青木地区は、三島市役所の南約1.5kmのところ
三島市役所東側の県道21号線を南へ進みます
約700mの「南二日町IC」信号からは国道136号線となって更に南下します
約700mの信号を右(西)に入った所に南向きで「御嶽神社」が鎮座しますが駐車場がないので
信号を左(東)へ入って直ぐの交差点を右(南)へ入った「青木公民館前」に
車を止めさせて頂きました

御嶽神社境内入口です

「御嶽神社」社號標です


南西側から目的の「親子モッコク」です

「天然記念物 御嶽神社の親子モッコク」の石柱です



南東側から親の方のモッコクです

「指定樹齢350年」の保存木説明板と御神木指定証です

文化財説明版です
御嶽神社の指定文化財等
県指定天然記念物
御嶽神社の親子モッコク
ただの来として見れば、それほど大きな木ではないが、モッコクは生育が遅いので、この様に目通り幹廻り2mにおよぶ来は、全国的に見ても珍しい。
大小2本のモッコクが根元を寄せ合っているところから親子モッコクの名称がついた。あたかも一人立ちしていく子供を親が見守っている様な姿である。
御嶽神社に伝わる民俗文化
青木御嶽神社の為朝版木他
八郎為朝大明神の護符による疱瘡よけの民間習俗がいつ始またのか明らかではないが、ここ御嶽神社にも、為朝像版木、護符版木、印刷道具(スリバチ、バレン)、奉納された弓矢があり、疫病が流行すると護符が刷られ分けられていた。
また、奉納された竹弓を持ち帰り、病気が全快すると倍数にして神前に奉納することになっていたという言い伝えもなこっている。
いずれにしても、長い年月人々を苦しめた疱瘡を、護符により為朝の武勇で静めようと願う習俗が、三島及び周辺の人々の間に存在したことを知る上で貴重な資料である。
平成8年12月 三島市教育委員会



北東側から見ました

手水舎です

社殿です

説明版です
御嶽神社
鎮座地 三島市青木31番地
御祭神 大日霊尊〈おおひるめのみこと〉(天照大神)
藤代大神・外6座
殉国英霊12柱
例祭日 10月16日
由緒
天正年記の石神像があり、天正18年(1590)縄打水帳「みたけめん」「正月まつりめん」など御供田を有している。
主神は大日霊、相殿に藤代大神(藤代社字藤之宮)・鎮西八郎為朝公(八郎社字寺畑)・金山彦命(金山社字青木)・中津少童命(床浦社本境内)・須佐男命(八坂社本境内)・倉稲魂命(稲荷社本社境内)の6座を明治8年合併した。
並に祖国守護の大任に殉じた英霊氏子12柱を祀る。

社殿前から親子モッコクを見ました
では、次へ行きましょう

2025・2・28・9・20
三島市役所東側の県道21号線を南へ進みます
約700mの「南二日町IC」信号からは国道136号線となって更に南下します
約700mの信号を右(西)に入った所に南向きで「御嶽神社」が鎮座しますが駐車場がないので
信号を左(東)へ入って直ぐの交差点を右(南)へ入った「青木公民館前」に


御嶽神社境内入口です


「御嶽神社」社號標です




南西側から目的の「親子モッコク」です


「天然記念物 御嶽神社の親子モッコク」の石柱です




南東側から親の方のモッコクです


「指定樹齢350年」の保存木説明板と御神木指定証です


文化財説明版です
御嶽神社の指定文化財等
県指定天然記念物
御嶽神社の親子モッコク
ただの来として見れば、それほど大きな木ではないが、モッコクは生育が遅いので、この様に目通り幹廻り2mにおよぶ来は、全国的に見ても珍しい。
大小2本のモッコクが根元を寄せ合っているところから親子モッコクの名称がついた。あたかも一人立ちしていく子供を親が見守っている様な姿である。
御嶽神社に伝わる民俗文化
青木御嶽神社の為朝版木他
八郎為朝大明神の護符による疱瘡よけの民間習俗がいつ始またのか明らかではないが、ここ御嶽神社にも、為朝像版木、護符版木、印刷道具(スリバチ、バレン)、奉納された弓矢があり、疫病が流行すると護符が刷られ分けられていた。
また、奉納された竹弓を持ち帰り、病気が全快すると倍数にして神前に奉納することになっていたという言い伝えもなこっている。
いずれにしても、長い年月人々を苦しめた疱瘡を、護符により為朝の武勇で静めようと願う習俗が、三島及び周辺の人々の間に存在したことを知る上で貴重な資料である。
平成8年12月 三島市教育委員会



北東側から見ました


手水舎です


社殿です


説明版です
御嶽神社
鎮座地 三島市青木31番地
御祭神 大日霊尊〈おおひるめのみこと〉(天照大神)
藤代大神・外6座
殉国英霊12柱
例祭日 10月16日
由緒
天正年記の石神像があり、天正18年(1590)縄打水帳「みたけめん」「正月まつりめん」など御供田を有している。
主神は大日霊、相殿に藤代大神(藤代社字藤之宮)・鎮西八郎為朝公(八郎社字寺畑)・金山彦命(金山社字青木)・中津少童命(床浦社本境内)・須佐男命(八坂社本境内)・倉稲魂命(稲荷社本社境内)の6座を明治8年合併した。
並に祖国守護の大任に殉じた英霊氏子12柱を祀る。

社殿前から親子モッコクを見ました

では、次へ行きましょう


2025・2・28・9・20