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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県伊勢市、一色町「一色神社のクスノキ(長寿の楠)」です!!

2025-03-02 18:31:00 | 巨樹・大木
 一色町は、伊勢市役所の北東約4kmのところ

 伊勢市役所の南側の県道22号線を東へ進みます

 約約1.0kmの「二見街道入口」信号を左(北)へ、県道102号線です

 道成に東へ進んで国道23号線を潜った約2.9kmの「通町1」信号を左(北)へ、県道576号線に入ります

 約300mで右(東)へ、またすぐ左(北)へこの先道成りに約900m進んだ「一色公園」脇に車を止めさせて頂きました

 一色公園東側の「JA伊勢 伊勢中央支店一色」の北側道路を入ります

 間も無く左手に「一色神社」が南向きに鎮座します

 境内南東側に目的のクスノキの樹冠が見えます

 「一色神社」の社號標です

 手水舎です

 「一色の能」の説明版です
   一色能 
    所在地 伊勢市一色町
    選択  🔳一色の翁舞 国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(平成6年)
    指定  🔳和谷式神楽 三重県無形民俗文化財(平成3年)
        🔳一色町の木造能面 附 装束・小道具類・鏡板類、三重県有形文化財(平成4年・同6年追加)
        🔳能楽    伊勢市無形民俗文化財(昭和33年)
 伊勢神宮の神領に、中世から続く三つの猿楽の座(和屋・勝田・青苧)がありました。
 庇護を受けていた国司北畠氏が滅んだため、その一つである和屋(谷)座は、ここ一色の地に移り住みました。
 和屋座は元禄頃(1688~1704)に武家に式楽であった能(喜多流)と合流しましたが、平安から鎌倉時代にかけて行われた咒師の芸能を引き継ぐ神楽という演舞は、他の流派には存在しない一色能独特のものとして、今日も演じ続けられています。
 能面は現存する41面の内、江戸期以前のものが4面、中には室町後期の作とみられるものもあり、いずれもきわめて独創的で優れた造形美を秘めています。
 また、県の有形文化財に指定されている能装束54点、小道具類22点、鏡板類7点も大変貴重なものです。
           平成28年3月    伊勢市教育委員会

 クスノキを南南東側から見上げました

 西側から

 北西側から、クスノキに鳥居が有りますが幹には大きな洞が出来ています

 「長寿の樹」の立札です

 由来説明版です
   一色神社神樹由来
 この地がまだ無人の頃からこの楠は生えていた。
 その後、およそ今から800年くらい前からこの地にも人が住み始め、以来、里「村」が出来るにつれて、人々はこの木を「産土(うぶすな)」として崇敬した。
 その後、1576年(天正4年)、当地に北畠氏由来の人達が移り住むについて、自ら持参した「氏神(うじがみ)」と合わせて一色神社を創建したが、それ以来この木は神樹となった。
 しかし、時を経て1866年(慶応2年)にこの付近に不慮の火災が発生し、神樹は無残に焼死した。その焼け跡が現在も空洞内に残っている。
 ところがその後、焼失した神樹の根元から何本かの新芽をふき出し、焼失した古木をとり囲んで成育し、戦時中の空襲の大火の難からも逃れて、まるで一本の大木のような樹形を形成した。
 現在、その周囲(幹回りとは言えないが)は約8mである。
 人々は誰言うとなく、その神樹の生命力をたたえ、「長寿の樹」と呼んで崇敬している。
       2009年(平成21年)9月記

 北側から見上げました

 社殿前の鳥居です

 一色神社社殿です

 では、次へ行きましょう




 2025・1・26・9・10
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三重県伊勢市、通町「栄通神社(浜郷神社)・山之神社のクスノキ」です!!

2025-03-02 06:30:00 | 巨樹・大木
 通町は、伊勢市役所の北東約3kmのところ

 伊勢市役所の南側の県道22号線を東へ進みます

 約約1.0kmの「二見街道入口」信号を左(北)へ、県道102号線です

 道成に東へ進んで国道23号線を潜った約2.9kmの「通町1」信号を左(北)へ、県道576号線に入ります

 約300mで左(西)へ、約200mで道路右手に「浜郷神社」が東向き参道で鎮座します

 通町公園前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 浜郷神社境内南西側の石垣の上に若いクスノキです

 「通町の能」の説明版です
   通町の能
     所在  伊勢市通町
     指定  伊勢市指定無形民俗文化財(昭和33年)
 遠く伊勢神宮の神領であった神三郡と呼ばれた地に、伊勢三座といわれた三つの猿楽の座がありました。
 伊勢三座は室町末期保護を受けていた国司北畠氏が滅んだので、これまでの伊勢神宮との関係を一そう深めて、神宮の近くの里に移り住みました。
 勝田流は通村に、和谷流は一色村に、青尾(青苧・青王)流は竹ヶ鼻村に転じましたが、青苧流は早くほろび勝田流に合併されました。
 勝田流はもと和谷流とともに、咒師系(しゅしけい)の猿楽でありましたので、元禄年間(17世紀末)武家の式楽である喜多流と深いかかわりをもつにいたりました。しかし、翁舞など伝統の曲目は、古くからのしきたりをきぶいしく守っています。
 能面や装束も、能楽創成期のものも含んで町内数カ所に保管されています。
 氏神栄通神社への奉納能は、毎年2月25日ごろとされています。


 月待供養の説明版です
   月待供養  (延宝7「己未」5月23日、元は栄通神社の横の小川の岸に)
 特定の月齢の夜に集まり、月を拝く礼拝水尊とまつられ月を月待という地緑の仲間の講中を供養のしるに、十三夜の略が月待塔である。
 本尊として勢至菩薩をその付緑日の23日に塔の日付が入っている。通常二十三夜待月とするのみとされている。
 十三夜とは二十三夜の略である。古く月待つ神祭りの行事であったことの投影であろう。

 南側の石垣の上に「村社 浜郷神社」社號標です

 栄通神社(浜郷神社)は東向き参道となって鳥居が並びます

 鳥居南側のクスノキの大木は大枝を支柱で支えられています

 手水舎ですが、奥の社殿前では神事が行われていますので、ここまでにします

 境内北東側に「山之神社」の入り口です

 手水舎です

 山之神社の後ろ側に目的のクスノキです

 境内東側の道路から見ました、目通り幹囲7.0mの巨木です

 北東側から見上げました

 こちら側に神社の駐車場が有りました

 では、次へ行きましょう




 2025・1・26・9・25
 
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