生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学のすすめ(06)設計への応用

2017年02月15日 16時17分39秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(06) H29.2.15投稿

設計への応用



・少ない情報で早く正しい決断をすること

 技術者の生涯賃金が安すぎるとの根強い意見もあるが、それは創造の自由への代償だと思っている。やはりじっくりと物事を考える時間の確保が技術者にとっての第一の命題であろう。考える時間を持たない者は、単なる作業者である。長年開発エンジンのChief DesignerやChief Engineerを続け、その後様々な組織の計画と立ち上げをやったが(最後は従業員一千人、売上高500億の会社づくりだった)、必要なことは少ない情報で早く正しい決断をすることだった。

 それは30年前のその場考学の延長線上にあるものだと思う。そこで、その場考学研究所なるものを始めることにしたが、先々のことは皆目見当がつかない。そこで、第2作目(第1作は、DCシリーズ 第7巻 設計とサイクル論)としては 改めてその場考学とは何か、何が出来て何ができないのかを考えてみることにした。


・その場考学の目的と手段


 その場考学とは、その場・その時を最も有効に過ごすために、実生活における知力を備えた鼎型人間の育成と実践とを目指す工学である、と述べた。それを達成するための手段は何であろう。

 その場考学の第1の手段は、考えるための自由な時間を作ること。その術を出来る限り開発することにある。このことはちょっとした工夫でいくらでもできることを、Rolls Royce社との共同開発中に学んだ。そして、それを習慣として身につけてしまうことだ。

 第2の手段は、その時間を使って考える際に、少しでも早く結論を得る術を開発することである。何を考えるのかは、人それぞれであろう。しかも、一人の人間であっても、その時・その場で異なる。考えることは、ある情報に端を発する。そして、考えるためには追加の情報が必要になる。結論を得るまでに、どれほどの追加情報が必要になるのかが、結論を得るまでの時間を決定する。

 過去の情報が知識となって整理されており、その知識が知力という形にまで整理されていると、意外に早く結論に至ることができる。その際に、様々な雑学が役に立つ。サイクル論も重要な雑学の一つだが、開発設計技術者としての経験からは、価値工学(VE,Value Engineering)と品質工学(QE,Quality Engineering)が大いに役に立ったと思う。特に、価値工学の元である価値解析(VA; Value Analysis)は、多くの会議の場で役に立った。
 
 これらの工学については、通常の大学で教えられることは少ない。しかし、技術者としての業務では直ちに必要となる重要な知識なのだ。
その詳しい内容はともかくとしても、基本的な考え方を理解しておく必要がある。特にVEとQEの基本的な考え方は、全ての技術的な作業の場において、強力な根拠となる事を実感することが、その場考学の第2段階と考える。
 

 ものでも、ことでも果たすべき機能が存在する。その機能の価値を分析するのだ。方法はいたって簡単で、基本機能と補助機能に敢えて分けることから始める。基本機能は大概3つ以内に記述できる。
 
 次に、補助機能を列記する。これは沢山ある、考えてゆくと無限に出てくる。それらの基本機能を達成するために直接に必要なものと、そうでもないものに分類する。そして、後者を捨て去る。その上で、基本機能をどうすればもっと良くできるかに思考を集中する。いわば、考え方の選択と集中であろう。これが、VAの基本だと考える。
 
QEについては、話がやや複雑になるので、第5考で述べることにする。
 その場考学の第2の手段は、まずこの二つから始まる。


・設計プロセスへの応用

 その場考学の応用で1980年当初からまず始めたことは、設計プロセスへの応用であった。
航空機用エンジンの設計は典型的なすり合わせ型ものつくりである。構造上は、空気の取り入れ口⇒圧縮機⇒燃焼器⇒タービン⇒排気口の積み重ねに見えるのだが、その中で空気と燃焼ガスが複雑に動き回る一つの固まりなのだ。

 基本設計の段階から数十人の設計技術者と、解析の専門家がそれに群がる。それから詳細設計に至るまでに、無限の設計案が乱立する。1回の試験運転をすると百か所位の要検討項目が発見される。

 しかし、当然のことながら最終の設計解はただ一つであるのだから、これらの情報から 出来るだけ早くに正解を決めなければならない。開発を始めると、そのことが数年間続くことになる。そして、常に時間との勝負になる。

 これに対するひとつの答えが、「A4一枚の場」である。報告も、議論も、会議記録も、出張報告も、不具合の再発防止などの決定に至るプロセスも全てA4一枚に纏める工夫をするのだ。このことは、第3考の中でふれることにするが、具体例は別冊に示した。(DCシリーズ 第12巻 A4シート一枚の場 参照)



