生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(120)「真実を告げる書と「はるかな記憶」」 

2019年03月31日 15時10分52秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(120)TITLE:  「真実を告げる書と「はるかな記憶」」               
書籍名;「はるかな記憶」 [1994] 
著者;カール・セーガン 発行所;無限社
発行日;1994.1.1
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

「真実を告げる書」副題は「異星人からのメッセージ」では、人類史の始まりの書として独特の位置を占めているとした。『全世界200万部突破、遺伝子に秘められた科学的生命創造の真実。1973年12月、ラエルは異星人エロムと遭遇。そして、彼等から地球人類の過去と未来に関する重要なメッセージを受け取った。』その内容が書かれていた。 

 その後、世界的な宇宙物理学者セーガンの数冊の著作を読んだ。そして、「真実を告げる書」との共通する考え方にたどり着いてしまった。読み始めた当初は、両者は相いれないものと思っていた。方や神託のようなもので、もう一方は、純粋な物理学者の著書だからである。しかし、両者は「人類を含む宇宙全体の最適性」を求めていることで、共通している。

「はるかな記憶」の副題は、「人間に刻まれた進化の歩み」となっている。帯には、「われわれはどこから来たのか―宇宙の創生から人類の誕生まで」とあるのだが、この訳には、聊か違和感を覚える。原題は、
「SHADOWS of FORGOTTEN ANCESTORS」であり、この場合のANCESTORSは、20世紀初頭以前のすべての人類をさしているように思える。彼は、彼の専門の立場から、現代社会の文明の行く末を案じている。

 無限に広がる大宇宙は、素粒子からできている。生命体も非生命体も同じなのだが、生命体には自然淘汰という宿命がある。進化と自然淘汰の関係はどうなっているのだろうか。セーガンは前著「コンタクト」では、宇宙に無数に存在する生命体は、一つのシステムによって全体調和が図られているとした。人類もその中の一つなのだが、宇宙における人類の位置は、地球における微生物の様なものと考えられる。眼に見えない微小な存在だが、ウイルスのように外部に害を与える可能性がある存在か、酵母菌のように、外部に利益をもたらすものなのか、人類はどちらに向かっているのだろうか、といったようなことに思える。
 
 この書が書かれたのは、20世紀最後の頃なのだが、二つの大戦後に平和が訪れたと思っていたところへ、米ソの冷戦が激しくなった。人類の歴史をたどると、そのことが古代からの必然のように思えてくる、というのが著作の始まりらしい。冒頭の「日本のみなさまへ」には、次のようにある。
 
 『この本の着想は、日本の科学者をはじめ、何世代にも及ぶ数多くの科学者の努力の集積から生まれている。こうして生み出された進化的な考え方に基づく新しい全体像は、学校でも教えてくれないし、十分に理解されてもいない。この新奇な世界観に初めて出合ったときは、とても受け入れられないように感じるだろうし屈辱感から立ち直るにはたいへんな励ましを必要とするだろう。しかしこの本の著者としての経験からいわせてもらうならば、人類の起源や、人類と他の生き物たちとの関係をじっと見つめることから、何よりも力強い慰めと説明を得ることができた。
私たちは、どの国の読者も、この本のいくつかの個所で気分をそこなうことを願っている。むろん不快感そのものが望ましいからではない。世界を、私たちの希望的観測ではなく、自然界の事実から導かれた新しい観点から見ることは、少なからず痛みを伴うからである。しかし、人類が自分自身について知ろうとしない限り、来るべき時代への挑戦はありえない。』(pp.2)

 聊か、気負った文章に思えるのだが、これは共同著者のアン・ドールヤン(シナリオライター、テレビプロデューサー)の影響かもしれない。
 続いて、「はじめに」には、著作の動機が書かれている。

 『この本自体に着手したのは、1980年代初頭であった。そのころ、米国とソ連の軍拡競争が悪化していた。抑止、威圧、自尊心、恐怖といった理由で増強されていった核兵器は六万基にもなり、両国はまさに一触即発の状態にあった。互いに自国のみを正当化し、ときにはヒト以下に貶める言辞まで用いて相手を非難した。米国は、この冷戦に一兆ドルを投じた。土地を除く国内の全物資を買っても、なおお釣りが来るような金額であった。その一方、国内ではインフラストラクチャーが崩壊し、環境が劣悪化し、民主主義の手続きが覆され、不正が世に満ちあふれていた。そして、世界最大の債権国だった米国は、いつの間にか最大の債務国に転落していた。何で、こんなめちゃくちゃなことになったのだろうか、と私たちは自間自答した。どうすれば、この状況から抜け出せるのか?それ以前に、この状況からの脱出は可能なのか? 』(pp.16)

 幸い、本の完成とともに、冷戦は終結したのだが、彼の考えは変わらなかった。

 『そこで、私たちは、核軍拡競争の政治的感情的な起源を調べてみることを思い立った。まず行き当たったのが第二次世界大戦だった。そして、そのもともとの原因は第一次世界大戦にあった。第一次世界大戦は国民国家の台頭の結果でありつき詰めていけば、その起源は文明の始まりにまでさかのぼった。文明は農耕や牧畜によって始まり、それ以前には、ヒトが周囲にある自然の恵みや、狩りによっ て暮らしていた長い時代があった。どのあたりの時代であったのか、どの時点であるのか明確にいうことはできないが、人類が現在置かれている苦境「根」は、まさしくこうた過程の中にあった。それに気づく前に、私たちは、最初の人類、さらにはその相先に当たるものたちを探し始めていたのであった。やがて私たちは、ヒトが自らに仕掛けたワナを理解するためには、ヒトが登場する以前のはるかな時代の出来事を知ることが重要であると考えるようになった。』(pp.16)
これが、真の動機になっている。

 そして、彼自身の立ち位置については、次のように述べている。
 
 『これから述べることは、多くの科学分野の最新の成果に基づくものである。ただ、まだ現在の知識だけでは不十分であることを、読者の方には心にとめておいていただきたい。科学はまだ未完成である。科学とは、近似的な方法を積み重ねて、自然界の完全で正確な理解に近づいていくものであるが、まだその条件が完全に満たされているというにはほど遠い。主要な発見の多くが今世紀に入ってから、それもこの一〇年の間になされたことからしても、目標がまだ遠いことは明白である。科学には、議論や訂正を重ね、絶えず向上し、苦しい再評価に耐え、そして、常に革命的な視点を持つことが宿命づけられている。ヒトとはいかなる存在であるか、という命題に近づき理解するための鍵となる、いくつかの段階については、その分野を再構築するために十分な知識の蓄積ができてきているようにも思うのではあるが。』(pp.18)

 本文は、「ヒトの来た道」から始まっている。

『みなし児の来歴― ヒトとはいかなる存在なのか? ヒトはどこから来たのか? なぜ、現在のような進化の道を歩み、他のコースを進むことはなかったのか? それとも、ヒトは、すでにこの世にはいない祖先たちの手によって良くも悪しくも操られており、自らを制御することなんてできはしないのか? その本性を変えられるのか?社会をよりよい方向に向けられるのか? 子孫たちに、現在より快適な世界を残すことができるのか? ヒトを苦しめ、文明を崩壊に導く魔の手から逃れることはできるのか? 何を変えるべきかが、長い目で見て判断できるほど、ヒトは賢明か? ヒトは自らの未来を信じることができるのか?』(pp.27)
が、根本的な問いになっている。
 
 そこから、延々とヒトの歴史が始まっている。多くのページはダーウィンの進化論の成立の前後と、発表後の世の中の様々な階層や専門家の意見が書かれている。

『自然淘汰を人類に適用しようとすると、「神の言葉」と「絶対に相容れない」ものとして非難の対象になるのは当然のなりゆきである。人類に神が与えた優越性、言葉で明確に意思を伝える能力、理性で判断する天分、自由意思と責任感、堕落と救済、神のキリストへの顕現、聖霊の内在。これらは人類が神の意のままにつくられ、キリストによって救われたものであって初めて成り立つ。その起源を獣に引き下げるダーウィンの考え方と、両立することは明らかにありえない。進化という考え方を認めれば、「全能の神の属性の大半が、われわれの心の中から追放されてしまう」のである。』(pp.116)
 といった具合になる。

 ヒトが被った自然淘汰の例が、いくつか挙げられている。一例が、熱帯アフリカで起こった「鎌型赤血球」の話になっている。この赤血球は、マラリアの原虫を攻撃する一方で、遺伝子を受け継ぐと重症な貧血患者になるという特徴がある。そして、その結果が以下のように記されている。 

『一七世紀、オランダの奴隷商人たちは西アフリカ黄金海岸(今のガーナ)まで到達した。そこで多数の奴隷を買ったり、新たに捕らえたりして、カリブ海のキュラソー、南米のスリナムという二つのオランダ植民地に送り込んだ。キュラソーには、マラリアはない。だから、そこで過ごす奴隷たちにとっては、鎌型赤血球は貧血の原因となる悪いものでしかなく、それを持つことの代償は何もない。一方スリリムは、マラリアの流行地である。鎌型赤血球の遺伝子を持っているかどうかが、ときには生と死を分けることにもなりかねない。

 三世紀後の現在、両地の奴隷の子孫たちを調べると、鎌型赤血球を持つ人がスリナムにはたくさんいるのに、キュラソーではほとんどその痕跡さえ認められなくなっていることがわかる。キュラソーではこの赤血球が「負」の淘汰を受け、スリナムでは西アフリカ時代から引き続いて「正」の淘汰を受けたのである。人間のような繁殖速度の遅い生物でさえ、この程度の短い時間で自然淘汰が進むことがわかる。一定の人間集団には、必ず遺伝的な素質の「幅」というものがある。周囲の環境が、その中から特定の素質を引き出す。「進化」というのは、遺伝と環境とが手を携えて行う協調作業である。』(pp.126)

 それから、様々な生物の進化や絶滅、食物連鎖などの話が断片的に続いている。そして、彼の専門分野に話しが移ってゆく。
 
 『異星人の地球観― 地上にひしめいている多様な生命の姿を詳しく調べるために、太陽系の外から生物学者がやってきたとしよう。彼はまず、それらのすべてがほとんど同じ素材で構成されているのに気づく。
同じ分子は常に同じ働きを持ち、遺伝子の「暗号表」さえ共通である。互いの老廃物を吸いながら緊密な連携を保って生活し、互いに相手に依存しつつ、狭い地球の表層を分かち合っている。
単に「親族」というだけでは片づけられない関係がそこにはある。この結論は見たままの事実である。
けっしてイデオロギーなどではない。権威や宗教による支えや熱烈な支持者の弁護があるからではなく、観察と実験を積み重ねた結果としてそういえるのである。』(pp.248)
 そこから、「生」と「性」の話に移り、上巻が終わっている。

 次に、下巻に移る。下巻の冒頭には、「種の起源」の一節が挙げられている。

 『われわれが生物を見るとき、未開人が何だかわけもわからずに
船を眺めるのと同じようには見なくなったとき―
また自然が生み出したすべてのものは、それぞれ長い歴史を持っているとみなすとき―
そして大きな機械的発明は、多くの労働者の労働や経験、理性、
そして失敗さえもが総合的に組み合わされたものであるのと同じように、
われわれが生物の複雑な構造や本能を、所有省にとって
役に立つたくさんの工夫の積み重ねの結果であると考えるとき―
これは私の経験でいうのだが、われわれが生物をこんなふうに見るとき
博物学の研究はもっともっと面白くなることだろう― (「種の起源」一八五九・第一五章)』(pp.8)

