武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

017. ポンタヴァン旅日記 (上) Pont-Aven ★ Bretagne

2018-10-15 | 旅日記

 ル・サロンとサロン・ドートンヌに出品するための作品を持ってパリに行き、搬入してからその展覧会を観るためには始まるまでの1週間を何らかの形で潰さなければならない。
 パリの美術館をくまなく観て歩くのだけでも良いのだけれど、どうせなら「佐伯祐三の足跡を訪ねてみよう」と思い立ったのが1994年。
 画家がどんな環境に住み、どんな気持ちでそのモティーフを選び、何を強調し何を省き。というのを観察するのは、僕にとって勉強にもなるし楽しみでもあった。

 佐伯祐三の足跡を訪ねる旅はゴッホとも重複している。
 次にゴッホを訪ねるとまたいろんな画家との拘わりが出てくる。
 といった具合にそれ以後毎年、拘わりを求めた旅をしてきている。

 そうして今回はゴッホと拘わりの深い、エミル・ベルナールとゴーギャンらが活動した、ブルターニュ地方のポンタヴァンを目指す旅とした。

(文章は日記形式とし、かなりの長文になりました。一部美術に関し専門的で読みづらい箇所もあるかと思いますが、そういった興味のないところは飛ばしてお読み下さい。また関連した写真をカット的に挿入しました。大きくはなりませんのでご了承ください。下線の入った美術館のホームページへはリンクが繋がっています。但しフランス語です、併せてご了承ください。武本比登志)

 

 プロローグ

 ブルターニュのポンタヴァンという響きは僕の心の中でかなり以前から持ち続けていた。

 それは高校生の絵を描き始めの頃にさかのぼる。

 美術部顧問の恩師・藤井満先生から課外授業で教わった『美術史』

 その教科書に使われたのが福島繁太郎著『近代絵画』(岩波新書/昭和27年第1刷)であった。

 その中に《ポンタヴァン派》という記述が登場する。

 

 ポンタヴァン派《L'École de Pont-Aven》とはゴーギャンを筆頭にエミル・ベルナール、モーリス・ドニそれにポール・セルジェらが中心となって起った近代絵画史上重要な位置を占める絵画革命のひとつであった。

 セザンヌの理論的背景とジャポニズム(浮世絵)の影響を受け後のナビ派やフォービズム、キュビズムそして抽象絵画へと発展、暗示を与えたことになる。

 それまでは印象派による光線の分割理論によって七色の色彩を混色することなく点描で表わしていたものを、浮世絵版画からの発想による黒い線の縁取りの中は点描ではなくて原色や混色した平塗りでもって、そしてその色は自由に最も自分が好きな色を塗れば良いのだ。

 といった自由な発想がポンタヴァン派であると思う。

 それは色や塗り方だけではなく大胆な構図、装飾性、モティーフにも自由な考えは広がって当然のことであった。

 芸術とはひとつの抽象作用であるという《サンテティズム》(綜合主義)を明確に表わした。

 

 縁取りのことを《クロワゾイズム》と言う。

 僕は油彩を描き始めた当初からこの縁取りを多用してきた。

 もっとも僕の場合黒ではなく赤土色であるが…。

 そんなこともあってかポンタヴァン派には人一倍興味があるのかも知れない。

 

 そしてこの程ようやくブルターニュのポンタヴァン行きの実現にこぎつけたわけだ。

 でもいざブルターニュへ行くとなるとその資料は殆ど見つからない。

 インターネットで検索してみても薄っぺらな観光案内しか見つからなかった。

 

 ゴーギャンと並んでポンタヴァン派の中心的画家エミル・ベルナールはポンタヴァンにいる時やパリにいる時に頻繁にゴッホと手紙のやりとりをした。

 そのゴッホからの手紙をまとめて『ゴッホの手紙』(エミル・ベルナール編)として出版した。

 エミル・ベルナールはその他にも『回想のセザンヌ』と言った著書を著していることでも知られているが、それらの本の中にもポンタヴァンについての記述は殆どない。

 

