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しょぼい毎日

いつも理想はでっかいが、結果はしょぼい・・・。そんな日常を綴ってみました

いまいち撮影日記・・・・。阪急6300系を追って

2009-12-26 23:37:10 | 鉄道写真

12月19日(土)

  私の子供時代(書籍を通じて)の憧れであり、大学時代の四年間は数え切れないほど乗車してきた阪急6300系特急車が特急の任を解かれようとしています。8両編成の特急運用編成はとうとう1編成になってしまいました。いままで当たり前すぎて、積極的な撮影対象ではありませんでしたが、今から思うともっとまじめに写真を撮っておくべきだったと悔やんだりしています。今日は、私鉄王国関西を代表する6300系をじっくり撮影したいと思い立ち、早朝の明石海峡大橋を渡ります。

6300_022 いつものように、神戸総合運動公園駐車場に車を停め、まずはJR須磨駅に向かいます。行きがけの駄賃とばかりに貨物列車を撮影します。ぎりぎり72列車に間に合いそうです。運がよければ茶釜(EF65-57)に出会うかも・・・。

最近、お立ち台通信で出ていた須磨駅東6300_034側の踏切をダッシュで目指します。目的地と思われるポイントに到着すると同時に警報機が鳴り出し、あわててバックからカメラを取り出します。ファインダーをのぞいたときには、機関車 の姿は大きくなっていました。あわててシャッターを切りますが、実に中途半端なショットになってしまいました。慌てたので画面は水平になっていません。それに、もう少しISO感度を上げとけばよかった・・・。残念・・・。今日のカマは茶釜こと57号機だったのに・・・・。

その後、気の抜けたサイダーのようなモチベーションのもと、和田岬線の103系回送や181系<はまかぜ>などを黙々と撮影します。が、こんな気持ちではよい写真は撮れる筈がありません。おまけに、今朝は12月にしては寒すぎの気候です。 引き上げることにします。須磨駅に歩いて帰る途中に重大な事に気がつきました。私がさっきまで撮影していたポイントは、お立ち台通信に載っていた場所よりひとつ大阪寄りの踏み切りだった事を。収まりの悪いアングルで、寒さに震えながら1時間も立ち続けた自分が情けない。大いに凹みます。

6300_109午後からは、当初の目的。阪急電車で勝負します。十三の駅で網を張っていると、運良く京都方向から見慣れた四角い顔が姿を現します。次は、梅田方向から折り返してくる姿を、反対側のホームの端から狙います。やがて淀川をゆっくり渡ってくる6300系の姿を確認。このままいけば、良いショットが撮れるかなと皮算用・・・。が6300_129遥か後 方から手前を走る宝塚線の9000系急行がぐいぐいと迫ってきます。新型車と旧型車の性能の差を見せつけるように、あれよと言う間に6300系を抜き去り、悠然と、そして私のカメラの視界を遮りながら十三のホームになだれ込んできます。またもや凹みます。

こうも失敗が続くと、冒険はできません。確実に6300系が捉えるポイントで待ち受ける事にします。南茨木駅の京都寄りホームに腰をすえ、先ほど逃した6300系が帰ってくるのをひたすら待ちます。とにかく1本しかありませんので、忍の一字で寒さに耐えます。

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6300_231  待つこと1時間。ようやく6300系が姿を現しました。とは言え、もう少し上手く撮影できたのではと、後から反省したりします。

次回、もう少し躍動感ある写真が撮れたら良いのにと思います。が、3月の特急運用撤退まであとわずか。次があるといいのですが。

この後、夕食に入ったレストランで、寒いので暖かいものをと思いハンバーグドリアを注文。なぜか当然のような流れで熱いハンバーグで口の中を火傷・・・。どうもちぐはぐなのは写真だけではないようです。これからの年越しが思いやられる・・・・。


終日撮影

2009-11-23 23:26:23 | 鉄道写真

11月7日(土)

鉄道写真について日頃からアドバイスをいただくことの多い、大阪在Img_3809住A木氏が今年になってから愛知県の清洲に足繁く通っています。

何が彼をそこに惹きつけるのか・・・、

それが知りたくもあり、一度私も現地を案内してほしい旨、依頼しました。近所にある稲沢機関区公開イベントのある日をチョイスして・・・・。前夜の金曜日、仕事をテキパキ終わらせて、早めに帰宅。簡単に身支度して、予約していた夜行バスで名古屋に向かいます。徳島~名古屋は夜行便としては中途半端な距離なのか、途中のSAでの時間調整が長く感じられます。あまり熟睡できたとは言えませんが、JR名古屋ターミナルビル横に午前5時40分にバスが到着し、長い一日が始まります。

