Sydney Yajima


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捕鯨問題

2012-02-27 21:57:53 | 政治
捕鯨問題について、書く。

捕鯨は日本の食文化だから、捕鯨をしても構わない。
捕鯨問題は人種差別だ。ノルウェーに、オーストラリアは文句を言わないではないか。

このあたりが、日本人の捕鯨推進派の主張だろう。

まだ他にも日本には言いたいことがたくさんあるに違いない。

そして、たとえば、オーストラリア国籍をもつ、私あたりに、文句を言う。
「捕鯨をしてはいけないのか?」と。
言っておくが、私あたりに 文句を言ってもしょうがないのである。
捕鯨問題に、それほど関心があれば、どうか、オーストラリア政府に言って欲しい。

ただ、オーストラリアは、日本の捕鯨船を、歓迎していないということは、確かだ。
捕鯨をするなら、日本近海でやってくれ。というオーストラリア人がいた。多くの オーストラリア人は、「日本で取る分には文句はいうつもりはないよ」と言うのである。「だが、この近海の鯨たちは俺たちの友達だから、取るな」と言うのだ。

文化というのは、さまざまだ。
犬の肉を食べる文化もあれば、猿の脳みそを食べるという文化もあるし、人肉を食べる文化も確かにパプアニューギニアには、20世紀まであったはずだ。
それぞれの文化を、尊敬し、保持していくべきだというのであれば、犬を食べることも、猿の脳みそを食べることも人肉を食べることさえも、尊重し、保持していくことを、諾としなければ、公平ではないだろう。
私の言いたいことは、「日本だけが、文化として、特別に許される」という考えは、日本人だけ特別あつかいをしてもらっても、かまわない。という、どこか、贔屓扱いを願っている子供の論理ではないか?少なくとも、科学的立証のできる範疇の話し合いではなく、多分に情緒的で、しかも、エゴイズムの匂いがぷんぷんするのである。

もちろん私だって、オーストラリアあたりに、文句を言われる筋合いはないという日本人の気持ちも、分かる。ミンク鯨は、とても増えている。これを食料とすることは、いいことなのか、いけないことなのか、科学的見地に立った議論の余地はもちろん、あると思う。オーストラリア人も、カンガルーを食べる。カンガルーを食べるのは、たくさんいるからだ。という。ミンク鯨だってたくさんとれるのだ と主張すれば、その主張は、全く無理ではないはずだ。

私は捕鯨そのものを、反対しているわけではなく、どうやれば、オーストラリアと理解しあえることができるのか?ということを、考えているのである。なぜなら、今の、日本にとって、多くの未来の食料品は、南半球から輸入しなければ、生きていくことはできなくなるからだ。すでに、ひどい被爆環境で汚染されている、あなたがた日本の環境は、これからますます大きな問題になっていき、いずれ、あなた方は、とても困った食糧難の状況になっていくからである。そのときに、オーストラリアと兄弟のように仲良くならずに、我を通して、捕鯨をし続ける、あなたがたに、私はとても危惧を感じるのである。

私は関西で育った。
だから、鯨をたくさん食べて育った。ハリハリ鍋も、ベーコンも、竜田揚げもそれに、関東炊きに入っているコロも、食べて育った。だから、鯨を食べることに、私自身はまったく躊躇がない。しかし・・・
だからと言って、本当に大事なことを見失ってはいけないと思うのである。

オーストラリア人たちは、人種差別をする。という。
そうだ。彼らのなかには、ひどく 人種差別をする人たちが、たくさんいる。私だって、毎日そういう経験をずっとしてきている。生易しい人種差別ではない。それこそ、殴り合いの喧嘩さえ、したことがあるのだ。こんな穏やかな私でさえ。
しかし、全部が全部、人種差別をする人たちではない。とても気のいいオーストラリア人もたくさんいる。
だから、そういう風に 全部が全部と、考えても、またそれは間違いだ。

肉食そのものに、反対する人たちがいる。私はそういうナイーブな話をするつもりはない。それは、セックスと同じで、それぞれの人が、自分の感覚で気に入ったようにすればいいことだし、誰かに自分のやりかたを押し付けることは、すでに、超えてはいけない境界線を無視している。捕鯨をして鯨を食べる文化を、いけないと押し付けてくるオーストラリア人たちにも、同じ事が言えるのではないか という議論ならば、私は、「そうだ」と答える。彼らは、たしかに、とても無礼に自分たちの考え方を押し付けて着ている。それは、彼らの人とかかわりあう時の話し方や距離感や、その文化が、そういうやり方だからだ。
日本の捕鯨が日本の文化なら、ずけずけと「捕鯨をするな」と主張するのは、オーストラリアの文化の一端で、そこおに、人種差別の意識があるのも、また文化なのである。

では、日本人はどうだろう。
日本人はそれほど、高潔で、誰をも、差別しないだろうか?
日本人は、韓国人や中国人に対して、どのように接しているだろう?
みんなが、みんなとは言わない。あなたは違うかもしれない。しかし、多くの日本人の中には、差別を平気で行える人たちがいることも、確かだ。

私は、決して差別を正当化しようとはしていない。差別はどんな場合であっても、いけないことだ。
オーストラリアを正当化したいとも 思わない。
日本を悪者にしたいとも思っていない。

純粋に、日本の未来にとって、オーストラリアと仲良くすることが、とても重要であり、そのためにあらゆる障壁を取り除き、努力をするべきだと言っているのである。
日本の未来は、オーストラリアにかかっていると言っても過言ではないのだ。

どうか、日本の未来の子供たちにとって、どう大人たちが振舞えば 得なのか、それとも、損になるのかを考えてあげて欲しい。





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