 色々読み漁ったあげくひとつの興味深い文章を見つけた。

 あまのしげ著『ゆらぎの時代-環境文化誌』(リトルガリバー社)の中の《ブルターニュの小箱》という章の記述である。

 僕たちもパリに住んでいた時によく行った《ポルト・デ・バンブ》の蚤の市。

 そこでもう30年も前になるがひとつのコーヒー挽きを買って今も日本に帰った時には使っている。

 著者のあまの氏が見つけたのは《木彫りの小箱》。

 《木彫りの小箱が想像を掻きたてブルターニュへの旅を誘う》という書き出しである。

 それはヨーロッパに於ける木の文化について触れられていて興味深い。

 僕はこれを読んでブルターニュではあまの氏が言うその木彫の寝台《リ・クロLit-clos》をしっかり見て来ようと思った。

 

 2003/10/25(土)曇りのち小雨 セトゥーバルSetubal-リスボンLisboa

 

 親戚の人が団体旅行でポルトガルに来ているという突然の電話が入ったのでリスボンで逢うことにして自宅は一日早めて出発した。

 当初の予定なら朝4時に起きてセトゥーバルを5時発のローカルバスに乗らなければならなかった。

 パリに行く時はいつもそうしているのだが、今回はそういう訳で親戚の人が団体で泊まる予定の同じホテルに一泊することにした。

 幸いリスボン空港に比較的近い位置にそのホテルはあった。

 それでもホテルを朝5時半には出発しなければならない。

 

 2003/10/26(日)曇り リスボンLisboa-パリParis-レンヌRennes

 

 リスボンを発つ日はちょうど夏時間が終って冬時間に変わったその朝で一時間得をした。

 パリで出品の手伝いをしてくれている画材店のマダム&ムッシューMは昨年で永年営業してきた画材店を閉じた。

 今までならその画材店に絵を持って行けば良かったのだが今回からは自宅に持ってゆく必要があるわけだ。

 同じモンマルトルの18区なのだが自宅には行った事がないのでうまく逢えるかどうかが心配だった。

 

 その日のうちに行くブルターニュの最初の町レンヌ行きのTGV(フランスの新幹線)の切符をド・ゴール空港のTGVの窓口で先に買っておくことにした。

 モンパルナス駅を予定の15時05分発ではちょっと不安だったので、2つ遅らせて17時05分発を買うことにした。

それでも7時過ぎにはレンヌに着くことができる。

 

 だが禁煙席はもう既に満席で喫煙席ならあるという。それでも仕方がない。

 思ったよりも結構混んでいるようだ。他の区間も心配になったので、次の日のレンヌからカンペール行きも、そして帰りのヴァンヌからモンパルナスもまとめて買っておくことにした。

 カンペールからヴァンヌのあいだはTGVではなく、普通の列車かバスでの移動になる。

 その間に目指すポンタヴァンがある。

 

 モンパルナスでもし時間が余ってもぶらぶら歩いて、久しぶりに《ポルト・デ・バンブ》の蚤の市を歩くのも悪くないとも思っていた。

 18区のムッシューMの家の前まで来るとムッシューMが寒い中、家の前まで出て待っていてくれた。

 おりしも2~3日前からヨーロッパにはかなりの寒波が来ていて例年に増してパリは寒く、ポルトガルよりは15度程も気温は低かったのだが…

 お陰でル・サロンとサロン・ドートンヌ用の二枚の100号はすんなりと預ける事ができた。

 画材店のあったところと自宅はすぐ1ブロック程であったのでその場所のメトロを目指して歩き出そうとするとムッシューMは「メトロならこちらの方が近いですよ」と言う。確かにメトロ駅がもうすぐそこに見えていた。そのメトロ駅にはユトリロの絵になって見慣れている《ジュール・ジョフリン教会》があった。

ジュール・ジョフリン教会

 そこからモンパルナスには15程も駅があるものの乗り換えなしの一本で行くことができる。

 そんなわけでモンパルナス駅には2時過ぎには着いてしまっていた。

 

