平成25年5月2日のブログで、
与謝野晶子の「やは肌のあつき血汐にふれもせでさびしからずや道を説く君」(『みだれ髪』所収)の君は、若い頃僧侶であった与謝野鉄幹であるという説あり、高野山の修行僧説や堺市にある覚応寺の跡取りの青年僧説もあります。そればかりか、この「君」は妙心寺派の管長を長くつとめた古川大航師だという主張するのは佐伯裕子氏です。氏の「恋歌 与謝野晶子と古川大航」(『影たちの棲む国』所収)は推理小説を読むようなおもしろさがあります。
と、ご紹介した佐伯裕子氏が、近刊の季刊誌『禅文化』第231号(禅文化研究所刊)で、「晶子の禅、かの子の禅」と題して、柳田聖山師の文章に言及しています。
不勉強者は当然の事ながら柳田先生の文章を読んでいませんでした。早々に取り寄せてみました。面白いんだなぁー。以下に少し引用してみます。
『影たちの棲む国』の著者(注・佐伯裕子氏のこと)にならって、私の絵解きを披露しよう。
禅門の古い公案の一つに、「婆子焼庵」というのがある。禅に関心をもつ人は、必ず何処かで耳にするはず。
ある婆さんが二十年も、青年僧を供養する。若い娘に給仕させて、至れり尽くせりのサービス。さいごに娘に言いふくめて、青年僧に抱きつかせ、御気分はと問う、
枯木寒岩によって三冬暖気無し
婆さんは青年僧を追い出し、けがらわしい男だとばかり、草庵を焼きはらうのである。
禅の修行の過程で、この公案は大切なものとして、今もなお生きて使われる。一休の『狂雲集』には、次のような偶がついている。
婆々の魂胆、泥棒手引き、
青い坊主に、可愛い娘添わす。
今夜その娘が、このわし抱けば、
枯れた柳も、わき芽が出そう。
かつて『一休-「狂雲集」の世界』(一九八〇年人文書院)で、私のつけた代え歌である。答えは各人各様でよいが、ややもすると硬軟いずれかに片よる。文字通り一対一の、当事者同志でない限り、いやらしいものに堕ちる。
若い大航が晶子に求めたのは、おそらくそんな清潔感である。言ってみれば、「婆子焼庵」への本歌取り、二人の間には、すでに了解がついていた。晶子は生涯、禅とは別の道をたどるが、若くして感じた古川大航の、疏筍の気にこだわりつづける。佐伯裕子の考証によると、晶子は昭和十一年から十二年頃、頻りに大航の清見寺を訪う。積年の公案に答えようとして、再び拒絶反応にあうのだ。(『叢書・禅と日本文化4・禅と文学』柳田聖山監修・解説より)
そして、柳田先生は「ここにも又、もう一人別の歌の仲間が介在し、別の公案がありそう。今は深入りしないでおくが、」となにやら思わせぶりなことを書いている。
残念ながら柳田聖山先生は平成18年になくなっているから、この謎解きの続きを聞くことはできない。もう一人別の歌の仲間と、別の公案って何なんだろう?