山高きが故に貴からず 樹あるを以て貴しとなす 実語教
『実語教』というのは、仏教経典やその他の書物の格言を集めて、簡単に朗読できるように編集された子どものための教訓書です。平安時代には出来あがっていたといいます。江戸時代には寺子屋の教科書として使用され、弘法大師空海の作とも伝えられていますが不確かです。
「高くて綺麗なだけでは名山ではない。大雨が降ったら洪水にならないように樹のしげった保水力のある山でなくてはダメだよ」と解釈したら、超訳すぎるでしょうか。
齋藤孝著『親子で読もう実語教』(致知出版社刊)なんていう本も出版されているようですから、知っている人はしっている資料なのでしょう。
私はどこで知ったかというと、夏目漱石の『吾輩は猫である』のなかで見つけました。漱石先生は原文通りでなく「鼻高きが故に貴からず、奇なるが為に貴し」ともじってはいますが。
なんで、『吾輩は猫である』なぞを読んでいるかというと、『吾輩』の中にあるというある句の出所を確認しておきたい為に、文庫版で470頁にもおよぶ長編を 読み続けたわけですが、またもや途中で挫折して最終ページまでたどり着けることはありませんでした。
書き出しは有名で誰でも知っているけれど、「きちんと読んだ人はいるのかしら」なぞと思うのは不遜でしょうか。
というわけで、明治時代までは誰でもしっていたであろう言葉を今月の言葉にしました。