生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングとLA設計(4) 第3話 設計パラメータのトレードオフ

2013年08月28日 19時27分46秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第3話 設計パラメータのトレードオフ

2012年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が近代日本の歴史の多くの重要な場面に当てはまってしまうということだった。
 しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これだけではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。
 「トレードオフ」と云う題名の本がプレジデント社から発行されている。著者は、Kevin Maney,翻訳者は有賀裕子で2010年に出版されている。前者の記事とは観点が全く違い、イノベーションの秘訣の様なものの記述に終始している。勿論、失敗例も列挙されているが、原因の多くをトレードオフ判断の間違えか、中途半端さにあったと指摘をしている。代表的な文章は、
   「卓越した人々は、慎重に考え抜いたうえで難しい選択をする勇気を持ち合わせているうえ、「何もかもできる」という錯覚に陥ることなく、自分が抜きんでる可能性のある分野にだけ力を注ぐのだ。(中略)その概念とは、「心を鬼にして上質さと手軽さのどちらかひとつに賭けようとする者は、煮え切らない者よりも大きな成果を手にする」というものだ。」
明暗を分ける者は、トレードオフにおける選択の適否にあり、と断言をしている。

ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者、すなわちエアラインにとってのライフサイクルにおける総コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない、との概念である。
 かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発部門と設計部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。



この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについて検討し、判断を下すわけである。
 この表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。

http://en.wikipedia.org/wiki/Components_of_jet_engines
 
圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
 そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。

 さて、このような定量的な判断基準はどのような背景から実現が可能であろうか。通常のエンジニアの専門知識だけでは、不充分であることは自明であるが、同時にエンジニアでなければ定量化できない数値である。エアラインがその機種の入手からはじまり、長期間の運用中にどのようなことが起こるのか、最後に中古機市場に売却するときはどうであろうか、といった事柄を知らなければならない。このようなことは、経済学ばかりではなく、広く社会科学にまで及ぶので、一般的にはLiberal Artsと呼ぶことができるであろう。そこでは、Liberal ArtsとEngineeringの合体(LA&E)が求められるわけである。


天地始粛 ようやく暑さが鎮まる天地始粛 (処暑の次候で、8月28日から9月1日まで)

2013年08月26日 07時42分19秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
天地始粛 ようやく暑さが鎮まる天地始粛 (処暑の次候で、8月28日から9月1日まで)

日本各地で豪雨が続いているが、八ヶ岳は早くも秋の鰯雲が見られるようになった。赤とんぼも飛び始めて秋の訪れは早い。今年は、夏の暑さと乾燥気象のせいで、ブドウの収穫が期待できることと、富士山のにぎわいとが、地元のニュースのメインとなっている。
我が家の庭のBlue Berryも、今年は豊作だ。収穫量も大幅に増えているが、なにより大粒で甘みや酸味も強く感じる。初収穫は7月1日だったが、昨日(8月26日)の収穫量は1750gr、合計で5kgを越えたが、最盛期はまだまだ続きそうだ。


何種類かの木が乱雑に植えてあるので、色々な味が楽しめるし、収穫期間も恐ろしく長い。丈を伸ばすと小粒になり、収穫量が落ちると云う人もいるが、我が家の植物は、大略自由放任主義をとっているので、ブッシュを分け入って枝を曲げないと収穫ができない。頂上の粒は、強い日差しを受ける分、大粒で美味である。


収穫した実は、生食、冷凍、ジャム作り用に分ける。今日のジャム作りは2kgで中小の瓶で10個ほどができた。最近は空き瓶不足が続き、毎年100円ショップで大量に買い求めているのだが、これが手ごろで大変重宝をしている。

メタエンジニアリングとLA設計(3) 第2話 設計者の教育とレベルアップ

2013年08月26日 07時29分21秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第2話 設計者の教育とレベルアップ

設計の信頼性はいろいろと言われるが、私は設計者のレベルに注目している。それは、知識よりも長い間の経験の積重ねによる感性から出てきたもののように思える。そう思えるのは、Rolls Royce社、Pratt & Whitney社、General Electric社のデザイナーとの20年余に亘る航空機用の大型エンジン開発プロジェクトを通じて とことん付き合ったお陰だと思う。設計一筋その道に打ち込んできた人の設計に対する考え方は、設計図に確実に現れるもので、私も実機エンジンの設計図に1万回以上のサインを繰り返した後にそのことが実感として分かるようになったと思う。

・LA&E(Liberal Arts & Engineering)とは

英語版のGoogleでこの語を検索すると、多くの米国の大学ヤカレッジで両者を並行して教えていることが分かる。一例を紹介する。
WPI’s Liberal Arts & Engineering (LAE) degree program prepares students to take on those challenges by providing a broader base of knowledge not only in engineering, but in other disciplines as well. The LAE degree was created for the student seeking a career that demands engineering know-how, communication tools, and problem-solving skills. Our students graduate with a strong technical background, a broad appreciation of the humanities, and a critical awareness of social implications.
In fields such as medicine, law, public policy, international studies, business, and wherever a solid technical background would give them a unique edge, graduates of the WPI Liberal Arts & Engineering program will be uniquely prepared to solve the problems of the 21st Century.