A木氏は早朝のフライアッシュ貨物列車を撮影するために、すでに自家用車で現地に来ています。私も、JR名古屋駅から岐阜方向に2つ目の清洲駅で下車します。清洲駅北側の踏切付近まで走り、すでに撮影モードに入っているA木氏と合流。挨拶を交わす間も無く最初のお目当て、フライアッシュ貨物列車が岐阜方向からやってきました。

Img_3813 ←早朝にもかかわらずISO感度を上げていなかったので、暗い画面に・・・。横の、A木氏はちゃんと感度を上げていて、成功していました。当たり前のImg_3850 ことがちゃんとできない自分に凹んでしまいます。

が、そんな憂鬱な気分も長くは続きません。この時間帯、次から次へと上り貨物がやって来て、最初の失敗を引きずっている暇なぞありません。夢中でシャッターを押し続けます。機関車もバラエティーに富んでいて、飽きることがありません。

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Img_4048 これだけ、機関車のバリエーションが多い線区はここの他には、鶴見・武蔵野近辺くらいか?

やがて陽も高くなり、側面に光が当たらなくなってきたので、ここでの撮影は、切り上げる事に。

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珍客もありました。キヤ97系気動車。レール運搬車。

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東京メトロの甲種輸送も遭遇。

引き続き、稲沢機関区公開イベントへ向かいます。コインパーキングに車を止めて会場へ。

Img_4104 ここでは、少々落胆してしまいます。機関車の展示方法に難ありです。その壱.電気機関車のパンタグラフを下げたままの展示!レストランで冷えてないビールが出されたような気持ちになります。その弐.EF64-1000はそばのImg_4085陸橋の影に全身覆われています。ちょっと移動させれば良いのに・・・。その参.今年は、コンテナ50周年というこ とでコンテナの展示に力が入れられていますが、いくつかのコンテナに被るようにテントが設営されていて撮影はしにくかったなア・・・・。どちらかというと、地域の方々との交流に主眼を置いているような感じですが、そういった意味では成功しています。昼飯として職員さん?の焼く、焼きそばをいただきました。おいしかったです。とは言え、現場の方々は休日に出勤していただき大変だったと思います。こういうイベントを開催していただくだけでありがたい事です。ここで、JR貨物公式カレンダーをGETできたのは幸いでした。

さて撮影後半戦は、JR清洲駅ホーム上から。ホーム真ん中付近で次から次へとやってくる貨物列車を撮影し続けます。

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日の出から、陽が傾くまで、終日、貨物列車の撮影ができました。心は満腹状態です。

満足!満足!

