ハーブスイーツハナウタコウチ

アイスルモノ・ナリワイ・フルイウタタチ・アオイソラノマチ

ローズゼラニウム

2006-05-31 18:38:02 | ガーデニング

ローズのような(ちょっといがらっぽい)香り。アフリカ原産で、寒さに弱い。うちでは大きめの鉢に、ローズゼラニウムとレモングラスとヘリオトロープを寄せ植えにして、冬場は、室内においてある。別の株が畑にあり、冬枯れてしまっていたが、最近新芽が出始めた。コウチで枯れるか枯れないか、微妙なところである。北風の吹く風通しのよい畑だと霜が降りずに生き残るが、風の吹かないところだと霜が降りて枯死することもある。
香水「シャネルの5番」の原料ということである。
 香りの強い株と弱い株があるので、香りを確かめて購入するのが良い。
なにかの拍子で当ったりすると枝が折れやすいが、種族をふやすための特性らしい。つまり、折れてしまった枝は、地面に落ちて根を出す・・・だから挿し木もわりと簡単である。
なかなかの知恵者である(笑)
近々、葉を上にのせてクッキーを焼いてみようかと思っている。

今日のハナウタ・・・「心のなかのプラネタリウム」須藤薫 90’カーステレオで良く聞いていたなあ。

スィートバジル

2006-05-30 18:58:14 | ガーデニング

スィートバジル。高温多湿のコウチだと南方系ハーブがよく育つ。バジル、レモングラス、ゼラニウム類。バジルはポット植えにしてある。もう少し育ったら畑に植え替える予定。うちの店は、風通しがよいのでそのためか?今年の気候のせいか?なんだか成長が遅い。
もうすこし大きくなったらバジルのピザなんか作ろう。ピザ生地をこねて作り、バジルの葉っぱを敷いて、チーズをのせて、オリーブオイルを少しかけて焼く。それだけで充分おいしい。
 便利なハーブである。

雨ばっかり

2006-05-30 02:38:04 | ガーデニング
今年は雨が多いし気温も低いようでバジル等の成長がよくありませんね。稲の分けつも悪いとJAの方が言ってました。ケーキ等を作る立場で言えば、涼しい方が都合がいいのですが。もうすぐ6月です。そろそろハーブたちの写真も撮ろうかと思ってます。
というか、このブログは、ハーブのこと全然書いてないなあ、と妙な感心をしつつ・・
今日のハナウタ・・・「ziggy stardust」DAVID BOWIE 昨日、古本屋(BOOKOFF)で中島らも、景山民夫等の本を買って車に乗ったら、小林克也氏がラジオでDAVID BOWIE 特集してました。80年代にタイムスリップしたような不思議な感覚でした。おっさんはまだまだがんばるぞ!

景山民夫の「休暇の土地」を買ってきた

2006-05-29 19:38:58 | Weblog

先日、TVで「ナベプロ」の社長の話を観た。といっても2夜にわたって放送された話の最初の話を視て、2日目を視てないから、視たとは言えないかもしれないが。クレイジーキャッツや(放送作家時代の)青島幸夫等がでていて、興味深くみた。
 なんとなく景山民夫を思いだしていた。景山民夫が放送作家になった時代は、ドラマの時代よりもっとあと、どちらかといえば青島幸男らがつくっていた「シャボン玉ホリデー」が絶頂期から衰退期にはいってゆく時代だったと記憶する。昭和40年代。
いくつか読んだ景山民夫のエッセイには、絶頂期だった頃のあこがれのスターたちの、りんとしたプロとしての生き方が敬意をもって書かれていた。つまり先日みた、ドラマの時代のころの人たちへの敬意。
 景山民夫の本は(ほとんど本を読まない私にとって)実に20年ぶり!くらいだが、彼もまた、本当にプロとして、人間としてしっかりと、りんとしていた人だと思う。文章の端々にそれは垣間見ることができる。
 彼の名作「遠い海から来たCOO」がアニメ化された頃、なんだかぐずぐずの問題に巻き込まれて世間から疎ましがられ、やがて死んでしまった事が私は残念でたまらない。
 ワイドショーで話題になった人とか、宗教の人だとかどうだこうだとか思わずに、一度読んでほしい作家である。特に男性にはわかってほしい。そんなに思うなあ。


