生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(193)万能型ワクチン

2021年10月25日 07時29分46秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(193)                                                         
様々なメタ 57 理学系のメタ 8

TITLE: 万能型ワクチン

書籍名;「万能型ワクチンの開発でコロナ完封を目指す」[2021]
著者;アダム・ビョーレ  発行所;Newsweek 発行日;2021.6.8
初回作成日;2021.10.25 最終改定日; 
 このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です

 日本におけるCovit-19に対するワクチンの開発が、いかに諸外国に対して遅れているかの原因は、会社の規模、使用後に想定されるクレームや副反応に対する 裁判等の事例におびえている、など様々な理由が云われている。しかし、Newsweekのある記事を読んで、これらはまったく見当違いの理由付けであることが分かった。それは、戦略の有無の違いであった。
 
 その記事とは表記のもので、副題は「あらゆるコロナウイルスに有効なユニバーサルワクチンで次のパンデミックに備える」である。
 記事は、次の文から始まっている、『バーニー・グレアムとジェイソン・マクレランが率いる研究チームは2020年1月、週末の休みを1回だけ返上して、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のワクチンを設計した。』(p.28)だ。勿論Cov-19ではないのだが、この文章が意味することは大きい。なにせ、「1回の週末で設計が完了する」のである。そして、それが可能な「常設の研究チーム」の存在もある、筆者は、これを基にファイザー他の各社で開発されたワクチンを「前代未聞のワープスピード」と評している。
 
 昨年1月に中国から新型コロナウイルスのゲノム情報が発表されると、彼らは、それに対応するワクチンを設計し、モデルナ社に送った。つまり、米国内で患者が発生する前に、ワクチンの製造が始まっていた。
 何故、そのようなことが起こったのか。それはSARS(重症急性呼吸器症候群)に遡る。

 国立感染症研究所のHPには、次の記載がある.
『中国南部の広東省を起源とした重症な非定型性肺炎の世界的規模の集団発生が、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)の呼称で報告され、これが新型のコロナウイルスが原因であることが突き止められた。わが国においては、同年4月に新感染症に、ウイルス が特定された6月に指定感染症に指定され、2003年11月5日より感染症法の改正に伴い、第一類感染症としての報告が義務づけられるようになった。前回の集団発生は2002年11月16日の中国の症例に始まり、台湾の症例を最後に、2003年7月5日にWHOによって終息宣言が出されたが、32の地域と 国にわたり8,000人を超える症例が報告された。』
 
 続いて、MERSが発生した。『中東呼吸器症候群(MERS)は、平成24年9月以降、サウジアラビアやアラブ首長国連邦など中東地域で広く発生している重症呼吸器感染症です。また、その地域を旅行などで訪問した人が、帰国してから発症するケースも多数報告されています。元々基礎疾患のある人や高齢者で重症化しやすい傾向があります。』(厚生省のHPより)
 この二人は、この時にワクチンの設計を終えて臨床試験に臨んだが、その間にMERSは終息してしまった。つまり、このシステムではパンデミックには間に合わないことを知った。これらは全てコロナウイルスの仕業であり、今回は3度目になっている。

 『ヒトに感染することが分かっている病原性のウイルスは分類学上の「科」のレベルで26を数え、コロナウイルス科はその一つにすぎない。』(p.29)とある。これを霊長類の「ヒト科」と比べると、ヒト科の筆頭はオランウータンで、ホモサピエンスなどの所謂ヒトは、その下の分類の「ヒト属」になる。つまり、様々なコロナウイルスは、何々サピエンスと同等の生物の種類になる。これらに共通する薬は想像に難くない。
 そこで彼らは、「新たに出現したコロナウイルスにも使える万能ワクチン」を目指して研究を始めた。

 しかし、その開発は容易ではない。そこで取り掛かった具体策は『病原性のウイルスを26の科からそれぞれ代表的なものを少なくとも1つ選び、ワクチンのプロトタイプ(原型)を作っておくとともに、ワクチン製造に必要な原料を備蓄する』(p.30)ことだった。
 このような具体策と並行して、この月刊誌が出た時点で、米国立衛生研究所はユニバーサルワクチンの研究を重点研究として、10億ドルの資金を用意して、さらに民間の財団も支援に乗り出したとある。
 果たして、日本の政府と感染症学会は、このような過去の動きを、どのよう人捉えているのであろうか。
 日本人は、一般的に戦術には長けているが、戦略にはめっぽう弱い。その代表事例ではないだろうか。