Engineering (Liberal Arts) The Dual Degree Engineering Program (3-2 program) at Wheaton will allow you to combine the best of two different worlds - a rigorous Christian liberal arts training in an amazing community and a strong engineering education from one of many fully accredited engineering schools around the country. In addition, at Wheaton you will be empowered and encouraged to use your engineering knowledge to serve Christ and His Kingdom.
What are the characteristics of someone educated broadly in the liberal arts and engineering? Enjoining designing things and processes involving disparate components. Design involves creating solutions in response to state needs or problems, under a set of considerations that include cost, safety, environmental impact, ergonomics, ethical considerations, sustainability, manufacturability, and reliability. Design is not so much about the latest technology as it is about appropriate technology to meet human needs.(註1)
などである。

Worcester Polytechnic Institute

Liberal Arts & Engineering
Personalized Approach and Flexible Curriculum
Our unique program offers a liberal arts degree integrated with an engineering foundation. Focusing on personal and individualized attention, the Liberal Arts & Engineering (LAE) program encourages students to pursue innovation. The program accommodates a wide range of interests while helping students develop a coherent program of study. Dedicated faculty members and advisors will help you develop the program that’s right for you.
Freedom to Customize Your Education
The flexibility of the program allows you to follow your passions, select many of your own courses, and choose from a wide range of classes to complement your unique interests. The LAE program distributes the 15 required courses in the major more broadly than in engineering, with 9 courses in engineering and the remaining 6 in management and the liberal arts.
Program Designed for Problem-Solvers
The LAE degree was designed for students who need a practical, broad experience in engineering as well as other disciplines to take on the challenges of an interdisciplinary world. Central to the program is the intent to produce strong communicators, effective team members, and creative problem solvers.
 
日本の多くの大学では、工学を学ぶ前に一般教養課程として之に相当する教育を提供するケースが多いが、一般的に低調で工学を用いて社会に役立つ技術を設計・開発を行うための基本としての教養と云う位置づけがない。


Ohio University
Meta-Engineering + Technology

What is meta-engineering? It's about going beyond the practical application of engineering and technology. And at the Russ College, that's what our students and faculty do every day. They embrace critical thinking. They thrive on hard work and close collaboration. They're creative, able to lead and interested in the life cycle of designs. Like all meta-engineers and technologists, they're doers. But as meta-engineers, they're even more: They're dreamers who want to use their knowledge, passion, and skills to make a positive impact on the world.

・計理工哲(設計のレベルに対するマクロ的視点)

設計者のレベルには4段階あると思う。私の造語だが「計理工哲」と示す。
「計」は、計算ができる、計算づくでやる、計算結果で設計する、などだ。これでは設計とは云えず単なる計算書つくりだ。(その前に「真似る」という段階があるが、これは設計以前。)
「理」は、計算の上に理由、理解、原理、定理、公理、などを取り入れた設計。一応形にはなり、多分 性能や機能は発揮できるであろう。しかし競争力を備えた商品にはならない。
「工」は、人間が作り、人間が使うことを前提として「計」と「理」にプラスした設計。製造者にも使用者にもメリット(利益)が出るもの。通常の設計はこの段階である。CS(顧客満足)もこの範疇に入る。
「哲」は、更に哲学的な要素が加わった設計。どのようなものが人類または地球や生物に本当に良いものか。芸術的な要素もこの段階から入ってくると思われる。人工物の世界遺産などがそれにあたると思われる。

Design for constraintsと云われるものは、「計と理」の設計。これに対して、American Society for Engineering Education と National Society of Professional Engineering では、かつて「Liberal arts engineering」という言葉を使っていたが、これは「工と哲」の設計ではないだろうか。


人類の歴史の中で長く、多く使われたものの中に「哲の設計」を見ることが出来る。私は、優れた客船や建築物にそれを見ることができる。最近は自動車にもその動きがあるが、飛行機やエンジンもそろそろ哲の領域に踏み込む時期ではないだろうかとの考えをもった。Design on Liberal Arts Engineeringとは、このような背景から思い至ったものなのである。

(註1)http://www.wpi.edu/academics/lae/about.html
(註2)http://www.ohio.edu/engineering/about/meta.cfm

第1話 俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘

2013年08月23日 20時20分14秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第1話 俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘

・メタエンジニアリングで考えるとは


 メタエンジニアリングは、社団法人日本工学アカデミーの政策委員会から、2009年1月26日に「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」という「提言」(註1)で述べられたものから始まる。その要旨は、「今後重視すべき科学技術のあり方においては「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである、との考えに基づくものである。この「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける。」であった。

・俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘

 ここで問題とすべきは、「「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである」の部分であろう。そこで、今このエンジニアリングの語を「設計」(広義の設計で、計画・企画等も含む)という語に置き換えてみよう。
「俯瞰的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技術の結合あるいは収束、との命題に答える広義の設計こそが重視されるべきである」となる。まさにこれこそがせ技術者の進むべき道であると思う。
 「はじめに」で、設計のスタート時点における戦略設定の必要性を述べた。従来の設計の結果は、さしあたっての使い始めは大変に具合が良いのだが、しばらくするととんでもない欠陥が暴露されることがしばしばある。しかし、そのような問題が起きたときに、多くの場合は「設計に問題があった」と結論づけることはない。たいていの場合には、製造工程や使い方や、その後のメインテナンスに原因ありと結論づけられる傾向にある。このことは、一般にはさほど疑問視をされないが、ベテランの設計技術者の眼から見ると、明らかにおかしいことなのだ。その理由は単純である。設計が原因であるとすると、今更直しようもない。設計が原因であるということは、それまでに生産された全ての製品が駄目であるということと、同義なのである。製造工程の問題ならば、ある時期のある製造機械などに限定することができる。メインテナンスの問題ならば、対策は更に限定され、かつ易しい。しかし、製造の問題も、メインテナンスの問題も、実は設計に真の問題があることが非常に多い。例えば、笹子トンネルの天井板の崩落問題である。この部分の設計は、当時のルールで認められており、数々の検査をパスしたものであり、長期間問題なく使用されていた。しかし、あの外れたボルト部分を見れば、メインテナンスに適さないことは一目瞭然であろう。つまり、メインテイナビリティー設計が余りにも稚拙だったことを示している。

