を試みることにした。

設計力の衰退(1)― マニュアル第3世代問題

ジェットエンジンの設計を40年間にわたって眺め続けていると、その歴史的な流れから色々なことが見えてくる。そのひとつが、設計マニュアルのあり方についてであった。このことは、すでに何回か述べたが、改めて経緯を含めて少し詳しく記してみようと思う。



              
ことのきっかけは、1980年代の後半に始まった、GE社との新型ジェットエンジンの開発プロジェクトであった。この頃になると、日本の設計チームの設計能力は、約20年間に亘ってFJR710,RJ500,V2500などの実機の経験を通じてRolls-Royce, Pratt & Whitneyなどから得た知識と、毎年大量に入社してきた最新の解析と計算技術を身に付けたマスターやドクターの力で、相当なものになっていた。一方で、欧米の軍需産業を開発の柱としてきた企業は、冷戦の急激な収束の余波が大きく、大量の人員整理が始まろうとしていた。また、当然のことながら大卒の新入社員は皆無であった。
GEとの共同開発機種は、世界中の主要エアラインから次世代の主力機種として注目をされていた新型のBoeing777への搭載を単独に狙ったもので、世界で最も大きな出力を、格段に大きなバイパス比(エンジンの外側のファンと燃焼器を通過するコアーの空気流量の比率で、大きいほど熱効率は高くなる)を目指す野心的なものであった。当時、私は開発半ばのV2500エンジンのChief Designerと、このエンジンのChief Engineerを兼務する立場にあり、それぞれの主力工場のある英国のDarby市と、米国のConnecticutとOhio州を行き来する生活が常であった。つまり、Rolls-Royceを含めた3社の設計思想と実力の違いを明確に知る立場が続いていた。民間航空機用エンジンの新規開発競争は、かつてスポーティーゲームと呼ばれたほど過酷なもので、競争に敗れれば一気に会社の浮沈にかかわるものである。その為に開発プロジェクトのエンジニアは常にその会社の第1級のメンバーでチーム編成がされていた。



Boeing777とGE90の外観

GE90エンジンの設計は、途中軽量化設計で行き詰ってしまった。当時のGE社では全ての設計はマニュアルに従って行われていたので、野心的な新設計のスペックを満足することは出来ないことは、当初から明らかであった。しかし、マニュアルは先輩諸氏が纏めた金科玉条のものであり、彼らが勝手にそれらを外れた設計をすることは許されなかった。結局、超軽量の新材料の早急な開発に力が注がれることになるのだが、それでは間に合わないのでどのようにマニュアルを外れた設計にするかが、大きな問題となって検討が行われた。一方で、日本チームは破壊力学や構造解析の新知識が豊富な若手のメンバーに拠り、GE社の設計審査をクリアーする設計を次々に示すことができた。当時の我々のチームは、まさに独自の新マニュアルの作成の真っ最中であった。

GE90の各社分担部位

このような状態を見て、私はマニュアル第1、第2、第3世代という概念を思いついた。設計マニュアルの作成には、複数の成功事例が必要であり、当時の日本チームは漸くその域に達しつつあった。つまり、第1世代である。一方で、世界ナンバーワンの地位を長年保ってきたGE社のマニュアルは、2世代前のエンジニアが作ったものが主流であった。つまり、現役の設計技術者は、マニュアルを作成した世代からの直接指導を受けることは、困難な第3世代であった。

ジェットエンジンの実用化は、第2次世界大戦中に開発が始まり、まだ70数年の歴史しかない。その中で大きな設計思想の変更は5回あり、現在は第Ⅵ世代のエンジンが開発中である。一度開発された機種は少なくとも30年間は改良が加えられて、使い続けられる。つまり、新機種の開発には常に世代を越えた設計思想が適用されることになる。その中にあって、設計マニュアルの中味は如何なるものであるべきか、といった設問は他の多くの設計マニュアルとは異なる性質のものになるのかも知れない。

この場合の設計マニュアルの主機能は、第1に次世代の設計技術者に創造的な設計のノウハウを正確に伝えることであろう。つまり、何故そのような考え方を用いるのか、何故その数値を選ぶのかといった、「Why」であり、数値そのものや、計算プログラムなどは、世代を越えて適用されることは稀であり、その補助機能であると考えるべきであろう。
具体的な解析計算プログラム、それに適用すべき許容限度の数値などは、設計マニュアルの必須事項であるが、それらは世代を越えて通用するものではない。一方で、それらを定めた理由を含めた経緯は、新たなマニュアルの作成には必須のものである。マニュアル第3世代問題を引き起こさないための工夫が取り込まれたマニュアルで、暗黙知的なノウハウも含めた創造的な設計の考え方を引き継いでゆかなければならない。このことは、これからの日本の継続的な発展には大いに必要なことだと思われる。

