生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(60)ロボットと魂 

2019年11月15日 08時04分47秒 | その場考学との徘徊
ブログ;その場考学との徘徊(60)  

題名;ロボットと魂 場所;東京都府中市 月日;R1.10.31
テーマ;心と魂のちがい  
作成日; R1.11.1 最終修正日;R1.11.15
                                               
TITLE:ある講演会での頭の中の徘徊

 Society5.0の世界では、つねに実空間とサイバー空間が同居する。その間は、超高速のインターネットが結んでくれる。そのことをその場考学的に考えると、「徘徊」も実空間の徘徊ばかりではなく、頭の中の徘徊も同列になってしまう。今回は、その手始め。昨日、ある場所である講演を聞いた時の頭の中の徘徊。かつての通産省の役人だが、その他の活動(外国大使、大企業役員)が多く、私にはメタエンジニアにも思えた。
 
第1の話は、技術革新の行き過ぎで、世界全体がおかしくなるのでは、といったこと。近未来のロボットにより、多くの職が失われ、人類社会全体がおかしくなる。人は、社会に貢献できる何かを生産することで、収入を得て生活を自立することができる。自立できない人は、国家が所得再配分で保証するのだが、保証しきれるのだろうか。
この原則が根 本からおかしくなるのではといった疑問だったと思う。この意見には同感。
 
第2は、人間に限りなく近づくロボットが、心(意志、感情、痛みや苦しみ)を持つようになった時に、人間との違いは「魂」の在る無しとの話だった。『AIとロボットの影響を受け「魂」の科学的理解大いに進むを期待すべし』との結論だった。心を持つロボットが肉体労働を受け持つ社会は、古代奴隷制社会と同じになる。
 
彼は、麻原と同じ体の浮遊ができるそうで、隣の講演者も、「実際に見ました」と証言をしている。かなりの高さで、落ちた時の衝撃を和らげるために,厚いウレタンの座布団を敷くそうだ。科学的に考えて、質量と重力はいかんともしがたいので、実空間では起こりえない。しかし、「魂」つまり霊魂の世界では、簡単に起こってしまう。その時の彼自身と、彼の観察者は、二人とも「霊魂の場」に居たとすれば、ごく自然なことに思えた。
 
『余世の宗教者に問はましきは、ロボットの人間化進み悩み苦しみも同じくするに至らば衆生と相等しくその救済の対象になすかと。「否、ロボットは魂なければ」と答うるものあるべし。』とある。
 
果たして、十分な心を持った超未来ロボットは、魂が持てないだろうか?魂は、人間だけのものなのだろうか。否、多くの牛には入り込むので、インドでは神聖視されるのでは?人間社会で落第した魂は、鬼畜の身体で修業をするとも云われる。そうだとするならば、心と人間と同等の知性を持ったロボットに魂が入り込む余地は十分にあるように思えてくる。

 さらに、魂の目的と主機能をメタエンジニアリング的に考えてみる。
 魂の本質は何で何故必要なのか?生物が存在しない惑星は、大宇宙の法則に従って、生成され、やがて消滅する。しかし、生物が存在し、かつ高等化すると、その大法則が破られる可能性が出てくる。そこで、惑星全体の整合性を保つための何らかの作用が必要になる。大宇宙の脳とも云えるかもしれない。
 
その「大自然の脳」の働きを担うのが、個々の魂ではないだろうか。だから、魂は自らの目的のために地球環境に影響を及ぼす可能性を持った高等物(敢えて動物とは言わない)に宿ることになる。そうすると、ヒトの能力を超えたロボットには、魂は最も必要とされることになってしまう。そのように考えると、大自然にとって不都合な魂が、再教育を受けさせられるのも、当然のことに思えてくる。われながら全くの徘徊になってしまった。 いずれにせよ、これからの人類は、特殊な科学と技術が地球全体に広がった際に、地球の環境と社会に及ぼす影響を、哲学や宗教の観点からも深く考えてから実行に移さなければ、第2、第3の原爆は、容易につくられてしまう
マルチン・ハイデガーの云うとおりに、人類は一度手に入れた技術を、更に進めることはできても、手放すことはできないのだから。                 

その場考学半老人 妄言               

メタエンジニアの眼シリーズ(147)メタ文学

2019年11月12日 07時34分43秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(147)
TITLE: メタ文学

書籍名;「文学論」[1966]
① 著者;夏目漱石 発行所;岩波書店 発行日;1966.8.23
② 著者;立花太郎 科学史研究 KAGAKUSHI 1885 pp.167-177
初回作成日;R1.11.8 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。