(余談)
 私が品質管理部門を担当していた時のこと、不適合の原因として所謂ヒューマンエラーが年々増加しているとのデータが示され、全体の約70%を占めるまでになっていた。しかし、それは品質管理の専門家の見方であり、設計技術者の眼で詳細に原因検討を行うと、その70%は、設計が稚拙であるために起こったエラーであるとの答えが出た。つまり、全体の約半数は、設計が原因であったと云えるのである。

「俯瞰的視点からの潜在的社会課題」と云う表現をもう少し掘り下げてみよう。通常の設計は、ある機能を果たすために行われる。その為に色々な設計条件があり、それらを満足する一つの回答が、所謂Design by Constraints であろう。之は必要条件を満たした設計と云えるのではないだろうか。しからば、必要十分条件を満たした設計と云う場合の十分条件とは何であろうか。之が、「俯瞰的視点からの潜在的社会課題」であると考える。つまり、必要条件を満たした設計に対して、潜在的社会課題が無いかどうかを俯瞰的視点から調べ直すことである。その視点は、文化人類学、生物学、文明論、哲学など通常の設計技師の頭の中にはあまり見かけないものであろう。このような視点で行われる必要十分な設計を、Design on Liberal Arts Engineeringと呼ぼうと考えている。現代社会が望むものが、本当に人類の持続的文明の発展に寄与することができるのだろうか、潜在的な問題が潜んでいないのだろうか、と云った問いは、現代社会の中に既に無数に存在するように思われる。
 最も端的な例が原子力発電所である。各地の発電所は所定の設計条件を満たし、建設された。つまり、必要条件は満たしている。しかし、使用済核燃料の廃棄サイクルが決まっていない。これは、十分条件を満たしていないことになる。このような設計例は現在世界中に充満している。グローバル社会時代の設計は、大規模かつ瞬く間に世界中に広がってしまう。このような環境下での設計は、必要十分条件を満たす設計でなければならないであろう。

(註1)http://www.eaj.or.jp/proposal/teigen20091126_konponteki_engineering.pdf

メタエンジニアリングとリベラルアーツ設計;はじめに

2013年08月23日 20時11分39秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
はじめに

これは、私自身の40年間にわたる設計技師としての経験と、その後に出会ったメタエンジニアリング(根本的エンジニアリングとも云われている)という技術論の研究の末に得られた知識を基に、今後の正しい設計のあり方について考え、纏めたものである。

私は、設計技術者としての40年間の大部分を民間航空機用エンジンの国際共同開発の事業とともに過ごした。国際プロジェクトを長年続けて先ず思うことは、設計に対する概念の違いである。即ち、設計という行為をある目的を達成するための、戦略と見るか戦術と見るかである。勿論、最終的には目的達成のための戦術と戦闘になるのだが、出発点をどこに置くかである。日本人的発想は、ある新しいものを想定してそれをイメージするところから始まる。即ちWhatとHowである。一方で、近代技術による設計の歴史の古い西欧人の設計は、Whyから始まる。「何故、今我々はこの設計を始めるのだろうか」といった問いから、スタートの時期と目標が定まってゆくのだ。従って、具体的にはP.L.(Program Launch)のタイミングが重要な転換点となるのだが、日本の場合は、このことがひどく曖昧である。しかし、一旦スタートをすると、全速力でまっしぐらに突入して、早く成果を上げることができる。一方で、スタートが曖昧なので、途中での方向転換などが旨くできない。

一方で、ここ数年の間に発生した多くの大事故で常に思い当たることがある。それは、第1に規制や規則で設計上の安全が保たれることは絶対に無いと云うことである。設計は何百万~何億の選択と決定の結果(註1)であり、その全てを規定することは不可能である。そして、何百万~何億の選択と決定の中で、安全性や信頼性に関する事項はおよそ20~30%くらいの事例が多いと思うからである。第2はそのシステムなり機械の設計者は本当に全ての環境と事象を理解して設計をしたのであろうか、という疑問である。多くの技術は西欧でオリジナルを生じている。原発もそのひとつである。そこから何十回~何百回の改善を経て、その時々の設計に至るわけなのだが、その間には多くの知見が盛り込まれてゆく。それらは、ある環境条件では正しいが、他の環境条件では正しくないといった技術が多く含まれているし、新たな知見を導入する必要性も多分に存在する。Design on Liberal Arts Engineeringの発想は、この国際共同開発での実地経験と、最近頻発する大きな事故の原因究明の甘さに接したときに、現代の設計に対する根本的な不足感を痛切に感じ始めたところにある。

当初の戦略が曖昧であることは、何に起因しているのであろうか。第1に考えられるのは、戦術と戦闘への自信であると考える。その自信こそが、戦略を軽視する技術者を育ててしまったのだと思う。しかし、この生き方は日露戦争や太平洋戦争の歴史が示すように、初めは良いのだが最終結果は惨めなことになる確率が高い。戦略において敗れるという認識は、終わってみて分かることであることが多いことも、特徴であろう。
第2に考えられる原因は、専門性に固執する日本独特の文化であろう。日本では老舗が評価されるが、韓国では全く評価されないと聞いた。親の職業を継ぐのではなく、それを土台にしてより高級な職業に就くことが評価されるそうである。欧米の技術者も、この道一筋よりは、さまざまな職業を渡り歩く方が評価は高まる。一方で、我が国の多くの大企業では、いまだに終身雇用制が保たれている。