設計力の衰退(2)― デザインレヴユー・シンドローム

 ジェットエンジンの設計を40年間にわたって眺め続けていると、その歴史的な流れから色々なことが見えてくる。そして、その多くは他のシステムや製品の設計や企画・計画にも共通であるのではないかと云った考えが、多くの事例に当てはまることにより徐々に分かってくる。
 その端的な例が、福島第1原発の事故と、その後の再発防止政策に現れている。そのことについては、既に何度も述べたのだが、本稿では、「デザインレヴユー・シンドローム」という観点に絞って述べてみることにした。

 多くのプラント業や製造業で1980年代以降に問題になったのは、高度成長時代の設計が多忙すぎて、設計不良による不具合が多発したことだった。(註1)工事中に予期せぬ事態が発生したり、製造過程で設計見積り以上のコストが発生したり、様々な問題が顕在化した。その際に、上層部が行う施策の第1は、設計審査の強化が一般的である。しかし、設計審査を強化しても、不具合は発生し続けた。すると、設計審査のますますの強化が行われる。それは、更に広範囲で大がかりかつ頻繁な審査である。つまり、多くの上級職や権威者を集めたり、細部にわたる大規模な審査を繰返し行うことである。そして、そのことが最も基本である、設計技術者自身の基本的な設計能力の大幅な凋落に直結していることに気がつかないことである。

 設計審査が頻繁かつ大規模化すると、当然のこととして設計とそれにかかわる多くの技術者は、審査の対応に追われる。受審の為の事前準備と、指摘事項の事後の検討と回答作りに多くの時間を費やすことになり、遂には設計審査をクリアーすることが、設計の目的になってしまう。そして、無事審査をクリアーすると、設計者も周囲も、そこで設計が終了したかのような錯覚に堕ちいってしまう。しかし、設計審査で検討がなされることは、氷山の水面上部分よりも、もっと部分的であることを知るべきである。このようなケースでは海面下の多くの事項の検討が、おざなりになってしまう。それは、設計技術者にとって最も大切な、多面的な見かたを放棄することに繋がってくる。
このことが、直接に私にDesign on Liberal Arts Engineeringを考え、かつ投稿などをさせるきっかけとなった。
 
 福島第1原発の事故のあとで多くのことが指摘され、その結果の一つとして、再稼働の為の新たな安全基準が定められて、遠大な審査が行われていると報道されている。本来、多くのことを他方面にわたって検討すべきエンジニアの対応は、安全審査をクリアーすること一点に絞られてはいないであろうか。そして、安全審査からOKが出た瞬間に、全ての検討が終わったと周囲が解釈をして、早期の再稼働の開始のみを優先して進める事態が安易に想像される。

 このような時代の変化を私は1990年代に実感をして、その現象を「デザインレヴュー症候群」と名付けた。このような状態が継続されれば、本来の創造的な設計技術は凋落する。設計は、どこまでも設計技術者自身の知識と経験と創造力の結果であるべきである。設計審査はもちろん必要条件ではあるが、それはあくまでも補助機能にとどめるべきであり、そこには何らの結果責任も存在しないことを知るべきである。設計図の細部に亘る中味の責任については、その図面にサインをする者は常に意識することであるが、設計審査のメンバーは、その覚悟はいかほどのものであろう。

 この問題を、津波に対する安全対策を例に考えてみる。従来の審査基準が、7mの津波に対して安全(と云うよりは、完全無被害を要求していると云うべきか)であること、とされている項目が、例えば14mと改定されたとしよう。審査は14mの津波でも、敷地内に絶対に海水が浸入しないことに注目するであろう。その場合に、15mの津波が発生したときには、だれが責任を負うのであろうか。津波に対する本来の設計は、想定以上の津波に襲われた(あるいは、何らかの原因で外壁が壊れた)場合に、一部の機能が失われても、致命的な事故に至らない設計を追求するべきであり、高さを何メートルに想定するかは、安全基準ではなく、むしろ経済的に合理的な数値に設定をして設計を行い、更にそれを越えた事態に対する非常時の対策に心血を注ぐべきだと思う。このような設計手法はジェットエンジンでは「Failure Mode Effective & Criticality Analysis」と称して古くら行われている。(註2)そして、その内容は設計審査を担当する専門家には決して分かることは無く、詳細設計を実際に行う設計技術者のみが、詳細に分かることである。

 安全審査のみをクリアーすることに専念する技術者が増えて、その技術者に育てられた次世代の技術者が、また次の時代を担う技術者を育てることになると、一体本来の設計はどうなってしまうのだろうか、ベテランの設計技術者には、容易に想像できる事態が発生するであろう。