 ここでは、ヒトと他の生物との違いが、様々な方面から検討されている。

 『ヒトの優位という欺購― われわれヒトはこめ地球を支配している。その地位はいくつかの基準から断言できる。地球上にあまねく存在すること、多くの動物を隷属させていること(上品にいうと家畜化である)、地球上の光合成による一次生産のかなりの部分を収奪していること、地球表面の環境を変化させていること……。なぜ、ヒトなのだろうか。冷酷無情な殺し屋たち、逃走の名人たち、どんどん増殖するものたち、肉眼で見えるような捕食者にはほとんど見えない小さな生物たち― 前途洋々たる生物はいくつもあるのに、裸のちっぽけで傷つきやすい、霊長類の一種が、他のすべての種を従え、この地球を丸ごと領有しているのはなげなのだろうか。
なぜヒトは、他の種とそんなに違っているのだろうか。それとも、違いなどないのだろうか。すべてのヒト個体に当てはまり、他の種には絶対に当てはまらない、まぎれのないヒトの定義は、解剖学やDNA塩基配列などからはできるかもしれない。しかし、それは目的にそぐわない。』(pp.265)

つまり、彼の意図するところは、ヒトの特殊機能や能力のことだ。

 『もし、ヒトに優位な地位を与えるほどの明白な特徴が、今のところ化学的、解剖学的には認めることができないからには、他にとりうる手段は、われわれの行動を探索することしかない。ヒトの日常的な行動の総体をもって、ヒトを定義できる可能性はあるが、そのうちの驚くほど多くの行動を、他の霊長類もできるのである。たとえば、ここにコンサルが成し遂げたことの記録がある。マンチェスターの動物園がー八九三年に初めて入れたチンパンジーである。』(pp.266)

 そして、このチンパンジーが、ヒトと同じ行動を、あらゆる場面においてできたことを示している。そして、プラトン、アダム・スミスや近年の哲学者が唱えたヒトの特徴に対して、論理が不完全だったことを指摘している。そして、議論はついに「宗教」に至る。これこそ、確定的な違いではないだろうかというわけなのだが、

 『ヒトと動物との間にある違いとして、しばしば主張されるのが、宗教の有無である。宗教を持ち、安静を得るのは人間だけだといわれる。しかし、宗教とは何だろうか。どのようにしたら動物が宗教を持っているかどうかを知ることができるのだろうか。『人間の由来』の中でダーウィンは「イヌは自分の主人を神と見なしている」との表現を引用している。アンブローズ・ビアス 「『悪魔の辞典』で有名な米国の作家」は、畏敬の念とは「人間が神を、イヌが人問をあがめる態度」であると定義した。動物ではオメガがアルファを神のようなものと見なす。オメガの服従とへりくだりの深さまでは、現存している宗教のほとんどが及ばない。イヌや類人猿がどれほど深く畏敬の念を感じているのか、厳格な「主人」や確固不動のアルファに対する態度がどれほど敬虔なものか、神聖だという感覚を持っているのか、許しを乞うために祈るのか、あるいは、慰めや、自分にまさる影響力を見いだそうとするのか― これらは、知るのが困難である。
強く賢い両親に育てられ、教えられ、しつけられた動物、順位制に適応するようにされた動物、さらに、
生殺与奪の力やアメとムチで身を固めた威圧的な人間に直面してきた動物たちには、宗教的と呼んでいるものに近い感覚があってもおかしくない。 多くの晴乳類、そしてすべての霊長類がこれらの条件を満たす。』(pp.305)

 さらに、道具やそれを創造する技術については、このように記している。

 『確かに、われわれは知性と技術なくしては、文明を生み出すことはできなかったであろう。しかし文明とは人間の特性であるとか、あるいは文明とは知性と手先の器用さが人間の求めるレベルにまで到達することであるといったいい方をするのは不公平だろう。地球上に人間が登場してから初めの九九パーセントの期間は、文明がない状態だったからだ。われわれはそのときもまぎれもない人間ではあったが、まだ文明を持つに至ってはいなかった。だが、数十万年どころか数百万年前にさかのぼるヒトあるいはヒト科の化石といっしょに、しばしば石器を出土する。彼らは、少なくともある程度の能力は持っていた。まだ、文明というところまで到達していなかっただけである。 人間は道具を使い、他の動物は道具を使わないということから、人間を道具を使う動物であるとか、道具をつくる動物であるという定義を行おうとする動きもあった。』(pp.309)
 しかし、すべてのヒトが道具を作るわけではない。また、他の霊長類にその能力が隠されているかもしれない。だれも確信を持つことはできないであろう、としている。

 そして、テーマは冒頭の平和や民主主義に逆行する政策に戻る。
 『一万世代前、祖先の多くが小さな集団に分かれていたころは、こうした傾向も、種の存続に都合よく働いていたのかもしれない。なぜこれらの感情はほとんど反射的なのか、なぜそれらはたやすく誘い出されるのか、なぜそれらがすべての扇動者や政治屋などの職業の源泉になっているのかはよくわかる。しかし、大昔の霊長類の性質を軽減するのに、自然淘汰を待つわけにはいかない。 それには時間がかかりすぎる。作業は手持ちの道具を使ってやるしかない。道具とはすなわち、われわれは何者であるのか、われわれはいかにしてこの道を歩んでいるのか、そしてわれわれに不足している点をどのようにして超越するかを理解する能力のことである。最悪の結末に至ることのない社会をつくり始めるのはそれからのことだ。』(pp.348)

彼はまた、「核の冬」を唱えたことでも有名になっている。ここでは、そのことを言っているように思われる。さらに続けて、

 『さらに過去一万年という視点から見ても、異例の変化が最近になって際立ってきている。人間は自分たちをどう組織化するか考えてみよう。アルファ・オスに対して、自分を卑下する恭順と服従が必要となる順位制は、アルファの世襲制と共に、かつては世界の標準的な政治構造だった。この制度が、正しく適切であることは、高邁な哲学者や宗教の指導者によっても正当化されてきた。これらの制度はいまや地球上からはほとんど消滅してしまった。同じように、運命づけられたものだとか人間の本性と深く調和しているものだとの理由づけで偉大な思想家が擁護してきた奴隷労働も、今や世界的にほとんど廃止されるにいたった。ほんのわずか前まで、世界中でごく稀な例外を除き、女は男に従属するものとされ、等しい地位と力を否定されていた。これもまた、あらかじめ決まっていることであり、不可避のことだと考えられていた。この点に関しても、変革への明臼な兆しが、いたるところにある。民主主義と人権と呼ばれるものに対しての共通の理解が、多少の行きつ戻りつを伴いながらも、地球に広がりつつある。』(pp.348)

「多少の行きつ戻りつ」が、現代文明社会にあって、政治や科学の世界で起こっていることへの彼の結論だと思う。「エピローグ」は、『人類の夜明けから文明の創造にいたる進化の歴史を綴るという作業の核心部分は、このシリーズの次の本での課題になる。』で結ばれている。



メタエンジニアの眼シリーズ(119)「カール・セーガン科学と悪霊を語る」

2019年03月29日 07時32分17秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(119)                                       
TITLE: 「カール・セーガン科学と悪霊を語る」

書籍名;「カール・セーガン科学と悪霊を語る」 [1997]
著者;カール・セーガン 発行所;新潮社
発行日;1997.9.20 
初回作成日;H31.3.28最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。




 現代日本ではあまり有名ではないようだが、Carl Edward Sagan(1934年-1996年)は、アメリカの天文学者、作家、SF作家、元コーネル大学教授、同大学惑星研究所所長で、惑星探査や地球外生命体への通信の第1人者だった。
そのこは、Wikipediaには次のように記されている。

『セーガンは太陽系を解明するために打ち上げられた無人惑星探査機計画の大半に参与した。セーガンは、地球外の知的生命によって発見されれば解読されることを前提に、変形しない普遍的なメッセージを太陽系外に飛んで行く探査機に搭載することを考案した。その最初の試みがパイオニア探査機の金属板であった。セーガンはそのデザインをフランク・ドレイクらとの共同で改訂し続け、その集大成が、彼が鋳造に加わったボイジャーのゴールデンレコードで、ボイジャー1号とボイジャー2号に積まれた。火星探査機マーズ・パスファインダーの着陸地点は彼にちなんで「カール・セーガン基地」と名付けられた。』

 この著書の帯には次のように書かれている。『宇宙物理学者からの最後のメッセージ! 人はなぜ似非科学に棚されるのか。』著者は、この本の翻訳中に若くして亡くなった。まさに、「最後のメッセージ」なのだ。なぜこれが、最後のメッセージなのかは、彼の生涯の記録を辿ってようやくわかったように思う。

原書の題名は、「the Demon-haunted world, Science as a candle in the dark」なんと科学はひ弱なことか。
全部で、438ページの大著で、しかも本文はすべて2段抜きになっている。
 「はじめに」には、彼の成長の過程が、父親とその時々の先生の人物像から語られている。知識の詰込み教育に辟易していた。そして、
 
『シカゴ大学時代でもうーつ幸運だったのは、ロバート・M・ハブンズが考案した一般教育プログラムを受けたことである。このプログラムでは、人間がこれまで営々と織り上げてきた知識という貴重な織物のことが語られ、その織物の重要な一部として科学が提示されていた。向上心に燃える物理学者が、プラトンやアリストテレス、バッハ、シェイクスピア、ギボン、マリノフスキー、フロイトも知らないのは(ここに挙げたのはほんの一部だが)、とんでもないこととされていたのだ。

科学の入門講座では、太陽が地球のまわりを回っているというプトレマイオスの宇宙観が、きわめて説得力のある形で提示された。そのため学生のなかには、どうしてコペルニクスに肩入れするのかを考え直しはじめた者もいたほどだった。ハチンズのカリキュラムでは、教師のステータスは研究内容とはほとんど関係がなかった。今日のアメリカの大学の標準とはちがって、教師たちは、次の世代にどれだけのことを教えられるか、次の世代をどれだけ鼓舞できるかによって評価されていたのだ。』(pp.9)

 第1章は、「いちばん貴重なもの」として、アインシュタインの言葉が引用されている。
 
『現実の世界にくらべれば、科学などはごく素朴で他愛のないものでしかない―それでもやはり、われわれが持てるものの中でいちばん貴重なものなのだ。』(pp.18)

 この章では、ありとあらゆる歴史とその時代の科学が紹介されている。彼は、超博学の様だ。そして、本題に移る。
 
『似非科学は、誤りを含んだ科学とはまったく別のものである。それどころか、科学には誤りがつきものなのだ。その誤りをーつずつ取り除き、乗り越えてゆくのが科学なのである。誤った結論は毎度のように引き出されるけれども、それはあくまでも暫定的な結論でしかない。科学における仮説は、必ず反証可能なようにできている。次々と打ち立てられる新たな仮説は、実験と観察によって検証されることになるのだ。科学は、さらなる知識を得るために、手探りしつつよろめきながら進んでいく。もちろん、自分が出した仮説が反証されれば嬉しいことはないけれども、反証が挙がることこそは、科学的精神の真骨頂なのである。

