誰にでもわかる言葉で
語れる人のことを
本当の学者と
呼ぶのではないか 渡部泰明著『和歌とは何か』岩波新書刊 掲示日 H21.10.1
今月のことばの主は、中世文学研究者の渡部泰明教授です。言葉自体の発声主は渡部教授のお父様です。掲載されていたのは渡部著・岩波新書『和歌とは何か』。新聞の書評欄で紹介されていたので、さっそく読みましたが、序章の次のような一節を読んで、ドキりとしました。
(和歌は)「多くの人にとっては、全面的に肯定も否定もしにくいのではないだろうか.「悪いものではないのだろうが、どうもピンと来ない」「格好をつけすぎている気がして、縁遠い感じがする」。私の経験からしても、敬遠、つまり敬して遠ざけるような反応が、実際にはとても多いだろうと思われる。和歌は日本人の生活文化にいまだに逃れがたく関わっているけれども、改めて正面から捉えようとすると、どうもはっきりとした手応えが得られないのだ。」
ピンときて、ドキリとした一節です。引用文のうちの「和歌」という単語を「仏教」という言葉に置き換えてみたら、どうだろうか。仏教もおなじような状況にあります。なぜ、仏教が縁遠く敬遠されるのかというと、「経典その他何をいっているのかわからない」というのが一番の理由でしょう。だから、誰にでもわかる言葉で語らなくては……。
同じような言葉で、井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく/<wbr></wbr>やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに書くこと」がよく知られています。
かんたんに/やさしく/ふかく/ゆかいに。わかっちゃいるけど難しいんだなぁー。