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生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

様々なメタエンジニアリングの研究(応用編 その1)

2025年02月07日 14時54分10秒 | A5冊子「メタエンジニアリング・シリーズ」
メタエンジニアリング・シリーズ(応用編)27   

さまざまな「メタ」の研究(3)より
 
はじめに

 2021年10月28日にフェイスブックが社名を「メタ(Meta)」に変更すると発表した。「メタバース(Metaverse)」のイメージを強調するためと云われている。「メタバース」とは、AR(拡張現実)とCR(仮想現実)の端末を使って、人々とつながれるデジタル空間のことで、フェイスブックは、当面はこの分野で収益を見込んでおらずに、将来の1兆ドル(約118兆円)のビジネスチャンスを期待している。
 正式な社名はMeta Platforms, Inc.で、のカリフォルニア州に本社を置くテクノロジーコングロマリットである。CEOのマーク・ザッカーバーグは、この会社の創設者として有名なのだが、『メタバースは私たちだけで構築できるものではありません。この点は、今日はっきりとお伝えしたと思いますし、今後も訴えていくつもりです。「メタメタバース」というものは存在しないからです。メタバースは1つしかありません。「当社がメタバースを構築している」と言うのは、「当社がインターネットを作っています」と言うようなもので、そもそもおかしい。しかし会社として、私たちは単なるソーシャルメディアではないと示すことは重要です。それが、今回の社名変更の意味です。』と言っている。一体「メタ」とは、何なのだろうか。実は、西欧では古代ギリシャの時代からあった言葉なのだが、日本では20世紀後半までなじみが薄かった。

 私の書架に「広辞苑(第1版)」がある。昭和30年(1955)の発行なのだが、そこには「メタ」という言葉はない。「めた、滅多、めったの略」とあるだけである。そこで、図書館で最新の第7版までの記述項目を調べてみた。14年後の第2版(1969)では、「めた」はそのままだが、「メタ言語」が登場。対象言語(何かの対象について述べる)の表現内容について述べる高次言語としているが、メタ言語も、それを対象として更に高次元のメタ言語に発展するとしている。他には、「メタセンター」(浮かんだ物体の傾きの中心) 「メタフィジーク」「メタフィジカル」「メタ倫理学」がある。大きく変わったのは第3版(1983)で、第2版までの「めた」が消えて、初めて「メタ」(ギリシャ語の、間に、後に、超えるに由来する接頭語)が登場した。岩波書店から「アリストテレス全集」が発行されたのが、1968年-1973年なので、その影響と思われる。

 つまり、アリストテレスが元祖「メタ」なのだ。古代ギリシャのアリストテレス直後に始まった「メタ」という概念が、西欧(つまり英語)ではMetaphysicsとして、古代から普及したにもかかわらず、日本では20世紀中半まで待たねばならなかったのは、何故であろうか。私には、Metaphysicsを「形而上学」という日本語にしてしまったことが、大いに関係していると考えている。
形而上学という言葉は、ややもすると机上の空論に結び付いてしまう。しかし、この考え方は、アリストテレスのMetaphysicsとは、実は正反対なのだ。

 アリストテレスは、万学の祖と云われるほどに、自然界と人間界のあらゆるものについて考え、それらを次々に書物として纏めた。彼の死後、これらを全体的に眺めて、纏めなおしたのが「ta meta ta physica」(自然学の後から来るものどの)であった。つまり、それぞれの分野をとことん追求したあとで、ひとつ次元高い所から纏め直したことを意味している。

 日本語版では、岩波文庫の上、下巻が、それぞれ1959年と1961年に発行されている。中身は全14巻に分かれていて、例えば、第1巻は10章からなっている。その第5巻は「用語辞典」になっていて、アリストテレスが使用した用語の説明が細かく記されている。用語としての項目には、例えば、原理、原因、構成要素、自然、必要、存在、実体、能力、無能力、可能性、限界、状態、全体、部分、種族、虚偽、誤謬、偶然性などがある。
例えば、「原因」については、彼はそれを「始動因」として、ものごとの始まりと捉えている。彼の説明は、『例えば、散歩のそれは健康である。というのは、「君はなにゆえに散歩するのか」との問いに私は「健康のために」とこたえるであろう』(上、p.156)、のように平易なものなのだが、形而上学と名づけたために、わが国では、すべてが難解な言葉に置き換えられてしまった。

