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武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

031. 地球は大きく世界は広いはずなのに

2018-10-25 | 独言(ひとりごと)

 「世界は狭くなった」などとよく言われるが、自分でクルマの運転をしていても地図ではほんの少しの寸法でもなかなか目的地に着かない。やはり地球は広い。
 オリンピックの入場行進などを見ていると、初めて聞くような国名もあったりして行ったことのない国の方が遥かに多いし、だいいち、毎年の日本とポルトガルの往復でもうんざりするほどの遠さだ。

 それほど広い世界のとある場所でごくごく親しい友人と偶然出会ったりする。
 それも一度ではない、特殊な例をここに書こうと思う。

 名前は京田誠と星野利枝の夫婦。
 京田誠は大学の一年先輩で大学時代から手作りの色んな物を作る名人で、1968年頃の当時、なんば髙島屋でヒッピーの手作りフェアという催しが開かれた時は立派な皮のバッグを出品していた。
 僕もその時、京田誠に誘われて何とも知れない物を出品した。

 京田誠は卒業してすぐにインドのマドラス近くに住み染織の勉強を始めた。
 僕は当時インド音楽に傾倒していたビートルズが好きでラビ・シャンカールも好きでそれに色彩的にもインドに憧れを持っていた。
 ヨーロッパを3ヶ月くらいで美術を見て歩きながら中東を通りインドを最終目的地として、インドで1年くらい住んでみようという計画でMUZと一緒にナホトカ経由でストックホルムに入った。
 もちろん、京田誠がインドに住んでいた、という事実が僕に大きく影響を与えたのは言うまでもない。

 だが、僕たちのヨーロッパ滞在は3ヶ月どころか4年半にも及んだ。
 京田誠とインドではなくヨーロッパで会おう、ということになったのだが、そのうちお互いの筆不精がたたって居所不詳になってしまった。

 ヨーロッパでは当時難しいと言われていたアメリカのヴィザが取れてしまったので、僕たちはニューヨークに住んでみることにした。
 ニューヨークでは僕とMUZは別々の仕事に着くことになった。
 僕はハーレムにほど近いマクロバイオティック(自然食)レストランのコックとして雇われた。
 MUZはミッドタウンにあったすし屋である。
 他人に紹介されてすし屋の奥に行くと調理場から親しげに呼ぶ声が聞こえる。
 何と京田誠だ。

 インドで行方知れずになっていた京田誠がニューヨークのすし屋でアルバイトしていたのである。
 聞いてみると、インドではネパールの織物に興味を引かれ、それと繋がりが深く今も原始的な機織「原始機」の残っているグアテマラの織物の研究のため、今はグアテマラに住んでいるのだという。
 でも食っては行けないから出稼ぎ労働者としてニューヨークに来ている、とのことであった。

 その時は既に星野利枝さんも一緒だった。
 お互いが休みの日などは一緒に美術館を見学したりもしたが、彼らにはやがてお金も貯まってグアテマラに戻って行った。

 僕たちは1年間ニューヨークの生活を楽しんだ。
 毎週ジャズを聞き、美術館を観、ミュージカルを楽しみ、決して節約するつもりもなかったのだが、それでも僕たちにもお金が貯まった。

 貯まったお金で南米旅行をすることにした。
 先ずはリオのカーニバルにあわせてブラジルに飛んだ。
 それから、南下してフエゴ島へも渡り最南端まで行き、今度は西海岸を北上するというルートを取った。
 その間 10ヶ月を要した。

 もちろんグアテマラでは京田誠、星野利枝夫妻を訪ねることにしていた。
 ところがその南米を旅行中にグアテマラ大地震が起こった。
 そのニュースは旅行中の僕たちの耳にも入っていた。
 心配しながらもその目指す住所のところでローカルバスを降りた。
 あたり一面瓦礫の山であった。最悪にもそのあたりが震源地だったのだ。

 警察に行ってみたが、そこも天井が抜け落ち青空の下に机を置き警察業務をしていた。
 「日本人など判らない。でも外人がたくさん居るキャンプ地があるから…」と教えられ行ってみた。
 そこにはアメリカ人のボランティア活動の拠点があった。
 「ここにはアメリカ人ばかりで、日本人は一人も居ない」とのことであった。
 それ以上探しようもなく、あきらめて帰ることにした。
 「あーあ、京田さんたちも瓦礫の下敷きになってしまったのか。何と運が悪い。」と本気で考え、かるく手を合わせてその場を立ち去った。

 グアテマラではユカタン半島を廻りマヤ遺跡などを巡りながらカリブ沿岸の国ベリーズで遊んだのちやがてメキシコに入った。

 メキシコに入ってからも首都メキシコシティーに到着するまでに約1ヶ月を要した。
 メキシコシティーで博物館を見学していた時である。
 博物館は四方に建物があり、中庭を横切り別の展示場に行けるようになっている。
 その中庭を横切っていた。
 誰かが叫んでいる。なんだか「タケヤ~ン」と言っているように聞こえる。
 僕は高校時代、大学でも「武やん」と呼ばれていた。
 その声はこちらに近づいてくる。
 何と京田誠と利枝さんであった。

 「グアテマラ大地震では自分たちの建物はドイツ人が建てたもので頑丈だったので何とか大丈夫であった。
 その後、地震で何もかも生活が不自由になったのでカナダに旅行に出ていた。」とのことであった。
 とにかく無事を喜び合った。
 僕たちはアメリカに向け北上、彼らは南下しグアテマラに戻って行った。

 その後、僕たちは宮崎に住んだ。
 彼らもしばらくして日本に戻っていたようである。
 母校の大学で講師をしていたし、原始機の第一人者としてNHK教育テレビの講師としても活躍していたようだ。
 偶然にテレビを点けると彼らが映っていたこともあった。
 2度程は宮崎にも訪ねてくれた。

 僕たちはやがてポルトガルに移住することになった。
 少し遅れて京田誠、星野利枝夫妻もグアテマラの生活に戻って行き原始機の研究を続けている。

 そして今、星野利枝さんが一時帰国し、芦屋で展覧会をしている。
 詳細は下記の通り。お近くの方はぜひ訪れて素晴らしいグアテマラの織物をご覧下さい。


VIT



星野利枝の
ウィピルコレクション
--ウィピル=グアテマラの各地に伝わる民族衣装--

2005年3月30日(水)~4月3日(日)
11:00am~7:00pm最終日5:00pmまで
期間中、グアテマラ在住の染織家、星野利枝がゲストを交えウィピルの魅力について語ります。
(いずれも3:00pm~5:00pm)

4月1日(金)原始機の魅力 ゲスト;角浦節子(原始機研究家)
4月2日(土)模様の魅力  ゲスト;篠田ゆかり(グラフィックデザイナー)
4月3日(日)色彩の魅力  ゲスト;金森太郎=金昇龍(映像作家)


ギャラリー芦屋 往還 
〒659-0065 兵庫県芦屋市公光町8-31/
tel&fax(0797)34-3678(ギャラリー)(0798)72-9810(オフィス)
<阪神芦屋駅より北東に徒歩約3分、JR芦屋駅南出口より徒歩約10分、阪急芦屋川駅より南に徒歩約15分>

 

(この文は2005年4月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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