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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県富士市、今宮「今宮浅間神社のスギ」(市指定)です!!

2025-03-11 18:32:31 | 巨樹・大木
 今宮地区は、富士市役所の北東約6kmのところ

 富士市役所南側の「市役所前」信号を東へ、青葉通りです

 約800mの「南町」信号を左(北北東)へ、御幸通りです

 約600mの「和田町」信号を左(北)へ、県道24号線です

 道成りに坂道を東名高速や新東名高速道路を越えて上って行き、約5.3kmで左(北西)へ、県道76号線です

 約300mで右手に今宮浅間神社が南向きに鎮座します

 向かい側の「今宮公会堂」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 鳥居前には杉の切株に若い木が伸びています

 「カシ・スダジイ・イロハモミジ」の保存樹林の表示板です

 参道を進みます

 手水舎です

 拝殿です


 本殿覆い屋です
*御祭神は、木花之佐久夜毘売命を主祭神とし、阿波乃咩命を配神とし、御神徳は安産・子宝・火難除け等です。
 創建は、貞観6年(864)かつて形成された富士山の溶岩流の先端に社を建て、災害が起きないように浅間大神を祀ったのが当社の始まりと考えられています。
 現在の本殿と拝殿は、昭和55年(1980)7月に改築したものです。(以上Wikipediaの一部抜粋です)

 本殿北東側の鎮守の森の中に大きなスギが見えました

 目的のスギです、南西側から見上げました

 天然記念物標柱です

 西側から

 北西側から

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう




 2025・2・28・12・10
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静岡県富士市、間門「間門浅間神社のシイ」(市指定)です!!

2025-03-11 06:31:20 | 巨樹・大木
 今日で、東日本大震災から14年となりましたあの日あなたは何をしていましたか・・・

 間門地区は、富士市役所の北東約7kmのところ

 富士市役所南側の「市役所前」信号を東へ、青葉通りです

 約1.1kmの信号を左(北東)へ、約500mで右(東南東)へ

 約1.3kmの「高尾奈」信号を左(北)へ、岳南電車の踏切を渡って直ぐの信号を右(東)へ、県道22号線です

 約900mの「⇐富士山こどもの国14km」の案内板を左(北)へ

 道成りに約6.9km坂道を上って行き、県道76号線に合流します

 約300mで新東名高速道路の高架を潜ると右手に「ヤマザキショップ」の前を右(東)へ

 間も無く左手に大きなスダジイが見えてきます
 
 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 間門浅間神社は南向きに鎮座します

 南東側から

 説明版ですが・・・
   富士市指定天然記念物  間門浅間神社のシイ
     樹高 25m、目通り 4.23m、枝張り 東西20m、南北20m
     指定  昭和45年12月21日
     〈案内〉浅間神社拝殿の裏手にあり、幹の枝下が高く、真っ直ぐである、樹勢は旺盛。
        昭和58年12月20日   富士市教育委員会
*合点が行きましたね、目的のスダジイは拝殿の後ろ側に在ります

 北ちう側から見上げました

 「スダジイ・タブノキ・カヤ」の保存樹林表示板です

 鳥居を潜り

 「奉祝天皇陛下御在位六十年記念」碑です、神社の由来が記されています
    神社の由来(間門字峰山240番地)
 浅間神社   木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
 由来     承安年間(1171~74)の創建と伝えられる
        社地は蝦夷城のあと、浅間神社は富士山を御神体として水徳の神・安産の神として祀られる
 境内社    五社宮(本殿の右)
      八幡大神  応神天王  武の神 町内守護の神
      稲荷神   宇迦之御神 豊作の神
      子ノ神   大国主命  福の神 縁結びの神
      天満天神  菅原道真  学問の神
      岐ノ神(ちまたのかみ)猿田彦 道しるべの神
             寛永年間(1624~43)の創建と云う
         第六天神社(五社宮の右)
  祭神  高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
      伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
        二柱とも日本国土創造の神、慶長年間(1596~1614)の創建と云う
  拝祠社 山神社(山頂にあり)
      祭神 大山祇神(おおやまずみのかみ)
        山林田畑を守る神として在来東と西に鎮座の山神社を、明治41、42年に現在地に合祀した
    撥文  駿河郷土史研究会会長 鈴木富男
    揮毫  穆清書道会主宰    山本秀陽
    石匠  富士市国久保     山本石材工業(株)

 参道を進みます

 ながら読書で有名になってしまった「二宮金次郎像」ですが、元々は「勤勉・一生懸命に励むこと」を推奨していたのです、昔はどこの小学校にもありましたよね~

 手水舎です

 拝殿です

 拝殿左側から目的のスダジイです

 天然記念物案内板と御神木指定証です

 拝殿裏側に廻ると一段上に本殿です

 本殿への石段(東側)から見ました

 本殿前(北東側)から

 本殿です、三社が並んだ左端です

 真ん中(本殿右側)に大きな五社神社です

 右側に第六天神社です

 山頂へ行ってみましょう

 階段が整備されています

 神社の由来碑にあった山神社です

 境内東側のカヤです、これより太いカヤは見当たりませんでした

 東側道路脇に神社の由来碑にあった「蝦夷城」の石碑です
    史蹟蝦夷城跡
 二つの深い渓谷に囲まれたこの社地は、昔日本武尊(やまとたかるのみこと:西暦110)が、御東征のとき、しばらく滞在したといわれる蝦夷城の跡だと伝えられる。
 附近に、物見塚、城前、同勢などの地名がある。
     昭和62年10月吉日
     撰文  駿河郷土史研究会長  鈴木富男
     揮毫  富士市教育長     小川 清
     発起人(建立者)    間門町史跡保存会
石碑寄贈 富士市富士岡 (有)仁藤石材
     石碑台石寄贈   間門 西方 勉(?)

 では、次へ行きましょう



 

 2025・2・28・11・50
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