観音開きの水門

2006-05-28 01:27:53 | Weblog

コイヘルペスでコウチの高須のあたりでコイが死んだとニュースで聞いた。
写真は、私が小学生のころフナやエビを釣った水門。今は金属製になった観音開きの水門は、昔は木でできていた。その水門の上に座って、魚釣りをした。
足で思い切り水門を押すと、水門は「ぎいっ」と音をたてて、少し開いてまた閉じた。
 祖母の畑の生ゴミ捨て場や、外に放ってある畳の下からミミズを掘り出しエサにした。
「エビでタイを釣る」という言葉がある、と誰かが釣った川エビの殻をはいで、エビのむき身をつり針につけ放り込んだ。みんな笑ったが、そのうち川エビが釣れた。共食いだ、と少し気味が悪かったが、やがてそれになれて、エビのむき身でエビを釣り続けた。
 延々と釣り続けた。
川エビは、家に持って帰ってゆでて食べた。鍋に水を張り生きたままのエビを入れ、塩を入れて火にかけた。エビは鍋の中で跳ね、やがて赤くなり動かなくなった。
 春になると水門のすぐ下流あたりで大人たちが、しらすウナギを捕まえていた。夜通りかかるとあかりをつけてしらすうなぎを集め、目の細かい網ですくっていた。
 昼間でもしらすうなぎはたくさん泳いでいた。私たちも捕まえて、飼ってみたりした。

 その頃でさえ、川は汚れていると言われていた。私たちは、そのころ釣ったフナは食べなかった。ほんの30年ほど前のことだ。
 どうしてこれほど汚れてしまった、いや汚してしまったのだろう。
 
 時々、水門を見にゆくが、観音開きの水門の上で魚を釣る子供たちを見かけたことはない。
 

まちづくりについて

2006-05-26 19:02:02 | Weblog

ソフト面での「町作り」について少し思い出したことがあったので書く。
 園芸療法の会に参加しているときに、海外の事例として、「公園づくり」の話を聞いたことがある。
アメリカ西海岸のとある町に、公園があった。公園は落書きやゴミで汚れていた。消しても落書きは止まないし、ゴミをひろってもまたゴミは捨てられる。

 そこで、公園の委託管理をボランティアにまかせた。ボランティアは、公園の管理をホームレスにやってもらうことにした。確か有償ボランティアとして、参加してくれた人にはお金を支払うようにしていたと思うが・・・それから、地域の子供たちにも参加してもらった。「ホームレスと子供たち」が一緒に何かをするようにする、というのは英断だと思うが、この事例では成功した。
 もちろん公園はきれいになり、公園の手入れをしたいという人たちが増え、公園はますますきれいになった。そして、こどもたちはホームレスのために何かをしてあげたいという気持ちになり、ホームレスたちは子供たちに何かをしてあげたいという気持ちになっていった。つまり、コミュニケーションが生れていった。
その公園に人は集まり、楽しいイベントが行われるようになり、みんながその公園で過ごす時間を楽しむようになった。そんな話である。

 言葉にすれば簡単な話だが、現実では、なかなかできない話だと思う。自分でここに今書いていても、なんだかよくできた物語のような気持ちさえする。だからこそ成功事例として紹介されているのだが。

 建物や町作りに「安心を得られる場所」をデザインしていなければこんな事もできないことではある。
そのデザインの上に、その町に暮らす人たちがいい関係の人間関係を築いてゆく。

 「ハード」と「ソフト」がうまく機能してこそ町作りはうまくゆくのだろう。そう思う。

この記事は、再び「走る建築士の未完走紀行」にトラックバックさせていただきました。


遊べない子供眠れない子供

2006-05-25 17:07:24 | 育児

友人のブログ「走る建築士の未完走紀行」に「遊ばない子供」というタイトルの記事があったので、トラックバックさせていただいて書くことにする。

 最近の子供は運動不足気味で、寝る時間が遅い。それは、判断力や創造力の発達を遅らせる。というものであった。

 うちの場合にあてはめて考えてみる。子供は、「遊べない」。残念ながら、「遊ばせることができない」のだ。
まず、犯罪の可能性。犯罪の質があまりにも変わった。昔は少なくとも大義名分のようなものがあって、「まともに生きていれば」犯罪に巻き込まれるようなことはなかったと思う。例えば「金持ち(もしくはそう見られている)」「恨みをかっている」人の子供は誘拐の可能性があったかもしれない。そういうことである。
 しかし、今は違う。「意味もなく」犯罪にまきこまれる可能性がある。
 こんなコウチでさえ、うちのとなりの小学校には、あの事件のあと、男が侵入し、「どうした」と先生が聞いたら「殺しにきた」と答えて、捕まっている。何ヶ月か前には、すぐ近くの道で知らない男の車が近づき「車に乗れ」と言われて逃げた。という事があり、学校から注意してくださいとの文章がまわってきた。
 とりあえず「明るいうちに帰る」「学校では、サッカー等体を使って遊ぶ」ことを約束させているが・・・
 ワンボックスの車で子供を隠すようにして停車して子供を連れ去られたらひとたまりもないが・・・。そういう時代になってしまったのだ。

