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仁淀川・沈下橋・産廃

2010-01-10 15:50:29 | お出かけ

高知県いの町仁淀川にかかる通称「名越屋(なごや)の沈下橋」
その上流にだんだん、産廃施設のコンクリートが見え始めた。沈下橋中央から少し右、山の中腹あたり。
 「100年後のために今を考える。」「自然は、子孫から借りているもの。」
 そんな言葉が浮かんでは消える。
 
 「本当は産廃はいらんけれど、これまで価値もなかったこの場所が、売れるようになった。それはありがたい。」地元地権者の方が言ったという。それもわかる。

 今、自分自身に何ができるだろうと考える。
 
 少なくとも、自分たちの代では払いきれないという借金を抱えたこの国で、お金以外でも負の遺産を残すようなことはしたくないなあ。

 

こうぞ、みつまた、かまど余話

2010-01-10 11:02:02 | コウチの事
 先日、「かまどでごはんを炊いている、火を焚くのは面白い」という話をしていたら、
「うちのあたりは、皮を剥いだみつまたを焚きつけに使っていた。」と40代大川村出身の方が教えてくれた。
「そうそう」と40代大豊町出身の方がうなづいた。
「そうですね」と30代吾北村(現いの町吾北)出身の人もうなづいた。
「私の実家では、今もこうぞを栽培しています。ちなみにうちのあたりでは、こうぞを「かみそ」みつまたを「やなぎ」と呼びます。」と30代池川町(現仁淀川町池川)の方が教えてくれた。

 「こうぞ」「みつまた」は、和紙の原料で、高知の山間地も産地となっている。現在もお金(お札)の原料として使われているらしい。
和紙からはじまった製紙は、今もいの町の主要産業である。

 私は、平野部の介良村(現高知市介良)の出身なので、こうぞやみつまたの皮をはぐ作業を実際に見たことがない。

 15年ほど前に暮した大豊町でも、わらびとぜんまいの畑(一時は出荷量日本一になった事もあると聞いた)と、桑の畑は見たが、みつまたの畑は見たことがなかった。

 私のイメージでは、栽培は、いの町と仁淀川の上流地域の吾北くらいだと勝手に思っていた。

 吉野川水系の大川村、大豊町でも栽培されていたという話しは知らなかった。
 仁淀川水系ではあるが、池川が盛んに栽培していることも知らなかった。

 それになにより、ずっとむかしの事だと思っていた、こうぞやみつまたの皮はぎを、やったことがある、近所の人がやっていた、という人が同年代や年下にいるということが、驚きであった。

 屋外で大きな釜に湯を沸かし、みつまたを蒸し、皮を剥ぐ作業、冬にやるので、寒くて大変だ、とも聞くが、機会あればぜひ体験してみたいものである。

 で、皮をはいだみつまたを燃料にごはんを炊いてみたいと思うのである。 

ごはんができたよ

2010-01-09 10:28:13 | 山の暮らし
 かまどでごはんを炊く。石をコンクリートでつけたが、コンクリートは、石と石を密着させるというより、接着させるという事で使ったので、まあ、火を入れたらあちこちから煙が漏れる(笑)
 まあ、ちゃんとごはんが炊けるので、私にとっては、それほど問題ではない。(笑)
  
 調べてみるに、かまどは、赤土を練って作る、あるいは赤土でレンガを作りそれで作るといったタイプが多いようである。そのうちにそういうタイプも作ってみたいが、けっこう赤土が必要なようで、このあたりは赤土が少ないので、いつになるやら(笑)。とりあえず、身近にあるもので作るのが一番。

 近くで切った小木を乾燥させたもの、新聞紙、木切れ等が燃料。

 かまどでごはんをたくと少しの燃料で、炊飯器より早い時間で炊ける。

 昔から行われていたかまどで米をたく、という行為の合理性というものをあらためて感じる。
 その場を離れられない、という点では、炊飯器には劣るが(おかまが噴いたときは火を弱め、おかまから水蒸気がでなくなったときは、おかまをかまどから外す。その時には、その場になければならない)、しかし味は炊飯器よりはるかにおいしい。
 
ごはんができたよ~。