生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(14)世界日本化計画

2017年02月01日 18時57分14秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ
          
このシリーズはメタエンジニアリングで文化の文明化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
「世界「日本化」計画」 [2016] 著者;鈴木孝夫 他
発行所;新潮社 本の所在;新潮45
発行日;2016.7.18

「新潮45」という月刊誌は、「新潮」の陰に隠れて目立たない雑誌だが、社会や文明論に関しては面白い記事が豊富に掲載されている。2016年7月号の特集は、「世界「日本化」計画」であった。その中からメタエンジニアリング的な文明論を紹介する。





1.「日本語と日本文化が世界を平和にする」[2016] 筆者;鈴木孝夫


 筆者は、言語生態学者(慶応大学名誉教授)である。見出しには、『いよいよ西洋文化に代わって、日本文明が指導適役割を果たすべき時代が到来した。』(pp.19)とある。

 500年間にわたる西欧文明主導の時代により、多くの解決困難な地球規模の問題が顕在化して、文明の限界に近付いたと断言した後で、生態論が始まる。
 『全生物界で人間ほど地球のあらゆるところに分布して栄えた生物はありません。他の生物は行く先々の環境に合わせて体のしくみやくちばしの形を変えたりして、棲息する場所に適応した結果、もとの種が分化して多様性が生まれます。しかし、何百万種と存在する生物の中で、ただ人間だけが熱帯から寒帯までほとんど分化せずに、種として同一性を保ちながら広がっているのです。』(pp.20)
 
 その訳は、『人間の持つ「文化」の多様性が、環境の変化から来る衝撃を吸収する緩衝装置になっていた。』からとしている。
 しかし、それ故に、『グローバリゼーションは大量のエネルギーを無駄にして文化の多様性を失わせることであり、結果として人類の繁栄どころか終局を目指していることになります。』とある。この論理は、エンジニアとしては一瞬奇異に感じるのだが、「生物の多様性が失われる」ことの結果がどうなるかは、歴史上自明なことなので、広い視野で考えれば妥当な結論といえる。

 そこから、日本文明の良い点ばかりが強調されてゆくのだが、ここからImplementingの話が始まる。現代の日本文明は、『西欧と対峙できる力を持ちながらも一方で、古代文明的な独自な文化的世界観も失いませんでした。人間中心、人間至上主義的にしか世界を見られない西欧人とは違った世界観を持っている日本、その二枚腰文明が今こそ強みを発揮できるのです。』としている。「二枚腰」とは、ハイブリッドということではないだろうか。

 筆者は、従来から「日本語を国連の公用語にすべし」との主張をされている。それについての言語学者の判断は、『公用語になったところで、国連内で日本語はほとんど使われないでしょう。しかし、日本語の国際普及には非常に役立ちます。同時通訳官や翻訳官など、日本語の必要な職業が増えるからです。』(pp.24)とある。

 英語と母国語については、「公用語を英語に変えた国は、文化が廃れ、日本は日本語が健全なために、ノーベル賞が多発している。創造性や発想を豊かにするのは、母国語しかない。」という説は、近年盛んに叫ばれている。言語学者の筆者は、そこから更に「タタミゼ効果」(フランス語のtatamiserで、かぶれる、贔屓になる)に言及されている。
 
 「タタミゼ効果」とは、『日本語の普及は世界を変える力があります。外国の人が日本語を習い、欧米のすべてと異なる日本文化に深く接すると、外国人学習者の対人関係の質が変わり、その人の強い、攻撃的な口調や態度がなくなり、日本人っぽくなる現象が見られます。』(pp.24)
 ここでは、事例が二つ挙げられているが、具体例は「日本の感性が世界を変える」(新潮選書)に紹介されているとある。

 言語については、日本語の有利性と不利性を強調する意見が散乱しているが、あと数年後には、人工頭脳が正確な即時翻訳をしてくれる時代になる。そうなれば、同時通訳官や翻訳官は真っ先にロボットにとって代わられる。すでに、そのことを前提にした議論のほうを薦めたほうが良い時代のように、メタエンジニアリング的には思ってしまう。


2.「素人」がデビューできる唯一の国  筆者;ヤマザキデルス

 記事では、彼はヤマザキマリさんの長男として紹介されている。まだ大学生だが、フィレンツエ生まれで、北海道、シリア、ポルトガル、アメリカ本土、ハワイでの生活を経験している。

