前回の記事に続いて少し書いておく。
結局、私の結論としては、「坂東眞砂子さんは猫を飼う資格なし!」である。
他の人の記事を読んでいて「ちゃんと埋めてあげればよかったのに・・・」
というのがあって、少し苦笑して、でもなんだかわかるような気がした。なんでかなあ?と思うに、わたしが小さい頃は、猫は適当に放し飼いされていて、セミやモグラを捕まえてきて、というふうにわりと自然に近い暮らしをしていた。
「去勢」なんてほとんど行われてなくて、やがて子供をつくってきて、どこかに捨ててどうせのたれ死にするなら自分たちの手で・・・ということがわりと身近で行われていた。
そんな時代があったのである。なんとなくその感覚が自分にもしみついているのだ。
しかし、それがむごいから、「去勢」をしたりするようになった。
生れてきたものの面倒もちゃんとみるのが飼い主の責任である現代では、子猫を殺すのは、やはり、ダメな行為、となる。
時代は変わる。今のように、ペットを「人間扱い」する風潮もどうだかなあ・・・とは思うが、少なくとも、殺したり捨てたりするのが間違いだ、という考え方はいいことだと思う。
蛇足となるが、先日偶然、捨てられる猫、保健所に持ち込まれる猫のデータを見かけた。(高知県のデータ)この10年くらい、捨て猫は減っているが、保健所に持ち込まれる子猫(殺してくれ、ということですね)は増え続けている、という結果であった。
私が言いたかった「リアルに死を感じることができないこと」の怖さ、とはこういうことである。