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その7)」

【Lesson7】品質管理技術の問題(経験と理論が半々の世界[1998])
 
 品質管理は,航空機関連の事業にとっては最重要な技術のひとつである。この技術は第2次世界大戦中に米国でQuality Controlとして開発された。空中戦で圧倒的な強さを発揮していたゼロ戦に対抗するために,安全な高空から編隊で一気に急降下攻撃をかけるために,性能が均一なエンジンを大量生産するためのものだったと言われている。IHIの大先輩は,戦後まもなくGHQでこの教育を受け,その時の話を伺った覚えがある。
 
 Quality Controlは,日本では品質管理と訳され日本の勤勉な文化により大発展を遂げた。しかし,そこには一つの問題が潜んでいた。本来Controlとは,ばらつきが存在するものに対して,ある許容範囲に収めるべく調整をしてゆくことであろう。しかし管理と訳したために,ばらつきは可能な限り小さくすること,規定を完全順守することなどが目的となっていった。一般には,これで問題はないのだが,ジェットエンジンの製造の世界ではいくつもの問題が潜んでいる。その事例を紹介したい。
 
 第1段タービン静翼は,複雑な冷却構造と交換を容易にするために一枚ずつのセグメントにする設計が行われた。その時の問題は,隣どうしのシュラウドの間から冷却用の空気が漏れることで,その防止のための工夫が施される。材質はコバルト合金の場合が多く,超難削材(実際には研磨)である。そのためにシュラウド幅の寸法公差は,生産技術からある範囲が要求された。

 しかし,製造が繰り返されるうちに,製品寸法のばらつきは小さくなっていった。設計の仮定は,製品寸法は公差内で正規分布をするである。しかし,すべての幅が小さめに偏ると,隙間が空き過ぎ冷却空気が漏れてしまう,逆に大きめに偏ると,隣どうしがぶつかり合って,規定の半径に収まらなくなる。この場合には,追加工で直すことが可能なのだが,大きめに偏ることは,次に示す大きな問題を引き起こすことになる。

 機械加工の実力が増して,多くの部品が公差内のある寸法での加工が可能になった。すると,加工時間の短縮と,工具の摩耗量を減らすために,寸法公差内ぎりぎりで加工をストップすることになる。つまり,すべての部品が大きめになってしまう。もちろん寸法検査は合格である。しかし,そのような部品を組み立て,エンジン総重量を計測すると,許容範囲を超えてしまう。慌てて分解をして,大型部品を最軽量のものに入れ替えなければならない。
 
 同様なことに起因した事故が発生し,原因究明を行った経験がある。事故はエンジン屋が最も恐れる,In Flight Shut Downであったために,念入りに行われた。原因は,オイルポンプのシールリングの寸法であった。三重のリングの外径が,すべて公差ぎりぎりの大きめにできていた。ゴム製のリングは,使用しているうちに微量のオイルを吸収して膨潤し,かつ硬くなる。飛行中にポンプが固着して,安全設計が作動してギアボックスから切り離されたのだが,エンジンオイルの供給が突然ストップしたことにパイロットは1分以上気づかなかった。そのためにエンジンのメインベアリングが固着してしまった,というわけである。

 経験と理論が半々の世界についても,苦い経験がある。鋳造品には欠陥がつきもので許容欠陥サイズは,設計ごとにこまごまと設定される。従来は経験値が主であったが,破壊力学による詳細検討で,使用中に徐々に拡大する欠陥寸法が算出されて,許容範囲をより厳しくすることになった。当時は,タービン翼の鋳造の多くは米国の限られた会社で行われ,そこからは全世界に供給されている。そこで,IHI向けだけの許容基準が厳しくなったわけである。当然,国内での受け入れ検査時に不良品が多く発見されることとなった。そのたびに,品質管理の担当者が現地へ出向き,指導を行うのだが,一定期間のうちに再発が繰り返されることになる。この問題の正解は難しいのだが,理論と経験が半々ということの意味を熟知していれば,起こらなかったであろうと推察する。

【この教訓の背景】

 日本の品質管理のガラパコス性については、書き出したら切りがないほどの経験があるので、ここでは書かないことにする。ほぼすべては、Controlではなく、ひたすら完全を求めて管理を強化する、ということなのだが。その結果、無駄な作業が多くなり、コストが嵩み、一部の高級志向の人には、満足感を与えるが、競争力はひたすら落ちてしまう結果となる。日本が長らく「世界の先進国のなかで、労働生産性が最も悪い」との評価の原因の一部であると思う。