(註1)ベテランのエンジニア不足についは、この他に第1次、第2次オイルショック時に短期的な経営指標の改善のために、過度の人員整理を行ってしまった事例もあるが、これは単なる人事政策の誤りであろう。

(註2)ジェットエンジンの設計で最も困難な領域は軽量化設計である。強度や寿命は勿論のこと、全体剛性、振動問題、変形問題、長期に亘る調達問題、製造コストなど多方面での同時最適設計が要求される。その為に大部分の設計寸法には、安全係数といった概念は用いずに確率論を採用する。バラツキと分布の特徴、解析や計算の精度等を考慮して、3σ、4σ、5σ、6σと云った確率で設計値を決める。ここで、6σという確率は、所謂シックス・シグマで主張する確率の1,000,000回に3.4回とは異なる。正規分布で6σという場合の製品不良の発生確率は、仕様限界の幅を±6σとした場合、外れる確率は10億分の2回である。即ち0.002ppmであり、シックス・シグマにおける値の3.4ppmとは大きな差がある。
規則で決められた安全係数とは異なり、エンジンが様々な条件下で運転が続けられ、同時に加速試験などのデータが集まると、バラツキの分布が狭まることが常であり、その分信頼性の向上や寿命の延長を合理的に示すことができる。
 その上で、なお想定外の原因で重要部品の破壊等が起こった場合には、Majorな被害が出ても、致命的な事故に至らないための工夫を随所に設ける設計を行っている。この為に、エンジンの破損を原因とする航空機の墜落事故は、近年では皆無となっている。

(蛇足1)私は、かつて宇宙へ運ばれる構造物と機器類を間近に観察する機会を得た。そのときには、彼我の軽量化設計能力の大きな差を直ちに感じた。

(蛇足2)私は原発推進論者でも、即時撤廃を主張するものでもない。3つの観点から現行の体制を支持するものである。第1はエンジニアとして現代社会に必要なものは、たとえ危険性があっても、それを乗り越えなければならないという信念である。航空機は、万有引力の法則に反して、巨大な人工物を多くの人を載せて、上空に長時間滞留させなければならない。これほどに危険なものは無い。
第2は原発を取巻く今後の世界事情との調和である。中国と朝鮮は今後ますます原発依存を強めるであろう。その中にあって、日本のみが原発関係ない、などと云っていたら福島よりも大きな陸上と海域の被害が想定されるし、世界の文明から取り残されるであろう。脱原発依存も放射性廃棄物問題も、日本単独ではなく、地球全体の問題として国際間で協議をしながら進めるべきであり、日本はその先導的な役割の一端を担うものだと考えている。
第3は即時全面停止の決断は、かえって危険性を大幅に増すとのエンジニアの判断です。大規模な設備が正しく稼働されている状態と、少なくとも再稼働無しとして経営的に放置された施設が、共に予期せぬ事態に遭遇した時に、どちらが正しく対応できるかは明らかだと思います。いずれにせよ、全ての原発の廃炉が完了し、放射性廃棄物の永久保管が完了するまでには半世紀以上が必要で、どちらのケースでもその期間に大きな違いは出て来ないでしょう。

文中の図表は、かつて筆者が講演で公開したものから引用した。

ガウディの建築とメタエンジニアリングーメタエンジニアリングとLA設計(16)

2014年02月09日 08時57分55秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第13話 ガウディの建築とメタエンジニアリング

三十数年前に、サグラダ・ファミリィアの建物に接する機会があった。あのガウディが設計をして、いつ完成するとも分からない巨大建築だ。その当時は、「いくら高度成長時代でも、あの建築はないな。」であった。つまり、新大陸の発見から長期間にわたって築かれた巨万の富と、イスラムとキリスト教文化の結果で、あのように耽美的な建物が発想され、実行が続けられているとの認識であった。
 そして、先月その建物に直接に出あうことができた。外観と内部の説明を受け、塔に登り、階段を下りながら、塔の外観を間近に観察し、大いに関心をもって最後には説明本を購入して、帰国便の中でゆっくりと読んだ。そして、彼の建築設計思想の中に、メタエンジニアリングを強く感じた。
 
その中身の説明の前に、少し彼と彼の作品についてWikipediaの記述を見てみよう。

概要は;
アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・ミラ邸(カサ・ミラ、1906-10)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。     


壁面には彼自身も居る


博物館にあった彼の写真


学生時代については;
1873年から1877年の間、ガウディはバルセロナで建築を学んだ。学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、ヴィオレ・ル・デュクの建築事典を友人から借りて熱心に読んでいた。