これと正反対なのが似非科学だ。似非科学の仮説は、どんな実験をしても決して反証できないように仕立てられている。つまり、原理的にさえ反証できないのだ。似非科学をやっている連中はなかなか用心深いので、懐疑的に調べようとしても妨害されてしまう。そして、似非科学の出した仮説を科学者が支持しなかったりすると、なんとかごまかす策謀がひねりだされるのだ。』(pp.37)
科学の歴史を古代ギリシャから辿れば、この結論は至極当然のこと。

以下は、様々な分野でのいわゆる「トンデモ話」が紹介されている。特に、空飛ぶ円盤や、宇宙人との邂逅、心霊現象、魔女裁判などについては、しつこいほどに詳細に語られ、反証を試みている。しかし、先に記されたように、世間一般には彼の反証でも完全ではない。
ここまで読んで、ほぼ半分なのだが、彼がなぜこれほどに、このような内容を最後のメッセージとして選んだかを疑問に思い、彼のもっとも有名な著書

「コンタクト」をあたってみることにした。新潮文庫で上下二巻になっているので、長編だった。
これは、全くの小説でテレビドラマにもなったらしい。若い女性天文学者が26光年先の惑星からの電波を受信する。その電波は、素数の連続だったが、諸国の専門家により、テレビ画像が隠されていることが発見される。それは52年前のベルリンオリンピックのヒットラーの演説だった。
これで、知的生命体からの通信であるとの確信を悟り、更にその奥に宇宙船の設計図が隠されていることにたどり着く。世界中の賛否両論の中で、各国が製造を始める。日本チームのみが完成に成功し、彼女以下数名が乗り込んで、旅が始まる。銀河系のほぼ中央まで到達し、宇宙の文明の進化と秩序を知るが、地球に還ると誰も信じてもらえなかった。

話は、彼の専門知識が散りばめられていて、非常に面白い科学小説になっている。
彼は、このような小説を何部も発行しているが、同時にNASAなどの責任者として惑星探査も成功させている。つまり、読者は、どこまでは科学でどこからが小説なのか、混乱をしてしまうというわけだった。そこで、その区別を明確にしようとの試みが、この著書のように思えた。

様々な似非科学を語り終えた後で、今度は科学者批判が始まる。第16章「科学者が罪を知るとき」だ。

『J・ロバート・オッペンハイマーは、マンハッタン計画の科学部門を率いた理論物理学者である。戦後、ハリー・トルーマン大統領と会談したとき、オッペンハイマーは沈痛な面持ちでこう語ったと伝えられている。「科学者の手は血にまみれてしまいました。いまや科学者は罪を知ったのです」。のちにトルーマンは側近に向かって、オッペンハイマーにはニ度と会いたくないと言ったそうである。科学者は、悪いことをしたために非難されることもあれば、科学が悪用されることに警鐘を鳴らしたがために非難されることもあるのだ。

しかし、それよりもさらに多いのは、科学や科学の産物であるテクノロジーは道徳的にうさんくさいとして非難されるケースだろう。つまり科学やテクノロジーは、良いことだけでなく悪いことにも使えるから悪いというのである。こういう非難には長い歴史があって、おそらくは、石を割って道具を作ったり、火を使いはじめたりしたころにまでさかのぼるだろう。テクノロジーは、人間が人間になる前の祖先の時代からわれわれと共にあった。人間という種は、テクノロジーとは切っても切れない仲なのだ。だとすれば、これは科学というよりも、むしろ人間の本性にかかわる問題というべきだろう。しかしこう言ったからといって、私はなにも、科学の産物が悪用されても科学には責任がない、などと言うつもりはない。それどころか科学には重い責任があるのだ。そして、テクノロジーが強大になればなるほど、その責任もますます重くなるのである。』(pp.283)

 ここからは、私流にはハイデガーの技術論世界になる。
 
『もちろん、人間とテクノロジーとの関係は昨日今日のものではないし、新しいテクノロジーの開発はいつの時代にも行われてきたことだ。しかし、人間の弱点は昔も今も変わらないのに、一方のテクノロジーは今や空前の破壊力、まさに地球規模の破壊力をもつに至っている。そんな時代には、人間の方にも何かこれまで以上のものが求められるべきだろう。つまりわれわれは、空前のスケール―すなわち地球規模のスケールで、新たな倫理を打ち立てなければならないのである。』(pp.284)
 
これは、至極当然のことなのだが、私は「新たな倫理」で片付くような問題ではないと断言したい。人間の本性、つまり、ヒト族が人間たる所以がそこにあるのだと思う。現代文明において、テクノロジーのあくなき追及を倫理の力では止めることはできない。
 
このことについては、高校生や学生の忌憚のない意見が原文のまま紹介されている。その数も、数十に達している。例えば、『よその国みたいに賢こくないのは、かえっていいかもしれないと思います。どうしてかというと、私たちは製品を輸入すればよくて、そういう部品を作ることばかりお金を使わなくて済むからです。』(pp.336)

 翻訳者の理学博士青木薫氏は、「あとがき」にこのように書いている。

『私がセーガン博士のはじめてのベストセラー「コスモス」を読んだのは、まだ物理の大学院生のころだった。(中略)
一般には、 多数の著作によって科学の啓蒙家として知られているようだが、何よりもまず、第一線の惑星科学者であった。
だからこそ、「核の冬」を警告するなど、社会的にも大きな影響力を持つことができたのだ。博士にはまだまだやりのこしたことがたくさんあったはずである。早すぎる死であった。

晴れた晩に空を見上げれば、赤い惑星、火星が見える。私がこれを書いている今、博士の名を冠した火星の「カール・
セーガン記念基地」では、探査車ソジャーナーがあちこち歩き回って調査を行っている。「ソジャーナー」とは、奴隷の身分に生まれながら、奴隷制廃止と女性の権利のために闘ったソジャーナー・トウルースというアフリカ系アメリカ人女性にちなんだ名である。 この名前を提案したのは、十二歳の少女だという。

「カール・セーガン記念基地」で活躍するソジャーナーの映像に、私は感動せずにはいられない。セーガン博士が全力を注いで伝えようとした夢と希望が、そこにあるような気がするのだ。セーガン博士は、マーズ・パスファインダーの成功を見ることはできなかった。しかし病床の博士には、活躍するソジャーナーの姿がありありと想像できたにちがいない。博士は科学を通して、「人間の希望」を実現しようとし続けた。そうして、その実現をさまたげる差別や不条理とも闘った。科学者としての力量のみならず、人間としての深みと広さをも兼ね備えた人であった。そんなセーガンの名を冠した基地に、ソジャーナーとはまた、なんとふさわしい名前だろう。本書は、そのセーガン博士から私たちへの最後の贈り物なのである。 』(pp.434)
 
博士のご冥福を祈る。
 

メタエンジニアの眼シリーズ(118) 「トーキング・ストレート2」

2019年03月28日 21時23分42秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(118)                                     
TITLE: 「トーキング・ストレート2」

書籍名;「大河の一滴」 [1998]

著者;五木寛之 発行所;幻冬舎
発行日;1998.4.15
初回作成日;H31.3.25 最終改定日;H31.3.28
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。


リー・アイアコッカ著の「トーキング・ストレート」に続けて、この書を思い出して開いてみた。なぜならば、「あとがき」にこんな言葉があったからだ。

 『これまで私は自分の感じていることを、あまりストレートに言うことをしないできた。 文章の語尾がいつも中途半端な疑問形で終わることが多かったのも、そのせいだろう。自 分でもできるだけひかえめに、独り言のような口調で語ることを心がけてきた気配もある。 たぶん、それは人間ひとりひとりがちがうように、ものの考えかたや感じかたも異なっているのが当たり前だと考えているせいかもしれない。 しかし、それだけではない。正直に言えば、自分をうしろめたく思う気持ちが、ずっと心の底にわだかまっていたのが最大の理由である。 他人を押しのけ、こざかしく立ち回って生きてきた自分のような人間が、いまさら人に何を偉そうに物をいう資格があるのだろうか。』(pp.263)

同じような年ごろの人が、同じ言葉で著書を書き始めている。しかし、中身はまるで違う。そこに、日本とアメリカの文化の違いをはっきりと見た感じがしたからだった。作家と経営者の違いはあるのだが、人生を振り返って、他人に語り掛ける態度は同じように思うのだが、一方は、ひたすら自己のこころの内を語り、一方は、社会のためになりそうなことを語りつくしている。

この書の冒頭は、こんな文章になっている。表題は、「みな大河の一滴」。
 
『 なぜかふと心が委える日に
私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった。 どちらの場合も、かなり真剣に、具体的な方法まで研究した記憶がある。本人にとっては相当にせっぱつまった心境だったのだろう。
だが、現在、私はこうして生きている。当時のことを思い返してみると、どうしてあれほどまでに自分を追いつめたのだろうと、 不思議な気がしないでもない。しかし、私はその経験を決してばかげたことだなどとは考えてはいない。むしろ、自分の人生にとって、 ごく自然で、ふつうのことのような気もしてくるのだ。
いまでは、自分が一度ならず二度までもそんな経験をもったことを、とてもよかったと思うことさえある。
これは作家としての職業意識などではなく、ひとりの人間としての話だ。』(pp.9)
 このような調子で、延々と続いてゆく。

本文は飛ばすことにして、「あとがき」に戻る。
 
 『ふとした瞬間につくづくおぞましく感じることがある。「私は悪人である」などと胸をはって堂々と宣言したりすることなど、私には恥ずかしくてできない。大悪人ならむしろ救いもあるだろう。しかしケチな小悪党ではどうしようもないのである。 そんなふうに自分のことを考えながら、それでも心のどこかに、一生に一度ぐらいは自分の本音を遠慮せずに口にしてみたい、という身勝手な願望もないわけではなかった。
そんな気持ちになるというのは、たぶん年をとってわがままになってきたせいだろうか。しかしそれだけではなく、最近の世の中の激しい変化と、信じられないような出来事のショックが私の気取りを揺さぶって、思わずなにかを言わずにいられない気分にさせたという面もありそうだ。「自分のことを棚にあげ」なければ、人はなにかを発言することはできないのかもしれない。厚顔無恥は生まれながらの性である、と覚悟するほうが正直なのではないだろうか。』(pp.264)

この言葉は、よくわかる。現に私が、このブログなどを書き始めた動機の一つもこのことだった。
そして、このような言葉で、結んでいる。

 『市場原理と自己責任という美しい幻想に飾られたきょうの世界は、ひと皮むけば人間の草刈り場にすぎない。私たちは最悪の時代を迎えようとしているのだ。資本主義という巨大な恐竜が、いまのたうちまわって断末魔のあがきをはじめようとしている。そのあがきは、ひょっとして二十一世紀中つづくかもしれない。つまり私たちは、そんな地獄に一生 を接すことになるのである。』(pp.266)

著者は一時期、執筆活動を一時休止して、龍谷大学の聴講生となり仏教史を学んだことを知り、彼が歩きながら解説をする日本の寺院探訪のシリーズのテレビ番組を見たのだが、著作については、「親鸞」以外には、詳しくは知らない。悲観的な内容や表現で有名だとの印象がある。しかし、おなじ「トーキング・ストレート」でのこれほどの違いからは、日本の優れた文化を世界の文明に押し上げることは不可能に思えてくるのは、論理の飛躍だろうか。


メタエンジニアの眼シリーズ(117)「トーキング・ストレート」

2019年03月26日 07時50分09秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(117)                                  
TITLE: 「トーキング・ストレート」