そしてA木氏が清洲に通う理由が分かったような気がします・・・・。

帰りは、A木氏の運転する自家用車で氏の住む枚方市まで便乗させてもらいます。今日は、ホントにお世話になりました。


7月の関東紀行(1) モノサク編

2009-07-24 23:57:54 | 鉄道写真
7月に入り、私が暑い中営業で得意先回りをしていると、大学鉄研同期のA木氏から携帯メールが入ってきます。少し早いバカンスの便です。北海道で撮り鉄三昧の日々を送っているとの事。最初は「いい気なモノだなア」と羨ましくもあり、ちょっぴり腹立たしくもあり複雑な思いを氏に抱いていましたが、やがて自分もどこか遠くで撮り鉄三昧してみたいと思うようになりました。18日からちょうど3連休が始まります。この休みを利用して久しぶりに関東に出かける事にしました。
7月17日(金)
出発当日の夕方、ほぼ定時に職場を出ようとした矢先、本日期限の報告が上がってきていないという本部からの催促の電話がかかってきました。この件に関しては本来関係のない私は、そのまま帰っても良かったのですが、何故か呼び止められ、私が残業して仕上げる事に。(担当のパソコン処理能力が低い為!)
予想外の残業を大急ぎで済ませ、いったん自宅に戻り、大急ぎで旅支度をします。これから夜行バスに乗り込み東京を目指すのです。が、予想外の残業が祟り、バス停に着いた頃には、予定の発車時間を大分過ぎていました。内心乗車を諦めていましたが、バスは乗客の荷物の積み込みに手間取っており、まだ出発できずにいました。結局ギリギリセーフと言ったところで、乗車出来ました・・・。
ここまでは、良い!
でも、大問題が!
出発準備が充分出来ずに、肝心要の貨物時刻表を持って来られなかった・・・・!私の気持ちとしては、貨物列車の写真が撮れなければ、今回の旅は失敗したも同然です。
急遽、すでにバカンスを終えて自宅に戻っていたA木氏に携帯メールを打ち、第1日目の撮影予定地の貨レ通過時刻を教えてもらう事で、当面の危機を凌ぐことが出来ました。明日は大学鉄研同期で貨車研究家のK池氏のアパートに泊めてもらう予定でしたので、宿泊の際に氏が持っている貨物時刻表を見せてもらえば、以後の撮影に関しても問題ないと、その時は思っていました。
7月18日(土)
翌朝、私は憧れの地?<モノサク>に立っていました。総武線の物井駅と佐倉駅の間は東京近郊と思えないような長閑な田園風景が広がっています。房総地区では、屈指の名撮影地と思われる、<モノサク>で、何時かEF65ー500番台貨物や183系特急電車の写真を撮りたいと思っていましたが、そうこうしている間に撮影したかった上記車両たちは引退してしまい、今や平成生まれの成田エクスプレスでさえ、新型に置き換わろうとしています。

物井駅寄りのカーブで下りをねらいます。

関東の方には見慣れた車両でしょうが、四国に逼塞する私にとっては来る列車、皆珍しい!しかも本数が多い!お猿さん状態でシャッターを切り続けます。

Monosaku01 A木氏からの情報のおかげで貨物1本目GET!

Monosaku02 飽きるほど来る成田エクスプレス!でも新型に置き換わる前に、これを撮影したかった!

Monosaku03 スカ色113系、予想以上に頻繁に来ます。

Monosaku04 サプライズ!新型NEXの試運転に遭遇!うれしいー!でも後で良く確認してみると、画面左下に後から来たマニアさんがバッチリ自己主張されています。ちょっとがっかり・・・。

もっとも数年後には、この車両にすべて置き換わるので稀少価値がある写真では無いのでしょうが・・・

次に佐倉寄りトンネル方向に移動します。

Monosaku07 移動途中に2本目の下り貨物が来てしまいました。あわてて、レンズを向けます。それにしても、更新機ばかりが来ます。というか、原色機の数が減ってしまったという事でしょうが・・・・。

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Monosaku09

10時過ぎから13時過ぎまで、曇りとはいえ高温多湿の不快指数MAXな気候下で撮影を続けていると、さすがに体力も消耗してきます。お腹も空いてきた事ですし、ここでの撮影を終了します。トンネルのある小山を越え佐倉駅を目指します。丘の上の道路から先ほどまで撮影していたエリアを一望出来ます。

Monosaku11 東京駅から1地時間圏内に展開する長閑な田園風景にしばし見とれます。

トンネル付近から30分ほど歩き佐倉駅へ。駅の北口にある王将に飛び込み昼間から生ジョッキを注文し、冷えたビールを疲れ切った身体に流し込みます。ささやかなんですが、ここしばらく味わった事がない幸福感に満たされていきます。しょぼい満足感に浸りながら、今回のモノサク訪問は終了したのでした・・・・。

