Sydney Yajima


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語るべきことと、語ってはならないこと

2009-10-18 03:13:16 | 世界情勢
日本には、憲法9条をはじめ、多くの摩訶不思議な問題がある。憲法9条が合憲であると最高裁が判断を出した昭和の後期。
私は、日本を離れた。

当時、中曽根首相が、アメリカに行き、不沈空母の話をし、小田実という作家が涙を流しながら、「あの愚鈍の帝王だと言われていた鈴木首相でさえ、アメリカに行きもっとまともなことを言っていた。世界平和について話していた」と言うのを予備校の教室の中で、20人ほどの若者に混じり、聞いたことがあったかもしれない。また、その小田実というおっちゃんに、文句を言いに行ったことさえあったかもしれない。 遠い過去の若気の記憶を辿ると、恥ずかしいこともたくさんある。

今の時代になって、ふと思う。

あれは、何だったんだろう?
まるで、熱にうなされたように、今何かをしなければならない。とふつふつと感情の奥底でわいていたものは、なんだったのだろう?

当時はそれこそ、自民党の天下だった。日本はバブル前夜で好景気に沸いていて、トヨタは、スープラという500万円を超える3リッターエンジンの車を作り、六本木には、BMWがずらーっと並んで 六本木カローラといわれていた。私は、小田実の話を聞いて、感心したり、不満に感じたりするほど、感受性の強い若者だったはずだが、どこかで、いつのまにか、本来の愚鈍さが芽生えてきて、気がつくと、遊びまわるようになっていた。

ただ、エネルギーを抱えて、そのエネルギーをどこへ向かって吼えれば良いのか?それさえ分からず、ただ一人、様々なことを悩んでいた。多分、いまも、そうなのかもしれない。だから、フリーターと呼ばれる人の気持ちも、社会にどうやって出て行けばいいのか、分からない不器用な人の気持ちも、よくわかる。なぜなら、私自身とても不器用な人間で、とても生きるのがうまい方ではなかったからだ。

小田実の英語の授業は、しかし、今思い返してみても、とてもその後の人生にとって、役に立った。もしあの授業を受けていなければ、今の自分の根本である、英語というものは、おそらく身につかなかっただろう。本来なら、小田実と呼び捨てにするところではなく、小田先生と書くべきところだが、しかし、彼は、単に英語の先生ではなく、ある意味において、日本の歴史的な転換期と混沌とた時期に、社会を斜めに見ながら、つねに憂えていた巨人であったので、あえて、小田実とフルネームで書くのが、正しいように思う。

英語の話に戻るが、英語というのは、どんなにうまく発音が出来るかとか、きれいな文章が書けるかと、言うことではなく、「何を書き、何を読み取るのか?」ということである。と、彼が言っていた言葉は印象的であった。

彼は、自由を愛していた。

私も、もちろん、自由を愛している。
しかし彼の言う自由と、もしかしたら 私の考える自由は、根っこから違うものだったかもしれない。彼は、普遍的なみんなの自由と平和を愛し、それは、理想としてすばらしいものだったかもしれないが、私は、その彼の理想が、彼自身の自由を奪っているように見えて仕方なかった。彼自身の願う理想が、彼自身を蝕んでいったようにさえ思えた。それは、いつも彼が、闘う気持ちを持っていたからかもしれないが、私には とても、時代遅れの機関車が、無理に新幹線のレールを走らせようとしているようにさえみえた。それは それで男の美学としては成り立つかもしれない。だが、どれほど、彼の願う自由と平和が、その当時の私の世代の若者や、その後の若者。もしかしたら、今の若い人たちにとって、理解できるものかどうかは、今でも疑問だ。

彼に言わせたら、「それは君らの勉強不足だよ」と言う事になるかもしれない。

そう、確かに、私たちにとって、マルクスを読むことや、安保の問題を真剣に考えることや、その機会は彼の時代に比べると、あるいは安保闘争の世代や、べ平連の時代の若者(多分、いまは、いいおじいちゃんになっている世代)との隔たりはあるだろう。

ある、大工の友人が言った。かれは無口な男だったが、たまに言う言葉に、いつも核心をついたものがあった。

明治維新で亡くなった志士のような、若者は今はいなくなったと、私が言うと、「それは、そうじゃないですよ」と言う。
「じゃあ、どうだと思う?」と聞くと、彼は
「あれは、その当時の流行だったんじゃないですか。」と言った。

確かに、坂本竜馬も、桂小五郎も、多くの志士たちは、何かの熱にうなされて流行のはしかにかかったような、狂気に包まれた時代の、寵児であったのかもしれない。

小田実も、多分、その時代・・・昭和の戦後という時代の流行の中で生まれた若者としての寵児であったのだろう。

ただ、彼と、長く深いお付き合いをしたわけではなかったが、それでも、なんらかの縁があったことを、今になれば、懐かしく、そして、感謝もしている。

だが、単に流行ですましてしまって、いいものだろうか?と思う。
彼が言っていた言葉に、「明治の時代の人のほうが、今の君たちよりもっと英語が出来たはずだ。福沢諭吉など天才だよ。ああいう人は、一度聞いたら忘れないように出来た頭を持っているんだ。君らも、もっとちゃんと、英語を読めよ。英語の雑誌でも本でも何でもいい。もっと英語を貪欲に読めよ。そして、ただ単に読むなよ。読む以上は、きちんと、その中身を読め。そしてちゃんとその意味を考えろ」
今も、その言葉は私の中に生きている。

私は18歳の自分よりは随分英語が話せるし、読めるし、書ける様にもなったかもしれないが、まだまだ、師の領域には遥に及ばないかな と思う今日この頃である。

憲法9条について、考える・・・か。

まだまだ、ボンクラの私にとって、どこへ向かって、一体 どんなふうに吼えたら良いのか 分からないでいる。

しかし、まだ心の中に ふつふつと沸いてくる気持ちが まだまだ若い頃と変わらず、熱く燃えていることが、自分では厄介だなと思い、もてあましている。

世の中が、理屈よりも経済で動き、そして、世界が理想よりも現実で動いていると私は思う。だから、いくら理想を言っても、仕方ないんじゃなかろうか?と、小田実に食って掛かっても、到底 埋まることの出来ない溝があったということが、今になっても、そこに 横たわっている。

世の中は、私の知る限り、とても汚いものだし、それに、人は私のであった限り、ずいぶんと、自分勝手なもんだ。その自分勝手なのが、自由というものなんだろう。そんな世の中の仕組みを 知っている人間は力を持ち、金を生み、そして、のしあがり、仕組みを分からない人間は労働者となって、働く。プロレタリアート文学のようなことを言うつもりもないが、世の中は、そうなっている。

たまたま、理屈が言える人間が その理屈を支える社会に不満を持った人間たちに共感を得て、本を売って、その本から印税を稼いで、生活をする。なんてことまで、考え始めたら、いろんなことが、どれもこれも偽善に見えてくる。その偽善が嫌だと、言い高士を気取って、海に漕ぎ出してみたなら、水はきれいになっただろうか?結局は、故事の漁師の言うように、「きれいな水で口をすすぎ、少し汚れた水ならば足を洗いましょう」という庶民の知恵が一番賢いのではないだろうか?

日本人は真面目だから、ついつい四角四面に考えて、自分を追い込んでしまう。もうちょっと、いい加減になってもいいと思うんだが、私のようなずぼら者の言うことでは、ちょっと、説得力に欠けるかな・・・