書籍名;「トーキング・ストレート」 [2198]
著者;リー・アイアコッカ 発行所;ダイヤモンド社
発行日;1988.10.6 初回作成日;H31.3.25 最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring


このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 アメリカの大企業の経営者としては、GEのウエルチが有名だが、その少し前までは、フオードとクライスラー社を立て直したアイアコッカが有名だった。彼の自叙伝「アイアコッカ―わが闘魂の経営」は大ベストセラーとなり、700万部が世界中で売れた。それから4年後に出版されたのが本書なのだが、冒頭のプロローグで2冊目を出すことに大いに迷ったことが記されている。しかし、内容は家族関係、経営の裏話、日本との関係、アメリカの教育、農業、品質問題など多岐にわたっており、むしろ興味を覚えた。すべてにおいて、まさに「トーキング・ストレート」で、458ページの大著になっているのだが、さらに巻末の3冊のダイヤモンド社発行の同系統の書籍宣伝の中に、「交渉の達人 トランプ、若きアメリカの不動産王の構想と決断」があるのは面白い。彼の特徴は、1980年代から変わってないように思える。

 アイアコッカについて、Wikipediaから少し復習する。

『リー・アイアコッカ(Lee Iacocca, 本名:Lido Anthony Iacocca, 1924年10月15日 - )は、アメリカの自動車製造会社、フォード社の元社長であり、その後クライスラー社の会長も務めた。』
大学で機械工学と管理工学を学んだ後プリンストン大学大学院で修士号を取得、1946年8月にフォード社に入社。
所謂「ベビーブーマー」と呼ばれる世代向けの中型車として開発された2ドアクーペ「マスタング」の開発責任者。
1965年にフォードとマーキュリー、リンカーン部門の副社長に就任。当時低迷していた高級車部門のマーキュリー部門やリンカーン部門の建て直しを成功させ、1970年1月にフォード社の社長に就任した。

社長在任中は、オイルショックと日本製小型車との競争激化を受けて低迷した国内外の販売を、肥大化したマスタングの小型化や国内販売網の強化、前輪駆動の小型車である「フィエスタ」の導入などを行い乗りきった他、いくつかの不採算事業の売却を行い、経営状況の安定を行った。
しかし、同社会長のヘンリー・フォード2世(創始者ヘンリー・フォードの孫にあたるオーナー会長)と経営方針を巡って対立し、1978年10月、同社が史上最高の売り上げを2年連続で達成したと発表された直後に解雇された。

『直後の1978年11月に、フォード社のライバルであり、日本車との販売競争や第2次オイルショック、ずさんな財務などのあおりを受けて、当時深刻な経営危機に陥っていたクライスラー社のジョン・J・リカルド会長に請われて同社の社長に就任する(その後1979年9月に会長に就任)。
就任後は同社の社内改革を進める一方、自らの年俸を1ドルとし労働組合との共闘の道を開いた。また、1979年12月には、同月に成立した債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達に成功。同時にV型8気筒エンジン搭載の中・大型車中心の開発姿勢から、2.2リッター直列4気筒エンジン(Kエンジン)搭載の小型車(Kプラットフォーム 日本では中型セダンにあたるモデル)中心の開発へと舵を切った。2年後、1981年に発売された小型車、プリムス・リライアント、ダッジ・アリエス、ダッジ400(いずれもKエンジン・Kプラットフォーム採用モデル)は大ヒットし、クライスラー社は深刻な経営危機から立ち直ることとなる。(中略)同社の開発コスト低減に貢献し、多くの中・小型車を成功に導き、破産寸前とまでいわれたクライスラー社を立て直し、数十万人のアメリカ人の雇用を守った。この功績により、アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とまで称されるようになった。』

 などが、書かれている。ある面では悲劇のヒーローに見られるのかもしれない。

彼の「トーキング・ストレート」を示すには、本のカバーに記された14項目の言葉が解りやすいので、そこのみを引用する。先ずは、裏表紙から。
 
『経営術;いい人問を集めること、基本的ルールをつくリ、従業員と意思疎通し、やる気を起させ業績を挙げた人問には報いること。以上すべてを効果的に実行すれば失敗などあリ得ない。』
 
『権限委譲;私の見るところ企業にとって最大の危険は、能力のない者を信じて権限を渡してしまったときに起る。そのような連中は、最初に「私には出来ません」と正直に言うすべさえ知らない。そじて失敗したときには、えてして周囲の全員を自分の失敗に引きずリ込むものである。』

『人材;上役が喜ぶようなことしか言わず、面と向かっては絶対に反対しない会社は、危い会社である。 こういう危険を防ぐため、私は常に才能のある反対屋」を身辺に置くことにしている。』

『やる気;やる気ない社員は、よリよい製品をつくるために自分の果たすべき役割を絶対に理解できないだろう。そして彼が理解しなければ、社の残リ全員が迷惑を蒙るのである。 』

『品質;こういうことを言うのは紋切リ型のようだが、1つの組織に働く者全員が、自分たちの作る製品の品質のおかげでメシが食えているのだということを頭に叩き込む必要がある。品質だけが彼らの家族の日々の肉や野菜を買い、品質だけが住宅ローンを払い、子供を大学に入れてくれるものであることを心から信じなければならない。』

『日本人へ;日本は保護主義かもしれないが、保護すべき市場を取リ違えている。真に守るべきはアメリ力の市場であるのに、日本市場を守るとは何と愚かなことであろう。いまや危機に瀕しているのはアメリ力の市場であリ、日本が最大の損失を蒙ろうとしている場所もアメリ力の市場なのだ。』

『日本人の貯蓄;日本人の貯蓄を攻撃するのは、私も少し気がひける。勤倹力行せよ、得た力ネは蓄め、モノを買うときはよく知る相手から買え―それは両親が私に教えたこと、そっくりそのままである。』
 表現は独特だが、なるほどと思ってしまう。すべては実際に自己が経験したことから発せられた言葉に思える。

次に表表紙の項目から、「家族」、「親孝行」(これが、いかにもアメリカ人らしいのだが)を除いて引用する。

『教育;私に言わせれば、教育とは民主主義への入場料みたいなものである。確固かつ長期的な教育計画は確固たる国家存立の基盤になる。そうした計画を確立するには長い時間がかかるが、決して予算をケチってはならない。私は政府予算の削減には常に賛成だが、教育費だけは削ってはならないと考える。』
 
『訴訟社会;争いをすべて法廷に持ち出し弁護士に扱ってもらうのは、全く愚かなことである。アメリ力のような複合社会が繁栄していくには、昔ながらの紳士的な譲リ合いが何よリ大切だろう。私の考えでは、 訴訟ブームほど著しくその美風を損ねるものはない。』
 
『税金;税金というのは、3つの条件を満たしていなければならない。1に全員に公平、2に必要な税収を確保、3に国家に競争力を与えるもの、以上3つで ある。』
 
『レーガン大統領;レーガン個人の人気が彼の政策への支持率を大きく上回るのを見るごとに、私は不審の念に駆られたものだった。政策が支持されないのに人間として支持されるとはどういうことであろう。わけが判らなかった。』
 
『新しい大統領;行動派が登場すべき時は来た。次の大統領は、おそらく非難攻撃の矢面に立たされるだろう。1期だけで満身創疾になるかもしれない。だが1期だけの偉大な大統領がいてもいいではないか。』

これらを読むと、当時彼が大統領になることを望んだ人たちの存在が理解できる。


メタエンジニアの眼シリーズ(116)「ナチスの発明」 

2019年03月24日 09時46分44秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(116)                                 TITLE:ナチスの発明

書籍名;「ナチスの発明」 [2006] 
著者;武田知弘 発行所;彩図社
発行日;2006.12.25
初回作成日;H31.3.18 最終改定日;H31.24
引用先;文化の文明化プロセス

このシリーズは経営の進化を考える際に参考にした著作の紹介です。



 書籍の帯には次のようにある。「知られざるナチスの姿、あの世紀の発明品 開発したのはナチスだった」。
 第2次世界大戦中に、ロケットとジェット機を発明し実用化したのは有名だが、そのほかにも驚くほどの発明をしていた。それらは、発明というよりは社会イノベーションといったほうが妥当に思える。ざっと数えて30以上ある。なぜ、それ程の数のイノベーションを同時におこすことができたのかを考えるのが、メタエンジニアリングなのだが、まずはその内容を本書で探ってみる。順番は、目次に沿って記す。

・イノベーション1;コンサート技術
 ヒトラーの演説の手法は、「政治の演説ではなく、入念に計画されたショーである」と言われた。穏やかな口調で始まり、次第に熱が入り、聴衆を含めて感情のコントロールができないほどに盛り上げる手法は、その後のロックスターのショーに応用された。

・イノベーション2;標準化された高速道路
 総延長4000kmのアウトバーンを統一規格で作った。道幅7mで大型車が高速で走れる、5mの中央分離帯、長い直線を造らない、サービスエリア、緊急時の電話設備を作るなど。失業対策と言われている。現在でも、日本では景気対策に使われている。

・イノベーション3;オリンピックの開催方法
 1936年のベルリンでのオリンピックについては、いろいろな批判もあるが、斬新なことも多く行われた。大規模なメインスタジアム、テレビ中継、街頭テレビ、記録映画、選手村、外国人訪問者の鉄道運賃60%割引とホテルあっせんのための添乗員の乗車、などなど。

・イノベーション4;聖火リレー
そして、ギリシャのオリンピア発の聖火リレーも、この時から始まった。各界の有名人3000人の選定。風雨に耐える聖火用トーチの開発。ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを廻った。

・イノベーション5;爆弾を搭載したロケット
 ミサイルの前身になる、爆弾を搭載したロケット「V2」を開発。マッハ2の飛行速度は、当時感知も防御も不可能だった。ロケット発射台はトラックで移動でき、10分で発射可能になるので、発車場所も確定されなかった。

・イノベーション6;大気圏外の飛行体
 フォンブラウン・チームが宇宙ロケットを開発、当初ヒトラーは兵器には使えないと考えていたが、実験成功により、爆撃用ミサイルの開発に専念させた。最初のロケットがロンドンに着弾した時の発言は、「ロケットは完璧に動作したが、間違った惑星に着地した」だった。

・イノベーション7;ジェット機
 ヴェルサイユ条約で戦闘機の開発を制限されたので、ジェットエンジンの開発に注力し、ついにジェット機を開発した。当初は爆撃機だったが、特徴を生かすために戦闘機に改造した。当時は、飛行時間は1時間、エンジン寿命は50時間、操縦が難しいなどの多くの難点があった。

・イノベーション8;一般向けのテレビ放送
 1935年に一般向けのテレビ定時放送を始めた。また、全国にテレビホールを設置、安価なテレビも開発した。番組は、ナチスの政治宣伝だけではなく、娯楽番組に、映画、料理番組までも放送した。

・イノベーション9;公衆テレビ電話の普及
 当時の見本市会場の目玉として開発し、自動車への取り付けも試みられた。

・イノベーション10;全国的なラジオの普及
 安価なラジオ「国民受信機301」を開発し、普及させた。また、当時有料だった受信料を無料化した。政治宣伝ばかりでなく、ベルリン・フルハーモニーの演奏も放送した。

