どれほどの苦しみも一日だけと思えば耐えやすい
楽しいこともまた一日だけと思えば耽ることはない
6月の末に長野県飯山市教育委員会と印刷された封筒が寺へ配達されてきま
した。届けられた黄緑色の封筒を開けてみます。A4サイズで両面カラー印刷
のパンフレットが40枚ほどはいっていました。
パンフレットには「平成29年度飯山市美術館特別展」という小さなタイト
ルにつづいて「この人なくして白隠なし」という小見出しがあります。大見出
しはというと、大きな明朝体で「正受老人と白隠禅師」と印刷されています。
そして、次のような説明文が書かれています。
「白隠禅師(16851768)は「臨済宗中興の祖」と称され、禅宗史はもとより日本
美術史においても高く評価されています。その白隠を北信濃の正受庵で厳しく
指導し、正しい悟りに導いたのが正受老人(道鏡慧端、1642-1721)です。白隠
が明和5年、84歳で亡くなってから250年遠誰にあたる今年、臨済宗妙心寺派、
花園大学歴史博物館の全面的なご支援ご協力のもと、正受老人が生を受け、修
行に明け暮れ没した地、飯山において特別展r正受老人と白隠禅師』を開催い
たします」
こんなパンフをいただいた縁で、7月のことばは正受老人(しょうじゅろう
にん)の『一日暮し』からとりました。私が読んだのは水上勉著『一日暮し』
(角川書店)からの孫々引きです。身近な資料としては『正受老人集』(昭和
12年刊・信濃毎日新聞出版部)に掲載されているようです。
全体で五百文字ほどの短い文章ですか、文末で「一大事と申すは今日只今の
心也。それをおろそかにして翌日あることなし」と言い切っています。胸がす
うっとする清涼感のある言葉です。
ところで、『一日暮し』というのはやっぱり「ひとひくらし」と読むのでし
ょうね。少し調べたのですが、フリガナがふってあるものを見つけられなかっ
た。あんがい皆さんも確信の持ってフリガナをふれなかったりして。
まぁーせっかくいただいた好企画のパンフレットなのですが、少し遅いので
す。だって、「正受老人と白隠禅師」展の会期は、8月2日から9月10日までで
その間に細川護煕講演会(7月22日)なんていうのもある。そんな講演会へ行っ
て、美味しい蕎麦を食べるなんてツアーを作るなんてこともしたかったけれど、
6月末にパンフをいただいたのでは無理。
とは言っても、もっと以前から何かで告示されていたのでしょうから、それ
を見逃していたのが悪いのですが。