 切符売り場に行き「15時05分発に変更が出来ますか?」と尋ねたところすんなり切符が取れてしまった。

 僕たちには好都合の禁煙席で、しかも20ユーロもの金額が戻ってきた。

 「なんで?」と尋ねたら、ひととおりぺらぺらと説明してくれたが、それでも解らない振りをすると、切符売り場の女性は「いらないのなら私が貰っとくわよ!」と笑っている。

 これで《ポルト・デ・バンブ》の蚤の市には行けなくなってしまったが、予定どおりブルターニュに明るい内に着ける。

 

 それでも1時間程の時間が余ったのでモンパルナス高層ビルの横から延びている、

 以前にも行った事のある露店市に行ってみることにした。

 今日は日曜日なのでやっている筈である。

 以前この露店市では美味しそうな暖かいソーセージとシュクレの盛り合わせが売られていたので、それを買い込んでTGVのなかで食べるつもりである。

 

 行ってみると露店市ではなくテント張りの展覧会会場になっていた。

 そしてそのテントは果てしなく続いている。

 テントのひとつのコーナーはそれぞれの個展会場になっていて10点づつ程の展示である。

 ル・サロンがまもなく始まろうとしている時期にまるでかつての《サロン・ド・リュフュゼ》(落選展覧会)の様相である。

 全てを見ることは出来なくて途中からモンパルナス駅に引き返した。

 

 駅の売店でサンドイッチとペリエールを買って列車に乗り込むことにした。

 戻ってきた20ユーロでサンドイッチ代を払ってもまだおつりがきた。

 リスボンからの飛行機のなかで機内食が出たので遅い昼食をTGVの中でするのは当初からの折込済みである。

 

 僕たちの席は18号車になっていて、手前から1号車だからホームを延々と歩かなければならなかった。

 車両は20号車までで、機関車両が前後と中程にも二両が付いていて全部で24両編成の超長車両である。

 どこかの駅で切り離すのかも知れない。

 僕たちの席は4人掛けである。さっそくテーブルを引き出してその上にサンドイッチの入った袋を乗せた。

 TGVが動きだすとすぐにでも開いて食べるつもりである。

 

 出発間際になって向かいには中学生くらいの女の子が二人座った。

 祖父母とおぼしき二人が見送りに来ていた。

 たぶんブルターニュから祖父母の住むパリに週末を利用して遊びに来ていたのかも知れない。

 テーブルが小さいのが不満らしく、もっと大きく出せないのかとやってみたくて僕たちのサンドイッチの袋を一旦どけてくれと言う。

 そうしてやってみるがそれ以上は大きくはならない。

 

 TGVが走り出したので僕たちはすぐにサンドイッチを食べ始めた。

 サンドイッチの袋がなくなったテーブルにその女の子はキャンバス地で出来た大きな手提げ袋の中身をぶちまけた。

 自分の持ち物をこの際整理したかったのだ。

 CDモニター、数枚のCD、ゲーム機、雑誌、それにクッキーの箱とジュース、その他もろもろ。

 CDをセットし耳にイヤホンをつけ、クッキーの箱とジュース、雑誌を一冊だけ残して荷物を再び袋の中に詰めなおし雑誌を読み始めた。

 僕たちはこのTGVが停まる最初の駅ブルターニュの入口レンヌで降りる。レンヌにはわずか2時間で着く。

 その2時間のあいだ雑誌をみたり、ゲームをしたり、CDを聴いたり2人で笑いあったりと、手提げ袋ひとつで随分手軽な旅のようにも見える。

 まるで隣町に買い物にでも行く様な感じである。

 いまTGVを使えば本当に短い時間でフランス国内どこにでも気軽に行ける。

 しかも日本の新幹線ほどは運賃も高くはない。

 

