生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学のすすめ(04) その場考学と鼎

2017年02月02日 08時04分02秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(04)その場考学と鼎

 入社式の挨拶で良くつかわれる言葉に、「T型人間になれとか、π型を目指せ」などがある。

 TはTechnologyのTでもあるが、この場合には、一般常識やリテラシーを示す横棒と、専門を深く極めるという縦棒をしっかりとくっつけることを意味する。πの場合には、足となる専門が二つ、すなわち複数の専門をマスターしろとの意味が加わる。車には両輪が必要といったところだ。しかし、メタエンジニアリングを考えるときには、それだけでは大いに不足である。

 図を見ていただきたい。もう一本足を追加して、3本足で安定して立ち続けること、大きな二つの耳を持つこと、そしてそれらすべてを繋ぎとめる大きな胴体(知恵袋)があること。それが鼎である。3本目の足の中味については,後に述べる。



「鼎の軽重を問う」という古語がある。中国の春秋時代の半ばに、楚の王が周の都である洛陽に近づいた。周王の使者が楚王に面会したところ、楚王が「周王室伝来の鼎の軽重を問う」た。これは、王室の権威を問うたものであったのだが、周王の使いは、「権威は鼎の重さではなく、徳の大小にある。」と答えて、天下の王はまだ周王室にありとの意思を示した。

 この事からこの言葉は、ある地位や役職に就いている人の権威や資格を疑うこと、とされている。

 鼎とは、一般には「かなえ」と呼ばれるが、青銅器の正式名としては、「てい」と読む。肉などを煮て、供献用の料理を作る事に用いられた、一種の鍋である。歴史は古く、紀元前2000年ころの二里頭期という時代から存在したが、もっとも盛んだったのは、紀元前1700年ごろから始まる商の時代と言われている。
 
 中国の古代青銅器は一点では真価が問えず、セットで見る必要がある。それは、天子は九鼎八簋、諸侯は七鼎六簋など、身分によって礼器の数が決まっていたからである。簋は「き」と読み、穀物を盛る皿を表す。
 
 興味のある方は、奈良国立博物館をお勧めする。旧館(昨年から仏像館として新装れて、見やすくなった)の十四室と十五室の二つを占める、世界的にも見事な坂本コレクションを楽しむことができる。さらに、専門的な見方に興味がある方は、京都の泉屋博古館をお勧めする。住友宗家の当主が収集したもので、数も内容も国立博物館を超えている。そして、案内嬢の説明も見事なものだった。4部屋に分かれた展示室も、それぞれに特徴があり、時を忘れさせる。




 鼎の形状と文様は、長らく私が設計技術者教育に使用していたものだ。
 T型やπ型では、真に役立つものを設計し、商品化することはできない。

 I型 = 4力、材料、制御、物理、化学などの基礎工学
 T型 = I + 経済、法工学、国際関係、倫理などの教養(リベラルアーツ)
 π型 = T + 流体、熱、ロボットなどの特論(応用時の問題解決法)
 鼎型 = π + MOT,QE,VE,QFD,TRIZ(開発ツール)

 その場考学研究所のトレードマークの鼎を示す。

 左は、台湾の故宮博物館のお土産品。右は、高岡の銅器の専門店で見つけたもので、饕餮紋(とうてつもん)がはっきりとしている。すべての知識を収納している胴には、見事な眼も口も牙もある。




 饕餮とは、体は牛か羊で、大きく曲がった角、牙、そして何よりも目立つ大きな眼などを持つ怪獣。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るとの意味を持つ字。何でも食べる猛獣がその場考学やメタエンジニアリングには相応しいと考えてのことだった。


「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その5)」

【Lesson5】設計技術だけなら勝つことができた(Rolls Royceとのタービン基本設計[1980])
 
 エンジンの基本設計は,全体性能が決まった後の各要素のパラメータ・スタディから始まる。特に,最後尾の低圧タービンは,最後のつじつま合わせの機能があり,パラメータの変動範囲が広い。RRのタービンチームと数週間にわたってこの作業が行われた。

 未だ,インターネットはおろか,ファックス通信もままならぬ時代で計算はRR任せだったのだが,どう考えてもおかしな傾向が表れていた。数回異論の理由を説明したが,RRの回答ははかばかしくなかった。しかし,ある時「社内の計算式のプログラムにミスがあった。あなたの主張は正しい」といって新たな結果を持ち出してきた。議論は無事結論を得て,設計パラメータはすべて決まったが,その2週間後に,タービン設計部長はRR社を突然退社した。なんと,分子に入るべきレイノルズ数が分母に入っていたのには驚いた。
 