 

八ヶ岳南麓の20年前と今 ルリタテハの蛹 (2021)

2021年10月24日 07時50分00秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓の20年前と今(2009 – 2020 – 2021)
霜降(10月23日から11月6日ころまで)

ルリタテハの蛹 (2021)
 私が投稿しているブログは、ご親切に1年前の投稿記事をメールで知らせてくれる。最近は、「あれ、こんなことを書いたっけ」と思うことしきりなのだが、この記事もそうだった。

秋の七草(H21からR2)
秋の七草は、万葉集の山上億良の歌に始まるといわれている。
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花、萩の花 尾花葛花 撫子の花、女郎花 また藤袴 朝貌の花。
 春の七草は、七草がゆに象徴される食を楽しむものであり、秋の七草は見ることを楽しむものとも言われる。
「尾花」とは、ススキの穂が出ている時の呼び名だそうで、動物の尻尾のイメージとか。



この花々は、風のために庭で倒れたものを集めた。ホトトギスは東京ではとっくに終っているが、こちらでは今が盛りだ。東京よりも葉の茂り方が良い。昨年は、烏山の庭に瑠璃タテハが卵を産んでいった。瑠璃タテハの幼虫は食欲旺盛で、一匹で2本分の葉を平らげてしまう。この幼虫はこの葉っぱしか食べないので、食べ尽くすと大変なことになる。昨年は危機だった。八ヶ岳では、葉は見事に茂るのだが、瑠璃タテハはついぞ見かけたことがない。第一、あの超グロテスクなとげとげの芋虫はこの辺りの景色には似合わないと思う。

 あれから十数年、ルリタテハは一向に現れないが、ホトトギスは健在で、今年も世田谷の我が家の庭で咲き誇っている。以前に比べて、開花時期は少し遅くなっているようだ。



2021年では、
 
 しかし、何故か今年の世田谷の庭には、このルリタテハの幼虫が現れた。十数匹が元気に育っていた。そのことは10月5日に写真を投稿した。そして、現状はこうである。ホトトギスの葉っぱは、見事に食べ尽くされている。しかし、蛹はどこを探しても見当たらない。このことはいつものことで、蛹は全く身動きができないので、とてつもない保護色で、簡単には見つからないのだ。




ルリタテハの幼虫に食べつくされた東側と、全く食べられなかった南側のホトトギスの現状
何故か、昼間陽の当たらない東側だけに集中している。

 今朝の朝刊のコラムに蛹の話が出ていた。都心の大通り沿いの自動扉に蛹がくっついていて、注意を促す張り紙がある、で始まっている。そして『蝶の幼虫と成虫は姿も生息環境も餌も異なり、その中間段階を蛹という。就職活動にせわしい若者も、学生と社会人に挟まれた蛹のような存在である。』(読売新聞2021.10.24)とあった。


メタエンジニアの眼シリーズ(190)民主主義からの逃走

2021年10月16日 07時20分35秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(190)
TITLE: 民主主義からの逃走
書籍名;「民主主義の未来、優位性後退、崩壊の瀬戸際に」[2021]
著者;成田悠輔  発行所;読売新聞 発行日;2021.9.30
初回作成日;2021.10.15 最終改定日; 
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 このミニ論文は、読売新聞朝刊の「Analysis」という欄の「民主主義の未来」の「上」として掲載された。
エール大学の研究室で纏められた世界各国のデータを集めた二つの表(散布図)が元になっている。第1は「100万人あたりのコロナの死者数」で、第2は「2001~2019年の平均経済成長率」で、いずれも横軸は「民主主義指数」になっている。
 
 ここでの「民主主義指数」とは、スウエーデンのV-Dem研究所によるもので、民主主義の多様性(Varies of Democracy)を意味している。民主主義を5つの原則(選挙、自由、参加、熟議、平等)で区別し、これらの原則を測定するためのデータを収集して、毎年発表している。特徴は、ゼロを起点としてプラスとマイナスに分かれるので、他の民主主義指数と比べて分かり易い。しかし、ここで「ゼロ」がどのような状態なのかは、はっきりしない。ちなみに、私個人は、日本は「参加、熟議」が不足のように感じますが、世界的に見れば「自由」の範囲が(米国やフランスと比べて)狭いのかもしれません。