 高級ブランドを作る目的ならば、それはそれでよいのだが、そこまでの覚悟は無い。つまり、お得意の中途半端になっている。
 ジェットエンジンとロケットの世界では、すべてに100%の品質を求めるが、砲弾や小型ミサイルの場合には、かなりの不良品が許される。危険性さえなければ、質と数のバランスの世界なのだ。

「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その8)」

【Lesson8】価値工学の基本を知る(Rolls RoyceのDirectorとの議論[2002])
 
 新製品開発にもちいられる原価企画と原価管理は,現在では日本のお家芸の一つになっているのだが,元はGEのマイルズが発明したVA(Value Analysis,価値解析)とVE(Value Engineering,価値工学) である。しかし,1970年代にトヨタがこの手法を原価企画にまで発展させ,日本の高度成長にも大いに貢献することになった。しかし,その基本の部分ではまだGEに一日の長あり,専門家のOBを招いての集中講義を受けた。

 中でも,この手法のおおもとである調達方法のノウハウについては,多くを学ぶことができた。当時のGEは,あのジャック・ウエルチの全盛期で,調達戦略もMDP(Market Driven Procurement)からVJP(Value Justified Procurement)へ大幅にシフトをしており,その方法論を詳しく学び,かつ応用することができた。また,シックスシグマやCOE(Center of Excellence),BPR(Business Process Re-Engineering)についても,GEの専門家との直接の会合を通じて,国内では得られない貴重な最新ノウハウを得ることができた。これらの手法はいずれも基本的には価値解析の考え方の応用なのだが,ここでは詳細を割愛する。
 
 この経験は,後にRRの幹部の知るところとなり,コスト低減,調達戦略,人材育成と組織改編など広範囲にわたる総合的な技術者の在り方についいての会合にまで至った。
 
 何事についても,学会等で得られる知識は表面的であり,危機にあたって真に役立つものは基本的な考え方であり,そのことは苦楽を共にする国際共同開発を通じて得られる。グローバル経済社会にあって,新製品を開発し量産で成功するまでの過程では,必ず危機的な状況が数回は訪れる。その際,それを乗り切るノウハウなしには,存続はあり得ない。
 
 蛇足ながら,価値解析の手法は通常の会議でも大いに役立つ。多くの議題に多くの選択肢があり,決定に時間がかかるときには,まず基本機能に関することと,補助機能に関することを分ける。不思議なことに多くの場合に前者は三分の一になるので,それを片付ける。次に,補助機能を基本機能に対して必須のものとそうでないものに分ける,これはほぼ半分になり,後者は忘れることにする。この分類方法はVEの基本なのだが,会議に限らず多くの場合に応用が効く。

【この教訓の背景】

 価値工学(Value Engineering)と品質工学(Quality Engineering)は、設計と製造に関する強力な実学問だと思うのだが、そのことが一部の人にしか認められていない。特に、開発現場における品質工学は、本来はタグチメソッドなのに、品質工学という言葉に執着するために、そのようなことが起こっているように感じている。
 
 両方に共通することは、それ自身では価値が発揮しにくく、なにかの他分野とインテグレートしなくてはならないのだが、そのことを学会が拒否しているように思える。そのことは、それぞれの学会に参加すると、直ちに感じるのだが、このことを理解してもらうことは永遠にできそうにない。
 
 ガスタービン学会も、一時期日本機械学会の中に入るという話を聞いた覚えがあるのだが、まったく可能性はなさそうだ。最近の企業は、xxコーポレーションとか、xxホールディングの名のもとに、同種の企業がひとつのガバナンスで運用されるようになった。メタエンジニアリング的には、学会もおなじだと思ってしまう。そのようなことが起こらければ、メタエンジニアリングもマイナーなままで終わるであろう。

メタエンジニアの眼(18)日本 呪縛の構図

2017年02月15日 08時45分35秒 | メタエンジニアの眼
「日本 呪縛の構図」  KMM3290 
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;「日本 呪縛の構図、上・下」 [2015]
著者;R・ターガード・マーフィー 発行所;早川書房 
発行日;2015.12.20          初回作成年月日;H29.2.12  
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging & Implementing

 著者のR・ターガード・マーフィーは、1997年に「動かぬ日本への処方箋」という著書を毎日新聞社から発行している。2016年1月23日の東京新聞Web版には、次の記事がある。

