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ねがうこと、ゆだねること

港北ニュータウン視察

2010-07-14 | 建築
遅まきながら初めて横浜の港北ニュータウン
視察した。この事業は1965年(昭和40年)に
開始され、例外的に成功した都市計画と
言われている。

成功の要因はさまざまあると思うけど、
行政や地権者の話を伺いながら考えたのは
1,立地
2,横浜市の力のいれよう
3,地権者の協力態勢
が大きかった気がしていた。



まず立地。横浜寄りとはいえ東京に近い。
渋谷が30分、大手町が40分という近さ。
もともと人気はなく、横浜の辺境地と
言われていたけど、実は便利な立地であったのが
大きいのでは。

そして横浜市が重点的に整備をしたおかげで、
地下鉄の駅までどこからでも徒歩15分以内。
2本の地下鉄に加え、高速道路2本にも囲まれ、
とてもアクセスがいい。道路も歩道も公園も
広そうだし。

当時面横浜市の開発3大事業の一つだったそうで、
みなとみらい開発、金沢区の港湾開発とならんだので
その公共としての傾斜ぶりが彼の地を作り出した。




そしてもうひとつ大きかったのが地元
地権者の協力態勢。全国の都市整備事業の
モデルともなった土地換地方式の先駆け。
ペンシルビル開発もあるけれど、大規模な
土地の組み合わせを生みだし、公共施設
や商業施設の誘致に成功していった。

例えば、阪急と東急の郊外型百貨店の
ハシリがあるが、ともに土地建物は
賃貸借で開発組合が契約している。

都筑中央公園という横浜市最大の
地元地権者の寄付によるものだと
聞いて驚く。関東大震災と東京大空襲の
災害状況をみて、避難地としての公園の
重要性が身にしみた方が寄贈したそうだ。