 運動不足はさておき、眠らない子供は、ちゃんと理由があると思う。うちで、子供が眠らない理由は?と考えると「TV]と「照明」と「愛情」があるように思う。
 昔は、ちゃんとTVにも「子供の時間」と「大人の時間」があって、夜10時ころになるとTVも「子供にとって」つまらなくなった。今はずーっと子供がみても面白い番組をやっている。だらだらと見ていたら夜中になる。そんなことも要因としてあるのではないか?「照明」も明るすぎる。TVを消しても蛍光灯で部屋の隅から隅まで明るい部屋。
 間接照明とベットライトだけの明るさの部屋(アメリカのホテル等はそうだったが)にいるとなんだか私たちも気分が落ち着く。「起きている」、と「寝る」インターバルとしてのおだやかな照明の静かな時間があれば自然と眠りにはいるように思う。(残念ながらうちのは蛍光灯のこうこうとした明かりか、豆球かの照明である)
 そして「愛情」 うちの子供(3才)は、夜、私が仕事をしていると寝られないとやってくる。「早く寝なさい!」とおこるようにいうといったんは引き下がるが、またしばらくするとやってくる。
 ところが「すぐに行くからさきに布団に入っていて。」と優しく言うと、ちゃんと寝る。
 ふだんの時も絵本を読んだり、ちゃんと相手になってあげるとよく眠る。
あたりまえのことだが改めて思う。ちゃんと「安心」を与えてあげれば子供は寝るのである。
あたりまえの事ができない人がふえたから、世の中おかしくなっているのか?
「子供を抱きしめてあげてください」などとわざわざTVでメッセージを送らなければいけない時代である。

 社会的弱者、特に子供が悲しい思いをするのはたまらないなあ・・・


すずかけの木

2006-05-23 13:17:58 | Weblog
すずかけ(鈴掛)の木。別名プラタナス。
雨に濡れるプラタナスの若葉。ふっと目に入った。きれいだと思った。近所の公園にて。
秋になったら、葉が落ちて、3cmくらいの直径の実が(さくらんぼのように小枝の先に)つく。その様子が鈴掛の木の名の由来。
実は、リースの材料にもよい。
ちょっととげとげしているので、ぶつけ合っても楽しい(笑)。土佐弁?投げてぶつけることを「くらす」という。中学生のころはよく帰り道の公園でくらしあったものだ。

今日のハナウタ・・・「風」はしだのりひことシューベルツ(1969)さすがにリアルタイムで聞いたわけではないが、家にレコードがあった。この歌で「プラタナス」という木を知った。はしだのりひこは、1967年には加藤和彦とザ・フォーク・クルセダース「帰ってきたヨッパライ」を発売している。加藤和彦は、今、木村カエラと一緒に「タイムマシンにお願い」の曲でCMに出ている。長く生きると、いろんな曲を聴くことになるなあ。

高知駅

2006-05-21 03:27:07 | お出かけ
めったに行かない所だが、用事があってJR高知駅に出かけた。数年前より、JR高知駅に、路面電車の土佐電鉄が乗り込んできているので(なんだか、男衆がたくさんでどなりこんできたみたいですがそういうことではありません、もちろん(笑))その様子をパチリ。
パチリとかカシャッとかいうカメラのシャッター音の言葉もなくなる日が来るのでしょうか?私のパチリも正確には「ぴっ」なんだけどなんとなく「パチリ」を使ってしまいますが。
 県外からの来客だったのですが、私自身が、高知駅や中心部商店街を歩くのが久しぶりで、まるで私が観光客状態でした。
 雨の平日ということで、駅も商店街ものんびりしてました。

 ところで、駅では、大河ドラマ「功名が辻」に当て込んだ土産物コーナーが出来てました。やなせたかし氏デザインの「カズトヨくん」「チヨちゃん」「オオタグロくん」のストラップやらなにやら。

