一色町は、伊勢市役所の北東約4kmのところ
伊勢市役所の南側の県道22号線を東へ進みます
約約1.0kmの「二見街道入口」信号を左(北)へ、県道102号線です
道成に東へ進んで国道23号線を潜った約2.9kmの「通町1」信号を左(北)へ、県道576号線に入ります
約300mで右(東)へ、またすぐ左(北)へこの先道成りに約900m進んだ「一色公園」脇に車を止めさせて頂きました
一色公園東側の「JA伊勢 伊勢中央支店一色」の北側道路を入ります


間も無く左手に「一色神社」が南向きに鎮座します


境内南東側に目的のクスノキの樹冠が見えます

「一色神社」の社號標です

手水舎です

「一色の能」の説明版です
一色能
所在地 伊勢市一色町
選択 🔳一色の翁舞 国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(平成6年)
指定 🔳和谷式神楽 三重県無形民俗文化財(平成3年)
🔳一色町の木造能面 附 装束・小道具類・鏡板類、三重県有形文化財(平成4年・同6年追加)
🔳能楽 伊勢市無形民俗文化財(昭和33年)
伊勢神宮の神領に、中世から続く三つの猿楽の座(和屋・勝田・青苧)がありました。
庇護を受けていた国司北畠氏が滅んだため、その一つである和屋(谷)座は、ここ一色の地に移り住みました。
和屋座は元禄頃(1688~1704)に武家に式楽であった能(喜多流)と合流しましたが、平安から鎌倉時代にかけて行われた咒師の芸能を引き継ぐ神楽という演舞は、他の流派には存在しない一色能独特のものとして、今日も演じ続けられています。
能面は現存する41面の内、江戸期以前のものが4面、中には室町後期の作とみられるものもあり、いずれもきわめて独創的で優れた造形美を秘めています。
また、県の有形文化財に指定されている能装束54点、小道具類22点、鏡板類7点も大変貴重なものです。
平成28年3月 伊勢市教育委員会



クスノキを南南東側から見上げました



西側から



北西側から、クスノキに鳥居が有りますが幹には大きな洞が出来ています

「長寿の樹」の立札です

由来説明版です
一色神社神樹由来
この地がまだ無人の頃からこの楠は生えていた。
その後、およそ今から800年くらい前からこの地にも人が住み始め、以来、里「村」が出来るにつれて、人々はこの木を「産土(うぶすな)」として崇敬した。
その後、1576年(天正4年)、当地に北畠氏由来の人達が移り住むについて、自ら持参した「氏神(うじがみ)」と合わせて一色神社を創建したが、それ以来この木は神樹となった。
しかし、時を経て1866年(慶応2年)にこの付近に不慮の火災が発生し、神樹は無残に焼死した。その焼け跡が現在も空洞内に残っている。
ところがその後、焼失した神樹の根元から何本かの新芽をふき出し、焼失した古木をとり囲んで成育し、戦時中の空襲の大火の難からも逃れて、まるで一本の大木のような樹形を形成した。
現在、その周囲(幹回りとは言えないが)は約8mである。
人々は誰言うとなく、その神樹の生命力をたたえ、「長寿の樹」と呼んで崇敬している。
2009年(平成21年)9月記



北側から見上げました

社殿前の鳥居です

一色神社社殿です
では、次へ行きましょう
2025・1・26・9・10
伊勢市役所の南側の県道22号線を東へ進みます
約約1.0kmの「二見街道入口」信号を左(北)へ、県道102号線です
道成に東へ進んで国道23号線を潜った約2.9kmの「通町1」信号を左(北)へ、県道576号線に入ります
約300mで右(東)へ、またすぐ左(北)へこの先道成りに約900m進んだ「一色公園」脇に車を止めさせて頂きました
一色公園東側の「JA伊勢 伊勢中央支店一色」の北側道路を入ります


間も無く左手に「一色神社」が南向きに鎮座します



境内南東側に目的のクスノキの樹冠が見えます


「一色神社」の社號標です


手水舎です


「一色の能」の説明版です
一色能
所在地 伊勢市一色町
選択 🔳一色の翁舞 国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(平成6年)
指定 🔳和谷式神楽 三重県無形民俗文化財(平成3年)
🔳一色町の木造能面 附 装束・小道具類・鏡板類、三重県有形文化財(平成4年・同6年追加)
🔳能楽 伊勢市無形民俗文化財(昭和33年)
伊勢神宮の神領に、中世から続く三つの猿楽の座(和屋・勝田・青苧)がありました。
庇護を受けていた国司北畠氏が滅んだため、その一つである和屋(谷)座は、ここ一色の地に移り住みました。
和屋座は元禄頃(1688~1704)に武家に式楽であった能(喜多流)と合流しましたが、平安から鎌倉時代にかけて行われた咒師の芸能を引き継ぐ神楽という演舞は、他の流派には存在しない一色能独特のものとして、今日も演じ続けられています。
能面は現存する41面の内、江戸期以前のものが4面、中には室町後期の作とみられるものもあり、いずれもきわめて独創的で優れた造形美を秘めています。
また、県の有形文化財に指定されている能装束54点、小道具類22点、鏡板類7点も大変貴重なものです。
平成28年3月 伊勢市教育委員会



クスノキを南南東側から見上げました




西側から




北西側から、クスノキに鳥居が有りますが幹には大きな洞が出来ています


「長寿の樹」の立札です


由来説明版です
一色神社神樹由来
この地がまだ無人の頃からこの楠は生えていた。
その後、およそ今から800年くらい前からこの地にも人が住み始め、以来、里「村」が出来るにつれて、人々はこの木を「産土(うぶすな)」として崇敬した。
その後、1576年(天正4年)、当地に北畠氏由来の人達が移り住むについて、自ら持参した「氏神(うじがみ)」と合わせて一色神社を創建したが、それ以来この木は神樹となった。
しかし、時を経て1866年(慶応2年)にこの付近に不慮の火災が発生し、神樹は無残に焼死した。その焼け跡が現在も空洞内に残っている。
ところがその後、焼失した神樹の根元から何本かの新芽をふき出し、焼失した古木をとり囲んで成育し、戦時中の空襲の大火の難からも逃れて、まるで一本の大木のような樹形を形成した。
現在、その周囲(幹回りとは言えないが)は約8mである。
人々は誰言うとなく、その神樹の生命力をたたえ、「長寿の樹」と呼んで崇敬している。
2009年(平成21年)9月記



北側から見上げました


社殿前の鳥居です


一色神社社殿です

では、次へ行きましょう

2025・1・26・9・10