 日本語が役に立たないので、新英和大辞典(研究社[1992])第5版を参考にする。そこには、「meta-」という前置詞には次の3つの意味が書かれている。
『1.主に科学用語で次の意味を表す:a「・・の後、・・を超えた」:metanephros, metagalaxy, metaphysics. b (位置・状態)の変化:metabolism, metamorphosis. c「二次的・・」:metalanguage. 2. 「・・より包括的な;超・・」の意で、既存の学問を批判的に扱う新しい関連学科名を表わす:metalinguistics, metamathematics, metapsychology. 3,【化学】メタ a 「・・の重合体[誘導体]」 b ベンゼン環を有する化合物で、1,3-の位置置換を示す』とある。
 つまり、細かくは6つの意味がある。そして、この英和辞典には「3」の科学を除いても150余りの「meta何々」が示されている。(詳細は、このシリーズの第26巻の付録を参照)

 しかし、この150余りの英語のmeta-を見ていると、あることに気づかされる。それは、もともとmeta-に決められた定義があるわけではなく、多くの人(特に専門家)が、自分の専門分野の常識からはみ出ることや、一段上がったり、下がったりした立場で考え直すときに使った前置詞のように思えてきた。考えてみれば、辞書とはそういうもので、多くの人が使いだした新たな言葉が掲載されるわけである。つまり、「meta-」は、その道の専門家が自由に使ってよいのではないだろうか。しかし、ここで問題なのは「専門家が」ということで、専門を極める前に使うことは危険である。広辞苑にも「ギリシャ語の、間に、後に、超えるに由来する接頭語」とあるように、アリストテレスの前例に倣えば、「あることを極めた後で」という前置詞なのだから、このことは当然のことと思う。

 このシリーズでは、すでに2巻を発行した。第24巻「さまざまな「メタ」の研究(1)人文・社会科学編」と、第26巻「さまざまな「メタ」の研究(2)理工・経済学編」になっている。そこで、この「さまざまな「メタ」の研究(3)」では、アリストテレスに倣って様々な「用語」について、その専門書のなかから選んだものを「応用編」として記すことにしました。

注意;このシリーズでは、すべてのメタ思考について、正確を期するために著書の原文の多くをそのまま引用しました。その部分は、『』で示して、著者の記述であることを明確にしました。

目次
         ページ
  はじめに     3

  1.宇宙    12
  2.絵画    15
  3.懐疑    23
  4.懐古    26
  5.科学    33
  6.学派    37
  7.学科    41
  8.企業    44
  9.決定    53
 10.資本    57
 11.社会    62   
 12.自由    67
 13.資料    66
 14.進化    73
 15.人生    78
 16.人類    84
 17.制御    87
 18.戦争    91
 19.伝言    94
 20.認知    99
 21.発言   101
 22.目的      103
 23.予防      106
 24.歴史      109

 おわりに       114

 付録 「メタ」語集  115

          (全127頁)



1.宇宙(メタバース)

 メタバース(metaverse)とは、英語の「超(meta)」と「巨大な空間(universe)」を組み合わせた造語で、1992年にSF作家のニール・スティーヴンスンが発表した『スノウ・クラッシュ』という小説に記された仮想空間の名称で、その後、様々な仮想空間が登場し、それらの総称となった。世界的なブームは、2021年、Facebookがメタバース実現に向けて本格的に動き出したことで、10月にFacebookが社名を「Meta(メタ)」に変更すると発表したことに始まる。生みの親であるマーク・ザッカーバーグは、新たな社名のもと、仮想空間の構築に注力してSNS主体の企業からメタバース企業へ変わると宣言した。そして、メタバースを「次のコミュニケーションプラットフォーム」と位置付けた。
 「宇宙」という語は英語では、cosmos, universe, space などがある。英語の universe はラテン語 universum に由来しており、すべての物と事象の総体を意味するので、メタバースは、今後それに相応しい内容として、急速に発展すると思われる。タイミングとしても、世界的なコロナ禍の状況の中で何度も拡散の波が繰り返され、対面によるコミュニュケーションが大幅に制限され、アバターを使っての意志交換がもてはやされることになったことは、偶然ではない。