 100年前のゴーギャンの時代はどうだったのか?と考えてしまう。

 TGVも飛行機もない時代、煙を吐く汽車はあったにしろ線路のないところは馬車か歩くしかなかった。

 そんな時代にゴーギャンといえベルナールといえ随分気軽にパリとポンタヴァンの行ったり来たりを繰り返している。

 いやポンタヴァンには限らず、パナマやタヒチ、マルケス島、アルジェリアなどとほんとうに気軽に世界中を歩き回っているのには驚きである。

 

 TGVはほぼ満席である。出入り口の補助椅子にも人が座っている。

 僕たちがフランスを訪れるのは展覧会の都合でいつもこの時期なのだが、今回も車窓を流れる紅葉が美しい。

 寒すぎたり、天気が悪かったりまた日も短く旅をする条件としてはあまり良くはないのだが、紅葉だけは本当に美しい。

 それとホテルなどは空いているし格安で泊まることができる。

 

 今回の旅でもいくつかの美術館を観る予定を立てている。

 レンヌの《レンヌ美術館》Musée des Beaux-Arts de Rennes

 カンペールの《カンペール美術館》Musée des Beaux-Arts de Quimper

 《ブルターニュ博物館》Musée Dèpartemental Breton

 それにポンタヴァンの《ポンタヴァン美術館》Musée de Pont-Avenである。

 

 またパリに戻ってから自分の出品している《ル・サロン》Le Salonを観たあと

サン・ジェルマン・アン・レーの《プリウレ美術館》Musée du Prieuré

パリの《市立近代美術館》Musée d'Art Moderne de la Ville de Paris

《オルセー美術館》Musée d'Orsay《ドラクロア美術館》Musée National Eugène-Delacroix

《ポンピドー現代美術館》Musée National d'Art Moderneを予定している。

 勿論それらの美術館内の全てを観るのは無理なので《ポンタヴァン派》に関連深いところだけをポイント的に観ていくつもりである。

 

 ところがリスボンからパリへのエール・フランスの機内で、その機内誌を見ていて”あっと驚く記事”を見つけてしまったのである。

 『タヒチのゴーギャン』と題した展覧会がパリのグラン・パレGrand Palaisでちょうど催されているのである。

 ゴーギャンはその時期ポンタヴァンとタヒチを行ったり来たりしている。これを観ない手はない。
 昨年はちょうど『モディリアニ展』がホテル近くのリュクサンブール美術館で開かれているのをポルトガルに戻る前日に気がついて戻る日に朝早くから列に並んだのに飛行機の時間が迫って時間切れで見ることが出来なくて悔しい思いをした。

 そんな事もあったので今回はその機内誌をよく調べておこうと思っていたのだが、これほどのタイミングの良さだとは想像もしていなかった。

 

 TGVはきっかり予定通り17時08分にレンヌ駅に到着した。

 駅前のホテルに大急ぎでリュックを下ろし、早速《レンヌ美術館》に行ってみることにした。

 予定では明日の朝からの見学だが、もしかしたら1時間くらいは観ることが出来るかも知れない、と思ったがあと5分で閉館となっていた。

 切符売り場の黒人女性は「今日はもう時間はないわ。明日にしたら。明日は10時からだからね」と言う。

 出来たら少しでも予定を早送りしてあとの予定になかった『タヒチのゴーギャン展』を見なければならないと思ったからだが…。

 

 しかたがないので薄暗くなりかけた旧市街を歩き回った。

 木骨煉瓦造りの家並が続く。上階に上るにしたがって道に張り出している。

 また上階に上るにしたがって隣に食い込んでいたりもする。

 隣は隣でまた更に隣に食い込んでいる。まったく面白い。

 柱は太くセピア、赤、緑と様々な色のオイルステンが塗られまるでアンデルセンやグリム童話の世界か、「まるでブリューゲルの絵の中にでも入り込んだようだ。」とあまの氏は書いているが全く同感である。

 なるほどあまの氏の言うヨーロッパの木の文化がこの街にも息づいている。

 同じフランスでも南のプロバンス地方とはあきらかに違う。

 むしろドイツなどの北ヨーロッパで同じ様な建物を見ている。

 