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0系への長い道

2008-12-07 10:50:44 | 鉄道写真

  11月23日(日)勤労感謝の日

40Dの初陣を飾るべく*、岡山に車を走らせます。心の中でシャア少佐のように呟きます

「見せてもらおう、40Dの性能とやらを!」

*11/9の緑木検修場でのショットはテストですから・・・。

Img_6037 20世紀を代表する鉄道車両0系新幹線が引退するまであと1週間!世間一般も巻き込み、大きな話題になっているようです。駅にカメラを手にしたマニアやにわかファンが大挙押しかけている様子を映したニュース映像が、たびたび流されています。この私も、撮り鉄としては若葉マークが取れそうでとれないレベルですが、引退前に1枚くらいは0系の雄姿を収めたいという想いはあります。そう言うわけで、徳島の自宅を車で朝7時過ぎに出て、瀬戸大橋経由で岡山県に渡ります。今日は、山陽新幹線の高梁川鉄橋に向かいます。お立ち台通信vol.2の0系ファイナルガイドに掲載されているポイントを目指します。入り口付近に駐車スペースが無いため、少し離れた場所に駐めました。ガイドに書かれている小道は、ホントにこの道で大丈夫と思えるような、上空を覆う竹藪で薄暗くて、細く曲がりくねった道でした。その道の終点はお墓になっていました。てっきり道を間違えたと思いましたが。お墓の向こうに、少し開けたスペースが見えます。お墓を避けながら、開けた場所に出ると軽い感動に震えが来ました。新幹線鉄橋が見下ろせます!やがて100系こだまが目前を駆け抜けていきます。<本に出ているのと、同じ光景ですよ!(当たり前ですが)>。しかも、引退1週間前というのに、同業者の姿は無い!「お立ち台を独占だアー!」0系通過まであと2時間あります。それまで、ゆっくり待つとしましょう・・・・。

とは言え、静かだったのは、この時まで・・・・・。

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Img_6021 次から次へといろんなTypeの新幹線がやって来ます。500系は見かけましたが、元祖300系は2時間待っても現れませんでした。山陽区間では珍客なのでしょう・・・。

10分ほどすると、同業者が現れ始めます。1時間30分前に5人。1時間前に15人。30分前には私の前方に陣取るカメラマンを含め30人以上の同業者さんたちが、ネコの額ほどのお立ち台に固まって、0系通過のその一瞬を待ち受けています。

   

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やがて、その時がやって来ました。その場に居合わせた全ての人が、遠くに見えたヘッドライトの光を確認すると同時に、少しずつ大きくなっていく0系の姿に、全神経を集中させます。橋梁の真ん中を過ぎたあたりから、一斉にカメラのシャッターを切る音が付近に響きます。0系通過は一瞬の出来事でしたが、ファインダーを覗いていた私にとっては、この一瞬がスローモーションの様に感じました。このような感覚は、初めての経験でした。0系新幹線がN700等の新鋭車両と比して遅いのは事実でしょうが・・・・。2時間待った甲斐がありました。

ともあれ、40Dに機種をグレードアップしておいて良かった・・・!MAX秒速6枚の威力に感動!この性能がなければ新幹線の撮影は難しかった・・・・。

新倉敷でのお別れ

3時過ぎに新倉敷に停車する博多行き<こだま>を見送ることにします。駅のホームに上がると待機中のカメラマンがちらほら。その中には、さっきまで高梁川鉄橋のお立ち台にいた人も何人かいます。みんな、0系にお別れしに来ているんでしょう・・・。

新大阪方から思いの外ゆっくりと0系<こだま>がホームに滑り込んできます。ここで、後続の<のぞみ>に抜かれる為、しばらく停車します。先頭車付近では、マニアだけでなく、車内から出てきた一般の乗客や子供達を加えた大人数の人が記念撮影をしています。そうしているうち、稲妻のような<のぞみ>に一瞬にして抜かれると、乗客達はあわてて車内に戻り、新倉敷駅は静寂を取り戻します。発車時間が来て0系こだまがゆっくりとホームから離れていきます。

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立ち会ったギャラリー達は、視界から消えるまで小さくなっていく0系の姿を追い続けます。赤いテールライトが小さな点になって見えなくなるまで・・・・。

私にとっては、これが最後の別れになるかもしれないとの思いを抱きながら・・・・。

「さよなら、0系さん!ごくろうさま」と心の中でつぶやきながら、人気のない新倉敷駅の階段を下ります。

水島への寄り道

Img_6127 新倉敷からの帰り道、水島臨海鉄道の倉敷貨物ターミナルに立ち寄ります。こちらは、前回Img_6107訪問から15年?程間隔が空いてしまいました。前回訪問時はまだタンク車がヤード付近に多数居ましたが、いまや1両の姿も見えません。完全にコンテナ取扱駅となってしまいました。前回来たときには、繋がっていた(ように見えた)製鉄所方面へのレールも、切られていました。昔を知るものにとっては、寂しさを覚える、秋の夕暮れの貨物駅でした・・・・。