持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

私の話の要点2:小澤徳太郎より

2007年01月12日 | パネリスト

 2005年、日本は戦後60年を迎えました。この節目の年にちょっと立ち止まって日本を、そして世界を考えてみましょう

★地震・津波、台風、火山の噴火など多発する自然災害
★止む兆しのない戦争やテロ
★急速に進展する経済のグローバル化

 たとえ将来、自然災害を予知し、発生を止めることができても、戦争やテロが完全に地球上から無くなり真に平和な世界がおとづれたとしても、私たちが今直面している環境問題には終わりはないのです。それは私たちの「経済のあり方」、「社会のあり方」が環境問題の直接の原因だからです。

 環境問題が示唆する本質的な問題はそれほど遠くない将来、私たちの日常の経済活動から生ずる「環境負荷の蓄積」に私たちが耐えられるかどうか、つまり「私たち人類存続の危機」の問題なのです。このことから、環境問題は私たちの日常の生活と直結した足元の問題であることが理解できるでしょう。そして、「経済」と「環境」は切っても切れない関係にあることも理解できるでしょう。

 20世紀後半に顕在化した「環境問題」の大半は企業による経済活動がつくりだした「目的外の結果」であり、経済活動が大きくなれば「目的外の結果」も比例的に、あるいはそれ以上に大きくなります。環境問題は、私たちが豊かになるという目的の達成のために行ってきた経済活動から生じた「目的外の結果」が蓄積したものと言ってもよいでしょう。

 1988年以降、日本では「地球にやさしい」、「共生」等の心地よい響きを持ったキャッチフレーズとともに、「地球環境」および「地球環境問題」という“日本的概念”が社会に定着し、みごとなまでに「環境問題に対する危機感」を薄めてしまった感があります。 政府も自治体も従来の「公害」という概念に代わって、新しく登場させた“日本的概念”の普及に精力的な啓発活動を続けてきました。ジャーナリズムも、経済界も、企業も、学者も、そして多くの市民運動家までもが、この大きな流れに飲み込まれてしまっています。

  環境問題解決のための具体的な行動は顕在化した「個々の環境問題の現象面」に一つずつ対応するのではなく、経済的にみれば「経済規模の拡大から適正化」への大転換であり、社会的には20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量を出来るだけ抑えた社会)」への大転換を意味するのです。

 21世紀前半に私たちが「経済の適正規模」を模索しなければならないのは、「資源・エネルギーの的な不足や枯渇によって経済活動が制約されるから」(20世紀型発想による懸念)ではなく、「20世紀の経済活動の拡大により蓄積された環境負荷(温室効果ガスやオゾン層破壊物質の放出、廃棄物など)と、21世紀の経済活動にともなう環境負荷の総和が環境の許容限度や人間の許容限度に近づくことによって経済活動が制約されるから」(21紀型発想による懸念)からなのです。

したがって、環境問題に対する最も重要な判断基準は、「社会全体のエネルギー消費量を削減するか、増加させるか」ということになる。

<つづく>

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