 ここでは、2000と2019年の値が示されているが、例えば中国は、この20年間でマイナス1.5から1.9へと民主主義が後退したことが分かる。ロシアもマイナス0.4から1.1と後退している。ブラジルは、プラスだが、1.4から0.7へとやはり後退。米国は、1.3から1.2とわずかに後退。日本は1.2、フランスは1.4で、共に変わっていない。つまり、世界的に見ると、この20年間で民主仕儀が衰退していることが示されている。

 さて、問題の散布図なのだが、それは、回帰曲線(実際には回帰直線)が引けるほどに見事にある傾向を表している。まず、コロナの死者については、指数がマイナス2だとほぼゼロで、指数がプラス2だと100万人あたりの死者が1000人になる。世界中の国々の分布を見ても、指数がマイナスの国では500人以下で、プラスの国々ではゼロから1700人の間にほぼ均等に分散をしている。
 
 一方で、経済成長率はこの逆で、回帰曲線では、指数がマイナス2だと成長率は8%で、指数がプラス2だと成長率は1%になっている。このことは、民主主義の進んでいる先進国では、成長率が低く、民主主義が未発達の後進国が経済成長をしているという一般的な感覚と合致する。いずれにせよ、民主主義が進むと、経済成長率が低くなり、コロナの死者は増えるという傾向が明らかになっている。

 つまり、第1の結論は『民主国ほど経済成長もコロナ対策も失敗』となる。つまり、『超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(=世論)に配慮しなければならない民主主義は科学独裁・知的専制に敗北するしかない。』となってしまうようだ。
 
 それに対して、この筆者は「二つの処方箋」を示した。すなわち、「民主主義との闘争」と「民主主義からの逃走」である。
 彼の結論は、民主主義である限り『政治家報酬や選挙制度の抜本的改革は困難』であり、『富豪が民主主義国から逃げ出す可能性』に言及している。つまり、「民主主義からの逃走」である。それは、将来、宇宙空間なり、海洋上に富豪者による国家が建設される可能性すらも示唆している。ビットコインなどの仮想通貨はその前触れのようにも思えるのだが、、、。


メタエンジニアの眼シリーズ(189) 原発と航空機の安全性への取組の根本的な違い

2021年10月15日 07時39分15秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(189)
TITLE: 原発と航空機の安全性への取組の根本的な違い
書籍名;「レベル7 福島原発事故、隠された真実」[2012]
著者;東京新聞原発事故取材班  発行所;幻冬舎  発行日;2012.3.11
初回作成日;2021.10.13 最終改定日; 

 原発事故については、既に多くの著書が発行されているが、この書が最もメタ的(つまり、できる限り広範囲に調査を行い、その後に、それらを統合していくつかの結論を導いている)に問題を捉えているように思える。


 それは、比較的革新的な新聞社による、事故直後からの連載記事を単行本化したいきさつからも知ることができる。ここでは、冒頭から100ページ以上にわたって、「福島原発事故後の一週間」の様々な動きが、時系列的に正確に語られていることから始まっている。次に「汚染水との闘い」が40ページにわたって語られて、「想定外への分岐点」という核心の章に至る。
 
 そこでは、次の5つの観点からの記事が示されている。
・生かされなかった津波想定
・根拠なき安全指針
・先送りされた過酷事故対策
・近すぎた対策拠点
・複合災害、考慮せず

 
 最後には、「安全神話の源流」として、戦後原子力関係の研究が解除された直後から、安全神話が確立してしまうまでの経緯が克明に語られている。いずれも、既に色々なところで発表されている内容なのだが、それらをメタ的に旨く融合して、一つのストーリーに纏めてある印象だ。

 私は、昨年度、国立科学博物館からの依頼で、「技術の系統化」について考え、報告書を纏めた。その中での一つのテーマは、民間航空機用ジェットエンジンと原発の安全設計に関する、正反対とも思える取り組み方の違いだった。大戦後間もなく産業化したジェット機と原発は、当時はジェット機の信頼性は原発に比べてはるかに低かった。しかし、半世紀を経て、民間航空機はLCCにまで発展して、信頼性と経済性を獲得した。しかし、原発は逆に信頼性と経済性を徐々に失ってきた。その差は何であろうか、との問いから始まった。

