中央区入野町は、浜松市役所(中央区役所)の西南西約4kmのところ
浜松市役所南東側の「市役所前」信号を南へ、国道152号線です
約250mの「蓮尺」信号を右(西)へ、まだ国道152号線です
約2.9kmの「西伊場町」信号を右(西)へ、雄踏街道です

約1.6kmで右手のJAとぴあ浜松入野支店先を右(北)へ、入野八幡神社の参道です
JAとぴあ浜松入野支店前に
車を止めさせて頂きました

村社八幡神社の社號標です

鳥居です



鳥居脇のマキです

保存樹林説明版です
保存樹林 浜松市
指定番号 浜松市保存樹林第56号
指定年月日 昭和63年8月1日
主な樹種 クスノキ、マキ、ムクノキ、エノキ


社務所脇にもマキです



境内中央に目的のクスノキです



南西側に八幡神社の石段です

石段を上ると左手に御久和稲荷社と神明宮の相殿です

八幡神社社殿です



北東側から

境内北東側の忠霊殿の社です



東側から



南東側から

説明版です
浜松市指定天然記念物
入野八幡神社のクス 昭和34年12月19日指定
浜松市教育委員会
クスノキ科ニッケイ属の常緑高木です。
このクスの樹齢は不祥ですが、およそ450年と推定されます。
胸高幹周約10m、枝張り東西約30m、南北約30m、樹高約25mの独立木で、地上1.5mのところより分岐して四方に広がっています。
社伝によると、16世紀後半に武将より献木されたといわれています。
また江戸時代には、枝をはらって樟脳業者に売ろうとしたところ、村内に悪病が流行したため切るのを中止したという伝承があります。
社叢の中心として風格ある樹形を呈する巨樹・古木であり、貴重な天然記念物です。

説明板がもう三枚並んでいます
鎮守の森 八幡様の御神木
大楠神社
入野八幡神社の祭神は、品陀和気命(応神天皇)を主神として、山神社、大山祇命を合祀している。
旧朱印高3石、慶安元年(1648)10月24日の古文書があり、宝永、寛保、文化年代の棟札などもある。
社伝によれば、織田信長が天下を平定し、安土城を築いた天正4年(1576)のころ、戦勝を祝って九州の大名より楠が献上された。その楠を戦勝祈願した神社に奉納し植え付けられたものであるといわれている。
その当時、浜松市「八幡町の八幡宮」、磐田市「見付町の八幡宮」と当町の八幡神社に奉納されてと伝えられている。この楠は、発育もよくすくすくと成長した。やがて幼木もできたので、その1本を「賀久呂神社」の境内に株分けした。
慶応から明治初年のころ、楠より樟脳をつくるために九州の業者が買いにきた。このころ入野村は経済的に楽でなかったので、境内の1本を切って売った。また次の年に買いにきた。今度はこの夫婦楠を売ることにした。ところが切りはじめると同時に村の有力者である、権蔵、次郎左、定右衛門、九左衛門、右衛門など急に病気になった。非常に高熱となり生死の境をさまよった。
驚いた村人たちは、「これは御神木を切ろうとした祟りである」といいだした。楠を切ることを途中でやめ、一同七日間水垢離し神に赦しを請け願った。ようやく一ヶ月後に全員全快した。
以来、この木を御神木として永久に残すことにした。今も幹の南東面に傷痕がみられる。
昭和38年8月29日の台風で他の1本も倒れてしまったので、古来からのこのはこの御神木である夫婦楠だけになってしまった。

御神木指定証です、古来入野八幡神社の御神木は、そばのマキだったようです。



南側から

根元には大楠神社です
では、次へ行きましょう

2025・3・1・15・15
浜松市役所南東側の「市役所前」信号を南へ、国道152号線です
約250mの「蓮尺」信号を右(西)へ、まだ国道152号線です
約2.9kmの「西伊場町」信号を右(西)へ、雄踏街道です

約1.6kmで右手のJAとぴあ浜松入野支店先を右(北)へ、入野八幡神社の参道です

JAとぴあ浜松入野支店前に


村社八幡神社の社號標です


鳥居です




鳥居脇のマキです


保存樹林説明版です
保存樹林 浜松市
指定番号 浜松市保存樹林第56号
指定年月日 昭和63年8月1日
主な樹種 クスノキ、マキ、ムクノキ、エノキ


社務所脇にもマキです




境内中央に目的のクスノキです




南西側に八幡神社の石段です


石段を上ると左手に御久和稲荷社と神明宮の相殿です


八幡神社社殿です




北東側から


境内北東側の忠霊殿の社です




東側から




南東側から


説明版です
浜松市指定天然記念物
入野八幡神社のクス 昭和34年12月19日指定
浜松市教育委員会
クスノキ科ニッケイ属の常緑高木です。
このクスの樹齢は不祥ですが、およそ450年と推定されます。
胸高幹周約10m、枝張り東西約30m、南北約30m、樹高約25mの独立木で、地上1.5mのところより分岐して四方に広がっています。
社伝によると、16世紀後半に武将より献木されたといわれています。
また江戸時代には、枝をはらって樟脳業者に売ろうとしたところ、村内に悪病が流行したため切るのを中止したという伝承があります。
社叢の中心として風格ある樹形を呈する巨樹・古木であり、貴重な天然記念物です。

説明板がもう三枚並んでいます
鎮守の森 八幡様の御神木
大楠神社
入野八幡神社の祭神は、品陀和気命(応神天皇)を主神として、山神社、大山祇命を合祀している。
旧朱印高3石、慶安元年(1648)10月24日の古文書があり、宝永、寛保、文化年代の棟札などもある。
社伝によれば、織田信長が天下を平定し、安土城を築いた天正4年(1576)のころ、戦勝を祝って九州の大名より楠が献上された。その楠を戦勝祈願した神社に奉納し植え付けられたものであるといわれている。
その当時、浜松市「八幡町の八幡宮」、磐田市「見付町の八幡宮」と当町の八幡神社に奉納されてと伝えられている。この楠は、発育もよくすくすくと成長した。やがて幼木もできたので、その1本を「賀久呂神社」の境内に株分けした。
慶応から明治初年のころ、楠より樟脳をつくるために九州の業者が買いにきた。このころ入野村は経済的に楽でなかったので、境内の1本を切って売った。また次の年に買いにきた。今度はこの夫婦楠を売ることにした。ところが切りはじめると同時に村の有力者である、権蔵、次郎左、定右衛門、九左衛門、右衛門など急に病気になった。非常に高熱となり生死の境をさまよった。
驚いた村人たちは、「これは御神木を切ろうとした祟りである」といいだした。楠を切ることを途中でやめ、一同七日間水垢離し神に赦しを請け願った。ようやく一ヶ月後に全員全快した。
以来、この木を御神木として永久に残すことにした。今も幹の南東面に傷痕がみられる。
昭和38年8月29日の台風で他の1本も倒れてしまったので、古来からのこのはこの御神木である夫婦楠だけになってしまった。

御神木指定証です、古来入野八幡神社の御神木は、そばのマキだったようです。




南側から


根元には大楠神社です

では、次へ行きましょう


2025・3・1・15・15