 その後も,各分野で基本設計が進められたが,日本側の担当者は皆若く,修士課程などで最新の解析手法を身につけた者ばかりで,議論は伯仲した。しかし,最終的には経験が判断を決める場面も多くあった。
エンジンは,最低でも40年間は規定通りの性能を保たなければならない。40年間にどのような想定外のことが起こるかは,経験でしか知ることのできないことなので,当然のことにも思える。
 
 しかし,1989年のベルリンの壁崩壊で状況は一転した。このとき,丁度Boeing777用のエンジンである世界最大サイズのGE90の開発が始まった。日本を除くその後の世界の航空機産業の落ち込みは,すさまじいもので,多くのベテランがBig3から去ってしまった。一方で,日本側3社では優秀な技術者の入社が続いていた。

 GE90の最大の問題は,目標とした世界最高の推力重量比をいかに達成するかであった。当時のGEの設計は,すべてがマニュアルに示されており,現役世代にとっては金科玉条であり,そこから外れることは許されなかった。GEには,超ベテランのThe Chief Engineerと呼ばれる万能技術者が数名存在していたが,当時はそれもただ一人に減り,しかも彼は後継者の指名ができずに悩んでおられた。
 
 推力はサイズの二乗,重量は三乗で効くので,GE90の目標推重比の達成は従来のマニュアル通りでは不可能であることは自明だった。そこで力を発揮したのは日本の若い技術者たちで,最新の破壊力学や構造解析を提案して改善に寄与した。しかし,まだ足りずに新材料のチタンアルミニウムという気温続巻化合物を急遽低圧タービン翼に採用しようとの動きが始まった。この新材料の特許はI社が保有しており,GEの材料専門家との会合が頻繁に行われることとなった。
 GEも独自の成分の特許を取得し,双方の特性の比較が行われることとなり,最後には実機による試験まで行われた。この間の詳細は割愛するが,これらの経験を通じて設計解析に用いる新たな工学的知見や新材料の設計に関しては,日本の技術はBig3を上回るとの確信を得た。そして,残る経験の問題も徐々に蓄積が進み,技術全般に関してもBig3に大いに近づいたとの感覚を得ることができた。

【この教訓の背景】

 元の原稿はこうであった。「議論は無事結論を得て、設計パラメータはすべて決まったが、その2週間後に、タービン設計部長はRR社を突然退社した。なんと、分子に入るべきレイノルズ数が分母に入っていたのには驚いた。」ここで、「その2週間後に、タービン設計部長はRR社を突然退社した。」は、編集委員の要請で削除をした。たしかに、学会誌には不適当な表現だった。

 しかし、このことは欧米の技術者と会社の関係を明確に示している。日本ではありえないことなのだが、設計において、根本的なミスを犯し、それが重大な結果を招く可能性がある場合には、責任者を明確にする。ここでは省略をしたが、部長直下の主任も同時に退社をした。なんと、イギリス国教会の僧侶になってしまったのだった。
 
 日本では、問題が発覚しても責任者を特定することは敢えて避ける傾向が顕著だ。「みんなの責任」にしてしまう。ジェットエンジンの組み立てのミスで飛行機が墜落したとする。責任者は、誰であろうか。最終検査員、工場長、品質保証部長、事業部長のいずれでもない。みんなの責任になってしまう。しかし、欧米の交渉事では、責任者が明確でないと話にならない。

 このことは、自衛隊の飛行群司令との度重なる会話からも痛感した。事故を起こした機種の再飛行許可を出すかどうかの決断だった。司令官は、自己の判断で飛行命令を下さなければならない。技術部長時代に大規模な不具合が発生して、スクランブル発進にまで影響を及ぼす事態に発展した。そのときには、再発防止対策について、司令官に何度も詳細な説明を繰り返した。
 
 RRとのプロジェクト準備のためのチーム編成は、日本側3社と各技術分野代表の混成チームであった。したがって、年齢も地位もバラバラであった。そこで、日本側のチームは全体の責任者を明示しなかった。私は、管理職でもなく、最若年層だったが、RR側の責任者であるChief Engineerは、あえてRR社内に、「日本側の滞在チームの責任者は、Mr.Katsumataである」との短い内部文書を配布した。日英の組織管理の在り方の違いが、明確にわかった瞬間であった。