 「おおたぐろくん」のみやげもありましたが、高知の人間でさえ(たぶん)ほとんど名前を知らない「おおたぐろ」の土産は売れるのか?古き日のタノキントリオのヨッチャン状態になって売れ残るのでは、と思いましたが、ひょっとしたら、「ヨッチャン」状態になるのは「カズトヨくん」では、ないのか?という気持ちにもなってしまいました。私なら「ちよ」と「おおたぐろ」でいきますね。

いずれにせよおおきなお世話です(笑)

ううむ、なぜか惹かれるオミヤゲコーナーの「耳かき」

今日のハナウタ・・・「君といつまでも」憂歌団・・・憂歌団のライブで、加山雄三のこの名曲は欠かせません。
 

キャラメルチョコムースと不審がる子供

2006-05-18 18:21:41 | お菓子
キャラメルとチョコのムースです。上にはキャラメリゼしたくるみとパンプキンシードをのせてあります。
塩味のパンプキンシードはおいしいので、時々厨房で盗み食いしてます。ポリポリ。

さて、5月16日の続きですが、やっぱり小4の息子は、私がハードカバーの本(村上春樹の10年前のエッセイ)をよんでいることが合点がいかない。昨日も、「これはアニメだね?」(漫画の意味か?)と聞く。活字だけのページを見ながら聞く。「さっきそんな所を見ていた。」などというので、「ああ、それはイラストのページ、安西水丸と言う人の絵だよ」と見せてあげるが、まだ合点がいかない様子。私が席をたってトイレから帰ると、何か仕掛けがあるに違いない!という様子で本をひらいてみたり、上にかざしてみたりしている。
その様子は、今思い出しても笑ってしまう。なんだか子供は面白い。

今日のハナウタ・・・「パチンコ」憂歌団。井上陽水の「傘がない」を替え歌にした、「今朝きた、新聞じゃ、都会では、パチンコが出ない~」というバージョンが入ったライブバージョンが私は好きだ。

紅茶のプリン

2006-05-17 01:43:30 | お菓子
さて、ハーブやスィーツの事をかくはずのブログが、あらぬ方向へと向かうので今日は修正。
 
 紅茶のプリンを作ってみました。基本のプリンレシピ(牛乳と生クリームと全卵と砂糖というシンプルなレシピ)に卵黄とアールグレイ紅茶を加えて作りました。紅茶の甘さがいい具合にでて、砂糖の量は同じでも少し甘く感じます。次回は砂糖を少し控える予定。

 アールグレイ紅茶は、紅茶葉にベルガモットオレンジの香りをつけたもの。ベルガモットオレンジは南欧とかで普通に見られる食べられないオレンジです。人工の香料のもの(香りがきつい)も最近は多いですが、やはりベルガモットオレンジの自然な香りのものが私は好きです。
 写真は近日中にUPします。

今日のハナウタ・・・「帰れない二人」井上陽水。73’忌野清志郎との共作だそうです。33年たって意外な事実を知る。余談ですが先日、スティービーワンダーの名曲「迷信」(スーパースティション・・・英語で書けよっ!)は、実はジェフベックに提供するはずだったがいい曲だったので自分でレコーディングして発売してジェフベックを怒らせた、という事実を知りました。ほとんどの人にはなんのこっちゃわからないかもしれませんがジェフベックは世界3大ギタリスト(死語?)の一人です。

ちなみに日本三景は?「すまけい、谷啓、真梨邑ケイ」というネタがありました。私はこのネタちょっと好きです。
あいかわらずこのブログは本来の目的を離れて暴走を続けています。(笑)

村上春樹「うずまき猫のみつけかた」

2006-05-16 12:27:48 | Weblog
 図書館に行く用事があったので、村上春樹「うずまき猫のみつけかた」という本を借りてきた。
家に帰っていすに座って本を読んでいる私を見て、小4の息子がやってきて「何をしているの?」と聞いた。本を読んでいる姿を見て何をしているのか?という質問はおかしいだろう、と思ったが「本を読んでいる」と答えると、それでも納得いかない、という表情をして私を見ていた。
 思えば、私は、ここ10年ほどまともに本を読んでいないので、子供は、本を読む私の姿がどうも不思議らしい。失礼な話ではあるが、なんとなくおかしかった。

私は、10年に1度くらい本を読む周期があって、本を読むようだ?
小学校高学年の頃、友人に誘われて図書館にでかけて動物ものを狂ったように読んだ。
椋鳩十、シートン動物記、戸川幸夫等。

20才のころは、村上春樹、村上龍、中上健二。

30才のころはハーブの本。(これは、本を読むとは言わないかもしれないが、)ハーブと名のつく本をかたっぱしから読んだ。「利用法」といった実用書から、神話まで。

いずれも1年くらいかけて読むとあとは全く読まなくなる。まるで本自体がこの世界になくなってしまったかのように、全く。雑誌くらいは思い出したように買うが・・・

さてさて、40才代は、どんな本が気に入るのだろう?


