生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(27)鈴木大拙の著書4冊(2)

2017年04月06日 15時57分30秒 | メタエンジニアの眼
文化と文明への眼 KMM3315,3317,3319,3321

このシリーズはメタエンジニアリングで文化の文明化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
鈴木大拙の著書4冊(③&④ of 4)

書籍名;
①「仏教の大意」中央公論新社 [2017]
②「神秘主義」岩波書店 [2004]
③「禅に生きる」ちくま文芸文庫 [2012]
④「禅八講」角川選書 [2013]

この中で、①は1947年に底本が出版されたので、最も古い。
また、③の副題は、「鈴木大拙コレクション」であり、
また、④は、副題に「鈴木大拙 最終講義」とある。

③「禅に生きる」ちくま文芸文庫 [2012]  KMB3317
                                                                
 副題は、「鈴木大拙 コレクション」であり、大拙の主要な書簡と雑誌類への投稿が示されている。

 書籍の紹介には次のように書かれている。
 『本書では、今では読むことが難しい、雑誌への投稿論文や、西田幾多郎ら近しい人たちへ宛てた書簡を、編年体で収録。すべてを知ることのできる仏の智慧=「般若」と、すべての生きとし生けるものを救う仏の慈悲心=「大悲」が融合する大拙特有の「禅」がどのように作りあげられたのか、その思想の道すじが分かる。』



 1922.1.6の「中外日報」より、当時問題となっていた「婦人解放問題」については、
『仏教者も何時まで良妻賢母主義に共鳴すべきであるまい。自分の信仰を基として是々非々主義を高唱しなくてはならぬ。』で結んでいる。

 1924年の「中央仏教」第8巻第7号では、当時の米国における移民と排日問題については、現代のトランプの大統領令に関しても、このような発言をする日本の仏教学者が存在したら、現代日本も随分と違うものになっているだろうと思わせる。

 『米国のやり口が乱暴であることは言うまでもない。同じ仕事で、同じ効果が上がるなど、と国民の自尊心を損じないでやる方が、利口であり、又礼儀でもあり、八釜敷云えば、正義人道にも叶うわけである。それをやらずに、真向から、何等緊急な必要ないのに、又何等のプロボカティブもないのに、「貴様には用はない、汚い奴、出て行け」と云うことは、大国民の襟度ではない。近頃の米国はどうかして居るに相違ない。』(pp.161)

しかし、同時にさらに続けて、
『今日の日本には世界の文明に対して有意義ならしむるものが何かあるかを考えてみたい。即ち日本の存在を世界的に有意義ならしむるものが何かあるか、これを調べてみるとどうか。』(pp.162)

 この問いに対する彼の答えが、順次明らかになってゆく。結論は、教育改革のようなのだが、
『俳句のさび、生花の雅味、茶の湯の閑寂、墨絵の瀟洒、建築の清楚、気分のあっさりしたこと、地獄でもあまり苦しくは見えぬこと、人の災害には己を忘れることーーこれはまことに結構であるが、これだけでは国民性の偉大さを表すに充分と云うべきであろうか。これだけでも、あるは有るが、余程深い意味においてであると云えるか、どうか。』(pp.164)

『量で大きくてなれぬというなら、質で行きたい。それには思い切って精神の力を各方面に渉りて発展せしむるのだ。日本人にどの位の力があるのか、それを試してみるのだ。それをやるには教育を盛んにする。

 今日のような教育でない。自由な創造的な教育をやる。各自の精神の力を極度に発揮するを目的とした方法によりて社会の各層を一様に教育する。これには経済問題も大いに加わるが、その解決も、小さな処を目当てにせずに個人精神力の創造的進展を期してやるのである。』(pp.167)

 これらは、現代でもそのまま通用する内容だ。

 1962.1.1の読売新聞には、「人間の尊厳を守れ」と題して、ケネディー大統領閣下とフルシチョフ首相閣下宛ての英文の書簡を記している。所謂キューバ危機にたいする発信なのだろう。

