住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

535 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (117)

2007-12-08 12:11:00 | もしも、徐福が日本に来ていたら
 

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535-1 弓月の君(10)

弓月の君のまたの名は融通王である。融通(ゆうどぅ)の発音はユダあるいはユダヤを表そうとしたのではないだろうか?
そして意味として何でも自由自在に出来る融通無碍(ゆうづうむげ)の意味である。

秦の一族は、天皇からハタの名前を許され、都(みやこ)が未だ、奈良にあった時代に、京都の土地を与えられて住んだ。
彼らはそこの土地を太秦と名づけえた。大秦がローマ帝国である。が西欧を意味するなら、猶太(ユダヤ)のから来たとも考えられる。
単に西欧の国でなく、その中でも猶太系の秦国を意味したのではないか。
太秦をどうしてウズマサと読むのかは日本語からの発想では分からない。
しかし、イエス・キリストも使われたであろうアラム語で、イエス・キリストのことは「イシュ・マシァ」あるいは「イエス・メシア」と呼ばれた。
イエス・メシア(イエス・救い主)の語は、東方に広がり「イズ・マシ」とか、「イザ・マサ」、さらに東へ移動して、インド北部あたりまで来ると、「ユズ・マサ」などと発音されたようである。
京都には神社、お寺、地名など色々なものに太秦が使われている。

京都の大酒神社の由緒書きには、弓月王は一万八千六百七十余人統率して日本に帰化したとある。
大集団が太秦に住み始めた時は、未開の原生林だったに違いない。 
彼らは希望に燃えて自分達の理想の国づくりに取り組んだことであろう。
京都の東にある湖は近淡海(おうみのみ)と呼ばれていたのだろうか?
何時から琵琶湖と呼ばれるようになったのであろうか?

イエスが説教を始められ、弟子達を集められたのはガリラヤ湖の湖畔である。
ガリラヤ湖はキリスト教発祥の地であり、キリスト教徒にとっては、懐かしい故郷のように思い浮かべる湖だ。
そのガリラヤ湖は古代ではキテレネ湖と呼ばれていたことがあり、それは琵琶湖と言う意味だそうです。

太秦をネットで調べたら、あまりにもユダヤ、ネストリウス派キリスト教(景教)、などとの繋がりを説くものが多いのにビックしました。