・イノベーション11;人造石油の開発
 石油が採れないドイツの弱点の補強のため、石炭から石油を抽出した。アメリカの石油会社の役員が「人造石油は、世界の石油市場を脅かすようになる」と本社に報告したほどの勢いだった。実際、ドイツ国内では、天然よりも人造石油量が多かった。

・イノベーション12;アルコール燃料の開発
 ジャガイモからエタノールをつくる技術を開発し、実用化した。戦争を継続するのに必要な燃料を、輸入が制限されても確保可能な準備を整えたことになる。

・イノベーション13;アルミ合金の活用
 1907年にドイツで発明されたジュラルミンは、当時活用がされなかったが、ジュラルミンの大量生産設備を作り、航空機、戦車、飛行船に用いて、性能を飛躍的に向上させることができた。

・イノベーション14;磁気テープのテープレコーダー
 当時の録音はエジソンの蓄音機だったが、紙に鉄粉を塗る磁気テープを発明し、現在のテープレコーダーの原型を作った。この発明は秘密にされており、連合軍側は、繰り返し行われる演奏や演説を生放送として受け取っていた。

・イノベーション15;合成ゴムの発明
 物資不足から、化学工業の発展に力を注ぎ、合成ゴムを発明し、実用化した。

・イノベーション16;合成繊維の実用化
 合成繊維も、1913年に発明されていたが、実用化はされていなかった。ナチスは経済再建計画の中で注力して、重要な輸出品にした。また、ドイツ人の衣服としても合成繊維「スフ」の多用を勧めた。

・イノベーション17;ヘリコプター飛行の成功
 一人乗りのヘリコプターを開発し、滞空時間1時間、高度2000mを達成した。3年後には、6人乗りを開発し、100km飛行に成功した。

・イノベーション18;電子顕微鏡の改良と実用化
 1931年に17倍を実現、1933年に12000倍を実現して、光学顕微鏡を抜いた。それを用いて、人類初のウイルスの撮影に成功、ナノテクノロジーの先鞭を作った。

・イノベーション19;世界初の汎用コンピューターを開発した
 1942年に開発のための会社を立ち上げて、製造に成功した。しかし、本格的な運用には時間がなく、戦後19461年に特許をIBMに売却した。

・イノベーション20;コンピューター用のパンチカードの実用化
 パンチカードの設計、印刷、製造設備を整えて、実用化した。同時に、カードの読み取り機も普及させた。

・イノベーション21;リニア・モーターカーの発明
 磁気浮揚の研究がすすめられ、1933年に、「磁力により線路上に浮上・案内走行する車輪を用いない車両による浮上鉄道」の特許が承認された。続いて、全長20kmの実験線が作られたが、途中で終戦になってしまった。

・イノベーション22;労働者の長期休暇制度を始めた
 「学生に夏休みが与えられるように、労働者にも夏休みを与える」との政策を実行した。更に、そのための娯楽システムも構築した。また、労働者が買うことのできる価格のフォルクスワーゲン車を開発した。

・イノベーション23;格安パック旅行の販売
 さらに、労働者の長期休暇の過ごし方として、格安パック旅行の販売システムを構築した。一例では、アルプスの観光地での10日間3食付きで、炭鉱夫5日分の賃金価格だった。

・イノベーション24;テーマパークの開催
 ナチスの党大会は、現在のテーマパークと同じような環境とプログラムで行われた。例えば、花火や、様々なショー、少女たちの仮想行列なども行われた。

・イノベーション25;出産した母親への保養制度の制定
 一定期間滞在できる出産した母親専用の保養施設を作り、運用した。保養施設には、母親だけが入所し、その間赤ん坊は家事援助のシステムで養育された。年間5万人が利用した記録がある。

・イノベーション26;癌対策の実施
 化学工業の普及などにより、癌患者が急増したために、癌対策の研究に注力した。X線による白血病、タバコの煙の害、紫外線による皮膚がん、アスベスト公害などを原因として突き止めた。

・イノベーション27;扶養家族向けの減税の実施
 低所得者向けの減税を講じ、扶養家族の多い人の税額を下げた。世界初の試みだった。

・イノベーション28;財形貯蓄の奨励
 給料の定期積立に対して、利子を無税とした。満期までは引き出せなかったが、所得税の対象外で、400万人が参加した。当時の目的は、過度な消費による輸入の増加を防ぐためだった。

・イノベーション29;ワンダーフォーゲル運動の普及
 自然への回帰活動の一環としての、ワンダーフォーゲル運動の普及をすすめた。

・イノベーション30;有機農法の普及
 ナチスが欧州を広範囲に占領した後、1941年に「食料増産の必要性がなくなったので、化学肥料を止めて自然農法を採用してゆく」と宣言した。そのための特別な会社を設立し、試験的に、各地の強制収容所で有機農法の実験を始めた。薬草を栽培する農園だったとある。


・イノベーション30;義務教育の制定
 宗教にかかわらず、学区を制定し、外国人も含めて無料の小学校の義務教育制度を制定し、実行した。それまでは、プロテスタントとカトリックは別々の学校に通っていた。

・イノベーション31;大学の通信教育制度を始めた
 貧困者用に通信教育制度を作り、修了者には相当の資格を与えた。


なぜ、ナチスはこれほどのイノベーションを短期間に集中的に実現できたのか?(順不同)

・民族意識の高揚で、一定の主義に基づく政策に、皆が賛同した
・科学と工業を密着させた。
・集中と選択を徹底した。
・信賞必罰を明確にした。
・労働者の庇護を徹底した。
・社会のニーズを見極め、それに必要な技術を、個別ではなくシステム全体として開発した



メタエンジニアの眼シリーズ(115) 「マルクスの資本論に戻る」

2019年03月09日 08時38分41秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(115)TITLE: 「マルクスの資本論に戻る」
                             
書籍名;「月刊誌 経済」 [2018] 
著者;17人のマルクス学者 発行所;新日本出版社
発行日;2018.5 初回作成日;H31.3.8 最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。


 ケインズ、シュンペーターとくれば、次はマルクスまで戻らねばならないだろう。最近は、グローバル経済の先行き不安が高まり、「21世紀の経済はマルクスの資本論に戻って考えるべし」などという記事も見受けられる。そこで、入門のつもりで、この月刊誌を選んだ。2018年5月号は、「大特集 マルクス経済学のすすめ 生誕200年記念」とあり、16の論文と、最後には不破哲三の「資本論探求」が書かれている。巻末には、「私とマルクス」と題して複数の識者の若き頃の経験が短文で綴られている。その中には、「人間の健康とは何か」を追求して、動物・植物の健康から、人間らしい健康とはを命題とすると、人間的生活の活動から職業の選択になり、ついに資本論に行き着いた、などの経験(日野秀逸)が語られている。マルクスは、それほどに多面的なのだ。
 
この月刊誌は、やや左よりの傾向があるように思っていた。しかし、全体を素読しての印象として、この号では16の論文が、右的な傾向から、中立そして、頑強な共産主義者の順番に並んでいる印象を受けた。
 もっとも目に付いたのは、「マルクスと自然」(稲生 勝)という表題だったが、その前にいくつかを紹介したい。

先ずは、次の言葉だ。昔を思い出す。

『・社会改革の方向を逆転させたスターリン
他方、崩壊したソ連・東欧の社会体制についてですが、 崩壊の瞬間に日本のメディアや論壇には「ソ連こそ社会主義の本家」「ソ連こそマルクスの思想の体現」という議論がなんの検証もなしに垂れ流されました。崩壊したソ連が、マルクスの展望した未来社会とまったく異なる社会だったことは、マルクスの未来社会論を少しでもまともに読めばすぐにわかることです。』(pp.28)
このことは、多くの日本人の頭に刻まれたことだと思う。マルクスへの偏見なのだろう。
この筆者(石川康宏)は中立的な立場で、続けてこのように書いている。

『未来社会は、資本主義を長く体験した労働者たちが、その改良の歴史を積み重ねた上に、自ら選択していく自発的な共同の社会だというのがマルクスの論であり、これに対して国内的には独裁政権による専制支配、対外的には軍事力にる覇権主義を特徴とするのがソ連社会の実情でした。それにもかかわらず、当時は、両者を同一のものだとする一大プロパガンダが行われたのでした。』(pp.28)
 
日本では、レーニンとスターリンは連続しているように語られることが多い。しかし、この筆者はレーニンはマルクスの正当な後継者だが、スターリンは似ても似つかぬ権力主義者で、マルクスの考えとはまるで異なる、残忍な粛清を行った悪者として扱っている。
そこで、メタエンジニアリングのMiningとExploringを少し試みることにする。

「マルクスの世界観 世界は変えられる」(牧野広義)では、次のように語られている。

『マルクスは、大学では法学を学びながら、哲学や歴史を熱心に研究しました。そして古代ギリシアの唯物論哲学に関する論文で博士の学位を取得しました。その後、ジャーナリストとして活動するなかで、経済学の研究や社会主義・共産主義の検討の必要性を感じて、その研究を進めました。そしてヨーロッパの1848年の革命運動に参加した後に、亡命先のロンドンで経済学批判の仕事に集中して『資本論』第1巻を刊行しました。また国際労働者協会の指導も行いました。 マルクスの世界観(自然・社会・人間のとらえ方)は、このような理論研究と実践的な活動のなかで形成され、発展しました。』(pp.41)

さらに、

『そこでマルクスは、古代ギリシアのプラトンやアリストテレスの観念論哲学の体系の後に登場したエピクロスに注目して、その研究を行いました。その成果が 、学位論文「デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異」(1841年)です。
デモクリトス (4-3世紀)もエピクロス(紀元前5-4世紀)も「原子」(アトム)を世界の根源ととらえる唯物論ですが、マルクスは前者から後者へは重要な発展があることを論じました。こうして、マルクスは古代哲学の観念論にも唯物論にも精通することになりました。』(pp.42)
 
マルクスは、唯物論における「物」の定義を徐々に広げてゆくことに、興味を持ったようだ。

『マルクスはまたヘーゲル哲学や古典派経済学の研究にもとづいて、人間の労働の意味を明らかにするとともに、労働によって 人間が人間らしさを失うという「疎外された労働」についても論じました(「経済学・哲学草稿」1844年)。
そして「青年ヘーゲル派」を批判的に乗り超える中で、近代哲学の観念論と唯物論のたたかいの歴史も詳しく論じました。(「聖家族」1845 )。このような研究によって、マルクスの思想は飛躍的に発展します。』(pp.42)

マルクスは、彼の「新しい唯物論」について11のテーゼを示した。彼の一貫した考えの基礎は、「人間は自然の一部であり、社会の中で生きている。自然の「物」とやり取りをしながら生活をしている」、ということのように思える。

『人間は、環境によって作られるだけではありません。人間は、環境を変えることによって自分自身をつくり変えるのです(テーゼ3)。人間が思考によってつくり出す理論もまた、実践によってその真理性が、つまり認識と対象との合致が、証明されなければなりません。実践こそが「知は力」であることを証明するのです(テーゼ2)。
そして人間は社会的な存在です。マルクスは「人間の本質は、その現実のあり方においては、社会的諸関係の総体である」(テーゼ6)と言います。人間とは何かを間い、その本質を問題にする場合も、その現実のあり方は、家族・市民社会・国家という社会的諸関係の総体のなかでこそ理解できます。』(pp43.)