 ヨーロッパはローマ帝国が支配した時代からどうも石の文化の様に見られがちだが、どうして木というものも見過ごすわけにはいかないのだ。

 そう言えばスウェーデンの伝統的な建物も木造であった。

 ノルウェーはベルゲンにはヨーロッパ最古?の木造教会があった。

 

 ひときわ明るく輝いている地区があったので行ってみることにした。

 夜の露店市でも開かれているのかな?と思ったのである。

 行ってみると大きなメリーゴーランドであった。

 そのメリーゴーランドが面白い。乗り物一つ一つがまるでボッシュの絵の世界から飛び出てきた様である。

 あるいはハリーポッターのイメージなのだろうか?子供たちは大喜びで興じていた。上の方でひきつっている子供もいる。

 このレンヌにはここの他、狭い地域に3つものメリーゴーランドがあった。

 

レンヌの木骨煉瓦造りの家

 

メリーゴーランド

 

レンヌの街並み

 

レンヌの通り

 

2003/10/27(月)快晴 レンヌRennes-カンペールQuimper

 

 その朝も早くから街を歩き回って、10時の開館と同時にレンヌ美術館に駆けつけた。

 入口には既に幼稚園児が20人ばかりとその先生たちが4~5人で列をつくっていた。

 その美術館は博物館も兼ねていてエジプトの発掘品、ギリシャ時代の陶器、ローマ時代、イコン、と一通り美術の歴史順に展示がされている。

 ルーベンスの迫力のある大作がある。本当にルーベンスの作品はヨーロッパ中どこの美術館にもある。

 シャルダンJean-Baptiste Siméon Chardin(1699-1779)の2点の静物画が素晴らしかった。

 

 18世紀の絵が飾られている部屋に幼稚園児が座り込んで美術館員の説明を受けている。

 やがてゲームが始まった。美術館員が一枚の絵の部分写真を持っている。

 「この絵はこの部屋のどこにありますか?」という部分当てクイズなのだ。

 子供たちは一枚一枚絵の前に立って「ノン」「ノン」などと可愛い声で答えていた。

 僕たちはそういったところもひととおり観ながら《ポンタヴァン派》の部屋に急いだ。

 

 印象派のシスレーやカイユボットのいい絵もあったが、ゴーギャンのピサロやセザンヌの影響をそのまま受けている初期の静物画も興味深く観た。

 そしてエミル・ベルナール、モーリス・ドニ、ポール・セルジェなどのポンタヴァン派はさすが充実していて、じっくり観ることが出来た。

 またピカソの時代の異なった絵が数点、現代美術のサム・フランシスまで、エジプトから20世紀までと実に幅広い。

 

 この日のレンヌからカンペール行きのTGVも予定していた時間の切符は取れなくて2時間遅れである。

 お陰でレンヌの街はゆっくり堪能する事は出来たが…。

 

 TGVはレンヌを14時11分に出てカンペールに16時23分に着く。

 お昼は少々味けがないが駅で軽くリンゴ入りクレープとシードルのハーフボトルで済ますことにした。

 でもこれもブルターニュ式である。

 

クレープ屋の看板

 レンヌからのTGVは昨日のよりも更に満席であった。

 入口の補助椅子にも座れなくて立っている人もいる。

 僕たちの席も別々である。

 しかも窓が小さくまるでスペースシャトル(乗った事はないが)のようでもあり、監獄(入った事はないが)のようでもある。

 1時間ほどの途中の町、ロリエントで殆どの人が降りてしまい、それからカンペールまでは4人席に2人だけでゆっくりする事が出来た。

 カンペールでは美術館と博物館の2つを観る予定なので今日中にひとつはどうしても観ておかなければならない。

 カンペールにもTGVは定刻通り16時23分に到着した。

 

 レンヌでは駅前のホテルが想像以上に良かったのでカンペールでも何も考えずに駅前の一番目立つホテルに飛び込んだ。

 後でよく見てみるとその隣にもっと設備の良さそうなホテルがあったのだが…。

 ここでもリュックを放り投げてカンペール美術館に急いだ。

 

