Sydney Yajima


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うまか しかか

2011-06-01 17:43:43 | Weblog
政界は、小沢一郎が、民主党を離脱することで、荒れている。
自民党は、小沢一郎と歩調を合わせるようにして、行動を開始し始めた。

国民は、うんざりしながら、しかし、どの政党に入れたところで、大して変わらないのだからと あきらめの気持ちになっている。

私は、平等という思想を人は 装飾としてつけたがるが、そんなものは存在しないと言い切った。
いまでも、そう思っている。

平等は、英語では フェア とでも訳されるだろう。
そしてフェアは、英語圏の人間にとっては、いかにも 洗練された人間としての雰囲気をかもし出す 自分を酔わせるのに十分な音韻を伴っている。
たとえば、「あなたは とてもフェアな人ですね」と、誰でもいい、英語圏の人間に 言ってみてほしい。そうしたら、彼は(あるいは彼女は)ほぼ 100%単純に笑顔をみせて「OH THANK YOU」と言うだろう。
この場合、彼らは、フェアと言われたことで、智識人であるとか、教養がある とか、あるいは、決して人種差別者でない自分であるとか、そういう様々な装飾を褒められたと感じたのである。

日本人だって 「お宅の会社は機会均等で、すばらしいですね」と社長に言えば、社長は笑顔を見せるはずだ。
もし、本当に機会均等なら、そんなことで喜ぶ程度の社長は、トップに立っていないはずなのに。

まあいい・・・

ともかく、私は思想としての平等というやつに、今 喧嘩を売っている。

つまり、そんなものは ハナから存在しないと言っているのである。

もし、日本人の大好きな アメリカ合衆国がちょっとでも フェアな国なのであれば、どうして 日本中にたくさんの米軍の軍隊を置いているのだろう。日本の自衛隊は たった一つの基地も アメリカ国内に保有していないのに。

産まれたときから、歌舞伎役者の息子は 歌舞伎役者になり、茶道、華道、などの家元は、家元を継ぎ、政治家までも、二世 三世となり、それらが、連綿と続いているのだから、思想としての平等を持ち出すと、それこそ、君が代を歌わずに裁判で負けることになる。

平等など、この世に存在しないのだ。

じゃあ、おまえは、平等のない世の中が いいと思うか?と聞かれたら、
私は、そりゃあ、平等な世の中が あればそれに超したことはないな と言う位のことは 言うだろう。
だが、断じて言う。
思想としての 平等は あるかもしれないが、そういうものは、やはり存在しない。

そのなかで、われわれは、なんとか それぞれの道を探し、見つけると、その道を極めようと もがいてみたりする。
中には、成功する人もいて、そして、成功談などを本に出す。
本は売れて そのひとはさらに 成功者となる。
けれど、それを読んだからといって、同じように あなたが成功できることはない。
なぜなら、機会は平等には決してやってこず、むしろ、あなたを つぶしにかかってくるのである。

そんな中で、総理大臣になりたいと願う男がいて、それが何十年もたつと、ついに そのための権化となり あるいは妖怪となって荒れ狂う。
それが 小沢一郎である。

彼は、田中角栄のかばん持ちの時代から ずっと ずっと 総理大臣になりたかった 例えば将軍になりたかった 伊達政宗のように、遅すぎた弓取りであった。
悲劇かもしれないし、喜劇かもしれないが、ここで、反乱を興すとは、老いだろう。
もはや、残された時間がないことを 自ら悟り、そして もがいている。
ちょうど 年をとって売れなくなったストリッパーのようなものだ。
もはや、彼の未来はない。
アメリカの新聞に、愚痴を言っている時点で、私は彼を見切った。
もはや、自らの力はなく、誰かが何とかしてくれへんかなーと言っているに過ぎない。
これは、いっぱしのやくざ者が、喧嘩を前にして、警察に殴りこみの相手の愚痴を聞いてもらっているようなもんだ。

日本は、大丈夫か?
本当に、これで いいのか?