『マルクスは、「新しい唯物論」の立場から、人間が労働や社会的実践によって現実の社会をつくっているととらえます。そしてそのことによって、社会や歴史を唯物論的にとらえる「史的唯物論」を確立したのです。ここでは自然の物質だけでなく、人間や社会もまた「物質」ととらえられます。つまり「物質」とは、哲学の概念としては、「現実の存在」を意味します。マルクスが「物質的」という場合も、自然の物質だけでなく社会や人間を含めて理解することが必要です。』(pp.44)

このことは、メタエンジニアリング的には至極当然に思えるのだが。

 『このような「人間生活の社会的生産」においては、人間は人間と人間との関係をつくります。この生産における人間関係を、マルクスは「生産関係」と呼びます。 生産関係は、人類の長い歴史のなかで、原始共同体・奴隷制・封建制・資本制のように変化し発展してきました。 マルクスは、「生産関係」を変化させ発展させる基礎に、社会の「生産力」があると考えます。「生産力」とは、人間が自然力を利用しながら、労働によって 「人間と自然との物質代謝(物質のやりとり)」
のような 「生産力の発展段階」に対応して、「生産関係」がつくられるのです。』(pp.44)
 
メタエンジニアリング的には、「生産力」の前に「創造力」がある。「創造力」から出発すると、異なる方向へ議論が進んでゆくのだが、・・・。しかし、このような理論からは、確かに人類社会の本質は「生産」であり、それは「人間以外の自然」とのやり取りで成立する。そのやり取りが「労働」である、と考えることができる。この考え方は、21世紀の文明にとって基本的な重要事項だと感じる。

 つまり「創造力」における「労働」は、まさにエンジニアリングなのだが、そこからは資本論のような対立関係は出てこない。

 リーマン・ショックを起こさせてしまったことへの反省は、十分とは言えないのだが、マルクスとの関係では、このような分析がなされている。

 『周期的な過剰生産の形成を含むマルクスの恐慌論は大きく、次の三つの論点から成っています。①商品が生産者の願いどおりに販売されるかどうかは市場に出してみなければわからないという恐慌の可能性について、②個々の資本が自身の利潤追求を原動力とすることから、それぞれに最大限の商品販売を追求するにもかかわらず、自らが雇用する労働者には賃金を最小限に抑制し、結果として社会全体の消費能力を抑制することから過剰生産が引き起こされるという恐慌の原因について、③市場には生産と消費の調和をはかる機能があるにもかかわらず、両者が周期的に大きく垂離し、繰り返し過剰生産を露にせざるを得ない恐慌発生の運動についてです。リーマン・ショックをきっかけとした深刻な世界経済危機は、①②の理論にはそのまま貫かれながら、③については新たな発展を求めました。』(pp.31)

 確かに、リーマンについては③が問題だが、現代の日本は②の方が問題のように思う。

 マルクスとは無関係だが、地球温暖化についてのIPCCの経緯が纏められていたので、そこを引用する。
 
『温暖化が人類の存亡にかかわる危機として広く知られるようになったきっかけは、1980年代、全地球規模での異常気象の異常な増大をみて、アメリカ議会が危機感を抱き、金星の研究者であるハンセンによるアメリカ議会における証言を求めたことにある。周知のように金星の大気は二酸化炭素を多く含み、その温室効果により高温を維持している。その金星を研究しているハンセンは、地球の大気も、人為起源の二酸化炭素が増大し、それが気候の変動をもたらし、気象の異常をもたらしていると証言した。
本格的な研究が必要と判断したアメリカ議会は、各国に呼び掛け、IPCC(Intergovemental Panel on Climate Change気候変動に関する政府間パネル)が1988年に設立され、今日までに、5、6年おきに数次にわたる報告書が作られてきている。その後、1992年のリオデジャネイロでの地球サミツトで生物多様性保全条約とともに「気候変動枠組条約」が結ばれ、1997年に京都議定書、そして、2017年にパリ協定が締結された。 そうした一応の対策が講じられてはいるが、しかし、・・・。』(pp.53)

 その後、このような環境問題の元凶は、前出のマルクスの『「生産関係」を変化させ発展させる基礎に、社会の「生産力」があると考えます。「生産力」とは、人間が自然力を利用しながら、労働によって 「人間と自然との物質代謝(物質のやりとり)」のような 「生産力の発展段階」に対応して、「生産関係」がつくられるのです。』ということが、現代の自然科学者、技術者、政治家に軽視されているとの見方が示されている。これはまさに、わたし流のメタエンジニアリングが主張していることになる。

メメタエンジニアの眼(114) 「シュンペーターとケインズから学ぶ」

2019年03月07日 07時23分09秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼(114)               
TITLE: 「シュンペーターとケインズから学ぶ」


書籍名;「危機の中でケインズから学ぶ」 [2011] 
著者;ケインズ学会 発行所;作品社
発行日;2011.12.10 初回作成日;H31.3.5 最終改定日;H31.3
引用先;文化の文明化のプロセス Exploring



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 副題は「資本主義とウィジョンの再生を目指して」で、著者は「ケインズ学会」の13人の経済学者の分担になっている。発行されたのは、リーマンショックの直後であり、当時の経済学者の慌てぶりがうかがえる。まさに、副題のテーマが各国で注目を浴びていた時だった。

 その中で、メタエンジニアリング的な視点から、第4部の「ケインズとシュンペーター」(塩野谷祐一)の部分のみに注目する。この二人の経済学の巨人は、別々の分野で注目をされているようにも見える。つまり、ケインズは国家の経済や財務の政策において著名であり、シュンペーターは「破壊的イノベーション」ということばが、産業界を中心にひとりあるきしている。しかし、それはその生き方の違いによるもので、本質は同じように見える。第一に、両者の生まれたのは1983年で、全く同い年なのだ。つまり、生きた期間の世界情勢が全く同じだった。

 最初は「第1級の知性とは」と題して、次のように記されている。
 
『「シュンぺーター伝」(2007年)の著者トマス・マクロウは、アメリカの作家スコット・フィッツジェラルドの言葉を引き、シュンぺーターを第一級の知性と位置づけている。フィッツジェラルドによれば、第一級の知性とは、「対立する二つの観念を同時に心に抱きながら、しかもなお機能する能力を持った知性」であるという。これは卓抜な定義である。
実は、ジョン・ラスキンは、もつと烈しいことを言っている。重要な問題は三面的か、四面的か、もしくは多面的である。自分は少なくとも3度矛盾したことを言い始めて、問題を適切に扱ったと満足するのである、と。ケインズとシュンぺーターも、この意味での第一級の知性であった。』(pp.164)

  多面的な課題に対して、最初は矛盾した言葉が出てくるのは、むしろ当たり前だと思う。そして、さらに続けて、
 
『シュンぺーターは人を驚かすレトリックによって、逆説を含んだ主張を繰り返した。よく知られている逆説は、資本主義は早晩崩壊する運命にあるが、それは機能障害によってではなく、その卓越した成果によってであるというものである。また、彼はワルラスの静態論とマルクスの動態論を経済学の最高の業績として称賛し、自分は両者のヴィジョンをみずからの思想の中核として受容したと公言した。専門家はこれを理解しがたい矛盾撞着と評した。』(pp.164)

 ここまでも、メタエンジニアリング的に考えれば、何らおかしなことはない。更にここから、俄かにメタエンジニアリング的な話が濃くなってくる。

『シュンぺーターの場合にもケインズの場合にも、一見して主張に一貫性が欠けるように見えるのは、事物や問題を狭い単一の視点からとらえるのではなく、さまざまな角度から全体像を総合的にとらえるという思考習性のためであった。物事にはいくつかの側面があり、状況に応じて特定の側面が注視される。とりわけケインズの場合は、実践的解決策を求める際、与えられた環境の下で最善策が実行不能であれば、次善策をとるとるという弾力的な判断のためであった。いずれにせよ、見解の首尾一貫性の欠如や逆説性は、異なる次元や文脈を総合化し整合化しようとする志向を伴っている限り、思想家の欠陥ではなく、むしろ一流の思想家の特性である。もちろん、矛盾したことをとりとめなく語るだけでは駄目で ある。一流であるためには、フィッツジェラルドの一言葉で言えば、矛盾したことを言いながら、それでいて「なお機能する能力」を持たなければならない。それは矛盾・対立する次元を包括する視野とそれらを総括する洞察力である。』(pp.165)

 つまり、個別化・専門家による弊害を除こうとの試みだったことが解る。

『近代の啓蒙主義・合理主義の弊害は、自然科学や技術の発展に見られるように、対象の全体像をばらばらに分解して、認識の個別化・専門化が進んだ結果、さまざまな知の分裂が生じ、全体像の把握ができなくなっていることである。その結果、人類は自然との関係において生存の条件を見失うまでに至っている。近代の科学哲学は逆説や非整合性を論理のあり方として認めていない。一般に、矛盾する言説が批判や軽蔑の対象とされていることから分かるように、一定の理論パラダイムや政治イデオロギーを単細胞的に固守することが、首尾一貫した思想家であると考えられている一流の思想家が、異なる次元や文脈に属する認識をあえて逆説や矛盾のそしりを恐れずに提起するのは、知の分裂を埋めるための知の総合化・整合化を懲懇するために他ならない。結局において、それがより広い視野を持った革新的な理論創造をもたらすのである。』(pp.165)

「結局において、それがより広い視野を持った革新的な理論創造をもたらす」は、まさにメタエンジニアリング思考を通じて新たなイノベーションを創出しようというメタエンジニアリングの主題に一致する。

二人の学説の主要部分は、「不況を含む資本主義経済の不安定性を解明すること」にあるといわれる。それに対して、ケインズは、マクロ概念にもとづく実証分析に重点を置き、シュンペーターはイノベーションに重点を置いた。

『シュンぺーターは「創造的破壊」という言葉を使って、資本主義の原動力としてのイノベーションが既存の経済の構造を破壊し、新しい秩序を創造していく長期的な発展の過程を描いた。彼によれば、彼以前には、マルクスを除けば、このような資本主義の動態を経済学のテーマとして分析の対象にした経済学者はいなかった。時代の焦眉の問題としての不況や失業は、イノベーションの導入によって引き起こされる景気循環の一環であって、長期的発展過程の不可欠の局面とみなされた。シュンぺーターの構想は、その後、『景気循環論』(1939年)や『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)によって展開されていった。』(pp.169)

そこで、「問題意識の違い―「政策」と「認識」」と題して、3つの観点が語られているが、そこはややシュンペーター贔屓に思える。

『このような「知識の場」の違いをもたらした背景は、2人の問題意識の違いであり、これが両者のライバル関係となって表れた。ライバル関係といっても、競争意識を持っていたのはシュンぺーターの側であった。「一般理論」に対するシュンぺーターの批判の要点は三つ。
第1に、ケインズにとっては、実践的勧告が経済分析の目標であったが、シュンぺーターから見れば、そのような考え方は理論と実践とを混同するものである。 ケインズの「一般理論」は、限られた歴史的状況にとってしか意味を持たない政策論を、一般的な科学的真理を装って提出したものにすぎない。いかなる科学も、実用的目的を追求するような雰囲気の中では発展しない。そのような政策論は、世の中の政治的傾向に応じて一時的には人気を博することがあるが、やがて反動を生み、どちらも科学と関わりのないことである。』(pp.175)