 美術館に着いた時には薄暗くなりかけていたがその日は充分に観賞する事が出来た。

 ここでも初期のゴーギャン[Paul Gauguin](1848-1903)をはじめ、エミル・ベルナール[Emile Bernard](1868-1941)モーリス・ドニ[Maurice Denis](1870-1943)、ポール・セリジェ[Paul Serusier](1864-1927)に加えて、クロード・シュフネッケル[Claude-Emile Schuffenecker](1851-1934)、アンリ・デュラヴァレェ[Henri Delavallee](1862-1943)アンリ・モレ[Henry Moret](1856-1913)、マキシム・モウフラ[Maxime Maufra](1861-1918)ジョルジュ・ラコンブ[Georges Lacombe](1868-1916)、マイエル・デ・ハーン[Meijer de Hann](1852-1895)シャルル・フィリジー[Charles Filiger](1863-1928)、モーゲン・バラン[Morgens Ballin](1871-1914)アルマンド・スギャン[Armand Seguin](1869-1903)、ロドリック・オコーナー[Rodric O'Conor](1860-1940) 、フェルディナンド・プィゴドウ[Ferdinand LoyenduPuigaudeau](1861-1930)、ウラディスラヴ・スレヴィンスキー[Wladyslaw Slewinski](1854-1918)といった、ポンタヴァン派の画家たちの作品がひととおり網羅されていた。

 やはり後のタヒチのゴーギャンに比べるとどれももう一つ強さや個性といったものに欠けるのかも知れないが、その当時の競い合って新しいもの、独自のものを捜し求めていた息ずかいを感じ取ることが出来る充実した展示であった。

 

 フランスに来た時はいつも何度かは牡蠣を食べる事を楽しみにしている。

 フランスの牡蠣は旨い。

 今回は特にその産地のブルターニュである。勿論この時期が旬でもある。

 そんな訳だから「毎夕食には牡蠣ばかり食べまくるぞー」と張り切っていた。

 パリでもニースでも牡蠣は氷をびっしり敷きつめたお盆のようなものに盛られて出てくる。

 レンヌではあまりの寒さにとても氷に乗った牡蠣を注文する気にはなれなかった。

 暖かいシーフードスープと暖かいムール貝を注文した。

 カンペールでは牡蠣専門店のある市場の隣のブラッセリーに入った。

 ここではいくら寒くても牡蠣を食べないわけにはいかないだろう。

 暖房も効いていたので思い切って12個づつの24個を注文した。旨かったがやはり身体が凍えた。

 身体を暖めようとムール貝のクリームソース煮を追加注文した。それもぺロリと平らげてしまった。

 デザートにはブルターニュではフロマージ・ブランが良い。甘くないヨーグルトのようなものだから。

 それを食べたら再び身体が冷えた。いずれにしろ食べすぎである。

 

カンペールのカテドラル遠望

 

氷の上の牡蠣

 2003/10/28(火)快晴 カンペールQuimper-コンカルノーConcarneau-ポンタヴァンPont Aven

 

 その朝は芝生にもベンチにも真っ白に霜が降りていた。

 先ずは昨夜入ったブラッセリーの隣の市場に行ってみた。やはりセップ(まつたけもどき)が出ている。

 それに市場の中だけで3軒ものクレープ屋があった。

 カマンベール入りとハム入りのクレープを焼いてもらって歩きながら食べた。

 

セップ

 

クレープ屋さん

 

 ポルトガルと比べるとフランスの市場は小綺麗だがあまり元気がない。

 大型スーパーに客を取られて活気がなくなっているのであろうか?

 

 インフォメーションがあったので地図をもらった。そのインフォメーションの前に1枚のポスターが貼ってあった。

 なんと『ポンタヴァンのゴーギャン』と題された展覧会ポスターである。

 でも期間は7月12日から9月30日となっていて、残念ながらもう終っている。

 

ゴーギャン展のポスター

 

 パリといいここカンペールといい違う時期のゴーギャン展を同じ様な時期に催すとは…。

 《ゴーギャン》がいま流行っているのであろうか?