「愛する国 だから斬る在住40年 日本論出版 R・ターガート・マーフィーさん(筑波大大学院教授)」
『骨太の日本論だ。米国出身で四十年近くを日本で過ごし、現在は筑波大の社会人大学院で国際金融を教えるリチャード・ターガート・マーフィーさん(63)が昨年十二月、『日本 呪縛の構図』(早川書房)を刊行した。この春の退官と離日を前に、集大成ともいえる上下巻の大著で、副題のとおり「この国の過去、現在、そして未来」を描ききった。日本の抱えるリスクをずばり指摘する筆の鋭さに感銘を受け、東京・茗荷谷(みょうがだに)の筑波大東京キャンパスを訪ねた。これまでも海外の日本研究者による日本論は、日本人がなかば自覚しながらも目をそらしてきた「不都合な真実」を糾弾してきた。本書もその系譜に連なる。「アウトサイダー(外部の人)だからこそ気づけることがある。魚が水に気づかないのと同じです」。マーフィーさんは日本語と英語を織り交ぜ、そう語る。』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/doyou/CK2016012302000251.html

 『日本 呪縛の構図』の前に、ほぼその10年前に書かれた「動かぬ日本への処方箋」では、日本には、真の意味での「政治が必要」と述べている。当時の日本の状態を「日本が脱出不可能の罠にはまってしまったように見える」として、「規制緩和」とか「改革」について、



『これらの言葉を聞いてそれが実際に何を意味するのかはっきり分かる人はほとんどいない。話している当人たちでさえ、じっくりと考えたことがあるかどうか疑わしい。』(pp.216)としている。

その原因は「議論の欠如が危機を深める」に記されているのだが、そのまた原因を「日本の伝統的な官僚機構」に求めている。世論がその合理化を叫んでも、結局は、『何らかの形で自分たちの生計を保証する役に立っているのも、この同じ官僚機構だと感じている。』(pp.217)とし、それと関連して、「アメリカの現状を無視した楽観論」を危険視している。
 
『日本 呪縛の構図』は、いわばその続編で、なぜそのような官僚機構を始めとする「呪縛」の中身を例証し、その根源を江戸時代の社会制度に求めている。



 上下2巻の大著は、日本の古代から、平安・鎌倉と文化の流れを概観したのちに、江戸時代の詳論に移る。14ページにわたる「序文」において、その概要はかなり詳しく説明がされている。

 『それは日本をこれほど魅力的で成功を収めた国にさせた源泉であるかもしれない、だが、それは同時に私が前述したように、近代から現代にかけての日本の歴史で多くの悲劇を生み出す要因ともなった。なぜかというと、それは「搾取を行う側」にとっては本当に理想的な状況を作り出すからである。
 それは、物事をあるがままに受け入れること。そして心のどこかで追求する価値がない目標であるとわかっていながら、それを生きがいとすることが「大人の態度」であると考えるような思考様式が国民レベルで内面化された状況に他ならない。』(pp.28)

『だが問題はそれだけに限らない。日本の指導者層においても、この国に深く根付いてしまった「状況に支配された視点」は、自分たちの行動とその背景にある動機について自己欺瞞に満ちた二重思考(ダブルシンク)(互いに矛盾する意見を同時に真実と見なす思考様式)を助長しているのだ。』(pp.28)

 江戸時代を通じて厳格に行われた「幕藩体制」すなわち「社会統制装置」について、次のような多くの事例を挙げている。すなわち、検問所における警備体制、私服警官の原型、町内の安全組織、大名行列による交通インフラ、長距離サプライチェーン、大衆芸術、樹木の本数にまで及ぶ国勢調査、世界初の先物取引市場などである。
 
 それらを列挙したうえで、「呪縛」への原因を次のように述べている。

『事実、もはや武士階級に日ごろから鍛錬した武芸を披露する機会はほとんど訪れることはなかった。実戦の記憶が歴史の霧のかなたに消えつつある中で、皮肉なことに「サムライ精神」はこれまで以上に硬直化して軍国主義的になり、上役に対する絶対的な忠誠、どんな命令も命懸けで果たす覚悟、そして軟弱さや物質的な快適さを見下す態度が重視されるようになった。』(pp.94)

『現代の日本には一見矛盾して見える様々な現象があって、海外の人々をひどく当悪させることがあるが、実はこれらの現象も元をたどれば、江戸時代の公的な組織のあり方と現実社会との間の「ずれ」に由来しているのだ。たとえば20世紀後半、世界は日本企業が世界史上でもトップクラスの大成功を収めるのを目撃したが、同時に当時の日本は主体性を失って硬直した官僚制度の代名詞ともいえる存在だった。