 メタバースの基本技術は、Block Chainにより、①全ての記録が残る、②情報所有者によるアクセス制限がつけられる、③自分のBlock Chainと他のBlock Chainとの連携ができる、などにより、仮想空間と現実を瞬時に行き来できる。つまり、ゲームやエンタメだけでなく、現実の商取引にも用いることで、巨大なマーケットが予測されている。アバターを利用して、友達感覚で顧客との商談ができることは、顧客のより具体的な希望の把握により、製品を顧客の要望と組合せて商談を進められることは、現実の商談よりも、より細かく、かつ正確な結論を得ることが可能になったと云える。

 さらに、GoogleからスピンアウトしたNiantic社は、AR技術を使って現実の世界とデジタルの世界を融合させるという没入型デジタル環境の仮想世界ではなく、現実世界のメタバースを提唱している。彼等は、VRヘッドセットに拘束されるようなメタバースを「ディストピアの悪夢」と呼んだ。例えば、人気ARゲーム「ポケモンGO」のようなものだ。さらに同社は、その動作基盤となっているプラットフォーム「Niantic Lightship Platform」を他の開発者にも提供して、新たなアプリ開発を後押しすることを始めた。開発者を増やすことで「現実世界のメタバース」というコンセプトを広めてゆくという狙いがあるとされている。

 日経新聞の記事(2022.1.8夕刊)に拠れば、メタバース市場は、2020年の477億ドルから、2028年には8290億ドルに成長するとしている。そして、「メタバースでできることの例」として、次のものを挙げている。
・エンターテインメント(3Dゲーム、映画、音楽ライブ、テーマパーク)
・シヨッピング(アバターの服や靴,リアル商品)
・働く・経済(仮想空間での会議、非代替性トークン(NFT))
・暮らす(不動産の売り買い、家具をそろえる、ニュースや広告を見る)
などである。つまり、生活そのものが仮想空間に移行してしまうことになる。

 特に、商談の分野では、ZOOM経由で「何処でも」、「何時でも」が可になるとともに、 従来の商談では、TEXT(WORD, Power Point, Excelなど)であったが、顧客の数字を入れれば、直ちにシミュレーションを行い、顧客のメリットを示すことが可能になる。また、顧客が納得すれば、全てのデータがBlock Chainにそのまま記録されるので、顧客にとっても商談が着実に行われたという証拠が残る。 
 しかし、多くのひとびとが、現実を離れて、多くの時間を仮想空間で生活をする事態になると、社会全体はどのようになってしまうのだろうか、そのことをメタエンジニアリングで深く考える必要があるのではないだろうか。

 私は、一時期宇宙に関する業務に係わったのだが、「宇宙には夢がある」という言葉は好きになれなかった。メタバースの技術では、火星の表面に家を建てて暮らすことは容易に体験できる。その結果は、「宇宙には何もない」となるのではないだろうか。そして、地球上の生活空間の重要性と貴重性への認識が高まることを期待している。
 多くの宇宙飛行士が語った言葉も、宇宙での滞在の幸福感ではなく、宇宙から見た地球の自然の美しさばかりだったと思う。

このシリーズの冊子は、メタエンジニアリング研究所から発行されて居ます。
連絡先は、
https;//meta-engineering.com

その場考学との徘徊(80)王寺駅徘徊

2025年02月02日 08時28分28秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(80)          
題名;王寺駅徘徊 場所;東京都 王寺 月日;2025.1.31

テーマ;新宿駅から王寺駅に行くには、細心の注意が必要
作成日;2025.2.2   
                                           
 北区のJR王子駅には、既に何回も行ったのだが、今回初めての経験をした。それは、なんと5回もJRでお世話になったしまったことだった。その原因は、この地図の為だった。