今日のハナウタ・・・「インディアンサマー」清志郎&2-3S。曇リ空ニ晴レタ空ヨ思フ

ワールドカップ

2006-05-15 15:08:48 | サッカー
ワールドカップ日本代表発表されましたね。しばらくはTV等がサッカーの話題でいっぱいになるので退屈しない。いいですね。
世界の壁はなかなか厚いので、簡単には勝てないでしょうが、まずは予選突破に向けてがんばれ日本!

 思えば、最近オリンピックに選ばれた選手たちも、「オリンピックを楽しみました」とか言うが、国の代表なんだもの、死ぬ気で(あくまで気持ちで)がんばってほしいと思います。おじさんとしては、国の代表としてでる以上、徹底的に、負けたら悔し涙がでるくらい一生懸命やってほしいと思う。それにやはり「勝てば官軍」です。こういうのは「時代遅れ」なのだろうか。

 「国対国の戦争」とも言われるサッカーワールドカップは、やはり死ぬ気で戦ってほしい。その勇姿を楽しみにしています。




アルゼンチンのマリオのBダッシュ Jリーグ前夜のおやじの昔話

2006-05-12 02:53:12 | サッカー
アルゼンチンのサッカープレイヤーとサッカーをした経験を持つ人は少ないのではあるまいか?私はある!
 彼の名はマリオ。前回書いた高知大学農学部楽蹴会に所属していた、全く無名のプレイヤーである(笑)というか、マリオさん、アルゼンチンの留学生として高知大学に来ていたけど~、奥さんと子供もいたし~、30才越えてたし~、それに~、ええい、ややこしいっ!
それに、おそらく彼は、ちゃんとサッカークラブに所属して練習をしたことがないのではないだろうか?たぶん、草サッカーレベルの経験しかなかったのではないか?という動きだった。ただし、アルゼンチンの草サッカーレベルは、日本の草サッカーレベルとは訳が違う(たぶん)。
何故、彼が楽蹴会に入っていたのか私は理由を知らない。しかし、アルゼンチンでサッカーをやっていた、と聞けば誰でもそのプレーをみたいと思うだろう。クラブに入ってほしいと思うだろう。そういうことだ。←そういうことか?(笑)

それにしても、マリオさんは「個人技の南米」のサッカープレイヤーだった。時に私たちの常識を越えて、時々すばらしいすばらしい動きをした。

 マリオさんのポジションは、スイーパー(ゴール前で、最後の砦としてゴールを守るディフェンダーのカナメだ)だった。いつもそのポジションをきちっと守っているのだが、1試合に2~3度だけ、ボールをもつとドリブルを始め、相手ゴールに向かってゆく。

まさに「マリオのBダッシュ状態」である。

 マリオ止まらないかもよ?Bダッシュ!止まらないのだ。相手が止めようとする。抜く。相手が止めようとする、抜く。ゴール前でいるはずのマリオさんは、センターラインを越えて、相手ゴールに向かってゆく。相手がマリオさんの前に立ちふさがる。マリオさんの両サイドでは、チームメイトが叫ぶ「パス、パス」。

 不思議なことに、私たち(いや、たぶん相手チームのメンバーも)みんな、このタイミングでパスをだすと思う。いや、パスでつなぐ日本型(ヨーロッパ型)のサッカースタイルでは常識なのだ。ここでパスだ!サイド空いている、パスだ!

 しかし、マリオさんはパスしない。たぶんパスをだすと思っている相手ディフェンダーをさらに強引に抜いて相手ゴールの前までドリブルし続ける。
マラドーナがメキシコW杯で「5人抜き」をしたのは1986年。マリオさんが、プレーしたのは1985年ではなかったか?ということは、これがアルゼンチンサッカーのスタイルなのだろう。本当にその場にいるとパスをださないことが不思議でしょうがない。しかし、これが、「自分たちがいつの間にか築いている常識の壁」なのだと、改めて考えさせられてしまう。「日本の常識は世界の非常識」そんな言葉さえ頭をよぎる。

 ただし、マラドーナとマリオさんの決定的な違いがひとつ。マリオさんがゴール前にたどりついた時、すでに走り疲れて息があがってしまうのだ。で、ボールを取られてカウンターかまされて私たちがひどい目にあう。