 ジェットエンジンの設計では、「根拠なき安全指針」は絶対に行わない。すべて、理学的、工学的な根拠を定量的に示さなければならない。また、「先送りされた過酷事故対策」も絶対に許されない。つまり、この二つは、エンジンと機体の型式承認を得るための条件になっており、これが無いと航空機は海外の飛行場に着陸することができない。また、その為のルールはほぼすべての国が参加する国際機関で、常に見直しが行われ、改定されている。
 
 内容を読んでみると、先の5つの「想定外への分岐点」については、当時、とくに若手の研究者や官僚による、それぞれに対する正論も語られている。しかし、すべて当時の政治家と権力者によって葬られたとの内容になっている。何故、そのことが繰り返し起こってしまったのか。私の答えはたった一つ「安全に関するすべての議論が、定性的であり、定量化がされなかった」に尽きるように思う。
 ジェットエンジンの基本設計時に行う安全設計への検討は、「FMECA」(Failure Mode Effective & Criticality Analysis)である。これは、米国のMIL規格によって定められた定量化を基にしている。
その表は、発生頻度と被害の大きさに関する次の2種類の表(筆者が日本語に訳した)になっている。




 この手法を使えば、たとえば想定外の津波は、貞観地震(西暦869年に発生して、仙台平野の4km奥まで津波が侵入した)なのだが、歴史を見れば頻度は明らかに「D」なのだが、安全委員会の議論の結論では、「F」になってしまう。また、被害の大きさについても、カテゴリー1の「Catastrophic」という概念を定量化しないために、いつの間にか想定外になっている。
 文中で問題となっていたのは、最大の懸念である「SBO」(Station Black Out)の検討が、いつの間にか曖昧になり、「全電源喪失は最大で30分間」という何も根拠の無い結論に至ってしまったことだ。そこに至る経緯が克明に記録されているのだが、やはり政治家、権力者、地方自治体の思惑などにより、定性的な議論のまま、次第に後退してゆく様が語られている。定量化が難しい中でも、何とか定量化の道を切り開いて、そこを議論の原点にしないと、正論がなし崩しになる事例だと思う。

 それでは何故、「安全に関するすべての議論が、定性的であり、定量化がされなかった」のか。それはやはり「安全神話」のせいだと思う。つまり、「絶対安全で、大事故は起こらない」ことを示さなければならない。従って、カテゴリー1の「Catastrophic」が想定される事故の発生確率は「頻度D」であっても、最終結論では、「頻度F」にしなければならない。
 
 現在は、さらに厳しい新たな基準で審査をしているようだが、「安全神話」はそのまま残されている。つまり、「Catastrophic」が想定される事故への対策は取ることができない。この対策は、一見大変なようだが、知恵の出し方は無限にある。例えば、貞観津波並みを防ぐ堤防は不必要で、津波が壁を越えても炉心融解にならない方策を考えればよい。
 
 ジェットエンジンでの最大の懸念はメインシャフトの切断である。タービンが暴走して総ての翼とディスクの破片が巨大な遠心力で吹き飛ばされる。一枚の翼ならばコンテインメント可能なことは、保証されるが、このような巨大な飛散物をすべてコンテインメントする設計は、不合理になる。そこで考えたのが、急ブレーキである。メインシャフトが切れると、タービン全体が後方にズレる。その際に、なるべく直系の大きい所で、連続的に接触する場所を設ける。そこが最初にあたるようにすれば、例えメインシャフトの切断という「Catastrophic」の原因となる事象が起こっても、「Critical」以下の被害に収めることができる。これが、「FMECA」(Failure Mode Effective & Criticality Analysis)である。
 
 私は、十数年前に、この「FMECA」について東大航空学科の大学院で短い授業を行った。しかし、この手法が一般的に取り上げられる気配はない。


メタエンジニアの眼(188)地震考古学

2021年10月14日 07時03分14秒 | メタエンジニアの眼
地震考古学
書籍名;「地震考古学から考える21世紀の巨大地震」[2020]
著者;寒川 旭  発行所;中央公論
発行日;2020.3月号.
初回作成日;2021.10.13 最終改定日; 
引用先;様々なメタ

