合歓(ねむ)の花が咲き始めた。高知の仁淀川沿いの道で撮影。おじぎそうに似た葉で、おじぎそうのようにさわっても閉じることは無いが、夜になるとねむるかのように葉を閉じるので「ねむ」の名がついたそうである。
もうずっと前、中学生のころ通っていた歯医者を思いだす。もう、そのころでも珍しい木造の古い建物で、何故か先生が一人でやっていた。
受付に自分の名前を書き、破れて中が飛び出した長いすに座って待っていると、先生が治療を終え、受付にやってきて、治療の終わった人に料金を告げ、お金をもらい、受付に書かれた名前を読み上げる。
私は歯が弱い性質なので、ずいぶん通って、ずいぶん歯に銀を詰めてもらった。この歯医者は、何故か凹型をとって銀の凸型をつくりそれで埋めるという作業をほとんどしなかった。銀粘土のようなもので削った歯に埋めていくのが普通だった。だからからなのか?よく銀がとれた。早いものでは3日(爆)遅いもので2年。
だいたい半年くらいまでに外れた場合はそれを申告すると無料でやり直してくれた。ヤブなのか良くわからないが、安かったことと、この無料入れ替えサービス?のためか、なかなか流行っていた?不思議な歯医者であった。
私が呼ばれて中に入ると、先生はいつも、必ずといっていいほど一息ついて煙草を吸った。私は治療台に座って、先生が一休みしている間、そこから見える街路樹の間に見えるチンチン電車の通る道をながめていた。
先生は、時々、私の指をみて「おまえは器用そうな手をしている。歯医者になれ。」と言った。兄もそう言われたらしいから、誰にでも言っていたのかもしれないし、私たち兄弟が器用そうな手先をしていたのかもしれないが、真偽は不明だ。
ある日、(たぶん今頃の季節だ)いつものように煙草を吸って一服しながら先生はふと独り言のように言った。「合歓の花が咲いて大雨がふったら梅雨もあけるなあ・・・」 私はそのころ「合歓の木」を知らなかったので何のことかわからなかったが、それが私にとっての「合歓の木」のはじめての思い出である。
歯医者は代替わりしたのか、同じ名前で鉄筋コンクリートの建物になって今もある。
時々、そのころながめていたチンチン電車の通る道から、その歯医者の窓をながめる。
「合歓の花」を見ると、その歯医者を思い出す。
もうずっと前、中学生のころ通っていた歯医者を思いだす。もう、そのころでも珍しい木造の古い建物で、何故か先生が一人でやっていた。
受付に自分の名前を書き、破れて中が飛び出した長いすに座って待っていると、先生が治療を終え、受付にやってきて、治療の終わった人に料金を告げ、お金をもらい、受付に書かれた名前を読み上げる。
私は歯が弱い性質なので、ずいぶん通って、ずいぶん歯に銀を詰めてもらった。この歯医者は、何故か凹型をとって銀の凸型をつくりそれで埋めるという作業をほとんどしなかった。銀粘土のようなもので削った歯に埋めていくのが普通だった。だからからなのか?よく銀がとれた。早いものでは3日(爆)遅いもので2年。
だいたい半年くらいまでに外れた場合はそれを申告すると無料でやり直してくれた。ヤブなのか良くわからないが、安かったことと、この無料入れ替えサービス?のためか、なかなか流行っていた?不思議な歯医者であった。
私が呼ばれて中に入ると、先生はいつも、必ずといっていいほど一息ついて煙草を吸った。私は治療台に座って、先生が一休みしている間、そこから見える街路樹の間に見えるチンチン電車の通る道をながめていた。
先生は、時々、私の指をみて「おまえは器用そうな手をしている。歯医者になれ。」と言った。兄もそう言われたらしいから、誰にでも言っていたのかもしれないし、私たち兄弟が器用そうな手先をしていたのかもしれないが、真偽は不明だ。
ある日、(たぶん今頃の季節だ)いつものように煙草を吸って一服しながら先生はふと独り言のように言った。「合歓の花が咲いて大雨がふったら梅雨もあけるなあ・・・」 私はそのころ「合歓の木」を知らなかったので何のことかわからなかったが、それが私にとっての「合歓の木」のはじめての思い出である。
歯医者は代替わりしたのか、同じ名前で鉄筋コンクリートの建物になって今もある。
時々、そのころながめていたチンチン電車の通る道から、その歯医者の窓をながめる。
「合歓の花」を見ると、その歯医者を思い出す。