 
「メタ文学」という言葉はない(と思う)。代わりに「メタフィクション」という言葉が使われているらしい。いわゆる、小説の中の小説のこと。
Wikipediaには、『それが作り話であるということを意図的に(しばしば自己言及的に)読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する。メタフィクションの自己言及の方法には、例えば小説の中にもうひとつの小説について語る小説家を登場させたり、小説の内部で先行作品の引用・批評を行ったり、小説の登場人物を実在の人物や作者と対話させたり、あるいは作者自身を登場人物の一人として作品内に登場させる、といったものがある。小説の登場人物のセリフで「これは小説」などの発言もこれに類する。』とある。

 しかし、ここで私が書こうとしている「メタ文学」は、これとはまったく異なる。文学というものを、一段上から全体的に眺めて、解析したものである。それが、漱石全集 第9巻の「文学論」だ。
 
この書は、漱石の著書の中でも難解と云われている。確かに、658ページの全集の丸ごと一巻を費やしているし、中には膨大な数の英語の長文が引用されている。巻末には「解説」が22頁、「注解」が109頁にわたり517項目もあることが、それを示している。この注解を見ながらでないと、容易に読み解けない。そこで、②の論文の助けを借りることにした。論文名は「夏目漱石の『文学論』のなかの科学観について」とある。そこには、表題のテーマのほかに、漱石の文学論の概要も示されているので、適宜引用する。
 
冒頭に「序」が12ページにわたって書かれている。1900年(明治33年)に、突然 学務局長から英国留学を言い渡され、全くその気がないのに、『他に固辞すべき理由のあるなきを以て』受けてしまったが、直接に局長と面談して、その目的が『高等学校もしくは大学にて教授すべき科目を専修せられたき希望なり』との言葉を確認したことが記されている。(pp.5)
 序には、英国生活の概要が語られているが、公費が少額でとても留学中の他の日本人とまともに付き合う金がないことが記され、そのためにケンブリッジやオクスフォードを早々に引き上げて、ロンドンで大学の講義と書店巡りをしたことが書かれている。
 『余が講学の態度はここに於いて一変せざるを得ず。(青年の学生につぐ。春秋に富めるうちは自己が専門の学業に於いて何者をか貢献せんとする前、先ず全般に通ずるの必要ありとし、古今上下数千年の書籍を読破せん企つる事あり。)』(pp.9)として、自身もまだ「英文学全体には通じていない」としている。そこから彼の全勢力と有り金をはたいて、あらゆる書物への挑戦が始まったとしている。これは、まさにメタエンジニアリングと同じ態度だ。

② には、次のようにある。
 『漱石の文学研究はロンドンに留学中に発意されたものであることは『文学論』の序文の中に書き記されている。漱石は「文学書を読んで文学の如何なるものなるかを知らんきするは血を以で血を洗ふが如き手段」であると信じたので,あらためて哲学書から生物学書に至るまで読書範翻を拡大し,読書ノートを作った。そして「重に心理学社会学の方面より根本的に文学の活動力を論ずるが主意」としたのである。この経過をみても激石がどこかで科学の本質を問題としたとしても,それはきわめて富然のことである。』(②pp.167)

また、文学論の全容と主テーマについても、②を引用する。
 
『『文学論』は全体を次の5編に分けて構成して ある。(1)文学的内容の分類,(2)文学的内容の数量 的変化、(3)文学的内容の特質、(4)文学的内容の相互関係,(5)集合的F.
第一編の書き出しに「凡そ文学的内容の形式は (F+f)なることを要す」という漱石理論の基本原理が示されている,ここでFは人の意識の流れにおいて,ある時間その焦点をなしている認識的要素(知的要素),
fはそれにともなう情緒的要素を意味している。』(②pp.168)

『そのことを激石は次のように述べている。凡そ吾人の意識内容たるFは人により時により、性質に於て数量に於て異なるものにして,其原因は 遺伝,性格,社会,習慣等に基づくこと勿論なれぱ,吾人は左の如く断言することを得べし,即ち同一の境遇、歴史,職業に従事するものには同種 のFが主宰すること最も普通の現象なりとすと。 従って所謂文学者なる者にも亦一定のFが主宰し つつあるは勿論なるべし。』(②pp.168)

