松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

蝶が飛んでいる、葉っぱが飛んでいる。この世このまま大調和。 河井寛次郎

2020-10-01 | インポート

蝶が飛んでいる、葉っぱが飛んでいる。この世このまま大調和。 
              河井寛次郎『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』(講談社文芸文庫)

今年はほんとうに「きっぱりと秋が来た」という感じ。30度越えの残暑が続いたかと思うと、彼岸の入りとともに涼しくなりました。そんな秋10月のことば、陶芸家の河井寛次郎(1890~1966)の著作からの引用です。と言いながら、いつも通り、正直に白状すれば、妙心寺派の月刊誌『花園10月号』からの孫引きです。
 近代の陶芸家の言葉を教えてくれたのは、山梨県・桂林寺副住職織田宗泰師が『花園』誌へ寄稿した「無事な一人旅」という文章に紹介されいる言葉です。
 私は織田師とは面識ありませんが、その冒頭をそのまま引用すれば……。

 陶芸家の河井寛次郎さんは、まもなく戦争も終わりを迎えようという頃、住み慣れた街といつお別れがくるかわからない状況の中で、よく散歩に出かけていたそうです。
 いつものように散歩していると、一本の大木の葉がことごとく虫に喰われ丸坊主になっているのを見つけました。喰う喰われるという自然界の定めである弱肉強食。ところが、この日ばかりは、喰う喰われるという痛ましい現実が、そのままの姿で養い養われ生かし合っている現象に見えたのです。葉っぱは、幼虫を養うことで蝶になり空を飛んでいる。喰う喰われるというとらわれを離れた時、生かし合っているありのままの姿が、寛次郎さんの心に素直に映ったのではないてしょうか。
 戦時中のいつ命を落とすともわからない不安の中で、これでいいのだと安心を得たそうです。その時の心境を「不安のままで平安」と寛次郎さんは表現しています。この平安な心こそが「無事」なのではないでしょうか。

 この文章を書いた織田師は妙心寺派の布教師で、妙心寺派令和二年度推進テーマが「ありのままこそ仏さま 無事是貴人」なので、そのテーマに沿った文章です。このあとご自分が大学時代に行ったひとり旅の体験を書いていて、うまい文章だなぁー、と思う。
 全文を読みたい方は、妙心寺派のホームページから申し込んで買ってみて!年間購読料は1,560円らしいけれど、「10月号だけ、送って」というのは、やってくれるかなぁー。きっぱりと断られるかもしれない。


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