 『人間の尊厳は般若(=智慧)と慈悲と、これら二つを実現するための方便の三つの要素で構成されていると考えられる。方便は般若と慈悲を具体化し、個物化するものである。』(pp.401)
と述べた後で、次のように説いたのちに核兵器の不使用を訴えている。

『各自の向上心によってみがかれた純粋な心と明晰な頭脳は、利害得失から生ずるいっさいのごたごたを解決するにすこぶる有力だが、この方便によって常に人間は自己の尊厳を構成する般若と慈悲とに各自立ち返らしめるのである。科学の諸分野は、今全世界を悟りに導くために、豊かな資源を提供しているといえるが、同時に、これはわれわれが般若と慈悲を忘れてこれらの成果の活用を誤った場合、はかり知れないわざわいを起こすことを意味するのである。』(pp,402)

 ここまでが前置きで、ここから具体的な提言が始まり、「核兵器戦争の危機に直面している」とか、「これは愚の骨頂ではないか」といった言葉が発せられている。


④「禅八講」角川選書 [2013] KMB3319

 副題は、「鈴木大拙 最終講義」であり、大拙の主要な講義が8つ納められている。最終講義以外は、すべて海外で行われたものの英文和訳である。



 「Zen Opens Our Eyes to the Self which is Altogether Unattainably Attainable」という演題は「禅は人々を、不可得という仕方で自証する自己に目覚めさせる」となる。
 
 話は、中国で禅を始めた慧可が、師の達磨に「こころが不安だ」と問うたところから始まっている。達磨の答えは、「汝の心をここへ出してくれれば、安心させてやろう」だった。そして、「長年心を探して参りましたが、いまだにそれを掴めません」との返答に、「そこだ!汝の心を安心させた!」といい、これで慧可は悟った。
 
 この話は、正に「不可得という仕方で自証する自己に目覚めた」ことを示している。
 さらに具体的には、科学者が科学的な説明ができないであろうとの例として、次のように述べている。
 
 『運動や働きなどが客観的には強制によるものだとか、いわゆる自由意思に反するものとみられるときでも、確かな自由の感覚があることである。この確かさの感覚、あるいは意識はどこから来るのであろうか。
 
 人間以外のすべての生物には、私が「意識しない意識」とか「意識する無意識」とも呼ぶ特殊な「人間的」道徳感覚が、どうやら無いようである。それは創造性の本能と深く繋がっている。禅はこの自律性の感覚を軸にして働いているといってよいだろう。』(pp.16)

 1954年にニューヨークで行った「Philosophy of Zen Buddhism、禅仏教の哲学」では、いかにも禅問答のようなことが、合理的に聞こえてくる。冒頭は、この言葉で始まっている。

 『宗教において教説よりも経験を重んじる人々は、異口同音に、その経験が言葉による表現を超えていて、いかなる形でも表現できないと言明する。ところが、実はそう言明することで、どんな経験であるにせよそれを表現しているのである。』(pp.193)
なるほどと思う。「表現できないと言明する」ことも、「どんな経験であるにせよそれを表現しているのである」も、両方が正しいように思えてしまう。

『禅は経験であって哲学ではないというのはその通りだが、だからといって禅がそれを合理的に説明しようとするのを拒んでいるという意味にとってはいけない。だが同時に、禅を単に理論づけでそれ以上のものではないと考えてもならない。なぜならば、禅とは経験であって、この点を無視すると禅はにげてしまうから。禅には経験と理論づけの二つが必要である。二つが並行して進まなくてはならず、それが適切に行われれば、禅は力を持つ。つまり社会的にすぐれて役立つものになる。』(pp.194)

 結論としては、『通常の問題解決方法とはまったく違ったやり方が禅にあるなら、それを取り上げてそれぞれのやり方で哲学を打ち立てるのも面白いのではないか。これが、私が皆さんに試みてほしいことである。私は、哲学の訓練を受けたことはないが、できるだけ前述のような禅問答を分かりやすく解説し、できればさらにこのような荒削りのあるいは手のつけられない見方や特徴をもちつつ今日に伝えられてきた禅経験なるものがあることを示したい。』(pp.197)で、講演を終えている。