 この記述は非常にわかりにくいので、巻末の注解を頼ることにする。そこでの「F」についての記述は、このようにある。
 
『Fは、FocusまたはFocal point(焦点)であろう。ある場合にはFact(事実)と考えられることもある。fは、feeling(感情)であろう。漱石は、文学とは人間のf=感情・情緒に基礎を置くものであって、いかなるF=意識の焦点または観念も、感情を伴わず、情緒を喚起しないならば、文学の内容にはなりえない、というのである。』(pp.550-551)
つまり、漱石はFから発してfにゆくストーリーを本格的な文学としている。

 第1編の第2章は「文学的内容の基本成分」としている。エンジニアリングにとっては、工学の各科目といったところだろう。一般的には、文学は『単に高尚なる知的感覚の具』だが、その基礎である「簡単な感覚的要素」を列挙するわけである。
(1) 触覚 テニソンの詩を引用している。例えば、誰かの手を握る場面を想像する。
(2) 温度 キーツの詩の引用。寒さ暑さなどの感じ方の表現。
(3) 味覚 キーツの詩の引用。食べ物は、文学の中に頻繁に出てくるが、その表現方法。
(4) 嗅覚 スペンサーの詩の引用。花の香りの表現方法。
(5) 聴覚 音楽が主だが、詩の韻を踏むのも同じ。様々な自然の音の表現
(6) 視覚 ボールドウインの小説を引用。絵画彫刻が主だが、文学的表現はF+Fで達せられる。

最後に、シェリーのプロメテウスの一節を引用して、この6感がすべて含まれることを証明している。
さらに、マクベスの終章の一節を引用して、「恐怖の兆候を記載したFに続けて、fを含む主観分子が書かれている」としている。
 この章に表れる膨大な数の英文の詩、戯曲、小説の数には圧倒される。漱石はロンドンでいかに書物に明け暮れたかが、よく理解できるが、とても全文を読む力は私にはない。

第1編第2章は「文学的内容の分類及び其価値的等級」とある。ここには、文学に対する漱石の自信のようなものを感じる。『情緒は文学の試金石にして、始にして終なりとす。』(pp.104)として、次の4種に分類している。
(1) 感覚F;先に挙げた6項目など
(2) 人事F;人間の芝居であり、善悪喜怒哀楽を鏡に寫したるもの
(3) 超自然F;宗教的F
(4) 知識F;人生問題に関する観念
これらのいずれからか「F」が発せられると、強大な「f」を起こし得る(pp.105)と。そして、延々と文例とその解釈が続く。

 第2編は「文学的内容の数量的変化」と題して、先の4種が数量的にいかなる原則のもとにあるかを論じている。

 第3編は「「文学的内容の特質」で、その第1章が「文学的Fと科学的Fとの比較一汎」となる。
『凡そ科学の目的とするところは叙述にして説明にあらずとは科学者の自白によりあきらかなり。語を換へて云はば科学は“How”の疑問を解けども“Why”に応ずる能わず、否これに応ずる権利無しと自任するものなり。』(pp.219)

 そして、文学者と科学者の事物にたいする態度の違いを明らかにしてゆく。
 
『次に来るべき文学者科学者間の差異は其態度にあり。科学者が事物に対する態度は解剖学的なり.由来吾人は常に通俗なる見解を以て,天下の事物は悉く全形に於て存在するものなりと信ず,即ち人は人にして,馬は馬なりと思ふ.然るに科学者は決して此人或は馬の全形を見て其儘に満足するものにあらず, 必ずや其成分を分解し、其各性質を究めざれば巳まず,即ち一物に慧する科学者の態度は破壊的にして,自然界に於て完全形に存在する者を,細かに切り離ちて其極致に至らざれぱ止まず,単に肉眼の分解を以て溝足せずして百倍及至千倍の鏡を用ゐて其目的を達せんとす。複合体に甘んずることなく,之を原素に還し,之を原子に分かつ,さて如此き分解の結果は遂に其主成分より成立せる全形を等閑視すること濵にして,又之を顧るの必要なきことも或場合に於ては事実なりと云ひ得べし。』(pp.222-223)
 
しかし、②の論文は、これらのことは「ピアソンの書を下敷きにしている」とある。確かに、ピアソンはそのことを書いているがしかし、漱石なりの説明はあくまでも英文学の中にある。
『文学者の行う解剖は常に全局の活動を目的とするものにして、・・・』(pp.225)として、ロゼッティーの「太陽が地球を廻るも、地球が太陽を廻るも吾が関するところにあらず。』(pp.224)などを引用している。