 私の場合の出発は新宿駅。最初は山手線で田端まで行き。そこから京浜東北線に乗り換えて王子駅へ行った。
しかし、新宿から田端までの駅の数は相当なモノだった。
 その帰りに、駅の路線図を見て、「赤羽がすぐそこだ。ここで埼京線に乗れば、途中の停車駅の数が大幅に減る」と考えた。

 そこで、今回は新宿駅で大宮行きに乗った。赤羽まで池袋のみの停車でたたったの11分だった。赤羽の駅構内は広々として、各種の店がある。店を覗くのは帰りにして、すぐに上りのホームに向かうことにした。幸い、すぐに平塚行きがあるので、それに飛び乗った。しかし、10:59の発車後すぐに車内放送で、「次は尾久です」と。「え‼ おぐっっていう駅はあったっけ?」。列車はなかなか止まらずに、王子駅の横を通過してしまった。
 尾久駅で降りたのだが、駅も周囲も閑散としている。見えるのは、おびただしい数の電車だけだった。帰宅後に地図を見ると、この通りで、京浜東北線の線路とは違うところに来ている。



 一駅戻れば良いと思ったが、それは甘かった。この線路は、王寺駅の横を通過するだけで、次の駅は赤羽との表示になっている。仕方なく、11:11発の籠原行きで、また王子駅を横に見て、11:15赤羽駅に戻った。
 11:17蒲田行きの京浜東北線に乗車、11:23やっと目的の王子駅に着くことができた。

 駅周辺のウオーキングで、「お札と切手の博物館」、「王子稲荷神社」、「名主の滝公園」を楽しんだあと、
13:03発の列車で赤羽に戻った。
幸い、13:14発の湘南新宿ラインに乗ることができ、当然十条通過と思ったら、またまた王子駅の横を通過した。ここは、なんと今日5度目だ。

 家に帰って路線図と列車の時刻表を調べた。ややこしいので、地図を色塗りしてみたのが、次の3つ。

 
 
 緑は埼京線で、新宿の次は池袋なのだが、そこからは板橋、十条などの各駅停車で、赤羽駅に至る。
 赤は、湘南新宿ラインで、赤羽から王寺方面の線路で、駒込で山手線と併走になる。だいぶ遠回りなのだが、新宿までの停車駅は池袋だけ。



 ついでに、高崎線と宇都宮線も調べたのが、この地図の緑の線。
こちらは、新宿駅で乗るときはどちらでも良いのだが、赤羽駅での乗車は、気をつけないといけない。時刻表だと、新宿経由と、上野・東京駅経由とがバラバラに来るようだ。
 間違えて、上野経由の電車に乗ると、田端で山手線に乗り換えなければならないが、田端が通過だと上野から戻ることになってしまう。



最後は京浜東北線で、この図の赤のように大宮から赤羽までは各駅停車で、田端から山手線との併走で、平日は快速電車になる。
 平日に、うっかりこれに乗ると、山手線の駅を通過してしまうので、これも注意が必要。
 最近は、どの駅もホームに時計と停車駅の表示板がない。日本の道路表示と同じで、地元の人にはわかりやすいが、他所からの訪問者にはわかりにくい。徳川・戦国時代の名残の文化なのだろう。

その場考学との徘徊(79)王寺稲荷とお札の博物館

2025年02月01日 10時31分23秒 | その場考学との徘徊
ブログ;その場考学との徘徊(79)          

題名;王寺稲荷とお札の博物館 場所;東京都 王寺 月日;2025.1.31
テーマ;石神井川が武蔵野台地を離れる辺りにて
作成日;2025.2.1                                            

 冬晴れで比較的風も穏やかな日に、三度目の王寺に向かった。駅前から始まる断崖の坂道は、ウオーキングには最適だ。今回の目的地は、駅の東にある「お札と切手の博物館」と西北にある「王寺稲荷」。
 
 先ずは、駅前の大通りに面している「お札と切手の博物館」正式には「国立印刷局博物館」。この場所は、お札等を印刷する国立印刷局の工場の一部で、かつて、この辺りは製紙工場が多く、良質の紙が入手しやすかったようだ。ちなみに、近くを流れる石神井川は、ここから1km足らずで隅田川に合流する。