 じっくりと読み返すと、味わい深い文章であった。

メタエンジニアの眼(26)

2017年04月04日 07時11分03秒 | メタエンジニアの眼
鈴木大拙の著書4冊(①&②of4)

文化と文明への眼 KMM3315,3317,3319,3321
このシリーズはメタエンジニアリングで文化の文明化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;
①「仏教の大意」中央公論新社 [2017]
②「神秘主義」岩波書店 [2004]
③「禅に生きる」ちくま文芸文庫 [2012]
④「禅八講」角川選書 [2013]

この中で、①は1947年に底本が出版されたので、内容は最も古い。
また、③の副題は、「鈴木大拙コレクション」であり、
また、④は、副題に「鈴木大拙 最終講義」とある。

引用先;文化の文明化のプロセス Converging & Implementing

 文化の文明化のプロセスのConvergingとImplementingを考えるにあたって、宗教と哲学を抜かすわけにはゆかないとの思いに至った。中でも、仏教と仏教哲学はメタエンジニアの眼からは最も普遍的なものに見える。仏陀の中でConvergingして、それ以降の僧侶によってImplementingされ続けたものなので、栄枯盛衰を繰り返した諸文明や、科学技術に基づくイノベーションなどとはけた違いなものとなっている。
 
 鈴木大拙の思想と著書には、従来から興味があった。理由は二つで、第1は従来の考え方にはとらわれずに、独自に研究を行う態度であり、第2は欧米人の多くの分野の人々に心底理解されているということだった。

かなり前に、私が所属する日本機械学会が金沢大学で行われた。私も二十数年ぶりで発表をしたのだが、一般の学術講演は枝葉末節のテーマが多く、早めに会場を出てしまった。金沢市内は、何度も歩き回った経験があるので、特にゆく当てもなく、足が図書館に向かってしまった。そこで出会ったのが、地元出身の二人の巨頭の西田幾多郎と鈴木大拙の著者だった。ゆっくりと読む暇はなかったので、数冊をcopyした。私の常の方法は、A5サイズの本を2冊並べて広げて、A3サイズに4ページ分を一挙にcopyするのだが、ここの図書館では、なぜか、このようにすると枚数の2倍の金額をとるそうだ。面白い発想だと思った。
 以来、その場考学とは縁のある「場の理論」の西田幾多郎の書には接したが、鈴木大拙の著書にはご無沙汰だった。いやむしろ、歯が立たないだろうと思っていた。しかし、あることがきっかけで、彼の行動がまさにメタエンジニアリングのそれと同じような気がして、にわかに4冊を選んで読むことにした。

①「仏教の大意」中央公論新社 [2017]

 


奥付の編集付記には、次のようにある。
 『本書は、1947(昭和22)年に法蔵館から刊行された「仏教の大意」を底本とし、新たな解説を作品の前に付した。』つまり、最も古いものを、最 新のコメントと共に読めることになる。

 新たな解説とは、山折哲雄氏の巻頭からP22まで続く長い文章だった。そこで、鈴木大拙の人生の概略を知ることができた。
表題には、「近代思想とは一線を画した巨人」とある。

 山折氏がロンドン大学に滞在中に、英国の日本学研究者たちに明治以降の知識人、思想家で もっとも欧米人に影響を与えた人物を問うた。岡倉天心、新渡戸稲造、内村鑑三、西田幾多郎、和辻哲郎の名が挙がったが、彼らの最終的な答えは次のように書かれている。

『それは何といっても鈴木大拙だ、なぜなら日本人思想家が書いた本はすべて私たちの知性に訴えてくるから頭ではそれを受けとめる。でも大拙だけは違う。彼は私たちの感性にまで訴えかけてくるので、私たちはからだ全体でそれを受けとめることになるからだ。』(pp.7)

そして、大拙に影響を受けたとされた人物としては、ハイデッガー、オノ・ヨーコ、スチーブ・ジョブス、多くのファッションデザイナー、音楽家、小説家、思想家などが挙げられている。
 
例えば、有名な「禅と日本文化」は、もともと英文で書かれたものが、後に邦訳されて日本で発売された。彼の著書にはそのようなものが多い。外国での著者名は、「D・T・Suzuki」だそうだ。