最近の米国の大学では、工学と同時にリベラルアーツを教える傾向が強まったと伝えられている。日本でのリベラルアーツは、大学入学後の一般教養課程を指す場合が多いのだが、次第に軽視されつつある。それには、人文・社会科学はもちろんだが、自然科学も含まれる。語源は古代ギリシャだが、古代ローマで市民教育として大々的に行われたそうだ。通常は、自由七科(註2)とその上位概念の哲学がセットで考えられている。つまり、リベラルアーツはものごとの根本である哲学を考えるための基礎学問になっていたわけである。そして、古代ローマ時代のArtsとは、ラテン語の技術そのものであった。
 私は、メタエンジニアリングの基本もこの自由七科+哲学であるとの考えを持っている。なぜそのように思うことになったかを説明しよう。それは、現代のイノベーションのスピードが益々速くなったことと、人間社会に及ぼす影響が益々大きくなってきたことに密接に関係する。私の小学校時代にラジオからテレビへのシフトが始まった。しかし、所謂テレビ中毒が話題になるまでには数十年を要した。1980年代にワープロからパソコンへのシフトが始まったが、完全移行には十数年を要した。現代の携帯からスマートフォンへのシフトは、わずか半年で主流交代である。そして、そのシフトは世界同時進行で起こってしまう。
 この様な状況下で、イノベーションの発信母体が自然科学とか社会科学の一分野のみに限定されていると、どういうことになるだろうか。イノベーションの母体は、その正の機能のみを強烈に宣伝する。しかし、全てのイノベーションには負の部分が存在する。従来のイノベーションは、徐々に広がるので、負の部分の研究は別の専門分野によってかなり後から進められたのだが、もはやそのようなスピードでは負の遺産が手遅れになるほどに広がってしまう。

 そこで、イノベーションと同時にメタエンジニアリング的に、潜在する問題の探究も始めなければならないと云う状況が生じている。そしてそれは、リベラルアーツの全ての分野で同時進行的に行われるべきであろう。このようなことは、随分と以前から「学際」とか、「連携」とか、「俯瞰的」という言葉のもとに行われてきた。しかし、それらの多くの分野で今回の東日本大災害の教訓として結論づけられたことは、その活動が不完全だったと云うことだった。
 この問題を、設計という分野で少し掘り下げてみよう。福島第1原発の事故も、笹子トンネルの天井板の崩落の事故も、共通の原因が見えてくる。それは、Design by Constraintsという設計だ。設計のための手法があり、マニュアルがあり、遵守すべき法律や規則が存在する。それら全てクリアーした設計を、正しい設計とする考え方である。しかし、そこには根本的な落とし穴が常に存在する。そして、そのことは現地・現物の設計に長く携わったものだけが容易に気がつくものなのである。

(註1)たった一つのサイコロを設計することを考えてみよう。一体幾つの選択と決定をしなければならないであろうか。答えは、千以上である。一つのサイコロを設計するには、材質と寸法を決める必要がある。サイコロの全ての面を削り出すと仮定してみよう。面の数は、6平面+12稜線の円筒面+8頂天の球面+6種類のサイの眼大きさ+その平面との角の丸み21か所=53
    即ち、53個の面に対してその全ての属性を決める必要がある。一つの面を定義するには、おおよそ20から30の条件を決める必要がある。材質(硬さ、強度、伸び、脆性、耐何々性など)、寸法(外形、公差、真円度、直角度、同芯度など)、表面状態(粗さ、仕上げ、波うち、傷、硬化など特殊処理など)、すべての条件の許容限度、加工と検査方法など、挙げると大体それぐらいの数になる。この数の面の数を掛け合わせると、1000から1500になる。設計者は、設計にあたって これらを全て満足する一つの回答を見出し、一つの部品が設計できる。サイコロは一見単純な形であるが、その重心を正確に中心位置に定め、かつ全ての方向の回転モーメントところがり摩擦を等しくしないと、正しいサイコロとは云えないであろう。しかし、これだけでは、必要条件ののみを満足した設計である。必要十分条件を満たすためには、一つの製品としての、安全性、調達性、製造コスト、廃棄の際の環境問題などなどがある。
     一つの部品でこのような数字なので、部品数を掛ければ、数百万~数億になってしまう。

(註2)自由七科原義は「人を自由にする学問」、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくもののことであり、起源は、古代ギリシャにまで遡る。おもに言語にかかわる3科目の「三学」(トリウィウム、trivium)とおもに数学に関わる4科目の「四科」(クワードリウィウム、quadrivium)の2つに分けられる。それぞれの内訳は、三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。(Wikipediaより)


綿柎開 綿を包む咢(がく)が開く(処暑の初候で、8月23日から27日まで)

2013年08月19日 14時31分07秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
綿柎開 綿を包む咢(がく)が開く(処暑の初候で、8月23日から27日まで)

綿花ではないが、この季節にはムクゲの花が満開になる。高校時代からの友人が、定年後に韓国語の勉強を始めて、今朝成果のご披露があった。その中で、ムクゲ(韓国での呼び名は、無窮花でムグンファまたは、ムギュウゲ)が韓国の国花だと知った。どうもこれが和名の元らしい。


満開の間は木(通常は4mくらいだが、手入れをしないと10mにもなる)全体が花で覆われるので、日本のソメイヨシノを連想させる。木の下には、散った花がびっしりと散らばるところも似ている。

