Sydney Yajima


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自暴自棄

2011-04-08 19:33:44 | Weblog
「俺はもう、年だから いつ死んでも かまわねえ」
そう言って 放射能の高い地域に残る老人の話が、ある。

放射能は、目に見えないから、実感としての恐怖は湧かない。
だから、例えば放射性物質の横にいても なんともないものだから、毎日が普通に過ぎている気がするのだろう。
なんで、みんな逃げるんだ?
と思うくらいなのかもしれない・・・

これが、はっきりと催涙ガスのように目や鼻に刺激があるとか、あるいは、炎が出て熱ければ、あわてて逃げるはずだ。

この老人の話を読んだとき、ふと 思ったのは、シドニーで数年前 ラジウムが棄てられていたエリアでの訴訟だった。
ここは、多くの人が白血病になるので、政府が家を建てることを禁じた経緯があり それをめぐって訴訟問題になり、政府がその土地のオーナーからすべてを買い取ったというものだった。

何年も歳月をかけてできた街。

それは、のべ何万人という人間の血と汗の結晶であり、そこには多くのドラマがあり、風が吹き、雨が降り、桜が咲いて、恋が生まれ、子供が育ち、きれいな田園風景があり、そして、将来ともに、それが約束されて 永遠に続くはずの場所だった。
誰もが、原子力発電所が建てられる事を希望していたわけではなく、反対意見は、「時代遅れ」だとか、「非科学的な農民」だとか、かえって蔑まされたり、あるいは、「金欲しさの 運動家だ」などと言われてもいた。
結局、原子力発電所は建築されて、そこには、多くの人々が 不安と心配とそして原発差別を受けるにいたり、最後には、爆発して、そして 街はそこに住んでいた人々とともに、棄てられる。

ゴースト タウン

誰もいない町に 信号機だけが不気味についたり 消えたりしている。

ぞっとしないか?

私は、怖いと思う。
こんなふうに、誰がしたのか?

加害者は東電だけではない。
一人ひとりの国民が、加害者なのだと思う。



昨夜の私の夢の話をしたい・・・


昨夜、私は眠る前にじっと目をつぶって考えていた。
福島の原発のことを、である。
もちろん何かが出来るわけではないが、そこへ意識を集中して 目の中で風景を見ようと思った。
そして、明け方 それは見えた気がした。

もちろん 幻想であろう。
しかし、そこでは 私は光る玉だった。腕もなく 足も無かった。
ただ、光る玉で飛び続けている。
私自身が 明るく光りながら 空を飛んでいる。
私は驚いたが、前からずっとそうだった気もしていて、驚かない自分も一方で存在していた。
自由な意思を持って飛ぶことは出来ないようだった。
そして、
私は海岸線にそって、あちこちを見た。

それは、東北のどこかの海岸線だった。


しかし、私の見た その景色はおぞましく、そして 醜くグロテスクで、とても正視できるものではなかった。
残骸と、死体と、腐臭 そして 誰もいない町があるだけだった。

誰もいない町に、咲く花があった。
それは 何の花だったのかは、わからない。ただ黄色い花が風で揺れていた。

その黄色だけが 妙に印象的だった。

おそらく、テレビで観た画像が、夢になって私はそれを観たのであろう。
どこかで、様々な交錯した神経が高ぶり、そういう映像を脳裏に映し出したのであろう。
しかし、それらの映像は、とても強く訴えかけるのである。

助けて という声も聞いた。
背中をとんとん と叩かれたり、海の中から手が見えたりもした。
もちろん、それらはすべて夢の中の世界だろう。しかし、幻想にしては、声はリアルに響いたし、手も波間からはっきりと見えた。
波は黒っぽい海に白いしぶきだけを 蛍光灯で光らせたように 飛び上がったり沈んだりしていた。

私自身は、それらの声も、手も、聞きながら、観ながらもただ、どこかへ向かって、すーっと飛び去っていった。
何かができる自分ではなく、自分の意志で飛んでいるのでもなく、ただ、その上を止まらずに飛んでいく自分だけがいた。

ふと 朝になって目が覚めた。
夢だったのか・・・と思ったが、景色があまりにも リアルで、私の体はとても疲れていた。

こうして、人はノイローゼになっていくのだろうか・・・などと 朝のコーヒーを飲みながら、覚醒していく頭を振りつつ思った。
もう、うんざりだ。
テレビも観たくないし 新聞も読みたくない。
朝のトーストが妙に乾いて 味気が無かった。



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