 大拙の考え方や発想については、次のようにある。
『そこにはたしかに在野の批判精神が脈打っている。(中略)かれがヨーロッパ思想のたんなる解説、租述といった方向に行こうとしなかったことがただちにわかる。(中略)それはあくまでも、自分の体験にもとづく禅および禅思想の普遍性を、それによって確認し証明しようとするためであった。』(pp.18) ここで、「それ」とは神秘主義思想を指している。

『どのような議論を展開しようとするときでも、西洋に対する東洋、という単純な見取り図にこだわることがまるでなかった。またその延長線上で、西洋と東洋の折衷という方向に向かうこともなかった。いってみれば、インド、中国、日本の膨大な仏教典籍の山を読破して、主観と客観に分かれる以前の普遍的な禅体験を解き明かそうとしていた。

つまり禅体験を世界概念に高め、それをなんとか言葉にしようとしてもがいていたのである。』(pp.19)
つまり、西洋と東洋を意識せずに、人類共通の普遍的な要素として扱ったところに、大拙が欧米人に心底理解された原因の一つのようだ。

『彼はひたすら「大乗起信論」をはじめとする大乗経典の研究に没頭し、仏教思想がどのようにして発生し展開していったかを明らかにするとともに、その全体構造を把握しようとそれこそわき目もふらずに専心していたのである。そしてそのためにあるに違いないのだが、かれの全業績はその後の学会正統派の文献リストからすっぽり抜け落ちてしまうことになった。』(pp.21)
 
つまり、彼の講演内容や著作は、学術論文としての条件を満たしていなかったということのようなのだが、このことはエンジニアとして大いに理解できる。

『本書「仏教の大意」の内容は、昭和21年4月23日と24日の両日にわたって天皇皇后両陛下のために講演したものにもとづき書き加えられた文章から成り、大幅な増補をへている。
加えて著者はその内容の英語版もつくり、みずからも目を通して発表していた(The Essence of Buddhism in the Buddhist Society, London 1946)。』 (pp.22)

本文(すなわち、両陛下への御進講)の初めは宗教一般の話が語られている。

『普通吾等の生活で気づかぬことがあります。それは吾等の世界は一つではなくて、二つの世界だと云うことです。そうして此二つがそのままに一つだと云うことです。二つの世界の一つは感性と知性の世界、今一つは霊性の世界です。これら二つの世界の存在に気の付いた人でも、実在の世界は感性と知性の世界で、今一つの霊性的世界は非実在で、観念的で、空想の世界で、詩人や思想家や又所謂霊性偏重主義者の頭の中にだけあるものだときめて居るのです。

併し宗教的立場から見ますと、この霊的世界ほど実在性をもったものはなにのです。それは感性的世界に比するべくもないのです。一般には後者を以って具体的だと考えていますが、事実はそうではなくて、それは吾等の頭で再構成したものです。』(pp.6)

この話は、具体的には『感性の世界だけにいる人間がそれに満足しないで、何となく物足らぬ、不安の気分に襲われがちであるのは、そのためです。』としている。「霊性的世界」と言われると、死後の世界のように思ってしまうのだが、このように語られると、設計の世界では、現実にも「霊性的世界」に入り込んでいるように思われてくる。

さらに、次の著作で明らかになるように、物事を真に「見透す」ためには、感性と知性の世界では不十分で、霊性の世界と一体で観なければならないということだと思われてくる。


②「神秘主義」岩波書店 [2004]




副題は、「キリスト教と仏教」であり、大拙の主張が、西欧人の心に響いたことが理解できる著書のひとつと思う。しかし、この著書で最も注目すべきは、「知る」と「見透す」の大きな違いだった。
 「仏教哲学の基盤」と称して、以下を述べている。 

