五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする 萩原朔太郎『月に吠える』より
四季の名言 (平凡社新書) | |
坪内 稔典 | |
平凡社 |
よく、あるじゃないですか。「ほんとうは教えたくない名店特集」なんていうのが。
これは視聴率アップあるいは雑誌書籍の販売促進キャッチフレーズであって、ほんとうに教えたくない名所や名店はたやすくは教えてはくれないのだろうけれど、「教えたくはないけれど、教えたい」という曲折した心模様もわからないではない。
今月、冒頭に掲げた坪内稔典著『四季の名言』(平凡新書)はまさに、教えたくないけど教えたい一冊です。俳人の坪内氏が新書の見開きページでひとつの名言名句を紹介しています。今月の言葉にした萩原朔太郎の言葉もこの本にありました。
少し前の新聞の書評欄で、どなたかが書いてました。「一冊の詩集で、よい詩はひとつくらいしかないのだから、詞華集(アンソロジー)というのは便利だ」、と。たしかにそうなのですが、努力せずに、安易に果実だけをむさぼろうとするようであまり品性の良いものではありません。そんな読み手のあさましい魂胆につけこんで、名言名句集は続々と出版されています。わが書棚にも選集といったものまでふくめれば、相当な数になります。でも、坪内稔典著『四季の名言』ほど便利で品格のある名言集に出会ったことはない。というか、この本は使える。松岩寺の伝道掲示版は、これ以後、しばらくはこの本からの孫引きだけで数年はもつだろうかというくらい凄いです。どのくらい凄いかというと、こんなふうです。
朔太郎の「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする」という言葉は、詩集『月に吠える』(一九一七年)にある。この詩集の「雲雀料理」と題した章のエピグラフ(題辞)がこの言葉で始まっているのだ。エピグラフとは巻頭や章の初めに記す言葉だが、その全文を引いてみようか。
「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい」。純銀のフォークで食べたいという「雲雀料理」は、天上的な愛を意味しているだろう。いわば禁断の木の実のような愛である。新緑と、新緑を吹きわたる薫風によって、心身が高揚した詩人は、大胆にも天上界の雲雀料理に手を出そうとしているのだ。
この後、坪内氏自身の学生時代の思い出を語っているのですが、それがまた面白い。なによりも、名言として収集した言葉が珠玉なのです。しかも、名言を手放しで誉めるのではなく、(私自身は)「好みではない」といった記述もあるのが新鮮です。
なぞと、手放しで称賛して思うのです。これから先、たぶんこのコーナーで『四季の名言』から、どのくらい孫引きするだろうか、と。やっぱしこんな良い本は教えなければ良かった。