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珍鳥来る

2021-01-27 | 日記

昨年末、近くの公園で珍鳥が観察されたというローカルニュースが流れた。2・3度探したがよく分からず諦めたが、知り合いが見たという話を聞いて「まだ居る」と実感し、少し本格的に時間を掛けて探すことにした。それで2度ほど見つけて確認できたが、もっと良い条件で観察し写真も撮りたいと今日も午前中に出掛けた。2時間ほど歩き回るが目的の小鳥は現れず、仕方なくいつもの冬鳥を何枚か撮って帰って来た。

 意中の鳥はこの辺りで20年以上現れてないというが、遠目では見分けのつかない良く似た小鳥の群れに紛れている。これでは、何度か現れていてもとても気付かないし、その鳥が来ていると信じて探さなくては見つからない。もし来ていたとしても見つからなかっただけかも知れないと考えもするが、どちらにしろ証明はできない。居ないことの証明ほどに難しいことは無いから、やはり、観察されたというポジティブな記録に沿って物事を考えるしか無いということになる。

 公園内を散策する人々のほとんどが、そこに数十年ぶりの珍鳥が飛びまわっているなどとは思っていない。望遠レンズ付きの大げさなカメラをぶら下げた人間が数名集まって木々を見上げているのを、怪訝な顔をして通り過ぎる。その公園に野鳥が居ることくらい彼らもよく分かっているのだが、大の大人が寄り集まって、なぜ変哲もない鳥の写真を撮りたがるのか気が知れないとでもいう感じだ。自分自身も、つい何年か前までそういう人々の側にいたのだ。しかし、ちょっと鳥の種類を覚えて見始めると、そこには実に多くの鳥が見つかり、季節々々で種類や羽の色の移り変わりがあることに驚いた。それまでそのことに全く気付かなかったことが不思議に思えるほどに、それらは着実に移り変わっていく。

 居るはずのない珍鳥や迷鳥に出くわすのも驚きだが、いつも見る野鳥でも、その頻度や数などが毎年少しずつ違っている。渡り鳥の場合には、それらが気候変動と関係しているのだろうか?などと考えることもあるが、たった数年の観察歴でそこまで言うだけの経験とは言えない。気象庁が生物による季節観測を大幅に縮小したが、今のような気象変動が危惧される時代には、むしろ一般人を巻き込んで観察件数・観測地点を増やすことが必要だと感じる。子供の頃に聞いた周囲の大人の会話の中に多くの鳥の名や行動の癖などが含まれていたことに、鳥を見始めてから気付くようになった。昔の人達が身近な鳥の種類や行動を良く知っていたと感じる反面、過去の自分も含めて今の人達は身近な鳥に無関心だ。

 クイズ番組の問題になるような遠い国の珍しい鳥については知っていても、毎日自分が通り過ぎる木々に集まる鳥の名前やどれくらいの異なる鳥がそこで生きているかということも知らないまま過ごしている。そう思うと、何となく変な感じである。盛んにニュースで取り上げられる気候変動や温暖化も、多くの人は報道される数値や極端な異常気象の映像を元に頭で理解しているのだろう。気候変動は人々の頭の中で起こっていて、身近なところで起きつつある「そこそこ大きな変化」には気付くことがない。数年前までの自分がそうだったことを棚に上げ、今ではそれが何とも奇妙に思えて仕方ない。


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