 だが、これも江戸時代に大阪の大商人と硬直化してゆく一方の武士階級が併存していたという前例を知れば、さほど不可解に思えなくなる。一方では忠誠と自己犠牲がほとんど常軌を逸したレベルにまで高められ(例えば切腹にみられる武士の自己礼賛、第二次世界大戦の神風特攻隊、過労死するまで企業に尽くす現代のサラリーマンなど)、他方では現代の奇天烈テレビゲーム、性描写の過激なアダルトアニメ、漫画、それに現代の奇抜なファッションなどを頂点とする型破りで反体制的な芸術が次から次へと生み出されてゆく。こうした文化の二面性は、江戸時代に端を発しているのだ。』(pp.95)
 
 この後で著者は、日本人の「建前と本音」の使い分けを指摘している。そしてさらに、それがあらゆる場面で遭遇する「無責任体制」に繋がっていると説明している。
このように、全文を分断してしまうと一見非論理的に見えるのだが、実際に通して読むと、西欧人の日本文化への傾倒の思考過程が良くわかってくる。



 下巻では、上巻で指摘した「呪縛の構図」が、日本の高度成長期から失われた20年間、更に現在の安倍政権に至る多くの経済・企業経営・外交問題のおおもとであるとしている。そのうえで、あるべき政治や経済問題への対応と、それを実現するためのリーダーシップについて論じている。
 ここで注目したのは、第9章「社会的・文化的変容」のなかの「日本文化の世界的影響力」という部分である。そこから引用する。
 
『どのような基準で測ろうと日本人が著しく創造性と芸術性に富んだ国民であることは疑う余地がない。だがこの創造性の由来を説明するのはなかなか厄介な仕事である。何をどう言おうと陳腐な言葉の繰り返しになりかねないからだ。

 だが日本の創造性がどのような形で世界中に反響を引き起こしているのか、そして日本社会がどのようにして「日本らしさ」を失わずに変化を遂げつつあるのかを理解すれば、おそらくその秘密の一端を垣間見ることができるだろう。なぜなら、日本人の創造性が世界中で反響を呼んだ例は過去にあったからである。』(pp.88)
 
 そこから、19世紀後半のジャポニズムの中身についての説明がある。所謂、浮世絵などの西欧文化への影響なのだが、「日本のエリート層からは低俗な文化と見なされていたし、その製作過程においては、外人の心に訴えようなどという気持ちは、みじんも抱いていなかった。」としている。これらの例から、結論としては以下のように述べている。

『日本独特の創造性の起源を日本人特有の矛盾や曖昧さに対する許容度の高さに求めるのは、ある意味で自然なことかもしれない。ギリシアの哲人アリストテレスは矛盾を許容してはならないという教えを欧米人に残した。だがこれに相当する訓戒が日本の思想で影響力を持ったためしは一度もない。』(pp.89)

 その後、この矛盾の事例として、伝統的な庭園や料亭に対する細部への配慮と、それに隣接する電柱や、乱雑な看板の併存に対して、「見て見ぬふりをして、眼に入れないのが礼儀である」としている。このような眼で見ると、日本中に同様な矛盾が混在している現場がいくらでも見つかる。

そして、次の結論になる。
 『日本文化が世界中で反響を呼んでいる理由の大部分は、これで説明がつくのではないだろうか。現代である程度の正気を保つには、矛盾と共存してゆく術を身につけることがますます必要不可欠になりつつあるが、それはもはや日本に限られたことではない。それでも、悪夢なような光景を完璧なまでに映像化する創造力とあけすけに甘ったるい感傷に浸る傾向が併存することは、間違いなく日本文化が世界中の人々(特に子供や若者)を引き付ける魅力となっている。それは同時に、日本が実際に経てきた変化の度合いを示唆してもいる。』(pp.93)

 矛盾を現実のものとして、そのままの形で受け入れるという伝統的な日本文化は、四季の変化と台風等の自然災害の多発する中で育った日本的な農耕文化の結果だと思う。その「矛盾を許容する文化」が、これからの人類の文明の継続性にとって、必要不可欠であるということが述べられているように思われる。

 そこで問題となるのは、「矛盾を許容する文化」が、いかにこれからの人類社会全体にとって合理的なのかを論理的に説明することであろう。そして、この優れた日本の文化を世界の文明にまで広げるプロセスはさらに難しそうだ。