種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

東京プリズン

2014年09月21日 | フォトリーディング(未整理)
東京プリズン
赤坂真理
河出書房新社


これも内田樹さんの「街場の共同体論」(潮出版社)で紹介されていた本です。母親の娘に対する強大な支配力が主題になっている本の1冊です。

タイトルにプリズンという言葉が使われているほどに、物語は複雑で層が幾重にも重なっているような印象を受けています。時代もあちらこちらへ飛ぶ印象があります。繰り返すというのか。

まだ全部読めていませんが、母の支配で私の家族に在ったものを同じ質がありました。

この小説では母自身であるけれど、私の家族では、祖父のことがタブーで語られないことがありました。私の母の姉妹である叔母たちにとっては、タブーでも何でもないので、不意に話題に上ってくることがありました。私にとっては初めて知ることなので、詳しく教えてほしいと叔母たちに訊きますが、叔母たちにとっては当たり前のことなので、わざわざ説明したりすることではないのです。

そういう私の記憶がよみがえってくるエピソードがこの本のなかにありました。母の支配の形のひとつなのでしょう。私の母にとって、父(私にとって祖父にあたる)の存在が希薄なのもわかってきました。同じ家に暮らした妹たちである叔母たちにおいては、祖父はもっと存在感のある人のようです。不思議な気がするけれども、当然かもしれない。叔母たちは、母である祖母の支配を、長女である私の母ほどには受けなかったということなのでしょう。

私自身や母をとりまく環境への理解が進みました。だからどうだということではないのです。名前のないものに名前をつけたりして、気づいたり際立たせることによって、あいまいな何かを区別して、自分を力づけることがあります。


冥土めぐり

2014年09月21日 | フォトリーディング(未整理)
冥土めぐり
鹿島田真希
河出書房新社


単なる読者にすぎないけれども勝手に師匠と慕っている内田樹さんの「街場の共同体論」(潮出版社)で紹介されていた本です。母親の娘に対する強大な支配力が主題になっている本だそうです。

私もその主題に苦しんでいた娘のひとりです。読んだ後味が重たかった。かせになっている家族の内容は違うけれど、精神に重くのしかかってくる感じは私の家族にあったそれと同じ。父親が不在か存在感が希薄なのも同じ。

これは普遍的なテーマであったんだなあ。

古くはテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」、コレット・ダウリングの「シンデレラ・コンプレックス」、柴門ふみの「あすなろ白書」。これは息子だったけど、母親の支配で私の記憶を呼び覚ましてしまった。

この物語の主人公も結婚して、その夫である人のこだわりのない様子から、内面の苦しみをまったく理解されないながらも、そこから離れつつあるのを感じました。小説は終わりを迎えましたが、主人公の苦しみは続くはずだけれども、距離が遠くなりつつあるのがかすかな救いです。

私自身の物語はまだ書けないです。けれども、私も今は、母の影響力の外に、だいぶ外に居れるようになった気がします。