この指摘は、科学というものの本質をついているのだが、はたしてケインズは純粋な科学を目指していたのであろうか。「理論」は科学だけのものではない。彼の職歴を見れば、彼が科学を目指していなかったことは明白なように思える。

一方で、シュンペーターの考え方は、次のように記されている。
 『好況と不況は、あたかも心臓の鼓動や潮の干満のようなものであって、全体を動かしているメカニズムを知らずに、短期的な好況や不況に一喜一憂し、政策介入をするのはナンセンスである。
しかし、シュンぺーターはあらゆる景気対策を否定したのではない。彼は正常な不況過程と異常な不況過程とを区別し、異常な不況過程は金融市場において信用体系の崩壊やパニックが生じ、大衆心理がそれに輪をかける場合であって、これについては信用供与による介人が必要であると述べている。』(pp.176)

 そして、シュンペーターのケインズ批判が続く。

『シュンぺーターは、ケインズ的公共政策によって支えられた資本主義を「酸素室の中の資本主義」とか「足枷をはめられた資本主義」と呼んだ。そのような資本主義は、人工的な装置によってかろうじて命を保たれてはいるが、過去の成功を生み出したすべての機能は麻痺してしまっている。シュンぺーターによれば、「政策」によって生気を取り戻したかに見える資本主義は、「認識」の眼を通して見れば、魂を失った死せる資本主義であることが判明する。この魂こそがイノベーションである。ケインズが国家介入によって失業問題の解決に成功することの帰結も、シュンぺーターの長期的観点からの「認識」の中に織り込まれていた。ケインズが資本主義の救済に成功することによって、資本主義の本来の機能を殺してしまうのである。これ以上に痛烈なケインズ批判があろうか。』(pp.176)

この指摘は、まさに日本の大企業と一部の中小企業に現存する状態のように思える。

最期には、二人の全人生を通しての結論が書かれている。

 『経済学に対して広範な視野を持っていたケインズといえども、シュンぺーターの『経済分析の歴史』に示された博覧強記を実行するだけの閑暇を持たなかった。その代わりに、ケインズは実践の世界において、経済学者・哲学者・官吏・政府顧間・対外交渉者・学術誌編集主幹・大学会計官・投機家・芸術後援者・古書・絵画の収集家など、八面六臂の多彩な活動を送った。彼は晩年、過去の生き方を振り返って、「もっと沢山のシャンパンを飲めばよかった」と述懐したという。繁忙すぎて、ゆとりのない人生だったという意味であろうか。』(pp.183)

いずれにせよ、二人は専門に拘らずに全体最適を目指すメタエンジニアだったと、強く感じる。

メタエンジニアの眼シリーズ(113) 「司馬遼太郎の街道をゆく」  

2019年03月06日 09時52分39秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(113)TITLE:  「司馬遼太郎の街道をゆく」     
               
書籍名;「街道をゆく 2」 [1992] 
著者;司馬遼太郎 発行所;朝日新聞社
発行日;1972.4.15
初回作成日;H31.3.4 最終改定日;H31.1.6
引用先;文化の文明化のプロセス Converging



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 司馬遼太郎ほど著作の中で「文明」という言葉と、その内容を詳しく語る作家はいない。私は、その中でも「アメリカ素描」に書かれている定義が好きだ。大著「街道をゆく」の第1巻は、朝日新聞社から昭和46年に発行された。この巻だけでも28の街道が語られており、全部でいくつになるのかは知らないが、いくつかの街道は話に沿って実際に徘徊したことがある。ことに佐渡は思い出が深い。
翌年発行された第2巻には、文明について面白い定義があるので、紹介する。
 
このときの街道は、なんと「韓のくに紀行」で、全巻が釜山郊外から扶余までの一つの街道の話になっている。彼は、よほど韓国に思入れがあるように思える。
 冒頭には、案内人に韓国旅行の目的を問われて、「むかし、まだそれぞれの国名がなかったころは、両国は
一つで、方言が違ったくらいだと思うので、そのころのことをひなびた農村で感じたい」と返事をしている。更に、兵隊時代の満州への往復で、貨車でこの地を通った思い出をしのぶ意味もあったようだ。
そのなかに、秀吉の朝鮮出兵時に、渡海と同時に日本軍を裏切って、朝鮮王朝に降伏し、すぐに朝鮮軍に加わって戦った武将(沙也可という名前)について書かれた部分にある。

 当時のことを朝鮮で漢文で書かれた「慕夏堂記」という書物に、彼は「われ、中華を慕うこと久し」として投降したとある。つまり、中華文明にあこがれて投降したというわけなのでが、司馬はこれを疑っている。そこから、中華文明に対する彼の考え方が披露されている。

 先ずは、当時の日本と中国を比較して、このように記している。
 『話題を、わずかに転ずる。時の「倭」の習俗についてでる。このことについてはさきに多少ふれた。つまり、中国体制や朝鮮の李朝体制の原理である儒教(礼教)のそとにいる民族であることをのべた。江戸っ子の気っぷは「五月の鯉の吹流し」などといわれるが、中世末期の倭というのはじつにそのようなものであった。輝一本に大刀をふりまわして駈けまわる姿はどうみても儒教的ではない。ついでながら儒教というのは朱子や何やらの学者の間でこそ思想だが、しかし体制としては「礼教」という項末な形式主義にすぎず、人間を一原理でもって高手小手に縛りあげ、それによって人間の蛮性を抜き、統治しやすくするという考え方である。これを文明といってもいい。あるいは文明というのはそういうものなのかもしれない。』(pp.185)

 そして、日本には「文化」はあるが、「文明」は起こらなかったとしている。
 『日本には文化―たとえば平安文化や室町文化、もしくは元禄文化―がきらびやかに存在したが、かつて文明を興すことがなかった。そのため「倭」というわれわれにはどうも「文明」ということが体質的によくわからないぐあいにできている。これは決して欠点ではなく、文明というのは元来荷厄介な面もあり、そのことは中国の儒教文明の末期をみても、あるいはインド文明と回教文明にこんにちなお押しひしがれているインド民族をみてもわかる。』(pp.186)

 つまり、日本には「文明」を起こす必要がなかったというわけである。
 『その点からいえば、倭は元来、素っ裸の輝一本なのである。そのときどきによって、インドから法服を借りたり、中国から宮廷の衣冠束帯を借りたり、明治後は西洋から洋服を借りたりしてきた。たとえばヒッピーというあたらしい秩序と価値観という文明が世界の一角におこると、さっそく新宿にヒッピー・スタイルの青年があらわれるのである。それが倭入というもので、文化は興すが、決してみずから文明というものを興そうとはしない。』(pp.187)

 例えば、当時の中国の「科挙」制度は、文明国の一つの代表的なシステムだった。広大な中国を治めるために、地方出身で優秀な人材を高級官僚に登用するシステムなのだから、「文明国」を維持するための重要な要素だったと思う。しかし、司馬はこのように見ている。
 『科挙の制は、―見理想的な制度のようにみえる。儒教原理による皇帝専制の中国体制にとっては、体制維持のために欠くべからざるもので、試験は形式上皇帝が直裁する。 これによって採用された官吏はことごとく大官になり、皇帝の手足になるのだが、現実はアジア特有の官僚腐敗をつくりだす結果になっただけでなく、文章の文飾能力をもってテストするため、西洋でいう、学間や技術の発達がはばまれ、いわゆるアジア的停滞の原因のひとつになった。』(pp.191)
 
 このことを、「近代に入って中国や朝鮮をすくいがたいものにしたこの元兇的存在のひとつ」とまで断言している。つまり、文系重視で、理系がのびなかったために、産業革命以降の近代化におくれたということなのだろう。
 いずれにせよ、冒頭の「人間を一原理でもって高手小手に縛りあげ、それによって人間の蛮性を抜き、統治しやすくするという考え方」は、文明という言葉の一つの解釈だと納得することができる。文明の目的は、国を統治しやすくすることということなのだろう。


メタエンジニアの眼シリーズ(112) 「真実を告げる書」

2019年03月05日 14時24分22秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(112)TITLE:  「真実を告げる書」 
              
書籍名;「真実を告げる書」 [1998] 
著者;ラエル 発行所;無限社
発行日;1998.3.1
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、




このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

この書の副題は、「異星人からのメッセージ」とあり、人類史の始まりの書として独特の位置を占めている。偶然目についた「神々の遺伝子」に続いて、シュメール文明の書、シッチンの「謎の第12惑星」と、読み進んだのだが、どうもおおもとはこの著書のように思われる。表紙の帯には、次のような言葉が並んでいる。

『全世界200万部突破、遺伝子に秘められた科学的生命創造の真実。1973年12月、ラエルは異星人エロムと遭遇。そして、彼等から地球人類の過去と未来に関する重要なメッセージを受け取った。』
 
この言葉に、すべてが凝縮されている。内容は、「神々の遺伝子」のような理詰めではなく、異星人から受け取ったメッセージをそのまま言葉にしているという形式になっている。また、前者が中立的な立場をとっているのに対して、この書は、異星人のメッセージを人類に強制している。しかも、ユダヤ人を異星人の直系の子孫として、特別扱いをするように強弁している。

 「序文」は、次のように始まっている。
 
『私も納得させられたこの驚くべき本の中には、人類にとってこれまでにないほどの規模で重要な内容の情報が明かされている。この本は単純な文体で簡潔に事実を述べる形式で書かれてあるが、これは私にとって、初めて出会った私達人間の肉体的起源、地球の歴史、昔から存在する各宗教の信条の違いに対して納得のいく説明であった。
全てに先んじて、この本で明らかにされていることは、私達がこの宇宙で唯一の存在ではないということである。しかし、それだけでなくその中に書かれてある全ての生物の中に存在する無限性、遺伝学、人間の性、スポーツ、心理学、政治、犯罪、さらには財産や結婚といった 世俗的な事柄まで多岐にわたる論題について有無を言わさずはっきりと明言している洞察の内容は、この本を他に多く出版されているUFO関係の書物の全てと一画をなして大きく抜きんでたものにしている。』(pp.序1)

 さらに続けて、
 
『この本は、私達人類を合む全ての地球上の生物が、同じ銀河系の別の惑星から来た人間の科学者達によって遺伝子工学を用いて創られたことを明言して、私も認めている全ての世界の主要の宗教の経典類をその事実をおぼろげにも証明するものとして、非神秘化し、再び焦点を当てている。』(pp.序1)

 著者は、1973年12月と、1975年10月に異星人と遭遇し、メッセージを受け取っている。彼等は、人類よりも25000年分も進化している。遭遇時の具体的な情景や交わされた言葉に続いて、主に旧約聖書の内容が彼らの仕業であったことが語られている。たとえば、天地創造については、このようになる。

 『「はじめにエロヒムは天と地を創造された」(「創世記」第1章第1節)
 聖書によってエロヒムは「神」と誤訳されていますが、エロヒムはヘブライ語で、“天空より飛来した人々”の意味を持ち、れっきとした複数形です。ここでいっておきたいのは、私たちの惑星を出発した科学者たちが、まず最初に、彼らの計画実現にふさわしい惑星を探し始めたということです。彼らが地球を発見して、大気は彼らの惑星とまったく同じではないが、人工生命の創造に必要な要素をすべて備えているということを確かめ、“創造”したのです。「エロヒムの霊が水のおもてを見おろしていた」(「創世記」第1章第2節)』(pp.21)