夕方には全てがしぼむので一日花と思うと、こんな話がWikipediaにあった。
「白居易の詩の一節は「槿花一日自成栄」(槿花は一日で自から栄を成す; 仏法があっというまにひろがったことを指す)であって、「槿花一日の栄」ではない。韓国の国花で、国章にも意匠化されており、ホテルの格付けなどの星の代わりにも使用されている。 古くは崔致遠「謝不許北国居上表」に、9世紀末の新羅が自らを「槿花郷」(=むくげの国)と呼んでいたことが見える。」
なるほど、白居易すら間違えるのだが、実際はしぼんでもまた翌朝開き、2~3日はもつのだそうだ。ソメイヨシノよりは、かなりしぶといようだ。我が家のムクゲは、白と薄紫なのだが、毎年新芽があちこちから出て、あっという間に成長してしまう。韓国が、国の繁栄を意図してこの花を選んだ所以のひとつかもしれない。

春の花が散り、秋の花が開く合間に、長期間楽しませてくれるので、庭木には良いと思う。

秋の七草は、万葉集の山上億良の歌に始まるといわれている。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」

春の七草が、七草がゆに象徴される食を楽しむもので、秋の七草は見ることを楽しむものと言われている。「尾花」とは、ススキの穂が出ている時の呼び名だそうで、動物の尻尾をイメージして名付けられた。七草に関する逸話や伝説は山ほどにあるが、謎めいているのが朝貌であろう。今の朝顔が秋に該当するわけはないので、ムクゲとの説があるようだ。ムクゲの花が早朝に一斉に咲く姿は、今の朝顔顔負けである。

涼風至 (立秋の初候で、8月7日から12日まで)

2013年08月17日 16時37分57秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
十日ぶりに山に戻りました。東京を出た時は36℃、こちらは24℃。明けて今朝の外気温は20℃。正に涼風至(涼しい風が立ち始める)です。
朝刊を買いに少し山を下ります。300mほど下ったところに、「八ヶ岳リードオルガン美術館」があります。何度も前を通っているのですが、入ったことはありませんでした。
#
美術館(といっても、普通のログハウス)全景です。

帰り道に、チラシが置いてあるのが眼に入り、今日と明日は滝廉太郎の作品をバリトンとソプラノで唄う会があると書いてあります。
そこで、午後3時から出かけてきました。驚いたことに、オルガンの説明役はご主人(明日は、オルガン演奏役)、その娘さんは今日のオルガン演奏で、あすのソプラノ歌手、その息子さんが今日のバリトン歌手でした。庭は、別荘地の4区画分くらいで広く、山野草が自由自在に茂っています。


丸ログの室内には、古いオルガンが約15台ほど、明治時代の日本最古の製品は、恐らくここだけにしかないとの説明でした。

ログハウスの中で、プロ(まだ、音大の2年生だそうですが)のバリトンを眼の前で聞くのは迫力がありますし、音響効果も抜群でした。

前半は、滝廉太郎の作詞の9曲。その中に、私が幼稚園時代の帰りに毎日唄わされた「さよなら」があったのには、驚きました。
「今日のけいこもすみました。みなつれだってかえりませう、・・・」
荒城の月の豊後竹田の銘菓と甲州の葡萄のお茶の後は、歌曲を5曲。ウェルヂィーやモーツアルトでした。

喧騒と、暑さを忘れた楽しいひと時でした。

番外;なぜ、今「メタエンジニアリング」なのか(今後の展開の方向)

2013年08月12日 13時58分46秒 | メタエンジニアリングのすすめ
 このシリーズは、初めから超堅い話になってしまいました。これは、仕方がないことだったのですが、エンジニアの宿命とあきらめています。それを、ダジャレや何かではなく、論理的にどうやって面白くしてゆくかが、エンジニアの仕事(機能)の一つだと思っています。エンジニアの仕事は、芸術家と全く同じで純粋な創造です。ですから、面白くないと、良いものはできません。そこで、先へ進む前に、なぜ、今「メタエンジニアリング」なのかを、纏めてみました。

 メタエンジニアリングの研究の当初は「持続的イノベーションの促進方法」についてでしたが、次第により根本的に考え始めることに興味を覚えるようになりました。考えてみると、現代生活の身の回りの文明的なものは、全て過去のイノベーションの結果です。テレビやインターネットなどの通信機器やシステム、自動車・鉄道・航空機などの輸送・交通手段、全ての家電製品などなど。これらは全て、発明当初はイノベーションの一つであったものが、現代に至るまで、その持続性を示し続け発展をしてきたものです。この様に、長期間にわたって持続性を保ち続けたイノベーションは、「文明」となるのです。

 このことを、逆に「文明」から辿ると、文明の元である優れた文化の中で、あるイノベーションが人類社会に広く受け入れられ、持続的に発展してゆく、という過程が分かる。その過程で、現実社会に大きく寄与する力がエンジニアリングであろう。18世紀から20世紀にかけて、人類の文明はこの力により、大きな発展を遂げることができた。しかし、昨今の状況はこの連続性に疑問が投げかけられるようになった。多くの公害の発生や地球環境の悪化等が止められないこと、大災害や反乱・テロ(これらもエンジニアリングの成果を用いている)などが繰り返されることなどが、その主たる原因であろう。このように考えてゆくと、現代のエンジニアリングには、何か足りないものがあるのではないか、その大もとは何なのかとの疑問が湧いてくる。
 古代ギリシャでは、多くの科学が驚異的な発展をした。その中では、現在でも有名な多くの自然学者、科学者や哲学者が活躍をした。その状況は、今日と良く似ている。そして、古代ギリシャの場合には、最終的にアリストテレスにより当時の自然学(Physica)を包括し、その根本を探るものとして、形而上学が始められた。英語名は、Meta-Physicsである。そして、この形而上学は中世まで続き、新たな自然科学の時代への引き継ぎの役目を果たした。そこで、エンジニアリングの根本を探るものとしての、「メタエンジニアリング」との発想に行きついたわけである。定義さえもまだ曖昧であるが、この基本的な考え方で、現代文明とエンジニアリングの係わりを探ってゆきたいと思う。