 

 カテドラル内部のステンドグラスも朝の光りを透して美しく輝いていた。

 パステル調で色の優しいモザイクがあったのでサインを読んでみると《モーリス・ド二》と書いてあった。

 

ステンドグラス

 

ドニのモザイク

 10時の開館を待ってカテドラルの隣のブルターニュ博物館に入った。

 先ずはこのあたりに点在する紀元前2~5世紀頃の巨石群の石のレリーフの展示である。

 

 それに教会の為の聖人の彫刻。これが彩色木彫でありどれもこれも面白い。

 ヨーロッパでは大理石の聖人彫刻が主流である。フィレンツェのすぐ隣シエナでは陶器の聖人像もあるが…。

 

 それにしてもこのブルターニュの聖人彩色木彫は面白い。

 まるで子供に見せる人形劇にでも出てきそうな、マリオネットとして今にも動き出しそうな温かみがある。

 街並みの家の柱にそのままノミを入れたようでもある。

 

 この博物館にあまの氏が言う大きな寝台(リ・クロ)が展示されていた。

 栗の木であろうか?扉とベンチの付いたずっしりといかにも重そうな大きな寝台(り・クロ)Lit-closが箪笥Armoireや揺りかごBercerまでが一体となったものにどっしりとした彫刻が施されている。

 

木彫家具

 

寝台,箪笥が一体となったリ・クロ

 

 展示室にはそのような木彫家具が所狭しと展示されていた。

 そんな中に囲まれていると、ゴーギャンがたくさんの木彫を彫ったのが当然のなりゆきであったかのように思われてくる。

 

 カンペールからコンカルノーそれにコンカルノーからポンタヴァンはバスである。

 コンカルノー行きのバスは駅前つまりホテルの真ん前をお昼の少し前に出発する。

 だから今日も昼食はバスの中でサンドイッチを食べる事にした。

 

 コンカルノーは城壁に囲まれた町が港の中に突き出た島になっていて橋ひとつで繋がっている。
 でもその島の中はみやげ物屋、売り絵画廊、レストランなどと観光的な色彩ばかりが目立ってあまりたいしたこともなかった。

 直径20センチほどもある大きなクッキーを焼いている専門店があったので一枚買ってみた。

 どうもこの島の名物らしくて「ビスコット」というらしい。

     

コンカルノー

ハロウィンの飾り

コンカルノーのビスコット屋

 次のポンタヴァン行きのバスには時間が余ったのでカフェのテラスでシードルを飲むことにした。

 気温は低いのだが天気が良いので陽の当るところでは陽射しが強くて気持ちが良い。

 ブルターニュ名物のシードルはアルコール分5%くらいと低いので僕にはちょうどよい。

 このコンカルノーでゴーギャンは船乗りと喧嘩をして怪我を負っている。

 ゴーギャンはシードルでは済まなかったのだろう。

 ここでもアルコール分70%のアブサンを引っ掛けていたのかも知れない。

 

 コンカルノーのバス停のうしろには椿の生垣があって蕾をたくさん付けていた。

 ゴーギャンをはじめポンタヴァン派の画家たちはたくさんの木版画を残している。

 浮世絵の影響なのだろうが、こうして観てくると昔からブルターニュでは木に細工をするというのは日常に行われてきたのが分る。

 版木には何の木を使っていたのだろう。棟方志功は「版木には椿が最も良い」と言っていたのを思い出していた。

 

