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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県掛川市、今滝「今瀧寺イヌマキ2本とソテツ」です!!

2025-03-21 19:40:24 | 文化財・樹木
 今滝地区は、掛川市役所の南約11km、掛川市役所大東支所の北西約7kmのところ

 掛川市役所大東支所南側の県道372号線を西北西へ進みます、「大坂」信号からは県道69号線となります

 約1.2kmのガソリンスタンドのある信号を右(北)へ

 約900mのソウラ―発電の先の交差点を左(西)へ

 道成りに約4.7kmで横断歩道の手前を左(西南西)へ入ります

 道成りに進むと約300mで前方の寺院入口脇の擁壁の上に大きな「今瀧寺」の文字が見ました(こちらに本堂の観音堂や松鐘楼があります)

 しかし目的地は、この建物の北側にあります、大きな文字の前を過ぎて交差点の西側に

 目的の門の形に成形されたマキが見えました

 南東向きの参道です

 参道左手に駐車場に車を止めさせて頂きました

 山門替わりのマキが両側から樹冠を繋げて成形されています

 今瀧寺の寺号標です

 左側(南西側)の幹です

 右側(北東側)の幹です

 「市指定天然記念物 今瀧寺のマキ」の標柱です

 境内右手にもう一つの目的のソテツです

 「市指定天然記念物 今瀧寺のソテツ」の標柱です

 南西側からみましたが、葉が無くなってしまっていました

 客殿(持仏堂)です
 
 観音像です

 *今瀧寺ホームページによると
 本寺は縁起によれば奈良時代の初めの729年、天平元年聖武天王勅願、行基による創建です。
 養老年間の少し前から行基菩薩がこの地を巡り、数々の教化事業を行い、小笠山を挟み法多山と背中合わせで山深く泉湧くこの地を霊場に見立て、一宇の精舎を建て説法をされたのが始めだったと遠江風土記に伝えられています。
 今瀧寺は古くは正瀧寺と称していました。元久元年(1204)今瀧寺の全身正瀧寺十二坊観音堂が建立され、元和元年(1615)現在の今瀧寺と改称されました。
 本寺は真言密教の道場として繁栄し多くの信者を集めました。
 元和8年(1622)当地の人々により再興され、二度と戦火で人材を失うことのなきよう安産を祈願、祈願布を筒にし、祈願成就には底を縫ってお礼参りをする習慣が生まれ、今日に続いています。・・・とのことです
 山号は如意輪山、寺名が今瀧寺、宗派は高野山真言宗、本尊は如意輪観世音菩薩です。
 遠江三十三観音霊場第三十二番札所・遠州小笠郡南部新四国八十八ヶ所霊場第七十四番札所ともなっています。

 では、次へ行きましょう


 2025・3・1・11・30
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静岡県掛川市、上土方嶺向「高天神追手門跡スギ」(市指定)です!!

2025-03-21 06:30:31 | 文化財・樹木
 上土方嶺向地区は、掛川市役所の南南東km、掛川市役所大東支所の北北西約6kmのところ

 掛川市役所大東支所南側の県道372号線を西北西へ進みます、「大坂」信号からは県道69号線となります

 約1.2kmのガソリンスタンドのある信号を右(北)へ

 約900mのソウラ―発電の先の交差点を左(西)へ
 
 道成に約2.8kmで「⇐高天神城跡南口」の案内板を左へ入り坂道を上ると駐車場に入りました

 登城口です

 鳥瞰図です

 概略図です、今回は追手門跡なので、すぐそこまでしか行きません(数年前に本丸まで登っています)

 国指定史跡に成っています

 登城路を進みます

 スギの木が見えて来ました

 目的の「高天神追手門跡スギ」です

 「市指定天然記念物 高天神追手門跡スギ」の標柱です

 北側から

 北西側から

 西側から見ました

 すぐ先に追手門跡です

 追手門跡の標柱です

 説明版です
   追手門跡
 高天神城は、掛川市の中央に位置する小笠山から南東に張り出した、標高132mの鶴翁山に築かれた山城です。
 戦国時代には、遠江の覇権をかけて甲斐の武田氏と三河の徳川氏による激しい争奪戦が繰り広げられ、4「高天神を制するものは遠江を制す」といわれました。
 高天神城の構造は、中央に位置する井戸曲輪を挟んで東峰(本丸、御前曲輪、的場曲輪、三の丸)と西峰(西の丸、二の丸、堂の尾曲輪、井楼曲輪)に分けられ、それぞれ独立した曲輪群で構成されています。
 この東西の峰は、単独でも城として機能するつくりとなっており、俗に「一城別郭」と言われています。
 高天神城では、南側の入り口を「追手」、北側の入り口を「搦手」と呼んでおり、追手が表の入り口、搦手に裏の入り口があったと考えられます。
 追手門の詳細な位置や規模は不明ですが、追手門の礎石と伝わっている平らな石が1基、斜面に食い込む形で残されています。

 傍らの大木はヒノキです

 すぐ上側には着櫓跡です

 土塁が巡っています

 着櫓跡から追手門跡を見ました、「虎口」となっています

 登城路は更に上へ伸びていますが、今回はここまで、戻ります

 では、次へ行きましょう



 2025・3・1・11・15
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