 さらに後半では、科学者も全局を描こうとすることもあるが、その時の態度は文学者と同じか、違うかを論じている。
 まだ、この著書の三分の一を過ぎたところだが、「メタ文学」の説明には十分と考えて、本を閉じることにした。この書には、二つの「メタ」が存在する。一つ目は、漱石による文学のメタ化であり、英文学の様々な分野を一段上の立場で解析している。二つ目は、個々の文学作品は、認識された事象「F」を「f」の場でメタ化しているということ。そこに、科学者と文豪の違いがある。
 




メタエンジニアの眼シリーズ(146)メタ言語能力

2019年11月09日 07時06分04秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(146)
TITLE: メタ言語能力


書籍名;「メタ言語能力を育てる文法授業」[2019]
著者;秋田喜代美ほか 発行所;ひつじ書房
発行日;2019.8.8
初回作成日;R1.11.8 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング
 
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



「メタ言語」とは何であろうか。日本大百科全書(ニッポニカ)の解説には、このようにある。

『高次言語ともいう。われわれはしばしば(言語を使って)言語について語る。そのとき、そこで話題とされる言語を「対象言語」とよび、それについて語るために使われる言語を「メタ言語」とよぶ。たとえば、英語の文法について日本語で語る場合、英語が対象言語、日本語がメタ言語である。また、ある形式的な記号体系を日常言語によって定式化する場合、対象言語はその記号体系自体であり、メタ言語は日常言語である。対象言語とメタ言語とは、実際上同じ言語であってもよいが、しかし、ある記号や文がそのどちらに属するものとして使われているかを明確に区別しないと、とくに論理学や意味論において奇妙な矛盾が生ずることがある。』
この場合の「メタ」の使いかたは、一つ上の次元と言えなくもないが、だからと言って視点や視野が一気に広がるものでもない。言語上の「メタ」と考えたい。

この著書もそのような感覚で書かれているように感じた。冒頭の「序」に経緯が書いてある。

『本書は、科学研究費補助金基盤研究(A)「社会に生きる学力形成を目指したカリキュラム・イノベーションの理論的・実践的研究」(2011一2013年度1;以下「イノベーション科研」)中の「基幹学習ユニツト」の1部門を成す「メタ文法プロジェクト」の研究成果に基づく研究と議論をまとめたものである。 「イノベーション科研」全体の目標としては、東京大学教育学部附属中等教育学校との連携のもとに、社会の構造転換を視野に入れた新しい公教育のカリキュラムのあり方を検討し、2019年度から順次施行される学習指導要領の改訂に対して積極的な提案を行っていこうとするものであるが、本プロジェクトは、とくに「言語力育成」をカリキュラムの達成目標に掲げ、 言語力の核としての「メタ文法能力」をいかに育成するかを研究課題とし た。「メタ文法能力」の何たるかについては後述する。』(pp.1)

つまり、英語の中等教育のあり方(カリキュラム)についての、ある一つの意見が示されている。中身についての批評は避けて、以下は「メタ」という言葉をどのように使っているかに絞って纏める。

先ずは、英語の授業について、やたらと英会話や英語の文献を読ませるのではなく、文法をしっかりと学んで理解すべきと主張している。そのことを、次のように記している。

『教育言語として日本語を活用する利点としては、さらに生徒が言語の法則性に敏感になることが挙げられる。単に日本語を足場として目標言語たる英語を習得するに留まらず、両言語の間を行き来することでそれぞれの言語には違った規則があることを学び、通常の言語運用よりもさらに高次の、いわば「メタ・レベル」から言語を客体化することができるようになるのである。』(pp.5)

 そして、その具体的な手法として「メタ文法能力」の育成を,次の様にあげている。
 
『「メタ文法能力」とは、言語を高次から観察・分析する「メタ言語能力」を文法に特化した概念である。ここで言う「文法」とは、理論言語学で言うような母語話者の脳内に理論的に存在する広義の言語能力の総体ではなく 、狭義に語彙と統語法の規則を指すものとする。ただし、本プロジェクトが指定するメタ文法能力は、かならずしも母語のみにおいて働くものではなく 、言語横断的に、外国語習得の際にも働くものであるため、この能力の育成は、英語のみなら、ほかの外国語習得能力の育成にもつながると考えられる。』(pp.5)

 第8章には、さらに明確な定義が示されている。
 
『20世紀中盤の認知革命によって、言語を脳に内蔵された知識(以下、「言語知識」と呼ぶ。最近の術語を用いれば、「内在言語(1-language)」)と捉える考えが広く受け入れられるようになったが、やがて、言語知識を対象として、高次から観察したり、分析したりする能力にも関心が向けられるようになった。本章では本書の他の章との整合性を考慮し、この能力を「メタ言語能力(metalinguistic abilities)」と称することにする。』(pp.277)

