今月のことばは、現代日本画の巨匠・小倉遊亀さんの言葉です。出典はというと……。恥ずかしながら、NHKテレビの日曜美術館のホームページです。なぜ、そんなHPに行き着いたかというと、初めは私が修行した埼玉県新座市の平林寺の三代前のご住職・白水敬山(しろうずけいざん)老師のことを調べていて、小倉遊亀さんの梅にたどりついたわけです。その顛末はというと、以下のような次第です。
敬山老師は、明治三十年福岡県生まれ、昭和十五年平林寺住職就任、昭和五十年に逝去されています。 私が平林寺に入門したのは昭和五十五年ですから、直接ご指導を受けたことはありません。しかし、敬山老師の絵には、こんな思い出があります。
私の修業時代に平林寺の蔵の中で、半紙に描かれた敬山老師の書きぶりと思われる何枚もの絵を見つけたことがあります。でも、普通のものとは少し違っていました。半紙の黒々とした墨の跡が、朱色の筆で修正されているのです。敬山老師がどなたかにご自分の絵を送って添削していただいた習作にちがいありません。でも、誰に絵を習われたのか。何枚もの朱正の中に「ゆき」と書かれたものがありました。「ゆき」とは近代日本画の巨匠・小倉遊亀(おぐらゆき=1895~2000)さんのことでしょう。敬山老師は小倉遊亀さんに絵を習われていたのです。小倉遊亀さんは滋賀県に生まれて旧姓は溝上。小倉姓になったのは、小倉鐵樹師と結婚したから。鐵樹師は山岡鉄舟の弟子で坐禅をよくし平林寺に出入りしていたという。私が道場に入門した頃は敬山老師も鉄樹師も既に亡くなられていましたが、小倉遊亀さんはご高齢(九十歳)ではあったけれど、未だ院展に出品している現役画家でした。そんな日本画の巨匠から,手紙をいただいたことがある。もちろん、私個人にではなくて、道場で私が勤めていた役職宛です。和紙の巻紙に毛筆の流麗な筆致でした。読みすすむうちに悪い企てが、私の脳裏をよぎります。「この手紙。誰にも見せず、個人の宝物にしてしまおう。なにしろ、文化勲章受章画家の自筆手紙だから」なんてウキウキしながら末尾に目をやると「遊亀代」と遠慮気味に書かれている。私のような不心得者がいるのはお見通しで、秘書の方が代筆されたのでしょう。
画家はその後も活躍されて、平成十二年七月に百五歳の長寿を全うされる。戒名は「大梅院天地遊亀大姉」。亡くなられたのは、夏なのに「大梅院」という戒名が不思議になって、「小倉遊亀 梅」とインターネットを検索して行き着いたのが、NHK日曜美術館のホームページ上にあった「梅のように生きたい」―「人間は年老いて老醜のみじめさを味あわねばならないが、梅は年老いて美にますます深みを増す」。という言葉でした。
参考 NHK日曜美術館ホームページ http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0509/index.html。