 1980年代の後半から、私は最新型の民間航空機Being777のエンジンの国際共同開発に日本側のChief Engineerとして参加した。このエンジンは推力が世界最大で,効率を高める為にバイパス比(即ち直径)を当時の技術の限界値に選んだ。米国の主幹企業はこの分野では世界一を長年保ってきた最先端企業であった。従って、設計マニュアルも完備されており、全ての設計はそのマニュアルに即して行われ始めた。しかし、そのような設計仕様の全てを満足する設計解は、従来からのマニュアルに定められた様々な規程値では、得ることができないことは自明であった。
 そのような事態に会って、日本の技術者は(最新の工学に基づく)様々な制限値を提案したが、彼らにマニュアルを変更する権限も能力も不足しているように思われた。それは、マニュアルを作った世代と、彼らから直接指導を受けた世代が、既にリタイヤなどをして現場から離れて行ってしまったからであろう。多くのマニュアルは、WhatとHowは記述されるが、Whyまで記述する例は少ない。この事態を私は、「マニュアル第3世代問題」と名付けた。
 このような問題点を抱えたまま現役を引退した私は、直後に福島原発や笹後トンネルなどの重大事故の原因究明と再発防止策に大きな疑問を覚えた。それは、現在の工学が余りにも専門化が進み、一方で融合や連携が叫ばれているのだが、その動きの設計や開発現場への適応が余りにも不充分ではないかと云った考えであった。事故を起こしたハードは、大変に古いものであった。当時の設計基準や規程類の全てを満足するものであったと思われる。そこには、Design by Constrainsという考え方が見られる。しかし、その考えに基づく設計は長期間の使用に耐えることはできない。そこで筆者は、Design on Liberal Arts Engineeringという考え方を提案した。現場での設計の経験から得た私の結論は、「設計は理論が半分、経験が半分」と云うことである。Design by Constrainsでは理論は満足するのだが、それは専門領域に限られる。経験を実際の設計に取り込むためには、Liberal Artsの諸分野をEngineering的に理解することが必要になるであろう。
 現代の工学教育、特にエンジニアリングに関しては専門化が新たな知見を次々に生じさせることができる。しかし、そのことだけでは上記の問題をクリアーすることはできないであろう。そこで、より広義のメタエンジニアリングという考え方をじっくりと考えてみてはいかがなものであろうか。
 
このような背景で、この「メタエンジニアリングのすすめ」を始めることにしました。進むべき方向は、半老人のスピードで歩きながら考えてゆきますが、次のようなテーマを考えています。
・科学・メタエンジニアリング・工学
・メタエンジニアリングによる文化の文明化
・メタエンジニアリング技術者の役割と資質
・ Design on Liberal Arts Engineering
・メタエンジニアリングで考える環境問題

その場考学半老人 妄言より。

第2話 根本的エンジニアリングの定義

2013年08月11日 08時07分53秒 | メタエンジニアリングのすすめ
第2話 根本的エンジニアリングの定義

 それでは根本的エンジニアリングというものの定義はどのようなものであろうか。(社)日本工学アカデミー(1) の「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」(2 )では、次のように述べられている。

 根本的エンジニアリングを、「様々な顕在化した或いは潜在的な課題を抱える地球社会及び各分野が個々にあるいは複合的に活動する科学・技術分野を俯瞰.的にとらえ、個々の科学技術分野の追究・及融合、あるいは社会価値の創出ばかりでなく、地球社会において解決すべき課題の発見、そしてより的確な次の社会価値創出へとつながるプロセスを、動的且つスパイラルに推進していくエンジニアリングの概念」として定義する。すなわち、21 世紀の地球社会の課題を解決し、且つ持続性ある地球社会のための社会価値創出(イノベーション)の実現を目指すための、従来の工学を超えたエンジニアリング概念が、「根本的エンジニアリング」である。
 この概念を次の図に示す。すなわち、「根本的エンジニアリング」という技術概念は、欧米などで提唱されている「Converging Technology 」(以下、CT という)が示唆する「研究分野や技術の融合によって新規に創出する社会価値の実装」(図の①の部分)だけでなく、地球社会において解決すべき潜在課題の発見、そこで必要となる技術の特定や育成、そして、さらにその技術や分野の新たな融合とより的確な社会価値創出へとつなげていくプロセスの全体、すなわち図の①~④のサイクル全ての活動を主体とするものである。