 そして、「文法」という言葉を次のように定義している。
 『「文法」とは、言語知識の総体を指すのではなく、「語彙と統語法の規則」を指す』(pp.277)

 また、「メタ文法能力」という言葉を次のように定義している。
 『言語を高次から観察・分析する「メタ言語能力」を文法に特化した概念』(pp.277)

 いずれも、「日本の英語教育では、言語横断的な文法指導を重視すべし」との結論になっている。しかし、この著書は、メタエンジニアリングに大きな示唆を与えてくれる。つまり、ここでの定義と同じ考え方で纏めると、「メタエンジニアリングの主機能」が「具体的なエジニアリングの行為を高次から観察・分析する」ということになる。
 この場合、言語の場合には過去や未来に対する広がりは、あまり認識できないのだが、具体的なエンジニアリングの行為に関する場合には、その結果が世の中にどのような影響を与えたか、また、将来どのような影響が考えられるかなど、時間的な広がりが存在する。また、空間的な広がりについても、同様なことが云える。

しからば、メタエンジニアリング能力を育てるための「文法」に代わるものは、いったい何であろうか。それが、「MECIメソッド」になるのではないだろうか。

メタエンジニアの眼シリーズ(145) メタ分析

2019年11月02日 07時22分44秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(145)
 TITLE: メタ分析
書籍名;「メタ分析入門」[2012]
著者;山田剛史、井上俊哉 発行所;東京大学出版会
発行日;2012.10.31
初回作成日;R1.10.22 最終改定日;
引用先;メタエンジニアリング

 このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



副題は「心理・教育研究の系統化レビューのために」で、そのための手法を説明している。「メタ」という言葉は、工学ではあまり使われないが、人文・社会科学系では研究に欠かせないものであることが、この著書から分かる。理系でも医学は同じ状況にある。創薬や臨床医療では必須のモノのように思える。しかし、エンジニアリング万能の時代になっては、エンジニアリングもメタ的に考えなければならない。

 「メタ分析」という言葉は、1976年にG.V.グラスの「Primary, secondary and meta-analysis of research」で登場した。しかし、その手法はそれ以前からあったという。いくつかの論文を系統的に調べて、統計的な結論を得る手法であり、文献検索から始まる。
 このように書くと、メタエンジニアリングとの関係が薄いようだが、実際のプロセスはまさにメタエンジニアリング的、すなわちMECIプロセスに沿っている。しかも、結論は純数学的に得ることを主張している。

 第1章では、メタ分析を次のように定義している。
 
『メタ分析とは、同一のテーマについて行われた複数の研究結果を統計的な方法を用いて統合すること、すなわち、統計的なレビューのことである。』(pp.1)
 
つまり、1次研究に対する、2次研究の位置づけになる。人文科学分野では、2次研究を経ないと、一般には認められ難いようだ。
データ重視であり、『データを用いない理論研究や質的な事例研究をメタ分析の対象にすることはできない。』(pp.1)と断言をしている。系統的なレビューの中の統計解析の部分のみを指している。つまり、単一の研究では決定的な結論を主張することは無理で、標本誤差を減らして正確な推論を導くための必須の手法との位置づけになっている。

 目次はその実行プロセスに沿っており、続いて数例が示されている。その前に、「記述的なレビュー」と「メタ分析」の比較が詳細に語られ、メタ分析は記述的レビューの不足点を補う位置づけとしている。
具体的な手順は以下であり、まさにMECIプロセスになっている。( )内は追記

 『手順1;メタ分析の問題を定義する(Mining)
  手順2;メタ分析の対象となる文献を探す(Exproaring)
  手順3;コーディングを行う(Exproaring)
  手順4;研究の質を評価する(Converging)
  手順5;統計解析を行う(Converging)
  手順6;統計解析結果を解釈する(Converging)
  手順7;メタ分析の結果を公表する(Implementing)』(pp.21)
このように見てゆくと、MECIプロセスももう少し細かく分けなければ、具体的な手順にはならないように思える。

 記述された統計手法の具体的な数式等は省略して、事例の一つを取り上げる。「個人主義と集団主義を再考する」(2002)で、ヨーロッパ系アメリカ人が、他のどの社会よりも個人主義的だという主張を検証している。
アメリカ人と世界各地の民族との比較、アメリカ国内の人種差の比較を別個に行った結果が示されている。ほぼ常識の範囲内なのだが、こんな結論もある。
 