 20歳くらいの女性がバスが行ってしまったのではないか?とあせりまくっている。

 僕たちは時刻表の5分前からバス停に座っていたが、そう言えば時刻はもう過ぎている。

 やがて5分遅れでバスはやってきた。バスの本数が少ないのでひとつ逃しても大変なのだ。

 でも乗客の殆どはその女性も含めてすぐに降りてしまってポンタヴァンまで乗っていたのは僕たちともう一人の3人だけだった。

 30分ほどバスに揺られていよいよポンタヴァンに到着した。

 僕たちを降ろしたバスはさらにカンペルレまで行く。

 ここでもバスを降りてすぐの広場に面したところにあったホテルに迷うことなく決めた。

 隣に美術館の看板が見える。リュックを置いてさっそくポンタヴァン美術館に出向いた。

 

ポンタヴァン美術館

 ここでは文字通りポンタヴァン派の展示が中心である。

 この時代のゴーギャンの作品が少しと、その他のポンタヴァン派の画家たちの作品がたくさん展示されていた。

 それとその当時の写真が展示されていて興味深いものであった。

 ゴーギャンや人の良さそうなベルナールは以前から少しは写真を見ていたがセリジェは初めてであった。

 髭面でいつも笑っていて絵からは想像ができない容貌である。

 恐らくゴーギャンが居ない時はこのセリジェがリーダー的だったのかも知れない。

 でもやはりゴーギャンがいなかったらポンタヴァン派という動きは出来なかったのだろう。

 

 美術館はポンタヴァン派の常設展示場と特別企画展示場になっていて企画展でもポンタヴァン派の画家たちの個展を定期的に催しているようであった。

 その日はポンタヴァン派よりは少し後の時代だが、ポンタヴァンゆかりのシャヴィエー・ジョッソXavier Josso(1894-1983)という画家の個展が催されていた。

 水彩と主に木版画の展示でモティーフとしてはブルターニュの風景には違いないのだけれど、木版の細かい彫り方や構図の取り方などまるで東海道五十三次の広重の様であった。

 

 夕方ホテルに戻ると「もしここで夕食を考えているのなら席を予約をしておいたほうが良いですよ」とのことだったので予約をしておいた。

 とても寒くなっていたしこれ以上歩き回るより…

 それになによりキッチンからは食欲をそそるとても良い匂いが漂ってきていた。

 7時半の開店を待ちかねて部屋を出た。

 ホテルの受付のマダムもウエイトレスに変身して、他の2人のボーイと共に大忙しである。

 すぐにレストランは満席になった。ポンタヴァンの町の人たちが大勢このホテルのレストランに食事に来ているのだ。

 町にはたくさんレストランがあったがどれも皆夏場のリゾート客向けで今の時期は営業はしていない様子だったから、

 このレストランに集中したのかも知れないが、なによりも味が良いのだろう。

 良い匂いがしていたのでここでも牡蠣は止してブルターニュ料理にした。

 さすが早い内に満席になるだけのことはあって、素材も味も盛り付けも第一級であった。

メニューは

t.Soupe de Poisson(魚味のスープ-チーズとさいころパンが別盛になっていて極深椀で出てくる。ブルターニュ風)

u.Lieu Jaune(鱈のシードルソース和え)

v.Eglefin Au Chou(キャベツと鱈のクリームソース和え)

x.Baba Framboise(木苺と3種類のソースのカステラ)

y.Charlotte Fromage Blanc(クリームチーズのシャルロット)

         
         

 ホテルは広場に面した良い部屋であった。

 部屋にはそれぞれポンタヴァン派の画家たちの名前が付けられていて僕たちの部屋は「Henri Moret」となっていた。

 アンリ・モレもポンタヴァン派の中心的画家でいい絵をたくさん残しているが、まだ印象派のピサロあたりから抜け出せないでいるように僕には思えた。

 窓からはゴーギャンたちが泊まっていた『グロアネク夫人の下宿屋』の建物と、入り浸っておそらく飲んだくれていた『カフェ・デザールCafe des Art』が見える。

 広場の名前は今《ゴーギャン広場》と呼ばれていて、ゴーギャンの胸像が建てられている。

 今までは快晴続きだったのが夜から雨になった。

   

カフェ・デザールと下宿屋

ゴーギャン像とホテル

ポンタヴァン旅日記(下)へ続く。

 

(この文は2003年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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