作品については;
彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えた。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立する。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現した。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と、ガウディは自然の中に最高の形があると信じていた。その背景には幼い頃、バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験からきている。
ガウディの自然への賛美がもっとも顕著に表れた作品が、コロニア・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分である。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっている。この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をした。その実験装置が「逆さ吊り模型」で紐と重りだけとなっている。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だと、ガウディは考えた。建設中に建物が崩れるのでは?と疑う職人たちに対して、自ら足場を取り除き、構造の安全を証明した。(これは、力学的に全くの正解であった。まさしく、力学的に安定であるためこんにち広く使われているカテナリー曲線そのものである)


生前に描かれた設計図はスペイン内戦で焼失している。[12]彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみである。そのため彼の設計図はあまり残らず、また焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリアの工事は進められている。
と、あった。
 

これだけを読んでも、「学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示した」、「曲線と細部の装飾を多用し、生物的な建築を得意とした独創的なデザイン」、「柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず」などの記述には、かすかにメタエンジニアリングを感じることができる。

ここで本題に戻る。
現代のエンジニアリングの中でも建築は「最も発達をした工学の一分野」だと、かねてから認識をしている。「発達」の意味は、人類数万年の歴史の中で、常にその文明の進化とともに研究と実践が繰り返されてきた数少ない分野だと思うからである。法隆寺の金堂のように、一千年を経てもなお斬新さを誇る優美さとか、どのような地震にも耐えてきた薬師寺の五重塔など、芸術性や哲学をも取り込んだ作品も数え切れないほど存在する。このような人工物は他に抜きんでているし、現代でもなお建築学は進化を続けている。他のエンジニアリングの分野では、これらのことに相当する分野は見当たらないのではないだろうか。


壁面は、聖書の物語を表す彫像で覆われている



全景を撮影するのに有名な池のほとりから



塔の先端部は、ベネチアングラスの果実。木の上には果実が実っている、と云うことだろうか?

購入した冊子の冒頭に、「ガウディの秘密」と題した、ジョアン・バッセコダ・ヌネル氏の解説記事がある。その文章に接しているうちに、メタエンジニアリングとの関連を確信したわけなのだが、直接の引用ではなく、要点をかいつまんで記してみよう。

・通常の寺院建築から出発をして、継続的かつ、論理的な合理性と機能性にそった設計を求めた
・通常の設計は、三角定規とコンパスを用いたものが、論理的な合理性と機能性にそった設計を生み出すと考えられているが、それよりも上の思考を追求して、実践した。
・理論幾何学で出来上がる形状は、決して自然界には存在しない。人間が暮らす建物は、出来得る限り自然に近い方が良い。
・幾何学的な設計は、設計と建築の易しさを追求した結果であって、使う人の快適さを最終目的として考えられたものではない。
・人が暮らす建築物の最終目的は、「最高の住み心地になる」ことである。
・一般の建築で構成されている修正幾何学は、直線で構成されるゆがんだ曲面である。一方で、自然界に存在する構造は繊維で形成されており、らせん体・円錐・方物面・双曲線などで整えられて存在をしている。彼は、このような修正幾何学を観察して、設計に再現した。
・従って、彼は設計図を書くことを好まずに、モデルの作成に専念した。余談だが、このことがスペイン内戦中の火災と破壊を経ても、なおオリジナルが存在する所以だった。彼の弟子たちがモデルの破片をつなぎ合わせたので、今なお正確に工事を続けることができていると述べられている。


確かに、サグラダ・ファミリィアの内部の柱は、大木の幹と太い枝を想像させる。大木の枝と大量の葉は一本の幹で支えられているだけで、台風に対しても容易に壊されることは無い。さらに、その外壁は、全面に亘って聖書の物語が全て彫像で示されている。そこには、具象もあるが、抽象的な像もある。




 これらから得られる結論は、彼の設計思想が「建築学」の専門性(芸術は既に含まれる)を全て踏襲した上で、更に上の概念である、歴史・人文科学・哲学・自然に遡って、従来の建築では現れて来なかった、「潜在するka課題」を発見し、それを解決するための様々な分野の知識と経験を集合して設計を完成させたと言えよう。そして、その実践には世紀をまたがった期間が必要になったのだが、それを堂々と実践していると云う訳である。これは、正しくメタエンジニアリングの代表例ではないだろうか。

有名な、ユダの接吻。この動作で官憲にキリストを特定させた。左は、魔法陣の「13」関連の数で、35種類もある。




 正面の入口は、まだ手がつけられていない。道路を挟んだ向かい側の建物を壊して、歩道橋をかけて道路の反対側から入場するようになるそうだ。その為の橋脚が正面に何本も作られているところだった。


それにしても、市内を見渡す眺めは美しかった。なぜ、日本にはこうした美しい都市の眺めができないのだろうかと、いつも考えさせられる光景でした。