 (社)日本工学アカデミーの「提言」では、そこに至る背景が説明されている。話が前後してしまうが、その部分を再び引用させて頂く。
第一章. 本提言の背景
 今後の科学技術分野の捉え方として、“Converging Technology(以下、CT)“が注目されているが、この定義は、米国やEU、その他の国々により様々になされている。
米国では、バイオ、ナノ、情報通信、認知科学の4つの分野(NBIC)を取り上げ、知の融合を促進する技術としての研究開発戦略を推進している。一方、欧州連合においては「今後の欧州連合に於ける社会課題を技術や知識によって解決する可能性を提示する技術または知識の体系」との幅広い定義を行ない、CTの重要性を科学技術政策において明確に打ち出し、具体的な重点投資を開始している。また韓国では「将来の経済・社会課題を解決することを目的とした、分野や技術を融合した革新的新技術」としている。
一方わが国では、第三期科学技術基本計画において、イノヴェーションの源泉となる知識創出のための基礎研究推進などによる「科学技術の戦略的重点化」と同時に、人材育成やつなぐ仕組みによるイノヴェーション創出システムの強化、地域イノベーション・システム構築などの「科学技術システム改革」が謳われ、ここ数年、知を俯瞰的に捉える方向性が見られている。「知の統合」や「社会技術」を重視している点で、上記各国が言うところのCTと類似した視点からの分析や検討がなされてきていると言える。
しかるに、近年わが国において、社会課題の解決につながる根源的なイノヴェーションが生じていたかの疑問がある。米国においては、情報通信分野においては、クラウド・コンピューティング、エネルギー分野においてはスマートグリッド、情報家電におけるiPod などがイノヴェーションとして登場してきている。わが国からの大きな発信が生まれないのはなぜであろうか。以上が、日本工学アカデミーからの提言の概要である。

・根本的エンジニアリングの二つの場
 根本的エンジニアリングは工学的な発想を、従来以上の範囲に広げて行こうという運動であろう。その方向については二つの考え方がある。即ち、その活動の場を将来に置くか、過去に置くかである。根本的エンジニアリングは多くの場合、将来を向いている。それは(社)日本工学アカデミーの提言に示されているように、当初の発想が「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱~ 」として、「日本社会にとって人類の生存と地球環境の維持のために科学技術を用いたイノヴェーションこそが必要であり、日本が世界の先頭に立ってそれを実現するための提言を行う。」としている。そして、新たなイノヴェーションとその持続のための方法論として展開している。
 しかし、その一方で提言は、「第二章 本提言の目的」において、「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける。」という定義を述べている。この「根源的に捉え直す」とは、明らかに現在を起点とする過去の場においてであろう。この二つの方向性は明らかに異なった方向へ発展せざるをえないだろう。
 このことは、今後の活動によって実証されることになろうが、双方ともに着実な進展を期待したい。なぜならば、目的はあくまでも「社会への実装」であるのだから。


・根本的エンジニアリングと第4の価値
 根本的エンジニアリングは、従来「戦術」に強く、「戦略」に弱い日本人の生き方を大きく変えるために役立てることができると思う。なぜ日本の成長が止まったか、なぜ製造業への投資が減ったか、なぜ技術開発では勝てるのに世界的なシェアー争いでは勝てないのか。このような議論を進めてゆくと、全て「戦略における幅広いコンセンサスの無いままに、個別の戦術に走る」に行きつくのではないだろうか。従来は、このお陰で高度成長を果たしたのだが、グローバル化と持続性社会化の中では必然的に旨く廻らなくなる。

北澤宏一氏(元独立行政法人科学技術振興機構 Japan Science and Technology Agency 3理事長 現在同顧問)4 は、著書「科学技術
は日本を救うのか」5 の中で、「第4の価値」を追求すべき、と述べている。第1次、2次、3次産業に対して、「社会的・精神的価値」を示したものであり「第3次産業までが創り出す価値とは、個人の欲求を満たすもので、大きなビジョンは無くても実現できるような価値」であり、「新しい第4の価値は、これまで個人では実現しにくかった 大きなビジョンの下で初めて実現できる夢」と述べている。
実例として(1)􀀁ドイツの「電力固定価格買取り制度」による太陽電池産業の急成長(2)􀀁米国の投資会社の社会貢献活動としての再生可能エネルギーファンドの創設などを挙げている。
これらは、「第4の価値」を「経済的にペイすることに変換すること」に成功した例である。即ち、法律や制度を改めるだけで、新たな予算は皆無で第4の価値の創成を遂げることができた例であった。「大きなビジョンの下で初めて実現できる価値の創造」とは、戦術ではなく戦略である。そして、それは「社会的・精神的価値」の増加を目的とする。このことは、根本的エンジニアリングにぴったりの命題である。根本的エンジニアリングを用いて、新たな「社会的・精神的価値」のあるもの・ことを、「経済的にペイすることに変換すること」、そしてその為の「ドライバーの発見」は先の図に示されたプロセスにとっての大きな分野の課題である。


・(社)日本工学アカデミーの根本的エンジニアリング作業部会における定義
 このシリーズは、(社)日本工学アカデミーの根本的エンジニアリング作業部会の成果に多くを負っている。この作業部会でも、定義の追加が行われた。それは、先の図への補強である。そこでは、先の図に示された4 つの手順を、スパイラル上に組み合わせたプロセスを提案することになった。その4つの手順がマイニング(Mining)、エクスプローリング(Exploring)、コンバージング(Converging)、インプリメンティング(Implementing)であり、全体を総称してMECI(メッキー)、あるいはMECI プロセスと呼ぶ。それぞれを次のように定義することとした。



Mining:
地球社会が抱える様々な顕在化した、あるいは潜在的な課題やニーズを、問い直すことにより見出すプロセス
Exploring:
こうした課題を解決するに必要な科学・技術分野とを俯瞰的にとらえる、あるいは創出するプロセス
Converging;
課題解決への必要性に応じ、多様な科学・技術分野等の融合や、新しいアプローチ法との組み合わせを進めるプロセス
Implementing:
新たな科学・技術を社会に適用、実装しそれにより新たな社会価値を創出する。その過程で、次の潜在的な課題を探すプロセス。
MECI プロセスの実践、実践を容易にする場の実現が、ブレイクスルー型イノヴェーションの継続的創出に有効であるとの考え方に依るものである。


