サッカーのアジアカップ、日本は準々決勝で敗退しベスト8進出までで終わった。予選・グループステージでも日本はイラクに負けてグループ2位での決勝トーナメント進出であり、終わって見ればイラク・イランという中東の強豪に2敗したことになる。決勝は同じ中東のヨルダンとカタールの対決であり、日本に勝ったイラクはヨルダンに、イランはカタールに負けている。サッカーに限らず戦いには相手との相性があり、日本vsヨルダン、日本vsカタールというのは実際に対戦して見ないと分からないが、少なくとも、仮にも「戦っていたら勝てた」と言えるほどの実力を今回のアジアカップ日本チームは持ってなかったことだけは、確かだと思う。
全体的に今回思い出されたのは、かつて日本はイランなど中東のチーム、中東のサッカーに対し大きな脅威を持っていたということ。もちろん韓国に対するライバル心は言うまでも無いが、日本・韓国は比較的似た東アジアタイプ(と分類して良いか分からないが)のサッカーをする。対して中東は、全体的にスピードを落とさない単純なサッカーをするという印象がある。
おそらく、日本のイラク戦を見たイランは中東のサッカーの特色を強く生かせば日本の守備ラインを何回か突破できると確信していたのではないか。あるいは、日本に勝つにはそれが最も有効な方法だと。対して日本は、イラク戦で露呈した守備(チーム全体の守備)の修正・強化が出来ていなかった。一部の外国メディアの言を借りれば、「運の良さで予選を勝ち残れた日本」は「その運を使い果たした」ということだと思う。守備の選手を換えただけでは、スピードに乗った一気のカウンター攻撃の脅威を抑えることはできなかった。
失点はいずれも、相手チーム2人のパスと走りのコース選択の良さが、守ろうとする4~5人の日本選手を掻い潜ってのシュート。読みとタイミングが合わなければ実現しない、絶妙なシュートだったと思う。今の日本側にしてみれば、一人一人の守備陣の「足の速さ」ではなく、相手の攻撃への「読み」と全体としての守備陣形構築の「速さ」が課題なのだろう。ゴールキーパーを含め「アジアの壁」の強固な守備の復活を願いたい。
近年の日本代表の試合で寂しいのは、試合後にかつての「セルジオ越後さんの辛口批評」がないことだ。セルジオさんがどうだというのではなく、あのような「的を得て容赦のない苦言」を大きな声で語る存在が居ない寂しさと危機感。かろうじて厳しい批評?と言えるのは岡田元日本代表監督くらい?か。サッカー界のご意見番?の中に、専門的立場から「的確かつボロクソ」な酷評を語る人物がもっと居て欲しいと感じる。大きな試合を前にして、その酷評を聞かされ気を引き締めた上で、当日中継では松木さんの「応援一辺倒の解説」を枕に試合を楽しみたいと感じるのだ。