 ちなみに、母親のヤマザキマリさんは、「テルマエロマエ」の作者で有名なイタリア在住のマンガ家である。彼女のイタリアでの社会観を、彼女自身のブログから、まず探ってみる。トランプ大統領が就任した直後のブログには、こんな記事があった。

「トランプ大統領に驚かないローマ1000年の歴史観」 2017年1月24日
『2017年1月24日わたしの周りのイタリア人の会話の中には、ローマ帝国の皇帝の話が普通に出てきます。皇帝にも当然さまざまなタイプがいて、賢帝もいれば、ひどい皇帝もいました。「この政治家は皇帝ティベリウス(第2代皇帝、紀元前42年~紀元37年)を想起させるね」とか、「暴君ネロ(第5代皇帝、紀元37~68)も最初は民衆にも支持されるいいヤツだった」という会話がなされるのです。

 しかしイタリアでは信頼は美徳ではありません。信頼とはむしろなまけ者がすることで、知性や教養を持つ人は為政者を疑ってかかります。それは知識階級のある意味で義務的なものとして、そういう行動をすべきだという感覚があります。だからイタリア人から見れば、「そう簡単に社会が変わりますかね」という冷めた見方になるわけです。』

http://mainichi.jp/premier/business/articles/20170123/biz/00m/010/020000c
http://yamazakimari.com/
 
 以前に、エンジンの共同開発中のイタリア人の「日本人の考え方は、戦略的でない」と書いたが、それに通じるものを感じる。

 本論に戻る。デルス君は、アメリカ本土での学生生活を「格差社会」とか「治安の悪い」とか「勉強以外の視野が閉ざされる」などと、かなり批判的に述べている。一方で、ハワイでの学生生活については、『海も山もあり、都市生活も体験できるハワイの環境を選びました。専門は、機械工学です。世界中のたくさんの地域から学生が集まっており、自由で開放的です。ガタガタ音がする古い洗濯機を平気で使うような土地柄で、・・・。』(pp.34)
 これは、50年ほど前に私がStanford大学で感じたことに似ている。

 彼の主張の主眼は、日本人の「合理性の欠如という特徴」です。『まず、日本人は合理性をあまり問題にしません。アメリカでもイタリアでも、学生は仕事でも勉強でも「何のために」「どういう社会的な意味があるのか」という現実的な目標に縛られがちで、あまり自由な行動をとれません。(中略)
 
 日本の多くの研究者たちが開発している人間型のロボットは、欧米人にはなかなか理解ができない発想の一つです。単にロボットとしての機能を考えるだけなら、ヒトの姿をしている意味も合理性もありません。ただコストパーフォーマンスが悪いファンタジーと受け取られてしまいますが、だからこそ、他の国の研究者には考え付かない貴重な仕事なのです。』(pp.34)
 
 つまり、合理性の欠如を「貴重」だとして、一方的な批判は避けている。さらに、合理性の欠如は、『現実と非現実が融合してしまったような感覚を生むリスクはあるけれど、だからといって合理性ばかりを重視すればいいとも思いません。』(pp.35)としている。
 
 実に、冷静な見方だと感じる。イタリア人の感受性とそのセンスは、多くの有名ブランドに見る如くに、日本人にはない感性を感じてしまう。

 
3.世界が欲しがる「和のシステム」 筆者;菊池正憲

 『日本初の世界標準は、アニメや和食だけではない。様々な社会システムや制度も多くの国で取り入れられ、評価されているのだ。』で始まる主張は、次の10の制度を引き合いにしている。

 ①カイゼン、②母子手帳、③防災、④水道、⑤新幹線、⑥地下鉄、⑦郵便、⑧交番、⑨教育、⑩法整備、通関、廃棄物処理。 中には、広くではなく、特定の国だけに認められているものもあるようだが、次第に世界で認められるようになっている傾向は間違えがないように思う。

 これらの社会システムは、従来は日本独特の優れた文化と見なされていたのだが、次第に合理性を得て変化し、文明化への道を進み始めているようにも思えてくる。しかし、まだ普遍性という意味では、中身に難解であったり冗長であったりする箇所がいくつも存在している。「世界日本化計画」には、誰でもどこでも容易に使える、という視点が更に大事であるように思う。