『「常識」に反するのが日本人との比較である。絶対値は大きくないものの有意な正の値であり.アメリカ人は日本人よりも集団主義的だという結果であった。』(pp.225)

また、『ユニークさやプライバシーに関する項目を含む尺度を用いて個人主義を測定した研究の方が.そうでない尺度を用いた研究よりも,I1米の個人主義の違いが大きいことがわかる.とくに,ユニークさについては.それらの項目を含まない尺度を使った研究では、日本人の個人主義がアメリカ人を上回るという結果が得られている。(ユニークさに関する項目例 :私は多くの点でほかの人と異なり、ユニークです。プライバシーに関する項目例:私はフライバシーを好みます)』(pp.225-226)
 
 確かに、このような聞き方をされた場合には、日本人はYesと答える割合が多いように思う。

 「メタ」という言葉の使い方にもいろいろあるが、多様化の時代になって、どの分野でも今後重要視されなければならないことは一致しているように思う。



その場考学との徘徊(59)大礼期間中の皇居東御苑

2019年11月01日 08時55分05秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(59)
題名;大礼期間中の皇居東御苑

場所;東京都 年月日;R1.10.26
テーマ;小春日和のウオーキング  作成日;R1.10.31 アップロード日;R1.11.1
                                                     
TITLE: 大礼期間中の皇居東御苑

 新天皇の即位に際して行われる一連の儀式や行事は「大礼」と呼ばれる。今年は、そのすべてが短期間に行われる珍しいことなのだ。例えば、明治の初めにはこんなことだったと記録されている。1866年12月に孝明天皇が崩御され、翌年1月に明治天皇が践祚された。しかし、明治への改元は1年半後の1868年9月だった。この間が、大礼の期間となる。

 10月22日の即位礼のTV中継の中で、色々なことが語られていたが、どうも全体像が分からない。そこで、皇居の東御苑に出かけることにした。目的は二つ、三の丸尚蔵館で公開中の過去の大礼中に皇室に収められた、国内外からの美術品の鑑賞と、建築中の大嘗祭の建物を見る為だった。

 最近の東御苑は、欧米人に人気で入り口の長蛇の列は有名だ。現役中には、昼休みに何度も出かけたが、入り口の行列はなかった。今回は、地下鉄の大手町駅から大手町ビルの中を通って、大手門へ向かった。土曜日の9時の館内は閑散として、人影はない。通い詰めた三省堂はまだそのままだった。
 
 

大手門から二の丸池に向かった。昔は、女性がランチをしていたが、観光客が増えた今はどうなのだろうか。昭和天皇が係わった風変わりな鯉が、沢山いた。以前よりは増えているように思える。





 大嘗祭の建物は、芝生広場の北の端にある。そちらに向かうと、すべてが塀に囲まれて、何も見えない。工事業者の看板と工事用駐車場だけだった。
 警備員に聞くと「建物が見ることができるのは、反対側の南からです」とのことで、入り口まで戻ることに。



 肉眼では全く見えないのだが、超望遠レンズだと人影まで確認できる。建物は大方完成しているように見える。






 横に、本丸休憩所があり、売店を兼ねている。ちなみにかつての売店は一か所だったが、今回は数か所に分かれており、どこのレジもお客さんの行列だった。私も、絵ハガキと75ページのグラビア本を買った。売店の中には、建物全体の模型もあった。



三の丸尚蔵館のすべての展示物の詳細な写真と説明文がある。気に入った「七宝斎田豊作図花瓶一対」、「富岳茶園」、ロイヤルコペンハーゲンの「デンマーク汽船図花瓶一対」などの説明文をじっくりと読みたかったからだった。売店の裏から展望台に登る小径がある。ここからの景色は、昔とは全く異なる。小摩天楼の感じすらする。



そこから、昔の松の廊下方向へ歩くと、古品種の小さな果樹園がある。丁度、果実が実っていた。手前は、東静岡の「四つ溝」という渋柿、奥は、津軽の「りんき」。



 帰りは、東京駅からと考えて、大手門から東へ歩いた。野村と富士銀行の高層ビルはかなりまえからあるが、我が昔の住みかの「新大手町ビル」は、まったく変わりない。何故なのだろうかといつも気になっている。東側の地下室は、大きな金庫室のような作りで、その一部屋が、私が日産から宇宙部門を買収する際にあてがわれた準備室だった。いまは、どうなっているのだろうか。
時の流れは、早い。