 さらに続けて、

 『エロヒムはその光を見て、良しとされた」(「創世記」第1章第4節)
地球上に生命を創造するためには、太陽が地表に有害な光線を放射していないかどうかを知ることが重要でした。 そして太陽は、有害な光線を放射することなく、地球を暖めていることが確かめられました。 「その光は良」かったのです。 「タとなり、また朝となった。第一日である」(『創世記』第1章第5節)
こうた調査にはかなりの時間がかかりました。ここでいう1日は、あなたがたの太陽が春分の日に黄道12宮のあるひとつの宮から昇りつづけている期間に対応しているので、地球上でのほぽ2000年間にあたります。』(pp.22)

 生物と、「ヒト」の創造については、次のように語られている。
 
『海と空の次に、科学者たちは大地の動物を創造しました。大地は植物が繁茂していたので、この植物を餌とする草食動物が最初に創られました。ひき続いて、草食動物の数のバランスをとるために、肉食動物が創られました。また、種同士のバランスを保たせる必要もありました。これらのことに携わった人々は、私のいる惑星からきたのです。私は、地球に生命を創り出した人々の一員です。
さてそれから、私たちの中で最も有能な人々は、私たちと同じような人間を人工的に創造しようとしました。それぞれのチームが作業に従事し、間もなくお互いの創造物を比較できるようになりました。しかし、彼らが「試験管ベビー」を創っていることが彼らの惑星で大問題になり、パニックを引き起こす恐れさえ出てきました。もしもその人間の能力と力が創造者を上回ることにでもなれば、彼らにとつて脅威になると恐れたのです。そこで私たちは人間には科学を知らせずに原始的な状態で生存させるようにし、また私たちの活動を神秘化する必要がありました。この創造者たちのチームがいくつあったかは、すぐにわかります。それぞれの人種が各チームに対応しているのですから。』(pp.25)

 そして、様々な人種の中で、イスラエルのチームが想像した「ヒト」が最も優れていたと結論し、将来についてのいろいろなことを託すようにした。その一つが、彼らのための基地(大使館)なのだが、それはまだ実現していない。

 その後、「ノアの大洪水」、「バベルの塔」、「アブラハムの生贄」、「モーゼの出エジプト」などについて、解説とその意義を語っている。

 私が疑問に思うのは、彼らの言葉があまりにも現代のキリスト教に拘っている(教会の組織や権威を完全に否定しているが)こと、東洋思想は評価の価値にあたらないとしていること、ダーウインの進化論について、「ホモサピエンス」だけでなく、すべての動物の種を別々に科学的に創造したということなどで、読みすすむむほどに疑いが出てきた。

『天、すなわち創造者たちの或星上では、しまいには科学者たちが統治するようになリ、そして別の知的生命体を創造しました。地、すなわち地球上でも、同じようなことが実現されるでしょう。たいまつの火は再びともされるのです。その深い意味が理解されないまま繰リ返されてきたこの祈リが、今その全体の意味を取リ戻したのです。「天に行われるとおリ、地にも行われますように」
イエスは、テレパシーによる集団催眠を用いて、説得力のある話をする方法も学びました。 「イエスがこれらの言葉を語り終えらわると、群集はその教えに驚いた。それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである」(『マタイによる福音書』第7章第28節)
彼は創造者たちの助けを借リて、離れて強力な光線をあてることによって、病人たちの治療を続けました。 「ひとりのらい病人がイエスのところに来て、…。イエスは手を伸ばして、彼にさわり“そうしてあげよう、きよくなれ”と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた」(『マタイによる福音書」第8章第2・3節) 中風の患者に対しても同様の治療をしました。』(pp.81)

 そして、「新しい指針」と称して、現代社会に対して多くの注文を出している。例えば、民主主義における投票権は、ある程度の能力のある者、政治家がさらに能力の高いものに限らなければならないとしている。

 『普通選挙も世論調査も、世界統治には有効ではない。統治することは先を見通すことであり、羊の群れのような民衆の反応に従うことではない。彼らの中には人々を指導し得るはど十分に覚醒されている者は
一部しかいないからである。覚醒された人というのはきわめて少ないので、普通選挙や世論調査に基づく決定は、大多数の人間、すなわち覚醒されていない者たちによる決定であり、目先の満足のみを追い求める大多数の民衆の、蒙昧主義的潜在意識による本能的反応の選択にしかいきつかないものである。選択的民主主義である天才政治のみが、 価値あるものなのだ。そして、公職につくことができるのは、生まれながらの知性が平均よりも50パーセント以上優れた者にかぎるべきであり、それを選出できるのは、生来の知性が平均 より10パーセント以上優れた者にかぎるべきである。
科学者たちはすでに、われわれの知性を計測する技術を完成しつつある。彼らの忠告に耳を傾け、人類の最も貴重な鉱脈である知性の優れた子供たらが、それにふさしわしい教育を受けられるよう努力しよう。』(pp.108)
 
また、『生命を創造するため私たちが地球を訪れたとき、まず最も単純なものから着手しました。それから、環境に適応させる技術を進歩させ、魚類、両棲類、哨乳類、鳥類、霊長類を創遺し、最後にサルのモデルを改良したにすぎない人間を創造したのです。 つまり、猿のモデルに、創造者たちをして人間たらしめているものをつけ加えたのです。「聖書の創世記」にあるように、私たちの姿に似せて人間を創ったのです。もし偶然による進化だとしたら、これほど多様な形能が生じるということはほとんどありえないことが、あなた自身でもわかるでしょう。
鳥の体色や求愛行動、それにある種のかもしかの角の形をごらんなさい。 いったい自然は、どういう必要があってある種のかもしかや 山羊の角をうずまき状にしたというのでしょうか。青や赤の羽をした小鳥たち、エキゾチックな魚についても同様です。 これらは、私たちの「芸術家」の作品なのです。あなたがたが生命を創造する番になったときに、 芸術家を忘れないようにしなさい。芸術家や、音楽、映画、絵画、彫刻といったものがまったく無い世界を、想像してごらんなさい。もし動物たちの体が、彼らの欲求や機能に従って反応するだけだとしたら、生活はどんなに退屈になり動物はどんなに醜くなることでしょう。』(pp.110)

 第2部は「不死の惑星への旅」と称して、著者が進化した惑星に招待され、見聞きしたことが記されているが、省略する。
 
 そして、最後の第3部に「新しいメッセージ」が24ページにわたって書かれている。ここが大いに問題だと思う。
 
 『翌日、またもや異星人に会うと、彼は次のように話し始めました。
「まず最初に、政治と経済の分野について考えてみましょう。人類の進歩を可能にするのは、どんな種類の人間でしょうか。それは天才たちです。だから、あなたがたは天才たちを再確認して、彼らが地球を指導することを可能にする必要があります。 これまで権力を握ってきためは、他の者より肉体的な力が強い「野蛮人」、こうした野蛮人をたくさん雇える資産家、希望をふリまいて、民主主義国家の国民の心をたくみにとらえる政治家といった人々です。そしていうまでもなく、野蛮性を合理化する組織を踏み台にして、自分たちの勝利を勝ちとる軍人たちに、権力を次々と与えてきたのです。 あなたがたが決して権力を与えてこなかった唯一のタイプの人間こそ、人類を進歩させてきた人々です。歯車や火薬、内燃機関、原子力などを発明した人々、こうした天才による平和のための発明は、彼らより知性の劣る権力者が、しばしば殺人のために利用して恩恵をこうむってきました。こういうことを変えなければなりません。』(pp.148+1)

 『エルサレムの近くに私たちを歓迎するための大使館が建設されるように私たちは要請しましたが、頭の固い民の当局は、必要な治外法権についての許可を与えることを何度も拒絶しました。
私たちがエルサレムを優先したのは純粋に感情的なものだったのです。私たちにとってのエルサレムというのは、人類が私たちを愛し、尊敬し、十分な尊敬を持って私たちを歓迎しようとするところであればどこでも良いのです。そして選ばれた人たちというのは、私たちが誰なのかを知っていて、私たちを歓迎することを望んでいる人たち、即ちラエリアンたちのことなのです。地球上の真のユダヤ人はもはやイスラエルの人々ではなく、私たちを本当に自分たちの 創造者たちとして認め、私たちが戻ってくるのを望んでいる全ての人たちなのです。』(pp.148+4)

 さらに、
『この点で、国際ラエリアンムーブメントは1991 年から数回イスラエル政府及びエルサレムのラビの長に対して意志表示を行い、エロヒムが初めて人間を創った場所であるエルサレムに近いところにこの大使館が建てられるのに必要な治外法権を要請しています。ユダャ教の最初の神殿は実のところは前の大使館であったものであり、その周りに古代の都市が造られたのです。工ロヒムは今やイスラエル政府に対して新しい大使館―第三の神殿―に刈して治外法権を許可することを待っているのです。でも、いまだにイスラエルからは肯定的な反応はありません。』(pp.148+11)
  
読み終えて、私には、この書は一つの宗教団体の書物(ここでは、世界中の過去・現代のすべての宗教を否定しているが、なかでも現在のキリスト教を目の敵にしているように思える)のように思えてきた。冒頭の最初の邂逅だけならば、完全否定はできないのだが、後半の話には無理が多いので、全体が一つの宗教に思えてしまうのだ。
 しかし、この書が「神々の遺伝子」から始まり、「シュメール文明」、「第12惑星」と展開された一連のストーリーの始まりだったように思われる。そこで、このストーリーの最後として、最新の宇宙物理学の書物をあたることにした。

書籍名;「私たちは時空をこえられるか」 [2018] 
著者;松原隆彦 発行所;SBクリエイティブ
発行日;2018.10.25 初回作成日;H31.3.5 最終改定日;

 副題は「最新理論が導く宇宙の果て、未来と過去への旅」で、著者は高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所教授とある。「宇宙の誕生と終焉」という著書もある。
 
 話は、タイムマシンから始まる。理論的には未来へ行くことは容易いが、過去へ行くことは難しい。私の興味は、宇宙人が地球に到達し、何かを残して(例えば、優れた遺伝子をヒトの祖先に植え付ける)去ることができるかどうかだが、これもいとも簡単に思えてくる。
 著書には「1G宇宙船」の話が多く出てくる。ひたすら1Gで加速し続ける宇宙船だ。これならば、宇宙旅行は耐えられる。問題は往復所要時間だが、次のような表が解りやすい。
  目的地の距離  往復所要時間  地球の経過時間
    10光年    10年     24年
   100光年    18年    204年
  1000光年    27年   2003年
    1万光年    36年     2万年
 
つまり、この宇宙船により1万光年先の惑星から36年ごとに宇宙人が往復旅行をしたとすると、彼らは地球を2万年ごとに訪れることになる。そして、自分たちの残したものの成果を確認できる。それは、遺伝子を埋め込んだヒトの進化かもしれない。
 恒星には、「ハビタブルゾーン」という領域が存在する。それは、恒星からある距離の範囲に位置する惑星は、生物が存在する可能性がある、というわけである。
 最新の研究では、このゾーンに位置する「プロキシマ・ケンタリウス」のある惑星で、たった4光年しか離れていない。
1G宇宙船だと、3年7か月で到達できるそうだ。このような星は、次々に見つかっている。

 現在の結論としては、ダーウインの進化論では解けない「類人猿からホモサピエンスまでの不自然で急激な進化」については、異星人による遺伝子操作の方が、分がよさそうに思える。