 走り抜けて相手ゴール前で一休みしているマリオさんと、「やばいやばい」と言いながら、攻撃的MFくらいの位置にいるキャプテンが、ぽっかりあいた自陣ゴール前に必死で駆け戻ってくる様子が、いまでも目に浮かぶ。

マリオさんもアルゼンチンで今度のワールドカップを見るのだろうか。もちろん、見るだろう。マリオさんは、「スーパーマリオ」のゲームをやるのだろうか?いや、それはわからない(笑)

サッカーした日々 Jリーグ前夜のおやじの昔話

2006-05-12 01:47:10 | サッカー
おやじの昔話である。ワールドカップももうすぐで、なんだかサッカーの話題がいっぱいだ。私もサッカーは大好きである。理由がある。
 1年間だけ、サッカー部に入っていたことがある。高知大学農学部楽蹴会。

大学(朝倉キャンパス)の近くの友人の下宿でファミコンのスーパーマリオで遊んでいると、農学部の友人がやってきた。
サッカーをしている菊川(きくかわ)君。誰もが「キッカー」と呼んでいた。まさにサッカーをするために生れてきたような名前である。(笑)

 「サッカー部に入らないか?」キッカーは、言った。「みんな、実習とか試験とかで忙しいので試合のメンバーが足りなくなる。試合にでれるぞ!」「よしわかった」
「ところで、おれは、サッカーのルールを知らないが、いいか?」私が聞くとキッカーは言った。「問題ない、やってりゃ覚える」「確かに」私は納得した。

 高知大学農学部。高知空港(現在の高知龍馬空港)に隣接する日章キャンパスにある。高知空港から訪れる観光客を出迎えるために、農学部の道沿いにはパームツリー(ワシントン椰子)が植えられている。
 私たちは農学部のあたりを「高知のカリフォルニア」と呼んでいた。パームツリーがあることと、あまりの交通のアクセスの悪さに車がないとどこにも行けない。そこで、農学部の学生たちはみんな車を持っている。が、貧乏学生たちのその車は、10年落ちくらいの中古車でいっぱいだった。まさにカリフォルニアの風景だったのである(笑)

 農学部楽蹴会の練習は、週1回。試合に人数がそろわないくらいの部員だから、全員そろっても2チームできない。サッカーの8分の1くらいの広さで、両サイドにボールを2つ間隔をおいて並べてその間に入ればゴールとし、ミニサッカーをよくやった。だいたいいつも6~8人くらいだったのでゴールキーパーもいない。
ボールが転がっていってしまうと、ボールより高い雑草の中に入り込んで探すのに時間がかかった。

 私たち、ド新人以外は、ちゃんとしたサッカー経験者だった。みんなそれなりのレベルの技術を持っていた。(公式戦にも参加していたが、私たち素人をメンバーとしてピッチにたたせても、ちゃんと他のチームと互角に戦っていたことがなによりの証明である)高知大学のサッカー部で活躍した者も何人かいたように思う。農学部で忙しくなり、朝倉まで通えずやめたり、体を壊した者、コーチとウマがあわずにやめた者、それぞれ第1線を退いていたものの、みんな、サッカーが大好きだった。私たち素人にもていねいに紳士的にプレーの仕方を教えてくれた。

 パームツリーの向こうに夕日が沈み始める頃、練習は終わった。夕暮れの景色と吹いてゆく風がやけに気持ちが良かったのを覚えている。

 今思うと、みんな、もうすぐ始まる社会人としての生活(それはたぶんサッカーと無縁になってしまう)のその前に、サッカーとともにあゆんだ時代を、そして自由な大学生活を、そしてもうすぐ離れてしまい、これから先、めったに訪れることもないこのコウチを楽しもうとしていたようにも思える。

Jリーグが始まる2~3年前。サッカーが日本でマイナーなスポーツだった頃、日本の中で、サッカーのレベルが最下位くらいの(高校サッカーでコウチの代表はすばらしい点差で1回戦負けしていたように記憶する)コウチでのささやかな出来事である。

 こんな風にして、私は、1年間、サッカーをやった。私の技術はたぶん小学生低学年レベル、戦術の理解は、中学生レベルである。だからこそ、未経験者より、ずっとサッカーのプレイをリアルにイメージできるし、経験者よりずっと1つ1つのプレーに(少年なみに)感動できる。それはすごく幸せなことである(笑)