 「地震考古学」は、1998年に誕生したが、2011年の兵庫県南部地震で普及が始まった。考古学の遺跡で地震の痕跡を調べるのが主だが、平安時代以降の文献(貴族の日記等)との併用により、より詳しい具体的な被害状況が分かる。
 
 東日本大震災時に「想定外」という言葉が乱立した。しかし、著者は、『これは間違えである。なぜなら、同じ様な地震が869年に起きていたからである。よって正しくは、1142年前のような地震が、また起きたというべきであろう。』(p.62)と明言をしている。これは、貞観地震と呼ばれて、仙台平野では少なくとも4km津波が内陸に遡上した記録がある。
 
 兵庫県南部地震については、この地域の野島断層は2000年程度の間隔で活動を繰り返すことが分かっているのだが、1596年の慶長伏見地震では連動しなかった。もし、この時に連動していれば、兵庫県南部地震は起きなかった。

  869年の貞観地震の18年後の887年に南海トラフ全体で巨大地震がおきたという記録がある。単純に計算すれば、2011年から18年後は2029年である。南海トラフ地震発生の地震考古学からの推測になっている。
 9世紀中ごろに起きた日本全国の12か所の地震分布図が示されているが、この図と2000年前後に発生した、日本全国の比較的大きい14か所の地震の分布図は、奇しくも一致している。
 
 純科学的な地震予知会議が、地震予知をあきらめたように伝えられているが、地震考古学との融合(連携ではなく、結合して一つの結論を導く)がなされれば、より分かり易い情報が伝えられるのではないだろうか。
 エンジニアの世界では、異分野との融合がなされなければ、何も新たなものを生むことはできない。しかし、学問の世界は融合せずに、専門を深めるだけで新たな学説を生む(つまり、論文発表ができる)ことになる。そのことが、人類の文明を危うくするように思えてならない。

八ヶ岳南麓と世田谷の20年前と今 水始涸

2021年10月05日 08時38分11秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の20年前と今
水始涸 (田畑の水を干し始める;秋分の末候で、10月3日から7日まで)

てんなんしょうの実(H19)の今

 秋になると、あのマムシ草の異名のある小昆虫が誘引され部屋に閉じ込められる形の花(仏炎苞)は枯れて朱色や赤の熟した実になる。トウモロコシのように軸の周りに集合してつく液果で赤く、数個ずつ種を持つ。種は鳥が運ぶ。球茎有毒だが、栄養素を多く含むため、アイヌや伊豆七島で食べる工夫がされてきたそうで独特の料理があると云う。また、球茎は漢方の「天南星」としても利用されると云う。
 この花や実は散歩の途中の林の中で見かけることがあるが、なぜか常に一本だけすくっと立っている。群生しているところは未だ見たことがない。
 とにかく、花も実も変わっているので色々なホームページで写真を楽しむことができるのだが、我が家のものは特に立派なようだと思っている。



 20年前に一株だった我が家の実は、毎年増え続けて、今年は庭のあらゆるところに、勝手に生えている。あまり増えると、途中で枯れてしまい、種の保存を保っているようにも思える。
 
 同じ時期の世田谷の庭は、ホトトギスが満開になる。



 この株も、ほおておくとどんどん増えてしまい、庭を占領するので、間引きが必要になる。
 10年ほど前に、ルリタテハの幼虫が、葉っぱを全部食べてしまった年があった。その年には、ルリタテハが数匹庭を舞っていたが、それ以来見かけたことはなかった。今年、突然に20匹弱の幼虫が葉っぱを食い散らかしているのを発見。




 針に毒は無く刺されることはない、とのことだがやはり女性には嫌われている。なぜこの模様なのかと考えると、あることに気が付いた。ごく小さいうちは、花に似ていて、花の周りに居ると、見分けがつかない。つまり保護色になっている。そして、葉っぱを上から順番に食べてゆく。一匹で一株を食べつくすほどの大食いなのだ。
 ルリタテハは、花の蜜は吸わずに、樹液が食料だそうなので、成蝶はめったに見かけることは無い。

 ほおっておくと、どんどん株が増えるもう一つは,シュウメイギクだ。これは、陽当たり次第なのだが、八ヶ岳南麓と世田谷で、ほぼ同じ時期に咲くので、比較するのが面白い。