1 http://www.eaj.or.jp/
2 www.eaj.or.jp/proposal/teigen20091126_konponteki_engineering.pdf
3 http://www.jst.go.jp/gaiyou.html
4 http://sangakukan.jp/journal/center_contents/author_profile/kitazawa-k.html
5 発行 ディスカバー・トゥエンティ 発売 2010 年4 月15 日

第1話 メタエンジニアリングこと始め

2013年08月09日 14時46分26秒 | メタエンジニアリングのすすめ
第1話 メタエンジニアリングこと始め

 新しいエンジニアリングとして「メタエンジニアリング」について紹介を始めようと思う。

①現代の日本のエンジニアリングは、人間社会の持続的発展と幸福のためにこのままの進化を続けることだけで良いのだろうか?
②いや、もっと単純に日本発のイノベーションがなかなか育たないのは何故だろうか?
③先端科学や、先端技術はどんどん進んでゆくのだが、肝心の社会科学や人文科学とは次第に距離が離れてゆくのではないだろうか?

などなど、現代のエンジニアリングというものに注目をすると、かなり心配な心持になってしまう。

 そんな時に、社団法人日本工学アカデミー という団体の政策委員会から、2009年11月26日に「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~ 根本的エンジニアリングの提唱 ~」 という「提言」が出された。ご理解を得るために、少し長文になるが、その中味を原文のまま紹介しよう。

Executive Summary
 日本社会にとって重視すべき科学技術分野を検討するということは、科学技術創造立国の視点から日本社会が現在抱えており、また将来抱えるだろう多様な課題にいかに科学技術で立ち向かうか、の戦略を再考する事に他ならない。
日本社会にとって人類の生存と地球環境の維持のために科学技術を用いたイノベーションこそが必要であり、日本が世界の先頭に立ってそれを実現するための提言を行う。
本提言は、今後重視すべき科学技術のあり方においては「俯瞰(ふかん)的視点からの潜在的社会課題の発掘と科学技、術の結合あるいは収束」との命題に答える広義のエンジニアリングこそが重視されるべきである、との考えに基づくものである。この「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta Engineering と表現)』と名付ける。顕在化した課題に対する科学技術の適応にとどまらない、根源的なイノベーションを推し進めたい。また、顕在化された課題に対して科学技術を融合する点にのみ焦点を当てたアプローチとは広がりを異にする。この根本的エンジニアリングの技術概念を深化させ体系化する研究を強力に推進し、かつ根本的エンジニアリングを具体的に実践する場の設定が必要であり、そのためには活動主体として公(国および地方)と民、産官学を包含する国レベルの政策としての展開が必要である。
第四期科学技術基本計画等において根本的エンジニアリングを強力に推進することを提唱する。

 つまり「社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を研究し、実践してみようという試みなのだ。その後、この対案の具体化のために専門部会が設立され、筆者はその一員として参加をすることになった。

 この部会での議論は様々で、まだ一つのきちんとした方向や、ましてやそれに沿った具体的な活動による成果は現れてはいない。しかし、それだからこそこの様な段階でその一部を公表して、その方向性を明確にしてゆくことが「社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」にとっては相応しいのではないかと思いつつ、このお話を始めてみることにした。

 私が第1に注目をしたのは、むしろMeta Engineeringという英語名の方だった。古代ギリシャの哲学者のアリストテレスが提唱した「現実を超えた概念的なもの」を追求することは「形而上学」、英語では「Metaphysics」と呼ばれるが、ギリシャ語では「Meta physica」である。これはアリストテレスが現代の自然科学で言えば数学、天文学、生物学、気象学などの領域(即ち、自然学;Physica)を極めた後に、さらなる大本(おおもと)のものを見出すために到達した領域と云うことで名付けられた。即ち「Meta」はここでは「後で」を意味する。

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、様々な自然学や科学者の倫理などを追求した後に、その根本を追求するための学問であるMeta Physics(形而上学)を始めた。
このことは、メタエンジニアリングが様々なエンジニアリング(工学や技術)を追求した後で追求されるべきエンジニアリングであると主張していることと符合する。


 20世紀の最大の哲学者といわれているハイデッガー は「存在と時間」で有名だが、後に技術についての論文を発表した。その中身は、「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」 というものだ。確かに20世紀以降急激に技術(工学ともいえる)が発展し、世の中は便利になり、経済的に潤(うるお)った。先進国と途上国の定義も技術レベルの差異が基本になっていると思う。しかし、同時に公害や地球温暖化や大規模なテロ(ハイデッガーの時代は、ナチスドイツであった)なども、すべて技術の産物である。その意味でハイデッガーの技術論は正しかった。技術が全てを凌駕することになってしまったのである。そして、技術の実行は常に良い面と悪い面を持つ、本来は中立的なものだが一般には良い面が強調されて進んでしまう。

 根本的エンジニアリングのスタートは「潜在する課題の発見」である。このことは、さらに良い面を強くする課題もあるが、一般に見えていない悪い面の課題を発見することにも用いるべきであろう。その意味での「Meta-Engineering」は、現代の「Engineeringの後から現れるべきもの」であり、これからの文明の行く末にきっと役立つことであろう。そんな期待が膨らんでくる。「すべてが技術化してしまうこの時代の根本にあるもの、その正体を見極めようというのがハイデッガーの思索の最大の課題なのである。」との解釈をした本もある。


ハイデッガーは、その「技術への問い」 の中では、問題提起のみで一切の解答を与えていない。もし、メタエンジニアリングがその正体に少しでも近づけるのであれば、素晴らしいことではないだろうか。