館内は、広くはないが1階の展示物は面白かった。新Ⅰ万円、五千円、千円のゼロが全部並ぶ試作品に始り、一億円の札束がある。10kgとは覚えやすい。



 色々な仕掛けがあり、自分のお札の部分的な拡大を自由に視ることができる。
五千円札の津田梅子の右眼を拡大したのは、この写真。細かい文様も確認できる。



 ちなみに、一角では「お札の模様、流線が描くArt、工芸官作品展」があり、多くの模様の原画
が展示されていた。どれも超細密画で驚かされる。
 世界の最初のお札は、やはり中国だった。ヨーロッパよりも600年も早い。


 
 明治時代の初期には、細密印刷ができずに、アメリカンに委託して印刷をしてもらったとか、関東大震災でお札の印刷ができなくなり、その間取り付け騒ぎを警戒して、大阪で臨時のお札を大量に刷った。裏が白紙のままだったのだが、幸い流通する機会はなかったとのことなど、初耳のことが多い説明書きがいくつもあった。偽札防止対策の歴史も概略してある。
 この写真は、新札を紫外線で視たモノ。



ゆっくりと廻っても30分ほどで、無料なのだが観客は皆無だった。

 駅へ戻って、石神井川の流れをみる。この公園は前回歩いたのだが、歴史を感じて面白かった。今回は、下に降りずに坂を上り始めた。



 王寺稲荷は、思ったよりも立派な拝殿だった。




 他に参拝者は無く、ゆっくりと拝むことができた。社務所に人影はなく、お守りが並んでいたので、干支の小さい絵馬(¥350)を買うことにして呼び鈴を押した。奥から女性の返事があったのだが、出てくるまで1分以上かかっただろうか、のんびりしたところだ。
 縁台があって、みたらし団子が食べられるかと期待していたのだが、聴くと「すぐ近くに、老舗の葛餅屋さんがあります」とのことで、そちらに向かうことにした。
 その前に、まだ歩き足りないので、近くの「名主の滝公園」に向かった。ここもひと気が無く、狭い階段の連続だったが、案内図が正確で、滝や池を満喫することができた。





 件の葛餅屋さんは、稲荷神社の階段下の道を駅方向に歩いた途中にあった。店内での飲食も可能なのだが、お客がまるでいない。お土産に二人用の小さな箱入りを買った。



 お稲荷さんには狐が付きのもなのだが、ここは特別で、由緒ある狐行列が今でも行われているようだ。ネットには、次の記事がある。
 『源頼義より“関東稲荷総司”の称号が与えられた、王子稲荷神社(東京都北区岸町)。大みそかの晩に、東国一円の神様のお使い狐が集まり、近くの榎のもとで身なりを整え、この神社に初詣をしたという伝説から、毎年大みそかに大祭“狐の行列”が行われ、冬の風物詩となっている。
 柴田是真作の「額面著色鬼女図」、谷文晁作の「龍図」を所蔵。境内にある狐の穴跡は落語“王子の狐”の舞台にもなっている。
王子稲荷神社の参道にある甘味処が、石鍋商店。創業は1887(明治20)年。4代目の石鍋和夫さんが、今もなお研鑽(けんさん)を重ね、新しい和菓子づくりに挑戦している。
 一番人気は「久寿餅」(500円、みやげ用は590円~)。原料の小麦デンプンは、90年前から茨城県の老舗の焼麩屋で1年間、発酵させたものを使う。さらに、店で半年から1年発酵し、それに独自のブレンドで配合した小麦デンプンを加え、何度もさらして蒸して作る。手間をかけて無添加で作り上げる逸品だ。』
 https://www.zakzak.co.jp/article/20181215-QVUUKJ7NGFMNDEKPF6WA4N5U5M/より



 帰宅後に、早速に味わったのだが、歴史を感じる深みがあった。歩数は約8000歩。1時間半のウオーキングだった。
 ちなにに、浅見光彦シリーズのTVドラマでおなじみの、みたらし団子の「平塚亭」は、駅前から都電(今の呼称は?)で一駅先にある様なのだが、また次の機会に味わってみよう。