『普通、われわれは、哲学とは純粋な知性の問題で、それ故、最も優れた哲学は、活発な知的活動と緻密な分析能力とに、豊かに恵まれている心に由来するものと考えている。しかし、仏教哲学の場合は全く違う。確かに、知的能力にあんまり恵まれていない人たちが立派な哲学者に成れぬことは確かであるが、知性が全てではない。逞しい創造力が無ければならぬし、強靭な融通性に富んだ意思もなければならぬ。また、人間性への鋭い洞察力がなければならず、そして、最終的には人間自身のあり方全体に総合されている真実を見透す眼がなければならない。』(pp.52)

『私は、この“見透す”ということの重要性を殊に重視すべきだと思うのである。何故なら、普通、理解されている“知る”という言葉の意味だけでは、尽くせないものがあるからである。自らの体験の伴わぬ知識は、浅薄の謗りを免れない。そんなグラグラな基礎の上に、いかなる哲学も築かれるものではない。しかしながら、実体験の裏付けのない思想体系は数々あるであろう。(中略)

哲学者がどんな知識を持ち合わせていようとも、それは自己の体験から出てきたものでなければならぬ。この体験が“見透す”ということなのだ。』(pp.52)

なんと、メタエンジニアリングにはぴったりの言葉に思えた。
そして、仏陀の説いた八正道の第1が「正見」であり、第2が「正思」であるとした。

『“見透すこと”は、単に相対知を通じて日常の“見る”ことではないことも見逃してはならぬ。それは般若の眼による“見透す”であって、われらをして実在の基盤の内にまで、じかに透過せしめる一種特別の直覚なのである。』(pp.56)

「般若の眼」とは、智慧の眼であり、聊か傲慢のようだが、メタエンジニアリングの眼でもありたいものだと思う。

 その後、“見透す”ことが、キリスト教の神学のなかでも同様に述べられていることを、エックハルトなどの言葉から述べている。

 悟りの体験が重要であることについては、『智慧の眼が万物の本性を観察する時、はじめてそれらに実体のないことが積極的・建設的なエネルギーを発現する。すなわち、それはまず迷いの暗雲を追い散らし、次いで、迷妄が作りだすすべての構造物を打ち毀し、最後に、智慧・慈悲に基づく全く新しい価値観の世界を創造することによってである。』(pp.60)としている。

 つまり、仏教は『根源的な経験主義であり、あるいは体験主義なのである。』(pp.70)

メタエンジニアリングが、この境地に至れば最高なのだが、それは悟りを得られていないものにとっては難しい。

以下、長くなるので別途。
③「禅に生きる」ちくま文芸文庫 [2012]
④「禅八講」角川選書 [2013]
           

その場考学との徘徊(22) 桜、誘われ 

2017年04月02日 14時59分37秒 | その場考学との徘徊
題名桜、誘われ  場所;東京都九段下  年月日;H29.4.2

テーマ;戦中・戦後の桜
 
 今年の東京の桜は、開花宣言こそ早かったが、あれから2週間近く経つのにまだ3分咲きのようだ。それを承知で、九段下に出かけた。しかし、地下鉄の出口では、おおかたの花見客の靖国神社方面とは反対の武道館方面へ向かった。目的は、神保町で開催中の「春の古本まつり」だからである。
 
千鳥ヶ淵の桜は、予想通りの2~3分咲き。しかし、それでもここではどんな角度からでも写真になる。





 その横に、「昭和館」という7階建ての展示館がある。あまり知られていないが、「戦中・戦後のくらしを伝える」を目的とした常設展示がある。その入り口に、「桜、誘われ」の看板があったので、初めて入り口に向かった。そこからの千鳥ヶ淵も、別角度からで面白い。






 
2階の広場には、戦中・戦後の花見の写真が二十数枚飾られていたが、見るべきものは無かった。写っている人々は、どれも寂しげで、花見の気分ではない。写真が白黒なのと、私の先入観のせいかもしれない。



しかし、その横に「リユース本」の小さな棚があった。覗くと、面白そうな(と言っては著者と本に書かれたモデルに失礼)本が並んでいた。幸い、今日は古本市にそなえてリュックをしょっている。3冊ほど持ち帰ることにした。



 春の古本市は、秋のそれとはだいぶ違う。客も出店も4分の一ぐらいだろうか。
それでも、5冊ほどリュックに入れて帰途に就いた。